京都ごはんたべ日記

ごはんたべとは、老舗の若旦那なんぞが芸妓や舞妓と食事に行くことらしいが、
まあ、いいじゃん。この言葉が気に入ったから使わせてもらう。

2008年

12月30日(火)
 ひとり者の年末年始はごはんたべに困る。年始のごはん処を確保するべく、本日は予備調査をしてきた。去年の元旦はえらい目にあったのだ。とにかく四条烏丸周辺の店はのきなみ休業で、めしを食うところがなかった。デパートも二日からだった。もう忘れたけど、たぶん河原町あたりまで出張って、やっと食事にありついたような気がする。ことしは大晦日に大丸でお弁当(ちょっと豪華なやつ)でも買っておこうかな。ところが、きょう烏丸仏光寺の「かごの屋」で訊いてみたら、年末年始も営業するという。ラッキー!これでとりあえず一軒は確保した。それからふと思いついて、京都駅あたりにおもむいた。するとやっぱり、駅に休みはない。地下街ポルタのグルメ街は無休でやるようだ。ここなら和食、洋食、中華なんでもある。やれやれひと安心だ。



12月29日(月)
 ことしもおしつまってきた。今朝は雲ひとつない快晴。寒さもすこし弛んだみたい。ありがたい。朝の散歩道の堀川通に、しばらく前から封鎖されてる大きなマンションがある。前面を全面封鎖してある。名の知れた建設会社の表示がある。おそらく家主が建築費を払わないので建設会社が取り上げたものだろう。京都もひところマンション・ブームであった。あちこちにつぎつぎマンションが建った。いまはブームの最後の残りが完成しつつある。
 四条烏丸の知人のマンションの真ん前に、豪華マンションが完成したばかり。上のほうは億ションらしいが、まだ売れ残りがあるようだ。六角通には目立つマンションが建築中である。京都には和風デザインのマンションがけっこうあるけど、ここは店鋪部分が全面的に町家のデザインである。瓦屋根が突き出している。場所はいいけど売れ行きはどうなんだろう?京都の中心部はそうそうマンションが建つ場所ではないので、稀少価値で人気があるのだが、この不景気ではそうもいくまい。ことしは年初と年末では、世のありさまが天国と地獄ほど変わった。まさに「変」の年だったなあ。



12月24日(水)
 四条烏丸のJEUGIAでヴィヴァルディ協奏曲集のCDを買った。新品だけど1050円だった。ルンルン気分で寺町から丸太町へと散歩した。手に入れたCDの封を切るときはほんとワクワクする。楽しみだなあ。いい気分のときはいいものに出会う。烏丸丸太町の花屋でシクラメンが目についた。毎年十一月ごろにシクラメンを買うのが十年来の習慣なんだが、ことしは安くていい鉢が見つからず、もうだめかと思っていた。こいつは葉がびっしり繁って蕾みもたくさんついてる。850円も気に入った。さっそく包んでもらいぶらさげて帰る。そういえば今日はクリスマス・イブなんだね。



12月22日(月)
 クラシックを聴くのが生活のリズムになってきた。思いもかけなかった変化だ。人間変われば変わるもんだね。もともと自分は視覚人間で、聴覚は弱いと思ってきた。むかし妻と映画を見に行くと、ぼくはシーンしか憶えていない。あのとき流れてた音楽がよかった、なんて妻が言うのでエッと驚いたものだ。こっちはそんなもん全然憶えていない。ひとによってこれだけ受け取りかたが違うんだなあ、と感じいったたものだ。視力はとみに衰えてきたが、さいわい耳は変わりない。この年で音楽を聴く喜びを知ったのも、ひょっとしたら「聴けるのもいまのうちだぞ」という神さまのお告げかもしれない。

 はじめは何がいいのか判らなかったが、しだいに好みがはっきりしてきた。一番気に入ってるのはロッシーニの序曲だ。序曲というのはオペラの食前酒みたいな音楽らしいが、それだけでも充分おいしい。短い曲においしさがぎっしり詰まってるところがいい。ロッシーニは明るく弾むアップテンポで、なにしろ元気が出る。一日の序曲として朝聴くのにぴったりだ。ロッシーニさんは37歳で音楽に見切りをつけて、料理界に転身したんだって!レストランを経営したらしい。そういえば「ロッシーニ風ステーキ」ってあるよね。トリュッフとフォワグラを乗っけた贅沢なステーキ。ロッシーニさんの発明だ。こういうへんてこな人って好きだなあ。

 序曲のつぎに聴きやすいのは協奏曲(コンチェルト)だ。しかしピアノは好みじゃない。ヴァイオリンが好きだ。なかでもヴィヴァルディがいい。地中海の太陽みたいにきらめくヴィヴァルディのサウンドが大好きだ。それにくらべるとモーツァルトのは、サロンのヴァイオリンという感じがする。ヴィヴァルディというと「四季」が有名だけど、ほかにも協奏曲がたくさんあって、それぞれ楽しい。彼はヴェネツィア生まれでカトリックの坊さんだったという。このひとも一風変わってる。ぼくはどうもイタリア系が好きみたいだ。

 クラシック界では交響曲というやつが一番えらいらしいね。交響曲第五番ハ短調「運命」なーんていうと、みんな「ハハーッ」と平伏する感じだが、こいつはそうそう気軽には聴けない。だいいち長いのがしんどい。だいたい途中で居眠りしてしまう。またどういうわけか、第二楽章とか第三楽章は子守唄みたいなゆるーい曲になってるんだよね。睡眠不足のかたにはぜったい交響曲がおすすめである。



12月12日(金)
 用があって北大路方面へ出かけた。帰りに北大路通をぶらついた。このあたりはなんだか郷愁を誘う風情があるなあ。時間が止まったような感覚。昭和の香りがする。表通りには「オールウェイズ三丁目の夕日」の「鈴木オート」みたいな自転車屋がある。レトロな看板がある。西日を反射してるガラス窓。「あっ、見たことある、この景色」なんて、デジャ・ビュ(既視感)にとらわれる。
 表通りから一本入れば、これまた懐かしい民家が見える。くすんだ木造に洋間をつぎ足した昭和モダン建築。たしかこんな家の門前だったなあ。あのころ親と兄弟姉妹で写真を撮ったもんだ。直立不動でね。「イェーイ!」なんてポーズは決してとらなかった。当時の子はお行儀がよかったのだ。おおむね少年は半ズボン、少女はワンピース姿だった。そんな白黒写真が、どの家のアルバムにも残っているのではあるまいか?



12月7日(日)
 きのうきょう歩いていると冷気が肌を刺す。ひいきの矢尾定さん(新町通四条下る)が鍋料理を始めたのがうれしい。さっそく「京町家鍋」1200円をいただいた。火のついた炉に乗って出てくる。ダシは上品な本格派、帆立てに鰆、野菜たっぷり。お餅も入ってる。フツフツと煮立ったところをいただく。うみゃー。あったまるー。中味をたいらげた後に、添えられたうどんを投入。これで二度楽しめる。お餅とうどんで満腹、ごはんが少し残った。冬の楽しみ、あったかお鍋。木枯らしが吹くとこんな趣向をしつらえてくれる。しかも普段使いのお店で。京都はほんまええとこや。おみやげに、宇治抹茶使用の今川焼二個三百円、を買って帰った。焼き立て熱々で、粒餡の甘みと抹茶の渋みが折り合ってうまかった。



12月6日(土)
 きょうは最低気温マイナス1度、最高気温5度だって!ブルブル!いよいよ京都の底冷えが到来したか。ついにたまらず、初めてズボン下をはいた。ズボン下なんて言うと笑われるかな。いまはタイツというらしい。ぼくらはタイツなんて聞くと、バレリーナなんかがはく特殊な衣裳のように思える。この下着どうも呼びにくい。むかしは股引(ももひき)なんて言った。あるお年寄りから袴下(こじた)という言葉も聞いた。いずれにしてもあんまりかっこよくないね。そうそう、パッチという呼び方もある。なんでパッチなんだろう?大阪人の「必死のパッチ」というのは「一生懸命」の意味らしいが、このパッチもわけがわからん? 大阪のおばちゃんは全国的に有名だけど、大阪のおっちゃんもおかしい。「必死のパッチ」とか「余裕のよっちゃん」とか言うし、みんな一様にセカンドバッグを持ち歩く。けったいやなあ。



12月1日(月)
 快晴。友達と大原へ行った。四条烏丸から京都バスに乗ったんだが、どえりゃー混雑。京都駅からすでに満員で来たので、やむをえず前から乗車する始末。八瀬あたりまではぎゅうぎゅうの立ちん坊で我慢、我慢の道中であった。大原バス停で降りて最初に寂光院に向う。畑中の小道をのんびりと歩く。立派なねぎが伸びている。暖かい日射しが心地よい。ところで、大原に来たことがあったかどうか定かでなかったが、どうも風景に記憶がない。やっぱし初めてだったか。寂光院は谷間のどんつきにひっそりと、小じんまりとたたずんでいた。建礼門院や後白河法皇ゆかりの寺にしてはなんとも地味だなあ。本堂は8年前に放火で全焼して再建されたもの。裏手の紅葉が美しい。訪れた観光客もそれほど多くない。同じ道を戻ってこんどは三千院を目指す。

 こちらはすごい人波だ。そうか、みんな寂光院は無視して三千院まいりなのか。建礼門院が怒ってるよ。門跡寺院の威光であろうか、それとも「♪京都大原三千院♪」の歌に引かれたか?しかし「恋に疲れた女がひとり」どころか「いけいけおばちゃんがいっぱい」である。門構えがまたすごいね。高い石垣が威嚇的で、寺というより城の大手門みたいだ。境内も寂光院とはくらべものにならぬほど広い。建物の中を見学したが、やはり寺らしくない。城というか別荘というか。庭の紅葉と苔が見事だ。往生極楽院という小さなお堂には、国宝の阿弥陀三尊像があり、間近に見られる。金ぴかの阿弥陀さまは迫力満点、拝観料の価値はある。

 そろそろ腹がへってきた。三千院の門前にある芹生(せりょう)という店で昼食にした。道々食事処を探しつつ歩いたけど、どうもいまいち感心しなかった。芹生のおでん定食がよかった。炊き込みご飯、おでん、温かいそばの三点セットである。そばやおでんのダシも美味で、観光地の食事としてはめずらしく大当たりであった。帰りは早めのバスに乗ったので、座れた。山道をカーブしながら走るうちにぐっすり眠ったらしく、気がついたら三条あたりであった。天気にめぐまれて、初の大原行きは大成功だった。



11月30日(日)
 川端三条のブックオフまでクラシックCDをあさりに行った。五条のブックオフはもうほとんどあさり尽くしてしまった。500円コーナーで二枚ほど見つけてどうしようかと迷った。めぼしいものは大体そろっているので、これからはよっぽどお買得感がないと手が出ない。やっぱりやめた。いい天気なので、鴨川には家族連れなどが沢山出ている。水際の子供たちに水鳥が群れている。
 三条木屋町の「大戸屋」で昼食。季節ものの広島産カキフライ定食にも心引かれたが、ロースかつ丼にした。ここの豚かつはぶ厚くて、仕事も丁寧でおいしい。この店はたしか去年オープンした新参だけど、東京ではおなじみであった。半世紀ほど昔に池袋に誕生した食堂なので、まず首都圏に展開してから関西に出てきたようだ。定食屋としてはちょいと気がきいている。



11月26日(水)
 このところ、お天気がよければ必ず朝の散歩をする。すると、いままで見えなかったものが見えてくる。いっせいに朝の路上清掃をやっている。店鋪も会社もマンションも民家も、みんな竹ぼうきでゴミや落葉を掃いている。「いっせいに」というのが京都の特色だ。お父さんやお母さんが幼稚園児を送ってくる。スクールバスに乗せて手を振る。幼児はちぎれるほど懸命に手を振る。こんな時期は親もかわいいだろうなあ。バスには「華頂幼稚園」とか「永観堂幼稚園」とか書いてある。京都では名刹が幼稚園をやってるようだ。
 いっぽう小学生は集団登校である。十数人の列。年かさの子が先頭を歩き、小さいのが後に従う。一様に両手をポケットにつっこみ、首うなだれてとぼとぼ歩いてゆく。なんだか刑場に引かれてゆく囚人みたいである。学校が嫌いなのかしら?たぶん、帰るときはもっと元気なんだろう。堀川高辻の角にセルフ式のガソリンスタンドがある。ガソリンの値段が毎日のように変わる。130円、126円、123円ときて、今朝はついに118円になった。ピーク時から4割も下がったわけだ。金融危機、資源暴落、株暴落、不景気の進行が数字になって出ている。



11月24日(月)
 三連休の最後だね。といってもサンデー毎日の小生には関係ないけど。小雨がしとしと降って、ひんやりした天気。傘をさして歩きながら昼めしは何にしようかと考えた。和食?中華?それとも・・・と、ふいに「鍋」が浮上してきた。そうだ、こんな日は鍋だなあ。うん、鍋でいこう。というわけで、ひさしぶりに四条西洞院の「ゆるり屋」に行った。「鯛柚子鍋」にする。さっと炙った鯛のカリカリ皮が香ばしい。でっかい骨つきの身をかじるのも楽しい。うどんが入ってる。最後はごはんに出汁をかけて雑炊にする。これも鍋の楽しみだね。身体が温まった。雨の日サービスとかで、わらび餅が出た。鞠のように真ん丸なわらび餅をちぎりながら食べる。 さて、こんな日は家に帰ってクラシック音楽でも聴くか・・・なーんて一丁前に言えるようになった。



11月17日(月)
 招待券をいただいたので、堀川六条の「風俗博物館」へ行ってきた。井筒法衣店の5階にある。井筒氏の経営にかかる博物館らしい。広くはないけれど、その展示には一驚であった。源氏物語の世界を文字通り眼前に再現したものである。よくもこれだけ正確に作ったものだ。光源氏が35歳のときに造った「六条院」という御殿の1/4縮尺模型に、絢爛たる装束をまとった貴族の男女の人形が多数配置されている。六条院の平面図まであるが、いったいどこから手に入れたのだろう?
 それにしてもこいつは夢の世界である。19,000坪の敷地に建てた大邸宅。源氏は理想郷を目指したらしい。六条院を四つの町に仕切り、春夏秋冬の趣向をこらした庭園を配し、その季節にゆかりの女君を住まわせたという。「春の御殿」には“紫の上”と“明石の姫君”、「夏の御殿」には“花散里”と“夕霧”、「秋の御殿」には“梅壷中宮”、「冬の御殿」には“明石の御方”を住まわせた。まいったね。こいつはまさに永遠の男の夢だね。かなわぬ夢。ともあれ一見の価値ある展示であった。



11月13日(木)
 はじめて西京極運動公園に行った。なにもやってないけど、周辺の緑は美しい。ちょっとした大木も繁っている。一部紅葉している。ここはJリーグの京都サンガの本拠である。柳沢が入団していいところも見せてるようだ。こんど行って見ようかな?ひとまわり散歩して、帰るにはまだ早いなと思い、桂離宮あたりへ向った。桂川を渡ってすぐ桂離宮の鬱蒼たる森が見える。中へ入るには宮内庁におうかがいを立てないとあかん。それは知ってたけど回りだけでも見てみるか。周囲の生け垣が変わってるな。なんか笹をびっしり編んだような垣根だ。表にまわると竹を組んだ垣根にかわる。閉じられた門のあたりを徘徊する。門前だけでも美しい風情がある。

 さて帰ろうかと桂川通に出たら、目の前に「オリーブ」というレストランがあった。ちょうど昼時でもあり、“パスタ”の文字に引かれて入った。山小屋ふうの作りでけっこう広い。入口にあるバイキング風のしつらえにすばやく目をつけた。ピッツァ+サラダ+フリードリンクで1000円というのにした。これが大正解。ピッツァが大好きなのに、日頃めぐまれなくてフラストレーションがたまっていた。ピッツァが数種類。マカロニ、ブロッコリなどサラダも数種類。ドリンクは冷たいのがコーヒー、ティー、ウーロンなど。ジュースがマンゴー、パイン、ピーチなど。ホットコーヒーもある。ブロッコリサラダ、マカロニサラダがおいしかった。ピッツァも肉系、魚貝系、野菜系とバラエティがあってなかなかいける。少しずつ何度も行くと、焼き立て熱々にぶつかり、思わずラッキー!と叫ぶ。心ゆくまでおかわりして大満足、カプチーノで締めた。こんなお得感はひさしぶり。こんな店が近くにあればなあ!でも、電車に乗ってもまた行くぞ。本日は大収穫であった。



11月12日(水)
 抜けるような秋晴れになった。そのせいでもあるまいが、急にステーキが食いたくなった。前から一度行こうと思っていた「ビフテキスケロク」に行った。かつて西陣にあった店が堀川中立売角に移っている。ビルの二階の明るい店だ。ステーキ・セット1600円。付け合わせの野菜がけっこう付いてるが、サラダが別につく。ロース肉は、端っこに脂身たっぷりの離れ島部分があって、こいつが旨かった。付け合わせの玉ねぎ炒めが甘くておいしい。サラダのもやしのカレー風味がいける。ま、お値段としては充分満足できる水準。
 堀川から今出川を経て御所を散歩した。天気もよし、かなりの人出。緋毛氈に紅白の幕、庭園にお茶席が出ている。大集団が通る。100人をはるかに超える。たぶん“歩こう会”のウォーキングだろう。同じようなリュックに同じような帽子で、金魚の糞みたいにつながってぞろぞろ歩いてる。こういうのはなじめないなあ。芝生に寝転がってるおじさんや、ベンチで居眠りしてる若い衆のほうがなじみやすい。御所の公開に殺到する団体さんも多い。観光シーズン真っ盛りのようだ。



11月11日(火)
 紅葉にはちょっと早いが、嵐電で嵐山へ行った。“らんでん”はいい。愛称だった嵐電が正式になったようだ。この改名は賛成だ。短くて音感がよい。たった一両でトコトコ走る可愛いレトロ電車。家族経営みたいなほっこり感がある。どこまで乗っても200円。乗り降りできる一日乗車券500円も便利だ。嵐山へもバスより早い。駅名も、のきなみ変わったようだ。太秦(うずまさ)、車折(くるまざき)、御室(おむろ)なんて難読駅名が、それぞれ太秦広隆寺、車折神社、御室仁和寺となった。むかしのほうが謎めいていて良かったみたい。まあ、お寺さんは喜ぶだろうが。これも観光のためかね。
 嵐山駅を出て、熱々コロッケを買い、かじりながら歩く。立ち食いも熱いものがいい季節だなあ。「美空ひばり座」が改装オープンしている。なんで“嵐山にひばり”なのかわからない。シーズン真っ盛り、渡月橋は大変な人出だ。橋が左側通行なのをはじめて知った。きょうは法輪寺まで足を延ばした。ここの本尊の虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は「嵯峨の虚空蔵さん」として古くから親しまれ、今昔物語・枕草子・平家物語などにも出てくるそうだ。「十三まいり」で知られる。数え年十三歳の子供が、厄を払い、智恵を授けていただけるよう祈願する。寺は山腹にあるので展望がよい。上から渡月橋を見下ろせる。右手はるか彼方に京都タワーが見えた。そばのギャル二人連れに教えてあげると「うわー、見えるんだー、あそこから来たんだねー!」と歓声をあげていた。京都タワーには、こんな灯台みたいな役割もあるんだな。



11月4日(火)
 朝おきると熱い紅茶を一杯飲み、すぐ散歩に出る。といっても長い距離ではない。堀川通を四条から五条まで往復するだけである。朝日を浴びるためなのだ。堀川通は広いので西側の歩道はよく朝日が当たる。ゆっくり歩きながら、ときどき立ち止まって深呼吸したり、首を回したり、肩を上げ下げしたりする。朝日をまっすぐに見る。子供のころこんな遊びをやった。太陽を見つめて眩しくなり、目を閉じると太陽の残像が見える。残像が仏様のように見える。昔のじいちゃんばあちゃんが、朝日に手を合わせてた気持がよくわかる。朝日を浴びると脳内にセロトニンという物質ができるそうだ。セロトニンは脳を活性化し、やる気を出させ、気分を明るくするらしい。それにぐっすり眠れて目覚めすっきりになるという。いまは紫外線の害ばかり強調されるが、やっぱり適度な日光浴は心身にとても大切らしい。



11月1日(土)
 ひょんなきっかけでクラシック音楽を聴きはじめた。これまでせいぜいポップス、ジャズまでで、いやー、クラシックなんて、と敬遠してきた。ほろ酔い機嫌で大丸ちかくの「JEUJIA 」に寄り、ふと一枚のCDを買ったのが発端。以来ときどきCDショップをのぞくようになった。なんか新しいことを始めるとき、ぼくは本から入るたちなんだが、クラシックばかりは本はやめた。ぶっつけでいこう。しかしCDも安くはない。そうそう次々には買えない。かといって図書館で借りるのも手続きが面倒だしね。
 なんて思っていたら、五条の「ブックオフ」で中古CDを見つけた。中古といっても未開封の新品だ。これがなんと250円から買える。250円、750円、1000円の3ランクある。250円でもけっこういいのがある。4枚で1000円だよ。こいつはありがたい。かたっぱしからよさそうなのを10枚買った。一口にクラシックといってもあまりに幅広い。どんなのが好きなのかまだ分からない。しかし誰の何という曲かは知らなくても、どこかで聴いた印象的なメロディは、けっこう憶えてるものだ。CDを聴いていてそんな旋律にぶつかると「おや、おまえ、こんなとこにいたんか!」なーんて、まるで旧友にめぐり会ったような気がする。幼いころ近所で鳴ってた曲が、ビゼーの「アルルの女組曲」であったことが、いまはじめてわかった。



10月30日(木)
 北大路のVIVREそばのスターバックスはいい。南の北大路に面したテラスのテーブルが快適だ。街路樹の銀杏からの木漏れ陽を浴びながら、ゆったりとコーヒーを味わう。秋の陽は暑くはないし、心地よい風が吹き抜ける。そばの立命館小学校の子供たちが三々五々下校してゆく。小奇麗な制服におそろいのバッグ。男の子がつながって電車ごっこしながら通り過ぎる。女の子はもっとおすましで過ぎる。
 もしヨーロッパの老紳士なら、このまま小半日も無為を楽しむのだろうが、日本の紳士(?)はそれほど気が長くない。やおら腰を上げて鴨川方面に向う。北大路はどうやら洛北のターミナルになったようだ。バスターミナルがあるし、買物なら VIVRE、大垣書店本店があり、洋食のはせがわもある。北大路通から下鴨本通に曲がり、下鴨神社の糺の森を抜ける。この森はいつ来ても心が洗われるようだ。



10月29日(水)
 ひさしぶりに映画に行った。「ICHI」という映画。あの勝新太郎の「座頭市」を女バージョンにしたもの。主演の綾瀬はるかが好きなんで見ようと思った。彼女がこんな汚れ役を演じるとは驚きだが、さすがに監督はスルドイ。彼女がそこらのかわいい子女優とは違うことを見抜いて起用したのだろう。盲目の瞽女(ごぜ)<三味線引き>とは難しい役だけど、汚れ役だけに美しさが光っている。静の場面が多い映画の中で、一瞬動に転じる居合い抜きが小気味よい。ねがわくば、「座頭市」みたいにシリーズものにはしてもらいたくない。そうなれば、もう彼女の輝きは消えてしまうだろう。彼女は広島出身なのでよけいに応援したくなる。



10月27日(月)
 雨が上がって快晴になった。よし、朝から出かけよう。目指すは上賀茂あたり。市バス9番で御薗橋まで行く。上賀茂神社に参拝する。ここの参道はほとんど樹木がないので、朝日がギラギラ照りつける。この季節来てる人も少ない。外国人の老夫婦が熱心にカメラを向けているのが印象的だった。修学旅行の女学生がちらほら。神社前の道を東に向う。小川に沿って社家(しゃけ)が連なっている。せせらぎの音が聴こえる。
 この道は北山の裾ぎりぎりの小道だ。芸能の神様といわれる大田神社。そばの大田の沢にはカキツバタが群生してるが、残念ながら花の時期ではない。さらに東へ歩くと、深泥池(みぞろがいけ)に出る。氷河期の植物が残ってるそうで、天然記念物だ。ここから南に転じて北山通に出る。昼にはまだ早い。北山通の洒落たお店などを眺めながら鴨川へ歩く。川沿いの半木の道(なからぎのみち)という並木道を北大路へ。北大路橋たもとの「グリルはせがわ」で洋食を食おうかと思ったら、残念!定休日であった。しょうがない。地下鉄で烏丸へもどろう。



10月26日(日)
 ゆうべ高倉通をあるいていたら、錦市場をちょいと上がったとこで面白い光景を見た。酒屋の戸口から灯りが漏れて、内部のもようを見せている。大勢の客が立ち飲みしてるのだ。入口には背の高い外国人が二人。奥行きの深いずっと先までにぎやかだ。「松川酒店」 という看板。いったん通り過ぎたんだが、後ろ髪を曳かれて戻り、店に入った。
 入ったはいいけど、どこで酒を買ってどこで飲めばいいか、その仕組みがわからない。うろうろしてたら、飲んでるおじさんが教えてくれた。まずアルミのお盆をもらって、積んであるビールケースの上に乗せる。酒は壁際の冷蔵ケースから自分で好きなのを取り出す。アテもあるようだが省略。おじさんが場所を空けてくれたので、おしゃべりしながら飲む。みんなすぐ友達になる雰囲気。この人(Aさん)は40年前にここで飲んだことがあるという。なにせ古い店らしい。独特な立ち飲み流儀は年期がはいってるんだ。
 話してたら、Aさんはぼくと同じ年だとわかった。登山が趣味だけど、ガンで手術してから無理がきかなくなったそうだ。もうひとりのBさんはひと回り若いけど、この人もガンをやってほかに持病があるという。そうなんだ。大病してないぼくなんか、なんと幸せなことか!楽しく飲んでたんだが、ハプニングが起きた。Bさんが突然その場にしゃがみ込んでしまった。客が取り巻き、店の人がとんで来て、救急車を呼び、救急隊員が数人かけつけた。担架に乗せて運び出した。家は近くだと言ってたが、大丈夫だったかなあ?心配だ。



10月24日(金)
 雨上がりの木屋町筋をそぞろ歩いた。五条通から上がって四条へ向う。このあたりの木屋町はいい。人通りも少なく静かだ。高瀬川の澄んだ流れが心をいやす。とくに花の季節は桜並木が美しい。そのころ、早朝に散歩するとじつに気持がいい。ただし、この界隈は「たん熊」「鳥彌三」なんて一流どころが多いから、ひとりで気軽に入るわけにはいかない。おなじ木屋町筋でも四条を上ると景色は一変する。歓楽街。昼間はまあ、それほどでもないが、暗くなると女性はこわいだろう。先日めずらしく夜の木屋町を通ったが、男のぼくでもちょっとやばい感じを受けた。ピンク商売の侵食がいちじるしい。行きたい店の路地に入るのを躊躇してしまう。昔からある老舗には気の毒な有様である。



10月22日(水)
 きのうまでの秋晴れから一転、いまにも泣き出しそうな空模様である。昼食のあと、きょうは遠出はできんなと思いつつ御池通に来たら、ものすごい人波に驚いた。やや、なんだ、なんだ? あっ、そうか、今日は時代祭だったか。御池通の烏丸から東は車両通行禁止。車道の両側には見物席がにわか作りされている。紅白の幕の後方に椅子が四列。観光客や外国人たちが座って、行列を待っている。パンフレットをもらって席にすわるには、いくら払うのかな? 地元人はそんな散財はしない。歩道で首を伸ばしている。ぼくもその口だ。やがて行列がしずしずとやって来た。来日中のミス・インターナショナル各国代表の美女たちが、「美の観光親善大使」として先頭を歩く。ついで明治維新の官軍の鼓笛隊がにぎやかに登場した。明治から時代を遡って平安朝にまでいたるんだが、とてもとてもそこまでは見てられない。おまけに雨も落ちてきたので、早々に切り上げる。しかし出場者は、常ならぬ大層な扮装(重いだろう)であるくのだから、雨じゃ可哀想だな。



10月21日(火)
 ひさしぶりに下鴨神社を散策した。ここの境内の糺の森(ただすのもり)が大好きだ。なみの寺社の境内とは違って、これは昼なお暗い鬱蒼たる原生林である。京都で最高の森林浴ができる。森の大気を胸いっぱい吸い込む。森の精がなにか語りかけるような気がする。自然から元気をもらえる。本殿の横から下鴨本通に出る。ちょっと休憩しようかと思ったら、ちょうど、Cafe Woody townという喫茶店があった。落着いて居心地のよい店だった。「白玉あんみつ」なんてものを注文した。やっぱり疲れると、甘いものが食いたくなるのかしら。プニュプニュした白玉の食感がおもしろい。歯と舌でころがして遊んでしまった。ぼくにはいささか甘過ぎたけど、まあ、おいしかった。元気になって下鴨本通を北山通まで歩くことにする。話には聞いてたが、この下鴨一帯は高級住宅地らしいね。閑静な通りに塀と植木のきれいな住宅が整然と並んでいる。マンションやビルはない。お金持ちがいっぱい住んでるんだろうね。帰りは北山駅から地下鉄に乗った。



10月18日(土)
 驚いた。高校時代の友達がなんと、東京日本橋から京都三条大橋までの、東海道五十三次歩き旅をやりとげたのだ。きょうの夕刻、三条大橋にたどりついた。われわれ関西の同級生十名が出迎えて、壮挙を祝った。会場は小生ひいきの太郎屋さん。一階の座敷を借り切って盛大に祝賀会をやった。約二十日間、一日30キロを歩き通したんだから、まあ、大したもんだ。思わず、先を越されたなあ、と思った。ぼくも歩くのが好きなので、似たようなことをやりたいと、じつは考えてたのだが。道に迷ったり、泊まるところがなくて、電車で戻ったりと、いろいろ苦労話も聞いた。かならず足にマメが出来るので、この治療法は必須だとのこと。二次会はカラオケに行き、そのあと旅人本人と二人でまた一杯飲み、ホテルまで送った。ひさしぶりに賑やかで愉快な酒を飲んだ。楽しかった。



10月17日(金)
 洛北の鷹ヶ峯というところへ初めて行った。鷹ヶ峯といえば本阿弥光悦の芸術村(光悦村)と「吉野太夫」で知られたところである。バスで仏教大学前まで行き、そこから歩いた。北へ向ってかなりの登り坂だ。京都で坂道を歩くことはまれだ。ゆっくりと坂を登る。途中、左手に豊臣秀吉が築いた「御土居」の跡が見える。高さ数メートルの土盛である。樹木・雑草が生い茂っている中に石垣がのぞいている。延長23キロもの御土居で京の町を取り囲んだというから、秀吉もようやったもんや。ヨーロッパでは町を囲む城壁は当たり前だが、日本では実に珍しい。

 千本通のどんつき(突き当たり)が鷹ヶ峯の交差点。左に折れて間もなく「光悦寺」だ。木々にかこまれた細い石畳の参道を抜ける。どう見ても寺の趣きではない。拝観料300円を払って入る。山間に点在する風雅な庵の群れ。寺というより、やっぱり芸術村だなあ。本阿弥光悦は江戸時代初期の書家、芸術家。元和元(1615)年に、徳川家康から鷹ヶ峰に9万坪という広大な土地を与えられ、光悦は一族や町衆、職人などの法華宗仲間を引き連れて、この地に移り住んだという。石のベンチでひと休みしてると、なんとものどかな気分になってくる。目の前にこんもりした鷹ヶ峯が見える。一角に光悦の墓碑があった。

 光悦寺を出て、しばらく東に歩くと「常照寺」がある。入口にはかの吉野太夫が寄進したという朱塗りの山門がある。吉野太夫は六条柳町の遊女で、当時の大スターであった。才色兼備を謳われ、いまも究極の「京おんな」は吉野太夫といわれるほどだ。吉野太夫をめぐって後の関白となる公家と争い、太夫を正妻に迎えたのが灰屋紹益。彼は光悦の仲間であった。38歳で夭逝した彼女の死を、灰屋紹益は骨灰を飲み干してしまうほどに悲しみ、「都をば 花なき里となしにけり 吉野を死出の山にうつして」と詠んだ。この歌が石碑に刻まれている。ここまで言わせるとは、さすが吉野はんどすなあ。

 帰りのバス停を探してだらだら坂を下り、玄啄下というところまで来ると、「ラーメン楽楽楽」という看板が目についた。駐車場もある大きな店。昼時でもあり、なんとなく勘が働いたので立ち寄った。ラーメンとチャーハンのセットを注文。香り油入りとろうまラーメン、ときた。とんこつベースらしいが、そんなにどろどろではない。香り油がきいてる。メンマがうまい。取り放題のニラ唐辛子がいいね。濃ぉい味のチャーハンもいける。総合評価・・当たり。ここならまた来たい。総じて今日のお散歩は“ま、いいんでないかい”という感じ。



10月16日(木)
 楽しみに待っていたお店が本日開店した。新町四条下るところの「矢尾定」さんである。以前は仕出し専門だったが、数カ月前から京町家作事組の手で改修工事にかかり、「ごはん処」のオープンが予告されていたのだ。さっそく昼食に出かけた。縄張りうちで新規開店があると、入って見ずにはいられない質(たち)である。当たりもあればはずれもある。はずれの店の悪口は書かない主義なので、水面下に隠れてるだけだ。さて、二階建ての町家店鋪は上から下まですっかり美しく端正に仕上がっている。「おいでやすう」という割烹着の奥さん(?)の声が、なんともいい感じ。やわらかい京ことばの抑揚にまず感激。「はじめてのお客さんです」と言われた。これは光栄のいたり!一番乗りははじめてだ。
 お昼は800円から1200円くらい。なにはともあれ顔見世なので、松花堂弁当と抹茶プリンを奮発した。さすが京都の仕出し屋さん、上品な京の味。そこらのめし屋とは比べものにならない。奥さんに「おいしかったです」と言ったら、「二十歳の女の子が作ったんですよ」とのこと。びっくり。隣には旅人らしい老年の女性二人。知らずに偶然入ったら、きょう開店と聞いて「ラッキー」と喜んでいる。そうだ、京都に来る友人を案内するには格好のお店だな。新町通もいいし、町家の店構えや雰囲気、そしてお料理。きっと喜んでくれるだろう。家から近いし、付近にひいきの中華屋さんもあって、昼食選びにはとても便利だ。これからひいきにしよう。



10月13日(月)
 めずらしく大阪くんだりまで街角探訪に出かけた。道頓堀とか難波なんかの雰囲気はあんまり好きじゃないが、北浜あたりは古色蒼然たるレトロビルが残っていて、いい感じだという。阪急梅田駅で二時、友達と待ち合わせた。いつも思うけど、大阪駅周辺というのは何と雑然としてわかりにくいことか!抜けるのに一苦労である。おまけに友達が「こっち、こっち」と変な方向へ誘導したので迷ってしまった。御堂筋までたどりつくのに、えらい大回りをしてしまった。やっぱり女性の方向音痴はあかん。

 しかし、きょうは最高の秋日和だ。日射しがちょっと暑いくらいだが、吹き渡る風がなんとも快い。堂島川を越えて、中ノ島に渡る。ギリシャ風の図書館の大階段で、なんだか若者がパフォーマンスをやってる。子供が集ってるので、どうもマンガキャラクターかなんからしい。休日なので中ノ島はイベント会場である。公会堂前では児童の吹奏楽をやっている。地下鉄中ノ島線の開通直前なので、工事中のあわただしさ。やがて獅子の彫像が見事な難波橋。橋の欄干に寄りかかって川風を楽しむ。超高層マンションが目の前に聳えている。橋の向こうは大阪証券取引所ビル。風格がある。写真を撮った。そばの北浜レトロビルの喫茶店で休もうかと思ったら、長蛇の待ち客。こりゃあかん。

 堺筋を下って「GOKAN(五感)」という店に入った。古い銀行跡のビルがケーキ屋さんになってる。有名らしい。天井の高い空間が独特な風格である。ここも行列だったが、待つことにする。ほとんどの客がケーキセットを取る。目前のケーキを見ながら申告するしかけだ。ぼくはクレームブリュレ、相棒は抹茶プリン。やがて呼ばれて階段を上がり、二階の小部屋へ通る。白壁にクラシックなインテリア。大正ロマンの香りだね。コーヒーはポットで出てくる。二杯分はある。並んでやっと座った席だから、ゆったりしなくちゃ損損。店を出て、堺筋から道修町へとぶらぶら歩き。建築中の日本一高い高層マンションを見上げる。首が痛くなるほど高い。真っ黒な蔵の連棟が珍しい。休日の道修町あたりは静かで落ち着ける。あちこちのレトロビルを見物した。帰りに駅前の居酒屋で一杯。秋田の冷酒は旨かったが、肴はいまいちであった。



10月8日(水)
 夕暮れにさそわれて、ふらりと街に出た。昼間は暑かったが、夕べの風が心地よい。晴れた夜空に半月が冴えている。別にあてはないが、なんか面白そうな店はないかと探してる。烏丸通を越えて、蛸薬師通を東へ歩く。柳馬場あたりにぽっかりと灯りが見える。立呑屋「印」とある。こいつはたしか西院にある店の出店だろうな。錦小路にもあって、寄ったことがあるが、ここは最近閉店したもよう。ちょいと心曳かれたが、まあ、見るだけにして過ぎる。錦小路に入って戻り、大丸の裏通りまで来た。すると、なんとここにも立呑屋。
 暖簾に「自然食的百円立呑居酒屋ー1coin standing bar」とある。こいつは見逃せないな。店名はマルに「百」の字。酒もアテも何でも百円! 生ビール・ダブル(二百円)を頼む。アテは好きな小鉢を自分で取るシステムだ。聞くと、昼間は弁当と惣菜を販売する「遊食邸」という店という。夕方から立ち呑み居酒屋「百」に変身するらしい。おもろい店だ。サラリーマンのおとうさんにはうれしい味方である。しかし、新入社員やOLも来てる。外国人も来るらしい。ぼくの隣のおじさんは、いきなりつまみ四品と酒三種を並べて、新聞を読みながら呑みはじめた。自分なりのスタイルが出来てるベテランのようだ。ひょっとして、単身赴任さんかな?ビールと酒を一杯ずつ呑んで店を出た。これで数百円!こいつはいいなあ! ちょくちょく利用しよう。ほろ酔い機嫌で家路をたどった。



8月17日(日)
 とつぜん秋がきた。きょうは気温もぐっと下がり、心地よい風が吹いた。威嚇的な入道雲にかわって、高い空にすじ雲がなびいている。ゆうべは「大文字送り火」だった。友人のIさんご夫妻をわが家にお迎えして、送り火を楽しんだ。わが家の屋上からはよく見えるのだ。珍しく涼しい風が吹き渡って、ことしの送り火はよかった。猛暑だったから「ゆく夏を惜しむ」というより「来る秋を心待ちにする」風物詩だったが、どうやら秋の気配も近いようだ。そして、きょうの涼しさ。いよいよほんものかな?ことしは暑さが早く来たのだから、涼しさも早く来てほしいものだ。



7月29日(火)
 いやー、まいった、まいった。夏バテだ。ことしは梅雨明けがはやく、猛暑もはやく来た。こう猛暑が続くと、冷房から出る気もしないし、食欲もない。酒も飲まない。ざるそばみたいなもんばっかり食ってたら、バテてしまった。むかしは夏大好き人間だったのになー。あきまへんなー。いまでは夏より冬のほうがいい。きのうきょうは雨で気温が下がったのでありがたい。



7月12日(土)
 女学生を見てきました。たくさん見てきました。しかもみんな浴衣。いいですね。たまりませんね。きょう12日は毎年、室町通で鶏鉾の曳き初めがある。ここの曳き初めは、よそとはちょいとちがう。ご町内に「池坊女子短大」があるからだ。賑やかなのだ。華やかなのだ。ぜひとも一度見たいと思いつつ、三度の祇園祭を過ごしてしまった。四度目にしてついに行きましたね。ことし一番の炎天下をものともせず。
 満足した。ひとりひとり見れば、浴衣の着付、髪型、歩き方にやや難もある。しかし、これはと思う浴衣美人もいた。写真に写ってた。このごろは濃い色柄の浴衣が多いようだ。個人的には白っぽい浴衣のほうが好きなんだけど。それにしても、浴衣に茶髪の垂れ下げ。これはどうもね。不潔っぽい。とかなんとか言いながら、おじさんも、ま、物好きだね。



7月10日(木)
 四条通で長刀鉾、函谷鉾、月鉾の建て方が始った。目抜きの四条通を一車線シャットアウトして、鉾の組み立てをやるんだからすごい。京都ではすべからく祭り優先なのである。専門の職人が縄だけで組み上げてゆく。ことしは特に外国人観光客が多いので、みんな一斉にカメラをかまえている。明日からは鉾の見学や、試し引きや、ちまきの販売などが行われる。やがて夜店が出てくると、宵々々山、宵々山、宵山と盛り上がり、祭り気分は最高潮になる。さてここで、雑学クイズ。「四条通の信号には、祇園祭のための特別な仕掛けがあります。それはなんでしょう?」・・・・答え「鉾がぶつからないように、信号が90度回転して、道と平行になります」たった一年一度のために、そこまでやるか。すごいでしょ?



7月7日(月)
 祭り気分が高まってきた。京都以外の方には、祇園祭といえば7月17日の山鉾巡行だろう。しかし京の町中に暮らすものには、7月1日からもう祭りは始っている。いや、それどころか、6月30日には早くも函谷鉾の鳥居が四条烏丸に立つ。いまでは月鉾、長刀鉾の鳥居も立ち、四条通にはずらりと提灯が並んでいる。山鉾が出る新町通の電線には、黄色い防御ネットが張られている。準備万端おさおさ怠りない。10日からはいよいよ四条通で鉾の組み立てが始る。
 きょう四条通で浴衣の娘さんを見かけた。いいもんだね。着付けはいまいちピリッとせんが、髪をアップにして“うなじ”を見せてたとこは「合格」である。続いて、これも浴衣の若い衆が二人、並んで歩いてきた。一人は袖をたくし上げて、日に焼けた逞しい腕をむき出している。いいねえ。いなせだね。男のぼくがそう思うくらいだから、若い娘ならフラッとくるだろう。やっぱり日本人には着物が似合う。日本人の美意識はしっかりDNAに刻まれている。洞爺湖サミット、福田さんも和服着てさ、伝家の宝刀でも抜いたらどうよ?
 先日、行きつけの太郎屋で飲んでから新町通に出たら、賑やかな祇園囃子が聴こえてきた。いいなあ。すぐそばの放下鉾の会所。町家の二階を思いきり開け放って、浴衣姿の町衆が張り切っている。これを「二階囃子」と呼ぶ。夕涼みがてらの聴衆が、笑顔で通りから見上げている。太郎屋のお仲間のIさんに会った。Iさんは菊水鉾のご町内で、毎年祭りの世話役をされている。12、3日には菊水鉾を見せていただく。14日には新町通の旧家で「祇園祭のしつらえ」を拝見する予定だ。京都に来て三年。ぼくの祇園祭もやっとここまで来た。町になじんできた。



6月28日(土)
 三条小橋のたもとに新しい店ができた・・・PIZZA SALVATORE。偶然見つけたんだが、開店したばかりという。半地下の店鋪が高瀬川に面している。川べりに洒落た屋外テラスも見える。三条小橋から見下ろすと思わず誘い込まれるような外観である。入るとすぐにピッツァ工房と厨房がある。大きなピッツァ窯が見える。厨房の前面にカウンター。奥はテーブル席。かなり広い店内に、働く人も20人あまり。みんな生きのいいお兄さんやお姉さん。白シャツに黒エプロンできびきび動く姿が小気味よい。
 カウンターに陣取る。目の前が厨房だ。ピッツァ・ランチにした。パスタ・ランチもある。待つ間にサラダとドリンクが来る。アイスティがじつに美味しい。紅茶の香りが高く濃い。飲み物にここまで気を配ってるのならと期待させる。やがてピッツァが来る。窯からカウンターまで3メートル。まさに熱々出来たて産地直送。思ったとおり旨かった。生地のもちもち感が本物だ。ピッツァが大好きなんだけど、これはという処がなかった。これからはここに来よう。



6月25日(水)
 早朝に散歩して、帰りに烏丸三条のスターバックスでお茶した。ここのテラスで行き交う人々を眺めるのが好きだ。なにもシャンゼリゼのカフェまで行かなくても、ここで充分だ。なかでも若い女性はいいね。おじさんにとって、美しい女性を見るのは楽しい。いやされる。その意味では、娘はみんな“いやし系”である。さて、ここで残念なことがある。ひとつは“パンツかスカートか問題”である。いまはほんと、スカートが少ないね。きれいななま足が見られないのは寂しい。つぎに残念なのが、ヘアースタイルである。長い髪で顔の側面やバックを隠してる女性が多い。これはじつに惜しいね。これだといわば“正面観賞性”になるわけで、目鼻立ちで勝負するしかない。一般には不利ではあるまいか?

 ご本人たちも気づいていない美。若い娘の“うなじ”は素晴らしく美しい。頬から首すじにかけての線と白い肌。まさに「いましかないよ」という美しさ。娘はみんなそうなんだよ。これを隠す手はないだろう。隠すのはもっとあとでいい。アップにした“うなじを左後方45度”から見ると、みんな美人である。さすがに着物はこのへんの秘密をよく心得ている。長い歴史は伊達じゃない。祇園祭の宵山には、美しいうなじの浴衣姿を見たいもんだ。そして“えりあしを抜く”着物の知恵。これを洋装にも生かせば、もっともっと美しくなるよ。



6月18日(水)
 若いときは夏が好きだったのに、やっぱし年のせいかな、暑さがしんどい。富小路のひいきの店まで出向くのがちとつらい。ま、手近で間に合わせるか、なんて始末。そんなわけで、新しい昼めし処を開拓した。新町四条上るところ西側の「酒菜食房いち」である。ここはたしか去年開店したと思う。以前はガラス張りの明るいカフェみたいな店だった。こんどは和食だが、ガラス張りはそのまま生かされている。夜になると暗い通りにポッカリと灯りの空間が浮かび上がる。ぼくが一番よく通る新町通の縄張りうちなので、開店時からチェックしてはいたんだが、入るのははじめて。
 ランチは二種類で900円。ハモと野菜のフライを選んだ。色とりどりのサラダ、出し巻き玉子、冷奴おくら添え。デザートに小さなみつ豆が付いてる。質量ともに満足だ。お味噌汁もおかわりできるのがいい。店内は明るく清潔な感じ。店の人はみんな若いお兄さんだ。独立して「さあ、やったるで」みたいな意気込みと気概が感じられる。対応もよい。丁寧できれいな盛り付けの料理といい、デザートのみつ豆といい、若いお兄さんといい、これは女性に受けるだろうな。案の定、あとから次々入って来たのは全部女性。おれの勘もまんざら捨てたもんじゃないね。カウンターに置かれた手鞠が気に入った。



6月16日(月)
 ご近所に小洒落たバーが誕生した。「The Door」という。堀川通四条上る50米東側に最近開店した。築120年の町家を生かした店構え。いかにも隠れ家に忍び込むという感じの門口。照明ひかえめの空間に重厚なカウンター。ホテルのバーみたいな雰囲気。さもありなん、ご主人は長年ホテル・バーで修業された方。大人が静かに飲む場所を造りたいとのこと。スコッチ・モルトをロックでいただいた。午前2時までやってる。眠れないときの寝酒に、格好の店である。



6月12日(木)
 こう暑くては散歩もしんどい。冷房の効いた喫茶店で読書するのがいい。いま 池波正太郎の「鬼平犯科帳」にはまっている。全25巻ほどあるようだが、やっと12巻まできた。これは江戸の盗賊を描いた“悪漢時代小説”ともいえようか。江戸の盗賊といえば、鼠小僧に弁天小僧。歌舞伎にも“白浪物”という悪漢の系譜がある。しかし「鬼平」の主役は盗賊ではない。これと対決する“火付盗賊改方長官”で、「鬼の平蔵」と呼ばれる長谷川平蔵が主役である。この人物の魅力・・・これである。いさぎよい気っ風。厳しくも、やさしく、たのもしく、深い鬼平の人間味が読ませる。さしずめ理想のリーダー像とも言えようか。

 「鬼平」は、中村吉右衛門主演のテレビドラマでも大ヒットした。残念ながら当時は鬼平にはまってなかったので、ちょっとしか見ていない。再放映してくれないかな? ところでこのテレビシリーズは、すべて京都で撮影されたんだよ。原作の主な舞台は江戸なのにね。なぜか? 江戸の情景はもう、東京では撮れないからなのだ。往時は“水の都”であった江戸の映像には、川と橋が欠かせない。しかし東京の川や橋はもはや絵にならない。江戸の川はほとんど地下に埋められ、橋も消えた。その典型と言えるのが数奇屋橋である。

 この小説を読んでると、江戸の地名がたくさん出て来る。とくに上野・浅草・本所・深川界隈が多い。長年東京に住んでいたので、おおよその見当はつくが、正確に地理を把握したい。昭和三十年代の地図を持ってるので、これを引っぱり出して参照する。この地図は実に貴重だ。高速道路はまだない。川も橋も残っている。古い町名もけっこう残っている。週刊誌流に「これが東京をだめにした!」と言うなら、ぼくは“高速道路”と“地名改悪”をあげる。

 都心にまで高速道路を入れたのは最悪の暴挙である。コンクリート高架の高速道路が、どれほど醜く“町”を破壊することか、計り知れない。江戸の象徴とも言える日本橋の頭上に高速道路を架けるなど言語道断。また昔からの歴史を受け継ぐ地名。それは国民共有の遺産だ。風土、景観、歴史、宗教、情緒までとどめるのが地名の漢字である。それは絵画・文学・演劇などの芸術文化とも不可分に結ばれている。これをあっさり切り捨てた政治家・官僚の、なんたる無教養。いかに高層ビルが林立しても、道路と地名が残っていれば、町の骨格は生きている。東京に必要なのは、ある意味の“復古”だ。“高速道路の撤去”“川と橋の再生”“地名の復元”である。



6月1日(日)
 上方とちがってお江戸には蕎麦好きが多い。蕎麦屋も星の数ほどある。なんか最近とみに蕎麦の評判が高い。蕎麦特集の雑誌があいついで出る。「蕎麦」は、日本食に独自の地歩を占めているようだ。それもかなり高い地位を誇っているようだ。なかにはたてまつったり、拝んだりする人もいるらしい(?)。蕎麦の蘊蓄を語ればきりない人、蕎麦道を極めんとする人。ついには蕎麦打ちにのめり込み、手打ち蕎麦屋まで出しちゃう人もいるらしい。“ようだ”とか“らしい”とか曖昧な表現をしたのは、実はよくわからないからだ。蕎麦の講釈。蕎麦好きの情熱。ぼくにはどうもよくわかんない。いまいちぴんとこない。どっちかというと西国育ちで、子供の時分に蕎麦なんか食ったおぼえがない。東京の蕎麦屋にぶったまげて「生蕎麦(なまそば)ばっかしだ」と言った西国人が(ぼくではありません)いるとかいないとか。
 そんなわたくしが、ちかごろ夏には蕎麦を食うようになった。年をとったせいかな? 蕎麦の“あっさり”が好ましくなってきた。でも、いまだに「ああおいしい」という感覚ではない。味だ、香りだ、コシだ、ツユだ、すすりこむんだ、なんて通人にはついていけない。なにより好きなのは“清涼感”。これである。これに尽きる。店構え、暖簾、器、酒、つまみ、店の人・・・すべてに“清涼感”がなくてはならない。きたならしいのは御免だ。雰囲気のよい“蕎麦屋で飲む”心持ちがなんとなく分ってきた。いまの季節がとくにいいね。軽いつまみで冷や酒を一合やって、仕上げにざるそば。手ずからおろす山葵の清涼感がたまらない。“蕎麦屋の酒”はちょっぴり孤独なとこがいい。



5月30日(金)
 梅雨まぢかのどんよりした天気。でも涼しいのはありがたい。ひさしぶりに初めての店に入った。立ち読みした雑誌に出てい、ぼくの縄張りうちだったので行ってみた。室町通仏光寺上る東側の細いビル。「シトロン・サレ」という。一階は洋風惣菜とケーキを売っている。2ー3階がバール風レストラン。奥のカウンターが落着く。可愛い娘さんがサービスしてくれる。サンドイッチを食べた。造りは丁寧だな。夜はワインでも飲みながら小料理をつまむにいい感じ。手頃な洋風つまみの種類が多い。こんどは夜に行ってみよう。行きつけの太郎屋は、おばんざい中心の和風飲み屋だが、シトロンは“洋風太郎屋”みたいに定着するかどうか? まだ出来たばかりの店らしいから、先行きはわからない。しばらく見てみよう。



5月29日(木)
 新町四条上るところに、京都学園大学の「町家キャンパス」というものが出来た。完成披露の折りに見学させていただいた。なかなか立派な町家教室である。奥深い町家の前半部分が、“寺子屋風”の空間になっている。教室が四つばかりに、パソコン・スペース、さらに蔵の上下も教室らしい。出来の悪い学生は蔵に押し込めてしごくのかな?なんて思った。新町といえば祇園祭のメッカである。このあたりから沢山の山鉾が出るし、この通りを山鉾巡行が通るのだ。だからこの通りだけは、道を横切る電線がまったくないのだ。そんな立地だから、祇園祭の実地体験をしたり、京町衆の歴史を学んだりするのだろう。こんな動きは、同志社や立命館などにもあるようだ。しかし最近の学生は恵まれてるなあ。学食(これも死語かな?)だって、ホテルのレストランみたいなとこで、フレンチやイタリアンときちゃう。まいったね。鯖味噌定食やレバニラ定食じゃないんだぜ。ま、こうでもしないとお客さんが集らないらしいね。やれやれ!



5月19日(月)
 どんよりとした曇り空。夕方には雨になるらしい。あまり歩く気にならぬ。烏丸仏光寺の「かごの屋」で昼定食を食べた。このところときどき利用する。スターバックスの隣のビルにある。二階に上がり、銭湯式の下足箱に履物を入れる。中はひろびろした和食の店である。清潔で明るい店内。一席をゆったり占領して食事ができるのがいい。定食が来る。本日は「鮪とイカの刺身、野菜天麩羅、肉豆腐」の三品に小鉢、漬物。日々変わる三品の案配がよい。質量ともに満足である。これで850円はお値打ちか。



5月15日(木)
 快晴の初夏。きょうは一年に何度もない特別の日。神様の贈物の一日だ。御池通のけやき並木が、美しい新緑をこれでもかと見せつけている。日向に出ると汗ばむけれど、日陰に入ればたちまち汗が引く。からっとした爽やかな風が吹き渡る。まさに“生きてる喜び”。広い歩道には昼の弁当を売る屋台が点々と並び、娘さんの呼び声が流れる。サラリーマン・OLが三々五々屋台に集ってくる。のんびり会話しながら弁当を選ぶ。京都の風景だなあ。東京じゃこうはいかないよ。走ってきて、並んで、まとめ買いして、また走って帰る、なんてのが東京である。あんまり気持がよいので、御池通を往復してしまった。じつは、きょうは“新緑の都大路に王朝絵巻”の葵祭なんだけど、こんな快適な日に、なにもわざわざ人込みにまじることもあるまい。

 先日同窓会でひさしぶりに昔の仲間たちに会った。みんな年をとったけど、いにしえの少年少女の面影を残している。それぞれ近況を語った。その人なりの楽しみを見つけて暮らしているようだ。ぼくは思うんだけど、“老いる”ということは年々“余分なものをそぎ落としていく”ことじゃないかしら。たとえば、車は処分する。くだらんテレビは見ない。新聞はとらない。義理の付合いはしない。東京を離れて京都に移住するとき、無意識のうちにそんな思いがあったようだ。

 生きていくのに欠かせないのは「食べる(出すを含む)」「寝る」だよね。つぎに、人間も動物(動く物)だから「歩く」こと。歩けば楽しい。歩けないと悲しい。自分の足で歩くのが肝心だ。車や自転車で“楽しよう”なんて根性ではあかん。そして「思う」ことこそ人間の証しである。つまるところ大切なのは「食べる」「寝る」「歩く」「思う」の四つだけだ。かつては「仕事」「セックス」などもあったが、まあ卒業した。卒業してないッ!という方もいるかもしれんが、そういう人はちょっとはずしてください。

 「寝る」はまあどこでもいいので気にしない。「食べる」「歩く」「思う」には暮らす環境が大きい。京都に来てよかった。ぼくみたいな外食人間には「食べる」環境が死活問題だ。京都には安くて美味しい食事どころがいっぱいある。しかも気軽に歩ける範囲にだ。「歩く」ことは「人に会う、物に会う」ことでもある。歩いて、見て、聞いて、触れて、感じて、「思う」ことにつながる。だから住んでる町、会う人はとても大切だ。「食べる」「寝る」「歩く」「思う」を大事に暮らしたいと思う。



5月13日(火)
 一泊二日の南紀白浜珍道中から無事生還した。高校時代の同窓会である。地元はもとより、東京・広島からもかけつけ総勢21名。おじさんと、もとめ(元乙女)の大集団である。マイクロバスに乗り「千畳敷」「三段壁」「アドベンチャーワールド」「とれとれ市場」「道成寺」をまわる強行軍であった。道中は紆余曲折あった。元気溌剌、意気軒昂、欣喜雀躍、急転直下、波乱万丈、青息吐息、苦心惨憺、悪戦苦闘。音信不通の迷子さがしなどもあったが、さいわい竜頭蛇尾ならぬ画竜点睛で終った。よかったよかった。はてさて、何をどう書いたらよいかしら。なにしろ内容豊富、百花繚乱じゃけんのう。
「今昔の めぐる月日は 走馬灯」
ホテル篇:
 おなじみ“湯快リゾート”の格安ホテル。着いて部屋に入ると、もう布団が敷いてある。食事は朝夕ともにバイキング・スタイルという、徹底省力化の宿である。でも、これで充分じゃけんね。なによりお手頃な値段がええわいね。
バイキング篇:
 豪華とは行かないが、ま、そこそこ満足できる水準である。やっぱり寿司が一番人気で、つぎつぎに消費され、つぎつぎに補充される。ここだけ回転寿司にしたらどげんねー?と思った。たっぷり盛られたエビフリャーならぬエビテンも人気だがや。名古屋にちきゃーでよ。ジュース、コーヒー、ソフトクリームなども飲みほうでゃー。ただしアルコールは別途お金ちょー。おのずから酒はひかえ目になって、健康的なお食事になる。バイキングちゅうのは各人の嗜好がもろに出ておもろい。初めからいきなりパフェみたいな甘いもんを獲得してくる、もとめもおったでよ。大きなテーブルにみんなそろって、飲み食い、かつしゃべる。同窓会なんかには最適の飲食スタイルかもね。「飲み足りず 空いたグラスを じっと見る」
カラオケ篇:
 オフタイムならタダというのがうれしい。食事を待つ間、バスを待つ間にさっそく飛び込む。利用者が多くて沢山の部屋が満員だ。カラオケ教室に通うD君、おぼえたての新曲を披露してくれた。不肖わたくしは一つ憶えの裕ちゃんシリーズである。「カラオケは かくもありしか おとめ声」
二次会篇:
 ちゃんと二次会用の部屋を用意してある。さすがさすが幹事さんの気配りである。ここだけは座敷、リビング、ツインベッドのゆったりスイートだ。座敷に座って飲みかつ語る。ビール、焼酎、日本酒。酒は金箔入りの一級品。顔は憶えてるが名前がわからん人もおり、昔話やら近況やらを聞くと、ああそうか、なんて思い出す。もとめさんには、つい旧姓が出てしまう。みんないろいろ楽しみを見つけて暮らしてるんだ。メタボなにするものぞ。昭和世代はけっこうしぶといで。
「おれだって まだまだいける はげまされ」
アドベンチャーワールド篇:
 ぼくは行かなかったので聞き書きである。サファリ電車がよかったという。ライオンや虎がすぐそばで見られる。虎の前で“六甲おろし”を歌えばよかったとくやんでいた大阪もとめ。六頭のパンダも可愛かったし、アシカのショーも良かった。けど、最高の見ものはサイだったという。目の前でいきなり、ケツから豪快な放水をぶちかましたそうな。消防ホースを彷佛させる勢いで、はるか遠くまで飛んだらしい。これを見たもとめが「あら、若いのね」・・・おじさんたちは憮然とうつむいたそうな。「原っぱで 放水あそび した元気」
道成寺篇:
 この寺ははじめてだった。701年創建というから、ずいぶん古い寺なんだねえ。その古い遺産が、本尊の千手観音と、脇の日光菩薩、月光菩薩だ。ともに国宝である。かなり丈の高い堂々たる仏像だ。とはいえ、これらもかすんでしまうほど、道成寺といえば「安珍清姫」伝説である。道成寺は安珍清姫に乗っ取られてしまった感がある。ま、それで食っていける、とも言えるかな。本堂の壁面は歌舞伎や能の「清姫」画像で埋めつくされている。なかには鱗模様の衣をまとった艶かしいヌード像まである。なんだか清姫の怨念が、いまだそこらにただよっている雰囲気だ。
 「安珍清姫」ご存知ですよね?千年ばかり昔、安珍という美貌の僧に、清姫が惚れ込んで追いかけ回したという、現代なら女ストーカー事件だ。ついには道成寺に逃げ込んで鐘の中に隠れた安珍を、大蛇に変身した清姫が鐘ごと焼き殺してしまう。こわいですねー! 説明役のお坊さんが、絵巻物を繰り広げながら、安珍清姫伝説をユーモアたっぷりに語ってくれる。「こんなモテモテの経験ありますかー?」「その顔じゃまあむりだね」なんてね。 歌舞伎の舞踊で有名な「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」。去年襲名したばかりの坂田藤十郎がこれを演じた。美形の坂東玉三郎にもぴったりの役である。
「清姫に 追われたころも なんちゃって」



5月5日(月)
 なじみの御飯どころが連休なので、寺町まで足を伸ばした。上海美食酒家。ここは店内に中国語がポンポン飛び交う本場中華の店である。数種類の定食から、海老と野菜の香りソース、を選んだ。剥き身の小エビを想像していたら、大海老のフライと野菜を炒めた一品であった。大海老がガッツリたくさん入っている。しっぽまでガリガリとかじって食った。このエビのしっぽが好きなんですねえ。中華独特の香りソース。香りって不思議だね。瞬時にして記憶がよみがえる。なぜか上海の大飯店ではなくて、北京の裏町の小ぎたない飯屋を思い出した。ともあれ、美味しかった。
 食後に寺町を上がり、丸太町を抜けて烏丸で折れた。烏丸丸太町の交差点にある「甘楽花子(かんらくはなご)」に寄った。はなこ、でなくて「はなご」なんだ。ここはほんまもんのお菓子を、ほんまもんのお茶でいただく甘味処である。京都では、お饅頭とお菓子は厳然とちがう。お饅頭ならそこらじゅうにあるが、美味しいお菓子を手軽にいただける店は少ない。前から気になっていたが、はじめて入った。抹茶がたっぷりかかった漉し餡のお菓子「宇治山」が美味しかった。ぶっきらぼうなおじさんが出てくるが、お菓子とお茶(一保堂)はさすがであった。



4月26日(土)
 この間すばらしい日本家屋を見てきた。河原町今出川からすこし東に入ったところに「四君子苑」がある。実業家であり茶人でもあった北村謹次郎氏が、昭和十年代に造った数寄屋造りの邸宅である。こんな家と庭が、よくぞ残っていたものだと感動した。鴨川を隔てて大文字山を借景にした見事な庭園の中に、茶室や座敷が配置され、それらを風雅な渡り廊下がつないでいる。庭、池、流れ、石、灯りなどのそこかしこに繊細な気配りと趣味が感じられる。以前見た円山公園の「長楽館」もそうだけど、昔の金持は教養もあれば趣味もよかったなあと感銘を受ける。それにくらべれば昨今の“豪邸”なんて、なんと貧弱なものか。



4月19日(土)
 いきつけの店で食事してると、常連のおっちゃんが入ってきた。いきなり「キープのたばこ!」と言う。店側も心得ているらしく、「あのたばこどこや?」「ほら、そこの引き出しにあるやろ」などのやりとりがあって、店のあんちゃんがたばこの箱をおっちゃんに差し出した。おっちゃんは大切そうに箱をおしいただく。聞けば、たばこを持ち帰るとおばちゃんに叱られるそうだ。かわいそうなおっちゃん。嫌煙ヒステリーがとみに激しい。そのうち「たばこキープします」なんて貼り紙が店々に出るかもしれない。やれやれ!



4月9日(水)
 二年坂に“なんでも千円”という土産物店がある。そこで“ぶた猫”の人形を買ってしまった。姪と食事した帰りであった。この店はほとんどあらゆる雑貨を置いている。ときどき面白いものがあって、つい立ち止まってしまう。“ぶた猫”はロッキングチェアにふんぞりかえってる表情が気に入った。丸々と太っている。おまけに、音や振動に反応して鳴くのがいい。その鳴き声も「ニャー」という可愛いものでなく、「ギャー」みたいな不貞腐れ声が気に入った。「ギャーギャーギャー」と三度鳴きながらチェアを揺するのがおもろい。かくいうぼくは、どっちかというと犬派でなく猫派なのだ。そばに置いておけば、独り暮らしの無聊を慰めてくれるだろう。



4月5日(土)
 きょうは朝から遠出の花見である。よし、いままで行ったことのない所に行こう。山科の里に決めた。山科と言えば、蓮如の山科本願寺、太閤秀吉の醍醐の花見、大石内蔵助の隠れ家などを連想する。山科ははじめてだ。じつは地下鉄東西線に乗るのも初めてだ。京都に来て三年になるのにね。まあ、南禅寺までだって歩いちゃうから、乗る必要もなかったんだ。きれいな電車だね。行楽客で混んでる。本日の予定は、醍醐寺、毘沙門堂、山科疏水をめぐる。桜の名所一挙三所攻めを目論んだ。

 醍醐駅で降りたら驚いたね。駅ビルに団地群、まるで多摩ニュータウンじゃないか。“やましな”のイメージが狂っちゃう。団地の真ん中の遊歩道を群衆がぞろぞろ歩いて醍醐寺に向かう。花も最後の週末だから、さすがに大変な人出である。門前では群衆が滞留してしまうほどだ。満開の桜は手鞠みたいに密集して見事である。境内の花のトンネルも美しい。菊の御紋の国宝・唐門は見事だが、みんな見向きもしない。おいおい、おまえら何を見てるんだ? 休憩所ではせんべいや団子を売ってる。当然だが高い。でもソフトクリーム350円はないんじゃない?やめたやめた。しかし醍醐寺は思ったよりすごいね。かなりかなりの、なかなかものであるな。秀吉さんが大行列の「醍醐の花見」をぶちかましたのもうなずける。ガッテン、ガッテン。要所要所に拝観料の関所がある。こんな混雑の中ではとても拝観する気にならぬ。またの機会にしよう。

 山科駅まで戻って昼食にする。駅前のカレー専門店が目についた。よし、カツカレーでいこう。目の前でカツを揚げるので、とれとれ、じゃなくて、揚げ揚げのカツが出る。旨かった。今度は毘沙門堂へ坂を登る。門前の石段はかなり急で、ふうふう言いながら登った。なんかひなびた雰囲気のお寺である。くすんだ建物に白い花が照り映える。枝垂れ桜はやや元気がなかった。帰り道に疏水の桜の美しい場所があった。疏水べりにびっしりと菜の花が咲き誇っている。桜と菜の花の対照が面白い。こんな場面はなかなか見られない。さて、あらためて地図をよく見ると山科って、清水寺のすぐ裏なんだねえ。大石内蔵助は仇討ちまで山科に隠れ住み、夜な夜な東山を越えて祇園の一力茶屋かなんかに通ったという。なるほどやれば出来るわけだね。今日はけっこう歩いたなあ。帰りの電車で座れたのでほっとした。東西線の発車の合図は“パラピロポロリン”という琴の音。風雅でよろしい、許す。



4月3日(木)
 東洞院の「三条尾張屋」で、鍋焼きうどんを食った。鍋焼きシーズンも最後だなあ、と思って取ってみた。蕎麦は好まないので、いつもうどんを選ぶ。そして、鍋焼きうどんはうどんの最高峰、うどんの貴族である。東京にいたころ、わが家の近所に「敏庵」という蕎麦屋があった。ここの鍋焼きうどんが絶品だった。ダシは京風の透き徹った旨味。こいつは東京では珍しい。ぼくは関東の醤油だしはとてもあきまへん。その店は具の素材がひとつひとつ吟味されていて、それぞれに旨かった。そのかわりちょいと高かったけど。
 さて、尾張屋はどうかな? ジュウジュウブツブツ音たてる鍋が来た。鍋はやや小ぶりだな。まずダシを味わい、うどんをすする。つぎは具だ。うどんをかき分け具をほじる。このほじほじが楽しい。鍋焼きは“宝探し”である。カマボコ、麩、鶏、ネギ、椎茸とほじって行く。海老天はコロモがややほとびて、油が溶け出すまで待つ。この油を含んだダシが旨い。そしていよいよ終盤、トロトロ玉子の黄身をつっついて割る。黄身をとかしたツユがまた一味ちがう。総合判定はまあ合格。しかし記憶の中の絶品には及ばなかった。来シーズンは、“京都一の鍋焼きうどん”を探そう。



3月27日(木)
 御所の北西隅にある近衛邸跡の枝垂れ桜がほぼ満開である。お天気がよいので滅多に行かない今出川まで足を延ばした。桜のまわりは、にわかカメラマンでいっぱいだった。濃い緑の常緑樹を背景にすると、淡いピンクの花が一層映えて美しい。今年はじめての花らしい花を見た。帰りに通った鴨川べりの桜はまだのようだ。東京の桜はほとんど染井吉野だったので、いっとき限りの花見だったが、京都にはいろんな種類の桜があって長く楽しめるのがいい。しかし花を愛でながら飲み食いする花見は、ずいぶん長くやってないなあ。満開の桜の下で、“菱岩”の豪華弁当なんていきたいものだ。



3月20日(木)
 散歩で丸太町通をよく歩く。あるときふと右手のお菓子屋さんが目にとまった。“大福餅”の文字に誘惑された。甘党ではないが、大福は好きだ。また“大福餅”という字面がいいんだよねえ。なんか幸福いっぱいって感じがするじゃない?二個買って帰ったら美味しかった。草餅ふうの色合いの餅が、なんともやわらかいモチモチ感。赤ちゃんのほっぺみたい。粒餡がまたいい。すっかり気に入ったので、それ以来ときどき求める。最初はお店の名さえ知らずに買ったのだが“亀屋広和”さんであった。二度目には奥さんと店先で長い立ち話をしてしまった。またひいきのお店が一軒できてよかった。



3月14日(金)
 いきつけの店の女将さんから珍しいものをいただいた。「マリーフランス」の“小倉あんぱん”というものである。話には聞いとったが、いざ持ってみるとすんごい。ずっしりと重い。見かけも手触りもまさに重量級である。どぎゃん仕掛けになっちょるのかと、スッパリ切ってみたら、いっそうぶったまげた。全身ほとんどアンコばっかし。アンコ多過ぎじゃない?巨大なアンコ塊をうすーいパン皮が覆っているだけ。さっそく全貌と切断面の写真を撮った。とても一度には食い切れないので、とりあえず半分食べてみた。粒あんの小豆の風味がいい。話の種に一度は食べてみるのがいいかも。マリーフランスは京都人に人気らしいが、その秘密はこのあんぱんにあると見た。ひところ今出川通で“西陣ベーカリーの乱”なるものが勃発したと聞く。つぎつぎにパン屋が乱立して、熾烈な競争を繰り広げたという。その戦場も“応仁の乱”と同じ一帯である。マリーフランスは勝ち組で、いまも繁盛しているようだ。



3月7日(金)
 京都の街を歩くと、お地蔵さんがやたらに目につく。文字通り町の辻々に立っている。商店街にもある。飲み屋街にもある。こんな光景はよその都市ではちょっと見られない。面白いのでしばしばデジカメにおさめる。お地蔵さんは歌にもよく出てくるね。
「村のはずれの お地蔵さんは いつもにこにこ 見てござる なかよしこよしの  ジャンケンポン ホイ 石けり なわとび かくれんぼ 元気に遊べと 見てござる」(童謡)、「これこれ 石の地蔵さん 西へ行くのはこっちかえ だまっていては 判らない」(美空ひばり)、「石の地蔵さんはノーエ 石の地蔵さんはノーエ 石のサイサイ 地蔵さんは頭が丸い」(民謡)。
 お地蔵さんはなんだか親しみやすくて愛嬌のある仏様だ。わざわざ地獄まで出向いて、迷える人間を地獄から救ってくれるんだって。なんとも有り難い仏様だ。「地獄で仏」は地蔵菩薩のことなんだね。そして京都市内には、なんと5000体ものお地蔵さんがあるらしい。各町内にひとつはあることになる。しかも過保護なくらい大切にされている。いつも花や供え物が絶えない。“町内安全・家内安全”と書いてある。みんなちゃんとした祠に安置されている。注文住宅である。なかには漆塗りや総タイル貼りの豪邸まである。晩夏には京都全域で地蔵盆という子供の祭りが行われる。お地蔵さんを祠から出して、一年間の汚れを落とし、顔にお化粧し、よだれ掛けを新調する。たぶん地蔵盆が生きているから、お地蔵様も町内で大事にされているのだろうね。



2月26日(火)
 高校時代の仲間8人連れで、南紀白浜に行って温泉につかって来た。“湯快リゾート”という格安旅行パックである。話には聞いていたが、体験するのははじめてである。南紀に行くのもはじめてだ。バス&旅館で一万円というのはいいね。食事はバイキング方式だけど、中身はまあまあ合格点だ。エビフリャー(エビ天?)が旨かったので、何度もおかわりした。やっぱ名古屋客が多いからかな?カキフリャーもあったでよー。おはぎ、ソフトクリームなんてものが出てくるのも、なんだか名古屋っぽいがや。バイキングにもいい点がある。とかく飲み過ぎる悪癖が解消されるみたい。それが寂しい人もいたみたいだが。ワイワイガヤガヤと情報交換しながら、出陣しては食い物を獲得して戻るのはけっこう楽しいものだ。
 観光では、熊野水軍の隠れ洞窟のある「三段壁」が興味深かった。おやじとおばさんの集りだから、さっそく“ああ、三段腹か”という、おやじギャグが飛び出した。ところで、武蔵坊弁慶のおやじが熊野水軍の親分だったとは初耳であった。水軍とはいっても、要は海賊だから、こんな洞窟に隠れていて、沖を通る商船を襲ったんだろうね。熊野水軍は源平の海戦で源氏に味方して、壇の浦の合戦に大勝利をおさめたという。帰りは「とれとれ市場」という海鮮マーケットに寄った。駐車何百台というでかい市場だね。マグロ解体ショーなんかもやってる。海鮮丼を食って地酒を飲んだ。それから試食おじさんになって、いろいろつまんでみた。薄皮饅頭を10箱も買うなど、女性軍の買物パワーは全開であった。すごいね! 帰途は渋滞でバスが遅れて、大阪駅に着いたのは九時ちかくになった。
一句 「乙女座は 山のあなたの 空遠く」



2月19日(火)
 ひさしぶりの晴天。気温も上がった。平安神宮前の公園で一服していたら、遠くに群れている人々を発見した。一瞬、子供かと思ったが、そうではなくて熟年組であった。二十人あまりもいる。男も女もみんな帽子をかぶっているので子供組に見えた。とつぜん集団からフリスビーが飛び出した。あ、そうか、遊んでるのか。子供なら跳びまわるだろうが、熟年諸君はおとなしく立ってる。ときどき笑い声が聞こえるだけ。近寄ってみると、指導者みたいなのが集団を仕切ってるようだ。「はい、つぎはあなたね」なんて言われて恥ずかし気にフリスビーを握る。まわりはただ見てるだけ。身体も軽快には動かないし、そうそう無邪気にもなれないし、熟年が「遊ぶ」というのも、これでけっこう難しいものなんだなあ。



2月13日(水)
 またまた寒波襲来で雪が降り出した。今年はほんと寒いね。京都に来て三年目だが、京都の冬らしい冬は初めてのような気がする。この寒さ対抗策としてハマってるのが“土鍋焼ききつねうどん”だ。大丸の地下で「京水庵」の“きつねうどん”パックと、卵、きざみネギを買う。ついでに「ハゲ天」で、かき揚げ天麩羅を買う。うどんパックには、ポリ袋のダシ汁、うどん玉、お揚げさん、かまぼこ、きざみネギ、七味が入ってる。土鍋にダシ汁を投入して温める。うどん玉を入れてほぐす。つぎに卵を割り入れる。かまぼこ、きざみネギ、お揚げさんを乗せると、表面はほとんど具で覆われる。
 最後に、かき揚げ天麩羅をわずかな隙間に割り込ませる。土鍋の蓋をして、卵が半熟程度になったら出来上がり。天麩羅は早く入れるとグズグズになっちゃうので最後だ。土鍋ごと食卓に運んで、七味を振りかけて食う。土鍋はなかなか熱がさめないからいいね。寒い夜にアツアツうどん。天麩羅がくずれてきて、油が浮き出したところが旨い。半熟玉子が破れて黄身が溶け出したダシがまたいい。いろんな具を加えると“土鍋玉子とじきつねうどん”になったり、“土鍋しっぽくきつねうどん”になったりする。なにしろドデカイお揚げさんが付いてるから、どうしても“@@きつねうどん”になっちゃう。



2月10日(日)
 雪が明けると快晴になった。雨上がり、雪上がりは気持よい。日向の雪はすっかり解けているが、日陰は残っていて滑りやすい。都市に思いがけぬ降雪があると、かならず数十人の年輩者が滑って転んで骨折する。わかっちゃいるのになぜかそうなる。それが怖いのでおっかなびっくり歩く。市役所前でフリーマーケットをやっている。おじさんは関心がうすいけど、ギャルやおばさんは熱心だねえ。おばさんはフリマで十円値切るまでねばるという。すさまじい執念だ。日曜でいつもの店が休みなので、寺町を上がって進々堂のランチを食べに行った。スパゲティ・カルボナーラを取った。固めのバゲットがカリカリして美味しかった。



2月5日(火)
 一年で一番寒い時期である。北山の稜線はうっすら雪を頂いている。東京では都心にも積雪があったようだ。東京は雪に弱いからね。交通が大混乱だったろう。節分も過ぎて、さすがの京都もしばらくは大きなイベントがない。北海道ではさっぽろ雪まつりが始ったようだが、寒いのはいやだね。雪は子供と若者にまかせておこう。おじさんとしてはやっぱ雪より温泉のほうがいいな。ゆっくり温泉につかって、鍋を囲むなんてのが最高だ。和歌山のほうでクエ鍋を安く食わせるところがあるらしい。クエ、一度食べてみたいな。



2月1日(金)
 めずらしいお菓子を買った。寺町の村上開新堂の「好事福盧(こうずぶくろ)」というものだ。紀州蜜柑の果実をくり抜いてゼリーを作り、もとの皮の中に埋め込んだもの。包み紙を開くと蜜柑そのものの姿が現れる。故池波正太郎がこよなく愛した菓子と聞いていた。ゼリー、ババロア、葛餅、わらび餅などのプルンプルン感が好きだ。しょっちゅう寺町を散歩しているが、村上開新堂は、そういえばそんな店があったなあ、程度の記憶しかなかった。
 あらためてお店をつくづく見ると、じつにクラシックかつ端正な構えである。重厚な看板の文字も右から書いてある。明治37年創業の、京都でもっとも古い洋菓子店だという。好事福盧は晩秋から初春までの季節限定なので、いまのうちにと思って求めた。「ひとつでいいですか?」と訊くと、優しそうな奥さん(だとおもう)が、二つなら箱に入れてドライアイスが付くという。でも短時間に二つは食えない。ひとつだけ大急ぎで持ち帰った。冷蔵庫で冷やしてからいただいた。しっかりと固めのゼリーが口中の熱でゆっくり溶ける。蜜柑の香りと甘さがひろがる。店構え、紙袋、包み紙、好事福盧という名と味、そのすべてに大正ロマンの香りがただよう不思議な体験であった。



1月24日(木)
 よく錦市場を通る。買物のときもあるが、おおむね通り抜けだ。暑いときや寒いとき、雨のときや今日みたいに雪が降るときは、アーケードがありがたい。しかし、狭い通路に買物客や観光客があふれているので歩きにくい。とくに“おばさんをかわす”のが難しい。多彩な食品店が通路の左右にずらりと並んでいる。おばさんにとって一番おいしい状況である。かわすには一番難しい状況である。
 トロトロ歩いてるおばさんの左右の隙間。右が広いから右を抜けようとする。これは正解ではない。決まってオットットと右に寄ってくる。左を抜けようとすればナンダナンダと左に寄ってくる。おばさんの習性である。コツは彼女の目を追うこと。目が右に向いたら、素早く左を抜ける。これが正解だ。左を向いたら右を抜ける。でも素早く動かないとヤバい。寸前にクルッと首を振るおそれがある。必殺つばめ返しの術である。



1月22日(火)
 ほとんど外食だけど、ときどき買って帰る食品もある。まずはパンだね。京都はとにかくパン屋が多い。いたるところにパン屋がある。あてもなく気ままに散歩しての帰り道、どの方面から帰っても、おなじみのパン屋がある。寺町と御池にある進々堂、夷川車屋町のフリアンディーズ、大丸のドンク、四条の志津屋、名は忘れたが、四条烏丸の地下の店、それに蛸薬師烏丸西のややこしい名前のパン屋。それぞれの店で買うパンはだいたい決まっている。
 最近はまってるのが、うどんパック。いわゆるインスタントものではない。よく大丸の地下で買うのは、冨美家、京水庵、丸竹庵などの400円前後のうどんセットだ。うどん、だし、具、七味まで全部そろっていて、鍋で温めるだけでOKである。これがけっこう旨い。京風の甘めの出し、どんぶりからはみ出すほどデカイお揚げさんのきつねうどん(大阪ならけつねうろん)。山椒のきいた七味がいい。いかにも京都のうどんだなあ。ただし冷凍ではないので日保ちはしない。この数日やけに冷える。寒い夜に熱々のうどん。こいつはこたえられない。



1月18日(金)
 絵に描いたような小春日和。高台寺あたりを散歩した。年を越してからまた少し観光客が出てきた。この時期目立つのはギャル族でなく、おばさん族である。さすがのおばさん達も、混雑してないので安心してのんびり羽を伸ばしている。小春日和にほっこりまったりである。昼食はいつもの楽味に寄った。きょうは珍しい「あんかけにゅうめん」がついていた。にゅうめんというもの、昔はなかったような気がする。いつごろどの地方から始ったのだろうか。もともとは素麺らしいが、いまではうどんも使うようだ。「にゅうめん」の呼び名は煮麺がなまったものらしい。大きめのお椀にたっぷり入っている。平たいうどんにきざみ揚げ。出しのきいたトロリあんかけに生姜の風味が美味しかった。魚は鮭の西京焼きであった。



1月15日(火)
 快晴。陽を浴びると暖かい。少し遠出をしよう。鴨川べりを北へ歩く。川面で遊ぶ真鴨や鷺やユリカモメを眺めながら一路出町柳を目指す。普段、丸太町までは気楽に歩けるが、今出川はちと遠い。しかし今日はその気でスタートしたので快調に足を運ぶ。今出川通に曲がり、同志社の前を烏丸通まで歩く。ここらで昼になったので、以前から狙っていた「わびすけ」の「いもねぎ定食」を食うことにする。レトロな喫茶店。分厚いムクの材木の卓。いもねぎ定食は学生向けに開発されたメニューで、歴史と伝統ある名物とのこと。
 こんがり焼き色のついたじゃがいもの薄切りにたまねぎを乗せて、玉子とじにしてある。真ん中に挽肉がトッピングされてるのは学生のスタミナ源か。醤油、ソース、ケチャップ、マスタードの壜がどどーんと出てくる。「好きなようにしてお食べやすう」という趣向。味噌汁でなくおすましにカボスが添えてあるのが京都らしい。なんといってもコンガリホクホクの薄切りじゃがいもが旨い。こんな形で出るのはここくらいしかないので珍味である。隣に座った女子学生一名、やっぱりいもねぎを注文した。きょうはガッツリいく気らしい。しかし学生に900円は高くないかい?京名物でプラスαされたかな。きょうは14920歩あるいた。



1月13日(日)
 都道府県対抗女子駅伝をテレビ中継で見た。どういうわけか、昔から駅伝やマラソンをテレビで見るのが好きだ。なかでも女子駅伝がいい。もちろん男だから女を見るほうが楽しいに決まってるが、ほかにも理由がある。長距離走の世界ランクで女子はトップクラスだが、男子はじぇんじぇん駄目である。マラソン記録で10分も差があるんだから、お話にならない。男子よ、しっかりせい!と言いたい。
 きょうも最後までかじりついて見た。京都がダントツで4連覇したので痛快であった。地元というだけでなく、京都チームは走る姿がひときわ美しい。区間記録を総なめにした中学生、高校生のけなげな快走も光ったが、ピカ一は2区を走った京都ワコールの湯田友美。じつは以前の駅伝でいちはやく目をつけて、ネットでプロフィールを知った。可愛いしプロポーション抜群。跳ぶように走る形がかっこいい。ビジュアルのみならず、去年29人抜きをやっちゃった実力派でもある。アンカーの小島もりりしくてよかった。最近のテレビはバカタレがギャーギャー騒ぐ番組ばかり。スポーツが一番スカッとして楽しいね。



1月11日(金)
 年始はいきつけの店が開いてないので、新しいめしどころを探した。一軒見つけた。ひいきの太郎屋の並びの小料理屋。「口ふく」という。四条から一本北の細いろうじである。新しい小さな店で若い主人がひとりで切り回している。豚汁と鯖塩焼きがうまい。大きな鯖は一夜干しくらいの感じ。脂が乗って鯖独特の風味が濃厚である。豚汁はもともと大好きな上に、この季節だからこたえられない。根菜がたっぷり入って旨い。あったまるなー。これで750円。



1月2日(月)
 大晦日と元旦は寒かったな。きょうはいい天気だ。足を伸ばして平安神宮あたりまで散歩した。すごい人出だ。屋台もここぞ書き入れ時と声をあげている。八坂神社はとても入れないのが分かっているので敬遠した。おまけに今年はずっと工事中だった西楼門が完成したので、参拝者はひときわ多いに違いない。
 ところで、年末年始のごはんたべ、ことしは失敗だったー。外食だよりの独り者としては、食糧確保にもっと意を用いるべきであった。元旦の食事にはまいったね。四条烏丸界隈ではやってる店がまったくない。いきつけの店もみんな休み。めしをたずねてとぼとぼと、河原町方面まで出張ってやっと食事にありついた。やれやれ!きょうからは大丸が営業するのでなんとかなるだろう。来年からは、せめて一人おせちでも買っておこうかな。