| 実は私のページは
”親愛なる日記よ、この世には僕の大好きなことがある!” という言葉から始まるナンニ・モレッティ監督の映画 「親愛なる日記 CARO DIARIO」から名前を取りました。 4月8日必死で泳ぐといふこと ドイツに住むマカオ人の友人からのメールに彼女のおじさんの話が書かれていて少 し考えさせられました。その話とはおじさんが泳いでマカオにやって来た話です。 私はこないだマカオに行ったときも大陸の方を見ながら、これくらいなら泳げるか も、なんてのんきなことを考えたりもしたけど、実際にそういうところだったのです。 なんとなく漠然とそんなことを思っただけだったけど、実際にそういうことはおそら く頻繁にあったのです。マカオの人口の数十パーセントが非合法な移民だとも言われて います。 現在中国から日本にやってくる中国人の中にも非合法的な手段で来ているヒトもおら れるでしょう。しかしこんなことを言うとなんですが、現在の彼らはおそらく文字通り の意味の命懸けとまでは行かないと思います。でも、昔は本当に命懸けの思いで新天 地を求めたのですね。 彼女の話の内容を要約すると以下の通りです。 彼女の叔父さんは19歳のとき大陸からマカオにやって来た。 ちょうど文革の時期で彼はこのまま大陸にいても未来はないと思ったという。 しかし、合法的に香港やマカオに行く方法はなく、残された手段は一つしかなかっ た。彼は毎日水泳の練習をした。そして、ある日ついに友人と一緒に決行した。具体的な 地名を聞いたものの彼女の知らない場所なので特定できないが、彼らは三日間歩いて山に入り、そ の場所からマカオを目指して泳いだ。実際泳いだ時間は二時間ほどだというので4、5キロくらい の距離だろう。しかし、国(?)境警備に見つかれば良くて労改(work camp)行き、悪くすると射 殺されるという危険を冒して2時間以上も泳ぐことなどフツー出来るだろうか。果たして彼らはマカオに上陸した とたんに見つかった。彼女の叔父さんは制止の声に従わず逃げた。「戻ってあんな貧しい暮らしをするくら いなら死んだ方がマシだ。」と思ったという。彼の友人は捕まり労改送りになったという。しかし、彼は なんとか逃げ延びた。 4月5日画像 掲示板になぜか画像を貼れなくなってしまったのでやっぱりここに貼ってみます。 掲示板の設定を見たけど別になんともないようです。なぜでしょう。 ちょっとわかりづらいかも知れませんが、背中の美しい写真。この左側の背中の立体 的なこと。ほれぼれするでしょう?
話題のアラビアンナイト風。
そして、ベールを取ると、こんなセクシーな衣装でした。三角筋がステキでしょう?
セクシーなダンスはこんな感じ。
こういう衣装も。
3月31日今回の旅の粗いレポート サリーのコンサートのレポートはまた詳細をアップしますが、旅全体のことも ざっと書いてみます。 25日の10:00のJALに乗りました。機中は「半落ち」を観ました。帰りは同じくJALで 15:05。 今回本当に香港のホテルが取れませんでした。日が確定するのが遅くて予約を入れる のも少し遅かったということもありますが、それにしてもこん なに満員とは思いませんでした。 ネットで調べて予約しようとしても全然ダメでした。日本の旅行社に頼んでも 「香港島は格安から超高級まで全滅、半島は高級以上ならなんとかなるかも。」 ということでした。現地の旅社に頼んでもダメでした。なんでもコンベンションか 何かがあるということで、ひょっとしたらサリーのコンサートに来る人たちのため? なんて思ったくらい。 まあ、香港に着いてから重慶マンションみたいなところを探すか、マカオに行けば イイかと思っていましたが、たまたま帰国しているというマカオの友人が手配してく れると言うので任せると、やはり香港は1,000HK$以上のところしかなくて、結局マカオ のホテルを取ってくれました。 コンサートのチケットはURBTIXというところに電話で予約しました。852-2111-5999 です。クレジットカードで支払いチケットを郵送してくれるということでしたが、最後 に住所を言うと海外はダメと言われました。なんとかしてくれと粘ったら、誰か(上司?) に相談してくれて、チケットをそこのオフィスに取りに行くということで話がまとまりました。 25日に空港から直行で尖沙咀に取りに行きました。少し心配でしたがあっさりと受け取れまし た。これは便利です。今後も観たいコンサートがあればこの方法でチケットをゲットしようと 思います。 マカオに泊まったこともあって何やかやとマカオで用事を入れてしまい結局忙しい旅に なってしまいました。夕飯は27日のコンサート前のギャザリングで牛肉麺を食べた一回のみ。 まともに食事をしたのももう一回だけ、26日の飲茶だけでした。買い物もあれだけ意気込んでいた のにサリーのCD、DVD、楽譜の他は小さな仏像ひとつのみでした。 コンサートの追記ですが、劉徳華は途中で出てきて一曲「笨小孩」を歌いました。サリーが 「但是, [イ尓]一点都不笨。聡明的好孩子。」みたいなフォローをしていました。 アンコールの曲目は以下。アンコール以外の曲目はタイトルを確定できない曲がいくつかあって CDで確認中です。 01.200℃ 02.Cha Cha Cha 03.但是又奈何 04.La Isla Bohnita 05.不明 06.信自己 07.愛是懐疑(with イーソン) 08.不明(with イーソン) 09.不明(ジョージ) 10.零時十分(with ジョージ) 11.祝福 3月29日とりあえずのレポート サリーのコンサートの報告をとりあえず簡単にいたします。27日の分です。 今回の旅を「信仰を取り戻す旅」と言ったのには理由があります。私は90年頃にサリ ーのファンになって十数年間経ちます。その間にウェブ・サイトも立ち上げて、一応日 本においては一番コアなサリーファンの一人だと自負しています。とはいえ、長年ファ ンをしているとそれ故の迷いもあるのです。 サリーのCDはファンになった時点から目にしたモノは全て購入し、ずっと聴き続けて います。もちろん新譜がでれば集中的に聴きます。しかし、毎日サリーばかり聴いてい るワケではなく、他にも好きなミュージシャンはいるし、この十数年間ならしてみると サリーの歌を一番多く聴いているとは思いますが、ある時期を切り取ってみると他の音楽を 多く聴いている時期ももちろんあります。 サリーのことが一番好きだと思いながらも、「サリーを一番好きだと思いたいから。」とか、 「サリーのサイトをしているから。」とかの理由でそう思い続けたいだけじゃない? なんて思うことも正直ありました。 しかし、今回コンサートを観てサリーのことが、そしてサリーの歌が好きだということを 確信しました。それはちょうど信仰が揺らぎかけたキリスト教徒が奇跡を見て信仰を取り戻し たかのように、です。 今回のコンサートはもちろん長年行きたいと思い続けてやっと実現したというのも ありますが、同時にどこかで絶対行かなければならないという使命にも似た、大江健三郎さん の表現を借りれば「ピンチランナー」のような状況にあったととも言えます。つまりピンチランナーが相手チームも当然警戒している中で「リーリー!」という味方の応援にはやし立てられて盗塁を絶対しなければ許されないという状況です。 前置きはこれくらいにしてコンサートの模様を描きたいと思います。このコンサートは 気が付かなかったけど25周年記念コンサートだったのです(気付けよ!)。25周年だと何がどうなのかというと、 つまり北京語の新譜を中心にしたものではなく、これまでの集大成というか総ざらえというかそういうモノ なのです。これは二、三曲歌ってから気が付きました。 そして、サリーはイエ・チエンウェンではなくてやはりイップ・シンマンだったのです。もちろん香港で 開催されたコンサートだったということもありますが、サリーは広東語の歌手だったのです。 「蘭花草」の「ないやるわ〜な…」を出囃子に登場しましたが、一曲目の「乾一杯(Song for U.S.A.)」に続き 「美夢記心中」、そして「談情説愛」、この曲では握手をして回るから最前列に出てきておくようにネットの 掲示板で知り合ったコアなファン達に言われていましたが、そんなこと私にできるワケがありません。 次の曲、「零時十分」をサリーが歌い出したときに私は不知不覚(知らず知らずのうちに)涙を流していまし た。歌を聴いて涙を流したのは上海にいた頃日本の衛星放送で宇多田ヒカルの母親が「夢は夜開く」を歌うのを聴いて 以来のことです(って、この日記でもいつか書いたような気がするので他にもあったかも。)。この「零時十分」と いうのはサリーの香港デビュー曲でかつサリーの夫であるジョージ・ラムが書いた曲で(当時は夫ではなかったけど。)前日のコンサートの記事に よると「この曲を夫からもらっていなかったら今まで歌を歌い続けることなどなかっただろう。」と夫に感謝の言葉を 述べたとのこと。 私にとっても聴き始めの頃に何度も繰り返し聴いた曲です。この曲に限らず他にも沢山むかしの曲をサリーは歌い、 また現在の少し軽めの歌い方ではなく目一杯情感を込めて歌う、語尾が少しウラ返る(松田聖子のような) あの歌い方でした。その夜二度目に涙したのは国語版の「晩風」を聴いたときです。この曲は舞台のスクリーンに 映画「上海ブルース」の映像を流しながら歌ったのですから仕方がありません。 ゲストは劉徳華、イーソン・チャン、そしてジョージ・ラムでした。アンコールは確か11曲、一時間近くやり、 全部で約三時間のコンサートでした。この27日の公演はDVDになるということなのでそんなに熱心に記録はしませんでしたが また追々詳しくレポートを書きたいと思います。 サリーのカラダは、初期の台湾盤のジャケットでは痩せていて、初期の香港盤や「上海ブルース」では豊満な イメージ。そして、東京音楽祭の映像では「腕が太い」という印象でその時々で随分変化していますが、ここ最近 の映像・写真は痩せすぎと思っていました。だがしかし実物は理想的なカラダでした。特に三角筋と背中の筋肉は 惚れ惚れするくらい。鍛え上げたアスリートのカラダでした。 感激とオドロキのウチに三時間のコンサートは終わりました。サリーを出待ちするのか、そしてそんなことが可能 なのか知らないけど「日本から来たファンとしてサリーに紹介するから。」と掲示板で知り合ったファンの一人に言 われました。でもそれは私にとってはあまりにも、中国語で言うところの「太過分」で日本語では(?)「トゥ・マッチ」な ことでした。「友人の家に泊めてもらっているので遅くなれないから。」と丁重に辞退しました。会場から出てきてクルマに 乗り込むまでの一瞬の姿を見るためというのならもちろん三時間でも四時間でも待ちますが、神々しいようなあのサリーの姿を ナマで初めて拝むことができた夜に直接話ができるなんて、そんな大それたことは本当にとてもできませんでした。 我ながら幾分センチメンタル過ぎるかなとも思いながらでもとても幸せな気分で体育館を後にしました。 3月20日腕白坊主 ウチに家族が増えました。今度は人形ではなくてイヌです。 私は昔から家の中でイヌを買うのは好きじゃないし、 私にアレルギーがあることもわかったので(イヌにあるかど うかは知りませんが)小型犬を飼う気はなかったのですが、 どういうワケかジャック・ラッセル・テリアというやんちゃ なイヌを飼うことになってしまいました。 といっても、先週から紆余曲折があって一度はやめることに したのですが、何の因果か結局我が家に置いてやることになっ たのです。 何の因果かと申しましたが、縁というのは不思議なモノで 昨日血統書を見てびっくり。血統書上の犬名の一部に娘の名 前が入っているのです。それがわかっていたら悩まずに即決めて いたことでしょう。 しかし、この子犬は環境が変わったという のに何も気にせずよく食べてよく動き回り遊び疲れてグーグー 寝てしまうストレスとはまったく無縁の頼もしいというか図太 いというかなかなか愉快な我が家の新入りです。 3月20日更新日記 日記の更新が滞っているのはかように忙しいからだけではありません。忙しいだけ なら今の何倍も忙しいときにもっとマメに更新していたこともありました。 ではなぜ かというと、最近考えることがあるのです。頻繁に更新していた頃はある程度ためて 小出しにネタを使ったり、また日常生活の中で無意識にネタ探しをしていたりしたこ ともありました。それよりもっとイヤなのは日記のために何かするということがあっ たのです。 極端な話例えば、旅 行などに行ったときある選択肢があってそれをするか否か、そこに行くか否かという 選択をする場合に、「日記のネタになる。」ということを 考慮して決定してしまうケースがあったりするのです。つまり日記を書くことが主体 になってしまっているのです。 こういうのは間違っていると思うわけであります。目的と手段が入れ替わってし まっている。手段が目的に昇格してしまっている。本末転倒なのである。ということ なのです。 って、また日記の更新をしない言い訳をしているって? そうではなくて今日はこれをネタにしてなんとか今日の日記をでっち上げたというワケです。 3月19日香港 サリーのコンサートを控えて、直接的な準備およびそれまでに仕事を片づけるというのも 含めて忙しくしております。 直接的な準備というのは、コンサートの前後でサリー本人及び各国のファンと会うための 準備がまずあります。といっても、もちろん私が何ら準備に貢献しているわけではなくて自分のスケジュールの調整と申込をしただけです。 サリー本人も参加している網上のフォーラムがあって、そこに先日初投稿をしました。 サリーに対するスタンスは以前に書いたとおりで、これまで投稿しなかったのはサリーと 気軽に話をしたいと思わなかったからです。 今回悩みましたが、ファンの集いにも参加したかったし、特別に見せてくれるというリハー サルにも行きたかったから思い切って書き込みをしました。 一度だけメールのやり取りをしたことのある在日香港人の方とサリー本人からすぐに レスがありました。こんなに緊張感を持って書き込みをしたのは、某上海系掲示板に初めて 書き込んだとき以来でした。しかし、本当に感心するのは現在コンサート前で一番忙しい サリー本人が全書き込みに目を光らせてレスすべきものには即レスをしていることです。 中には(ファンからの)呆れるような書き込みもあります。ごく個人的な相談やサリーに聞かなく てもいいだろうと思うような実用的で一般的な質問もあり、またそれにサリーは回答している のです。もちろんはっきりした性格のサリーですから、「自分で調べなさい。」というようなことをはっきり 言うときもあります。でも、無視はしないのです。この点には本当に頭が下がります。 24日、25日にリハーサルがあって、24日にはプレス用のパーティのようなものがあります。 コンサートは25日から27日までの3日間で、28日の追加公演が行われることが先日決まりま した。27日の午後に世界中のファンが集まる会が開かれます。港、台、大陸はもとより星、馬、 米、加、豪などから集まります。(私以外は全部中国系と思われ。)。 私は25日に香港へ出発し28日に帰国します。よって、25日のリハーサル及びコンサート 27日のファンの集い及びコンサートに参加する予定です。25〜28日の旅程というのが精一杯 でした。しかし、学生が多いのか他のファンはけっこう長めに滞在する方が多いです。 ホテルはネットで調べた格安〜中級ホテルが全滅でした。日本の旅行社に尋ねても、 香港島はほぼ全滅、半島側は高級以外は難しい、という状況です。同時期に大阪のホテルを10室ほど 手配しているのですが、大阪もその週末はホテルがほとんど満室の状態で、まあ景気がイイのは けっこうなことですが、自分が泊まれないのは困ります。 高級ホテルは泊まる気もまた財力もないのであきらめて、香港についてから現地の旅行社で安いと ころを探すか、それこそ重慶大厦にでも飛び込みで行くか、いっそのことマカオにでも行こうかとも考え ています。まあ、なんくるないさ、と既に南方的な頭になっています。 3月15日野良といえば、韓国モノの新譜 ノラ・ジョーンズってよさそうかなあ、と思い始めていた(といってもまともに聴いたことはほとんどないけど) のですが、顔がキライなのでなんか聴く気になりません。なぜ良さそうかと思ったかというと他のヒトがカバー しているのを聴いたのでした。ファースト・アルバムのジャケットの顔は凄く良いのにテレビで観ると好みじゃなかったのです。 ノラといえば私の英語の先生もノラといいます。でも、私の世代はなんといってもノラ・ミヤオですよね。キレイで 知的で気が強いというまさに私のタイプでした。 ソウルで買ってきたJu dainの新譜は気に入っています。全作と同じくソロの名義ですが、今回のはロック色がかなり強いです。 JUJU CLUBのイメージからすると今回の方がファン好みかも知れません。でも私は全作が凄く好きです。今回も もちろん好きですけど。 イ・スヨンの新譜もとても良くて、やはりこのヒトは好きです。クラッシックということで、古い歌のカバーというこ とらしい。でも、オリジナルはどれも知りません。演歌もあります。全体的にイイ。でもこの曲が特別、というのはないかな。 3月13日やっと少しほっこり この一週間はホントに忙しかった。ソウル出張もあったし、確定申告も。 昨年懲りたはずなのにまたギリギリになってしまい金曜日にようやく出せ ました。今年はややこしかった。 ソウル出張は二つ仕事があってそのうちの一つはサイテー。電話とメー ルでやり取りして完全に合意した契約書を作成してこちらのサインをして 持っていったのです。月曜の朝に渡して火曜の午後に受け取って帰るつもり だったのにいざサインをする段になってまた修正しろと法務部門が言って きたということで結局作り直し。 さすがに頭に来て私にしてはかなり激しく文句を言ってしまいました。 ついでに持っていっただけなのに、「ホントはついでじゃなく わざわざこのために今回ソウルまで来た。」なんて言って。 もう一つの仕事の方はうまくいったので半分成功。 プライベートでは、うちの会社の現場事務所で長く働いていた李さん (仮名:朴だったっけ?)を兄夫婦に会わせることが目的でした。義姉は ソウルに友達がいなくて困ったときに訊くヒトもいなく英語を話せる 友人が必要なので。李さんはカナダに留学経験があり英語も堪能なので ぴったりなのでした。 彼女のおかげで私も今回義姉とたくさん話をすることができました。兄貴 抜きで三人で話す時間もあったので、その時に李さんがけっこうミーハーな 質問をしてくれたから。なれそめや第一印象の話なんかこれまでなかなか 聞けませんでした。 今回購入したCD。 Judain 『Touch your heart』 Lee Soo Young『Classic』 王菲 『將愛』 3月5日初めて裏切られたときのこと・つづき 「これからもみんな一緒にこれまで通りしんどい練習に耐えていくよな!」 何をいまさらバカことを…とあきれかけたその瞬間信じられないコトバを耳にした。 「はい!」 「よし! 次、中村(仮名)!」 え? どういうこと? 次々に二年生の部員に対する同様の質問があり、皆同じように「引き続き今後も ラグビー部を続ける」旨を宣言し、結局最後にボクが訊かれるときまでに自分以外の 全員がまったく同じように「Yes」の回答をしていた。 「次、踏台!」 「お世話になりました。」 ボクはこのヒトコトを残して部を去った。 この日までに個別になのか全体でなのかは知らないが自分を除く二年生全員に対して先輩、 顧問もしくはOBから交渉があったようだ。そして、全員が考えを翻したらボクもオセロのように周りと 一緒にひっくり返ると考えたのか、それとも危険分子として排除するつもりだったのかはわか らない。だけどボクはその瞬間までそんな工作が行われていることを知らなかった。ミンナは既に裏 返っていたのだ。 いずれにしても、あの、試合後のミーティングで訊かれて一瞬にしてその場で全員の気持 ちが変わったということは考えられない。遅くともあの日の朝には二年生全員が試合後の ミーティングでボクを裏切ることを自覚していながら、D志社K里のグランドまで一緒に行って 着替えをし、練習をし、一緒に練習試合に出て、あの瞬間までボクとフツーに接していたというのが 自分には信じられなかった。ボクには全く見抜けなかった。 ボクなら例え翻意していたとしても、あの瞬間まで隠し通すということは出来ないだろう。 はっきりと伝えると思うし、言えなかったとしたら平静ではいられない。まともに相手の顔も 見られなかったと思う。 説得されたことは別に仕方ないと思う。やはりラグビーを辞めたくない、と思ったのも いい。先輩が怖かったのでも波風を立てたくなかったというのでもなんでもいい。裏切られた こと自体も別にかまわない。 その時の感想は「へえ、ヒトはこんなふうに振る舞えるんだ。」ということに尽きる。そんな ヒミツを抱えながらフツーに接することができるんだと驚いた。だから、彼らとはやっていけないと いうことを瞬時に悟り、その時本当にラクビー部を辞めることにもためらいはなかった。 3月3日つづきじゃないよ ハイロウズの「日曜日よりの使者」を口ずさんでいるといつも途中から 「アメージング・グレース」(「白い巨塔」でかかっている曲)に変わっ てしまって、でも最後は無理矢理「♪にちよ〜びよりのししゃ〜♪」と締 めくくります。 って、それだけ。 2月29日初めて裏切られたときのこと 少し(ずいぶん?)前に掲示板で十七歳の頃の話題になり私も自分のその頃を振り返って、 苦い思い出として自分のココロのなかに残っていることを久しぶりに 思い出しました。 それはラグビー部を辞めたときのこと。 ボクは中学生のころにラグビーを始めた。大阪は花園ラグビー場が あるだけのことはあってラクビーが盛んなところです。中学校でもラクビー部の あるところが当時府下に六十校ほどあった。 ボクの中学校は元国体選手が顧問をしておられたおかげで私が二年生のときに 春と秋に府下で優勝し近畿大会で二位、全国大会でも二位になった。全国 大会は東京の秩父宮だった。 ボクは中二の時はカラダが大きかったのでロックで出場した。 中学のラグビー部というのはやはり顧問のチカラというのがヒジョーに大きく ボクたちのチームは特にバックスのレベルが中学生としては群を抜いていると言われた ものだ。 ボクは当時FWのロックだったけど、その後フランカーやBKの方に転向したりできたのも この中学の時に顧問に1対1、多対1、多対多などいろんなパターンでの抜き方など BKの基本的な技術を教えてもらったからだと思う。 今から思うと中学校のラグビー部で基礎体力の反復練習のようなくだらない根性練習 は一切しないで、実戦に役立つ技術を、反復により条件反射のようにカラダにたたき込むので はなくなぜそのようになるのかを考えながら覚えていくという仕方で身につけることが 出来たのは本当に幸せなことだったと思う。 ところが高校のラグビー部に進むとこの環境が一変する。高校のラグビー部は 大昔に旧制中学校であった頃はヒジョーに強かった。しかし、学区が小さくなり進学校へと 変わるにつれて弱くなって行った。なのに練習量とプライドだけは昔のまま という厄介なチームだった。 とにかく練習はキツイだけの根性練習が主。真夏にランパスを一時間するような時代 錯誤なチームだった。練習中に日射病による死者を過去に二名出していた。しかも、そ の事実をまた誇らしげに語るOBがいた。 「彼らは倒れてもボールに手を伸ばそうとしていた。」 水やれよ。 そして練習だけでなく試合のやり方もとにかく戦術を使って勝つよりも相手に走り勝つ ことだけが主眼に置かれ、とにかく横綱相撲をしろということ。技で勝つなんてもってのほか、 というチームだった。 ラグビーをするためにいろんな中学校から選手が集まってくるようなかつてのチームだと 死ぬような練習だけしてそのような試合運びで勝ち進んで行くことができたかも知れないけど 進学校となってしまってはとてもそんなわけにはいかない。 私を含めた経験者でチームを変えて行こうとも思ったけど上級生をさしおいて 一年生や二年生では自分たちで変えていくというのはなかなか難しいことだった。 でも、二年生の夏前に練習試合が毎週続いていたある日「もう我慢ならん!」と私は二年生 を集めてアジた。 「いまのこんなラグビーをやっていて楽しいか? こんなに死ぬほどの練習をしても 中堅以下のチームになら勝てても上位チームにはいつまで経っても勝てへん。せやからゆうて 勝つための戦術、細かいサインプレーを自分たちで考えて使うなんて許されへん。 先生やOBのメンツのために彼らの理想とするプレーをせなあかん。」 「ホンマにこんなラグビーで楽しいんか? 自分らで自分らのやりたいラグビーをした ないんか? 二年全員でやめるか、それともラグビー部を自分らの手に取り戻すかどちらか を選ぼうや!」 二年生は一応みんな「そ、そうやなあ。」とボクに賛同した。 しかし、ある日の練習で三年生のキャプテンが原因はなにか忘れたけど急に怒り出し しごきメニューをやらせれることになった。ボクにとってそれはヒジョーに理不尽な 言いがかりみたいな理由だったので頭に来て、ボクも若かったということと、日頃の 鬱憤がたまっていたということもあり爆発してしまった。 爆発といっても別に殴り合いのケンカになったワケではないけど、それまでどちらかというと 先輩に楯突くどころか先輩たちからすれば扱い易いタイプだったボクが急にこんな風に 現在でいうところのキレたワケなので驚いたに違いない。 一応その場はなんとかなく曖昧に終わり、後で別の三年生や顧問から話を聞かれて これまで考えていたことを話し、今までどおりのこの部の在り方に我慢ができないこと、 変わらなければ二年生全員続ける意志がないということを伝えた。 そして、最後の試合とボクたちが考えていた試合のあと、みんなで円陣を組んでのミーティングに キャプテンが二年生に向かって言った。ここで部としての回答が出される予定になっていた。 「田中(仮名)!」 「はい。」 「俺らずっとしんどい練習に耐えてきたよな!」 「はい!」 「これからもみんな一緒にこれまで通りしんどい練習に耐えていくよな!」 (アホがいまさら何言い出すねん、と思った。と同時にこれは変えるつもりはないということか、 と落胆しかけた。これで決裂や、二年全員でやめなあかんのか…、としかし、このあとボクは 自分の耳を疑った。)つづく。 2月25日納車、歌追い人 一昨日新しいクルマが納車されました。上海から帰国した後中古車を乗り継いで3台 目です。 最初は2000年にカペラ。これは20万円くらいでした。このクルマはかわいそ うなクルマでほとんど距離を走らなかったのに前はぶつけるし、横は擦るしでボロボロ になってしまいました。 次は2002年に乗り換えたプリメーラ40万円也。これはよく乗りました。あまり遠出は しませんでしたが、阪神高速をよく走りました。そのワリにぶつけもしなかったし。 今度のはまた20万円値段は上がりましたが、13年落ち。一昨日早めに帰宅して初対面。 やっぱり走りたくなって十時くらいでしたが走りに行くことにしました。ところが、まず ヘッドライトの操作がわからない。次にサイドブレーキのリリースの仕方がわからない。 ということで、取扱説明書を熟読すること三十分の後やっと出発できました。 初めは新御堂を軽く走るだけで帰ってこようと思っていました。なんせクルマが大き くなったので怖いということもあったし。ところが幅は思ったほど気にならないしすぐに 慣れてしまい気分も乗ってきたので阪神高速に乗ることにしました。 ところが、料金所で気がつきましたが、窓を開けるスイッチがわかりません。取説 見るのを忘れた。仕方がないのでドアを開けてお金を支払いました。結局阪神高速から 近畿自動車道を通って帰ってきました。久しぶりになかなか楽しいドライブでした。 車庫に入れるとき、弟の言葉を思い出したのが間違いでした。 「車庫の幅が狭いから横擦らんように気ぃつけや。」 これを電話でも繰り返し言っていたのです。幅はそんなに気にならなかったのに この言葉を思い出して慎重になったら、幅に気を取られて前を当ててしまいました(^^ゞ。 幸いバンパーとゴム巻きの柱との軽い接触だけだったのでかすり傷もついていませんでした。 今日の午後は眼の検査に行きました。特に異常がなかったので、これまで3ヶ月に一度検査に 来いと言われていましたがこれからは半年に一度で良いと言われました。 終わってから京都みなみ会館に「歌追い人」を観にいきました。良かった。今年になって観た 映画はどれも全て良かった。「アイデン & ティティ」、「ラスト・サムライ」、「ラブ・アクチュアリー」 あと、いま観たいのは「涙女」、それからどこかでまたやらないか「延安の娘」 2月21日ブツガ 仏画教室での現在の課題はカワイらしいお地蔵さんです。これは先生の オリジナルで個展でもよく売れる商品なのですが私はどちらかというと そういうのよりもっと細かいのを描きたいしあまりこの手のは好きではない のです。 ただ、技法としては粉をニカワで溶いてそれを左官屋さんのように塗り 上げて立体感のあるものに仕上げるというまあまあ面白いモノなのですが、オレ の描きたいのはこんなんじゃない、と思いながら描いています。 ホントにこんなんが人気あるのかな?と半信半疑だったのですが、先日 先生の作品の絵はがきを見た母が気に入っていて、私も今描いているとい うとできたら欲しいと言いだしました。描いている途中で早くも行き先が 決まってしまいました。少し複雑な気分です。 嗚呼、ゲージツ家の苦悩(^^ゞ。 私の好きな除憂闇菩薩です。光背なんてフリーハンドでいい加減に描いていますのであまりジッと見ないでボヤッと見てください。 ![]() 2月18日ソウル出張 今回の出張では行きも帰りも飛行機が満席でビジネスにアップグレードしてくれました。 よく利用しているからでしょうか。でも最悪だったのは今回はJ務を連れていたのです。しかたないので、 どうぞ代わりましょうと言ったらこのヒトは当然のように「うん」と言うだけ。礼のひとこともないので 人間性を疑いました。「君のアップグレードだから君が乗りなさい。」ということばは期待してなかった けど「ありがとう。悪いね。」くらいは言っても罰は当たらないと思うけど。 兄貴がソウルのホテルの日本料理屋にいるのでそのホテルに特別の安いレートで宿泊しました。 本来ウチの会社では泊まれないくらいの高いホテルだけど兄貴のおかげで泊まれたのです。それもわ かってないし、食事の時に兄貴が案内してくれたのも何もそのJ務の接待ではなく兄弟で話をしたいか らで、食事のあともしつこく飲みに連れて行かせしかも兄貴におごらせてという信じられないヒトでした。 結局十一時過ぎに解放されてそこから兄貴の家に行きました。PCの調子が悪いからと診させられてOSの 再インストールに一時間以上かかりました。ホテルに戻ってそれから翌日の準備をしました。今回は英語 で打ち合わせをしなければならず、しかもヒトの通訳までしなければいけないというとんでもない状況だ ったのです。なのでかなり入念に予習していきました。 結果はなんとかうまく行きました。そりゃもう、めちゃくちゃブロークンな英語でしたが、ああなった ら恥ずかしいもなにもないのでとにかく単語を並べまくって文法無視のヒドイ英語でなんとか乗り切りま した。これまでの人生で一番一生懸命そしてたくさん英語を話した日でした。 それから今日会った韓国人もとても上品で感じの良いヒトばかりでなんかとても嬉しかった。 2月15日坊さん?、けっこういってる 今日は仏画の日でした。教室に入り席に着くなり一人の おばさんに歳を訊かれました。ボケもせず正直に答えましたが 「ああ、そう。」とワリにフツーの反応でした。 終わりの方で洗い物をしていたら別のおばあちゃんに訊かれました。 「ねぇ、おにいちゃんはお坊さんでしょ?」 なんでも、このヒトのウチでは先週家族で会議があったらしい。 議題は「若い男が仏画教室に入ってきたけど彼は何者か?」。 そして出た結論が「きっと僧侶だろう。」ということだって。 こんなバチ当たりな破戒ボーズなんているワケないでしょう。 それを聞いていたさっき歳を訊いたおばさんがヒトコト、 「いや、若そうに見えてけっこういってんねんこの子。」 だって。 2月12日アイデン & ティティ 映画「アイデン & ティティ」について何か書かなきゃいけなくて、まとまりそう にないことはわかっているけど書いてみます。 ストーリーは、ひとことでいうと1989〜90年のバンドブームの頃、ロックを求める 中島とそのバンド、SPEEDWAYをめぐる物語(by COMOさん)。 現在の日本の音楽の状況、つまりメディアは全て広告媒体で、誰かがイイと思った モノを紹介してもらえるワケじゃない、とにかくどこかの誰かの 「売ろう」という意志の下に選曲されたモノを見せられ聞かされている。DJが「お! イイね!」なんて見つけた曲を自分のラジオ番組で好きに流せるワケ などなくスポーンサー等の意志で選ばれる、そこまでひどくはなくても、少なくとも この中から選べというようなリストがあったりする(よね?)。実際チャート で売れるのはドラマやCMのタイアップ曲やカラオケで歌えそうな曲。ロックに限らず ホンモノなんかが売れるような音楽シーンなど日本にはない。これ に対して「世の中のニーズに対応することが肝要であり、そうでない独りよがりの音 楽を追究することなんてなんの意味がある。」という言い方も当然ある。自分の漫画を理解してもらえなくて「一般大衆にオレの漫画がわかってたまる か!」と言った漫画家に対して「一般大衆にわからん漫画を 描いてなんの意味がある。」と答えたシーンをむかし漫画で見たことがありこれはな るほどと思える部分もあるけど。 だけど、マーケティング上手しか 生き残れないような音楽シーンというのが魅力的かどうか。昔ディック・リーが「香 港で売れる曲なんて3分で書ける。」などという発言をしてたけど。 CMなどでほんの少し聞いて耳に残りカラオケでうたいやすそな曲、彼女とドライブ するときにかけていたらいいようなそんな曲しか流行らない。 聞き込めばその良さが段々わかってくるような曲なんて流行る余地がなどない。 それでもあくまで、消費者のニーズなんて言うのかい? 例えば、イタリア料理のシェフが、「日本人にはアルデンテなスパゲティの美味し さなんてわかるワケがない。」 と歯ごたえのない文字通り焼きうどんのようなスパゲティを作って大当たりしたとし よう。 これってどうよ? ということ。実際焼きうどんのようなスパゲティが多かったり するけど。 そんな日本でホンモノのロックをやろう、自分のやりたいロックをやろうなんていう のは大変なことというよりかなりムボー。そういう考えとメジャーになろうと いうことが両立しっこないということはわかるよね。SPEEDWAYは、イヤ、中島はそう いう状況の中でディランの風貌をした「ロックの神様」と「君が君でいる 限り、私は君のことが好きだよ」なんてことを言う彼女に囲まれて、「やりたいこと (やらなきゃいけないこと?)」と「売れるためにすること」とのジレンマにもがき 苦しむ。 こういうことは音楽だけでなく、およそサラリーマンの世界にも当てはまるジレン マでしょ。自分のやりたいことと給料をもらうためにしなくてはならないことの ギャップ。こういうことに出会ったことのないシアワセなヒトなんていないでしょ? 営業なら「オマエなんかにウチの商品買ってもらわなくったってイイんだよ。」なんて一度は言ってみたいのをグッとこらえてお追従笑いしてお世辞言って買ってもらうということはゴク日常的なことだし、逆にこんなしょうもない商品をすごく良いモノだというような顔をして売ってもいいんだろうかなんて思うこともある。技術屋さんならコスト削減のために削ってしまうモノと一緒に何かをなくしていくワケでしょ。 そう、漱石の「それから」で例に出される、織田信長に仕えた堕落料理人のたとえ のようなことは日常茶飯事、星の数より多い。 そう言う意味では、サラリーマンじゃなくて芸術家だって食うために売れるモノを 作らなければならないことは往々にしてある、イヤ、 むしろそちらの方が多かったりするんでしょうね。 青臭いことを言っているのはわかっているけど、この映画を見て中島に「よくやっ た。」と感動したり、逆に居心地の悪さを感じてしまったり、 「何を子供みたいなこと言ってんだ。」と怒ったりするのは中島のように「そんなも のはロックじゃない。」なんて 言えなくなった、イヤ、そう感じることも忘れてしまった自分を発見するから。自分 の演奏を聴きながらノっていないディランが ライブ会場にいる、「息の仕方を知っているだけで奇跡だぜ。」なんて言われる恥ず かしさを突きつけられてしまう。自分が本当に良いと思う ことじゃなくて、上司の気に入りそうなことを企画書に書いてしまう、良い企画より 通る企画を優先する今の自分の前にディランが現れてサン グラス越しの醒めた目で見つめられたらどうするだろう、なんて思ってしまう。そこ でそういうこと慣れて麻痺していくことが大人になるというこ とで、そうしなければ生きていけないんだなんて正当化ししてしまう。 なんてことを言いながら、結局は現実にはディランは現れないし、隣には「夢み たいなこと言わないでしっかり稼いでよ。ローンもあるし教 育費もかかるのよ。」と励ましてくれるチャンカー(笑)しかいないので、みんな現 実の汚れた世界でたくましく働いて行けるのです。 2月11日ソウル、散髪、絵 ソウル出張の予定がなかなか決まりません。ホントは今週に ぜひとも行きたかったけどちょっとムリ。来週はたぶん行きま す。ただ、一緒に行くおっちゃんがちょっと…なのですよね。 散髪屋のいいところが近所で見つかりません。前は近所に安い ところがあってそこに月に二、三回行ってたのです。私の髪は短 いので頻繁に行かなけりゃジジむさくなるのです。だからだいた い1〜2週間くらいもつように刈ってくれればヨイのです。引っ越してか ら初めて行ったところは張り切って一ヶ月大丈夫なくらい刈るのです。 近所を探し回っても安いところが全然見つからないのでこない だの日曜日に結局前に行っていたところに電車に乗って行ってき ました。 と、今更新途中で転送してある仕事のメール見に行くと 韓国からメールが来ていて来週の出張が決まりました。取り敢えず良かった。 母親からのリクエストで伎芸天を描きました。アーティストなの でやはり"伎芸天"なんだそうです。 ![]() 泣き弥勒 ![]() 2月3日篆刻、この子、略語、侍、最近描いたモノ 仏画教室で先生にハンコを作りなさいと言われまして大きいのは幾つか持っていますが小さめのが欲しくて自分で彫りました。20年ぶりくらいのわりにはまあまあうまくいきました。 仏画教室の生徒は当然年齢層が高くてこんな私でも「この子」扱いです。この年 になって「この子」なんて呼ばれるのもどうかと思いますが。 最近友人と英文メールのやりとりをしているときにわからない単語が良く出てきま す。例えばPLSとかCYA、b/c、pplなどつまりネット用(チャット用?)の略語です。先日いろいろ調べてもわからないのがあって途方に暮れてしまい、会社でとなりの席に座っている女の子に訊いたら簡単に答えてくれました。「sth」と「sb」なのですが、ネット用の略語ではなくて辞書の例文にフツーに使われている語で「someting」と「somebody」だって。さすが東京外大出。 ラスト・サムライ観ましたが思いがけず良かった。ハリウッドモノはあんまり好き じゃない私としては予想外に良かった。 楽山の大仏を描き直しました。前のは色が気に入らなかったので。 ![]() 阿修羅像 ![]() 五部浄居。 ![]() 1月30日雨の新御堂 今週の月曜は引越してから初めてクルマで通勤しました。荷物があったのです。 混むといけないので朝七時に家を出ました。早く出たのに新御堂は既に混んでい てまったく動かないのですぐにあきらめて高速で行くことにしました。 しかし阪神高速池田線に乗ってびっくり。こちらもひどい渋滞です。高速 道路とは思えないノロノロ運転です。高速代返せ、と叫びたいくらい。結局家を出て から一時間四十五分かかってやっと会社に到着。アマに住んでたころは三十分くらい で着いたのに。これではクルマ通勤はとてもする気になりません。 帰りはうって変わってラクチンでもちろん高速など使わずに梅田から新御堂で帰り ました。大阪では「千里の道も新御堂から」ということわざがあるくらい新御堂とい うのは重要な道で、そのまんまですけど大阪市内と千里とを結ぶイイ道路なのです。 何がイイのかというと信号のない広い道でありながらなんと無料なのです。朝のよ うにあれだけ混んでいるとイイも何もないのですが、帰りにスイスイ走っていると ホント気持ちのイイ道路なのでした。 というワケで帰りだけクルマにしたいと思うのですが、そういうわけにも行かな いのでしかたありません。 1月29日おきばりやす 2月中旬からドイツに留学することが決まっている友人から夕方に電話がかかって きて30分くらい話し込んで長くなったので今度はこちらからかけ直すと一旦切り、 帰りにIPカードを購入してかけ直しました。 留学の手続はとても順調に行き初めて留学する話を聞いてから驚くほどの早さで進 んできたように私は感じていたのですが、彼女は全ての手続が完了した先週から急に 行きたくなくなってきたのでどうしようというのが電話の内容でした。 彼女は、近くの国とはいえ大学時代は四年間留学しているのです。今度は言葉の通 じない遠くの国ドイツということで多少勝手が違うのかも知れませんがそんなに不安 の度合いが違うとも思えないのですけど。 まあそれでも何故か不安になってきているので私に背中を押して欲しいんだと勝手 に解釈して、留学を強く勧める方向でアドバイスをしました。 要旨を簡単に言うと次の通り。 何か凄く楽しみにしているイベントの直前になって突然イヤになったりするのは良 くあること。ボクなんて大好きな女の子とのデートでも前日に行くのがイヤになって ユーツになることがしょっちゅうある。でも、当日行けば当然のことながら楽しくて、 前日になぜイヤに思ったのかまったくわからないくらい。キミのケースも同じような ことだと思う。もう全て準備も終わったのに今頃行くかどうかなんて悩んでいるバア イじゃないよ。 とイイ加減なことを言いながら、 でも、これはあくまでもボクの意見で、もちろん最終的にはキミが自分で決めるこ とだけど。 なんて責任逃れのセリフを言ってしまうところが情けない。 それと、「デートの直前にイヤになることなんてない。」と軽く否定されたのも悲しい。フツーないの? 何度も訊くけど。 1月26日三昧 今月のサライの特集は十一面観音に詣でる旅で、『京都を歩く』は 太秦特集で広隆寺が載ってるし、学研ムック「神仏のかたち」シリー ズの1巻・観音菩薩が発売になっています。なんかすごく流行 っていますよね。 1月25日訪問者、ロック 先週、朝会社に行こうと家を出るときふとドアの表札のところを 見て驚きました。 死ね とヒトコト鉛筆で書いてありました。 家人に訊くと思い当たるのは昨日来た若い男だろうということ。七時 過ぎにチャイムを鳴らし、マンションの設備の点検に来たとインターホ ンでそう言った。いかにも管理会社から来たようなことを言ったけど微塵も 騙されなかったようで、食事の支度で忙しいからパンフレットか何か あったら入れといて、とセールスマンに対するような態度で追い払った とのこと。 この態度が気に入らなかったようで腹いせに落書きをしていったよう。 しかし、鉛筆というのが気が弱くて笑える。いや、自分の家の玄関に しかも「死ね」と落書きされるのは笑い事ではなくかなり気分が悪いモ ノです。うちの マンションはオートロックなのにそんな輩が勝手に出入りしているのも 気持ち悪いので管理人さんに言いに行かせると管理人さんはヒジョーに 真面目かつ仕事熱心なヒトで玄関のビデオを調べて犯人と思われる人物が 入ってくるところを編集してダビングしてくれました。 すると作業着を着た二人の二十歳そこそこの若い男が映っていました。 この二人はオートロックのドアの前でジッと待っていて住人の子供が 入る時に一緒について入ってきたのでした。 このビデオを見て少し恐くなったのは、彼らが特に何も工具等を持って いなくて手ぶらだったことです。勝手に点検をして法外な金額を要求する ような詐欺なら何かそれらしい工具等を持っているはずです。持っていな いと言うことはドアを開けさせた後は強盗にでも早変わりするしかないで しょう。ナイフくらいはどこにでも隠し持つことはできるでしょうから そして三日後にまた違う男が今度は水回りの点検と言ってやって来たそ うです。もちろん丁重にお断りしてお帰り願ったようですが、こんどもい かにも管理会社から来たように振る舞い、「管理人から連絡してある筈。」 とか「前回来たときに留守だったのでチラシを入れて今日来るように連絡 しておいた。」などと言っていたよう。 最近はホントに物騒なようです。みなさまもお気を付けください。 今日は映画を観て来ました。みうらじゅんの『アイデン & ティティ』です。 14:30からのを観るつもりでいてたのですが絵を描いていてふと気がついて時計を 見ると13:40。十分で用意して家を飛び出したのが13:50。14:00の電車に乗って 梅田まで20分。テアトル梅田まで走ってなんとか滑り込みセーフでした。ちゃんと ハモニカを持っていったので200円割引で観られました。 映画はとても良かった。ロック好きにはたまりません。ボブ・ディラン好き は必見の映画です。自分にとってロックとは何か?と考えさせられる映画です。 久しぶりに今日はずっとディランばかり聴いています。『ラストワルツ』の DVDも観直しました。 1月18日仏画 今日は仏画教室の初日でした。一応体験入学ということでしたが先生も とても良さそうで続けて通うことに決めました。 これが初作品の延命観音(写仏)です。 ![]() しかし、筆で線を描くというのは難しいモノです。二度書きができないし途中で 接ぐこともできないし、またスピードがないと滲んでしまいます。初めてにしては上手いと先生に一応ホメてもらいましたが、まあ、初めてにしてはですから大したことはありません。でもむかし書道をしてて良かった。一応筆には慣れていますから。 当然ですがまだまだ道は遠く険しいです。っていうか初日だもの。 最近描いたその他の作品です。 まず楽山の大仏。これはむちゃくちゃいい加減に描きました。ジャイアントロボみたい。 ![]() それから、蓮の花を描いてみました。 ![]() 1月17日音名 小燕子は小学3年生のクセにもう親の能力に疑問を持ち始めているようで最近 とみに確かめるような質問をしてくるので困ります。 学校でなにかなるほど!と思ったことなど「踏台は知ってるかな?」と質問してく るのです。 例えば「空」という字の部首は? というような漢字や国語の分野は私得意なので 「ウカンムリ…じゃなくてアナカンムリ」なんて答えられまだ大丈夫のようですが、他の科 目ではそろそろやばくなってくるのではないかと思います。父親の権威が…。 先日はドレミ以外の言い方で音の名前を言え、と言うので。 「ハハ、私は音楽は得意だったのだ。」と思いながら、まさか「ハニホヘト…」で はないだろうからこう答えました。 「シー・ディー・イー・エフ…」 「ブー」 (「あ、そうか、ピアノを習っていたよね。」) 「んと、ツェー・デー・エー・エフ…」 「それから? 全部言って。」 「ゲー・アー・べー」 「ブッブー」 英語ではC・D・E・F・G・A・Bですが、クラッシックのヒトはフツー、ドイツ語で 言うので英語のをそのままドイツ語読みすればいいのだと思いそうしましたが、違ったみたい です。でもそう言えばたしかハーとかいうのを聞いたことがあると思い「H(ハー)」と答 えるとなんとか合っていたみたいでホッとしました。 ドイツの音名では「シ」はB(ベー)ではなくH(ハー)になるのでしたね。調べて みるとさらにややこしいことにドイツ語の音名でB(ベー)というのは、H(ハー)の半音下の音だ ということ。つまり英語の音名でいうB♭のことです。ああ、ややこしい。 管楽器でよく「ベー管」などという風に言いますが、これはつまりその楽器の 「ド」の音が実音ではB♭の音だということです。私はBの音だと思っていました。 <参考> 英語の音名 C・D・E・F・G・A・B (シー ・ディー・イー・エフ・ジー・エー・ビー) ドイツ語の音名 C・D・E・F・G・A・H (ツェー・デー ・エー・エフ・ゲー・アー・ハー) |
メール |
ホーム |