WOODSTOCK'99 Report 1


TOP Woodstockが5年に一度の開催でホントによかった。

あんなの毎年やっていたら、 欧米文化感化圏は崩壊してしまう。 「Woodstockを日本でやりたい」 なんて言っちゃえるGR*Yなんかはさすが大物だな〜。 でもラジオ体操風夏祭と一緒にされては辛いんだけど。 草食って育った我々にはあんなマネできません。 そう、肉食人種の祭典なのです。

ともあれ、Love&Peaceに燃え尽きたオリジナルの30周年記念として Woodstock'99が開催されるというではありませんか。 「いかねば!行かねば!イかねば!」と 謎の使命感に燃えたぎり、 「90年代の終焉を見届けようじゃぁないの」 と、思ったのでした。 『NY周辺、近年まれに見る猛暑のせいで、 バタバタと人が死んでいる』と、いうニュースにも、 「雨じゃなきゃいいよー!」なんてへらず口をたたいてしまった、 さすがは嵐のフジロック'97生存者。

しかし、立ちはだかる問題は気候のまえに金だった。 当時のお小遣い帳をみてみると、行こうと決めた6月25日に所持金は たった¥2261。 とりあえず金目の物を売りに出し、 たばこはチェリー(まずい!)を3日で1箱。 外食なんてもちろん禁止。 お陰で禁酒と減煙、ダイエットを強いられ、 健康的な生活を余儀なくされたのでした。 そんな涙ぐましくもヘルシーな努力が実り、 7月12日には¥197792に! でも道連れのよっつんなんかまだカードの支払いが残ってるんだけど。 (12月現在)

「成田から飛行機でNYに行って、 NYから国内線でシラキュースってとこまで行って、車で1時間くらい。 全部で20万あれば大丈夫」というフレーズと、 Woodstockの オフィシャルHP を頼りに手配し始めた。 航空券はナリタ→NYは比較的空きがあるものの、 NY→シラキュースの国内線の手配が困難なためキャンセル待ちとなる。 出発10日前にようやく国内線が決まり、 ホテルは到着した日の1泊と帰国までの2泊のみ手配。 ホテルに至っては4日前の予約。 今考えるとよく無事にたどり着いたと思う。 HIS No1トラベル池袋店のケンモチさん、あなたのお陰です。

開催2日前の21日、おぼつかぬ足取りのヘッピリ腰バックパッカーズは、 持病の腰痛を気にかけながら猛暑のNYへと旅立った。 成田からNYまで12時間の空の旅。 満席のエコノミーはさすがにこたえる。しかも当然禁煙。 日本人向け番組として用意されていたのは「風雲!たけし城」。 不景気の今では考えられないこのバブリーな番組を、 しみじみと2回も観たことを黙っていれる僕ではない。 21日18:00に成田を出発した 我々が、12時間のフライトを終えてニューアークに到着したのは 21日17:50頃であったのだから、時差というものもなかなかつらい。

ニューアーク空港から国内線で西へ1時間半、 シラキュース空港へ降り立ったときには、すでに夜の9時半をまわっていた。 シラキュースは会場にもっとも近い空港なのだが、 会場へのシャトルバスが出ていないせいか意外と静かなものである。 ホテルへ向かって夜のフリーウェイを爆走する タクシーの中から見える景色は、オレンジ色がモヤモヤと漂う やたら隙間の広い街並み。 一向に湧いてこない実感に苛立ちを覚えるほど なんだかぼんやりしていて、漠然とした景色だった。

翌22日チェックアウト。 「あたしも休暇をとって行くのよ」とホテルの受付嬢も嬉しそう。 外は痛いほどの日差し。 空港からレンタカーを手配している知人と落ち合いうまでの時間、 観光をかねて買い物をする。 まず我々が手に入れなくてはならないものはチケット。 ホテルのフロントで聞いても、 CD屋のにーちゃんに聞いても、近くでは売っていないという。 たまたまフラッと入った、どこか駄菓子屋的な雑貨屋 のおばちゃんにすがりつくと、 手当たりしだい電話で問い合わせてくれ、 紙の端切れに最寄りのTicket Master (日本でのチケットぴあみたいなもの) の電話番号から行き方まで丁寧に書いてくれたのだ。 アメリカに上陸して初めて受けた親切に心をうたれた僕は、 ジーン・シモンズとピーター・クリスのワッペンを購入、 無事生還した暁にはエースとポールを迎えに行こうと 心に固く誓ったのだった。

そんな感謝、感激、感動も束の間。 Will Call Ticket (海外の人がインターネットでチケットを手配し、 現地で受け取る方法) の引き換え場所となっているホテルで図らずもチケットを入手。 現地紙夕刊の1面は、 21日から22日朝にかけての会場周辺に起こった 渋滞や混乱が報じられているものの 、付近の店の商品が買い尽くされたとか、そんな程度である。 会場に向かう道のりでは頻繁にペイントされた車に出くわし、 思わず盛り上がってしまう我々日本人御一行なのでした。

会場が近づくにつれ、民家の壁やガレージなど、いたるところに "WELCOME WOODSTOCK"とペイントされ、渋滞が珍しいのか、 はてまたイカレた連中を観るのが楽しいのか、 地元の人々は渋滞をつまみに歩道でパーティー状態だ。 渋滞はつまみだけでなく商売人の格好の的にもなり、 車の間をぬって自作のTシャツやミネラルウォーター、 余りチケットを売り歩く。

hempking burgerking GriffissPark powerforpeace

entrance 要所要所の交通整理のお陰もあって、 なんとか会場であるGriffis Parkに到着。 と言っても敷地内に入ってから駐車スペースにたどり着くまでは、 またしばらく行かねばならぬ。 夕暮れの広大な草原に囲まれた、 かつての滑走路を延々歩いて入場ゲートへ。 簡単なチェックの後リストバンドをつけてもらう。 バックパックにきっちり詰め込んだ我々とは対照的に、 アメリカの人々はズルズルとバッグやシュラフを引きずり歩いていく。 寝袋ぐらい畳めよな〜。 見える限り延々続く滑走路を挟んで無数のテントが張られ、 ボコボコと隆起した暗闇の中を人々が蠢くのがわかる。 はるか彼方から迫ってくる犬の遠ぼえの如き雄叫びは、 やがて会場全体の夜空を覆い、 互いを祝福すると同時に アドレナリンの捌け口として機能する。 僕は叫ぶ。 奥底に凝り固めていた野生が反応する。 体内で沸騰するアドレナリンが黙ってはいられないのだ。

ステージは"EAST"、"WEST"、"ELEMENT"の3つに別れ、 "EAST"から"WEST"まで軽く30分は要する。 EASTとWESTの中間に作られたELEMENTは戦闘機の格納庫を利用した物で、 この日の夜からバンドが演奏を始めている。

腹ごしらえのため、数え切れないほど立ち並ぶ食い物屋のいくつかを視察。 ホットドッグは$3、ピザは1枚$10、チャイニーズフードは$8、 フレンチフライは$4。飲み物もこれまた法外。 ミネラルウォーターが500mlPETでなんと$4。 コーラもスプライトも$4。 しっかりATMまで用意してやがる。 MASTERもAMEXもVISAもなんでも使えちゃうぅ! まさにWOOD$TOCKである。 ワイト島の時代から何も変わっちゃいないのだ。 唯一変わったことと言えば、オーディエンスは金を手に入れ、 主催者側はそれを知っていると言うことだけだ。

ゆっくり一通り見てまわると、 黄色や青のフリスビーを山ほど抱えた人たちが向かってくる。 人々をたどって行くと、そこには眼を疑うような風景があった。 空に何百という無数のフリスビーが飛び交っているのだ。 地面には無残に踏み潰されたフリスビーが散らかり、 人々はフリスビーやダンボールで身を守り、 飽きることなくフリスビーをあてもなく空へ放つ。 それも夜中の2時頃である。 この国の人は"Love & Peace"なんて言いながら、 ホントは戦争好きなんじゃないかと疑ってしまう。 湾岸戦争を彷彿させるキチガイ沙汰に、 顔部分をスッポリくりぬいたダンボールを装着しての参戦が好評を博し、 前後左右からの集中砲火及びパンチを浴び失神寸前の頃、 よっつんは眉間に直接弾をくらい、僕を激しく動揺させたのでした。 その晩、我々は山ほどのフリスビーを枕元に、 更によっつんはアイスノンをおでこに寝袋に潜り込んだのであります。
GoodNight
(つづく)



TEXT by TOC
Photo by TOC & Yoshimi
thank you muchly to:
Takashi Nemoto,Takako Sakagami,Yukiko Kato,Nami-yan & you!
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