鼻唄で歩く 鼻唄ウォーキングというのがあるそうだ。散歩は大好きだが、鼻唄は知らなかった。うん、これはいいかも知れない。歩き出すときは歩調が定まらない。とくにこのごろの寒い朝などは身体が固くてぎこちない。よーし、早速ためしてみよう。小学唱歌に演歌、ポップス。いろいろの鼻唄を試してみた。テンポとリズムが肝心だね。やがて、これぞピッタリという鼻唄が浮かんだから不思議である。まず鼻唄が出てきて、あとから歌詞を思い出した。 「富士の高嶺に降る雪も〜、京都先斗町に降る雪も〜、タララララララ、ラララ〜ララ、とけて流れりゃ皆同じ」(間奏)「スッチャンタラララッタ、スッチャンタラララッタ」この唄をご存知の方は、人間を長くやってらっしゃる方である。家に帰ってすぐネットで調べてみた。 「お座敷小唄」。昭和39年、東京オリンピックの年、松尾和子とマヒナスターズが歌ってヒットした。歌詞はなんと六番まであるんですねえ!しかし作詞者は不明という。先斗町あたりで歌い継がれてきたものだろうか。歌詞をコピーしてすぐに六番まで憶えた。 富士の高嶺に 降る雪も 京都先斗町に 降る雪も 雪に変わりは ないじゃなし とけて流れりゃ 皆同じ 好きで好きで 大好きで 死ぬ程好きな お方でも 妻と言う字にゃ 勝てやせぬ 泣いて別れた 河原町 これはいい。お茶屋でモテモテの旦那みたいな気がしてくるから、足はますます軽くなる。「好きで好きで大好きで〜、死ぬほど好きなお方でも〜、タララララララ、ラララ〜ララ」まことに乗りがいい。散歩が一層楽しくなった。「・・・・・お金も着物もいらないわ〜、貴方ひとりが欲しいのよ〜」 2005年2月
|
定食屋の恐怖 先日駅前の大戸屋に行った。ここは表に大きな写真つきメニューがある。定番の定食である。客はここで見当をつけて入る。食券売場がある。ここにも写真メニューがある。ほかに卓上カレンダーみたいな立看板が数個、カウンターに置いてある。これは季節の定食だ。 数人の先客が並んでいた。ぼくの前はおばさん三人組である。いやな予感がした。おばさんたちは片時もじっとしていない。「ねえ、どれにするう?」「これなんかいいんじゃない?」季節メニューの看板をひとつひとつ持ち上げる。三人がみんなこれをやる。八百屋でトマトやキュウリを品定めするあんばいだ。 予感は恐怖に変わった。「ねえ、あれとちがうじゃない?」と叫び、一人がドアを出て表のメニューを見に走る。いよいよ三人組の番になった。また写真を食い入るように見る。三人の絶えまない目移りたるや、サーチライトの交錯を思わせる。やっと決まったかと思ったら、こんどは食べてる客の皿に目をつけた。「あれおいしそう!」店員に訊く「あれなに?」「ランチです」また写真を見る。「ちがうわよ、ほら」おばさんは食べてるおじさんに突撃する。訊ねて戻る。「ランチだって」・・・とたんに興味をなくした様子だ。 「ああ、どうしよう!」どうにでもしてよ、もう!天を仰いだぼくに一人が振り向いた。「あのー、お先にどうぞ」ぼくの精神状態はやっと正常に復した。そして思った。ちゃんとゆずるなんて、おばさんも可愛いとこあるじゃん! 2004年12月
|
おなじみの大道芸人 わが町のタイムズ・スクウェアは伊勢丹まえの並木道である。神社の門前でもあり、いつも人々が群がっている。その一等地に大道芸が定着したようだ。ひとつは人形みたいな芸だ。何と言うのかと思ったら、あれもパントマイムの一種らしいね。マネキン(ロボット)という。じっと動かない芸をマネキンと呼び、機械仕掛けのように動く芸をロボットというらしい。そういえば外国の町ではよく見かけるね。パリのルーブル宮殿の中庭には(ゴールドフィンガー)みたいな全身金キラキンのマネキンが立っている。カメラを向けたら愛想よくポーズしてくれた。
さてわが町のマネキン君は「あぼちゃん」という名前だ。マラカスが置いてあって「シャカシャカしてください」と書いてある。子供達が喜んでシャカシャカやると、あぼちゃんはリズムに乗ってロボットする。(しゃべらない)(動かない)あるいは(ぎこちなく動く)という厳格な制約のなかで、幼児とコミュニケーションしている。それが面白い。動作のすごさがわかる。言葉より先なんだねえ。幼児がキャッキャとはしゃぐので親たちもつられて笑っている。
もうひとつの大道芸は「フォルクローレ」という南米アンデス地方の民族音楽である。インカ帝国時代から受け継がれているらしい。このグループは去年の春ころからわが町に姿を現した。はじめは日本人らしき一人を加えて三人だったが、いまはいかにも原住民インディオという風貌の二人組である。「チャランゴ」という小型ギターと「ケーナ」という縦笛の音色にヴォーカルがからむ。哀愁をおびて澄んだ音色が素晴らしい。今日はなんと「コーヒールンバ」を演奏してくれた。「みんな陽気に飲んで踊ろう、愛のコーヒー・ルンバ」ぼくの好きな西田佐知子のヒット曲(昭和36年)である。実に乗りのいい演奏に思わず聞き惚れてしまった。最近ホームページを見つけて驚いた。この楽団MARKAMASISは東京都認定の大道芸人だったんだ。「ヘブンアーティスト」といって、東京都が選定したアーティストにライセンスを発行するらしい。公園や地下鉄の駅など、公共施設の一部を活動の場にすることができる。 「街のなかにある劇場」として都民が気軽に芸術に親しむねらいのようだ。たぶん石原都知事がはじめたんだろうが、これはいいことだ。この二人は(Manuel Nina)と(Avelino Percca)という。「コンドルは飛んで行く」の演奏は日本人にもすぐわかる。サイモン&ガーファンクルで有名になった曲である。縦笛の澄んだ音色が美しい。 2004年3月
|
デジカメにはまった
デジカメにハマってしまった。KONICA MINOLTA DiMAGE X20という超小型の200万画素カメラを買った。K'Sデンキでとにかく安いやつが欲しいといって相談したら、店員がこれを勧めてくれた。毎日持ち歩いていろんなものを撮り、すぐパソコンに取り込み、加工してホームページに載せている。デジカメの楽しさを発見した。これは従来のフィルムカメラとは全然「別もの」だね。ぼくはかなり前から趣味で伝統的カメラをいじってきた。CANONの全自動カメラとNIKONの全手動カメラ(25年前の中古)を目的に応じて使い分けて、おもにスナップ写真を撮ってきた。ホームページを作ったときは撮り貯めた写真をスキャナにかけてデジタル化した。
デジカメの楽しさはパソコンと一体化することで生まれるんだね。なんといっても速効性がいい!撮影したらUSBケーブルで即パソコンに取り込める。Viewerソフトでアルバムのように一覧できる。いらないものはすぐ消せる。すぐに加工できる。コピーしたり、部分を切り取ったり、回転したり、画像サイズを縮小したり。付属のDiMAGE Viewerというソフトなかなかいい。PhotoShopなんて高いソフトを持ってないぼくには有り難い。そしてメールで送ったりホームページに掲載したりできる。撮ってから10分もあればできる。この面白さはフィルムカメラの世界とはまったく違うものだ。プリント写真はどっちかというと「作品」として、構図とか色とかを批評したものだが、デジカメの写真は動き回る「情報」だね。人に伝えないと意味がない。デジカメ選択のポイントをお話します。初心者だけど経験が新鮮だからね。まず小さいこと。デジカメはいつも持ってなければ情報はつかまえられない。すぐ撮れること。グズグズしてたら間に合わない。接写できること。デジカメの対象は近いモノ、ヒトだ。遠い風景じゃない。ぼくのは10cmまで接写できるのがうれしい。料理屋でメニューや料理をよく接写する。引きつけて撮るには「光学ズーム」も必要だね。(デジタルズームは部分を拡大するだけ)画素は200万あれば充分だ。ぼくは三段階の画像サイズのうち一番小さい640X480モードで撮影してるが、それでも80Kくらいのヴォリュームになるので、ホームページに入れるときは15ー25Kくらいに縮小する必要がある。400ー600万画素になると画像が重過ぎるだろう。だいいちカメラが高いしねえ。ともかくDiMAGE X20はいい買い物だった。2万円以下で買えますよ。 2004年2月
|
フィリピンの介護大作戦 テレビの報道特集を見た。フィリピン政府が介護大作戦を推進しているという。優秀な介護師を大量に養成して諸外国に送り出すいっぽう、国内に介護施設を整備して外国から介護を要する人を受け入れる。いわば人の輸出と輸入の二面作戦である。フィリピンは以前からずっと人の輸出大国であった。いわば出稼ぎで成り立ってきた国である。男は中近東方面の土木建設労働者、女は香港などで家政婦の仕事に就いてきた。日本や韓国で水商売の仕事に就いてる若い女性も多い。外国からの仕送りが国の経済を支えているのだ。 フィリピンでことし介護師養成学校を出る人は17万人にのぼるという。学校の授業は成人病の学習、介護方法の実践、患者に対応した食事のメニューと調理法、語学の習得など実戦的なカリキュラムである。リハビリのための体操やダンスなども教えている。身ぶりやしぐさなどのコミュニケーション手段も身につける。食事は民族、宗教で食べられないものがあるので、それも憶えなければならない。
いまカナダが介護師の派遣先として脚光を浴びているらしい。介護師養成学校の校長がカナダを訪問する様子をカメラが追った。受入先でフィリピン人介護師の評判や注文を聞く。施設や個人の住宅を訪問して要望を聞く。帰国してカナダの情報を授業にフィードバックする。現役のフィリピン人歯医者が介護師の授業を受けているのに驚いた。介護師になって妻子ともどもカナダへ渡って永住したいと言う。2年働けば永住資格をとれるので、それからカナダの歯医者の資格を取るのだという。いっぽう外国人を国内に受け入れる施設の建設にも政府が力を入れている。もと米軍基地だったスービック基地に介護施設を建設中である。外国人の見学ツアーも行われている。日本人の団体もいた。関係者がこう言う。いまはカナダがお客さんだが、近い将来、日本がもっとも有望な市場になるだろう。テレビは養成学校の日本語学習の様子も映し出していた。 わが国では介護を要する人が増えつづけ、介護する人は減って行く。いずれわが国だけではどうにもならなくなる。外国人の力を借りるときがくる。そう思ったとき真っ先にひらめいたのはフィリピンだった。だからフィリピンの介護大作戦を知ってやっぱりねえという気がした。フィリピン人は大家族で育ち、年寄りを敬い大切にする習わしがある。とくに女性は老人を優しく世話する習慣が身についている。遠からずフィリピン人介護師が数多く日本で活躍することになるだろう。 2004年2月
|
山の手と下町
むかしから「東京繁盛記」という本が繰返し出版されている。おおむね江戸っ子を自認する作家の文章である。繁盛をうたいながら、江戸の自然が破壊されることへの嘆き節が主流をなしている。なかには「薩長の田舎者が江戸を破壊したのはけしからん」なんて江戸の御隠居みたいな意見もある。ぼくは江戸っ子ではない。田舎からトウキョウへ出て来た者の眼で東京を眺めてきた。四十年のあいだに転々と東京の町を住み替えた。かつて自分の足でくまなく東京中を歩いたこともあった。いわばヨソモノの眼で東京の町の変遷を眺めてきた。うちの母は出て来たとき「東京には山がないねえー」と言った。いっぽうで「なんでこんなに階段を上がったり降りたりしなきゃいけないの?」と文句を言った。たしかに山はないが、これで東京にはけっこう凸凹があるのだ。この凸凹が山の手と下町を形成したのである。「山の手の奥様、下町のおかみさん」なんていわれてきた。山の手と下町については、諸説フンプンあってよくわからない。むかしは上野のお山も本郷も神楽坂も山の手だったらしい。青山も麻布も白金も山の手だった。つまり東京湾に向かって張り出した台地の上が山の手で、川沿いの低地が下町であった。
江戸時代、高台には大名屋敷があり、低地には商店と庶民の長屋があった。この構造はいまも受け継がれている。高級住宅地といえば麻布、広尾などの高台である。昭和四十年代ころまでは塀をめぐらした宏壮な屋敷がならんでいた。へえ、日本にも上流階級があるんだなと思って眺めたものだ。しかし相続税のため屋敷はほとんど人手に渡った。例えば有栖川公園(ホンモノの有栖川だよ)の上の高台は高級マンション地帯である。かの悪名たかき金○幹事長の自宅もこのあたりにあった。いっぽう広尾の高台には有名な大規模マンションがある。赤坂、六本木も高台はマンション地帯で低地は商業地である。しかしいまの感覚で山の手というと自由が丘、田園調布など都の西方のいい住宅地をイメージするようだ。赤坂、青山、麻布、六本木などは商業地という印象である。ここへきてさらに事情が変わってきた。都心再開発が街の様相も人の流れも変えてしまう。麻布のタコ壷みたいな窪地に、六本木ヒルズなんてものが出来ちゃった。汐留再開発で新橋のイメージが変わった。品川宿も大きく変貌した。お台場は埋め立て地だった。いまはさほど大金持ちでなくても都心に住める。都心回帰で東京はやっと欧米流の大都会になりつつあるのかもしれない。山の手と下町という観念は、もはや古い人々の頭の中にしか残らないのではあるまいか? 2004年1月
|
なぜ昭和が流行るのか?
なぜかいま「昭和」が流行っているらしい。それはホンモノだろうか?一過性の流行ではないのか。団塊の世代が昔を懐かしむ年頃になったからだろうか。どうやら火をつけたのはもっと若い世代らしい。若い人たちが「わー、レトロ!」「カッコイイ!」なんて古いモノに目をつけたのが、いわゆる「昭和レトロ」ブームであろう。それで団塊オジサンも「そうか、カッコいいんだ」と安心して懐かしき昭和の息吹きを思い出すのではないか。団塊世代にとってあの濃密な時間は現実である。若者は昭和グッズを媒介にして未知への憧れを満たすのだろうか?昭和30年代半ばに東京に来たとき、街の様相は田舎の町とそれほど違いはなかった。いまのような圧倒的な差はなかった。新宿駅は大正時代にできたオンボロ駅舎だった。東口を出て通りを眺めると、ビルらしいビルは、二幸(アルタ)、三越、伊勢丹くらいしかなかった。紀伊国屋書店は木造二階建てだった。木の床を歩くとドスドスと音を立てた。新宿の街並みでさえ「木造の世界」だったのだ。「土の世界」もそこらじゅうに残っていた。夕暮れになると泥道の路地裏にスタンドバーの灯りがポツンポツンとともった。灯りが水たまりに映っていた。小津安二郎の映像世界である。いまも映画でこの灯りを見ると泣き出しそうに胸が切なくなる。
「お勘定は今度でいいわよ。真直ぐ帰るのよ」なんて送りだしてくれたスタンドのママさん。かたわらでマスターがニヤリと笑っていた。定食屋のおばちゃんは話し好きだった。白黒テレビを見ながらひとり飯をかきこむぼくの前に座り込んで話しかけてきた。クリスマスには家族パーティに招いてくれた。床屋のおねえさんはファニーフェイスだった。ひげを剃るとき顔が接近した。いい匂いがした。ドキドキした。よくお茶に呼んでくれた下宿屋のおばさん。自分の息子のように心配してくれた。あの顔この顔が目に浮かぶ。
昭和をモチーフにした街づくりが日本中で流行っているようだ。東京の「お台場商店街」や大分県の「昭和の町」などあちこちにあるらしい。最近開店した近所の店も「昭和居酒屋」を名乗っている。表にチャンバラ映画のデカイ看板がかかっている。しかし街並みばかりレトロを演出しても、テーマパークの二番煎じにすぎまい。昭和30年代お店はみんな家業だった。お店に通うのは家族とつきあうことだった。いまは企業だ。企業の従業員はオウムみたいにきまり文句しか口にしない。毎日会うコーヒー店の女の子が「こちらでお飲みですか?」と毎日訊く。ひとのつきあいが復活しなければ「街のぬくもり」は帰ってこない。2004年1月
|
ペッパーステーキいけるぜ ペッパーステーキ980円也を食ってきた。 前からなんとなく気になっていた店にはじめて入ってみた。 お肉大好きという若者御用達の店へおじさんが割り込んじゃったのだ。 ステーキの大衆化路線・・・意外とイケまっせ! ひとことで言えばステーキの(お好み焼き化)である。 (おままごと化)と言ってもいいかもしれない。 府中駅南口に狭い路地をはさんだ商店街がある。ここはラーメン、牛丼、天丼、回転寿司、等々の店が密集し目まぐるしく入れ代わる。Pepper Lunch という店に入ってみた。いきなり座ったら「まず食券を買ってください」と言われた。ちかごろは食券方式が増えたねえ。駅前のカレーハウスもそうだ。むかし外食券というものがあった(知らねえだろうな)。券売機にはサーロイン、ヒレ、ハンバーグ、ペッパーライスなどなどの色鮮やかな写真が貼ってある。目移りしてしまう。やっと食券を買ってカウンターに座る。 ![]() 元気のいい女の子が応対する。右も左も鉄皿がジュウジュウ言ってる。ビックリしたのはナマ肉が乗ってることだ。しかし見る間に肉が焼けてきて客がつまんでひっくり返す。そうか、そういうことか!ここは自分で焼く流儀なんだ。レアだろうとミディアムだろうとお好み次第なんだ。食券を渡すと目の前にランチョンマットが置かれる。マットには「お召し上がり方」が書いてある。待つ間もなくステーキがきた。脂がピチピチ跳ねるのでランチョンマットの手前を持ち上げてカバーする。 女の子が焼き方と食べ方を教えてくれる。例のオウムのようなキマリ文句ではない。目の前でジュウジュウと焼けていくのがいい!音と匂いが食欲をそそる。上面はまだ生肉である。ときどきつまんで焼けたかどうか見る。これで期待感が出てくるねえ。ころあいを見てひっくり返す。包丁をいれてあるので箸で一切れずつ裏返す。こんがり焼けてきた。粗挽きブラックペッパーが目の前に置いてあるのが嬉しい。ザバザバぶっかけてかぶりつく。熱々の肉、けっこういけまっせ! このお値段だから和牛なんてありえない。どうせ輸入肉にきまってるが、最近の輸入肉は柔らかくてけっこういける。日本人の好みに合わせてきたからだ。熱々の味噌汁が出て来たのも気に入った。味噌汁はダンゼン熱々でなくちゃ駄目だ。肉が焼け過ぎるといけないので野菜の上に乗せる。これも「お召し上がり方」に書いてある。なにより「ステーキ食ったぜ!」という気分にさせるところがなかなかニクイ演出である。 帰ってから早速 Pepper Lunch の「ジュージューワールド」サイトを見た。どうやら特製の鉄皿を電磁調理器で急速加熱するのが独自ノウハウらしい。発祥は東京下町(向島)の洋食屋だという。いまは何でも、安くて、うまくて、満足させる仕掛けを発明して、そのノウハウを売る時代なんだね。(回転お好み焼き鳥)なんてどうかな?レバー、カシラ、タン、ハツの皿が回ってくる。客は自由に取って目の前のコンロで焼いてかぶりつく。どうですか?だめかしら?
2003年12月25日
|
男が頭にのせるもの ベレー帽おじさんっているよね。ベレーはいまやおじさん専用になった。ベレーはもともと兵士のものである。グリーンベレーはアメリカ陸軍特殊部隊だ。ちょっとおっかない武人の冠だ。なんでか知らないが、わが国では武でなく文の方面に流れたようである。ベレー帽おじさんはどう見ても芸術家気どりに見えるよね。神田の古書店街の喫茶店で、あるいは銀座の画廊で見かけますね。インテリ臭、左翼臭なんかもちらほら。古色蒼然、やや化石度が高い。いかにも一家言ありそうな感じで、あんまりお近づきになりたくないような気がしないでもないと思われないでもない。 男の帽子はほぼ型が決まっている。シルクハット、ダービーハット(山高帽)、ボルサリーノ、ハンチング、ベレー、ニット、キャップ(野球帽型)。シルクハットとダービーハットはもはや英国にしか生きていない。ボルサリーノは戦前はわが国でも愛用されていた。ぼくらの親父世代の昔の写真を見ると、立派なヒゲをはやしてボルサリーノをかぶっている。ハンチングはひと昔まえ株屋さんや刑事のシンボルだった。いまは若者がニットやキャップでお洒落してるくらい。成人男子の帽子姿はホントにまれである。 頭にかぶるのは帽子だけではない。派手なのはインド人のターバンだ。でも頭にぐるぐる巻きにターバンを巻き立派な髭をはやしてるのはシーク教徒の男だけだってね。イスラムの女性はいまもブルカですっぽり顔を隠している。アフガン戦争の映像でそんな女性達をたくさん見た。さて、わが国にも頭にのっけるのが好きな人々がいる。夏なんか日の当たるベンチで頭にハンカチを乗せているおっちゃんがいる。銭湯や温泉ではタオルをのっけて「プファーッ!」なんて息を吐いてるおじさん。 ![]() 頭に何かのっけてる人ってそれだけで結構目立つものだ。まずガテン族のタオルかぶりがあるね。いま府中駅前で大きな工事をやっているので、これらの面々が街を闊歩している。そろって金髪頭にタオルかぶり、だぼだぼニッカボッカーできまりである。ニッカの色がまたハンパじゃないね。バイオレット、ローズピンク、クロムイエロー、なんでもありだ。昼食時この風体が数人蕎麦屋に入ってくるとひときわ異彩を放つ。
バンダナかぶり。これが気になってしょうがない。ねじり鉢巻風に巻いてるのはスポーティでカッコいい人もいる。(あねさんかぶり)みたいに頭をスッポリおおうバンダナ。しかも男。これはどうかと思う。ガテン族のタオルはほこり除けで実用的だが、バンダナかぶりは純然たるファッションでしょう?作務衣(さむえ)にバンダナかぶりとくると、これはもう、おいおい、勘弁してよという感じだ。連想するのはテレビでよく見る焼き物いじりか蕎麦打ちである。いわゆるウンチクのひとである。しかし本職がこんな格好するかしら?
2003年12月20日
|
鯖はうみゃーがや 鯖(さば)は「魚ヘン」に「青」と書く。 青い魚(青背魚)の総元締めである。子分には鯵、秋刀魚、鰯などがいる。 秋には秋刀魚がブイブイ言わせてたが、これからは親分の鯖の出番である。 寒くなるとますます脂が乗って旨味が増す。 昔から鯖は大衆魚ときまってたが、いまや鯖にも貴族がいるらしい。 その名を「関さば」と言う。こいつだけは別格で(高級魚)なんだそうだ。 値段は(平民)のサバの何十倍もするらしい。関さば(関あじもある)は、大分県佐賀関町で水揚げされる鯖の貴族である。東京の鮨屋で食うと数千円もとられるらしい。目ン玉が飛び出る。関さばはすべて(一本釣り)ですぐに船の生け簀に放して自由に泳がせる。港に帰ると海の網いけすという別荘にご入居いただく。セリも網いけすのある海の上で行う。(お魚さま)にストレスがかかるといけないので重さは計らない。面買い(つらがい)という方式で、目利きが形や大きさを目で見て値段を決めるという。
まあ、そこまで贅沢は言わない。そこいらにいる庶民のサバ君で結構である。旬の鯖を焼いて食うのが楽しみだ。ただし焼き方に辛抱が肝心だ。なにしろ丸々太っていて身が分厚いのでなかなか火が通らない。皮ばっかし焦げて中身はナマなんてことになりがちだ。弱火でジックリジックリていねいに焼く。脂がたれてきて燃え上がったりする。魚と火と格闘する騒ぎになる。そのかわり上手に焼けたやつを食う瞬間は格別である。パリパリ皮目がうまい。噛み締めると脂がクチュクチュと口内にひろがる。その脂のうみゃーこと!さばの味噌煮もいいねえー!さすがに自分では調理しかねる。むかし銀座裏の小料理屋で食った味噌煮のうまさが忘れられない。昼の定食だったが、料理人の腕に脱帽した。ごくさっぱりした味噌味に生姜の風味が効いて、これがサバかと思うような上品な一品だった。鯖の文化干しもナマとはちがった旨味がある。鯖の旨さはエゲツナイ旨さである。このエゲツナさが干物にするといっそう凝縮されるのだ。うまさに加えて鉄分、ビタミン、EPAが多くて身体にいいのもうれしいね。血をサラサラにしてくれるんだ。
2003年12月15日
|
愉快な刑務所があった 世界はひろいですねえ、ホント。 日本の常識では考えられないことがあるものだ。 南米ボリビアの首都ラパスのサンペドロ刑務所にテレビカメラが入った。 刑務所生活の一部始終を見せてくれた。いま「生活」と書いた。 普通なら刑務所に生活らしい生活なんてないはずだが、 ここにはそれがあるんですねー。 なんとなんと!ここは犯罪者の自主運営刑務所なのである。 刑務所の役人は朝一度申し訳ていどに顔を出すだけですぐ居なくなる。あとは受刑者の委員がすべてを取り仕切っているのだ。委員は受刑者の選挙で選ばれるらしい。
所内はよろず金次第の世界である。金を出せば特別待遇が得られる。最高の部屋は3万ドルだというからビックリ!そのかわり総じゅうたん敷きの部屋にはジャグジーバスまでついてる。ケーブルテレビは見たい放題だ。おまけに妻や子供まで同居してるんだから笑っちゃう。町のホテルから亭主のところへ通っていたが、ここならタダだからよっぽどいいと居着いてしまうそうだ。刑務所の中をチビッコが走り回っている。学校に行くには塀の外へ出なければならないが、塀の中が居心地がいいんだと言う。刑務所内では音楽や踊りのイベントまである。屋外の舞台の上でオッパイや足をむき出した踊子が陽気な音楽に乗って踊っている。サッカーリーグもあるんだ。コンクリートの広場でボールを蹴っている。みんな真剣だ。それもそのはず、優勝するとそのメンバーは減刑されるのだ。それがルールなんだね。この刑務所は一見無茶苦茶に見えるけど無秩序ではない。彼等なりの奇妙なルールがあるんだ。金でコカインを買って吸うのはよろしい。だが人の物を盗むと百叩きの刑に合う。叩く方も受刑者である。 ここの受刑者はほとんどが生活のために麻薬を密輸した者だという。一応犯罪者にちがいないが政府も社会もこれを犯罪と見なしていないのではないか?ペルー、ボリビアといえば悪名高き麻薬地帯である。その最大の消費国がアメリカである。アメリカが麻薬撲滅の圧力をかけてくる。だから麻薬犯罪者を捕まえないわけにはいかない。だがボリビア人の本音では麻薬商売は必要悪だと考えてるのではないか?だから政府も刑務所の運営なんか適当にやらしているのだろう。かくして世にも珍妙な刑務所がまかり通っているわけである。世界はひろいなー!
2003年12月10日
|
朝はベーコン・エッグだ ベーコン・エッグが好っきゃねん(大阪弁)。 朝食も夕食も軽く済ませる習慣。冷蔵庫は飲み物くらいじゃのう(広島弁)。 しかしベーコンと卵だけは切らさないようにしている。 朝はベーコン・エッグに珈琲できまりだっちゃー(仙台弁)。 ベーコンはカリカリに焼くのが肝心だ。コツがある。 弱火でジックリ焼く。余分な脂がジワジワにじみ出てカリッと仕上がる。 噛むと口の中でパリパリッと割れる感触がたまらんがやー(名古屋弁)。
卵はこれと反対だ。フンワリ仕上げなければ美味しくない。これまた弱火でやる。かならずフライパンにフタをする。白身が固まって黄身がまだナマの状態で水を加える。大さじ一杯くらいかな。またフタをする。この水蒸気で黄身を上から蒸すわけだ。黄身の表面が白っぽくなったら出来上がり。これを過ぎると黄身が固くなってしまう。エッグには醤油をかける。醤油にかぎる。柔らかいトロトロの黄身に醤油がからんでうみゃーうみゃー!去年ニューヨーク・ヒルトンに一週間ばかり泊まった。三人で遊びに行ったんだ。生まれてはじめて本場のミュージカルっちゅうもんを見たんよ。「オペラ座の怪人」だった。これはえかったでー。だけど食事にはこまった。迷った。かの国はなにしろジャンクフード王国。うまいものはないからね。だが朝めしだけは決まっていたよ。ヒルトンの玄関を出て左手に1ブロック行った角の店である。主人はイタリア人のようだった。 カリカリベーコン&ハッシュド・ポテト&コーヒーできまりだ。カリカリベーコンが山のように出てくる。うまいけどさすがに食い切れない。ハッシュド・ポテトのこんがり焼き目、パリパリホクホク感がたまらない。米国における最上の食事はベーコン&ハッシュド・ポテトである。まあ、それしかないともいえる。 ところがですねぇ、このベーコンというやつ、どこでも売ってるわりに美味いのはジツに少ない。地元であちこちのスーパーをあさったけどいまだに満足していない。赤身と脂身の混じり具合と色や厚さを見て選ぶのだが、焼いて食ってみるとイマイチ感がぬぐえない。ちなみにスパゲティ・カルボナーラにはベーコンがつきものだよね。こいつは並のベーコンじゃ駄目だ。イタリアのパンチェッタという固まりベーコンを分厚く削って入れる。味が全然ちがう。 イタリアではパニーノに挟むプロシュートやサラーメも美味いねえ。ぼくは外国かぶれじゃないよ。むしろ外国に行けば行くほど日本のいいところが見えてくると思う。生肉ではステーキにしろ、すきやき、しゃぶしゃぶにしろ、日本の肉は最高である。こんな素ン晴らしい肉はないよ。ホント。これは日本に来た外国人が一様に驚嘆するところだ。 しかし残念ながら食肉の加工品だけはヨーロッパが数段まさってるね。複雑微妙なスパイスやスモーク風味がいいねえ。まあ、敵は1000年以上肉を食ってるんだからね。腐りやすい肉だから、保存と同時に旨味を増すわざをみがいたのも無理はない。ヨーロッパのうまい肉加工品が、手軽に手ごろな値段で手に入らないものかなあ。そうしたら、独りものの食生活も一段と豊かになるんだけどねえ。ワインと一緒にね。
2003年12月05日
|
渋カジを知らない 若者のファッションは渋谷が発信源らしい。 いま渋谷にはヘンテコな身なりの放浪娘や家出娘たちが徘徊している。 しかし本来の渋谷ファッションはちがうようだ。 お洒落な世代の根底には「渋カジ」の流れがあるようだ。 いま一番お洒落で綺麗なのは二十代三十代の働いてる女性たちだろう。 ぼくもそう思うし日本にいる外国人もそう言うのだ。 おばさんファッションを揶揄したりするのはぼくがおじさんだからだ。おばさんから見たらおじさんの身なりも噴飯ものだろうね。むしろおばさんはお洒落しようという意欲は充分ある。いささか方向が狂ってるだけだ。おじさんにはお洒落の意欲が見られない。話を簡単にするため、おじさん&おばさんの代表を「団塊の世代」としよう。実際もっとも人口が多い世代だしね。では団塊の世代はなぜお洒落がうまくないのだろう?それは「渋カジ」(渋谷カジュアル)を知らないからだ、というのがぼくの見方である。 世代を大きく三区分してみよう。 第一は「戦争を知ってる世代」 第二は「貧しさを知ってる世代」 第三は「豊かさしか知らない世代」である。 第一世代は昭和ロマンの世代だ。和服を着なれている。家に帰るとスーツ(背広と呼んだ)を脱いですぐ着物に着替えたのがこの世代である。だから季節ごとの着物も一通りそろっているし着てもサマになる。和服のお洒落が身についている。この年頃の銀座の旦那衆などには、ときにハッとするほど洒脱なひとを見かける。ただしスーツやネクタイを買うのはおおむね女房まかせ。洋服のセンスはちょっと時代モノの感じ。かならず帽子を頭に乗せていた世代。カジュアルな洋服に関してはとんとわからない。 第二世代はお洒落環境に恵まれなかった。おおむね「団塊の世代」前後だ。ぼくもこの世代に属する。十代にセンスを磨かなければお洒落は身につかない。この世代は戦後の貧しい時代に育った。お洒落どころではなかった。子供時代はツギを当てた衣類や(お下がり)を着て育ったものだ。衣類は身を守る実用品だった。のちにかろうじて物真似ファッションがあったていど。映画スター、太陽族、ロカビリー族の物真似をした。大学時代にはIVYファッションなんかをかじったがこの年ではもう遅い。哀しいかなお洒落センスが身についていない。(和服が身についた世代)と(洋服が身についた世代)の(はざま)の世代なんだねえ。 第三世代の代表は「団塊ジュニア」である。ほぼ70年代に生まれ80年代末の「渋谷センター街」で「渋カジ」に染まった世代である。(自分たちの感覚で定番アイテムを品良く着こなす)という流れだった。ジーンズや紺のブレザーなどをカジュアルに着こなす。いまにつながる本来のカジュアル・ファッションだった。少年少女時代は仲間の遠慮会釈ない批判にさらされる。「センス悪いなー、なんだその色!」なんて言われる。こうして磨かれるのだ。ここでお洒落センスを身につけた子女が成長して今や二十代、三十代になっている。その後「フレンチ・カジュアル」などを経てますます洗練されてきた。それがいま一番キレイな女性たちなのだ。白無地、黒無地の着こなしがうまい。おばさんと正反対である。
2003年11月30日
|
舌ざわりと手ざわり 舌ざわり、という言葉がある。「舌触り」と書く。 食べ物や飲み物などが舌に触れたときの感じを意味する。 柔らかい舌ざわり、とろけるような舌ざわり、ザラザラした舌ざわり。 歯ざわりもある。これは噛んだときの感触だ。 舌ざわり、歯ざわりは味覚に欠かせない要素である。 フォワグラの舌ざわり、松茸の歯ざわりは素晴らしい(らしい)。 これらの表現はいかにも日本語らしい感覚的な言葉づかいである。 口触り、ということばもある。これは飲食物を口に入れたときの感じで、口当たりとも言う。むしろ口当たりのほうがひろく使われているかな。舌ざわりと同じ意味のこともある。口当たりのいいワイン飲みたいねえ。なお口当たりは対人関係にも使う。口当たりのいい人は、人当たりのいい人のことだ。 手触りもある。手で触ったときのフィーリング。カシミヤのような手触りなんて言う。むかし「カシミヤタッチのカシミロン・・」というCMがあったね。手はあらゆる対象にタッチするから、手触りの範囲と表現はじつにさまざまである。東洋人の肌はスベスベして手触りがよい。とくに女性はね。絹のような手触りだ。白人女性が羨ましがるのも無理はない。そういえば彼女たち、よく見れば鼻の下にヒゲはあるし、胸の谷間はソバカスだらけだったりしてね。東洋人でよかった! 肌触りもあるね。肌に触れた感じを意味する。肌「を」触れた感じじゃないよ。間違わないように。肌触りのよい下着は気持いい。ゴワゴワした肌触りはいやだね。肌触りのやわらかい人とも言う。人当たりと同様の表現だ。ちなみに肌「を」触れた感じは、触れた人の手触りということになる。触れられた女性が「キャッ、ゾッとする!」と言えば、女性の肌触りが気持悪いということである。まあ見込みがないということだね。手触りはあっても足触りはない。まして胸触り、尻触りはない。触れたほうの手触りはいいかもしれないが、手錠をかけられても当局はいっさい関知しないからそのつもりで。 耳触りもあるよ。耳触りのよい言葉といえばお世辞だね。「お若いと言わればあちゃん紅をさし」なんて川柳になっちゃう。テレビCMは耳触りのよい言葉で誘惑する。コピーライターという、糸井重里さんみたいなひとが一生懸命チエを絞るわけだ。ただしあまり耳触りがよすぎると駄目らしい。右の耳から左の耳へ抜けてしまう。ちょっと引っかかるところがなくちゃいけないらしい。難しいもんだ。 さて、ここからがチトややこしい。みみざわりには「耳障り」もあるんだ。こいつは、聞いて不愉快に感じたり、うるさく感じたりすることだ。字もちがえば意味もちがう。隣室の耳障りな音は気になるし、耳障りな噂ばなしをされると迷惑である。めざわりとなると、これはもう迷惑な意味しかない。「目障り」だけである。目障りなヤツっているよね。邪魔で不愉快な存在である。あまり長くなると目障りですね。このへんで終わりにしまーす。
2003年11月25日
|
ドッグカフェ知らなかった ドッグカフェへ行ってきた。 こんなものがいつのまにやら、わが町にも出来ておったのだ。オレに挨拶もなく(なんちゃって)。 ここは犬を連れて行くところである。または、犬に連れられて行くところである。 むろんドッグフードもあるが、おもにメンズフードもしくはレディーズフードを供する店である。 つまり片時も愛犬と離れたくないひとびとがお食事する場所なんだ。 そこに行っちゃったのだ、ひとりで。ずうずうしく。 店はひたすらロマンティック&キュート&ファンタジー路線を追求している。おじさんにはいささか場違いの感なきにしもあらずのように思われないでもないような気がする。洒落たオープンカフェなんかもあって愛犬おばちゃんたちがたむろしている。席について隣をみると、おばさんプラス犬二匹の三人連れ(?)である。何というのか知らぬが黒い大型犬だ。毛がツヤツヤと黒光りしている。店の人(おねえさんとおばさんの中間くらい。まけておねえさんにしておく)がしきりに話しかけている。「えりちゃん、りかちゃん、元気だった?」 ハハン、犬に話しかけてるんだなと思った。そのうち「ねえ、えりママ!」という声がした。なにっ?えりママ?これは犬じゃないな。人間に話してるんだな。見るとおねえさんは飼い主を見上げている。理解するのにしばらく時間がかかった。そうか!ここでは犬の名に「ママ」をつけて飼い主を呼ぶんだ。なるほど、そういうことか。そういうシキタリになっておるのか、こういうとこは。 あくまでワンコが主人公なんだ。看板娘ならぬ看板犬がいる。「ワンコおやつ」がある。「オフ会」なんて案内も出てる。なに、オフ会?ということは、この店のBBSで「うちのワンちゃんがねえー」なんて親ばか談義なんかも交換してるんだ。そしてある日自慢のワンコ連れで大挙集合しちゃうんだ。そうか、そういう世界があったのか!知らなかった。またひとつ「地球のかけがえのなさ」を発見しました。・・NHK。 こんなこと感じたことありませんか?犬を連れてるおばさんと、犬を連れてるおじさん。まったく雰囲気がちがう。犬と一緒のおばさんは喜びがはじけてる。犬とおじさんには哀愁がただよう。喜怒哀楽という言葉があるが、おばさんが「喜楽」を独占しちゃって、おじさんには「怒哀」しか残っていない、という感じである。おばさんにとって犬は子供とおんなじなんだ。人ワン一体なんだ。会話も通じるみたい。いっぽうおじさんと犬は「会うときにはーいつでも他人のふたりー」みたいな関係である。おじさんもうちとけていないし、犬もなんとなくよそよそしい。目を合わさない。性格の不一致かしら?
2003年11月20日
|
けんちん汁食いたい とうとつに「けんちん汁」が食いたくなった。 うすら寒い季節になったせいだろうね。 それにほとんど外食だから、里芋、ごぼうなどを食べる機会がほとんどない。 けんちん汁は根菜一族のてんこ盛りだ。これがなつかしい。 大根、にんじん 、里芋 、ごぼう 、ねぎ 、豆腐 、こんにゃく。具だくさんだ。 汁はうっすら醤油味のすましだけど、具はすべてごま油で炒めてから煮るので、 適度な油のうまみとごま油の香りも加わってたまらんがやー。 片栗でとろみをつけるといっそう身体があったまる。あー、食いたい。
けんちん汁の発祥は鎌倉の建長寺だという。「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったそうだ。その昔、建長寺の小坊主が豆腐を床に落してグチャグチャにして困っていると、開祖の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が壊れた豆腐と野菜を煮込み、おいしい「建長寺汁」を作ったという。けんちん汁は具を油で炒めるので中国料理からきているようだ。(出典:「北鎌倉なま情報局」)いまでも建長寺界隈にはけんちん汁のお店がたくさんあるそうだ。しかしまさか鎌倉まで出向くわけにもいかんしなあー。あー、食いたい。でもけんちん汁食わせるとこってホントないよねえ。なんでだろう?あんなにうまいのにね。豚汁ならあるんだよ、トンカツ屋に行けば。豚汁から豚肉と味噌を差っ引けばけんちん汁になる。一応はね。しかしボリュームがちがうな、やっぱし。豚の切れっぱしがさびしげに浮かんでる豚汁じゃダメだな。けんちん汁は具の山が汁の上に突き出してなくっちゃね。あー、食いたい。 そんなに食いたければ自分で作ったら?と人はいうだろう。ウン、作って作れないことはない。調理法はそんなに難しくないから。じゃけんどねー、したごしらえがねー、大変なんよ。大根、にんじん 、里芋 、ごぼうなんて連中は一筋縄ではいかない。根菜一家はちーっとウルサイやつらなんじゃ。そろって面の皮が厚いし、アクが強いしね。ヌメリなんて必殺わざを秘めてるやつもいる。手がかゆくなったりする副作用もある。「食いたきゃ食わしちゃるけど、それなりの仁義と作法は守ってもらいまっせ」と彼等は言うのだ。おまけに、短冊切りだの、半月切りだの、いちょう切りだの、注文がうるさいんじゃ、連中は。生ゴミはワンサと出るし残った野菜は始末に困る。というような成り行きが目に見えとるからウカツに手を出せんのよ。あー、それにしてもけんちん汁食いたい。食いたいにゃー。
2003年11月15日
|
木枯らしには鍋物が似合う 木枯らしが吹くと鍋の季節ですねえ。鍋はいい!寄せ鍋、土手鍋、柳川鍋、鮟鱇鍋、牡蠣鍋、石狩鍋、と数え上げれば切りがない。すき焼き、しゃぶしゃぶも鍋ものですね。このごろは韓国料理も定着して、チゲ鍋もポピュラーになった。要は「鍋」が主役で、具はなんでもいいんですね。肉、魚、貝、豆腐、野菜などから何を取り合わせるか、何で味付けするか、で鍋の呼び名が決まる。 鍋はいい! なぜいいか? 鍋はたんなる食い物ではない。 鍋はイベントである。 鍋はパフォーマンスである。 鍋はコミュニケーションである。 鍋は雰囲気である。 鍋はイベントであるから当然、とき、ところ、顔ぶれ、そして鍋が肝心な要素である。すべての要素がうまく折り合ってこそ「鍋イベント」は派手に盛り上がるのだ。(えかったにゃー)という鍋は、顔ぶれ、鍋の味、酒、その場の空気まで、ずっと記憶に残っている。 鍋の基本は家族鍋である。四、五人の家族で囲む鍋は、食事つきコミュニケーションである。新婚の夫婦鍋(めおとと読んでください)もいいね。独り鍋はチトさみしい(ぼくはこの口だ)。職場の仲間鍋もあれば接待鍋もある。居酒屋鍋に料亭鍋。土建屋さんは凝りもせず談合鍋をやってるねぇ。アウトドアでは行楽鍋にキャンプ鍋がある。東北では河原で芋煮会をやる。 五反田の駅前に安くて美味い鴨鍋の店があった。当時は数人のチームで仕事をしていた。いきづまると誰言うとなく「今晩行こうぜ」という流れになった。座るとすぐに鴨鍋を注文する。とりあえずビールで喉をうるおす。やがて鍋の支度ができて焼酎に切り替える。澄んだ色のつゆに鴨の脂が浮いてくる。実にうまい出しがでるんだねー、これが。鍋をつついて焼酎をかたむけると、身体も気分もポカポカしてきたものだ。雑談の中から仕事のヒントが生まれることもあった。
二年ほど前、ひとりで北京へ遊びに行った。中国人の若い友人が案内してくれた。友人は清華大学の副教授である。大学前の店で四川火鍋をご馳走になった。大きな鉄鍋の中央がS字形のしきりで二つに分かれている。いっぽうには普通の出汁、他方には真っ赤っかの出汁が入っている。汁も赤いがなにしろ表面が丸のままの唐辛子で覆いつくされているのだ。汁が見えないくらい。これにはたまげた。友人の奥さんはこれには手をつけなかった。ぼくは友人にならって断然ゲキ辛に挑戦した。羊の肉や豆腐や野菜などを真っ赤な出汁で煮て食った。辛いけどうまかった。汗が絶えまなく流れた。その場では平気だったが、ホテルに戻ってから実はえりゃー下痢をした。さすがに腹もたまげたらしい。しばらくやってないが、ひところ「小鍋だて」にはまった。池波正太郎の「剣客商売」でこれを知ってさっそく試してみたのだ。食卓にコンロを置き可愛い土鍋を乗せる。出汁は少なめに張る。具は二品以下に限る。はまぐりと白菜、ブリと水菜、タラと大根ってな案配。これをザルか皿に用意する。少しずつ入れて煮えたらすぐ食い、また入れる。テレビを見ながら熱燗をチビリチビリやる。これなら独りものでもミジメじゃない。オツなものである。イキなものである。 鍋といえば鍋奉行だね。「まだよまだよ!」と牽制したり、「ほら、そこ肉煮えてるよ!」とうながしたりするオッチャンいるでしょ?「春菊はさいごだよ、すぐ煮えるから」なんてヒト、あなたのまわりにもいるでしょ?いわゆる仕切り屋さんである。これも面白いネタだが話が長くなるので、またの機会にしましょう。かわりに川柳一句。「木枯らしを待って腕ぶす鍋奉行」
2003年11月12日
|
銭湯サウナは気持いい 銭湯へサウナに行った。言い方がヘン?サウナが目当てで銭湯に行くのだ。石鹸箱だけをポーチ(なんて小洒落たものを持っておるのだ、おじさんは)に入れて出かける。銭湯はあるマンションの一階にある。しかし「S湯」というレッキとした名は昔と変わらない。伝統をその名に残しているのだ。主人のこだわりであろう。かつては見上げるような大屋根の堂々たる(銭湯建築)であった。敷地も広かった。十年ほど昔は。 そこに目をつけたマンション業者がひそかにささやいた。 「だんなさん、等価交換でマンションにしませんか?」 きっとそうにちがいない。見たわけじゃないが。 「うちも赤字だしなあ、息子はサラリーマンになっちゃったし・・・」 だんなは心が動いた。しかし銭湯に未練があった。 「じゃ、一階に銭湯ということでは?」 業者は追い討ちをかけた。きっとそうにちがいない。見たわけじゃないが。 「銭湯もできてマンションオーナーか、悪くないかも・・・」 だんなは「オーナー」という響きがいたく気に入ったのだ。 かくかくしかじかのいきさつがあって、両者は手を打ったわけである。 きっとそうにちがいない。見たわけじゃないが。 表には「ジェットエステ風呂」「薬風呂」「冷水風呂」「遠赤外線サウナ」の文字が見える。玄関に入る。あったあった!むかしながらの下足入れだ。鍵はなつかしの刻み入り木札である。中に入ると目の前に番台がある。風呂屋の番台といえば、一段高いところから主人が男湯と女湯を睥睨(へいげい)してたもんだが、ここはちがう。低い番台からおば(あ)さんが亀みたいに首を突き出している。下足の木札を渡して「サウナ!」と宣言し金をはらう。サウナは700円である。おば(あ)さんは無言で買い物袋みたいな袋をくれる。黄色いタオルとバスタオルがはいっている。この黄色いタオルがつまりサウナの通行パスなのだ。黄門さまの印篭である。細い廊下を抜けると脱衣場である。あったあった!むかし通りのロッカー。しかし鍵はアルミ板ではない。ふつうの鍵にゴム輪がついている。アルミ鍵はもはや絶滅したらしい。
風呂場に入る。あったあった!なつかしのケロリン桶。まさしく純正ケロリン桶である。タクワンみたいな黄色のプラスティックに緑色で「頭痛、生理痛、歯痛」「内外薬品」の文字。真ん中にはおそれおおくも「ケロリン」の四文字が赤く輝いている。見るとみんな新しい。ということは、現在もなおケロリン桶は新規供給されておるらしい。これが誕生したのは昭和38年。以来全国の銭湯、温泉、ゴルフ場などに納入されたケロリン桶は、延べ200万個にのぼるという。200万個ですよ!ギネスブックは知っておるのか?銭湯界に燦然とかがやく金字塔である。古来の浅黄(あさぎ)、萌黄(もえぎ)にならって、ケロリン桶の色を、わたくしは「風呂黄」と名づけたい。下足入れ、ロッカー、そしてケロリン桶。ここの主人は小道具にうるさいのだ。たとえ身はマンションに落としても(?)銭湯のタマシイは忘れていないのだ。サウナ室に入る。二人の先客がいた。ひとりはヒョロヒョロの若者。もうひとりは浅黒い顔、頭はパンチ系、がっしりした身体つきである。裸だけど察するところ、北島サブちゃん系派手柄シャツに白ズボンというオニイサンではあるまいか。 「にいちゃん、働いてんのか?」パンチが若者に聞いた。 「寿司屋で働いてます」若者が答える。 「板前か?」 「まだ見習いです」 「そうか、辛くても頑張れや、やってりゃいいこともあっからな」とパンチが言った。 へえ、パンチさんは意外とイイヒトなんだー!サブちゃん系はやめて裕ちゃん系に格上げしよう。 サウナではこんな心温まる(心焼ける?)交感もあるのだ。いつかヤケドをしたことがある。手首の鍵が肌にくっついてたのに気がつかなかった。鍵の形が手首に残った。サウナ室は5分から10分くらいで出て頭を洗う。またサウナに入る。出て冷水風呂にはいる。これを5回ばかり繰返す。5回未満では満足できない。なぜ5回かというと、それが「ころあい」だと思うからだ。「ころあい」とはいつか?という問題はジツにむずかしい。かの「ショージ君」が心ゆくまで探究されたが、いまだに解答が出ていない大問題なのである。ともあれ、ぼくはサウナで思う存分汗を出す。汗を出しかつ垢すりを楽しむのである。垢すりは気持いいね。指と爪でこすれば面白いほど出てくる。帰るときは赤ん坊のようなきれいな肌になった気がする。ひんやりした秋風の中を気分よく家路をたどった。
2003年11月08日
|
シャロン・ストーンの西部劇
ゆうべNHK衛星放送で映画を見た。「クイック・アンド・デッド」(1995年製作)だ。 シャロン・ストーンが主演とプロデューサーをつとめている。 仇役の主演がジーン・ハックマンである。 当時かけだしで、いまや大物になった役者をそろえている。 レオナルド・デカプリオ、ラッセル・クロウである。 シャロン・ストーンが声をかけて集めたらしい。デカプリオさまはいまや人気者だからよくご存知だろう。ラッセル・クロウは「グラディエーター」(2000年製作)の主演に抜擢された。ローマ帝国の将軍が剣闘士になる話だ。この映画も実はおととい見たばかりだ。シャロン・ストーンは女優のみならずプロデューサーの腕も大したものだ。この映画はいわば「あだ討ち西部劇」なのだが、これ西部劇なの?という感じの映画だった。 悪役のハックマンがシャロンの父親を殺したあだ討ち、というストーリー以外にはほとんど筋がない。最初から最後まで(早撃ち決闘ゲーム)である。ボスのハックマンが支配する町で早撃ち大会がある。ハックマンが仕切り自分も出場する。シャロンもハックマンを殺すため出場する。ハックマンの元相棒で改心して牧師になったラッセル・クロウ、ハックマンの息子のキッド(デカプリオ)も出る。あとは有象無象の悪玉ばかりである。 ハックマンの悪役は絶品だ。実に憎たらしい味を出す。ラッセル・クロウは暗〜い感じが似合う顔だ。デカプリオはやんちゃな坊やが似合っている。町の時計塔の長針が12を指すたびに決闘し、悪玉がつぎつぎに死んでゆく。最後に四人残る。ハックマン対キッド、シャロン対クロウとなる。ハックマンは息子を殺す。死んだ振りで生き残ったシャロンが、最後にハックマンを殺して決闘は終わる。シャロンは父親のものだった保安官バッジをクロウに残して町を去って行く。かっこいい流れ者の女バージョンである。 シャロン・ストーンは不思議な女優だ。もともとは妖しい悪女役で登場した。オッパイをさらけ出しての熱演も多かったが、スリムな肢体のせいか肉体派の感じはしない。絶世の美女というわけでもない。印象に残るのは心もち細めた眼の光りである。薄い色の瞳孔が探るように威嚇するようにきらめく。この映画では男まさりにかぶったテンガロンハットのつばの陰から、この眼が光っていた。クロウとからむセックスシーンは観客サービスだろうが、こいつはなんだか唐突な感じで、なくてもよかったじゃん、という気がした。西部劇といっても劇画アニメやゲームを思わせる作りである。ラストで去って行くシーンも、「シェーン」のような詩情はない。
2003年11月04日
|
夜十時なにをしている? むかし「八時半の男」といわれた野球選手がいたが、ぼくは「十時の男」である。この時間ぼくはテレビを見ながらパソコンをいじっている。わが家では大きめの食卓の片隅にパソコンが乗っかっている。iMacDVだ。右を見ると窓際にテレビがある。Panasonicである。 「木曜洋画劇場」「金曜ロードショー」「日曜洋画劇場」などを愛好する。さもなければ、「火曜サスペンス」「女と愛とミステリー」「土曜ワイド劇場」である。これを通は「火サス」「土ワイ」と言うようだ。大したものがないときは「ニュースステーション」か「NHKニュース」になる。合間にホームページを見たり、更新したり、文章を書いたり、川柳をひねったりしている。けっこう「ながら人間」である。
おまけに十時を過ぎるとウィスキーが参戦する。ロバートブラウン、サントリー角、ニッカモルトなど決まっていない。お茶か水で割って呑む。ウーロン割りは月並みだが、麦茶割り、おーいお茶割り、なんぞもやる。お茶を切らしたら水だ。つまみは食わない、というより、ないのだ。節制しながら飲むので、大した量ではない。五日で一本くらいのペース。それでも若干酔いが回ってくると注意信号だ。書いてる文章がだんだん過激になってくる。川柳も戦闘的かつ扇動的(扇情的ではない)になってくる。そのままホームページに出すとヤバイ。一度失敗したことがある。翌朝シラフで見て飛び上がった。あわてて削除した。十一時になると映画もミステリーもだいたい終わる。これからは12チャネルの「ワールドビジネスサテライト」を見る。現役は引退したが世の中の動きには関心がある。なかでもニュービジネスには興味がある。むかしから株なんかもちょこっとやってるので、趣味と実益を兼ねている。日本では若い起業家が少ない。欧米はもちろん中国や韓国とくらべても少ない。 韓国の新興IT企業を見学して、オーナー社長と会談したことがある。はじめから全世界を市場と考え、その体勢を作っているのに感心した。ドイツ担当、アメリカ担当、中国担当、日本担当などがある。われわれを案内してくれたのは日本担当社員で、日本語が堪能だった。日本はアメリカに次ぐ経済規模があるので、とかく国内市場だけを相手にしがちである。韓国では最初から国内だけでは食っていけないと分かっている。国際化しなければならない必然性があるのだ。
2003年11月03日
|
意地を通せば窮屈ですか? 今回は「意地」について考えてみたい。意地といえば思い出すのは夏目漱石の「草枕」である。「 智に働けば 角がたつ。 情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかくにこの 世は住みにくい。」この場合の意地は(自分の根本的な考え方や心構え)の意で、必ずしも悪い意味ではない。アメリカのような自己主張の強い社会では、むしろ(意地を通す)のは当然であり良いこととされる。 しかし日本では事情がちがうようだ。否定的な意味を持つ場合が断然多い。「意地を張る」「意地っぱり」「意地悪い」「意地汚い」「食い意地」など、どうもさんざんなあつかいである。これが「意気地」となると、「意気地がない」「意気地なし」と言われて、ないことが悪いことになる。ことばは微妙である。さて、古来わが国はムラ社会だと言われてきた。文字通りの村はもちろん、政界もムラ、官界もムラ、学界もムラ、マスコミ界もムラである。ムラでは大勢に順応するのが美徳であり、意地を通すのは禁物とされる。やり過ぎると村八分にされる。いまの言葉でいえばシカトされるのだ。 しかしいま、ニッポンの一番の問題は、ムラ社会の病根、悪弊ではないか。永田町の政治家、霞ヶ関の官僚を筆頭に、公団公社、特殊法人、原子力機関、警察、学校、病院、電力会社、銀行、ゼネコン、食品会社など、数え切れないほどぞくぞくと不正、不祥事が吹き出した。このときもムラは常に不正を隠ぺいしてムラを守ろうとする。ムラ社会はきわめて閉鎖的である。役目より自分たちの利益を最優先する。どうにも隠しきれないと観念すると頭を下げる。放っておけば必ず「腐る」のがムラ社会である。「そんなムラはいらん」「ぶっ壊してしまえ」と言わざるを得ないところまできている。 さて、意地の話にもどろう。意地は必ずしも悪い意味ではない。しかし「意固地」となると同情の余地がないね。(いこじ)または(えこじ)ともいう。辞書を引くと(つまらないことに意地を張り通すこと)(どうでもよいことにムキになること)とある。(かたくなな、頑固な、頑迷な、強情な)と好ましくない言葉がならぶ。そうそう「片意地」という言葉もある。 意固地なヒトっていますよね。頭が固い。固定観念が強い。つまり「固」の字のヒトである。このタイプは初対面でも、ひと言ふた言話せばすぐ分かっちゃう。とにかく会話が心地よく進まない。なんにこだわってるのか、なんでムキになるのか理解できなくて困ってしまう。どうでもいいじゃん!と思ってしまう。若いときならともかく、いい年してなんでつまらんことにこだわるのかな?人間は生まれて、生きて、そして死んでいくのだ。いずれ死んじゃうんだよ。元気で楽しく生きること。その余のことはおおむねどうでもいいことである。意固地なヒトは例外なく孤独なヒトである。
2003年10月29日
|
スパイスをきかすということ
スパイスは香辛料だ。胡椒、辛子、生姜、山葵、山椒など漢字系もあれば、タイム、ナツメグ、オレガノ、シナモンなどカタカナ系もある。香辛料は料理を引き締める。カツオにショウガ、マグロにワサビである。和食は料理の中に香辛料を入れない。つけて食べる。洋食は調理中にワンサとスパイスをぶちこむ。肉食中心だからであろう。またインド方面のカレーともなれば、文字通り香辛料のかたまりを食うことになる。わが国にはカレールウという便利なものがあるが、インド人に言わせれば、あれはカレーではない。多種多様かつ摩訶不思議な香辛料の粉を調合しなければカレーは出来ないと言う。漢方薬の調合みたいだ。さて話は焼そばに移る。皿の縁にベッタリ辛子がついてくることがありますね?あれつけて食べる?ぼくは焼そばに辛子はつけない。また、箸をつける前に、いきなり酢をジャブジャブぶっかけるヒトいますね。あれもどうかと思う。なーんにも付け加えなくてもうまくなくちゃ、本当の焼そばじゃないと考えるものだ。野菜と肉と海鮮の持味プラス微妙な塩味、それにチョッピリ焦げたそばの香ばしさ、これで充分だ。 ちなみにソース焼そばは好まない。そもそもソースが口に合わない。とんかつソース、ウースターソース、お好み焼きソース、いずれも駄目だ。ソースは英語で sauce だよね。これを source とまちがえていた。いい年になるまで。source の意味に(水源、源泉)がある。これからなんとなく連想してしまったようだ。トマトソースとニュースソースでは(ソース)がちがうんだ。こんな勘違い、案外あるもんだね。ひとに指摘されたりすると、めっちゃ恥ずかしい。ところで、わが愛する醤油を、ソイソースなんて呼ぶのは実に「けしからん」と思う。ソースの仲間には入れてもらいたくない。 スパイスは(ひと)にも大切だ。シブイ男、苦味走ったイイ男、なんて言葉がある。高倉健みたいな感じかな?甘い男はなめられる。スパイスじゃないけど、水のしたたるようなイイ女ってのもいいよね。お洒落にもスパイスが肝心だ。地味なスーツに一点目を引くチーフとか、コートの襟からチラッとのぞくスカーフとかね。逆にスパイスの(てんこ盛り)ってヒトがいる。言っちゃわるいけどオバサンに多い。上も下も柄物、バッグは派手な花柄、でっかいブローチに妙な帽子。部分品が勝手に自己主張してる。テレーッとしてしまらない男は(スパイスをきかせろ!)と言われる。ユーモアのなかにピリッとスパイスの効いたエッセイなんて表現もある。ぼくの好きな川柳もスパイスがいのちである。
2003年10月28日
|
蕎麦屋は不思議である みなさんは蕎麦屋でなにを取ります?いやその前に蕎麦屋へ行きますか?ぼくはめったに行かない。行っても蕎麦を食ったことがない。お品書きに一応目を通すが、結局取るのは(天ざるうどん)か(カツ丼)になっちゃう。なんでそうなるかと言うと、まず蕎麦が好きじゃない。関東風の真っ黒いかけつゆを好まない。これはぼくが日本の西半分で育ったせいだろう。蕎麦をうまいと思わないのはたぶん、子供の頃食ったことがないからだ。蕎麦屋なんてほとんどなかったし、子供が外食するような時代でもなかった。好みや味覚は子供時代に形成されてしまうようだね。
はじめて上京したとき、そこらじゅうに蕎麦屋があるのに驚いたものだ。同郷の女性から聞いた。彼女は転勤で初めて東京に来た。「生そば」の看板を(なまそば)と読んで(あんた大学出てるんでしょ?)と笑われたそうである。ことほどさように、われわれは蕎麦には縁がうすかった。いっぽう関東以北のひとびとは、蕎麦が好きだねえ!アンビリーバブルだ。ただ食い物として好きなだけでなく、蕎麦に寄せる思い入れみたいなものがあるね。知り合いに東京育ちの蕎麦好きがいる。一日一度は蕎麦を食うそうだ。「蕎麦はこう食わなくちゃ!」と言う。
チョロッとたれにつけたかと思うと、目にも止まらぬ速さですすり込んでしまう。蕎麦は噛むもんじゃなくて、飲み込むもんだと言う。あれでうまいのかしら?蕎麦屋で酒を呑むのがイキだという話も聞く。あるとき神田駅前の蕎麦屋でこれをやった。友人に誘われてである。彼は手慣れたようすでテキパキとつまみを注文する。(板わさ)(タコわさ)(ダシ巻き玉子)(お新香)などが出てきた。蕎麦屋における酒のつまみ定番らしい。サッと飲んでサッと切り上げるのがイキだというが、久し振りに会ったのでサーーーーーーッとくらい飲んだ。蕎麦は食わなかった。その後一度近所の蕎麦屋でこれを真似してみた。こいつは失敗だった。神田では二人で一卓を占領したのでゆっくり出来たが、ひとりでは落ち着かない。相席になると、まわりはみんな食ってるのに、自分だけ飲んでる。これじゃ酒を楽しめない。やっぱり池波正太郎の江戸小説みたいに、小上がりか座敷がいいね。周囲からちょっと離れて独りポツネンと杯を傾けるのがカッコいいんだろうね。
2003年10月23日
|
この秋は秋刀魚が安くてうまい きょうは爽やかな秋だ。ひさしぶりにスーパーへ買い物に行った。旬の秋刀魚が目当てである。その文字が示すように、形も色も美しい秋の魚だ。ことしは豊漁らしく安い。近所のスーパーで、一匹五十円のビラを見た。だが、そこでは買わない。魚は店によって差が大きい。一番遠い店へ行った。遠いといっても歩いて五分だ。ここでは秋刀魚が裸で箱にワンサと並んでいる。自分でビニール袋にいれる。二匹買った。裸で売っているのは新鮮さに自信がある証拠だ。一匹六十円だった。つぎに、おろしにする大根を買った。辛いのが好きなのでシッポのほうを選んだ。 秋刀魚と大根をぶらさげて、並木の木漏れ日を浴び、秋の澄んだ大気を感じながら帰る。今夜は秋刀魚を焼いて一杯やろう。ひとりものには稀な、しあわせの瞬間である。秋はいい。秋刀魚は身体にいいらしい。「秋刀魚が出ると按摩が引っ込む」なんて言われ、昔から夏バテの栄養補給源とされている。高血圧、動脈硬化、老人ボケを防ぐそうだ。「秋刀魚の味」なんて映画もあったなあ。小津安二郎監督、笠智衆、岩下志麻 主演だった。1960年ころだったか。小津映画に秋刀魚の味とは、よくぞ名づけたものだ。「目黒の秋刀魚」という江戸落語もあるね。秋刀魚はエライのだ。そまつに扱っちゃいけんよ。
さて夕刻、わくわくと秋刀魚塩焼きに取り組んだ。まな板に秋刀魚一尾を乗せる。細身ながら丸々と身が張っている。色艶もよく、目がきれいだ。なかなか美形の秋刀魚である。両面に入念に塩をふる。しばらく置いてから水気を丁寧にぬぐい取る。焼き網を火にかけ、魚を乗せる。デカイので網から頭と尻尾がはみ出る。弱火でジックリ焼く。アルミホイルを魚にかぶせる。これは居酒屋で盗んだ秘法である。モウモウと煙りが上がる。換気扇を最強にする。時々焼け具合を見て網をずらす。箸で身をつついてみる。まだ柔らかい。やがて魚をひっくり返す。煙りは絶えまなく舞い上がる。まだよまだよ。ユックリ、ジックリね。待ちながら大根をおろす。おろしが足りないと情けない。たっぷり三人分作った。器にたまった余分な大根汁。ワタクシはこれが捨てられない。栄養の宝庫と思い、思わずすすってしまう。辛苦い風味が口にひろがる。ついに焼き上がったぞ!うちで一番長い皿を出す。秋刀魚と大根おろし。酒を冷やでグラスに。おそるおそる秋刀魚の身をほぐす。焼けてるー、バッチリだ!秋刀魚はチマチマ食ったんじゃうまくない。大きめにバラッとはずし、大根おろしを山盛りにしてパックリ食うのがいい。うまいっ!上出来だ。脂の旨味、ワタの苦味、皮の香ばしさ。うみゃーてかんわ!思わず言った。「いい仕事してるじゃん」。飲みかつ食った。秋を味わった。原価わずかに六十円。でも焼くための配慮と労力と時間はその何倍かである。 むかし「安くておいしいさんま・・・」という歌があった。戦後日本が貧しかったころ、さんまは庶民の貴重な蛋白源だった。秋の夕暮れ、軒先きに七輪を持ち出し(向こう三軒両隣り)がいっせいにさんまを焼いた。遊び疲れて帰る私たち子供の空きっ腹に、さんまの匂いが猛烈にしみた。向こう三軒両隣りって、わかる?路地をはさんで三軒ずつ、あわせて六軒がつまり、親しいご近所さん、ということ。「さんま苦いかしょっぱいか・・・」と唱った詩人もいた。もう戦後ではないと言われたころ、さんまの「わた」が食えるようになった。大人の仲間入りをしたようでちょっぴり嬉しかったのを憶えている。
2003年10月21日
|
ベンチについての感傷 このたびは「ベンチ」でいきます。なんでベンチかって?とくに意味はありましぇん。そもそも、このコラム自体、あんまし意味はないけんね。ベンチにはさまざまな表情がある。「もーし、もーし、ベンチでささやく、おーふたりさん、はーやくお帰り、夜がふーける」「チョイト一杯の つもりで飲んで、 いつの間にやら ハシゴ酒 、気がつきゃ ホームのベンチで ゴロ寝」「それはベンチの片隅で、冷たくなった、わたしのぬけがら」「枯葉散る夕暮れは、来る日の寒さをもの語り、雨にこわれたベンチには、愛をささやく歌もない〜」 気まぐれにベンチの写真を撮った。わが町にはあちこちにベンチがある。けやき並木の歩道。デパートの入口。バス停。駅のホーム。公園の噴水のまわり。くずれそうに古びた純木製のベンチがある。模様を彫り込んだ鋳鉄の肘掛けもある。ピカピカ光る太いパイプのやつもある。角張ったのもいれば、丸みを帯びたのもいる。えらそうなやつもいれば、ひかえめなやつもいる。ベンチは孤独である。トウトツにそう確信したのである。おのおの個性を主張してはいるが、等しく孤独である。ひとが座ろうが座るまいが、日夜ヒッソリと路傍にたたずむのである。ベンチは動けない。(きょうはエエ天気じゃけん、チョコッと公園まで行ってくるけんね)とはいかない。与えられた職場にジッとしてる。なんと孤独ではないか。哀感がヒシヒシと胸にせまってくるのである。一句「公園のベンチでひとりお弁当」
2003年10月19日
|
すごい明治美術をみてきたよ 秋晴れの素晴らしいお天気に誘われて、散歩がてら府中市美術館へ行ってきた。美術館は府中の森公園の中にある。この公園は自衛隊の敷地の半分を公園にしたので、かなり広い。サッカーグランドやテニスコートもある。府中の森芸術劇場、市民聖苑、美術館がある。「もうひとつの明治美術」という展覧会だった。明治中期の洋画約二百点を集めた大規模な展示である。当時はまだ洋画は黎明期であった。あたらしい日本絵画を目ざしながらも、作家は「何を描くべきか?」試行錯誤を重ねたようだ。画題がじつに多岐にわたっている。田園風景、富士山、百姓、裸婦、西洋人、巴里風景。日本の古代や神話の題材もある。日清戦争のころの軍人を描いた絵もある。 なかでひときわ異彩を放っていたのが、山本芳翠の『浦島図』である。浦島太郎が龍宮から帰還する途中の情景を海上に描いている。深い青の海に白く輝く女たちの裸身群像が、亀に乗る浦島を取り囲んでいる。浦島は玉手箱を両手にすっくと立つ。イルカに曵かせた貝の舟に立つ乙姫があとに続く。はるか遠くの海の上方に龍宮城が、蜃気楼のように浮かんでいる。空は黒い雲が一面に覆っているが、切れ間からわずかに日の光がさしている。うしろを振り返っている浦島の表情がやや不安げだ。この先の成りゆきを予感しているかのように。しかし、もっとも輝いているのは女たちだ。美しい裸身を惜し気なくさらして、表情も楽しげである。図柄や印象からボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を連想させるから不思議だ。日清戦争のころに、この日本でこんな絵が描かれていたなんて、驚いたなあ。結局、行きつ戻りつ、この絵ばかり眺めていた。
2003年10月09日
|
ちびまる子とサザエさんの秘密
日曜日の夕方六時は「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」である。連続放映だ。これを見ると(ああ、休みもおわりだなあ)と感じる、と言った人がいる。ぼくの場合それは夜十時の「演歌の花道」だった。もう終わったけど。さて、このアニメの両雄、どちらも面白いが、やや趣向がちがうようだ。まず時代背景がちがう。ちびまる子は80年代、サザエさんは60年代だ。ちびまる子は会話中心で、顔のアップが多い。場面展開は少ない。友達に(はまじ)(みぎわさん)(野口さん)など、ヘンテコなキャラがいっぱいいて、会話のやりとりがオカシイ。まる子のおやじのヒロシ、友蔵じいさんもずっこけてる。いっぽう、サザエさんの登場人物はしごくマトモである。せいぜいサザエさんの早トチリくらいだ。あくまで家族中心で外の人物は少ない。ストーリーにつれて場面が展開する。話の筋の面白さである。ちびまる子は漫才、サザエさんは落語である。かたやボケ、ツッコミがあり、かたや話のオチがある。
しかし、これだけ長続きするのは、ほかにヒミツがあるはずだ。どちらも小学生くらいの子供が主役である。だが大人が見ても面白い。いい年のファンも多いだろう。大人は自分の子供時代を忘れている。憶えてることもあるが、しばしば思い出すわけではない。それが、ちびまる子やサザエさんを見ていると、突然むかしがよみがえってくるのだ。ちょっとした場面やエピソードに、思わず「そうそう、アッタアッタ、こんなこと!」と叫んでしまう。おかしな登場人物を見て聞いて「イタイタ、こんなやつ!」とつぶやいてしまう。しかもこの感慨を、見てる夫婦親子で共有してしまう。この(アッタアッタ感)(イタイタ感)こそ、長い人気の秘密ではないだろうか? 知らず知らず共感の笑い、涙、ためいき、をもらし、懐かしさがこみ上げてくる。よく時代考証もされているらしく、画面からレトロな雰囲気が伝わってくるのもうれしい。お休みの日をしめくくる家族の楽しみとして、ふさわしいような気がする。
2003年10月13日
|
ロコモコ世代ってヘンだ ロコモコをごぞんじですか?世のオトーサンたちは、なんだ?その(モコモコ)って?と、おっしゃるでしょうね。ロコモコはハワイの定番料理だ。いまは日本でもこれを売り物にする店が現れ、若者にけっこう人気があるようだ。簡単に言えば「目玉焼き・トッピング・ハンバーグ・トッピング・バターライス」とでもいうか。簡単じゃないね。トッピングがダブルになってる。ハンバーグのまわりにトマト、レタス、玉ねぎ輪切りなどの野菜が乗って、グレイビーソースがかかってる。これをグチャグチャ混ぜて食うのだ。料理といったって、まあ、俗な即席料理である。半世紀ほど前にハワイ島ヒロで生まれたらしい。発明したのはイノウエさんという日系二世である。 ハワイ旅行でロコモコにはまっちゃった日本の若者を、ぼくはロコモコ世代と呼んでいる。そうしたハワイ大好き人間のグループを知っていた。年齢はおおむね三十代。みんなアメリカかぶれである。「いますぐ、アメリカ市民権を取りたい!」なんて言う。(いますぐ)なんて言うところが、いかにも(らしい)感じだ。ぼくら世代はもっとずっと屈折していた。敗戦の怨念と悔しさと憧れが、グチャグチャになったアメリカかぶれだった。 ところがロコモコ世代は(あっけらかん)である。なんも考えてない。アメリカを知らない。旅行者天国のハワイを見て、これがそのままアメリカだ、とでも思っているのか?ロコモコの生みの親、イノウエ二世が異国でどんな目にあったか考えても見ない。日本人がアメリカ市民権を取れば、何が待っているか。人種差別と暴力が待っている。イラクへ連れて行かれて、ブッ殺されるかもしれないんだぜ。それでエエの?それさえ思わない能天気ぶりは、いったいなんなんだろう。ひょっとして日本に絶望してヤケになってるのだろうか?
2003年10月12日
|
続続ぼくは醤油愛好党である 醤油つづけますう〜。今回は醤油のうまさが生きる簡単な料理をご紹介しま〜す。ぼくの自炊体験をとおして取捨選択のあげく、ずっとひいきにしてきたスグレモノである。
まずは、「豚バラと白菜の重ね煮」。厚めで深めの鍋を用意する。白菜は4〜5センチ幅にぶつ切りする。豚も大きめに切る。鍋肌を水でしめらせる。鍋の中に、まず白菜を2センチ厚さに敷く。少し塩を振る。つぎに豚バラを白菜がかくれる程度に敷く。さらに白菜、塩、豚バラ、白菜と順番に重ねる。最後は白菜でフタをする。白菜から水気がタップリ出るので、水はいれない。酒をパラパラ振る程度ならよい。鍋を火にかけ、弱火でゆっくり蒸し煮にする。強火だと白菜が焦げてしまう。白菜がシンナリすれば出来上がり。なんだ、醤油が出てこないじゃんか?というなかれ!これからが出番じゃ。大きめのつけ皿に醤油を注ぎ、カラシをたっぷり溶かす。しんなりした白菜と豚バラにカラシ醤油が絶妙に合う。旬の白菜は甘くてうまい。ぜひお試しくださいませ。
つぎは、おなじみ「豚のしょうが焼き」である。これはタレがじつに分かりやすくてヨイ。醤油、みりん、酒、を等量混ぜればOK。簡単でしょ?ボールに少し多めに作っておく。しょうがをたっぷり摺ってタレに混ぜる。フライパンにサラダオイルを敷いて、豚を焼く。肉は豚ロースでも豚バラでも好みでよい。こんがり焼けたら、しょうがダレをザッと一気に流し込む。醤油の香りがひろがる。手早くタレをからめて1〜2分、タレが少なくなったら出来上がり。こいつは着手から出来上がりまで実に早い。つけ合わせの野菜を一緒に焼いてもいい。これに炊きたてゴハン、うみゃーてうみゃーてかんわ!炊き立てゴハンに生卵もいいよね。これも醤油をたらしてまぜる。ごはんつぶに卵がトローッとからんでたまらんでやー。かくのごとく、醤油はしょうが、わさび、からし、にんにく、さらにはマヨネーズとも折り合いがいい。彼等と相協力して、料理のうまみ向上のために、ひと肌もふた肌もぬいじゃうところが、醤油はエライ!ソースにはそんな度量がない。
2003年10月11日
|
続ぼくは醤油愛好党である 醤油とソースの話を続ける。ぼくが醤油が好きでソースが好きくないのは、原料のちがいによるらしい。醤油は大豆や小麦から作られる。いっぽうソースはトマトを中心とする野菜が原料だ。このトマトがよろしくない。トマト系はおおむね苦手である。スパゲティを食うときも、赤系は敬遠して白系を選ぶ。それでイタリア料理が好きなのはヘンだ。しかし、イタリア国旗はトマトの赤、にんにくの白、オリーブの緑なんて言われるが、赤以外の、にんにく、オリーブは大好きなのだ。唐辛子も好きだ。つまり、ペペロンチーノができる。
ちなみに、ピッツァにタバスコをかけるやつの気が知れない。かけるなら唐辛子オリーブオイルだ。タバスコなんて米国原産の野蛮なしろものはナポリ原産ピッツァに合わない。どだい、何でもかんでもケチャップ、マスタード、マヨネーズ、なんぞをぶっかけるやからは味音痴民族である。ついでに言いたい。わたくしは、「ソースかつ丼」に対して力強く「けしからん」という立場をとる者であります(と、ショージ君の口調になる)。かつ丼、親子丼、天丼など、伝統あるどんぶり物は、すべからく醤油味をもって良しとする。とんかつ=ソース、という単細胞連想から「かつ丼、ソース、いってみよう!」なる結論に飛びついたのは、えりゃー飛躍でにゃーか、たあけー! ちょっと醤油の勉強をした。醤油の「醤」は「ひしお」と読み、塩漬け発酵食品を意味する。大豆、小麦、米などの「穀醤」(こくびしお)と、魚介類の「魚醤」(うおびしお)がある。魚醤からは、タイのナンプラー、ベトナムのニョクマム、秋田のしょっつる、などが作られる。醤油のうまさのヒミツは、グルタミン酸と弱酸性だという。弱酸性なんて化粧品みたいだね。 醤油にもいろいろあるが、ぼくは透明な琥珀色のやつが好きだ。これはうどんのダシの好みに共通する。ぼくはどっちかといえば関西系なので、お江戸の真っ黒いダシには閉口する。だから「たまり醤油」も好まない。よその家で、ぶりの刺身にたまり醤油、を出されることがある。おまけに、この醤油は四国の名代の老舗から取り寄せた稀少のイッピンで、ウンヌンと解説されると困ってしまう。この期におよんで「あのー、フツーの醤油おまへんか?」と言い出すには蛮勇を要する。
2003年10月08日
|
ぼくは醤油愛好党である ちかごろ料理屋に行くと、なんたらソースかんたら風味、というのがある。これは能書きの好きなフレンチが始めてイタリアンが引き継いだものだろう。和食でさえ、赤味噌ソース木の芽風味、とくる。ボルドー風、ブルゴーニュ風というのもあって、なんだかよくわからない。これが「フォワグラソース、トリュッフ風味、キャビア添え」とくれば、たちまち「おそれいりました、御奉行さま!」となるのだが。なんたらソースとはちがうが、とんかつソース、ウースターソース、ケチャップなどもぼくは好まない。
話は突然変わる。みなさんは目玉焼きに何をかけますか?ぼくは断然醤油である。醤油なしの目玉焼きは考えられない。いつからそういう身体になったのか?親兄弟は何もかけないから遺伝ではない。思い出した。敬愛する「東海林さだお先生」の「ソースか醤油か問題」を論じた名文を読んだことがある。コロッケに始まり、アジフライ、トンカツ、カキフライを経て、エビフリャーに及ぶ。ソースをかけるべきか、醤油も許されるのかという大問題に取り組んだ労作であった。これを読んで自分は根っからの醤油党だと自覚した。そもそもこれらの揚げ物は、いささか毛唐の匂いはするが日本食である。だから醤油が似合うはずだ、というのがぼくの持論である。
目玉焼きのほかに、どうしても醤油でなければならないものが、もうひとつある。キャベツである。トンカツの傍らにタップリ(必ずタップリ)添えられたキャベツ。これは醤油にかぎる。意地悪して醤油壜を隠している店では、断固として要求する。トンカツにかけるのかと、店主は一瞬疑惑の眼で見る。かけちゃうもんね。トンカツにもキャベツにもタップシかける。醤油がキャベツの水気とからまってほどよい薄さになる。これがトンカツの脂っぽさを打ち消してくれる。ソースではくどくて食えたものではない。ことほどさようであるから、醤油の味にはうるさい。ひいきの醤油がある。圧倒的優勢を誇るKマン醤油ではない。ややマイナーなYサ醤油の「有機丸大豆の吟選しょうゆ」を愛好する。劣勢ながらよく頑張っておるではないか「けなげじゃ、ちこうよれ」というのもひいきの理由である。
2003年10月07日
|