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実は私のページは
”親愛なる日記よ、この世には僕の大好きなことがある!” という言葉から始まるナンニ・モレッティ監督の映画「親愛なる日記 CARO DIARIO」から名前を取りました。 3月31日 古くからの友人の一人が携帯メールをくれました。中国語で書かれたそのメールはどう読んでも絶交の通告でした。 いつもの冗談のニオイはまったくしません。ただ単に長年のつき合いを終わりにしようということが書かれているのです。 たしかに数日前に私が送ったメールには相手が怒りそうな文句を書きました。でも別にそんな深刻な内容ではありません。 「なんてことを言う。冷たいヤツだオマエは。」 などといった返事をしてくると予想出来たのに。本当に怒ってしまったのでしょうか。それとも、もっと別の理由があるのでしょうか。 けっこう落ち込みました。 それで、電話をして確かめようかと思いましたがなかなか勇気が出ず、何度もかけようとしてはやめて、「ダイヤル回して手を止めた…。」を繰り返しやっと電話しました。 ところがなんと、別になんてこともありません。 「あのメールはなんだったの?」 と尋ねると、 「ああ、アレね。[口馬]の漢字が打てなかったので省略しただけ。」 だって。 つまりは、疑問文にするところを[口馬]を省いたので肯定になってしまったということなのです。 [口馬](日本語で言うと「…ですか?」の「か?」みたいなもの。)を取ると全く意味はもちろんニュアンスも変わってしまうのですねぇ。 たとえば、「十年的友情已経不在了[口馬]?」(十年来の友情はもう終わってしまったの?)と言うところを、[口馬]を省けば「十年来の友情はもう終わってしまいました。」とかなり深刻なことになり、疑問文だったときは大げさなことを言う冗談だとわかりますが、肯定文の方は本気としかとれません。 恋人同士の場合だと「愛情已経不在了[口馬]?」は、「愛情はもうなくなってしまったの?」なんて少しすねたような感じにとれますが、[口馬]を取ると、「愛情はもうなくなりました。」と自分の気持ちが冷めたという事実だけを伝える文になってしまいます。 こういう大切な文字は省略しないでもらいたいものです。カタカナでもいいから「マ」と付けておいてほしいものです。驚いて損した。 3月27日 周傳雄のアルバム『transfer』を買いました。 むっちゃイイ。 よくある、ヒトのに書いた曲をちょっと回収して自分で歌ってアルバムにしたというやつで、私はこういうのあまり好きくないのです。 だいたいプロの歌手がその確かな歌唱力で歌っているのに、あまりうまくない作曲家が自分で歌ってもイイわけがありません。 と、思っていました。 ところがどうして、すごくイイのです。声は少したよりない高音という感じなのですが決してヘタじゃない。けっこう感情込めて歌っていてこういうの好きです。 よく見るとこのヒト、小剛という歌手なのでした。今まで歌は聴いたことはありませんでしたが名前はよく聞いていました。 これはけっこう気に入りました。私の好きな『那年我們十七歳』の歌詞違いもあります。台湾語の曲もあります。また別のところで紹介したいと思いますが、とりあへず。 3月25日 よく考えると上海より帰国してからもうすでに十ヶ月なります。もう、 「中国から帰ってきて思うのですが…」というようなことをそろそろ言 ってられなくなってきました。 ということで最後に一つだけ。 やはり四年間振りに帰ってきて、ずっと会っていなかったヒトにばったり出会うといろいろな感慨を抱きます。感慨というのはたいていため息混じりのものが多いのです。なんせ四年間離れていたということは実際はそれ以前から 会っていなかったというのを含めてかなりの期間になるからです。 「あんなに可愛らしかったあの子が…。」 「あんなに綺麗だったあのヒトが…。」 と、いうふうになるのに充分な時間なのです、四年プラスαというのは。 同期でも久しぶりにあってショックを受けるのは 「おっさんに、なったなあ…。」ということなのです。 ヒトのことをこんなふうに言っていますが、当然のこと自分も同じだけ歳を取っているわけで毎日会っている自分のことには気がつかないだけなのです。そう、自分もすでにおっさんなのですよね。認めたくはないけど。近所のこどもに「おにいちゃんと言わへんかったら、お菓子あげへん。」とか「遊んだらへん。」とか言って「おにいちゃん」と呼ばせても、いやそういうことを言うこと自体がすでに抗いようがなくおっさんなのです。 で、男の場合老ける原因の中でも自分でなんとか出来るものと言えばそれはやはり中年太り対策です。 太るとかなり老け込んでしまいます。従ってダイエットをしなければいけないというのは定期健康診断で医者に言われるまでもなく自分でもとうにわかっていることなのです。しかし、なかなか大変なのことですよねえ、やせるということも。 学生時代の勉強と同じで「その気になったらすぐ出来るんだゼ、俺は。」と思っているのですが、このダイエットというのはやるとなると相当な意志の強さが必要です。 で、その意志を持続させるには、禁煙と同じで強い動機が必要だと私は思います。 禁煙も強い動機さえあれば続けることができます。私も以前は一日二箱吸うヘビースモーカーだったのですが、完全にやめました。 煙草の場合はやめる動機として、やはり「健康のため」というのが一番でしょうが決定的なものにはなりません。なぜなら、害があると医学的にはっきりと証明されていない。身体的に害があるモノの販売を政府が許可するわけがない。という理屈がつけられるからです。 因果関係が証明できていなくても、これだけ相関関係が認められれば充分な理由になると思うのですがそういう屁理屈を言ってしまいます。普通、食品でもこれだけ高い確率であればもう充分に販売を禁止する理由になるはずです。 政府が販売を禁止しないから、というのもおめでたすぎる理屈です。政府が国民の健康や利益を考えてくれていると本当にそう思っているのでしょうか。しかし、私も過去そういう理屈をつけて何度も禁煙に挫折しました。 最終的な禁煙の動機はここでは申し上げられませんが、それはもう大きくはっきりしたものができたのです。だれがなんといってもごまかすことができない。どう理屈をつけても曲げられない、どうにも口実がつくれない、そのような動機ができました。故に現在は煙草を完全にやめてしまいましたし、たぶんもう復活することもありません。 しかし、このダイエットにはいまのところなかなかそのようなものがないので、昨年夏には体重を落としたにもかかわらずまたもどってしまいました。で、現在は私の身長で池中玄太と同じだけあるのですからこれは肥満のエリアに入っています。と思いきや、体脂肪率を測ると15.5%なのです。この数字なら肥満とは言えないので「まあ、いいか。」となってしまうのです。 本当は数字よりも、頬や顎の肉、ウエストの肉の存在は紛れもない事実なのでこれをなんとかするのが急務なのですが、そう、可及的速やかにしなきゃいけないことなのですが、一つでも言い訳があると動機が薄くなってしまうのです。 ということで、現在確固たる動機を確立しようとしています。てなことを言いながら、見つかるまでは、と食べる私。 3月23日 ”鼻歌のヘビーローテーション”という言葉が ここに書かれてあったのですが、私はこういうことってごくフツーのことだ思っていました。 私もまさに年がら年中四六時中鼻歌を歌っている人間なのです。機嫌が良くても悪くても。もちろん口に出していることは少ないですが、だいたい仕事中でも頭の中で口ずさんでいます。 とくに昔ラグビーをやっていたときなどは試合をしている何十分かのあいだはずっと頭の中で同じ曲が鳴っているものでした。それがヒジョーにテンポのイイ曲で力強い曲だったらラグビーというスポーツにマッチしてとてもやりやすいのですが、必ずしもそうではなくてノりにくい曲だったりもします。でも、だからと言ってプレーに影響するわけでは当然ありませんが。 もちろんこの鼻歌のヘビロテというのは日本語の曲に限らないし、またその 日に初めて聴いた曲であったりすることが多いので、頭の中で歌っているときは大丈夫ですが、たまに不知不覚思わず声を出したりしているときには、けっこう恥ずかしいものがあります。 なんせまだ覚えていない外国語の曲など「フンフンフン…」と歌っているときは問題ないけど、ついつい聞こえるまま歌詞を発音して歌ったりするのでその言語をわかるヒトが聴けばおかしなものでしょう。 異動になりました。関係会社にエンジニアリング会社があってそこの海外営業部です。 現所属とは関係が深くてよくというかほとんど一緒に仕事をしています。だからちょっと釈然としない部分があります。 ところで今日の私の異動は現所属でもみんな知らなかったみたいです。みんなの反応は「へーえ、でも、ということは、これからも一緒に仕事をするということやね。」というものでした。昨日の四時過ぎに「踏台君ちょっと。」と 上司に呼ばれて会議室に入ったので、内示を受けているとまるわかりだと思っていたのですが誰もそんなことを思っていなかったようです。 三月九日に「英語できる?」という質問をされて、その後三月十三日に業務分担の変更が発表されて中国担当をはずれたわけですが、十三日の時点ではもうすでに異動が決まっていたと見られます。とすると三月九日には「異動or残す」で迷っていた。つまりまだ決定していなかったということで、そこからすぐに異動の結論が出されて十三日には決まっていた。というのは非常に早い決定で土日を挟んでいることを考えるとホントに即決だったワケですが、そんなスピードで人事異動の決定がなされるものなのでしょうか。感心いたします。 新しい職場ではもちろん中国との仕事もありますので、私はこれまでと同じように中国と関わっていくようです。他の国の仕事もありますのでその割合はどのくらいになるかわかりませんが。 今回いろんな方々から、「なぜかわからないけど私も寂しい。」というようなご感想をいただきました。お騒がせしましたが、今年も中国には行けそうです。 3月22日 やっぱり異動です。明日発令。なんじゃそりゃ。 それなら、あの業務分担の変更はなんだったんだ。回りくどいことをして。 東京勤務なんてないかな…。 3月21日 ああ、なんかもの悲しいというか、寂しいというか…。 やっぱり春だからでしょうかね。 日記もさぼり気味だし。更新もしていないのですが、どうもこの季節ダメですね。 3月17日 日本在住の中国人の友人(女)から電話がかかってきて、 「張宇のCD何か一枚ちょうだい。」 と言うので、何枚かあったと思いOKして探してみると意外とありませんでした。二種類三枚だけでした。二枚組のもなんかあったような気がしたのですがおかしいな。一枚だけあげとこう。でもいいか、どうせ日本人の彼氏にでも聴かせるのでしょうから。 しかし、迪克牛仔のほうの掲示板にも新しい張宇ファン、しかも熱狂的な 方が来て下さったし、最近日本で流行りつつあるのでしょうかね。まさか。 本日は宝貝の卒園式でした。毎度ばかばかしいビデオ撮影会とはいえ行かないわけにはいかないのでしょうがなく行って来ました。案の定ファインダー越しに、しかも我が子を中心にしか式を眺めない親たちでした。 来賓の挨拶等で「おめでとう。」と言われるとすかさず 「ありがとうございます。」 と声を揃えて言う子供達。 よく調教されているという感じ。面白いのは、祝電を読み上げても、「おめでとう。」の後にお礼を返していました。パブロフのイヌ状態。 久しぶりに式と名の付くモノに出席しました。盛り沢山の挨拶に嫌気がさすものの子供向けなのでそんなに長くないのはまだましでした。それでも疲れてきたところ、在園生の贈る言葉と、卒園生のお別れの言葉。これは幼稚園児にそんなに長い文章は覚えられないし短いだろうとホッとしていたら、なんと人海戦術。卒園生は十数人出てきて少しずつ繋げていきます。ずっと思い出話が続いて最後の園児でうまくまとまるかなとハラハラしながら見ていましたがなんとかまとまりました。ホッ。 あいうえお作文を見ているような感じでした。 しかし、いま気づきましたが、幼稚園児と言うのになぜ在園生、卒園生なのでしょう。 3月13日 本日中国担当からはずされてしまいました。 なんと中国・台湾・韓国を除くアジア担当になってしまったのです。これから東南アジアに行く機会が増えそうなのは嬉しいのですが、ひとつ困ったことがあります。東南アジアってやはり英語ですよね。ホントに英語どうしましょう。 しかし、中国はずれたってことをどうしてこんなに寂しく感じるのでしょうか? ところで、谷和彦さんがなんともう三曲目をアップされています。昼休みにMDに録音したので通勤途中に聴いています。 二曲目の「彼氏が遊んでくれない」という曲ですが、たしかにいそうですね、こんな女性。というか、そのへんにゴロゴロしてそうです。でも女性が聴くと、 「ちょっとなに?これ。ウチのことやん。感じ悪う〜。」 って、なりませんでしょうかね。 歌詞は少しひっかかるのですが、メロディはいつもながら大したモノで、知らぬうちに私も「か〜れしが、あっそっんっで〜」と口ずさんでいることに気がついてしまいました、帰り道。 たま風のは、まだそんなに気に入っていません。 3月11日 アルファロメオというクルマがけっこう好きなのです。乗ったこともないし今後買うこともないと思いますけど。 むかし二十代前半の時にそのときの愛車であったミニに乗ってジーパンにTシャツという出で立ちでショールームを見に行ったことがあります。 しかしセールスマンにこう言われました。 「アルファロメオはセカンドカーとして乗る車です。間違っても通勤に乗ろうなんて考えないでくださいね。」 つまり、日本のクルマのように絶対に故障しないというような信頼性はないけど趣味として乗るにはヒジョーに面白いクルマですよ、という意味だったのだと思います。 まあ、オマエみたいな若造が買うクルマじゃない、と言いたかったかったの かも知れません。私がただ単に冷やかしに来たことを見破っていたのかもしれませんしね。 だけどその時私は少しも頭に来ませんでしたし、「ロメオってそういうクルマなんだ。」と感心したのを覚えています。セールスマンがそういうことを言えるクルマって、そしてそんなことを言っても売れるクルマってすごいじゃないですか。 ところが、そのアルファロメオが現在ワゴンを作っているというのがなんか納得いかないのです。ワゴンってなんか違うと思うのですけど…。 あのときの店に行って、あのときのセールスマンにこう言ってみたい。 「私はフォトグラファーで、このワゴンに機材を積んで仕事で使いたいのですけど。」 もしくは、 「子供を連れてキャンプにも行かないといけないので、ワゴンを探しているのです。」 意地でもこう答えてほしいものです。あのセールスマンには。 「それなら、ボルボでも買われたらいかがですか?」と。 3月9日 「踏台君、英語どのくらい出来るん? 今日の会議でわかったと思うけど中国・台湾以外もこれからは担当してもらわんととてもヒトが足らへんし。一人で出張して交渉してくるようなこと出来る?」 って、今日直接の上司に呼ばれてそう訊かれました。 一年近くも私の上で働いてきてそんなこともわからんのか〜!! 英語で交渉、しかも一人で行って投資するとかしないとかそういうことを話して来るような語学力って相当のものだと思うのですけど…。 アメリカに留学経験および駐在経験があるヒトは簡単にこういうことをいうので困ります。 もちろん、胸を張って自信を持ってこう答えました。 「できません。」 しかし、なぜかこの答えがすごく意外だったようです、この上司。わからないもんですかねえフツー。私のCVに書いてあるTOEICの成績も知っているくせに。 一応、「これから勉強します。」と言っておきましたけど、いまからやってそういうレベルになるのに何年かかるのでしょうか? 異動が近いかも知れません。 ところで、ここ数日ネットから離れていましたところ、なんと谷和彦さんがまたまた新曲をアップされていました。 「彼氏が遊んでくれない」というタイトルの、なんと今回は女性の言葉遣いで歌詞を書かれています。 実は私も今日の昼休みに慌ただしく一度聴いただけなので、まだよく感想は書けません。実は私の家のPCは音が出なくなっているのです。直さなきゃと思いながら、中国語OSを同居させているのですが、ハードディスクを分けるのにちょっと怪しいシステムコマンダーを使っていて少し複雑なことになっていてあまりさわりたくないないのです。一度パーテイション・マジックに換えようとヘタにさわって再起不能になりかけたので…。 ということで、私のへたな感想をきくより先に歌を聴きたい方はどうぞ、 こちらへ。 3月6日 先日仕事関係の中国のサイトを見ていてBBSを発見し、何の気なしにのぞいてみるとこれが非常に面白かったのです。情報としてなかなか興味深いものもありました。ものの本にも載っていないし、直接聞いてもなかなか教えてもらえないようなこともあったりするし、今後はここで尋ねれば信頼度は疑問でもなかなか得がたい情報が入手出来るのではないかと思いました。 一方でまた面白いのは、熱くなっているヒトもいるし、ヒジョーに支離滅裂な論旨を展開しているヒト、牛頭不対馬嘴のヒトもいるし、初めは議論に参加しているようで結局「それにつけても我が社の製品を。」と宣伝だけが目的のヒトといろいろいるのです。 これは面白いと、中国の掲示板巡りを始めたわけです。考えてみれば今まで なぜしなかったのでしょうか。 しかし、中国人も日本人に負けず劣らず実は議論のうまくない民族のようです。たいてい感情的になっていて、議論としては成り立っていないものが多いです。ただ、悪口だけを言っているヒトも多いのです。 でもそこにヒジョーにまっとうな意見を述べるヒトが現れて話をまとめようとしたりすることもあってまた面白いです。 どこの掲示板かわからなくて続報を探せなくなってしまったのですが、 河北省で回族との間でまたトラブルが発生したようです。回族のお寺(っていうのかな? モスク?)に豚の死骸をぶら下げた馬鹿がいて、それに怒った回族たちが集結して漢族を拉致したりしていたのです。だけど続編を見たくなって本日探したのですが見つかりません。 こういう新聞に載らない情報が入手出来るので便利なのですが、場所を覚えておかないと続きが見られなくて辛いということが分かりました。 3月5日 日曜日に某パンダ…じゃなかった、中華カラオケ研究家の先生と南京町に行って来ました。ある発表会で歌うときの衣装を購入したいということでご案内いたしました。 無事買い物も終わったのがちょうどお昼時でして、せっかく中華街に来たということで迷わず中華街を出たところのベトナム料理のお店に行きました(なんでや!)。なぜかというとこれまでに何回もその店の前を通っていて私が一度入ってみたいと思っていたから、それだけです。 店の中に入って、注文すべえとメニューを見るとどこかで見たことのあるような感じがするのです。そう、あの光華のメニューとよく似ています。要するに素人が撮影したと一目でわかる写真をそのまま使ってあるのです。しかし、注文したものが運ばれてきたあとで気がつくのですが、写真が幾分ピンぼけなのと大きさを推し量る基準となるものがないので、皿の大きさというか有り体に言うと料理の量がどうもイメージするのと違っていました。次回このメニューを更新するときにはたばこの箱でも一緒に写して、また接写がきれいにできるカメラでも使ってほしいものだと思いましたが、わざとそうしているのかもしれないので特にお願いはしませんでした。 注文を取りに来たお姉さんが、まず「お飲物はどうされますか?」と訊きます。 飲み物ったって、私は下戸ですし特に昼間から飲むということは正月か中国にいるときくらいしかしません。私がカラオケ研究家の先生に尋ねると彼女もいらないとおっしゃいます。 「では、」とそのお姉さんはわたしたちにソフトドリンクを勧めますが、なぜかベトナムの「なんとかカフェ」というのを指さして、 「こちらカフェというのはコーヒーになります。」 と言います。 この「…になります。」という言い方。よくいろんな方がおっしゃっていることですが気になるヒトには気になるようで、例えば注文の品を持ってきて、「天丼になります。」と言う店員さんがいますが、 「なります。」というのはいったい何なんだ? なれるもんなら、天丼になってみろいっ! などと頭にくるかたもおられるようです。 でもここでいう「カフェというのはコーヒーになります。」はまたそれとも少しニュアンスが違います。いくら私がひねくれ者でもカフェのことをまさかコーヒーを飲むところのことだとは思わないでしょう。 たぶん正しくは「カフェというのはコーヒーのことです。」と言いたかったのでしょうね。いや、ひょっとしたらはじめはカフェというものが運ばれてきて、しばらく時間をおくとだんだんとコーヒーに変わってしまうという、そういうものなのかも知れません、この「なんとかカフェ」というヤツ。 それとも、ほんとにカフェ、つまり我々がフツーにカフェと聞いてイメージするコーヒーを飲む場所、日本語では「珈琲館」(いや、フツーは喫茶店というのかな、それともコーヒー専門店?)、中国語では「[口加][口非]廰」というところのもの、それの小さいの(そう、ここの店のものはなんでもメニューからイメージするものよりも少し小さめなので)がホントにお盆で運ばれ てきてしばらく待つと小人がコーヒーを淹れてくれる、そういうものかもしれません。 もちろん、そのときはそういうことに気づきませんでしたが、運ばれてきた料理の皿の大きさに少し失望する、ということを繰り返すうちにだんだんとそう考え始めていました。しかし、チャンスを失ってしまったので、また思い出したようにその「なんたらカフェ」をオーダーすることはできなくなってしまっていました。いや、別に改めてしてもいいのですが、注文とはタイミングが大事なのです。 ところが食事を終えた後に先ほどのお姉さんがまたやってきて、 「デザートなどはいかがですか?」 と、今度はそう尋ねます。私がオウム返しに、中カラ研究家にたずねると、いらない、とつれない返事。 「では、コーヒーでも。」とまたお姉さんが言うので、私は「先ほどの謎を解明できるチャンスがまた訪れた。」と喜んで、 「カフェというのはコーヒーになりますけど、いかがですか?」 と言いながらその台語歌研究家の方を美留と…じゃなかった、見ると、 彼女はなぜか笑いをこらえつつ「こいつはなんてことを言うんだ?」という 驚きの表情もまぜながらそれでも、 「いりません。」 と、私がこのヒトの好きな部分のひとつである毅然とした態度できっぱりと言うのでありました。 よって、謎は解明されないまま、この店を後にすることになってしまいました。 ドアを出てから振り返ると、店の前には「I谷も絶賛!!」と本人の写真入りで書いてあったのですが、私はベトナム料理に関してはオリンピックのメダリストよりも、最近旅行記を書くことに凝っている女性作家の言うことを信じた方がイイという結論に達したのでした。 こういう話でしたよね。 3月4日 今日は某パンダ研究家の先生と神戸にパンダを見に行ったのですが、とっても面白かったです。 王子動物園のパンダの檻はまず柵があってその内側に溝がありその溝の向こうにパンダがいるのです。我々は柵の外側からパンダを見るわけですが、柵といっても手すりがあるだけで下は何もなく足が柵を越えたり子供だと手すりにぶら下がったりして柵の内側に入ってしまったりするのです。 しかし、パンダにたどり着くための次の関門である溝にはコンクリートの縁があり、その縁の上には高圧電線が張り巡らされてあるのです。そしてガードマンのおじさんがずっとお客さんに注意を呼びかけています。 「高圧電流が流れていて危険ですので柵を越えないで下さい。」 もし私がパンダのそばに近寄ろうと思えば溝を跳び越えなければなりません。溝は縁の上に乗って飛び越えようと思えば飛び越えられるくらいの幅ですが、縁の上には電線があり電流が流れているため縁の下から踏み切らなければなりません。縁の下から飛び上がって縁を越えてさらに溝の幅を飛び越えるのはブブカくらいでないと無理というほどのものでもありませんが、ちょっと普通の人がやる気をふり起こすには相当の覚悟がいる、という程度の難易度です。 つまり、電流を流している効果は充分にあると思います。 ところが、ある子供が何をしていてそうなったのか見のがしたのでわかりませんが、柵の下をくぐって、溝の縁のコンクリートに倒れ込み、高圧電流が流れているはずの電線を「ぐわし!」とつかんでしまったのです。 周囲の人たちはその子供の父親を含めて「あ!」と息を飲んで見つめ、一瞬凍り付いたようになりました。 が、その子供は全然平気で縁をつかんだまま「よいしょっ!」と態勢を立て直しました。父親は慌てて柵の外側からその子を抱きかかえて、外に出しました。 要するに高圧電線(?)には電流など流れていなかったのです。私もじゃんけんの後出しではなくてホントに高圧電流が流れているわけはないだろうと思っていましたが、上海で流行っていた虫取りラケットのように触れればピリピリッとくるぐらいの微電流は流れているのかと思っていました。 先ほどまで「高圧電流が… 」としゃべり続けていたおじさんを見ると赤い顔をして少し照れながら何も言えなくなってしまいました。そりゃあそうです。高圧電流など流れていなくて、ただのはったりだったことがばれてしまったのですから、平気な顔をしてまた同じことを言えるはずがありません。 たぶんこれを目撃した人たちがみんな帰ってしまうまではもう一度言い出すことはできないでしょう。私はしばらく待ってどのくらいしたらほとぼりが冷めたと考えてまた始めるかを見届けようかとも思いましたが、まあそんなひまなこともしていられないと思い直しました。 しかし、なんと数分後には別の女性のガード(ウー)マンが「高圧電流が…」と言い出したのです。 さすがは大阪のおばはんです。 3月1日 今日は残業をしていてフッと気がついたらまわりに誰もいなくなったので音楽でも聴きながら仕事しようと思ってパソコンから直に谷和彦さんの「星と月と朝焼け」を流しながら仕事をしていました。 やっぱりサビの部分が良くて、特に「…さ、いま」と速く言うところが気に入って何度も繰り返し聴いてしまいます。 で、三回目の「見上げれば月と星・・・」の後で一瞬止まるところではなぜか自分も止まったりして…。 なんて読んでいると聴きたくなってくるでしょう? では、行ってらっしゃい。 ここです。 2月28日 「踏台、授業中に先生が学生に話をしないよう注意をするとき、どう言う?」 先日こう訊かれました。 尋ねたのは現在日本語学校で日本語を勉強している中国人女性で、授業中にこういう趣旨のことを先生に言われたらしいのですが、中国語を学習している先生(若い女性らしい)は勉強中の中国語で言ったらしいのです。 ところが、その言葉というのはこうでした。 「閉嘴!」 これには驚いて先生に忠告したとのこと、そんな言い方をすると喧嘩を売っていると思われますよ、と(まあ授業中にしゃべっていたくせによくまあ偉そうに言ったモノです。)。たぶん映画かなにかで覚えた言葉でしょう。 ところで私の答えは、 「閉上狗嘴。」 彼女はあきれて言いました。「踏台もロクな映画観てないねぇ。」 それから、私の好きなミュージシャン谷和彦氏のページに彼の新曲がアップされています。なかなかイイ曲で私もまだ今日の昼休みに一回聴いただけですが、 「新しい恋が 訪れたのさ 今 朝焼けの彼方から」 という部分がずっと一日耳に残って離れませんでした。みなさんもぜひ聴いてみてください。ここです。 2月27日 ポップスと言語について最近ずっと考えていることがあるのですが、なかなかうまくまとまらない のでとりあえず自分のメモとして忘れないように書いてみたいと思います。 私はいろんな国のポップスを聴きますが、やはり歌というものは歌詞と音楽のセットものでありま して、音楽・メロディには国境はなくても歌詞の方は国によって当然使用言語が違います。 そして特にポップスでは「意味がわからないのに聴いてどうするの?」という問いかけが絶えずあり ます。 単純に言うと、メロディしか味わえないということはその音楽の半分しか楽しめないことになりま す。意味は分からなくても音としての言語の楽しみ方があるというなら、少し譲って2/3。 私の場合北京語は外国語として学習期間も十年以上になりますし、同じだけの期間ポップスも聴 いていますのでまあ一度聴いてそのまま歌詞の内容がすぐ頭に入ってくるというほどではありませ んが(ただし、順子の「回家」くらいの単純かつ簡単な歌詞ならイケルけど。)、少なくとも歌詞 カードを見れば意味は分かります。 これは広東語、台湾語なども曲によって違いはありますがだいたいの意味は理解可能です。 しかし、インドネシア語は特に辞書を片手に調べればある程度理解できるとしても、タイ語や韓 国語などは完全にお手上げです。読むことすら出来ません。 ですから、こういう歌詞の理解できない音楽を聴いているときは、まあ多めに見積もってその国の 人たちの半分から2/3だけを楽しめているだけだと考えているわけです。 日本ではむかしから欧米のポップスやロックはよく聴かれてきました。その背景には欧米に対す るあこがれのようなものあり、それゆえ英語は解せずとも呪文のように聴いたり、また真似して唱 えたりしたということもあります。もちろん音楽性として優れていたというのもありますけど。 ボブ・ディランも、日本で自分のレコードが売れ出しても「言葉がわからない日本人に自分の音楽 を理解できるワケがない。」と、しばらく来日しようとしなかったと聞いたことがあります。 現在日本において洋楽があまり聴かれなくなったという状況はそういう意味では全く自然なことだ と思います。無理して言葉の分からない音楽を聴くより自分たちの言葉で理解できる内容の歌詞で ある自国のポップス聴くという行為はごく当然のことだからです。 しかし、言葉がわからないし音楽的にも違いがあるゆえ取っつきにくいものの、いろいろ 探しもとめると世界にはおもしろい音楽はたくさんあって、言葉がわからないということを差し引い ても聴いて楽しめる音楽がありますよ、というのが私の考え方の基本で、まあ、積極的にではないな がらもヒトにそのようなことを言ったりもしています。 ところが、中華系のポップスを聴く人たちがネットの世界ではけっこうな数おられまして、そうい う人たちの中にはこういうことを言うヒトがおられます。 「中華圏の音楽は特別で、日本の音楽が失ってしまったものを残している。中国語というのは美し い言語であり、日本語よりも美しくて音楽に合う。」 「中国語による日本の曲のカバーはそれゆえオリジナルよりも良い。」 などということをです。 中華圏の音楽というのは(あくまで主流のポップスの話ですが)基本的に欧米や日本とほとんど一 緒だと思います。それはなにも特別ではないし、言葉も私は日本語よりも美しいとも思いません。 というより、私は日本語って非常に美しいと思いますし、また世界中の言語がそれぞれ美しいと思 います。これはきれい事ではなくてホントにそう思います。「美しい」という言い方が違うならそ れぞれに味わいというか、良さがあると思います。 確かに中国語というのはある意味響きの繊細な言葉だと思います。だけど私は日本語より美しいと か何語よりどうだということは言えないと思います。個人で思うのは勝手かもしれませんが、そうい うことをネット上で断言しているのを見ると少々に腹立たしく思います。また、私は日本人として日 本語の歌詞というのがやはり一番素直に直接心に響いてきます。それは日本人として当然だと思うの ですが、日本人というのはなぜか日本の文化を否定するヒトがわりに多く存在します。非常に不思議 なのですけど。中国人にはそういう輩はほとんど存在しないと思いますし、日本以外の国にもそんな に多く存在しないのではないかと思います。これは確かな統計があるわけではなくあくまで感覚的な ものですが。 何が言いたいのかというと、自国以外のポップスというのは言語においてやはり理解力が落ちるの であるから、それを聴くということは本来その言語を理解するヒトよりもどう考えてもハンデを負っ ていると思うのです。だから、たとえば中華系のポップスが日本においてある程度のマーケットに成 長するということは中国語を解する人口が劇的に増加するのでなければかなり難しいと思います。 ところが、中華系の音楽を愛する人の中には「中華系ポップスは優れた音楽で日本で売れないのは 紹介の仕方が悪いから。マーケティングが悪いから。音楽業界は何をやっている。」などと言う方々 がおられます。 紹介されないのは売れないからであって、売れないのは紹介されないためではないと思います。も ちろんもっと精力的に紹介していけばそれなりには売り上げは伸びると思います。しかし、音楽業界 も商売でやっているので売れるものを売る。つまりコストパフォーマンスの問題です。 しかし、ここからが少し困るところなのですが、現在私は台湾語のポップス、台語歌にヒジョーに 傾倒しています。カラオケでも台語歌を歌うのが楽しくてレパートリーを増やすため鋭意練習中です。 これには私個人としてかなり矛盾した感覚を持っています。 北京語の歌が私にとっては日本語の歌に対する感覚とだんだんと近くなってきているにも拘わらず、 気持ちとしては北京語の歌を歌うのに少々飽きてきている、つまり台語歌の方に心が移ってきている のです。 台湾語には発音としての面白さがあることはもとより、北京語のように直接的に音から意味が伝わ って心に響いてくることがない、その感覚が却って心地よいといえるところがあるのです。 これはここまで自分の述べてきたことと矛盾があってどうにも説明できないのです。言葉としての ハンデからよけい好きになる、ということなのです。 2月25日 他の事を考えながら何かをしている場合に、「ああ!!しまった!!」とうっかり失敗をすることがありますが、実は頭の片隅では自分のやっていることをわかっていた、などということがありますよね。 たとえば、夜中にどうしてもコーヒーが飲みたくて、飲まずにそのまま寝るか、いや、やはり飲んでから寝るかと迷った挙げ句わざわざ一杯だけをエスプレッソマシンで淹れて、冷蔵庫を開けてコーヒー用のミルク、それも瓶入りのを取り出して、入れたとたんに我に返り、 「ああ、しまった!! これミルクやなかった!! 間違えてドレッシング入れてもた!!」 なんてことがあります。ホントにボーッとしながら一連の作業をしていたのです。だけど頭の片隅では「ああ、この和風ドレッシングあんまりおいしくなかった。今度はイタリアンドレッシングを買おう。」などと考えていたのです。だけどそう考えながら自分がコーヒーにミルクを入れているという動作と結びつけてはいなかったのです。 その他にも、寝る前に歯を磨こうとして、歯磨き粉を歯ブラシにつけてそれを口に入れたつもりが「げーっ!! 洗顔石鹸をつけてもたー!!」ということもありました。 このときも頭の中では「こんどはスクラブ洗顔というのを買ってみよう。」なんて思っていたのです。 まったくその間違った行為についてなにも意識がないのではなく間違っているということには気づいていないけどそのモノについては何かということは知っている。それなのにこういう失敗をしてしまうのです。 これは瞑想をしながら歩いていて蓋の開いたマンホールに落ちてしまう、「マンホールの底の哲学者」とはまた違います。 こんなことないですか? ボケてきたんじゃないかって? えっ、ないの?フツー…。 2月20日 レポートの日本語版がどうにかこうにか完成しまして、本日発送しました。 「♪ヤレ〜ヤレ〜ヤレ〜ヤレ、ヤ〜レ〜♪」と、歌いたい気分です(誰もわ からんやろな)。あとは英語版です。ってもちろん翻訳に出していて、私が なにをするわけでもありませんが時間がタイトなので大変なんです。 変更箇所も沢山ありますので。本日変更箇所を手渡したら、翻訳会社の担当 者は絶句していました。 しかし、とりあえず頭を使う仕事は終わったので、なんかほっとしています。 本日発売の「ミュージック・マガジン」を購入しました。フィードバックの コーナーになんと出ていました、お詫びと訂正。 一月号の「輸入盤紹介」で陶晶瑩の『愛缺』が紹介されていたのですが、歌 手名が「Tao Jing Bao」 となっていました。正しくはもちろん「Tao Jing ying」 です。間違い指摘のメールを打っておいたらちゃんと対応してくださいました。 ありがとうございました。新堀恵さん。 ところで陶晶瑩の日本語サイトがあるのをご存じでしょうか。 こちらです。 さあ、台語歌を頑張って覚えよう!と、なぜかやる気になっています。 2月18日 今回の出張は時間が短くて仕事以外はほとんど何もできませんで した。 仕事では今回は通訳を雇いませんでした。予算的に厳しくなって きたのと車に乗るのに人数的に後一人増えるとワゴンからマイクロ にしなくちゃいけないため、それから手配するのも面倒くさかった のです。 まあだいたい今回の仕事の内容は私自身がよくわかっている のと今回の出張はほとんど確認のためだというのと、少々間違って も大勢に影響はないということから大丈夫だったのです。契約の問 題とかお金が絡んでくるのならそういうわけにもいきませんけど。 それにこちらのメンバーには中国語のわかるヒトもいません。で すからむちゃくちゃ訳そうがだれにもわからないのです。 ということで中国の企業は二ヶ所訪問しましたが、後の方の会社 でどうも応対してくださった中国人のひとり、総経理助理の反応が 変だなと思っていました。変、というのはどうもこちらの話にダイ レクトに反応している(うなづいたり、首を振ったり)のです。つ まり日本語がわかるの?という感じ。 後で訊くと、日本で長期研修したことがあるとのこと。そうとは 知らずテキトーに通訳していた私は冷や汗ものでした。そんなこと なら相手側の話は通訳してもらうのでした。本当に中国人というの はいつもこんなです。 マッサージは一回だけ行きました。同じ会社のおじさんを二人連 れていきました。うちの一人は今回初めての中国で、張りきって 「旅の会話集」みたいなのを持ってきていました。そしてマッサー ジをしてもらいながらそれを見ていろいろ話しかけていました。わ からない言葉は私にも尋ねたりして。 そして「ちょっとイタイ。」と「気持イイ。」という二つを特に 暗記して使いまくっていました。 「この二つは完璧に覚えた。」 と、得意気に言うので、 「それは帰国してからあまりヒトに言わない方がイイですよ。」 と、教えてあげました。だってどんなところに行ってきたのか絶対 に誤解を受けるでしょうから。 しかし、本当に今回も偶然知り合いに会うことが多くて驚きました。 まあ日本人の良く行く場所で日本人の知り合いに会うことが多いのは そう不思議でないにしても、普通の中国人が住む住宅地を歩いていて 仕事以外での中国人の知人に出会って「なんだこの辺に住んでいたの?」 というような偶然もあり、本当に驚きでした。 一緒にいた同じ会社の人達は「踏台は本当に上海では知人だらけだね。」 と驚いていました。私も別に中国人の知り合いはそんなに多くないのに 1,300万人以上の人口のこの上海でどこへ行っても知り合いに出会う偶然は 本当に驚きです。 帰りの空港で解放日報を読んで驚きました。15日にまた黄坡南路で道路 下のガス管からガスが漏れて爆発するという事故があったようです。前回の 出張中にも虹橋で同様の事故があり、4名ほどが死傷しました。我々が上海 にいるときに続けて同様の事故が発生しています。 我々が疑われるのではないかと心配してしまいますが、前回の事故の時に はガス会社の幹部達と食事をしていたというアリバイがあるので大丈夫でし ょう。 しかし、前回の事故はなぜか日本の新聞にも報道されましたが、今回は日 本の新聞には載っていないようです。前回のは日本人の多く住む地域で起こ ったからでしょうか。いや、今回は幸い死傷者が出るような事故じゃなかっ たからでしょうかね。 心残りはずっと行き損ねているイスラム料理の店にまた今回も行けなかっ たこと。某マネジャーが「そろそろ中華にも飽きたので、なんか変わったモ ノを。」と言うのでそこを提案したのですが、一蹴されました。 そういえばその方はむかしイスラム圏に長期出張したことがあり食べるモ ノに困ったと言っていたような記憶があります。けっこうイケルと思うので すけどね。 ああ、シシカバブ食べたい。 2月10日 仕事でちょっとレポートを書いています。複数で手分けして書いているのですが の担当が結論部分なのでいろんなデータをもらってからまとめるためスタートが遅くなったわけで大変なのです。内部でいろいろ締め切りを設定して全体で検討会などをやったりするわけでその都度締め切りに間に合うように書くのがしんどいのです。最終的な締め切りまでまだあるのでしばらくこういうのが続くわけであります。 「締め切りのある人生は早く過ぎる。」 こういう風に誰か(作家でしたっけ?)が言っていましたが、確かに年が変わったばかりと思っていたらもう二月を十日も過ぎています。 ところで、世の中には答えにくい質問をするヒトが多くてとても困りますね。 例えば中島らも氏も谷山浩子さんも同様のことを書いていらしたのですが、テレビ等のメディアでよくある質問で、「あなたにとって○○を一言で言うと?」というのがあります。 野球選手に「一言で言うと、あなたにとって野球とは?」 などと尋ねるアレです。 こんなふうに訊かれて「こうです。」などと一言で答えられるモノではないのにどうしてこう訊くのでしょうかね。 大喜利のように「○○です。」と答え「そのココロは?」と問われ何かおもろいことでも答えるというようなものならそれはそれで良いかも知れませんが、だいたい フツーの答えを返して終わりということになるのです。それなのにこの手の質問はけっこう多くてあきれてしまいます。 まあそれは別にどうでも良いのですけど、漠然とした質問というのもとても困ります。 昨日四年以上会っていなかった会社の同期とたまたま出会ったのですが、 「どう?」 なんて、やはり尋ねるのです。「どう?」なんて尋ねられてもなにが「どう?」なのかはっきり言ってもらわないとおもいそう訊き返すと、 「いや、仕事や、仕事。」 「仕事はしてるけど…。」 「いや、忙しいん?」 忙しいかと訊かれても答え方は難しいのです。長期的に見るとそんなに忙しくはないと思います。しかし短期で言うと来週また完成して提出しなければいけないものがあり、その前日は徹夜に近くなったりするでしょう。 でもとりあえず今日はひとつ山を越えてホッとしたところです。本当は逆算すると今日中にもたくさんのことをしておかなければならないはずなのですが、私は問題の先送りというのが得意なので、今日はとりあえずゆっくりしたいところなのです。それに久しぶりに会ったのでこの質問はもしかして「今晩どう?」ということなのかとも思うし、それなら「忙しい。」などと言うと先手を打って断っていると思われるかも知れないとも思います。 かといって、「全然ヒマ。」なんて言ってなめられてもイヤだし。そこで、まあ適当にまあまあみたいなことを言ったのですが、別に話の接ぎ穂だけだったみたいで飲みに誘われるワケでもありませんでした。こういう、特に訊きたくて訊いているわけでもない質問というのも真面目な私にはとっても困るのです。 そういえば中国語で「こんにちは」の意味の「[イ尓]好」というのは普段はあまり使われず「吃飯了[口馬]?」というのがよく使われるなどとむかしの中国語の教科書にはよく書いてありました。最近では「[イ尓]好」というのがかなりフツーに使われるようになってきたと思いますが、たしかに親しい友人には「吃飯了[口馬]?」と訊かれることもありました。 これも標準的な食事の時間の前後に訊かれるとイイのですが、中途半端な時間に訊かれると困るのです。(ホントはこう訊かれても、ただの挨拶なので「吃過了!」と答えておくモノなのですが、そんなことは忘れていてバカ正直に考えるわけです。) で、例えば午後三時頃にこう言われると考えてしまいます。 昼ご飯はもちろんこの時間だから食べてしまったけど、晩御飯はまだ食べていない。この質問はどちらを訊いているのだろう? それともこの私がよっぽど腹を空かせているように見えるのだろうか? などと。 そうして返事が数秒遅れると友人には怪訝な顔でこう言われるのです。 「こんな簡単な中国語が聞き取れないの? それとも食事をしたかどうかもわからないの? ボケたの? 踏台。」 まあだいたい私は昔からこういうこどもでした。 小学校に上がる前のこどもに対する視力検査というのが、いまでもそういうのがあるかどうか知りませんけど、方向を答えるやつではなく動物のシルエットが書かれたものを見てそれが何か答える、というものだったのです。さかなとかゾウ、ウマ、鳥とかです。 それも私はこんなふうでした。例えば先生がさかなの絵を指すと、 「う〜ん、さかなだとは思うけど、フナかなあ? コイにも見えるし…。そもそも大きさがわからないので判断しにくいよな。」 などと考え込んでしまうのです。 ゾウならば、 「ゾウには違いないけど、インドゾウかアフリカゾウか…。」 と考えているうちに先生はもう見えないものと判断されて、幼稚園のころからすでに近視といわれてしまったワケです。 まあ真面目な人間というのもなかなか大変なのです。 |
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