実は私のページは
”親愛なる日記よ、この世には僕の大好きなことがある!”
という言葉から始まるナンニ・モレッティ監督の映画
「親愛なる日記 CARO DIARIO」から名前を取りました。
11月1日つづき
さばをり新聞お引っ越ししていました。更新がストップしていたのではありませんでした。ここに移っていますのでリンクのご変更を。私のリンクも直しました。
11月1日
もう11月うっ…。早いモノです。
日記もそろそろ更新して新しいページにしなくては。それに他のページも
更新しなければ。
最近気に入っているアルバムはもちろん江美[王其]の『想起』、それから
温嵐の『有點野』ですね。
温嵐はルックスはいまいち好きではないのですが歌はイイ。低音はドスが
効いているし囁き声もうまいし高音もキレイ。惜しむらくは発音に少し耳障
りな部分があるのです。無気音が濁るのです。特に気になるのは「Z」の音。
陶子にもそういうところがあるのですけど。
最近のアクセス分析ですが、阮的台語歌にリンクしてもらって以来コンス
タントに訪問があります。美留さんありがとう。それから、さばをり新聞の
リンクからの訪問もけっこう多くて嬉しいのです。なぜかというとさばをり
新聞の愛読者の方々はそんなに私のサイトとの接点がありそうに思わないの
でそういう方々が来てくださるのはとても嬉しいのです。
でも、少し更新が滞っているのが気になります。ほぼ毎日更新していら
したのに。
しばらく購入(入手)したCDを記録していないので一応ここに思いつくのをメモしておきましょう。
江美[王其]の『想起』、リッチーの『飛鳥』、温嵐の『有點野』、周傑倫の
『范特西』、五月天の『候鳥』、オッピーの新譜、王菲の新譜、オムニバスの『asian takeaways』くらい?
おや、最近あんまり買っていませんね。
そうそう、今回の出張で映画のVCDはけっこう買ってきました。DVDは一枚だけ。私のリージョンフリーのデッキでも映らないかも知れないと言われていた大陸ものですが大丈夫でした。これで次回から安心して大陸のDVDを買いあさってこられます。
10月28日
本日から中国出張です。また出張分は上から下へ書きます。
本日は上海経由でその日のうちに重慶に入りました。実は出張に出る前にそのアポイントメントをとったり準備をしているときにイヤなニュースが入ってきて其の対応にバタバタしていたのです。
メタファーでいうと次の通り。
たかが草野球の試合ですが、次の大会は絶対に優勝しなければなりません。特にライバルチームのTに負けることは許されません。
同じ町内に昔甲子園に出たことのあるピッチャーの田中君がいるので拝み倒してチームに入ってもらいました。これで我がチームの勝利はほぼ確定したと思っていました。すると、ライバルのTはなんと新しく監督を採用したとのこと。草野球チームにいくら良い監督が来ても一朝一夕にチームが強くなるはずはないと我々は笑っていました。ところが数日後田中君がやっぱり我がチームで投げるのはやめると言い出したのです。理由はTに来た監督というのは彼の高校時代の恩師で、その人と敵対するチームでプレイすることはできない、ということなのです。つまり、Tはそのために監督を入れたのでした。ということで我々は急いでまた別のピッチャーを探さなければならなくなりました。
と、相変わらずメタファーの下手な私(だったらすんなよ。)。
10月29日
本日は朝から仕事でしたが、久しぶりにビジネス中国語を使うので初めはなかなか言葉が出てこなくて冷や汗モノでした。とくに初めは社長の挨拶を訳さなければなりません。
「いやあ、ホンマに忙しいところをすんまへんなあ」なんていうのなら訳せますが、「本日はご多忙中のところ、また、おアシモトの悪い中遠路はるばるお越しくださいましてまことに…」なんていう改まったのはなかなかスッと出てきません。もちろんこんなこんなことは言いませんけど。
ということで午前中はかなりもたつきましたが昼からは何とか慣れてきて言葉が出てくるようになりました。それに昼からは通訳ではなくて自分で話すので言いにくいことは表現を変えればイイのです。
調子に乗って相手の一人に「あなた上海人でしょう?」なんて上海語で訊いてみました。どうも話している言葉から上海人っぽさが感じられたのです。果たして「ええっ? あなたも?」と上海語で答えて来て大当たりでした。この「あなた上海人でしょう?」というフレーズだけは最近ほぼネイティブに近い発音ができるようになったみたいです。最近三戦全勝です。名刺を渡して自己紹介しているのに、面白いように「あなたも上海人か?」と訊いてきます。
で、実は午後からの仕事は信じられないくらいうまく行きました。メタファーで続けるとあの監督は結局Tから手を引くようになったし、田中君の代わりのピッチャーがまた良いピッチャーで実力はあるしこちらにすごく友好的でやる気満々でかつ出しゃばらずこちらの要求通りに動きます、ということなのです。出来過ぎて怖いくらい。
晩はこちらの招待で午前中の仕事の相手と食事をしましたがこちら三人に対して十人も来て下さいました。久しぶりに白いお酒を飲んでしまって自分の息のにほひが臭くてたまりません。
10月30日
本日はまた早朝の飛行機で上海に戻ってきました。しかし、驚いたのは今回の重慶行きも帰りも全く時間通りに飛行機が飛び立ってまた到着するのです。本当にほとんど数分と違わず。たまたまなのかこれが現在の中国なのか。
上海人の話す普通話は聞き取りやすいし、私自身も慣れてきて話せるようになってきたので今日は非常に楽チンでした。上海蟹も食べられたしよかった。
10月31日
朝からまた仕事をして飛行機の時間ぎりぎりでけっこう焦りながらでも社長に気づかれないように平静を装いながらいました。しかし、車は大変スムースに走り無事チェックイン。貴都大飯店のチェックアウトの対応がうんざりする
くらい遅かったのが遅れかけた原因でした。
JALのカウンターで少々頭に来ることがありました。また投書をしてやろうと思って投書用紙を貰ってきました。
しかし、帰りのJALは満員でした。どこかの団体は自粛で旅行が中止になったと聞きましたけど今日は旅行者がたくさん乗っていました。やはりAPECの成功で安心したのでしょうね。今回の出張も遊びに行かなかったしハプニングもなかったので面白い話もなく(ないわけでもないけどここではムリ。)とりあえずこんなところです。
10月27日
明日から出張です。28日中に上海から重慶に行き30日朝に上海にもどり
31日に帰国するという駆け足の出張です。中国ではネットに繋ぐのは簡単
だし携帯電話もあるので心強いです。それになんといっても言葉が通じ
るのでラクチンです。
昨日は突然親会社のある部署から電話がかかってきて、悪いけど至急翻訳
してください、と頼まれました。送られてきたFAXを見ると駐在時代にずっ
と関わっていた仕事。新しい契約関係の合意書のようなもので、なんか読
んでいて感慨深いモノがありました。空いているところにチョコチョコと
書いてくれたらイイと言われたのですが丁寧に訳してもちろんワードで打
ってメールで返しました。忙しかったけどなんか嬉しくて。
それから、今度の出張も時間的余裕はないし社長とも一緒だし、多少気
の重い仕事もあるのですが、なぜかワクワクしているのが不思議。げっ、
なんか中国好きみたい。
ところで現在引っ越そうかと考えているのですが、けっこう今すんでい
るところ気に入っているのです。もちろんな便利だということもあります。
梅田まで二十分くらいだし、関空までも一時間ちょっとで行けるし、通勤
も楽だし。でもそれだけじゃなくて家の近くに結構いろいろあるのです。
おいしいバングラディッシュ料理の店があります。ここは友人にずっと
勧められていたのですが最近やっと食べに行って来ました。昼のバイキン
グなら低価格でおいしいカレーとナンが食べられます。またタンドリーも
サモサもとってもおいしい。小燕子はトマトカレーとナンに大喜びでした。
パンはあまり好きではないくせにナンが大好きなのです。
あと本日発見しましたが、台湾人がやっている中華料理のお店があって
料理はフツーなのですが、食事の後に中国茶を淹れてくれます。
歩いて行ける範囲にけっこうお気に入りの店があって良い町なのです。
歩いては行けないけど杭瀬には上海料理の店もあるし。
10月24日
本日は久しぶりに平日に会社に行きました。9営業日も行かなかったので
やはり忙しかった。
一件ほったらかしにしてあったことと、一件よその部の部長にメール一
本だけで軽く頼んでいた雑用があって、お二人ともお怒りだということは
自宅に転送してあったメールで見て知っていたのです。
でも、本日謝りに行くと、
「いえ、ええんよ。たいへんそうやもん。ゆうてなぁ、手伝うし。」
「いや、君も忙しそうやもんなぁ。ええよ、別に。」
だって。
実際に会って見ると意外とだらしない(なんてことを言ってはいけませんね。)。でもそんなモンですね。怒りはメールを送信するくらいまでしか持続しないのでしょうか。
DVDはソフトがないのでヌスラット・ファテ・アリハーンしか観られませ
ん。しょうがないのでVCDを観ても別にVCDの映りが良くなるわけではありま
せんね。中国で沢山購入してこようと思います。
インドネシアの女性ロックシンガー、オッピーの新譜はすごくイイ。CDは
まだ入らないのでカセットで聴いています。カッコイイです。
鯨が阪神百貨店に入荷したというニュースを昨日だか観ました。もう売り
切れたのでしょうね。ああ、食べたい。
10月21日
今日はうちの小燕子とデート。といっても二人で日本橋にDVD機を買いに行
ってその後は彼女の大好物の寿司(もちろん廻るヤツ)を食べに行って、そ
れからレンタルビデオ屋さんでミニモニとごまきとあゆのCDを借りて家に帰
っただけですけど。
DVD機はやはりヌスラット・ファテ・アリハーンのライブ盤を観たくて我慢できなくなったので購入してしまいました。海外向けのリージョン・フリーのが免税店で売っているのでそれを購入しました。一応基本的にはどこのDVDも観られるはずです。
これって、少し前は日本では売れないって聞いていたのですが、本日はどこの店でも全然問題なさそうでした。早速あらかじめ購入してあったヌスラット・ファテ・アリハーンのパリのライブを家で観ましたがすごくイイ。
カッワリーのライブ、しかもずっとワンアングル撮影されたモノなのに
DVDで観る必要があるのか? なんて雑音もありましたがイイ物はイイのです。近所に音が漏れると不気味がられるかもしれませんけど。
出張中の日記をまとめて日付は上から下にupします。メモみたいなものですけど。
10月15日
空港も飛行機もやはり空いてます。空港に行くバスはいつもはJR尼崎でほぼ満員、阪神尼崎では積み残しがでるのに今日は三分の一くらいしか乗っていませんでした。出国カウンターもガラガラで楽チンでした。
しかし、5時間以上も飛行機に乗るのは本当に苦痛。といいながら殆ど寝ていたけど。
着いてすぐにミーティングをやって晩飯。タイ料理がおいしくて食べ過ぎました。辛いのが好きな私は辛そうなのばかり頼んでしまいましたが、他の二人がそんなに得意ではないようでした。うち一人は「辛いの強いオレでもこんなに辛いとアカン。」なんて言っていましたけど、あの程度の辛さでヒーヒー言っているなんて口ほどにもない。本場の火鍋などとても無理でしょう。ということで、二人はあまり食べられなかったので責任を感じて一人で片づけなければならなくて食べ過ぎました。けどこれは不可抗力。
10月16日
昨晩食べ過ぎた分をとりもどす為に朝からバンコク市内を走りに行ったけどけっこう走っているヒトがいます。東南アジアでは珍しいのではないでしょうか。といっても外人がほとんどだけど。しかし、公園に行くと驚き。まるで中国の公園のよう。大勢の人が太極拳や変な舞踊、エアロビクスなどをしているのです。大部分が中国系。中国の南方の都市に紛れ込んだような感じでした。中国語が飛び交っているし。
昼間は二カ所現地の会社を回って打ち合わせし、晩飯を食べた後8時から10時過ぎまでまたミーティング。なんてまじめな出張でしょう。疲れました。
10月17日
朝また例の公園へジョギング。公園を通り越してさらに走って道に迷い、結局ホテルに帰ってくるまでみっちり一時間走りました。今日は多めに食べても大丈夫でしょう。運動量が増えているのでたぶん大丈夫だとは思うのですが、部屋に体重計がないのがとても怖いのです。朝食、昨日は前の日に買ってきたパンを食べましたけど、実は宿泊費に含まれていることがわかったので今朝は食べに行きました(せこい。)。バイキングですが食べすぎないように抑えに抑えました。
本日はうちのプレゼンの日だったのですが、結局手分けをしてやるはずだった私のパートをもとシンガポール駐在の別のヒトに全部やってもらうことになったのでした。というのはこの件に関する急ぎの
作業が発生してそれを私がやらなくなってしまったので、プレゼンの準備ができそうにないということで彼がプレゼンはやるので資料づくりを私が、ということになったのでした。
プレゼン自体は私がやらなくてもよくなったのですが、私が作業した部分の質問があれば私がこたえなければならずビクビクしていましたけど、特に難しい質問はなくて良かった。
10月18日
朝はまたランニング。早めに寝て早めに起きる生活になっています。といいながらよく考えてみると二時間の時差があるので時差なしで日本時間の生活をしているようなものです。つまり、日本時間の一時に寝て八時に起きているのです。じゃあ、いつもより多めに寝ていることになります。
一応プレゼンは終わっているので本日のミーティングは幾分気楽でした。しかし、明日までの宿題を言われてしまいました。下手をすると徹夜作業になりそうなのでミーティング中に内職をしていました。おかげでなんとか夜はゆっくり眠れることにはなりましたが、ほとんどミーティングの内容はわからなかったので、また詳細の確認をよそおって他のメンバーからヒアリングをしました。
夜中二時くらいに左腕のあたりがもぞもぞするので目をさましてよく見ると、なな、なんとゴッキーが腕を這っています。叫びながら飛び起きて振り払いました。あとから冷静になって部屋を良く探して二度と私にまとわりつかないようにさよならして、もう一度眠りました。冷房を切って寝たので暖かくなって出てきたのでしょうかね。
10月19日
今朝は走ろうと思って外に出るとひどい雨。少し待ったけどいっこうにやむ気配がないのであきらめました。料理がおいしくて毎日沢山食べているので体重はきっと増えているはずです。
今日は午前中に議事録を確認してサインするだけでおわりだと思っていいたのになぜかだらだらと夕方までかかってしまう。すべてこのような感じで何もせずに待っている時間、何を待っているのかよくわからない時間が多くていらちの私には耐え難いことが多いのです。
まとめ。
私のしこしこ作った資料はけっこう自分で間違いを発見しましたが、誰にも指摘されず質問されてもなんとか言い逃れできてヤレヤレでした。しかし、みんなあまり何にもわかっていないのね。
タイのヤなところは、何度も書きましたが時間通りにみんな集合していつでもミーティングが始められる状態でなかなか始まらないところ。私が英語を聞き逃してなんか大事なことを待っているのかと思えばさにあらず。終了時もまた同じ。ちゃっちゃと始めてちゃっちゃと終わって欲しい。それから昼休みが長すぎ。これは中国の田舎都市も同じですけど。
収穫は空き時間に資料を見ているフリしてパソコンに入れている新寶島のルビを見ながら心の中で練習していたのでだいぶ歌えるようになってきたこと。
10月12日
江美[王其]の「親愛的[イ尓]怎麼不在我的身邊」は「親愛的[イ尓]怎麼不在身邊」でした、正しくは。
この「親愛的」という表現が非常に好きなのです。「親愛的○○」というのじゃなくて「親愛的」で切る
言い方。伍佰の「心愛的再会[口拉]」という曲の「心愛的」というのもそんな感じでしょうか? 台湾語
は知らないけど。
上海時代によく行ったお店の女主人がちゃきちゃきの東北人で巻き舌早口の、私にとって聴き取りにくい
中国語を話すのです。ノーブレスで一気にまくし立てた後「なぜ何もしゃべらない。私の言うことわかって
いるの?」なんて訊くので「いや、返事をするヒマもないんだ。」と答えるのですが、その実半分くらいし
か聴き取れていなかったりしました。
そのヒトがよく自分のところの従業員に向かって「Ei! 親愛的!」と呼びかけていて、もちろん従業
員に対してなので冗談でそう呼んでいるのでしょうがその口調とのギャップが面白くて好きだったのです、
この呼び方。
で、この歌でも「親愛的,[イ尓]怎麼不在我身邊。」と思っていた、つまり「親愛的」は呼びかけだと
思っていたのですが、よく考えてみると「親愛的[イ尓]」だったのですね。ああ勘違い。「親愛的」で切れ
ているのでそう思っていました。
メロディでは、サビの「にぃつぇんま ぶーつぁいうぉ しぇん〜びぇん」というあたりが特にすごく
好きなのです。
それから、このアルバムではないけれど「川の流れのように」のカバー。これもすごくいいのです。
美空ひばりのカバーをするなんて身の程知らずなヤツ、と思っていたらこれがまた囁き混じりでかすれてい
て実に私好みなのです。もうちょっと弾けたイメージだったのですが、しっとりした曲を歌わせるとなかな
かイイのです。少し抑え気味なところがイイ。
話は変わって、最近休日によく出勤しているのですがけっこう休日出勤している人が多いのですうちの会社。
しかも、休日勤務も残業もつかないおじさんばかり。って、うちの会社平均年齢がかなり高いから仕方がない
のですけどね。
休日に出勤するとスーツは着てこないので普段着が見られるのです。でもサラリーマンは普段スーツ着てい
るから普段着はスーツなのかしらん。で、ショックだったのはおっさんスーツじゃなくていつもブレザーを着
ててけっこうおしゃれな人なのかなと思っていたら、休日に会うと思いっきりダサダサのゴルフのポロシャツ
着て下もおっさんスラックスでがっかりさせられたヒトがいます。って、私ががっかりすることもないのです
けどね。
私は普段着とことん裸婦…じゃなかった、ラフなので休日出勤するとガードマンに胡散臭そうに見られます。
やはり短パンとか派手なアロハとかで行ってはいけませんね。顔もまだ覚えられていないし。
10月10日
以前、朝の電車でよく一緒になった女の人、最近というかここ何ヶ月も
会っていなかったあの人に本日帰りの電車でばったり会いました。
「おや、久しぶりですね。乗る電車を変えたんですね。いまはどの電
車に乗っているんですか? 前より早いの? それとも遅い電車?」
なんて、こんな風にもちろん訊いていません。
引っ越したとかそういうのじゃなかったようですね。ただ単に乗る電車
を変えただけかもしれません。でも、久しぶりでなんか少し嬉しかったです。
本日は昼間むっちゃハラの立つことがあったのですが、そんなことは
どこかにいってしまいました。
10月8日
葉イ菁文の曲で私が一番好きなのは『祝福』です。
これはずっと十何年間変わっていません。フツー好きな曲は聴きすぎて飽きてしまいそれ故変わってしまうことが多いのですが、この曲だけは十数年間飽きません。
この曲は88年にリリースされて中華圏で大ヒットした曲です。広東語で唱われています。
91年に行ったマレーシア・シンガポールの出張で、シンガポールのホテルにて開催されたパーティの準備の時にこの曲のインストがかかりました。実際のパーティ時のBGMのテストだったようですが、私はとても嬉しくて口笛で追随しました。
視線を感じて周りを見回すと、一人のシンガポーリアン(もちろん中華系)が不思議そうにこちらを見ていました。彼は鼻歌を口ずさみながら。こちらはこの歌がやはり華人に愛されているのだととっても嬉しかったのですが、向こうはなぜ日本人がこの歌を知っているのか不思議だったことでしょう。
当時はそんなに中国語はできなかったのですが、この歌を歌いたくて広東語を習おうかと真剣に考えたこともあります。もしくはこの歌の北京語バージョンがあればそれを歌いたいと。果たしてこの歌の北京語バージョン、姜なんとかが歌っているのを発見しました。『驛動的心』です。
しかし、この歌は期待したほどよくはありませんでした。たぶん葉イ菁文ではなく別の歌手が歌っていたからだろう、とそのときはそう思いました。
その後何年かして葉イ菁文自身が自分でその北京語カバー・バージョンを歌い直します。ところが、それを聴いてもそんなによくないのです。広東語バージョンの方がステキというか、もうまったく別の歌なのです。もちろん歌詞は北京語と広東語でガラッと違うのですが、歌詞の内容、味わいの問題ではなくて音の問題、音楽的に広東語の発音が合っているのか、聴いてしっくりくるのは広東語なのです。慣れということでもないと思います。
葉イ菁文の曲ではもちろん広東語も北京語両方のバージョンがある曲はたくさんあります。
これらの曲どれも広東語のほうが北京語バージョンよりも好きというのはありません。どちらも同じくらいかむしろ北京語のほうがすきだったりします。
久しぶりに91年秋(マレーシア・シンガポール出張の二週間後に行った。)イタリアに行ったときのビデオを引っ張り出して見ていたら、なんと自分でカメラを回しながらずっと鼻歌で(というより聞こえたままのむちゃくちゃなことばで)『祝福』を歌っていました。
10月7日
今日は小燕子と外に出かけましたが、たくさん歩くことがわかっていましたので彼女は万歩計をつけて行こうと思ったようです。ところが、彼女の今日の出で立ちは薄手の綿パンでベルトなしだったのでうまく万歩計が挟めない。なので私に代わりにつけろというのです。
どうせ一緒に行動するので自分でつけても私がつけても同じ事だというのです。この考え方はとても合理的で間違ってはいないとは思います。でも、そういうのはなんか違うんじゃないかと思います。なぜかというのはうまく説明できないのですが違うと思うのです。彼女は納得していなかったようですがあきらめました。
突然ですがテーマソング。
フツー自分のテーマソングみたいなものってみんな持っているモノなのでしょうか。昔読んだ旅行記みたいなので中国大陸を旅行するときの自分のテーマソングだか応援歌だかで「花心」(喜納昌吉の「すべての人の心に花を」)を採用しているヒトがいました。オリジナルはともかく中国語の「花心」は歌詞がちょっと? なのですが、自分のテーマソングなんて考えるヒトは他にもいるんだ!と安心した覚えがあります。
私は仕事でいやなことがあったとき、うまく行かないときによく聴き、励みになるのが谷和彦氏の「苔むしてたまるか」という曲でこの曲がいわば私のテーマソングみたいなものです。
ストレートな応援歌みたいな歌詞や説教臭い歌詞は大嫌いですが、この歌は歌詞が適度にとぼけていて、しかも悲哀があって、そして聴き終わると「わしもがんばろ。」としみじみ思う、というそんな歌です。ホントにこの歌は大好きでこの歌を聴いてなんども救われました。
ところで、また話はころっと変わったようでいて変わっていませんが、江美[王其]の新譜(といってももうとっくに出ていました)、これをつい昨日手に入れて聴いていますがとっても良くて繰り返し繰り返し聴いています。
特に三曲目の「親愛的[イ尓]怎麼不在我的身邊」は好きで、このサイトのテーマソングにしたいくらいです。ちょうどタイトルも「親愛的…」だし。
10月6日
やっと75kgを切りました。この一キロを減らすのに非常に長い時間がかかりました。
しかしだからといってここからは坂を下るようにラクに落ちるというわけでもないで
しょう。
とにかく摂取カロリーを減らしています。昼食は400キロカロリーくらいに抑えています。
そうするとなかなか食べるものがありません。最近はコンビニの弁当もカロリー表示がしてある
ものが多いのですがどれも800キロカロリーはあります。ですから、ちょうど400キロカロリーの
師匠の会社の食品にお世話になることも多いです。今まで昼食なんか気にせずに外食も
していましたが、800から1,000は軽く食べていました。昼でこれですから、夜なんてもっとす
ごいし、夜食なんて食べた日にゃあ、ということで、それを半分以下に減らしているのに
体重の減り方はゆっくりしたものです。
夜は栄養素が不足しないようにできるだけたくさんの種類のものを、もちろんカロリーの高くな
いモノを早い時間に食べるようにしています。あとは運動量を増やすしかありませんね。
10月5日
出張の予定が決まってしまいました。
15〜19日までがタイで、28〜31日までが中国です。
タイの出張では英語でプレゼンをしろと言われています。来週はパワー
ポイントを作ったり原稿を作ったり練習したりしなければなりません。でき
るのでしょうかね。ホントに。そういえば、初めて中国語でプレゼンという
か講義をしたのが五年くらい前のことでした。通訳もいたので日本語でやっ
ても良かったのですが、日本からきた私の上司がその内容についての専門家
だったのでそのヒトの前で講義をタレるなんてことをする勇気がなくて必死
で資料と原稿を作って読むだけでいいようにして棒読みしました。
しかし、このタイの関係の仕事は完全に私への負荷が大きすぎる気がしま
す。先週もずっと細かい資料を地道に作成し続けていました。他に細かい仕
事をするヒトがいないからです。プロジェクト・マネジャーの補佐をするよ
うに言われていて、「全体を見てくれ」なんて言われていますが、細かい実
際的な仕事をするヒトがいないのです。船頭ばかり何人もいたって船を漕が
なければ前へ進まないのに。ぷんぷん。
英語の学校はいちおうほぼ決まりました。今度のところは某○○Cですが、
最初に話を聞きに言ったときから前の某Nとは違いました。授業の内容をこ
と細かに教えてくれるのです。テキストを見せて要領がわかるように実際に
やって見せたり英語で私に質問をしたりして、知らないうちに相手のペース
に引き込まれて気がついたらクラス分けのテストの時間を約束していました。
と、いうほどのたいそうなモノではありませんけど、まあ、ここで良いか
なという感じがしたのでそのテストを受けて見ることにしました。
それが水曜日。テストはTOEICのダイジェストみたいなやつ。全然だめだ
ったらどうしよう、と思ってむかしむかし受けたビジネス英検の結果を持って
行きました。それも別にイイできではなかったのですが、それでもむかしはこ
れくらいはできたんです、と弁解しようと思って。
でも、まあ思ったよりできていたので、良かった。向こうも驚いていました。英語でやりとりしたときに推測した私の英語のレベルとはかなり違ったみたいです。なんせ会話するときは中国語のクセで時制を気にしないし、後ろから修飾するのも大の苦手。
中国語にある「有飯吃」という表現。この類くらいですね。後ろからでも大
丈夫なのは。それ以外は関係代名詞なんか使おうと思ったら一晩くらい考え込んでしまいます。
来週は一応体験入学を予約しました。まだ引き返せます。
10月3日
私は中国において騙されたりボッタクられたりしたことはない、そんなまぬけじゃないわい、
といつも言っているのですが、実をいうと一度だけ自分で大失敗してお金を損したヒジョーに
おマヌケな経験があります。
あれは1996年のこと。広州から深[土川]まで5人で移動しなくてはならず、ワンボックスカーの
運転手と交渉してたしか600元くらいで行ってもらいました。
私はだいたい乗り物に乗ると動き出して三分以内に瞼が重くなり目的地にたどり着くまで
眠り続けてしまうという習性があります。このときもそうでした。ですから、クルマが停まって
目が覚めたときには寝起きのボーッとした頭だったのです。
運転手に約束通りお金を支払いますが、まず運転手に先に領収書をもらいいました。これはむかし
闇でマネーチェンジをしたときの習慣で騙されないためにはとにかく先に相手からもらうことなので
す。マネーチェンジでは先に人民元を受け取り
札の質と量を確認して自分のポケットにしまってから、交換する自分の外貨を相手に渡すというのが
絶対の原則でした。これに応じない相手とは交換しませんでした。
今回はこの習慣が残っていたことがアダとなりました。運の悪いことに運転手から受け取った領収書は
50元単位のモノだったのです。中国の領収書は普通カーボン紙を挟んでペンで記入し複写された部分を
渡すというのが一般的ですが、もう一つ、あらかじめ金額が記入されているモノを支払金額に合うよう
枚数渡すというものもあり、未だにそれが存在します。
つまり、600元の場合50元の領収書を12枚もらうわけで、それを受け取ると私は「一枚、二枚」と数え
12枚あることを確認してポケットにねじ込みました。その後で自分の財布の中からやはり「一枚、二枚」
と数えてお金を取り出しました。するとどういう事が起こったのか?
そうなのです。先ほど12枚数えた癖から、なんと100元札を12枚抜き出して、なんの疑いも持たず運転
手に手渡してしまったのです。
なにかちがうなあ? という感覚はあって、フロントまでたどり着いた瞬間にハッと気がつきました。
しまった!! 倍の1,200元払ってしまった。
慌ててホテルの服務員を呼び、あの運転手を連れてきてくれるように頼みました。ああ、でももうすでに
逃げているに違いありません。ところが、しばらくすると服務員に連れられてひょこひょひとあの運転手が
歩いて来るではありませんか。
私は無駄だとわかっていながらも多く支払いすぎたことを彼に言って返してくれるように頼みました。
案の定、彼は600元しかもらっていないととぼけます。そしてポケットの中を全部ひっくり返して小銭しか
入っていないことを証明しようとします。
こ、こいつはアホや!!
それをするのなら私の先ほど支払ったはずの600元は残しておかなければなりません。600元しか受け取
っていないと主張するなら600元は少なくとも所持しているはずです。私がそのことを指摘するとやっと
それに気がついたようで、しまった!という顔をしますが、それでもこちらにはどうしようもありません。
怒り狂った様子を見せるのはよけい悔しいので、頭のてっぺんから湯気を噴きそうなのをぐっとこらえて、
知りうる限りの汚い言葉で、しかし冷静に罵倒しながら追い払いました。
自分の馬鹿さ加減に情けなくなり、かつまた、こんなアホにだまされた(いや、だまされたのではなく
ただ単にてめえで勝手に間違えただけ。)のが悔しくてその夜は眠れないくらいでした。
と、いう話を先日知り合いに初めてしました。ヒトに話すこともこれまではできないくらいずっと
悔しく思っていたのです。そして、この話を聞いた私の友人(同年代)はぽつりと一言「ときそばみたいやな。」と
つぶやいたのです。
ときそばというのは、「いま何時だい?」という例の落語で、「一枚、二枚…」と数えるところくら
いで別に似ている話ではないのですが、まあまあ似ていないこともないということにしておいてやろうと
思って「そうだね。」と言いかけたら、そこで私よりずいぶんと若い男がこう尋ねたのです。
「ときそばってなんすかあ?」
ええ? ときそばを知らないの? と我々はヒジョーに驚いて一昨日の日記のようなことを書いたわ
けです。ああ、やっと話がつながった。
10月1日
うちの上司が二週間ぶりに出社してきました。
今年はカラダの調子が悪くて四月の健康診断で腸のポリープが見つかり手術してから今回また別のところが悪く二度目の入院でした。これまでどこも悪くなかったのに…と悔しそうです。
先週実は口の悪いヒトが私に向かってこんなことを言ったのです。
「君とこの上司、これまで健康やったのに四月から急に調子悪なったなあ。
君が来て楽になったはずやのにおかしいなあ。よけい苦労してるんとちゃうか?」
うう…。なんてことを。私もなんとなくそういうふうに考えないようにしていたのに。
しかし、それを聞いていた別のおじさんが助け船。
「なにゆうてんねん。これまでは一人やったから倒れられへんかったけど、踏台君が来て安心して休めるようになったさかい気が緩んでカラダの悪いところがみな出てきたんや。人間のカラダなんてそんなもんや。」
ああ、なんてええヒト。そう、こういうふうに考えたらいいんですよね。
まあ、なんにしても元気になって良かった。
落語家の志ん朝さんが亡くなりました。それで思い出しましたが(というあっさりした感想も酷いとは思うけど)、最近の若いヒトは(こういう言い方が歳取った証拠ですけど)古典落語なんてあまり聞かなかったのでしょうかね。
私もそんなによく聞いたという方ではありませんが有名なのはたいてい知っていますので会話の中でも適当に使いますが、あまり通じていないと最近よく感じます。
「ときそば」なんて有名な話、誰でも知っていると思ったら意外とそうでもなかったりするし、
あと、「目黒のさんま」も「へ?」と言われるし。
搗屋幸兵衛、小言幸兵衛って言っても通じないなんて。
それから話はまったく変わって、私の好きなシグノというペンはノック式の方です。書き味が全然違います。
9月30日
インドネシアのシンガー、オッピーの新譜を推薦するメールが現地から
届いていたので探しに行きましたがまだ入っていないようで、代わりに
というわけではありませんがPOTRETのベストを買いました。
これがヒジョーに良くて早速ですがオススメにUPしました。
ぼとるねっくえがしらwithゆかりの次のジャイプールでのライブが決
まりました。11月11日です。この日は別の予定が早くから入っていて私
は参加不可能と思いこんでいましたが、実は日を間違えていただけでし
た。
ですから、次回も前座で数曲やります。ボビーでもやろうかしら。寶島
は今からでは間に合わないでしょう。
今日はヒジョーに気分が悪い。飛行機に乗る直前の友人と携帯電話で口論
して叩き付けるように切ってしまいました。着いてからにしたら良かった。
後味が悪いことこの上ない。
9月29日
昨日は行きつけの上海料理店の最後の日。寂しくて悲しかった。なんか
ニューシネマパラダイスのような感じ。私は少し遅れてお店に行きました
がしばらくすると店の片づけが始まってしまいました。
普通営業時間中にはしないモノでしょうが少し事情があって昨日中に片
づけを終えてしまわなくてはならなかったのです。ですから九時過ぎく
らいにはオーダーストップというか冷蔵庫の中身から調味料まで全部処分
し始め、その後は飲み物の処分と言うことで普段は飲まないヒトまでがビ
ールを飲み始めて荒れ出してたいへんでした。
やめたくてやめるワケではないのでみんな未練はあるし、常連客もこれ
からどこに集まればええねん、という感じでした。一番あの店を愛してい
たと言われているヒトは現在上海出張中でいなかったのでさぞ残念なこと
でしょう。
最後の日に初めて来たという上海人のおっちゃんはよっぱらって何度も
同じ話をするし、上海人に向かって日本語で話したり私に上海語で話しか
けたりと最後の方はワケがわからなくなってました。
日本人のおっさんで一人、こういうときに何を考えているの?というのがいて、
また、周りの部下たちもなぜ止めないの? とホントに腹立たしかった。
片づけも終わり(って、私がしたわけではないけど)、全部終わって外
に出たら、もう涼しい風が吹いていてよけい寂しくなりました。
季節はずれのこんな形のお別れって寂しいモノです。
昨晩はJ-Phoneのメールサーバーがトラブっていたみたいで(私は知りま
せんでしたがなぜかメールをくれたヒトが知っていて教えてくれました。
そのヒトはJ-Phoneじゃないのになぜ?)、本日の朝になってからドタドタ
とまとめて届いていました。六時過ぎに見つけて、あら、みんな早起きなのね、と感心してしまいまし
た。
9月24日
話が前後しますが、先週の金曜日には上海料理の華麗に行きました。
もう今週一杯でホントに店じまいします。せっかくお客も入るようになっ
てきたのにもったいないことです。28日はさよならパーティーだそうです。
金曜日は実は会社で斜向かいの席に座っているおじさんに大きな鯛をもらったのです。
前日に有休を取って釣りに行ってきた戦利品のお裾分けというわけです。それを
ビニールと新聞紙にくるんで華麗に行って料理してもらいました。
本当はそのおじさんからは刺身にして食べなさいと言われていたのですが、まっすぐ
帰っていればまだしも飲んで持って帰って刺身にといっても食べるのは次の日だし
だいたいもう持って帰るのも面倒くさい、ということでそこで食べることにしたの
でした。
もちろんそこは中華料理屋ですから刺身にはせずに紅焼にしてくれました。
これがなかなかおいしいのです。中国でこの紅焼の魚は何度も食べたことがありますが
中国の魚は川魚がほとんどなので少し臭みがあるのです。ところがこれは鯛なので
魚自体がおいしい。よって紅焼にしても中国で食べたものよりもおいしいのです。
ところが…。
食べ続けているとおいしいと感じるのは鯛のおいしさであることに
だんだんと気が付いてきました。つまり、おいしいのですがこれは塩焼きで食べた方が
おいしいのではないか?という気持ちがビールの泡のように沸いてきたのです。さらには
刺身にしたらとってもおいしかったのでは? と。
つまり、そのままでおいしい魚なので調理をするよりそのままに近い形で食べた方が
よかったのではないかということです。
こんなことを考えるのは私が日本人だからでしょうかね。
9月23日 昨日は仕事の帰りに歌いに行ったらいつもの常連さんが二人来ていてよく知っている方のヒトが「ええっと、踏台さんとは初めてでしたっけ?」ともう一人の方に言うので「いえ、何度か…」と私が言おうとするのを遮って「ええ、初めてです。」ともう一人の方は自信を持って言うのです。
その人とは三、四回は会っていると思うのですが、完全に忘れられているようです。歌えば思い出すかな? と思って歌ってみたけど全然だめでみたい。「いや、お上手ですね。発音がうまい。」というセリフも少なくとも都合二回は聞いているのですが、覚えていないということはいい加減に言っているということなんでしょうね。
私ってそんなに印象の薄い人間なのでしょうかね。毎度のことながら少し寂しくなってきます。
でも、実はその店に行く前に会社のビルを出たところで上海に留学していたときの同級生に会いました。前からベビーカーを押して歩いてくる女性がなんとなく見たことのある人だなと思っていたら、向こうもじっと見ているのです。
お互いにすぐに名前が出て来ませんでしたが、出てくるとなぜか中国語読みでしかもフルネームなのでした。
93年の11月以来ですからずいぶんと久しぶりなのですが、わずか三ヶ月しかクラスにいなかった私のことを覚えてもらっていてヒジョーに嬉しいです。別にオヤジの印象が薄くても女性の印象が深い方がいいに決まっています。いや、三ヶ月一緒に授業を受けていたわけですからあのオヤジとは違って印象に残っていて当然かも知れませんが、それでも八年ぶりにすれ違って気づくということは私もそんなに変わっていないということで、それはそれでまた嬉しいことです。
しかし、彼女は現在中国語を教えているのだそうでそれはそれはたいしたものですよね。たしかにあの一番上のクラスでも優等生だったので落ちこぼれていた私とはあの時点ですでに大違いでしたけどね。
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