12月27日(月)
うちの近所に「やよい軒」という定食屋がある。冬場はチゲ鍋、カレー鍋、塩しゃぶ、などの鍋物をやるので時々昼飯を食べる。どっちかといえば若者むきの店だったが、ちかごろは平均年齢がずいぶん高くなったようだ。とくに朝食などは年寄りがけっこう多い。おれみたいに女房に先立たれた亭主なのかな、なんて思いながら観察している。いつも同じ席に座ってる常連さんがどうも気になる。いつもうつむき加減に黙々と口を動かしてる様子に、そこはかとなく哀愁が漂っている。ごはんはおかわり自由で、大きな保温釜へ自分で取りにいくシステム。くだんの老人は食欲旺盛なのか必ずおかわりする。それは結構なんだが、その動作がどうもね。まず椅子を引いて立ったり座ったりがおぼつかない。腰を曲げた「くの字」で歩く姿勢が哀れをさそう。それでつくづく思ったのだが、背筋が伸びているうちは老人ではない。心身ともに衰えると背中が曲がるのだろうな。ねがわくば死ぬまで背筋を立てて生きてゆきたいなあ。12月20日(月) きのう踊りの会へ行った。なじみの割烹の仲居さんから切符をもらったからだ。先斗町歌舞練場ははじめて入った。ここの内部を見るのがおもな目的だ。大正14年の建築だからほぼ築85年になる。祇園の歌舞練場ほど大きくはないが、それだけに後ろの席でも舞台が近い。舞台の幅はけっこう広くて垂れ下がった緞帳が見事である。二種類が切り替わる。ひとつは鴨川の上を群れ飛ぶ千鳥のかなたに桜、てまえに紅葉をあしらったもの。もうひとつは桃山の屏風みたいな華やかな図柄。かぶき者の若衆や娘たちの群像が描かれている。開演前には満席になった。立ち見客も出るにぎわいだ。女性たちはみんな晴れ着みたい。きもの姿も目立つ。 「千代に八千代にさざれ石のー」という長唄から始まった。最初に舞うのは男性である。同じ男性でも男踊りと女踊りを演じ分けてるらしい。つぎに芸者ふうの衣裳をまとった女性。そのつぎに三歳くらいの女の子が出てきたのにびっくり。初舞台だそうな。周囲から「かわいいねー」の声がおこる。いっちょうまえに衣裳の早変わりまでやってのける。やんやの喝采だ。つぎに出た若い娘はすらりと柳腰の浮世絵美人みたいである。遠目ではっきり見えないのが残念であった。ぼくの周囲にたまたま関係者がいたらしく、盛んに「あいちゃんっ」なんて声援が飛ぶ。まるで歌舞伎の出し物みたいだ。へー、踊りの会って、こんな雰囲気のものだったのか。朝11時から夜7時まで、のべ8時間も続くようだ。とてもつきあい切れないので2時間ほどで出た。 12月17日(金)
清水寺の門前で着物姿の団体客を見た。およそ三十人。階段に並んで記念写真を撮ったり、お互いにデジカメを向けたりしてる。男は一様に若旦那風の羽織姿、女はみんなお嬢様風の友禅である。たしか最初は五条坂あたりで見かけたから、たぶんあのへんの「着物変身スタジオ」で全員着付けしてもらったのだろう。一見すると合コンの流れみたいだが、なんのなんの。おおっぴらにはしゃいでる言葉はなんと中国語ではないか。やれやれ、和服姿で中国語。これをなんと解したらいいもんか。これも大事なお客さんなんだろうね。赤い旗を持ったガイドさんが声をからして説明してるがみんな知らん顔。12月13日(月) 京都における昼めし時間11時半まで間があったので、ひまつぶしに高島屋へ入った。じつは高島屋の上から下まで見たことがない。エスカレーターで一階ずつ昇っては各階の配置図をたしかめた。高島屋はコの字形をしてるので意外とややこしい。七階のレストラン街についた。おっ、天ぷらの「つな八」があるじゃんか。つな八はなつかしい。新宿のつな八本店にはよく通ったものだ。三越裏の木造店舗で、いついっても大勢の客の喧騒うずまく店だった。乙にすました天ぷら屋ではない。ネタが新鮮でデカくてお手ごろな値段の大衆店であった。 ここ高島屋の店はややすました感じ。見ると11時開店なので、これはいいとすぐに入った。長いカウンターの店だ。まだ客はほとんどいない。カウンターのはしに座る。おねえさんがお茶を持ってくる。さっそく「つな八丼」1995円をたのむ。目の前でお兄さんが天ぷらを揚げはじめる。やがておばさん二人連れがつぎつぎやってきた。最初にサラダが出た。パリパリ新鮮。ほどなく丼がきた。でかい穴子が丼からはみ出してる。そうそう、こんな感じだ、つな八は。穴子、海老、めごち、茄子、かき揚げなんかがびっしり。濃い目のつゆできつね色。ごはんにもたっぷりつゆが滲みている。あさり汁とお新香がついている。余談だが、京都ではお新香と言わないね。お漬物だ。なつかしい味に再会して満足した。ときどき来てみよう。 食堂が高島屋と大丸でまったくちがうのが面白い。大丸は昔ながらのデパート食堂(デパ食)である。いっぽう高島屋はレストラン街という雰囲気。大丸がファミリー路線なら高島屋は高級路線(たん熊もある)。大丸はめちゃ明るいが、高島屋はほの暗い。大丸は入口の大きなガラスケースに見本がずらり。親子丼、カレーうどん、炒飯セット、天津麺、オムライス、シーフードドリアと、和洋華とりまぜて並んでいる。木の葉丼、おばんざいなんて京都ならではの食い物もある。食券を買って入れ込みのテーブル席に座るしかけだ。まさに伝統的デパ食のかがみである。いまどきこんなのは全国的にもめずらしいのではないか? 12月12日(日)
きょうはめずらしく山登りをした。というのも大げさだが、いちおう東山山頂の「将軍塚」へ登ったのだ。円山公園から30分くらいかな。まえまえから将軍塚というのが気になっていた。名前もなんとなくいわくありげだし、そこから京都市街一望というのをやってみたかった。地図を見てもよくわからないので、ネットでしらべたら、あった! ご親切に登山ルートもくわしく書いてあった。円山公園の「長楽館」から「長楽寺」への道をのぼり、その門の直前を左折すると階段があり、「将軍塚道」の石碑があった。あとはひたすら山道をのぼるだけ。落ち葉がびっしり散り積もっているのですべって歩きにくい。とくに下りは気をつけないとすってんころりになりそう。ところどころに赤い前垂れのお地蔵さんがひっそり。「知恩院」への脇道にはいらぬよう、「東山山頂」の矢印にしたがって進む。若者ならラクショーの登りだけど、年寄りは休み休みという感じ。長楽寺から20分くらいで将軍塚にたどりついた。山道からいきなり舗装道路に出る。右手に大きな駐車場が見える。たいていの人は車で来るようだ。反対の左手には寺がある。青蓮院の飛地境内で、「将軍塚大日堂」というものがある。ネットの忠告にしたがい、まず駐車場の展望台をちょっと見てから、すぐ青蓮院に入る。観覧500円。なんぼ呼んでもおっさんが出て来んので、無料入場しようかと思ったら出て来た。境内に展望台が二か所ある。北の展望台は大文字方面まで見える。西の展望台は不粋な鉄骨がいまいちだけど、とにかくすごい。まさに大展望だ。右手の下には平安神宮の赤い鳥居が手に取るように一望できる。ずっと左手には木の間がくれに京都タワーが見えた。これほど広く京都市街を展望できるとは知らなかった。夜景はさぞ美しいだろうな。こんどは夜きてみたいが、それにはだれかご親切な運転手をつかまえないとね。 11月29日(月)
明治の元老、西園寺公望の邸宅だった「清風荘」を見学した。京都大学にほど近い百万遍あたりにある。「京町家友の会」の集まりで行った。ふだんは公開されていないのを、特別に見せていただいた。敷地4000坪、建物述べ300坪は圧巻であった。建物は主屋、離れ、茶室、蔵などが広大な庭園の中に展開している。いずれもよりすぐった材料による優雅な数寄屋造り。建築は八木甚兵衛という棟梁の作、庭園は小川治兵衛(植治)の作という。いずれも明治・大正の第一人者である。もともとは公家の徳大寺家の別邸だったが、のち住友財閥に移り、西園寺公望に提供されたという。そして昭和19年、住友家から京都大学に寄贈され現在にいたる。西園寺公望は明治時代に内閣総理大臣を二度つとめた大物政治家。天皇の子孫の徳大寺家に生まれて西園寺家へ養子に入り、住友財閥の住友春翠とは兄弟だった。いまどきのセレブなんて軽い言葉じゃ及びもつかない名門中の名門である。鳩山家なんかフンてなもんだね。明治の政治家はすごかった。 11月26日(金)
はじめて湖東三山の紅葉を見に行った。三山というから「大和三山」みたいな山かと思ったら、琵琶湖の東にお寺が三つということだった。西明寺、金剛綸寺、百済寺はいずれも天台宗の寺院だ。むかしの同窓仲間10人が車2台に分乗していった。京都に来てから車に乗るのはめずらしい。洛外の道路もほとんど知らない。西明寺、金剛綸寺の本堂はいずれも鎌倉時代の建立で国宝である。なんか清楚ですがすがしい感じの建築であった。紅葉は真っ盛りで素晴らしかった。なかでも金剛綸寺の庭園の紅葉は独特の美しさであった。山裾に立体的にひろがる色あいが、おなじ赤でもピンク、橙色、紅、深赤などのグラデーションが見事であった。とくに金剛綸寺は遠くからも観光客が押し寄せて大変な混雑だった。大型バスがびっしり駐車していた。
11月24日(水)昼めしを食べてからぶらぶらと四条大橋を渡った。そうだ、あすは南座の「まねき」が上がる日だな。役者の名前を墨黒々と書いた白木の看板が劇場正面に上がる。なんでも大勢の鳶職人が徹夜で作業するらしい。ことしの顔見世歌舞伎はどんな顔ぶれなんかな。二三年前に一度見たけど、なにしろお値段がお値段だからそうそうは行けないね。「まねき」が上がれば年の瀬だなあ。 そういえば八坂神社の「おけら詣り」も行ってないな。境内の「おけら灯籠」から火縄に移して持ち帰り、その火で雑煮を炊くと無病息災のご利益があるらしい。若いころ旅行できたとき、妻と二人火縄をくるくる回しながら帰った記憶がある。いまは四条通が歩行者天国になるけど、ものすごい混雑で神社に近づけない。せっかく京都にきたけど一度も種火をいただいてない。まあ、煮炊きしないんだから無駄かもね。円山公園の紅葉はきれいだが、もうちょっとの感じ。あと一週間かな。 11月11日(木) きょう11月11日11時、四条烏丸交差点角に商業ビルがオープンした。「LAQUE(ラクエ)四条烏丸」という。むかしの三和銀行の跡である。NTT関連の会社が持ってる。これでやっと京都の顔ともいうべき四条烏丸交差点に四つのビルがそろった。さっそく偵察してきた。3階までと地下1階が商業スペースだけど、入ってみると意外とせまいね。1階は輸入雑貨とかバッグ屋とか、まあ、ファッション関連だね。用がないのですぐ地下にもぐる。地下は食品だ。ワイン・ショップと進々堂が目についた。ちょっぴりワインの試飲をした。進々堂がここにできたのは便利だ。さっそくパンを買った。この地下から直通で地下鉄や阪急の駅に行けるのはいいね。 10月27日(水) いい天気だけど冷える。昼間でも15度。風が冷たい。ついに上着を引っ張り出した。さて昼めし。おもての黒板メニューに引かれて、はじめての店に入った。富小路錦上るの串かつ「とんとん」だ。きょうの日替わりは「あんかけ炒飯、豚汁つき」。この豚汁がぐっときた。好きなんだよね。こんな冷える日にはこたえられない。これがおおあたりー!あんかけ炒飯も美味しかったけど、具だくさんの豚汁がうみゃー。どんぶり一杯食べたくなる豚汁にはひさしぶりにお目にかかった。一品メニューにも豚汁あるので、こんどはたっぷり食おう。ここはとんかつ、串かつがお得意らしいが、夜はつまみに酒もよさそうだ。いかにも料理好きみたいなふっくらタイプのおねえさん二人でやってるようだ。なじみになりそうな予感。 10月22日(金)
同年の男女10人ばかりで国宝・彦根城へ行った。余談だけどぼくのパソコンはパーコンなので、「ひこねじょう」と入力すると「彦根娘」と出るのだ。さて、ぼくは彦根城ははじめてだった。なりは小さいけど城郭全体としてはそれなりの貫禄があった。四百年の年ふりた堀や石垣のたたずまいは捨てがたい風情がある。しかしふと考えた。ここで戦争したことあったのか?ほんとに戦うために造ったのかしら? 戦う砦には見えない。白鷺城や彦根城は徳川幕府以降だから、いわば平時の城だろうな。ヨーロッパの城は石造りだから、古いのがそのまんま残ってるが、なんとも無骨で陰惨な造りである。城壁はものすごい厚さの石組みで、石垣がそのまま建物になってる感じ。家というより牢獄みたいである。じっさい王族を反逆罪で死ぬまで閉じ込めたという話は数多い。幽霊が出そうな無気味さ。「ロアール川の城めぐり」なんてツアーの、まるで白雪姫が出てきそうなお城はずっと後世の平和な時代の城であろう。 それに戦争といっても、日本の内戦とヨーロッパの戦争はまるでちがうよね。日本の戦国時代の戦いは、いざ戦場に出たときはおおむね勝敗が決まっていたそうだ。大名間の陣取り合戦の根回しで勝負がついた例が多い。ヨーロッパはちがう。文字どおり異教・異民族の凄絶な殺し合いだ。宗教の名のもとにどれほど殺し合ったことか。だから何としても敵の侵入を防ぐために、命がけであれほど頑丈な城を造ったのだろう。なーんてことを考えてしまった。 10月9日(土) なじみの割烹のカウンターで昼飯を食べていた。近くに姉妹らしきご年輩がいた。上は八十ちかいのではあるまいか。この八十路が元気なこと、おしゃべりなこと。大きな声で話すのでまる聞こえ。映画が好きでよく見るらしい。歌も好きらしい。氷川きよしくんの追っかけやってるんだって!「かわいいし、清潔だし、お行儀もいいし、大好き!」なんだって。「こんどはぜったいきよしくんと結婚する」んだって。妹のほうがまわりに気を使ってるみたいだが、アラ・エイティは平気で結婚宣言してる。この二人が帰った直後に勘定したら、仲居さんが俺を見て笑いながら言った。「いくつになっても、女ってかわいいでしょ?」思わず「うん」と答えたが、ああいうのかわいいって言うのかな?こまってしまう。
10月7日(木)このところ朝夕よく空をながめる。ながめる余裕ができたというべきだろう。 空が高い。すっとひと刷毛はいたようなすじ雲、いわし雲、うろこ雲。先日も美しい夕焼けが見られた。真夏の入道雲はながめるゆとりすらなかった。ぎらぎら照りつける日射しにうんざり顔をそむける。見るからに威嚇的な積乱雲って、青春まっさかりみたいだね。 不安と熱情が渦巻き、雷雨をはらみ、まさに「青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」みたい。危なっかしい。いっぽう秋の雲はさらっとしている。枯れている。すこしはものが分かってきた中年であろうか? 美しい夕焼けは最後の輝きだって? それはかわいそう。 10月5日(火) 勝手に切り替えておいて、わざとらしく「アナログ」なんて表示するのはけしからん。電波行政に腹を立てていたけれど、とうとうデジタルTVを買わされてしまった。そこにいたるまでのドタバタである。最初はなにげなく見るだけのつもりで、寺町電気街のタニヤマムセンへ行った。この店はおなじみだ。京都に来て以来すでに電気製品を何点か買っている。さてデジタルTV、最新型の高いやつなんか買う気がしない。時代おくれでけっこう。東芝のREGZA40インチ72000円、が目についた。ちょいとええんでないかい? 翌日ねんのため堀川通のバスに乗り、京都駅前のビックカメラに行った。SHARP40インチ84800円。旧型の安いのは「これしかありましぇん」とニキビ面の坊やみたいな店員が言う。なんかバカにしたような口振り。まあ、こんなもんか? 駅前から四条河原町ゆきのバスに乗り、またタニヤマムセンへ行く。なんたることぞ! きのう目をつけたREGZA40インチが、目の前で売約済みになっちゃった。ちくしょう。未練たらしくぶつぶつ言ってたら、ベテランらしき店員さんが「それではこちらはいかがですか?」と別のモデルを見せる。SHARP40インチである。ま、これでもいいか、と思ったがねばりにねばって値交渉。逃がした魚のREGZAと同価格にしてもらった。やれやれ! 二日にわたり堀川通、河原町通、四条通をバスでぐるっとひと回りしてしまった。ビックカメラができ、こんどはヨドバシカメラができる。寺町電気街は影がうすいけれど、ぼくらの年ではやはり「信頼度」を考える。量販店のガンガンしたせわしい雰囲気や若造の店員にはいまいちなじめない。帰ってからふといまのテレビをチェックしてみたら1999年製だった。二十世紀か。まだけっこう映るけど、ま、寿命かな? 9月29日(水) 四条西洞院の角にスーパーFRESCOが本日オープンした。以前にも狭い店があったのだが、一年ほど前にビル建て替えのために閉店していた。立派になったビルの一階にあらためて開店したわけだ。さっそく見学に行ってみた。前よりは広くきれいになった。入口から奥へ野菜・果物、魚、肉と並んでいる。生鮮のある店が近所になかったので、これは便利になった。バナナ、卵、ベーコンといかの刺身を買ってしまった。忘れずに醤油の小瓶も買った。古い醤油はどうせ変質してどうしようもないだろう。家ではいっさい料理してなかったんだが、朝のベーコン・エッグくらいは作ろうかな。 9月26日(日)
室町通二条の角に「三井越後屋京都本店記念庭園」がある。マンションに囲まれた敷地に樹木が繁っているが建物は見えない。立派な門があるけど、いつ見ても閉まっている。江戸時代には間口8間、奥行き18間の大きな店があったという。三井家はもともと伊勢松坂の商人で、江戸時代に京都と江戸に呉服屋を開業した。京都で仕入れて江戸で売ったようだ。もともと呉服は訪問販売で、代金後払いのため高価な掛け値だった。そこへ「現金掛け値なし」の新商法で当てたのが三井越後屋(のちの三越)だったという。「越後屋、おぬし、なかなかやるのう!」花の元禄以降は白木屋、越後屋につづいて大丸、高島屋など京の呉服屋がぞくぞくと日本橋に出店した。江戸のころは銀座より日本橋だ。これは時代小説の知識だが、お江戸日本橋の呉服屋通りは大層な賑わいだったという。番頭や手代は京から派遣した。若いイケメンをそろえて「京ことば」で売り込んだそうな。「愛之助」「市松」「小三郎」なんて名札を見て、客がお気に入りを指名したらしい。小娘もご新造さんも、いい男に弱いのは神代の昔から変わりないみたい。 日本橋の呉服屋が日本の百貨店のはじまりだ。昭和のよき時代はデパート全盛だった。銀座の代表はデパートだった。「有楽町で逢いましょう」は「そごう」の開店キャンペーン・ソングだったのを知ってる? デパート嬢は花形だった。当時一階の目抜きはネクタイ売り場で、若くてきれいな売り子をそろえていたなあ。美女がまぶしくて変なネクタイを買ったりしたもんだ。いま三越は京都にない。近鉄も阪急も閉店した。百貨店はじり貧だってね。いっそ元禄にかえってみたら? 粋な着流しの若衆をならべて、女たちを呼び込んではいかが? AKB35(みつこし)なーんてね。 9月15日(水) やれやれ! 年増の若作りみたいな夏も、ついにあきらめたか。猛暑は、祇園祭の山鉾巡行(7月17日)と同時にはじまったから、ちょうど二か月つづいたことになる。思い返せば、去年はたしか大文字送り火(8月16日)と同時に秋風が吹いて涼しくなった。去年より一か月も夏が長かったわけだ。おまけに気違いじみた猛暑であった。京都に来て五年過ぎたけど、こんなにエアコンつけっぱなしの夏ははじめてである。家でエアコンつけっぱなしはもったいないので、冷房完備の喫茶店に逃げ込んでいた。そんなわけでこの日記も開店休業だった。さあ、これから街歩きを再開しよう。 8月21日(土) NHKのナツメロ番組「思い出のメロディー」を見た。山本リンダ、橋幸夫、ペギー葉山なんかが出てくる。わが家は時代おくれなので、右上に目障りな四文字が出るテレビで見てるんだけど、こういう番組を見るときは裸眼にかぎるね。かなりいかれてきた目に、歌手のお顔が適度にぼやけてちょうどいいんだ。たまに若い人やバックの踊り子さんを見るとき眼鏡をかける。うっかり眼鏡をかけたら「あ、ちがった」なんてはずすこともある。ときには耳にもフィルターをかけたい場合がある。「あんた、出んさんなや(広島弁)」といいたくなる。ペギー葉山は「学生時代」(歌詞クリック)を唱った。いいねえこの歌。「つたのからまるチャペルで、祈りを捧げた日」はちと柄にあわないし、「賛美歌を歌いながら、清い死を夢見た」はこっぱずかしいけど、「テニスコート・キャンプファイアー、 なつかしい日々は帰らず」には、わかっちゃいるけどぐっとくる。なぜか歌詞までちゃーんと憶えてるんだよね。いまどきの人名はてんでだめなのにね。「ほら、あの、コマーシャルによく出てるじゃない、ほら、あの子よ、犬の娘よ」なーんて、上戸彩が出てこない。ほんと記憶って不思議だねえ。 8月19日(木)
いつもの割烹楽味の献立に驚いた。焼いたの、煮たの、蒸したの、は食べたことがあるけど、鯛頭の唐揚げははじめてであった。どーんと出てきたその偉容。この鯛頭が目にはいらぬか。頭が高い、下がりおろう。へへー、という感じ。カマのところも付いてて、ボリューム満点。暑気もふきとばす感動の味であった。お肌はカリカリ、色白な中身はふっくら。パッチリしたおめめはうれしいコラーゲンたっぷり。お盆休み明けだったので、たぶんご亭主が大サービスしてくれたのだろう。すっごい得した気分。だって焚き合わせ、酢の物、サラダなんかもついて950円だもんね。しんじられなーい!8月17日(火) 昨夜、大文字送り火をながめた屋上はめずらしく風が涼しかったのに、今朝起きてみたら、炎天猛暑ギンギラギン! やれやれ、去年のような秋風を期待したのに肩すかしである。 きょう、へんなものを見た。暑さをさけて、四条通の地下道を歩いていたら妙な音が流れてきた。地下道に反響してよくひびく。向こうの方からおばあさんが一人歩いてきた。白塗りに真っ赤な口紅。顔をこうぜんと上げて近づいてくる。「あしーたーはーまーべーを、さーまーよーええばー」 かん高いソプラノ。なんと歌っているのだ。でも口はあいてない。腹話術の練習かしら? 花街の粋すじのお年寄りかな? それともオペラの舞台に立ってるつもりかな? あっけにとられた小生をしり目に悠然と去った。まさか熱さのせいではあるまいな。 8月15日(日) ゆうべはひさしぶりに酒を飲んだ気がする。おなじみの太郎屋で姪夫婦と暑気ばらいをした。このところ思いきり酒を飲めない体調だったので、ずいぶんと節制していたのだ。好きな生酒はまだちょいと強いので、小さなグラスに一杯だけなめてみた。うまかった、佐賀の「芳薫」という酒。肴では「小鮎の磯辺てんぷら」というのが、ほろ苦くて美味。できたての「出し巻き玉子」もふんわりやわらかで相変わらずいける。あしたは大文字五山送り火である。去年のように送り火とともに急に秋風が立つとうれしいんだが。 8月11日(水)
ことしは出かけなかったけれど、「六道まいり」もすぎた。迎え鐘をついてご先祖の霊をむかえる行事。鴨川の東にある「六道の辻」は、この世とあの世の境界なんだって。六道は、地獄・餓鬼・修羅・畜生・人間・天界をいう(しらべてみた)。そういえばお寺に地獄絵図をかかげるね。子供たちがこわごわのぞいてキャーなんて悲鳴をあげる。あとは16日の大文字五山送り火を待つばかりだ。去年はたしか送り火と同時に秋風が立ちはじめたけど、さて、猛暑のことしはどうだろうか? それでも空をながめていると、徐々に変わってゆくのがわかる。入道雲から巻雲へ、夏から秋へと、季節は移りつつあるようだ。はやく涼しくならないかな。8月6日(金)
朝9時50分、むかしむかし少年少女だった高校同窓の九人が、京都駅西口改札に集まった。このくそ暑いなか、またまた破天荒な電車旅をやろうというのである。男三人、女六人はこの年代の勢力図そのままであろうか。JRの「大回り乗車」旅というものである。たぶんご存知ないかたもあろう。京都駅からとなりの西大路まで120円の切符を買い、反対方面の奈良、和歌山、大阪をぐるーっと大回りして西大路で降りる。これで万事オーケーなのだ。合法的なのだ。冷房完備なのだ。だれにも文句いわせない。これは、東京、大阪、新潟、福岡の「大都市近郊区間」のみに通用する鉄道規則らしい。ただし、 1 乗車駅から下車駅まで「一筆書き」でないといけません。(同じ駅を2度通ってはいけない) 2 途中下車できません。(弁当・飲物持参で乗り込むこと。トイレも電車や駅構内ですます) 3 有効期間は1日です。 「青春18きっぷ」も真っ青というこのウラ技は、昔からあって鉄人・鉄子にはよく知られていたが、一般にひろがったのは平成10年から。大阪大都市近郊区間が拡大された時、新聞でこの「大回り旅行」が大々的に報じられたからだ。合法的である以上「ダメ」というわけにもいかん。JR西日本さんはシブい顔をしている。東京大都市近郊では130円で750キロ動けるそうな。 もよりの売店で弁当、お茶などを買い込み、おじん&おばん一同は奈良行き電車に乗り込んだ。いい席をばっちり確保。さっそく缶ビールを飲みはじめる。菓子類が出てくる。大阪のおばちゃんだから飴ちゃんがなんぼでも出てくる。手品みたーい。ヨーロッパ系の外国人旅行者がずいぶん多い。奈良から和歌山へは二両編成のトコトコ電車だ。通学の中高生が目立つ。通路の両側の座席をわれわれ一行がほぼ独占していたが、その片隅に外国人男性がひとりしずかに座った。お昼になったので九人が一斉に弁当を広げる。何となく外人さんが気になっていたら、さすがこころやさしきわが同志、M子ちゃんが「プリーズ」と菓子袋を外人さんにあげた。けっこうイケメンのフランス人だったせいもあろう。
それからは、もう、たーいへん!わが女性軍は両側からフランス人をつかんではなさない。「一人旅?」「どこ行くの?」「年いくつ?」なーんて通訳をさせられた。あほくさ。でもへたな言葉より、女性たちの「おもてなし精神」、身ぶり手ぶりのほうがよほど異邦人に通じたにちがいない。聞けば橋本で降りて高野山へ行き、宿坊に泊まるという。世評どおりフランス人の高野山好きは本物なんだ。ミシュラン旅行ガイドが「わざわざ訪れる価値のある場所」として高野山に3つ星をつけたそうな。「浮世と全く違う時間が流れている。西洋人にとって神秘的」と紹されたらしい。肉や魚を使わない精進料理も外国人に受けているという。五十歳のイケメン紳士はわれわれ全員と握手して「グッドラック」と去っていった。「日本の思い出になったかなー?」なーんて、あとで話し合うことしきり。和歌山から京都への帰り道はさすがにくたびれて居眠りもちらほら。あたりに浴衣のギャルが目立つと思ったら、きょうは琵琶湖の花火大会なんだ。ラッシュに巻き込まれなくてよかった。五時に西大路に着き、タクシーで四条烏丸へ直行。予約してあるおなじみの「太郎屋」さんで反省会? おまかせの料理がつぎつぎに出て、広島弁まるだしの笑い話で盛り上がった。「あんた、どうしとったんねー?」「えっと飲みんさい、食べんさい」。フランス人も顔負けのゆたかなイントネーション。年をとってもなつかしいのは高校時代。心おきなく騒げる仲間はありがたい。十人集まればおのずから旅の役割もきまるようだ。「行こう行こう」の言い出しっぺ。ガイドブックやネットを入念にチェックしてプランを練る企画担当。連絡・根回し・クレーム処理係。食料・飲料の調達班、飲み屋予約係。おしゃべり担当(兼外交担当)。歌謡芸能部長。ずっこけ班(迷子・方向音痴・猪突迷進担当)。こんなんが勢ぞろいしてこそ旅も盛り上がろうというものだ。 7月27日(火) いいたかないけど暑いね。日向を歩くとたちまち熱中症の危険を感じる。そこで一日に何度も冷房の効いた喫茶店に逃げ込むことになる。そこで江戸時代小説を読むのが日課になった。平岩弓枝氏の「御宿かわせみ」と池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」をあわせ読むのがいい。「鬼平」は何度も読んだし、「かわせみ」も二回目だが、飽きない。いかにも女性作家のやさしい情感があふれている「かわせみ」、男性作家のダンディズムとユーモアがにやりとさせる「鬼平」。とくに「御宿かわせみ」に見事に描かれている江戸の衣食住が興味深い。四季おりおりの季節感、庶民の祭事・行事の楽しみ、ささやかなご馳走などに感銘をうける。「失われた江戸」の風物が、京都に重なるような気がしてくる。 7月25日(日)
連日の猛暑で、さすがのわたくしも食欲減退。おまけにきょうは日曜のためなじみの店がやすみ。さて何を食おうか、考えてしまう。ふと思いついた。そうだ、きょうはなにか「ひゃっこい」ものを食おう。鉄火丼とざるうどんのセットにした。どちらにも山葵がついてる。山葵とか生姜、こいつは夏にいいね。さわやかな辛味が食欲を刺激してくれる。うどんはツルツルシコシコ感がいい。ひゃっこくてうまかった。鉄火丼は、まあ、こんなもんかな。お江戸なら、もっと濃い色の分厚い赤身が、びっしり乗っているんだけどね。ふだんの定食なんかは東京よりはるかに旨いけど、寿司ばっかりは東京だ。むかしの京都は新鮮な魚がなかったそうだが、いまはそんなことはない。けれど残念ながら寿司職人の伝統がない。寿司屋文化の継承もない。やっぱり「食」は文化だね。7月22日(木) 入道雲の夏空から、じりじり焼けるような太陽が照りつける。ことしの暑さは京都でも、ムシムシよりはジリジリである。昼食に出るときもとにかく日陰をえらんで歩く。四条通の地下道とか、錦市場のアーケードとか。こんな日は食欲もいまいちだ。さすがにいつもの割烹さんは考えている。冬瓜と高野豆腐のそぼろあんかけ。冷たい高野豆腐を噛みしめると、ひやっこくて美味しいダシがジュワー。こたえられまへん! 糸こんにゃくの紅葉和え。糸こんにたらこがからまりほんのり赤い。そしてひやっこい。炎暑をのがれてホッと一息の昼めしだった。 7月17日(土)
なんと山鉾巡行の当日に梅雨明けとなった。気象庁の宣言は出てないけどまちがいない。朝から入道雲がもくもく立ち上がっている。きょうは35度の猛暑日だそうな。やれやれ!この炎天下に巡行を追いかけるのはよしておこう、熱中症でぶったおれるとやばいからね。京都テレビで「くじあらため」だの「しめ縄切り」だのの中継を見る。四条河原町交差点での、長刀鉾の「辻回し」でひととおり見た気になる。山鉾の美しい細部はテレビ中継が一番よくわかる。京都検定の知恵もつくしね。ことしは新しいことをひとつ知った。四条通に路面電車が走ってたころは、巡行のたびに電車の架線をとりはらったり付けなおしたりしたという。そうだよね、とーぜん。そこに思いいたらなかった。新町通あたりまで出て、いちおう写真を撮った。いつもの昼めしどころはおおむね祭りのメッカなので、混んで混んでとても食う気にならない。いったん帰ってから出直すことにしよう。一時すぎてから腹が減ったので昼食に出る。こんな遅いのはめずらしい。すぐ近所の中国料理「龍門」に行く。空いてた。海鮮焼そばでいこう。ここは中国人だけの店で、日本人の中華屋とは味がちがう。めちゃ安い。ちゃんとした玉子わかめスープがついて750円。店の女の子にときどき日本語を教えてやり、メニューの中国語の発音を教わる。東京にいたときボランティアで日本語教師をしてたのでお手のものだ。 7月16日(金)
ゆうべは梅雨明けを思わせる遠雷が鳴った。そのあと雨も上がったので、祇園祭の宵々山にくり出した。新町通の賑わいをながめてから、なじみの店で生ビールを一杯やった。ここも表に特設屋台を出して飲み物など売っていた。きょうは様変わりして朝からムッと暑い。四条通は見物客でごったがえしている。幼稚園児の集団までくり出して、まあ、にぎやかなこと。こっちはなにせ蒸すので喫茶店に逃げ込む。
昼はいつもの「楽味」でいただく。きょうの献立は、鱧(はも)の天ぷら、鱧の子寒天じめと小芋煮、万願寺唐辛子とジャコ炒め、茶碗蒸し、茄子の味噌汁であった。これぞ祇園祭という季節感だなあ。こんなのがひとしおうれしい年なんだね。知り合いが菊水鉾の世話役をしてるのでちょっと寄った。ちまきの販売やら客の誘導やら大変みたい。菊水鉾はことし「鉾一番」のクジを引き当てたので縁起がよいとうれしそうだった。6月5日(土)
近所の仏光寺通西洞院あたりに「菅大臣神社」というのがある。町家の中にうずもれたようなちっちゃな神社だけど、その名のとおり菅原道真ゆかりの古い社である。道真の生誕の地で邸宅跡らしい。太宰府に流されるとき都に名残を惜しんで詠んだ歌がある。東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ その道真はんを慕って、梅の花がはるばる九州へ一夜にして飛んで行ったという伝説がある。その「飛び梅」の木がここ菅大臣神社にある。それは前から知っていたんだが、新聞記事ではじめて気がついた。菅直人が「菅大臣」になったんだ。菅直人新首相はこの菅大臣神社に参拝したことがあるそうな。2003年秋に民主党代表だったとき、衆院選直前の必勝祈願に来たらしい。そして当選後は奥さんとお忍びでお礼参りしたという。御利益があったんやろか? 6月1日(火) 京都に住んでる姪から携帯メールが来て、ひさしぶりに昼飯をいっしょに食べた。若い女性とメールで会うなんて、おじさんも変わったもんだ。いつもの割烹のカウンター指定席にすわる。「きょうは彼女を連れてきたぞ」なんて言ったら仲居さんが笑ってた。ごくふつうの店だけど、姪は「私一人じゃちょっと敷居が高いわ」と言う。食後にすこし歩いてから甘味処に寄る。六角通の栖園(せいえん)だ。「琥珀流し」が名物である。
美しい脚つきのガラス器に盛られた、上品な寒天ふうのスイーツ。なんとも清涼感のある姿かたちがいい。こんなぷるぷる感のある舌触りがなぜか好きなのだ。ごく抑えた甘味なので男でもいける。今日は梅の味だったが、季節ごとに風味が変わるようだ。桜、柿、葡萄、黒豆、ペパーミントなどいろいろあるみたい。ちょっと小汗をかいたときに、つい寄りたくなる静かな店だ。美しい坪庭と奥の座敷の屏風を眺めていると、ほっと一息つける。それから、この店に寄られたらぜひお手洗いを拝借するようお勧めしたい。ほんものの町家の玄関と、高い吹き抜けの通り庭が見られる。はるかな天窓から光が漏れている。光と闇の交錯。いかにも京都へ来たという気分を味わえるだろう。5月28日(金) 陶器の里、信楽へ行ってきた。琵琶湖めぐりウォーキングの仲間10人あまりでくり出した。まず湖畔の石山駅からバスでミホミュージアムへ向かう。路線バスなんだけど、えらい目にあった。運転手の荒っぽいこと荒っぽいこと! 最初は田んぼのあぜ道みたいなとこをジグザグに走る。急激な右折左折を繰り返し、はげしく尻を振る。急加速、急ブレーキはあたりまえ。途中からカーブだらけの山道を気違いみたいに突っ走る。狭いので対向車を待ち合わせるときも急停車、急発進である。こんな調子で一時間ちかく。いやーまいった、まいった! 降りるときあきれて運ちゃんの顔を見たら、これがなんと白髪のええ年のおっちゃんなんだ。あとで地元のタクシーに訊いたら、あのバスは荒っぽいので有名なんだって。知らんかったー。
ミホミュージアムは信楽の山ん中の美術館だ。某宗教団体が造ったという。100万平方米の山を買ったらしい。こんな山の真ん中によくもまあ造ったものだ。宗教の力ってすごいねえ。美術品を集めるだけで数百億使ったというが、フランスの有名建築家設計の建物や道路やトンネル工事まで含めると、さらに何百億かかかってるんじゃないかな。エジプト、メソポタミア、中国なんかの古代美術品がわんさとそろっている。おそれいった。信楽で食傷するほどたぬきを見てから、帰りは信楽駅から、かの有名な信楽高原鉄道に乗った。1991年5月、正面衝突で死者42名、重軽傷600名という大惨事を起こした電車である。見れば一両か二両編成で客も少ない。大事故が信じられないのどかな風景。さらにJR草津線、琵琶湖線と二回も乗り換えて京・大阪方面に帰る。信楽って不便なとこにあるんだね。だけど、あの神風運転バスにくらべたら、電車で行ったほうがいいかもね。5月26日(水)
ことしはじめて鱧(はも)を食べた。鱧天ぷら、牛肉とささがき牛蒡のしぐれ煮、穴子と胡瓜の酢の物、茶碗蒸し。なじみの割烹の昼定食である。ふんわりふくらんだ真っ白な鱧は初夏の味。京都に来た当座はあまりなじみのなかった鱧だが、五年も経つと、ああ初夏が来たなあと思う。お江戸では長いものならなんといっても鰻(うなぎ)である。姿形はよく似ているが、料理も味もまるでちがう。まさに江戸と京のシンボルみたいなもんだ。鰻は白焼きか蒲焼きくらいのものだが、鱧料理はじつに多種多彩である。刺身、洗い、あぶり、椀もの、はもしゃぶ、天ぷら、鱧寿司などなど。なかでも真っ白な美しさでは「鱧おとし」が一番だ。これを食わぬと京都の夏は来ないと言われる。5月25日(火)
「京都迷宮案内」というテレビドラマがある。何度か中断しながらも続いているから、人気があるのだろう。
橋爪功の演じるとぼけた新聞記者が主役である。ありきたりの犯罪ミステリにはない面白さがある。野際陽子、国生さゆりなどの脇役もいい。いままでの役柄からはみ出してはっちゃけてる趣向がいい。橋爪功の下宿先が石塀小路の「田舎亭」なのはいいけど、二階の窓から京都市街を見下ろすという場面は、おいおい、そりゃあねえだろ、と言いたくなる。さて、このドラマに「西新道錦会商店街」というものが出てきた。知らなかった。京都に来て五年にもなり、うちからさほど遠くもないのに、そんな商店街があったとは。そこで今朝さっそく行って見た。JR丹波口駅のすこし西方の住宅地の中にある。四条通を南に折れて、嵐電の踏切を渡ったすぐ先である。南北に走る一本道の商店街だ。両側の店から白いテントが大きく張り出している。一見アーケード風である。歩いてみるとなんともレトロな風情。昭和三十年代の匂いがする。主婦が茶の間からそのまま下駄をつっかけて買いにくる感じ。丹波口の中央卸売市場から直近なので、生鮮品はいいにちがいない。こんな昔ながらの商店街が、市中いたるところに残っているのが京都である。「三条会商店街」「古川町商店街」「出町商店街」「新大宮商店街」「大将軍商店街」などなど。よその土地ではこんなのはとっくに消えてしまっただろう。「うら京都・れとろ商店街ツアー」なんてのはどうかしら?これも立派な観光資源だと思うのだが。 5月9日(日)
連休がやっとおわった。こっちはサンデー毎日の身だから関係ないが、昼飯を食うのに不便だからあまり歓迎しない。ともあれ、きのうきょうの素晴らしいお天気は大歓迎だ。からっと爽やかな空気はいまどき実にめずらしい。これなら暑さも苦にならない。なんだかワイハの街を散歩してる気分になる。御池通をルンルンで歩く。けやき並木の新緑が目にしみる。東京で住んでた府中市はけやき並木が有名で、樹齢八百年の大木が大通りを彩っていた。御池通のけやきははるかに若くて、青少年のおもむきだ。三条京阪まで足を伸ばしてブックオフに寄った。いまちょっとはまってる平岩弓枝の文庫本を四冊買った。「御宿かわせみ」シリーズである。このところ小説は江戸物ばっかし読んでいる。いまの時代に合う。池波正太郎、藤沢周平を経て平岩弓枝にいたった。はやくも鴨川には納涼床が立ち上がっている。昼時になったので、三条通木屋町の「大戸屋」に行く。ここはちょっと気の利いた定食屋だ。食材と献立がいい。東京では愛用していた。桜えびのせいろ御飯、海老しんじょの高野はさみ含め煮なんて、いかにも女性向きの献立をおじさんがいただいた。桜えびの風味がいい。鮪の細切れが入った味噌汁が美味しかった。桜わらび餅も気に入った。 4月30日(金) 長谷川等伯展を見にいった。大変だった。午前十時半に京都駅で友人たち六人と合流、国立博物館へ歩いて行ったら、なんと二時間待ち! こりゃあかんと見送って、急きょ裏京都ウォーキングにきりかえた。豊国神社、方広寺大仏殿跡から耳塚へと、豊臣秀吉のはかない夢の跡をたどる。秀吉の建造物はすべて跡形も無く、のこるはここの石組みのみ。鴨川の東の路地(ろおじ)をそぞろ歩き。「洛東遺芳館」に着いたらなんとラッキー、春の特別公開をやっていた。さっそく300円払って中に入る。前から見たかったのだ。
幕末の「どんどん焼け」(蛤御門の変)で洛中はほとんど焼けた。250年前の町家が焼けずに残っているのは京都でもまれである。江戸時代の豪商「柏原家」の邸宅で、260坪の敷地に36部屋もある宏壮な屋敷。畳座敷が前後左右につながっている感じだ。あちこちに中庭。いくつもの蔵。蔵の中には宝物が展示されていた。伝来の家具や衣装、屏風、茶道具、書画などがある。色鮮やかな役者絵や百人一首が見事であった。300年の老舗「半兵衛麸」を横に見て五条通を渡り、宮川町を歩く。相変わらず舞妓変身の店がにぎわっている。祇園からタクシーで柳の馬場姉小路の「MACHIYA兪(ゆ)」へ。ひいきの店だからわがまま言ってこの店の一等席に上がり込む。中庭に面した掘りごたつ式回転卓の座敷である。七人にぴったり。ゆったり落ち着いてランチコース¥2300をいただく。前菜、点心、ふかひれスープ、海鮮あっさり炒め、炒飯、杏仁豆腐。けっこうなお味でした。友人たちも満足してくれた。満腹したところで、いざ出陣!
午後三時を目安に博物館へむかう。タクシーで着いたら50分待ちとのこと。覚悟して並んだが、意外とスムーズに進んで入館できた。中は人の渦である。右へ左へ前に後ろにもぐりこんで見る。「仏涅槃図」「松林図屏風」が印象にのこった。「松に鴉」が見られなかったのが心残りだった。一時間ばかり見て外に出る。そばの「甘春堂」茶房でお茶しながら反省会。さらにさらに四条新町までもどって、ひいきの「太郎屋」へ。おばんざいで軽くお酒をたしなむ。まさにフルコースを流れるように消化した一日であった。4月26日(月)
ひさしぶりに高校同窓のおJさん・おBさん十名ばかりで「竹生島クルーズ」に出かけた。湖西線の近江今津から乗船する。クルーズとくれば琵琶湖でもいささかカッコいいが、その実態は船で「江ノ島詣で」をするようなもんだった。それでも「琵琶湖周航の歌」の発祥地とあって、女性たちは「われは湖の子〜さすらいの〜旅にしあれば〜しみじみと〜」と、乙女の声で口ずさみつつ遊覧船に乗った。竹生島は初めて来たが、小さいながらも一見絶海の孤島を思わせるおもむきがある。そのむかし流人の島だったというのもうなづける。周囲は断崖で囲まれており、鵜や鷺など水鳥の生息地だ。上陸してみると目の前に土産物屋が並ぶ。そこからはひたすら急な階段を上る。途中から山道を迂回したので多少は楽になった。神社の本殿は伏見城、唐門は豊国神社の遺構で、桃山時代のおもかげを残す国宝だそうな。色もはげおちて相当古さびた建築である。それにしても、こんなちっちゃな島によくもまあ神社や寺を建てたものだ。江ノ島の弁財天は、源頼朝が奥州藤原氏を討伐するときに、竹生島の弁財天を勧請したものだそうな。勧請(かんじょう)というのは、神仏を他の場所へお迎えすることだ。竹生島のほうがはるかに先輩格なんだね。帰りは一本道の階段を下った。そこを上がって来た面々はふうふう言って根を上げていた。お年寄りにはちょいときつい階段だなあ。江戸っ子の江ノ島詣では色町に繰り込むなんて余録が付きものだったらしいが、現代の当地には左様な雰囲気はとんと無かった。復路は船の二階から琵琶湖の景色を楽しみ、長浜で下船した。 4月21日(水)
ちかごろはコンビニでもパンやスイーツの品揃えが多いね。ときどき試してみるが、どれもこれもいまいち納得できなかった。乾燥してたり、甘過ぎたり、しつこすぎたりね。ところが、こいつはいける。セブンイレブンの「なめらかガトーショコラ」。ショコラの風味もわるくないし、しっとり感もある。表面や中にまぶしてあるナッツの舌触りもいい。128円なりのコンビニ・スイーツとしてはすぐれものである。大阪のメーカーらしいので、このあたりの地域限定かもしれないが、見つけたら一度おためしください。4月13日(火) 信号待ちしていて不思議なことに気がついた。京都の細い道はみんな一方通行なので、赤信号でも車が来なければ渡っても危険はない。普通のひとは車や自転車の方向をたしかめながらすばやく渡る。問題はおばちゃんである。一般に判断が遅いので、プーと警笛を鳴らされたりする。このときのおばちゃんの行動が不可解である。一応安全を確かめてはいるのだろうが、いざ渡る段になると前しか見ない。背を丸めてよたよた突進する。こわいものは見ないことにして突き進む。どうもそんなふうに見える。荒唐無稽な儲け話などの被害者に、おばちゃんやおばあちゃんが多いようだ。危ないものは見ないことにして突っ走る。そんな習性が無意識に出るのではあるまいか? 4月3日(土)
あちこちの桜をカメラにおさめているが、まだ今春一番というやつが撮れていない。大好きな琵琶湖疏水に映る桜は、先日行ったが早すぎて全然だめだった。きのう行った二条城も、染井吉野はかなり咲いていたけれど、ここの名物肝心の枝垂れ桜がまだまだであった。それにしても二条城は、欧米人ツアーの団体がすごいね。でかいバスが広場をうずめていた。高瀬川沿いと祇園白川沿いは、まあまあという感じかな。掲載の写真は早い時期に撮った御所の枝垂れ桜である。きょうのお昼はちょいと贅沢した。町家中華「MACHIYA兪」の定食1500円。前菜三種盛り合わせ、点心三種、海鮮野菜炒め、ねぎ生姜汁そば(小)、ごはん、杏仁豆腐、というラインナップ。この店流の海鮮野菜炒めは、あっさり上品な旨味で気に入っている。ほかの品々も美味しかった。満腹した。3月30日(火)
ひさびさの快晴になった。いきつけの富小路の店で日替わり定食を食べる。かますの開き、穴子の柳川風、ほたるいかの酢味噌和え、などが出た。かますの開きもいいもんだ。食後、とくにあてもなく四条通をまっすぐ東へ歩く。木屋町通の桜が目についた。おととい行った琵琶湖疏水では、まだまだ早かったけど、ここはかなり咲いている。祇園白川へ行ってみよう。さすがにかなりの人出である。観光客もずいぶん出てきたようだ。着物姿の若い女性もちらほら見える。貸し衣裳じゃないかな? まだ満開には早いが、まあそこそこお花見気分は味わえるみたい。八坂神社から円山公園、高台寺あたりも人波がびっしり。その合間を人力車のあんちゃんがかけ声で走り抜ける。ようやくお天気になり商売に気合いが入ってるようだ。茶店でぜんざいでも食おうかと思ったが、ギャルで満杯だったのでやめにした。3月21日(日) ふったりやんだりの空。春はほんとに定めないお天気ですね。さて、うちの近くに油小路があり、「本能」というエリアがある。かの織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺」のあたりだ。ここで「おいでやす、染めのまち本能」という、春の催しがおこなわれた。この通りにある数十軒の町家に、色とりどりの古代色の暖簾(のれん)をかかげて目を楽しませるイベントである。普段はごく静かな油小路に、人々が群れてにぎやかだ。子供たちはすべての暖簾を見て回ってスタンプを押す「ラリー」に熱中している。古代色というのは日本古来の伝統色で、和服などに使われて美しい。その呼び名がすごいね。おのおのの暖簾に漢字で色が染めてあるけど、難読クイズみたい。中縹、竜胆、海松藍、蘇芳なーんて、読める? なかはなだ、りんどう、みるあい、すおう、である。難しいけど風情があっていいなあ! 携帯カメラで二十色ほど撮影したのだが、パソコンに取り込むすべを知らないので掲載できない。残念! 春秋一日だけの催しなので、並の観光客にはちょっと見られない。あ、ちなみに現在の寺町の本能寺は、のちに豊臣秀吉が再建したものだ。 3月12日(金)
すぐ近くに「中国料理龍門」が出来てるのを発見した。油小路と綾小路の角、四条通の一筋南である。今月はじめにオープンしたらしい。たしか東山三条あたりで見たおぼえがあったが、やっぱりその支店だった。さっそく食べてきた。「鶏肉ねぎ油汁そば」。さすが本場中国の味という感じ。トロ味のあるスープの表面に真っ赤な唐辛子が浮いている。にんにくとねぎの風味。トロ味スープであったまり、追っかけて唐辛子がきいてくる。 料理人はじめお店のひとはみんな中国人みたい。中国語が飛び交っている。餃子、炒飯、焼そば、麻婆丼、中華丼、みんなみんな安くてうまそう! インテリアはそっけないけど、実質本位の中国食べもんやと見た。こんな普段使いのうまい店が近所にできたのはうれしい。2月21日(日) 冬のオリンピックまっさかりだけど、見たいものをいつやってんだかわからない。真夜中に決勝をやってるのかな?どうも夏の大会ほどはかじりついて見る気にならない。きょうは日曜なので休みの店もある。ひさしぶりに姉小路のMACHIYA兪に行った。予約のグループ客が多いみたいだ。日曜だから日替わり定食はない。麻婆丼をたのんだ。ここの麻婆はうまいんだ。ただ辛いだけじゃなくてコクがある。ぼくが辛いの好きなのを知ってるので合わせてくれる。やっぱり美味しかった。満足した。小春日和で気分がいいので鴨川べりまで散歩してから、帰りに烏丸六角のスタバで珈琲を飲んだ。屋外のテーブルが心地よい。川柳が三句できた。携帯のメモに入力した。 2月14日(日) 大丸裏の元祖中国料理麺飯食堂「万豚記」(ワンツーチィ)にはじめて行った。去年あたり出来た店だ。大きなガラスの引き戸を開けて入る。なかは意外と広い。二階もあるようだ。黒胡麻坦々麺のランチを取った。真っ黒なスープに麺がつかってる感じ。でも見かけほどは辛くない。たっぷりの胡麻風味が売りと見た。鶏唐揚げとごはんがついてる。挽肉がごろごろ入った麺はヴォリュームがあるし、でかい唐揚げ三個食べたらごはんまで手が回らなかった。中華がっつり系の若いひと向きかな?けっこうはやっているようだ。 携帯を買い替えてメールをはじめたらクセになった。電話ともパソコンメールともちがうおしゃべり手法だということが分った。パソコンよりお手軽だし、ダイレクト感があるね。東京の妹や広島の姉をワンタッチ登録して家族ホットラインができた。高齢化するし、独居もふえるし、遠く離れて暮らす家族の様子を知るには最適かもしれない。大災害のときなんかは電話がつながらないので、メールがたのみだとも聞いた。いまのうちに覚えてよかったみたい。川柳メールでも送ろうか。 2月10日(水)
きゅうに暖かくなったが、それでもうっとおしい空模様がつづく。気分転換をしよう。ふだん行かない店に行こう。錦小路室町西入ルの「膳處漢ぽっちり 」(ぜぜかん ぽっちり )に入った。ここは奥のバー「ぽっちり」には何度か来たけど、めしを食うのは初めてだ。昭和初期の呉服問屋のあとだという。ぽっちりとは、帯留めのことだ。おもては重厚な洋館で、奥は大きな町家である。ずっと奥の座敷に通された。畳に敷かれた絨毯の上に、中国風の卓と椅子。部屋の両側に中庭がある。こんなしつらえだから安くはない。「野菜いろいろタンメン」を取った。大きな器に野菜山盛り。ごはんと漬け物がついてる。塩味のさっぱりスープである。ひさしぶりにタンメンを食った。東京ならそこらじゅうにある「ふつうのラーメン屋」。「ラーメン・中華」の看板をかかげ、ラーメン、タンメン、炒飯、餃子が四天王の店。これが京都は少ない。「こだわりのラーメン屋」ばかりである。こってりラーメン命である。そこにはタンメンなんかない。じつに不思議な京都ラーメン事情である。野菜たっぷり塩味スープのタンメンに胡椒をかけて食うのが好きなんだが、これが京都ではじつにむずかしい。 2月3日(水) やむをえず携帯電話を買い替えた。五年使ったけどどこも悪くない。まだまだ使える。なのに、movaのサービスを打ち切るのでFORMAに替えてください、だってさ。これってずるくない? なんかこの手のやりかたが次々に出てくるよね。アナログはやめますからデジタルを買ってください。旧OSのサポートは打ち切りますから新OSを買いなさい。これ、あこぎな商法じゃないかしら? いちばん安いのにしたけど、端末の追加料金を取られた。そこらの携帯屋でタダの交換ができないかと思って調べたが駄目だった。東京なら激烈な競争をしてるので安いけど、京都ではdocomoとたいして変わらないのだ。それならdocomoショップのほうが信用できる。こんどは一応カメラつき携帯である。でも写真を撮っても、携帯からパソコンに取り込むのは簡単じゃないみたい。これじゃあんまり使い道はないな。前は携帯メールは一切使わなかったが、こんどはとりあえずメール・アドレスを設定した。これだって大災害で電話がつながらない時くらいしか使わないかも。 2月2日(火) 寒波襲来。東京都心にも雪が積もったらしい。身体がちぢこまって遠出する気にならない。日替わり定食で「ふぐ唐揚げ」が出た。こんなのが出るのは富小路の楽味くらいである。小芋・かぼちゃ・筍と蛸の焚きあわせ、白身魚と昆布・きゅうりの酢の物、湯葉サラダがついている。この寒い日に熱々の赤出しがうれしい。焚きあわせの蛸に出汁がしみてなんともいえぬ旨さだった。めしがうまいと多少元気が出る。 1月18日(月)
はじめての店に入った。ひさしぶりのことだ。御幸町六角の「おうちごはん・ここら屋」である。町家のかまえ。靴を脱いで上がる。座敷が二間、二階もあるらしい。厨房につながる奥の座敷は、自然暖房であたたかい。かわいいめおと卓袱台に座った。大勢の若い男女でやってる店のようだ。明るい声が飛び交う。日替わり定食980円。肉と魚から選ぶしかけ。すずきのチーズ焼きを選んだ。若い女性客が多いようだが、ぼくの後からおじさん一人が来たので安心した。お盆にいろいろな皿が乗ってくる。みかんが一個ついてる。魚のほかに、かぼちゃと菜の花の天ぷら、白菜煮びたし、かぶときゅうりのサラダ、漬け物、みそ汁がついている。大振りの新鮮野菜が売りらしい。かぶときゅうりも大きく、歯ごたえガリガリ。魚にかかった和風トマトソースにも赤・黄のパプリカがたくさん乗っている。天ぷらには塩をつけて食った。最後にみかんを二つに割ってかぶりつく。甘くて美味しかった。献立が気に入った。また来て見ようと思った。 1月17日(日)
きのうは高校同期生の新年会をやった。男女半々で約10名。新年会といっても飲むだけではない。午後2時に京都駅集合。ぼくの企画案内で「裏京都をあるく」お散歩である。観光では行かないけれど、これぞ京都という路地裏を探訪する。龍谷大学、梅小路機関車館、島原遊郭、壬生寺などをまわった。龍谷大学は明治初期の建物で重要文化財。「坂の上の雲」の若人たちが学んだような雰囲気の学舎である。梅小路機関車館は、100年前の円形操車場に大小とりまぜ20台あまりのSLが並んでいる。菊のご紋章をつけたお召し機関車もある。島原遊郭、壬生寺はかの新撰組が出入りした舞台である。5時からはぼくの贔屓の「太郎屋」で新年宴会をやった。これにはなんと、母校のある呉市から2名の飛び入りが遠路参加した。カウンターの奥の壷庭に面した座敷を貸し切りで、様々なおばんざいが次々出てきて、わいわいと心おきなく飲んだ。京都・伏見の純米酒 「招徳」がうまかった。この同期仲間では昨年から毎月「琵琶湖路をあるく会」をやっている。集合日時だけきめて、来るやつは来い、という気楽な行楽だ。この年になってこんな親しい仲間がいるのはありがたい。男やもめを哀れんでか、もとめ(元乙女)たちがいろいろ気づかってくれる。師走に忘年会をやったばかりで、また新年会をやった。ひまもあるし、人恋しくもある年頃なのである。 1月13日(水) 0度〜5度と、この冬一番の冷え込みらしいが、晴れて日が射してきた。きょうは富小路の「楽味」へいこう。そう思った。なんとなくそんな気になった。例によって店頭に墨痕あざやかな、定食のお品書きが出ている。寄せ鍋とある。うわお、ラッキー!この寒い日に寄せ鍋はこたえられない。ほかによこわ刺身と酢の物がついてる。「よこわ」は京都に来てはじめて知った。なにしろお江戸では猫も杓子もマグロ&トロである。まだ若くて小さいマグロを関西では「よこわ」、関東では「めじ」と言うらしい。居酒屋などでもよこわはおなじみだが、今日の魚はちょいと違った。 赤身が二切れ、中とろが三切れついてる。いずれも、もっちりとろりで、実にうまい。飲み込むのが惜しいほどである。こんなよこわは初めて食った。「よこわ」を軽く見る思い込みを反省した。さて寄せ鍋。こいつがまた素晴らしかった。海老、牡蛎、穴子、白身、鮭などなど、いろんな魚介から抜群の出汁が出ている。大振りな春菊が味をひきしめる。土鍋の熱いやつをふうふう言いながらすすりこむ。最後まで一滴残さず飲んでしまった。ひさかたぶりに、当たりー!の御馳走であった。帰りに大丸地下でココアマフィンを二個買った。一度試してみたらうまかったんだ。 1月7日(木) 定食屋である娘を見た。ぼくの斜め前でひとりで食べている。見ると身なりも悪くないかわいこちゃんである。こんな若い娘がひとりで定食屋というのもめずらしい。水炊きを食べている。女好きおじさんは最初ちらちら見ていたが、そのうち自分の食べるほうが忙しくなった。娘が立ち上がったので思わず顔をふりあおいだ。つぎに膳の上を見た。ありゃー!たまげた。落花狼藉、しっちゃかめっちゃかである。鍋の中、取り皿、茶碗、汁碗。食い散らかした残飯が散乱している。娘ならダイエットもあるだろう。残すのはしょうがない。それにしてももう少しきれいな残し方があるだろうに。親はどんなしつけをしたのかしら。箸の持ち方からはじまって、食卓はしつけのいろはだ。いくらきれいにお化粧したって、これじゃ百年の恋もさめるというものだ。やれやれ。 1月5日(火) 朝、窓際の椅子にすわって(窓際族?)音楽を聴きながら珈琲をのむ。いまの季節だとちょうど朝日が顔面に射しこむ。まぶしいけれど気持ちよい。わざと目をあけたまま太陽を見つめたりする。思い出すなあ。子供のころみんなでそんな遊びをしたものだ。「目がつぶれるわよ」なんて大人に言われたね。太陽を見つめた目を閉じるとまぶたの裏に残像がのこる。いろんな形いろんな色をしていて揺れたり変形したりする。それが面白い。この遊びは意外と健康にいいらしい。セロトニンである。朝日を浴びると脳内にセロトニンという物質が分泌されて、不安をやわらげ、気分を明るくし、前向きな気持ちにするそうだ。これを知ってからは散歩の途中でも朝日に顔をさらすようにしている。 1月3日(日) 箱根駅伝の復路をちょいとのぞいてから食事に出た。烏丸通の「かごの屋」がやっていた。正月メニューだが手ごろなご馳走がいろいろある。寿司、天ぷら、しゃぶしゃぶなどそろってる。釜飯と天ぷらと茶わん蒸しの定食にした。小鍋にはった出汁に火を入れてくれる。釜飯をすこしのこしてお茶漬けにしてくださいと言う。薬味にきざみ葱と海苔とわさびが付いてる。こいつは気がきいているなあ。食べ終わるころちょうど出汁が熱くなる。釜飯のお茶漬け、なかなか乙なもんだった。わさびの香りがいい。あとで訊いたらなんと、元旦からやってたんだって。しまった!最初からここにくればよかった。来年は必ず来るから「元旦はお雑煮を出してくれ」と注文をつけておいた。 1月2日(土)
今朝は雲間にではあるが、朝日がおがめた。初日の出でなくて残念。さあ、きょうから「箱根駅伝」だ。スタートからゴールまで、あいだに食事をはさんで、ずっと見ていた。だいたい、ぼくは駅伝、マラソンのたぐいを見るのが好きなんだ、どういうわけか。やっぱり学生さんは、きのうの実業団よりも若くてかわいいね。いっしょうけんめいが顔に出ていい。この駅伝はいつもどこが勝つかわからない。抜きつ抜かれつが面白い。東海大学の一年生、村澤くんが素晴らしかったが、なんといっても箱根山登りの東洋大学の柏原くんがすごかった。五分ちかい差を逆転して真っ先にゴールした。それにしても、標高差800メートル、20キロあまりを一挙に駆け上がるんだよ。しんじられなーい!こんなのは世界でもここだけだろう。往年の強豪、早稲田、中央、日大なんかが最近ぱっとしないようだ。ところで慶応って駅伝には出ないよね。こんな泥臭いことはやってらんないのかな?1月1日(金) あけましておめでとうこざいます。きのうから急に冷え込んできた。正月を生き延びるための最低限の買物をして、はやめに家に帰った。巣ごもりだね。ゆうべは、紅白、懐メロ、クラシック、の三局をとっかえひっかえつまみ喰いした。これはいいね。見たくもない歌手を見ないで済む。年が明けると、さあ、スポーツだ。元旦は「実業団駅伝」である。スズキがトップで、トヨタとホンダが二位を争うなんて場面があって、おいおい、こいつはほんまに駅伝かい?商売じゃないの?なーんて思わせることもあった。群馬なので赤城おろしのからっ風が寒そうだった。最後は日清食品の初優勝で決着した。ことしもカップメンを食べなはれということか?
きょう元旦の食事を心配していたが、いきつけの前田珈琲本店がやってた。ありがたい。ビーフカレーを食った。熱くて辛くてうまかった。デザートにコーヒーロールケーキを取った。夜はウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴いた。去年から知った。ウィーン楽友協会の大ホールから毎年元旦に衛星中継される。このホールがなんともはや豪華絢爛、宮廷はなやかなりしころを思わせる。そこに三万本の生花が飾られて、これだけでもみものだ。曲目は例によってヨハン・シュトラウスのワルツとポルカばっかしである。これなんでだろう?ウィーンといえば「音楽の都」。モーツァルト 、ベートーヴェン 、ブラームスなんかもいたはずなのに、なんでワルツばっかしなの?これはどうやらシュトラウス一族の陰謀らしい。シュトラウス一家といえば音楽の都の「大ボス」だったらしいのだ。ベートーヴェンは大晦日の「第九」で食傷してるけど、せめて大好きなモーツァルトの「第三十九」でも演奏してもらいたいね。 |