| 実は私のページは ”親愛なる日記よ、この世には僕の大好きなことがある!” という言葉から始まるナンニ・モレッティ監督の映画 「親愛なる日記 CARO DIARIO」から名前を取りました。 3月6日 三上寛をご存知でしょうか? そう『戦場のメリークリスマス』に軍人の役で出ていたのを覚えていらっしゃる方はなかなかの記憶力です。 本業はもちろんシンガーでです。青森出身でタモリのやった寺山修司の物まねは実は三上寛がオリジナルだそうです。 この三上寛というヒトはすごいのです。なにがって、その歌詞の世界がです。私にとってはこのシトの発想には尊敬の念すら抱いてしまうのです。彼の書く詩はホントに天才だとしか言いようがないのです。 昔私が持っていたはずなんだけどどこかへ行ってしまったレコードに『このレコードを盗め』というのがあります。わたしはこのレコード評を何かで読んで当時の私の少ないお小遣いをはたいて買いに行きました。当時中学生だった私にとってはLPというのは本当に高かったにもかかわらず。 たしかそのレコード評でもその詩の世界を褒めてあったやに記憶しています。 『三上工務店が歩く』という曲。 三上工務店が揺れる 三上工務店 三上工務店 国立市西2の6の15」 というようなシュールな歌詞。だいたい工務店の歌、しかも住所まで歌詞にするというのは聞いたことがない。 また、『函館に行ったことがない』という曲。 ご当地ソングは数多くあれど、行ったことがないと歌うのはこの曲くらいだろう。 などと、ことごとくその発想を褒めてありました。 また、これは伝説の名曲ですが、 『夢は夜ひらく〜あしたのジョーなんかきらいだ〜』 も収録されています。 あしたのジョーについてのセリフの部分ももちろん良いのだけど、三番の歌詞 八百屋の裏で泣いていた 子供を背負った泥棒よ キャベツ一つ盗むのに 涙はいらないぜ などもなんかよくわからん世界だけど、いいのです。 シングル発表当時近田春男がPOPEYE誌上で絶賛したという『なかなか〜なんてひどい唄なんだ』もたしか収録されていたはずです。 このレコードを失ったことは本当に大きな損失でもうとっくに廃盤になっているし、とずっと悲しんでいたのですが、なんと1999年にCDで出たということを本日知りました。これは日本に帰ったら絶対買わねばなりません。 70's New Rock series/The works by Kan Mikami ![]() Kan Mikami : Kono Record wo Nusu-me ニューロックの夜明け 三上寛の仕事 三上寛 / このレコードを盗め PCD-1491 [CD] \2,800 J-Pop/Rock (Toshiba) 3月1日 2月28日付けの『新民晩報』を読んでいたら、「上海人は規律を守るようになった。」と出ていました。なんのこっちゃと思って読むと、なんと昨年九月と比べると市の中心部で歩行者や自転車の交通違反がそれぞれ46%と60.5%減少したんですって。数字がずいぶん細かいけどどういう調査方法なんでしょうね。 実は上海市内では昨年の九月十九日から歩行者と自転車にも交通違反の取り締まりが始まり、つまり罰金を徴収するようになったのです。実績は十月十一日から今年の一月末までの三ヶ月半の間で延べ1300万件発生、のべ550万件が罰金となったようです。 つまり計算上では上海市民全員が一度つかまってそのうち半分近くが罰金を払ったことになります。 まあ記事としては交通警察の努力で上海市民の交通ルールに対する意識が向上した。と、結んであるわけですが、要するに上海市民全員が一度つかまって痛い目にあって、とりあえず懲りたということでしょう。罰金をやめたらまた戻ることと思いますよ。 もう一つよくわからんのが、29日付け『新聞晩報』の一面の記事。 「デパートのトイレを対外開放」って、要するに南京路が現在一部歩行者天国になっていますが、そこにあるデパートがトイレを消費者に『免費(タダ)』で使わせることになったそうです。現在25のデパートというか商店が『対外開放』実施しているそう。 昔はそういえば目抜き通りの南京路でもトイレに困ったもので、それから思うと気軽に入れるトイレが増えてしかもタダなんていうのは格段の進歩だとは思うけど、これが一面を飾るニュースなの? と思うわけです、はい。 2月29日 私は中年の日本人男性からすると非常に印象が薄いようです。日本人女性一般からもそうみたいなのですが、なぜか中国人女性からは、良い・悪いは別にしてわりに印象に残るようです。といっても、別にそれで得したことはありません。むしろ、一度だけお会いして全く話しもしていなかった方に二度目にお会いしたとき「先週の金曜日の午後八時ごろ○○路にいましたね。タクシーの中から見かけました。」などと言われたことがあって、上海では悪いことはできないなあ、などと思ってしまったことがあります。 で、中年の日本人男性ですが顔を覚えていただけないことが多いのです。同じ人に四度お会いして三度「初めまして。」と名刺をいただいたことがあります。(あとの一度は知らんぷりされました。) まあ中年の日本人男性にとって私の顔が興味の対象にならない類のものだと言うことなのでしょうし、別に好かれても嫌われても困るので特に気にしていませんでした。仕事上で印象づけたい場合は話の内容等なにか別のモノで印象づければ良いわけですから、と思っていました。 ところが最近「ひょっとして、私はネット上でも印象が薄いの?」と思う出来事がありました。同じ方から同じ様なメールを二通(数ヶ月間があいたのではありますが)いただいたのです。内容は「HPを拝見しました。」というようなものだったのですが、どちらも初めまして、という内容だったのです。ページをもう少しインパクトのあるモノにしなければいけないと、心に誓うのでありました。 しかしHNについてですが、先日あるお方から『踏台』という字には威圧感があるという旨のことを言われて驚きました。そうですか? 威圧感ねぇ。考えてもみませんでした。指圧じゃないですよねぇ。『踏』の字にあるのでしょうかね。『踏台』の由来は、「みなさまが何か障碍にブチあたったとき私が跪きますので、どうぞ私を踏み越えて行って下さい。私は喜んでみなさまの踏台になります。」という献身的な意味から来ているのに(大嘘!)威圧感を与えているとは知りませんでした。 2月22日 『美麗新世界』 これは伍佰という台湾のシンガーの歌のタイトルです。そして上海を舞台にした映画(同じく伍佰が出演している)のタイトルでもあります。意味は文字通り『美しい新世界』です。 『美しい新世界』と聞いて普通の日本人はどういうイメージを持つのでしょうか? 「21世紀の世界。希望に満ちあふれた新天地」なんてイメージを持つのでしょうか? そもそも新世界とは何を指すのでしょう? 字の通りなら新しい世界です。辞書で調べると「新しく活動する場所。新天地。」とあります。しかし、新しい世界だとするとここで言う『世界』とは世界各国というときの『世界』、つまり「地球上の全ての地域・国々」なのか、「世間、世の中」なのか。 なにが言いたいかというと、私にとっては『新世界』という言葉のイメージはつまり『通天閣』であり、『ビリケンさん』であり、『ホルモン焼き』であり、『じゃりんこチエ』のあの界隈なのです。 どうも『美しい』と『新世界』が結びつきません。ごめんなさい。決してあの辺りがきたないと言っているわけではないのです。でも、たぶん少なくとも大阪の人間は『新世界』と聞くと思い浮かべるイメージは同じだろうと思います。 したがって音楽の時間に先生が、「きょうは『新世界』を聴きます。」などと言うと、「え〜! 新世界?」と叫びながら絶対に私と同じあの大阪の『新世界』を思い浮かべているのです。 いえ、別に私はあの界隈を悪く言うつもりは毛頭ありません。というより、むしろあの辺りは好きな方です。『やんちゃくれ』で将棋センターになっていた地下の演芸場には『憂歌団と叶麗子』のジョイントのライブを見に行ったこともあるし、あのへんで昼間からホルモン喰ってコップ酒というのもけっこう好きです(って、飲めないけど雰囲気ね。)。 でもあの辺りに『美麗』という形容詞をつけるのにはなんとなく抵抗があるのです。だから、上海のど真ん中にある百貨店『新世界百貨』を初めて見たときも「なんちゅうネーミングや!」と思いました。 この『新世界』イーコール『大阪の新世界』という感覚は大阪(関西)のヒトだけのものでしょうから、それ以外の地域の方は『新世界』という語にどういうイメージを持っているのでしょうね? 2月13日 その他思い出したことを書いてみます。 なんかパタヤでやたらと目に付いたのは白人男性(年輩のそう、定年後くらいの)とタイ人女性のカップル。これが手をつないで仲睦まじそうに歩いているわけですが、白人男性の五分の一くらいはこの手のカップルなのです(ちょっとおおげさかな?)。 あと多いのがオープンエアのバーですが、タイ人のお姉ちゃんが一杯いて客待ちしているのです。別にイイのですが、もう少しこうなんていうかエリアを普通の家族連れの観光客が通るところと分けて欲しいものです。 あと、11日にバンコクに戻ってきたら、ホテルに警官が詰めていました。何かアメリカ人を攻撃目標にしたテロの情報があったとかで、主要ホテルを警備しているとのことでした。2階エレベーター横にイスと机を置いて警備本部みたいなのを設けていたのですが雰囲気は非常に楽しそうで和気藹々としているのです。全く緊張感がなくて、知らずに見ると「警察のパーテイがあってその受付かな?」と思うくらいです。こういうのはお国柄かなぁと思いますが、結構好きです。 タイで思い出しましたが、八年くらい前タイ人から聞いた洒落。 「タイでは車はヒトを避けません。向かってきます。これを体当たりと言います。」 それを聞いていたタイに詳しい日本人が言いました。 「タイでは交通違反の罰金が全て10バーツなんです。天罰...。なんちゃって。」 (決して私が考えたのではありません。)
これはショッピングセンターの前にあった移動エクスチェンジ。レートは一番良かった。 撮られていると勘違いしてポーズをとる日本人の子供。 *とりあえずタイの休日をアップします。また上から下へ書きます。 あと追加を2月13日に。 2月5日 夕方五時過ぎのタイ国際航空でバンコクへ。 我々は真ん中の五人掛けの席でした。私は真ん中。となりに座った若い女の子二人は中国人で合計四人で来ている模様。どういう素性か非常に気になります。中国人も東南アジアの一部の国には自由に旅行に出来るようになりまた豊かになったため旅行客も多いけど、こんな若い女の子が気軽にこれるようになっているとも思えません。 入国カード等を記入するときにいろいろ話をするようになって、 「旅行なの?」 「ツアー?」 などと訊いてみるが、個人旅行との事。 もうタイには個人で行けるようになってずいぶん経つとのこと。そうでしたっけ? パスポートをのぞき見るが江蘇省の戸籍。上海語を完璧に話すので上海も長いようだけど、どんな仕事をしているのでしょう。服装・メイク等もわりに派手ではなく水商売っぽくはありません。しかし垢抜けていて普通のOLっぽくもありません。 私の持っているガイドブックで自分たちの泊まるホテルの位置がどこか教えてくれというので観てあげたけど、それを覗くときに頬と頬がくっつくぐらい近づき、やはり中国人の距離だと実感しました。こちらが家族連れなのにぜんぜん意識しないのでしょうか? わたしはけっこうひやひやしていました。怒ってへんかなぁ? 一人は少女隊(ふ、古い!)のベリー・ショートの女の子に似ていて、もう一人は藤原紀香を縦にすこし圧縮したような感じ。でも二人ともそこそこのレベルなのです。 彼女たちのホテルは私の好きな『リージェント』でした。中国の旅行社の企画する三泊四日三千元くらいのツアーがありますが、ああいうのではなく本当に個人で行くようだけど、タイ国際航空に乗り『リージェント』に泊まって幾らくらいなんでしょう? 日本人の私としては初対面で職業まで訊けないので、結局なぞを残したままさよならしました。 2月6日 ツアーなので、今日は全体の観光でした。午前中だけは一緒に行動することにしました。宝貝はプールで泳ぎたいのに暑い中いろいろ回らなきゃいけないので非常に迷惑そうでした。私は思っていたほど暑くないので楽でしたがヒトが多いので嫌になります。それに中国語がよく聞こえてきて、しかも南方のではなく北方なまりがよく聞こえてきたのでけっこう大陸の観光客が多いのに驚いてしまいました。イヤなのではありませんが、気分が変わらないのですこし幻滅です。日本人も多いし。中国語と日本語ばかり聞こえてきます。 昼からはツアーから離れウイークエンド・マーケットに行きました。いまいち欲しいモノはみつかりませんでした。なぜでしょう。私にはどちらかというとマレーシアのほうがあっているような気がします。こっちも食事はおいしいけど。 夜はタワーレコードでCDを買いました。 サンタナの新譜(?)のポスターが貼ってあったのにモノはありませんでした。 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのCDを買おうか買うまいか三十分くらいなやんだけど結局やめました。かわりに買ったのは以下。 LOSOの新譜とベスト アッサニー・ワサンのベスト (もちろん『インディミーマイパンハー』収録) タワーレコードのチャート一位のmr.Z『RETURN to RETRO』 レジで女の子がタイ語で何か言います。どうやら福引きの箱みたいなのの中から一枚CDを引いていいよ、ということのようです。私がタイ人に見えるわけはないのですがタイのCDを買うからにはタイ語がわかるモノと思ったのでしょう。 2月7日 今日は一日自由行動。チャイナタウンに行ってみるが当然のこと正月でお休み。その後なんとかというマーケットに行こうと思いタクシーに乗るが、運転手が「そこの近くにある店に行き五分だけ見るだけでいいから、そうするとガソリンのキックバックがある。」と言います。まあ通り道だし、キックバックでガソリンを入れてもらえるというのも面白いしOKしてみました。この運転手さんは英語が少し話せるので意味が分かりましたが、昨日の運転手もガソリンがなんとかと言っていましたが英語が話せないのでなんと言っているのかわかりませんでした。こういうことだったのですね。 着いてみるとそこはテーラー。スーツに替えズボンをつけてオーダーしてホテル届けで締めて6000バーツとのこと。一万八千円。なんだかなあ、という感じ。いらないと言うと最終1000バーツにするという。三千円。洒落で作ってもいいかとも思うが時間が勿体ないような気がしてやめました。それに逆に1000バーツを最初六倍もふっかけていたのかと思うと頭にも来るし。 しかしその後目的地に行くのかと思ったら次は宝石屋で停める運転手。「もうやだ。」と言って降りず、マーケットに行かせる。けっこうヒトの良いおとなしそうなタイプに見えたのに、調子に乗るタイプだったみたいです。 ホントはトゥクトゥクに乗りたいのですが、これがけっこう難しいのです。トゥクトゥクはメーターがないので交渉するのですが、どれもタクシーよりもかなり高いのです。タクシーよりも少し低いくらいの価格を言って交渉してみますが、どれもニベもなく断ります。どうやっても価格が折り合いません。で、結局今のところ乗れていません。 宿泊しているホテル『ロイヤル・オーキッド・シェラトン』なのですが、タクシーの運転手がみんな知らないのです。ガイドブックにも良いホテル之一と書いてあるのですが、なぜかみんな知りません。昨日のタクシーはいろいろ迷ったあげく何人かのヒトに訊いてやっとたどり着けました。そして、「幾ら?」と訊くと「メーター通り払え。」というので「あほぼけかす。」と言って大体の見当より少な目に払ってあげました。けっこう厚かましいのでした。もちろん向こうが。 ホテルの良いところはフィットネスおよびプールが24時間のところです。昨日も今日も宝貝を寝かせてから、ゆっくりトレーニングに出かけました。十時過ぎからトレーニングして十二時に帰ってきてシャワーを浴びて寝る。この生活パターンはけっこう気に入りました。朝も早く起きられるし。 そうそう、ずっとネットにつながりません。メールが山のようにたまっていることでしょう。 明日はパタヤですが、あちらのホテルではつながりますように。 2月8日 朝からバスに乗りパタヤ方面へ向かいました。 途中なんとかというレクレーションセンターみたいなところで昼食を取り象のショーを観ました。別にどうということのないショーでした。 パタヤのホテルもまあまあなのですが、服務員はみんなけっこう『マイペンライ』な人達です。 ところでタイのヒトはお茶を飲まないのでしょうか? ホテルの部屋にお湯はないし、ポットもお茶っ葉もカップもありません。しょうがないのでお茶っ葉は買って、お湯を頼みました。タイへ行かれる方はお茶っ葉を持っていくことをお勧めします。 今日もなぜか晩御飯はイタメシでした。『イル・メリオ』というお店ですがけっこうお薦めです。ただ一点を除いては大満足でした。その一点とは音楽です。ビアのの弾き語りをやっているのですがなんか『ベッドで煙草を吸わないで』に似ている曲だなあと思っていたら、その次の曲が『昴』でした。それからしばらく『空港』とか、『二人でお酒を』等日本の曲ばかりでした。 パタヤのホテルのジムは朝七時から夜九時半までです。従って夜食事から帰ってきて宝貝を寝かせてトレーニングに行くと言うことが出来ません。しょうがないので朝六時半に起きて七時から三十分走るということだけにします。昼間少しだけウェイトトレーニングをします。 ネットにはここもつながりません。電話はダイヤルできて「ピー・キュルキュル・ビンビンビン...」という音は鳴るのですが、その後遮断されます。 そうそう、本日夕食後ブラブラ歩いていたら、屋外のステージでサンタナの『君に捧げるサンバ』をストラトで演奏していました。 2月9日 本日はツアーで近くのラン島に行きました。 ガイド、プラス現地のおばさんガイド二人が着いてきました。なにしに来るのかと思ったら要するにアトラクションの手配をするのです。準備している活動だけでなく潜ったり、ジェットスキーやパラセーリングをしたりしなければ彼女たちにお金は入ってきません。 我々のツアーは小さい子供連れの家族が三組(うち一組は本日欠席)と年輩の夫婦が一組なのでビーチで水遊びしていれば満足なヒトばかり。宝貝の母親はスピードの出るモノに目がないので宝貝を口説き落として一緒にジェットスキーに挑戦していました。けど、宝貝の気に召さなかったようで、終わった後ブーブー文句を言っていました。顔に水がかかったなどと。
あと宝貝は髪の毛を編んで貰いました。ジャマイカンみたい。でも少々痛かったみたいでご機嫌斜め。![]() 完成図。 2月10日 本日は一日プールおよびジムでのんびりしました。 タイ人もけっこういい加減でいやになります。中国人と同じで謝りません。『フカヒレ大王』で食事をしましたが、仕上げに麺はあるかと訊いたら「ない。」の一言。仕方がないのでチャーハンを頼んで満腹になった後しばらくして他のテーブルに焼きそばが運ばれていくのを目にしました。さっきの女の子の方を見ると、「きゃはは! きっと責められると思ったわ! あれを見て怒られるとすぐピンときたわ! ははは!」とおそらくこういう風にタイ語で喋りながら大声で笑っています。あまりに無邪気過ぎて怒りは沸いてきませんでしたが、一言謝るべきだと思います。 他のレストランでも注文したモノがなかなか来ないのでその旨を伝えると、 「オーマイガッ! 私としたことが!」 などと大げさに叫びながら、結局謝らずにもう一度オーダーを入れていました。謝れよ。 2月11日 パタヤからバンコクに戻ってきました。バンコクと言えば私が小学校くらいの時のテレビの懸賞ってバンコク行きが多かったような気がします。そのころはバンコックとよんでいたようですが。 ところで今日の夕食(またイタメシでしたが)時の話で、 「それってバンコク共通なの?」 と訊かれましたが、『Bankok』なのか『万国』なのか一瞬わかりませんでした。 タイは結局私にとってはマレーシアほど好きな国にはなりませんでした。といっても家族でゆっくりしに来るという目的のためにはですが。例えば一人で刺激を求めてきたりすればけっこう面白いかもしれません(変な意味も含めて?)。外国人に対して『ケツの毛までむしったろか政策』も中国並に普及しているし。マレーシアほどヒトが優しくもないし、無防備で緊張感なしに過ごすことはできないと思います。買い物も値切るのが好きなヒトなら面白いかも知れませんが、私には少しうんざりしてきます。最初の言い値の五〜六分の一にまで下がるのはある意味面白いですが、逆に考えるとそこまでふっかけてくるのには腹立たしくもなります。 以前マレーシアで値切ったとき悲しそうな顔をして奥から乳飲み子を抱きかかえた奥さんを引っ張ってきて「これだけ養わなければならないんだ。」と情けなそうな顔をしてみせたあのオヤジの方がけっこう好きです。騙されているのはわかっているけどこういうのなら騙されてもいいと思ってしまいます。 タイのように半分くらいまで値切って、ホントに悔しそうに「持ってけ泥棒!」などと言いながら「ホントはまだまだ儲けがあるんだよ!」と心の中で舌を出しているようなのは好かんのです。 2月2日 鼻血の話は冗談ではなくて本当に驚いたのです。まず一昨日のお昼どきに寒い中を十分ほど歩き食堂に入ったとたん、ツーっと出てきて長い時間止まりませんでした。 その後銀行に行って窓口の女性のあまりの理不尽さに頭に来て声を荒らげたとたんに、またツーっと鼻血が出てきてあわてて車に戻り、あまりにおかしいので病院に行くことにしました。こういうときは病院に着くまでいろいろ考えてしまいます。「ひょっとして何か病気?」なんて。 久しぶりに行くと中国人の若い男性の医者が白人のおばあちゃんの先生に代わっていました。 着くまでいろいろ考えたせいでけっこう深刻な顔していたと思いますが白人の先生は至って気楽になんでもないと言います。まるで鼻血くらいで病院に来た私を笑うかのようにこの寒さと乾燥が原因と笑います。 なんでもないっと言ったって今までこんな事はなかったのです。ラグビーしていたときも顔を打って鼻血くらい日常茶飯事だったけどすぐ止まりました。それになんでもないときに出ることもありません。寒さと乾燥ねぇ。 それでワセリンをもらって帰ったのですが、家に帰ってもまた出ました。しばらくして止まった後、そうそう、とワセリンを塗ったらなんか本格的に止まったみたいです。 次の日もまめにワセリンを塗っていたら全然大丈夫でした。ラグビーをしていた頃試合中に眉間とか額とかを切って出血してワセリンを擦り込んで応急手当をしてもそんなに効いたような記憶はなかったのですがなかなか大したもんじゃわい、と感心していました。 ところが夕方またもや、でした。 昨日はある女の子と一年振りで会って食事をする約束をしました。 夕方某日系のデパートで待ち合わせました。ところが車から降りると鼻に嫌な感触。フンフンっと啜ると口の中にFeのフレーバーが。そうです、また来ました。 しょうがないので二階のトイレに駆け込んで個室で鼻をつまんで上向いて待つこと十数分、まだ止まらないうちに携帯が鳴り出しました。あわてて個室から出て鼻をつまみながら上を向いて電話に出ました。 「ごめん。私にあと十分間時間を下さい。」 このセリフを個室で言ったとしたら周りの人は私がお腹を壊していると思ったに違いありません。 電話の主はなにかよくわからないけど、こういわれたら「ダメ。」とは言えないだろうし快く了承してくれました。 そしたら私の異常にに気づいた掃除のおばちゃんがなぜかとても優しくてトイレに椅子を運び座らせてくれました。そして「鼻血ならタオルで冷やさなきゃいけない。」と言います。なぜか中国のヒトは鼻血のときは額にタオルを当てて冷やすというルールがあるようで昨日の食堂のおっちゃんもそうしてくれました。 ところがトイレの中はとても寒いのです。タオルを取ってきたおばちゃんもそれに気がついたようです。そこで方針を転換してお湯ですすいで蒸しタオルのようにして私の頭に載せてくれました。冷やすためのタオルを暖めたのです。この時点でこの行為自体がなんの意味も持たなくなっていることに私もおそらくおばちゃんも気がついているはずですが勢いでどちらもそれをやめること、拒否することが出来なくなっていました。しかもタオルは見かけ上(だけだといいけど)とても汚くて、「まさかああいうところを拭いたりなんかしていないよね?」と思うほどでした。 まあしばらくして、ようやく血は止まりました。そして一階に降りて彼女に会い、食事に行きました。食事中は鼻血も出ずに極めて和やかに時は過ぎ、久しぶりに歌いに行こうということになり店を出ました。「中カラ仲間よ! 抜け駆けごめん。銭櫃に行くぜ!」と思いながら二、三歩歩くと、そのときまたあの感触とFeのフレーバーが...。 ポケットからティッシュを出して鼻を押さえながら 「ごめん。帰るわ。」 と言いタクシーを停めてバイバイしました。 ああ、久しぶりに会ったというのになんたる醜態。ごめんね、○○○ちゃん。 家に着いてもまだ止まっていなくて流血しながら倒れ込む私を見てもなぜか宝貝は非常に冷静でした。 「先に寝るね。その様子じゃチューはむりだね。おやすみなさい。」 と、言って寝てしまいました。なんなんでしょうね。あの冷静さは。 で、やはり心配になってきました。なんでもないと医者は言いますがひょっとして、血が固まらない病気とか、深刻な何かではないだろうか? と考えてしまいます。 あまりに心配なので契約している医療機関の電話相談サービスを初めて試してみました。しかし、医者はやっぱりなんともないと言います。「でもなんか血液関係の病気では?」と訊くと、それなら鼻だけでなく他の血管にも症状が現れるはずで鬱血とかそういうのがなければ大丈夫といいます。 なるほどその通りです。医者は終始「あほらし。」という感じで応対してくれますが本人は深刻なのです。もう少しなんか対応してくれても、と思いながらもホッとしました。 本日は外に出る前、外から室内に入る前に鼻の血管に急激な温度変化がないようにハンカチで覆ったりしながら、気をつけていたので一度も出血しませんでした。もう治ったみたいです。よかった、よかった。 1月18日 七、八年前外国人とよく接する業務だったとき、よく感じていました。外国人とくにアジア系にとって日本という国は住みにくいところだと。その後も知り合いのマレーシア人が留学のために突然大阪にやってきて住むところを探させられたときにもそういうことを痛感したけど、現在東京という街はけっこう日常に外国人が溢れているし以前よりは良くなっているのかな、と楽観的に考えていた私は今回自分の甘さを嫌というほど感じることになりました。 部屋探しの難しさは以前と同様でしたし、その他にもいろいろいやな目に。 たとえば、携帯電話を売っているお店に行って、 「すみません。外国人が携帯を買うためにはどういうモノが必要ですか?」 と、私より十歳ほど若そうなアルバイト学生らしき青年に尋ねました。 「え? なにぃ、外国人のぉ? 外国人登録証とぉパスポートぉ。それにぃ現住所を証明出来るものぉ。それだけ揃えてくれるぅ。」 若者よ! 客でありかつ目上の者に対してその口の利きかたは何だ? 私が連れと中国語で話しながら店に入ってきたから中国人だと思っているの? 中国人にならそういう態度をとるのか? さらに私が、 「携帯電話はかかってきても電話代がかかるんですよね?」 と、訊くと、 「へ? なにそれ? そりゃ、お〜おむかしの携帯! いるわけないじゃん!」 だと。 大昔に携帯があったんか? 携帯の化石でも発掘されてんのんか? バカモン!! 中国じゃかかってきた電話の通話料もかかるんじゃ! わしゃ日本の携帯は持ったことないからしらんのじゃい! 1月15日 東京に着いたとたんに頭に来ることがありました。 NWが成田に到着して飛行機から降り歩いてターミナルビルに入った瞬間乗る前に二言三言ことばを交わしたたおばあちゃんが自分のチケットを空港係員に見せてどこへ行ったら良いか訊いていました。このおばあちゃんは一人でNWを乗り継いでデトロイトに住む家族に会いに行くらしい。蘇州なまりの強い中国語しか話せないのにあの年齢でよく一人で、と感心しました。 で、その日本人の係員は45のゲートの方向を指さして英語で「45」と言いました。 私が日本語で、 「45番ゲートに行けば良いのですね。」 と訊くと、 「そうです。」 と答えました。 それでおばちゃんを45ゲートの前まで引っ張って行って、 「ここから入って待っていたらいいからね。」 と行ってそこで別れました。 我々はそのまま前方へずっと歩いていって、トイレを済ませてまた歩いていくと、乗り継ぎ客がもう一度セキュリティチェックをして入っていくゲートを発見しました。 「しまった!」 私はあわてて45番ゲートへ駆け戻りました。 そして、そのゲートから中へ入ろうとすると先ほどはいなかったガードマンが無言で私の前に両手を広げて立ちはだかりました。 「不能進去[口馬]?」 と、言ってから、あ、日本語でいいんだと気づき、 「ここは入っちゃいけないんですか?」 と、尋ねると、ガードマンは相変わらず無言でとおせんぼしています。 「あのう、ここは入れないのですか? 実は先ほどおばあさんがひとりここから乗り継ぎのために入って行ったのですが、正規のゲートから入っていないことになるので探しに行こうと思うのです。その方は中国語しか話せないので。」 とガードマンに言いました。それでも無視するガードマン。 「私の日本語解りませんか?」 と、わざと訊いてみました。するとやっと一言、 「通れません。」 とだけ言います。 頭に来ました。私が始め中国語で話しかけたので、私のことを中国人だと思ったのでしょう。私は彼に罵声を少々浴びせかけながら中にあのおばあちゃんの姿を探しましたが見つかりません。まあ中には入れているのだから問題はないと思います。それにあのおばあちゃんは上海の空港でも何度も「搭乗口はここで良いのかと。」私を含め何人ものヒトに確認していたので中でもいろいろ確認しているだろうから大丈夫だとは思いますが、それでも少し心配。それにかなり気分が悪い。あのガードマンももちろんだけど、空港の係員も「45番ゲート。」とだけ言うのではなく「ずっとまっすぐ行ってもう一度折り返して乗り継ぎ用のゲートから入り直して下さい。」とくらいのことは言うべきです。どうしてこんなふうなのでしょう。 1月4日 今日は『相約2000』という映画を観てきました。 林家木久蔵...もとい、陳小春の出ている映画で、そうそう、チャンネル[V]でおなじみの[木何]蘭も出ていました。またまた上海ロケでした。しかし映画で観ると上海はなんて綺麗な街なんでしょう。 ところで、客のマナーですが、赤ん坊は泣いているし、真後ろの席では携帯が鳴ってどうするかなと思っていたらそのまま席でずっと話していて私がわざとらしく振り返ってみてもやめないし、最悪でした。 その映画でも2000年に新世紀を迎えていました。2001年にはどうするのでしょうかね? ね、野呂さん。 中国における世紀認識の誤解は私の聞いたところに拠ると、2000年のオリンピック誘致問題に端を発するようです。当時93年くらいでしょうか、政府が誤って『21世紀初のオリンピックを北京に』というスローガンを挙げてしまったため後で誤りに気づいても訂正できなくなり、以降は伝家の宝刀『開き直りの術』で、1990年代は1990年から1999年までで、年代×10が世紀であるからして世紀も0年から99年までである。よって2000年から21世紀が始まる、と、無理な解釈を始めたようです。ということで、一般市民にとってはずっと『2000年から21世紀』ということが常識でした。私はあらゆる機会をつかまえて「中国以外の国では『21世紀は2001年から』はじまるようですよ。」てなことを言っていたため、上海で「踏台は嘘つきだ。」という風評がたってしまいました。 ところが昨年半ばくらいから世界の常識がなんとなく中国に伝わってきて、「どうやら21世紀の到来が一年遅れるらしい。」と上海でも噂されるようになっていたような気がしたのですが、どうやら気のせいのようでやはり大中国には早めに21世紀が来てしまったようです。 12月31日 北京から上海に帰ってきました。二時過ぎに首都国際空港に着いて表示をみると我々の乗る飛 行機がありません。何度見てもないので切符売り場に訊きに行くと、その便は取り消しになった との事です。早めに空港に着いて良かったです。上海航空公司の飛行機に変更してなんとか帰る ことができました。やれやれでした。 12月30日 今日は北京動物園に親愛的宝貝と行ってきました。本当は八達嶺に行く予定だったのですが、ひとりが熱を出してホテルで寝ているので仕方がありません。 さすがは首都の動物園です。パンダが沢山いるのです。私が確認しただけで七頭いました。こんなにまとまった数のパンダを見たのはもちろん初めてでした。思い起こせば私がパンダを初めて見たのは1980年の正月、中学ラグビーの全国大会で秩父宮で試合をしたときのことです。あのときは二匹のパンダを見るために長時間列んでしかも見たのは一瞬だけという有様でした。 しかし、北京の動物園は冬に来るモノではありません。なぜかというと、象などの暑い地域の動物は北京の寒さに耐えられないため部屋の中にいます。そしてムッとするくらい暖房が効いているので臭いのです。臭くてとても息が出来ません。一番臭かったのは貘の檻でした。 12月29日 朝起きて食堂に行くともう中餐の朝食が終わっていました。なんと九時までだそうです。 やはり北方の朝は早いのでしょうか。南方系の私はゆっくり起きてきて飲茶でもと思ったのに 予定が狂いました。というわけでマクドナルドで朝食となりました。ハンバーガーをパクついて いると、店の女の子がこう訊いてきました。 「北京テレビが定期券についてインタビューしたいと言っていますが、よろしいでしょうか?」 「え? 定期券って、マクドナルドに定期券ができるの?」 「あなたは北京人じゃありませんか?」 「旅行で北京に来ているだけです。」 こう答えると、こちらが旅行者とわかってあきらめたようです。 あとで店にあった張り紙を見ると、来年から北京のバスの定期券の料金がだいたい二倍に値上げす るようでそれについてのインタビューだったようです。適当に答えておけばテレビにでれたかも 知れません。 「あはは、やっぱり北京の人に見えたんや。」 と、となりでは笑っています。宝貝は、 「え? 踏台は 北京人だったの?」 と言っています。彼女はずっと私のことを台湾人だと思っているのです。 その後いわ園(漢字忘れた。)に行きました。切符売り場は上海以上の無秩序さです。私が買おうとしたときに横から おっさんが手を横から手を窓口に差し入れてきたので、その手を払って私が買ったあとさらに私の後に横入 りしようとするので、「後ろに列びなさい。」と言うと、なんとそのおっさん、「俺は列びたくないん だよ。」と言うのです。呆れてしまいました。 |
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