12月30日(金)
散歩の途中になつかしい昭和の匂いのする喫茶店をみつけた。二条城の南の「喫茶チロル」である。使い古した木の卓や椅子がなんともいい感じ。仕切りなんかなくてオープンな店内は応接間にみんな居合わせたような雰囲気。接待役はお年寄りのご夫婦である。おばあちゃんが厨房で、おじいちゃんが給仕をする。四十年以上つづいている店らしい。壁に大きなモノクロ写真のパネルが数枚かけてある。見れば明治大正の京都風景ではないか。大正時代の木造の京都駅。友禅流しをしてる堀川のかたわらをチンチン電車が走る。立上がってつくづく眺めていたら、察したおじいちゃんがさっそく古い写真の束を持ち出して解説してくれた。明治の祇園の町並み、クラシックな大丸の前の祇園祭、明治の四条大橋と北座(いまはない)、高瀬川の引き舟などなど。じつに貴重な写真ばかりである。また見にいこう。ここはカレーもうまいらしい。12月29日(木) 師走もおしつまって寒くなったなあ。しばらく運動不足だったので、また一念発起して朝の散歩をはじめた。新しいコースを開拓しよう。四条から堀川通を北上し、二条城あたりから「堀川遊歩道」に下りる。ここは旧堀川の河川敷に小さなせせらぎを復活して、遊歩道や公園やベンチなどを整備したものだ。御池通から今出川まで続いている。丸太町あたりで歩道に上がり二条城の周囲をぐるっとまわって二条駅に抜ける。二条城の石垣や堀を見ながら歩くのは気持いい。ウォーキングには最高だ。
二条駅前の「コメダ珈琲店」に立ち寄る。見なれぬ名前だと思ったら、コメダは名古屋の老舗なんだって。なごやーとくればモーニングだがや。ここはコーヒーに厚切りトーストとゆで卵が自動的につく。珈琲は熱々たっぷりなので気に入った。一服してからまた歩き出す。三条の立命館の豪華な新館を見ながら三条会商店街のアーケードに入る。「野口みずきガンバレ」の黄色いのぼりがずらりと並んでいる。この商店街は熱烈な応援団なのだ。みずき嬢は雨の日にはこの800メートルのアーケードで早朝特訓をやってるらしい。大宮通から四条へ抜けてうちに帰る。これでおよそ7、8000歩ほどになろうか。寒い朝でも帰宅するころには身体がぽかぽかしてくる。12月17日(土) あるひとに「がりょうてんせい」ってどう書く?と問われた。「画竜点晴」と答えると「ほーら間違えた!」と、鬼の首でも取ったように言われた。「点睛」は日へんの「晴」ではなくて、目へんの「睛」なんだって。「なんでだよ?」と訊いたら「そこまでしらん」と言う。「それが肝心じゃないか」とかろうじて突っ込んだけど、見事に一本取られた。しゃくだから帰って調べてみた。「画竜点睛」は、竜を画いて、その睛(ひとみ)を書き加えたら、竜が天に昇ったという故事から、物事の最後の仕上げをいうらしい。そうか、「睛」はひとみのことか。漢人のひとみも青かったのかしら。しかし「ひとみ」で辞書を引くと「瞳/眸」しか出てこない。熟語でしか使われないのかな。人間長くやってると、こんなことってよくあるよね。勘違い、思い違い、思い込み。童謡とか唱歌なんかずいぶん思い違いしてたね。「赤とんぼ」は「追われて見たのは・・」のつもりで歌ってたけど「(ねえやに)負われて見たのは・・」なんだ。だから「十五でねえやは嫁にゆき・・」とつづくんだね。「赤い靴」の女の子は「異人さんにつれられて」だけど、なかには「いい爺さん」だったり「ひい爺さん」だったり、ひどいのは「ひひ爺さんにつれられていっちゃった」らしい。 12月12日(月)
シクラメンをもう一鉢買ってしまった。先月末に赤い大鉢を手に入れたのに、別の店でピンクの小鉢を見つけた。かなり小ぶりだけどその色が気に入った。ほんとはこっちの色が好みなんだが、赤いやつは大きさと艶やかさに引かれてつい買ったのだ。うっかり大年増を買っちゃったけど、やっぱりおぼこ娘もいいなというわけだ。これで文字どおり両手に花。シクラメンならなんの問題もない。さて話は変わるが、江戸時代は16歳から17歳が適齢期で、数え20で年増、25で中年増、30で大年増と呼ばれたらしい。古川柳に「厄よけへ行く振袖は売れ残り」とある。数え19になると川崎大師へ厄除けに行くのがならいだったが、それではもう売れ残りというのだからキビしい。まあ、江戸時代の平均寿命は30歳代だったというから、無理もないかもね。現代の大年増は青春を謳歌してるからしあわせだなあ。 12月9日(金) テレビを見ると眼が疲れる。といってもニュース、サッカー、ミステリーくらいしか見ないのだけど、時には眼がチカチカしてくる。そこで近頃はコマーシャルで目を閉じることにした。CMがもっとも眼に悪い。細切れ映像がフラッシュのように交錯するからだ。目を閉じてみるとわかる。最近のCMは騒音と叫びの連続みたい。なにをどう宣伝してるのかよくわからない。ストーリーもなければ洒落たフレーズもない。快い音楽も流れない。古きよき時代のサントリーのCMは文化だった。お茶目なアンクルトリスはチョイ悪親父の元祖だった。スポンサーが以前と様変わりしたためであろうか。いまやサプリと保険と携帯ばかりになってしまった。 12月8日(木)
ピーナッツにはまっている。アーモンド、カシュー、マカデミアンなんて新参者がもてているらしいが、おじさんはだんぜん古来のピーナッツを愛する。いや、ピーナッツは「ウン億円」などのダーティ・イメージがあるので、むしろ落花生と呼びたい。あるいは江戸時代に中国を経て渡来したため、南京豆とも呼ばれる。むかし「南京豆売り」という歌もあったね。最近はやりの菓子安売り店ならひと袋100円で買える。はじめは皮をむいたツルツルの豆を買ったが、どうもいまいち旨くない。昔なつかしい味がしない。そこで赤い薄皮つきのやつを買ってきて、むきながら食うとこれがうまい。ナッツは良質の蛋白で身体にいいらしい。しかしついつい後を引いて食べ過ぎる。これが欠点だ。その点皮つきはいい。皮なしはまとめて口に放り込めるが、皮つきは一粒ずつだ。左手を袋に突っ込んで(なぜかこのときは左手)一粒つかみ指で皮をこすり取っておもむろに口へ入れる。指先を使うのでボケ予防になる。皮は木製のサラダボウル(これが具合いい)に捨てる。たまった皮を見ればどれだけ食ったか一目でわかる。一粒ずつ味わって食えば時間もかかる。おのずから食い過ぎを抑えてくれる。口さびしいときはこれにかぎる。 12月7日(水)
「半七捕物帳」をくり返し読んでいる。岡本綺堂の時代小説である。若いひとはたぶんご存知あるまい。私の世代でも名前は知ってるが手に取ったことはない。そういうたぐいの作家だけど、じつは夏目漱石なんかとおなじ明治大正のひとなんだね。だから時代小説といっても、当時はたかだか数十年前の江戸時代末期を描いたものだ。「半七捕物帳」はわが国の探偵小説の元祖で、捕物帳というかたちも岡本綺堂がはじめたものらしい。光文社文庫で全六巻が出たので読みやすくなった。短編の連作で、どの話も冒頭は怪談めいて始まる。その謎を老練な目明かしの半七親分が解き明かしてゆく。その手柄話を隠居した半七が青年に昔語りする、という形式がいい。くり返し読めるのは文章がいいからだ。会話や描写の表現がなんともいえない。江戸から明治にかけての江戸言葉であろう。いわゆる啖呵を切る江戸っ子弁ではない。もっとやさしく含蓄があって味わい深いことば。いまは失われた「和ことば」が多く出てくる。「きりょう好し」「勝手向き」「何ごころなく」「綾なす」なんてさらりと使われている。「色っぱやい」なんてすごい言い回し。じつに言い得て妙じゃないか。色っぱやい町娘をほうふつさせる。 江戸庶民ほど「ことばあそび」にたけた人種はいない。半七捕物帳には江戸の息吹きがある。叩き上げた職人の意気(粋)がある。明治時代に外国語を取り込むとき「自由」とか「権利」とか難しい漢語に翻訳した。そして明治教育のせいかどうか知らないが、古来の和語の伝統がしだいに失われた。日常会話からも江戸言葉が消えていった。それだけに半七捕物帳はなつかしく貴重である。さて、時として川柳を詠むときなどことばに迷う。この言葉は固すぎるな、もっとやさしい言い方はないかな、などと考える。どうやら漢語と和語のあいだで揺れるようだ。脳細胞がへったせいか適切なことばがなかなか思い浮かばない。タレントの名前などを忘れるのは日常茶飯事だが、それとはちがう。そんなときはネットの類語辞典が役立つ。これはありがたい。 12月1日(木) 法事で実家へ帰ってみたら、古い家の一部をリフォームしたばかりだった。おもに水回りである。だだっ広くて寒かった風呂場はピカピカの大きなユニットバスになっていた。洗面脱衣所も広くきれいになっていた。しかし一番驚いたのはトイレである。TOTOの最新型全自動トイレとかいうやつで、便所のドアを開けると便器のふたがしずしずと上るのだ。さすがに「いらっしゃいませ」は言わなかった。ひとによっては手で触るのをいやがる便座もボタンひとつで上がったり下りたり。いたれりつくせりである。 水回りはたいせつだね。朝起きて顔を洗う。朝飯を食う。排泄する。すべてこれ水回りである。これらが気持よく進まないと一日すっきりしない。よその家庭に泊まるとこれら一連の流れが自分流にいかない。これが困る。顔を洗うにも、髭を剃るにも、整髪するにも自分なりの流儀がある。朝飯を食うにしても、抜くにしても習慣がある。そして排泄はいちばん大切だ。朝の習慣が狂うと出すほうも狂ってしまう。自分ちの便器で他人にわずらわされず心ゆくまですっきりしないと一日不愉快である。大家族で朝はトイレの順番待ち、なんてのは落ち着かない。でもそうなると、それなりの速戦即決の流儀が身に付くのかもしれない。 11月29日(火)
おそまきながらシクラメンを一鉢手に入れた。毎年10月から11月にかけて探すのだが、今年は時期を失した。いつも堀川三条から西へはいる三条会商店街で買うことにしている。花屋がたくさんあってしかも安いのだ。アーケードが800米もつづく昔ながらの商店街である。昭和レトロの雰囲気がなつかしい。去年とはちがう花屋でサービス品を見つけた。例年の鉢よりはるかに大きな鉢が千円以下であった。ピンクと赤があった。葉の生育やつぼみの数などを見て赤を選んだ。持ち帰って水をやり窓辺に置くと、ぱっと一気に部屋が明るくなった。これで4月まで楽しめるだろう。11月28日(月) 法事で広島へ行ってきた。東京ほどは疲れなかったけど、やはり京都へ帰りたくなった。郷里にもむかしの面影はない。日本中どこもかしこも同じような景色になってしまった。瀬戸内の湾や岬をつたって走る絶景の海岸道路ももはやない。そこらじゅう埋め立てて工場や倉庫やタンクしか見えない。国土に責任のある当局はいったい何を考えているのだろうか?京都へ帰りたくなるのは風土のせいばかりではない。わがまま勝手な男の一人暮らしはこたえられない。すべて外食の気楽さ。といっても一日一食かせいぜい二食。朝昼晩きちんと食べることなどない。よその家庭に入るとそれだけで戸惑ってしまうのだ。帰って来て町を歩くとお香の匂いがただよってきた。ああ、京都だなあ、と思った。 11月17日(木)
堀川五条のブックオフで105円の文庫本を二冊買った。向田邦子の「思い出トランプ」「あ・うん」という小説である。向田邦子がふたたび脚光を浴びている。1981年に飛行機事故で亡くなった女流作家。51歳だった。おもにテレビドラマで人気を博したが、小説やエッセイも残している。いま大きな書店にいくと「向田邦子特設コーナー」があって、あらゆる作品が網羅展示されている。彼女がいま読み直されるのはなぜだろうか?ぼくが一番好きなのは「父の詫び状」というエッセイだ。戦前の頑固親父がここにいる。子供をぶん殴る父親がいて、控えめで優しい母親がいて、兄弟姉妹がたくさんいる。そんな昭和の家族風景がなつかしい。物をたいせつにし、人を思いやる世界がある。向田邦子さんは早く頑固親父から離れたいと思ったらしいが、離れてから書いたものはほとんど家族がテーマである。文字どおり昭和の時代のみに生きて、昭和の家族をみつめつづけた作家であった。 11月8日(火)
昼めしは例によって富小路四条上るの楽味で和定食を食った。きょうの献立は、赤魚の味噌漬焼き、すき焼き風煮物、舞茸とほうれんそうのおしたし、ブロッコリーとコーンのサラダであった。赤魚というのはアコウダイのことである。メバル属の深海魚だそうな。お手頃な白身魚なので、焼物、煮付け、味噌漬け、粕漬け、唐揚げなどいろいろの形でよく出てくる。きょうは味噌の焼き目が香ばしくてうまかった。牛肉と糸こんにゃくとねぎのすき焼き風は、やや甘めの味付けがいつ食べても美味しい。京都では豚肉はあんまり出ないが牛肉は煮物にもしばしば登場する。肉じゃがも京都はもちろんギュウである。しばらく前になるが、うちの隣にあった「かしわ」の店が閉店した。かしわとは鶏肉のことだ。東京では通じないが、だいたい名古屋あたりから西の地方では鶏肉をかしわと呼ぶ。京都にはかしわ専門店が多い。来た当初はおどろいた。牛も豚も売らない。鶏肉ひとすじだ。京都人はかしわ好きで「とじもの」好きで、ダシにこだわるから、おのずと親子丼にゆきつくんだね。さて、この店には名物おばさんがいて朝から大きな声で客を呼んでいた。京都人はあんまり大声を出さないようだが、このおばさんは別だった。あたかも東京の魚屋のかみさんみたいだった。閉店して急にあたりが静かになってしまった。この店にかぎらずちかごろ閉じる店が目立つ。また新規開店もけっこうある。世代交代であろうか。不景気や震災による観光の低迷も影響してるだろうな。 11月6日(日) ゆうべ太郎屋で呑んだ。しばらく酒から遠ざかっていたのでひさしぶりである。ちかごろはビールも飲まない。焼酎も飲まない。ひや酒一本やりだ。奈良の純米酒「睡龍」をはじめていただいた。いかにも純米という香りがした。肴はあぶったイカではなく、海老とかぼちゃとブロッコリーのサラダ。こいつが美味しかった。万願寺唐辛子の詰め物もよかったな。親類の若夫婦と待ち合わせたのだが、遅れて来た。その合間になにげなく近くの若い女性と会話をかわした。京都の見どころやいい店など興味が一致して楽しいおしゃべりができた。彼女も東京から京都へ拠点を移したひとだったので、ぼくといろいろ話が合う。そのうち連れが来たので四人で楽しい酒になった。こんなご縁も酒場の楽しみのひとつである。 10月20日(木) ちょっとまじめなお話です。昭和の高度成長期、若者は「金の卵」といわれて日本中から東京へ流入した。成長はバブルで終わった。東京は頭でっかちになり、いまや動脈硬化して脳溢血寸前である。平成の日本は悪戦苦闘してきたが出口はまだ見えない。どんづまりまで来てしまった感がある。東日本大震災、原発事故、大量帰宅難民、限界集落、医療破綻、年金破綻。従来の政治経済では解決不能だ。もはや成長神話の延長線上には、日本の未来がありえないことは確からしい。かつての潮流を逆転するような価値観こそ、未来への萌芽なのではあるまいか?これからは一極集中した血液が逆流するような予感がする。地方へ逆流する人が金の卵なのだ。人と資源の再配置という方向に、世の中は動いて行くのではないか。生きてるうちに明るい展望が見えるだろうか? 10月9日(日)
朝の散歩に出た。九時ごろ烏丸御池にさしかかると大きな歓声が聴こえた。目の前の京都国際マンガミュージアムが賑やかだ。その狭い運動場をびっしりの人波が埋めている。「龍池学区体育祭」の看板が出ている。そうか、ここはもと龍池小学校だったのだ。運動会びよりの青空を背景に万国旗が鮮やかである。いままさに運動会が始まるところであった。周囲の観覧席には、御池之町、頭町、突抜町、大恩寺町などなどの町旗が立っている。やがて紅白に別れて玉入れがはじまった。これは京都ならではの風景だな。京都は昔ながらの小さな町々がいまも生きている。八月の地蔵盆は町ごとにやる。また有力な山鉾町は祇園祭に山鉾をくり出す。いくつかの町があつまって学区になる。京都には日本で最初に創設された64校の番組小学校があった。それが学区の起源だ。龍池小学校は廃校になっても龍池学区の団結はしっかり生きている。龍池、乾隆、嘉楽、本能、明倫などの由緒ある学区名があり、それは消防の単位でもある。丸太町の亀屋広和で好きな大福を買おうと思ったら、「区民体育祭のため休業します」の貼紙が出ていた。 10月3日(月) 修理に出していた腕時計がばっちり直ってきた。よかった。近所の時計屋で電池交換したのに間もなく停まってしまった。国産のセイコーだけど、ぼくとしては思いきって奮発した時計なので使い捨てにはしたくない。ひょっとしたら分解修理が必要かもしれません、と言われていたので早速その時計屋へ持って行った。そこはさびれた感じの店で、あまり客が入ってる様子もない。いつも出てくるのは若旦那みたいなひとだ。 聞けば修理料は8000円で二週間かかるという。とりあえず2000円置いて預けた。若旦那が自ら修理するようだ。ちょうど二週間、携帯に「出来ましたよ」という知らせが来た。その日に行くと、どこをどのように分解掃除したかを丁寧に説明してくれた。A4の用紙にカラー写真コピーつきで作業報告が記されている。感心した。残金6000円を払って満足した。近所の時計屋でここまでやってくれる。京都だなあ、と思った。東京だったらたぶん、たいへんな手間と時間とお金がかかってうんざりしたのではあるまいか。 10月2日(日) 西洋の三大珍味といえば何だろう? ご意見はいろいろあるだろうが、ぼくはワイン、チーズ、シャルキュトリーだと思う。これだけあればいい。フォアグラもキャビアもトリュフもいらない(知らない?)。そしてこいつだけは本場にかなわないなあと思う。シャルキュトリーはちょっと耳慣れない言葉だが、要は食肉加工品である。ソーセージ、ハム、テリーヌ、パテなどのことである。主に豚肉や豚の内臓から作るようだ。この種の食肉加工品ばかりは、さすがに有史以来肉ばかり食ってきた肉食民族の風土と知恵にはかなわない。シャルキュトリー専門店の店頭には種々雑多な食肉加工品が並べられ、積まれ、ぶら下げられている。その多様さに目がまわるほどだ。イタリアのパニーニなんて屋台で売るような安直な食い物だけど、パンの中にはさまれたハム、サラミなどの旨さが半端でない。うまいチーズかシャルキュトリーをかじりながら赤ワインを飲めばもう、凝った料理はなんにもいらないと思ってしまう。 10月1日(土) きのうは十人あまりの友人と大徳寺あたりを漫遊した。雨の予報だったが案外小降りだったので助かった。大宮商店街の「中華のサカイ」で冷麺を食べた。店のおばはんが「いったいどんなグループですか?」と不思議がっていたが、例によって高校の同期生である。男四人、女七人。大徳寺境内をひととおり散策してから、塔頭のひとつ高桐院の内部を拝観した。400円だった。ここは肥後細川家ゆかりの寺なので細川忠興はじめ正室ガラシャの墓などがあった。広縁に座って小雨にけぶる苔や竹林を眺めていると、目が洗われるような気がした。ついでに今宮神社に寄って境内の「かざりや」で座敷に上がってあぶり餅を食べた。はじめての味だ。甘い味噌だれがかかった餅であった。
三時を回ったので鞍馬口通の船岡温泉という銭湯に行った。「日本最強の銭湯」なんて言われる古色満載の銭湯だ。もとは大正12年(1923年)に建築された料理旅館「舟岡楼」だったという。そのレトロな内装が圧巻である。浴場は改装されているが、昔ながらの脱衣場がすごい。天狗と源義経の彫刻があしらわれた漆塗り格天井、緻密な彫刻でおおわれた欄間、アラブのモスクみたいな飾りタイルなど、銭湯としては破格の豪奢な造りである。よそと同じ410円の入浴料で見られるから、一見の価値ありだ。9月25日(日) すでに亡くなった作家の開高健が、昭和三十年頃にこんなことを言っている。「日本ほど老人がいばりかえっていて、青年がすぐに老けを気取りたがる国も少ない」。半世紀以上まえの発言だけど、「ほんまかいな?」と思ってしまう。平成のいまなら、さしずめこう言うのではあるまいか。「日本ほど若者がいばりかえっていて、老人がいつまでも若者を気取りたがる国も少ない」。高度成長期に若者をちやほやした風潮が、高齢化時代のいまだに続いているようだ。 若者には甘えるなと言いたいが、老人もすこし賢くならないとね。アンチエイジングなんて嫌な言葉がはびこる。薬を飲み化粧すれば年をとらぬような錯覚をまき散らす。逆らっても年はとるのだ。いずれ死ぬんだからね。アンチエイジングにかぎらず、横文字には気をつけた方がいい。政治家・役人・文化人なんて連中が、耳慣れぬ横文字を持ち出したらまず疑ったほうがいい。ごまかすつもり、だますつもりである。昨今のベクレル・シーベルトなんて用語も、大衆を煙に巻く意図が歴然である。なんと形容したって放射能がやばいことに変わりはないのだ。 9月24日(土) 台風一過秋晴れになったと思ったら、にわかに観光客があふれてきた。猛暑のあいだ中断していた散歩を再開した。気持が良い。日向を歩いても汗をかかない涼気になった。三条通ではアート・フリーマーケットをやっていた。手づくりの小間物やアクセサリーの屋台が並んでいる。そこへ観光女子(じょし)が群がっていた。若い女子ばかりではない。中高年の夫婦連れも多い。中年族はなんとなくあわただしい感じ。予定を消化するのに懸命という雰囲気である。 それでもお母さんのほうは錦市場で漬物を物色したりしているが、お父さんは手持ち無沙汰で孤独を味わっている。このお父さんの旅姿がいまいち、いま二、いま三なのである。ゴルフシャツに替えズボンなんてのが多い。なんでか野球帽も好きだよね。なんとか考えたら?と言っても無理なのかな。着るものはお母さんにおまかせなのに、お母さんはもはや亭主の身なりなんかとんと無関心らしい。かわいそうに、せめてチノパンでも買ってあげたら?とお母さんに進言したくなる。 9月22日(木) 「餃子の王将」にはまっている。王将はいまや首都圏はじめ全国に数百店を張るチェーン店である。その本拠が京都なのだ。京都発のチェーン店はめずらしい。しかも近くの四条大宮が発祥の地で本店がある。ちかごろこの店に通っている。一階はひろーい厨房とながーいカウンターのみ。家族連れはエレベータで上にあがる。四階まである。いろいろ食ってみたがやっぱり餃子に落ち着いた。「餃子二人前よくやき、以上!」と注文する。ここのあんちゃんもねえちゃんも元気がいい。大声で注文を復唱するが、日本語と中国語チャンポンの早口なので何言ってるのかわからない。「よくやきー」というのだけ分かった。そうか、ここでは餃子をパリッと焼くのを「良く焼き」と言うのか。 話は古いが、ぼくら中国東北部からの引揚者家族にとって、餃子は格別な想いのある食い物である。満州では日本人もみんな餃子を家で手作りして食べたものである。戦後日本で餃子を流行らせたのは引揚者たちであった。日本に帰ってからも子供時分のご馳走は餃子だった。わが家の姉妹たちは子供のころ、プロの餃子師もまっさおの巧みな手さばきで餃子を包んだものだ。だから餃子にはいささかうるさいのだが、王将は気に入った。だいいち安い。餃子二人前で420円は味量ともに満足感が大きい。こういう町の中華屋はいいね。はじめて東京に出た学生時代、中華屋さんはおなじみだった。タンメン、中華丼、レバニラ炒め、なんてね。「天津麺」なるものをはじめて食って、こんなうまいもんがあったかと驚いたのも近所の中華屋であった。 9月19日(月) しばらく東京へ行っていた。身内の葬儀で急きょ駆け付けたのだが、暇をみて昔二十年住んでいた懐かしい府中市へ立ち寄った。地元のボランティア組織で外国人に日本語を教えていたので、そこをひさしぶりに訪れた。ボランティア仲間や教え子の外国人たちに会えたのは幸せだった。むかし帰国した教え子に誘われて、北京や釜山へ旅行した楽しい思い出がある。昼にはむかし通った天丼「てんや」でかき揚げ丼を食って満足した。安くて旨いのだ。チェーン店だが京都にはないのが残念。 かつて四十年暮らしたが、いまでは東京観光みたいな気分。第三者の気楽な目で見るといろいろ気づくことがある。都心ではまわりの人種が京都とまるでちがうのが分かる。会社員、OL、学生がほとんどで、主婦がちらほら。じじばばがまったくいない。東京だって高齢化で年寄りは多いはずだが見かけない。人混み、満員電車、駅の雑踏、階段の上り下り。つまりお年寄りは都心には出られないのだろう。その証拠に府中とか鷺沼などの郊外では、杖や押し車にすがった老人を多く見かける。だがなんとなく元気がない。 そこへいくと京都の年寄りは元気だし、大きな顔で町を闊歩している。たぶん家から歩いて出て来られるし、たまにバスに乗る程度だろう。バスの中は爺婆だらけで、席を譲られても「とーぜん」という態度。老舗でも大丸・高島屋でも婆さまが多い。錦市場はおしゃべり天国である。飲食店でも年寄り指数はたかい。しかも爺さんも婆さんも一人で行動するのが、よそにはない著しい特徴である。京都の年寄りはまちがいなく東京よりもしあわせにちがいない。 9月18日(日) 早朝買物に出た。むこうから数人の小学生たちが連れ立ってやってくる。大きなスポーツバッグをかかえた男子生徒だ。・・・と思ったら、近づいてきたらなんと、みんな活発な女子生徒だった。へえーと驚いた。心地よい驚きだった。みんな男の子みたいな超ショートカットの頭で、スリムな体型だから男子かと思った。かっこいいじゃん、と思った。これが中学生くらいになって色気づいて(失礼)くると一様にくるくるヘアーにしちゃうんだろうな。残念だなと思う。 ちかごろの娘たちはおおむね長い髪をしている。裾をくるくる巻いたりして、しょっちゅう指でいじくったりしている。なんだか女らしさの押し売りみたいな感じ。この長い髪のまま浴衣や着物を着てるのはみっともない。不潔っぽい。似合っていない。えりあしを見せなければ浴衣や着物じゃない。いつのころからか知らないが、熟女たちまで「むすめ髪」をするようになった。年齢にふさわしい美しい髪型があるはずなのに。たまーにショートの中年女性に会って、そのきりっとした姿を「いいな」と思う。働いてる女性に多いようだ。 9月17日(土) 身内の葬儀でひさしぶりに東京へ行った。上京、というと京都人は京都だと思うかもしれない(笑)。東京は暑くてまいった。ぶりかえした猛暑のなか、満員の電車が節電でクーラーが効かず暑いこと暑いこと。逃げ出すこともできないからたまらない。どこからこんなに出てくるのかと思う人波。駅の階段の上り下り。くたびれた。四十年暮らした東京だけど、もう京都人になってしまった。 このたびは親しい従弟の葬儀だったのでこたえた。享年65歳。若すぎる。原爆の間接被爆のため失明、多機能不全と全身に影響がおよんだようだ。母親が懐妊中に、近親を探して原爆投下の翌日に広島へ行った。なまじ近くにいたためすぐ行けたのが仇になった。死に顔は安らかだったが、ひどく感銘を受けた。彼の亡父は彫りの深い顔立ちで、母親はぽっちゃりした顔だ。彼は母親似と思っていたが、やせた死に顔は父親そっくりだった。母の肉付きの下に父の骨格が隠れていたのだ。知っている面影とは別人のようだった。 9月6日(火) 台風一過ひさしぶりの秋晴れになった。それにしてもこんどのノロノロ台風にはまいった。京都はそれほどでもなかったが、奈良、和歌山、三重の各県に大きな被害をもたらした。1500ミリ近い大変な雨量で、熊野川が氾濫した。熊野古道あたりは惨澹たる有様である。本宮大社も水に浸かったと聞く。さて、きょうはひさびさの快晴で空気も爽やかである。誘われて散策に出た。月並みだが八坂神社から円山公園、高台寺、二年坂あたりを歩いた。ねねの道で人力車夫に挨拶された。「こんにちわー」の声にびっくり。なんと女子なのだ。女子もいるのか?はじめて会った。人力車婦だね。顔はやさしいが男とまちがえるほど立派な体格だった。なでしこジャパンに入れそう。猛暑と台風のあとの快適な散歩に満足した。お昼は八坂神社ちかくの「味味香(みみこう)」で大好物の「牛肉カレーうどん竹輪天のせ」を食った。カレー出汁のうまさはもちろんだけど、竹輪天がまた美味しいんだよね。しかもたった120円プラスがうれしい。 8月21日(日) 吉野家、すき家、あるいは定食屋などの食券販売機に、とまどってる年輩者を昨今よく見かける。こういう店だっていまや若者専用ではない時代だ。お金を入れてボタンを押すだけなのに、彼等にはこれが容易ではないらしい。お札とコインは投入口がちがうし、ボタンを押さないとおつりが出ない機械もある。商品名が小さくて見にくい。老眼鏡が必要になる。若者なら簡単に定食とか単品とかトッピングとか組合わせを選んで、ポンポンとボタンを押すけど、慣れないおじさんは迷ってなかなか決められない。もたもたしてるから後ろに行列ができる。あわてたおじさんはますますドジをふむ。 退職する前は秘書や部下がみんなやってくれた。電車の切符ひとつ自分で買ったことがない。こんなおじさんがやばいのだ。そーんなえらいさんが吉野家にくるか?なんて言うなかれ。人生どう転がるかわからない。一寸先は闇である。子供らはみんな出て行き、つれあいはなくなり、ある日突然ひとりぼっちになるかも知れないのだ。自分のことは自分でできなければ生きていけない。 丸亀製麺の讃岐うどんを食いに行った。ここには独自のシステムがある。まずカウンターからトレー(お盆)と取り皿をとる。つぎに「冷たいとろ玉並」のように申告する。冷たいのと温かいのがあり、並と大があるのでこのように言うのだ。うどんが出て来るあいだにトッピングを物色。数多い天ぷらから野菜かき揚げとちくわ天を、素早く選んでトングで皿に取る。トレーをすべらせてレジの前に行く。係は見ただけですばやく計算して「610円です」と言う。その間に目の前の天かすときざみ葱を好きなだけ取り、金を払う。 昼どきの行列ができていた。前にドジおじさんがいた。人がやることを見てれば分かりそうなもんだが、これができないんだね。カウンターの前をウロウロしている。しかたないのでぼくはトレーを持ち上げてパスした。食べてるそばに問題の人が座った。それからがまた大変。うどんは放っといて何だかごそごそやってる。動作の意味がわからない。大きなバッグの底を探り回してる。立ってうろついたり戻ったりする。不可解なことを10分以上もやったあげく、バッグから折り込み広告を取り出して床に敷いた。その上にバッグを乗せた。なんと!これがやりたかったのか? へんなおじさんにはなりたくない。ぼけないためには、とにかく頭と手足を動かすことだなー、とつくづく思う今日この頃である(きまり文句)。 8月20日(土) 大丸で岩合光昭の「ねこ」の写真展を見た。猫が好きなのでおもしろかった。おばあちゃん同士が写真を見ながら話している。「子猫を飼ってたけどオスはじきに出て行きよる」と言う。「へえ、猫もそうなのかー」となんだかおかしかった。昼食後ぶらぶらしていたら、なんと、寺町三条の「三嶋亭」に50米もの行列ができている。おばさんだけでなく老若男女あつまっている。「なんだ、なんだ?」と近寄ってビラを見たら案の定、お肉の特売であった。デパ地下の三嶋亭で切り落としの特売に行列するとは聞いていたが、本店でこんな大行列を目にするのははじめてだ。切り落としのほかすき焼き肉も安売りしてるみたい。京都で「三嶋亭のお肉」といえば、それだけで大変なブランドなのだ。これだけむらがるのもナットクである。 8月20日(土) きゅうに涼しくなった。これが秋の訪れだといいんだけど。日記もお盆休みしてたけど、また書き始めよう。ゆうべはひさしぶりに同期の仲間たちと、ひいきの太郎屋で酒を汲みかわした。高知の「無手無冠(むてむか)」というひや酒、はじめて飲んだが旨かったなあ。四万十川流域の純米酒で、じつにしっかりした味わいであった。暑い時にこんなひや酒はこたえられない。おもわず飲み過ごしてしまった。
暑さにうだってさぼっているとき、テレビの特集で「阿波踊り」に触れた。知ってはいたが本気で見たのは初めてだ。惚れた。なかでも女踊り。いいですねえ、たまりませんねえ。頭上にしなやかに揺れる白魚の指、小気味良く飛び跳ねる白足袋の軌跡。蹴出しがひるがえる。上はたおやか、下はおきゃん。もともとは野暮な踊りにすぎなかったらしいが、阿波の民衆の情熱がここまで育てたのだ。その洗練と熱狂はすばらしい。うまい女踊りの娘っ子を見るとたちまち惚れてしまいそう、フフフ。娘たちがこんなにも美しく映えるパフォーマンスがあろうか。なかでも悠久連の女踊り、その垢抜けたセンスが光る。上品で艶っぽい。 白足袋に 惚れてそうろう 阿波の夏 7月24日(日) おそまきながら100均にはまっている。ちかくの四条大宮にダイソーがあり、三条商店街にル・プリュがある。寺町通にはダイソー、ル・プリュ、300均が同じ並びにある。めったに買わないけど、宝探しがじつにおもしろい。最近のヒット商品を挙げてみよう。まず「LED懐中電灯」。古い大きな懐中電灯は持ってるが、いまどき単一乾電池6本なんて用意してない。おまけに肝心のとき電球が切れてる。このLEDは小型ですぐれものだ。長持ちするしけっこう明るい。単四乾電池三本ならいつでもある。これで100円は信じられない。いままで2000円くらいで売ってたものとさほど変わらない。つぎのヒットは「針とおし」(糸とおし?)である。男やもめともなれば、ボタンつけなどちょいとした針仕事がこなせなければ生きていけない。されどこの年で針とおしはさすがにきつい。眼鏡かけても無理だ。そこで「針とおし」の出番である。極細の輪っかをまず通してから、糸を引っ掛けて引く仕掛けがすぐれものだ。これはほんと便利だ。 7月9日(土) 梅雨が明けたみたい。とたんに猛暑ぎんぎらぎんだ。それでも去年よりなんとなく楽に感じるのは、五キロほど痩せたせいだろう。身体が軽いというのはうれしいものだ。とはいってもこのカンカン照りを歩くのはしんどい。熱射病がこわい。バスに乗ることがふえた。乗客はお年寄りが多い。きょうのバス風景。座ってるおばあさんの前に別のお年寄りが立った。するとおばあさんの独演がはじまった。大きな声で独り言である。「すんまへんなー、席譲りたいけど足が悪うおしてなあ。立てまへんのや、かんにんえ。そやけどなー、いまどきの若いもんは、へーきな顔して座ってはるさかいなー。どないなってんのやろ。」 ちかくに座ってた娘があわてて立ち上がった。ばあちゃんは涼しい顔だ。大阪のおばあちゃんは脂ぎった感じがするが、京都のばあちゃんは一見枯れている。しかしなめたらあかん。きつーい「いけず」を一発かまされまっせ。 6月29日(水) ことしの6月は去年より涼しくていいと思っていたら、ここにきてにわかに暑くなった。なんとかしなければいかん。節電でエコな納涼法はないか? そうだ、水を撒いたらどうか? 庭ならぬバルコニーに散水しよう。水道はついてるから大丈夫。というわけで、ゴムホースを買いに走った。だけどゴムホースって、どこで売ってるんだろう? むかしなら近所の金物屋だったが、いまそんな店はない。なんでも売ってたスーパーさえも、いまや食品だけだ。100圴では長いホースは無理だ。ずばりホームセンターなんだろうが、町中にはない。寺町から三条界隈をぶらぶら探し歩いた。新京極の食品スーパーの二階にやっと見つけた。でも一種類だけしかない。 そうだ、LOFTに行けばあるだろう、と気づいた。河原町六角のLOFTへ行く。それでも3メートルと5メートルの二種類だけ。ほんとは4メートルほしかったんだが、むかしみたいな切り売りなんてない。とりあえず3メートルを買ったけど、こんどは締め金具がない。ホースを蛇口にしっかり固定する金具は常識だろうが、と店員に探させたが、これがないのだ。あきれた。TOKYU HANDSに負けてるね。しょうがなく、さきのスーパーにもどったら金具があった。やれやれ。いそいそと帰って、さっそく散水してみた。いいんだね、これが。焼けたバルコニーがじゅっと冷える感じ。心なしか体感温度も下がったみたい。とくに夕方の水まきは気持ちいいね。 6月16日(木)
いまは六月、むかしは水無月、風待月なんて言ったらしい。むかしのことばは風流だね。夕涼み、縁台、団扇、蚊遣り、なんてことばも聞かないねー。かろうじて浴衣は生きてるかな。京都では六月になると和菓子屋の店頭に「水無月」の文字がおどる。この季節だけの、珍しい三角形の菓子である。ういろうの台の上に小豆がびっしり乗っている。正式には6月30日に食べるものらしい。ちょうど1年の折り返しにあたるこの日に、半年の疲れをいやし、訪れる夏の暑さに負けないように、祈りをこめて「水無月」をいただくわけだ。老舗の有名な御菓子司となると、6月30日だけしか販売しない。1年でたった1日しか売られない水無月は、思えばずいぶん贅沢なお菓子かもしれない。ためしに買ってみたけど、ういろうのモッチリ感が、ぼくにはどうもねー。出来立てのやわらかい餅とか、わらび餅、くず餅なんかのぷるぷる感は大好きなんだが、ういろうはいまいちだった。6月14日(火) 梅雨と暑さで好きな散歩は思うにまかせない。こんなときは喫茶店にこもって時代小説を読む。数年前の池波正太郎に始まり、藤沢周平、平岩弓枝ときて、いまは佐伯泰英である。連作ものが好きだ。「居眠り磐音江戸双紙」シリーズ36巻は二度読んだ。まだ続くようだ。つぎに「鎌倉河岸捕物控」を読み始めた。いまごろは文庫本書下ろしで出版され、すぐにブック・オフなどに出回るので安く買えるのがいい。数冊まとめて買ってくる。 見ると巻頭に江戸の市街図が出ている。鎌倉河岸、道三堀、龍閑橋などが示されている。いまや誰も知らない地名なので地図が必要なのだ。あらゆる物語には「いつ、だれが、どこで」が欠かせない。地名は必須である。それは歴史や小説のいかんを問わない。時代小説はおおむね江戸小説だから江戸が舞台だ。しかるに東京は江戸の地名をほとんど消してしまった。川も堀も橋も埋めてしまった。「台東1-2-3」では小説にならない。いまや古地図をながめて「江戸」という仮想空間を想像するしかないようだ。 6月6日(月)
気温は高いけど空気はさわやか。あまり汗もかかない。河原町六角のユニクロが開店直前だったので、すぐ近くの 「丸亀製麺」 河原町三条店で昼めし。話は聞いてるが入るのははじめてだ。冷たい「とろ玉うどん」(380円)がうまそう。冷たいうどんに冷たいつゆ。とろろと温泉玉子ふうのとろとろ玉子が乗っている。小海老かきあげ(130円)も乗せるか。11時ちょうどだったので、奥のテーブル席は空いていた。讃岐独特のしこしこ麺がうまい。冷たい出汁と、とろろに玉子のねばりがいい。かき揚げは、上がぱりぱり、下はつゆにつかった旨味。最後にのこったねばねばつゆも呑みほした。しめて510円。この値段でこの満足感。コストパフォーマンス抜群ではないか。讃岐の名物といえば、金比羅さん、崇徳上皇さん、そして讃岐うどんだ。これから暑い季節、しばしば通いそうな予感がする。5月29日(日)
この一週間京都中をあるきまわった。わが家に東京や広島から兄弟姉妹が滞在して、わが家はあたかも「京都ホテル」状態だったのだ。東本願寺の750年大遠忌法要に同行したり、おすすめの観光地やグルメ案内したりと、八面六臂の大活躍であった。いささかくたびれた。観光での白眉は建仁寺であった。境内はしょっちゅう歩いているけれど、いつでも来れるからと、中まで入ったことがなかった。国宝の風神雷神図、雲龍図、双龍図などもよかったけど、禅寺らしからぬ開放的な建築のたたずまいがすばらしかった。さわやかな天気に長い回廊、縁側などをすべて開け放してあり、広い縁先に座り込んで庭園を眺めていると、昼寝したくなるほど快適であった。500円の価値は充分あると見た。ところで、グルメといっても高いとこは行かない。ふりかえってみると、日頃ぼくの愛する店ばかりであった。ためしに列挙してみよう。四条新町路地裏の「太郎屋」、柳馬場姉小路の「Machiya兪」、蛸薬師烏丸東入るの「すぎうら」、新町四条下るの「鮨三中西」「ごはん処矢尾定」、三条富小路の「うしのほねあなざ」、八坂神社横の「味味香」、烏丸五条の「蕎麦の実よしむら」、そして蛸薬師烏丸西入るの「前田珈琲本店」などである。このうち最初の二店は、京都に来て以来6年かわらず通っている好きな店だ。ただし「Machiya兪」は途中からできたので、はじめは新町仏光寺の「Chinese兪」であった。ここはいまもある。こうしたふだん使いのごはん処が充実してるのが、京都のうれしいとこかもしれない。 5月15日(日) きのうきょう、気温は高いけど風がさわやかで実に気持ちよい。一年に何日もないほどの快適な日和だ。きょうは葵祭じゃそうな。京都三大祭のなかでも最も古い由緒の祭りらしい。平安貴族の間では、単に「祭り」と言えば葵祭をさすほどだったという。 総勢500名以上の雅びな王朝風俗の行列が、京都御所を出発して下鴨神社から上賀茂神社へ向かう。でもこの祭り、ちゃんと見たことがない。 上賀茂神社は遠いしね。何度か行ってるのに上賀茂神社ってなんか印象がうすい。由緒・歴史は一番古いのに。周辺の社家(しゃけ)のたたずまいだけが印象に残った。東寺とか本願寺なんかもそうだけど、真っ平らな土地にあって、しかも樹木のすくない寺社って、なんだか神秘・荘厳に欠けるみたいで、いまいち有難味がうすい感じ。やっぱり森や林にかこまれて坂や石段を上り下りするほうがぴったりくる。神山・神木というように自然そのものが神だったからだろうか? 4月18日(月)
三条木屋町の定食屋「大戸屋」によく行く。この店は東京発のチェーン店で、東京ではひいきにしていた。いまのところ一店しかないのが残念だ。定食屋にしては気のきいたものを出す。いまは「炭火焼鳥ねぎみそ重」にはまっている。香ばしい鶏の皮にねぎ味噌だれが合う。丸のままのねぎ焼きは噛みしめると甘くてうまい。特筆すべきはごはんの美味しさである。米もいいし、焚き加減も絶妙だ。ひいきの割烹もごはんでは大戸屋にかなわない。ここに来るとデザートを追加したくなる。「抹茶ムース」がけっこういける。アイスクリームと白玉あづきもついているのがいい。4月10日(日)
去年はあまりお花見に出かけなかったが、ことしは花見しまくりだった。北は平野神社から南は東福寺あたりまで東奔西走した。平野神社は時期が早くて花見桟敷は閑古鳥だったが、早咲きの一本桜が見事に咲いていた。いままで知らなかった穴場を見つけた。南禅寺の三門前を北に抜ける裏道がある。通ったことがなかったが、すばらしい雰囲気の別天地に出る。ちょうど野村別荘の反対側、いわゆる南禅寺界隈庭園群のまっただなかである。ピンクの枝垂れ桜が満開であった。大きくはないが通りぞいに連なる姿が美しい。陽春になると、散歩の途中汗ばんでくる。ひと休みしたくなる。甘味処に立ち寄ることをおぼえた。六角通の「栖園」さんで「琥珀流し」をいただいた。「琥珀流し」は季節によって装いをかえるようだ。いまは桜の季節。いかにも涼しげな寒天に、桜の香りの蜜、そして塩漬けの花びらを散らしてある。底には小豆餡がかくれている。明るい町家の坪庭を見ながらいっときの涼を味わう。京都に住むしあわせを感じる。 3月30日(水)
平安神宮あたりへ散歩した。岡崎道を歩きつつふと見ると右手に「手打ちうどん山元麺蔵」のでかい提灯が目についた。いつも大行列なので敬遠していたが、きょうは誰もいない。11時開店のすこし前だった。店頭のメニューをのぞいていると「どうぞ中でお待ちください」とおばちゃんに呼び込まれた。待ち席に腰掛ける。ごっついメニューが出てくる。熱いお番茶が出てくる。「土ごぼう天うどん&肉味噌トッピング」を注文。待ってるうちに続々と客が集まってきた。よかった、ラッキー!やがてカウンターに案内された。つやつやと黒光りした天井、柱、カウンター。目の前で三人のお兄さん、二人のおばさんがてきぱき動く。しばらく待たされたが、やがて先着順にお盆が出てくる。「土ごぼう天」は別皿に盛られカレー塩がそえられている。「肉味噌」も小鉢に入っている。ごぼう天がいい。一本一本分離してぱりぱりに揚がっている。カレー塩をつけてかじるとうまい。うどんに乗せてもいい。自由だ。まず何も加えないで出汁を味わう。鰹節プンプンみたいな出汁ではない。昆布が中心かな。こくがある。手打ちうどんは長くてシコシコもちもちである。肉味噌はなめてみるとけっこう辛いので少しずついれる。客のペースを見ながら冷水や冷たいおしぼりなどを出す。細かい気配り、もてなし。満足した。これなら並ぶ価値もあろう。いい仕事してる。
美味しいうどんを堪能してから南禅寺方面に向かう。岡崎道を東へ一歩入ると「これはなんだ?」、派手なラブホ街が出現した。おいおい、岡崎ってお屋敷町だろう? これはいくないんでないかい? 京都の都市計画に疑問を感じつつ白川通から鹿ヶ谷通へと歩く。南禅寺の横に出た。いつもは三門、本堂、疏水閣へ向かうが、きょうは門前の道を境内から北へ抜ける。すると野村美術館や碧雲荘の裏側に出た。知らない道には発見がある。あたりは広大な別荘、庭園が連なる別天地である。風雅な趣きの塀や門がつづき、古きよき時代の「和の極致」である。南禅寺周辺にはその山水を生かした○○荘、○○苑、○○庵なんてぜいたくな別荘・庭園がつらなっている。非公開なので入れないが、外からでもそのたたずまいが推察できる。3月29日(火) また暖かくなった。そろそろ桜の便りも聞かれるころだ。今日の割烹定食は「鮭のみそ漬」と「筍と豚肉煮」が出た。筍の旬の歯触りがこたえられない。京の春といえば筍だ。煮ても焼いても揚げても炒めてもいい。脂っこい豚肉と煮た味かげんが絶妙である。そこらの定食屋ではおよばない出汁である。鮭のみそ漬もうまかった。ぱりぱりに焼けた皮のとこがなんともいえない。鮮魚は江戸だけど、酒、味噌、醤油、粕、味醂などで一仕事した魚なら、京の伝統である。 散歩のあと「切通し進々堂」で珈琲とゼリーをいただいた。「切通し」というのは四条通から白川の巽橋へ抜ける路地である。じつは切通しでもなんでもない平たんな道だが、そんな名前がついている。往年は祇園でも一番賑わう通りだったそうな。進々堂は祇園のどまん中、舞妓さんごひいきの喫茶店らしい。「あかい〜の」. 「みどり〜の」なんてゼリーの呼び名も舞妓さんがつけたという。ここのトーストもとても美味しい。八畳ほどの小さなスペースだけどほっこりくつろげる穴場である。 3月23日(水) 東北・関東大震災のニュースにかじりついていたので、日記はお留守になっていた。3月11日のあの大地震のときは広島で葬儀に出ていた。なんか揺れるなと思ったが、地震だったとあとで知った。原発の行方は目がはなせない。戦後の廃墟から復興してだんだん調子に乗り、いけいけで突き進んできた時代に、なんだか転換期がきたような気がする。 さて、ごはんたべの記録再開。きょうは河原町の「元阪急」のビルに行った。あとには「丸井」が出店するようで、いま工事中である。この丸井、京都には初見参でおなじみがない。ロゴの○|○|を「ワイワイ」と読んだりする。工事中だが7・8階のレストラン街のみ営業している。8階の「ハゲ天」で「絶品塩だれ天丼」を食った。甘辛いたれのかかったふつうの天丼ではない。ずいぶんさっぱりした味だ。絶品は言い過ぎだがそれなりにいける。ふつうの天丼が鰻の蒲焼きなら、これは白焼きというところかな。 3月6日(日)
河原町丸太町でバスを降りて鴨川にむかう。鴨川べりのあの美しい洋館が、なんとスーパーFRESCOになっちゃったんだね。1923年(大正12)建築の旧京都中央電話局上分局の建物だ。国の登録有形文化財である。スーパーとしては日本一ぜいたくな建物ではあるまいか。もとはたしかフレンチ・レストランだったと思うが、もちきれなかったんだね。スーパーは一階だけだからもったいない。ホテルにでもできないものか。橋や対岸から見ても美しいモダン建築はぜひとも残したいものだ。
あまり行ったことのない聖護院あたりを散策した。聖護院といえば聖護院大根や聖護院八ツ橋で知られている。界隈には聖護院八ツ橋の本家、元祖、家元?が入り乱れて、どれがどれやらわからない。よそさんはどこで買ったらいいやら戸惑うにちがいない。とはいっても京都土産に八ツ橋を買うのはおおむねよそさんで、地元人はまず買わないだろう。ところで、聖護院というのは不思議な寺である。正面には「聖護院門跡」の堂々たる石碑が立っている。「門跡だぞ」「えらいんだぞ」と主張しているが、仏教寺院とも言い切れないようだ。役行者(えんのぎょうじゃ)とか山伏とか大峰修行とか、なんか異形のものという感じである。山岳信仰に、仏教、神道、儒教、道教、陰陽道までが融合して、修験道(しゅげんどう)という、なんだかわけわからん宗教になったみたい。ありがたければなんでもええという、日本人の「ええかげん」の典型みたいな感じ。聖護院の裏道をずっと東へ歩くと坂道にかかる。神楽坂というらしい。京都にも神楽坂があったのか。しかし東京の神楽坂みたいに花街の艶な雰囲気はない。吉田山や黒谷さんの山に向かう坂だから、神社や墓地への道である。黒谷さん(金戒光明寺)と岡崎神社をちょいとのぞいて聖護院へもどった。東山丸太町ちかくの「からふね屋珈琲店」でオムカレー・ランチを食べた。生まれてはじめてオムカレーなるものを食ったが、なかなかいける。とろりとしたオムレツがカレーをマイルドにしていて食べやすい。京都にはけったいなコラボ洋食が多い。洋食の「修験道」かもしれない。中庭を囲む全面ガラスの店内はすごく明るい。席から空が見える。食後に珈琲ゼリーをとった。これがよかった。ゼリーにしみ込んだ珈琲の風味が抜群。その苦味を味わうためシロップはかけないで、ホイップクリームだけからめて食べた。ほんものだった。 3月5日(土) 四条烏丸の交差点で停まったバスの中から外を見ていた。車道のまん中をデジカメ男が右往左往している。一台の車の写真を撮りまくっているのだ。見るとそれは電気自動車のタクシーであった。鮮やかなライトブルー・メタリックの車体に「KYOTO EV Taxi」の白抜き文字。日産の車らしい。そうか、もう京都にもEVタクシーが出てきたのか。信号が変わりそうになるとデジカメ男はあわてて後続の黒タクシーに乗り込んだ。なんだ、彼もタクシーの運ちゃんだったのか。どうやら業界でも電気自動車は関心の的になっているようだ。 2月17日(木)
知恩院は高々とそびえる国宝の三門が壮観であるが、ぼくは裏口にあたる黒門が好きだ。三門よりずっと北の青蓮院よりにひっそりとたたずむのが黒門である。折れ曲がりつつ登る坂道の風情がいい。下は石畳、左右の石垣や白壁の上に樹木がうっそうと繁っている。三門は大伽藍へみちびく貫禄だが、黒門はあたかも隠れ寺へいざなうおもむきだ。裏門から入って表門へ抜けるのも乙なもんだ。きょうの昼めしのお献立は、赤魚の唐揚げ、小芋とろろ昆布かけ、糸こんにゃく明太子和え、ブロッコリーとコーンのサラダ、味噌汁、漬物であった。小芋、かぶ、人参、鶏肉の煮物はうまかった。明太子和えもさわやかな味だった。魚の唐揚げはむろん大好きである。京都の市バスは、中央または後方の乗車口から乗って、前方の降車口から降りるシステムである。路線のわからない客は、ふつう前の口から運転手に大声でたずねる。修学旅行の中学生は「このバス金閣寺へ行きますかあ?」なんて可愛い声で叫ぶ。きょう一人のおばさんが中央から乗って運転手に何かたずねてる。かなりしつこい。運ちゃんはしきりに「ちがいます」と言ってる。自分が間違ってるのに運転手が悪いみたいな口調で「なーんだ、そおなのおー」と捨て台詞を吐く。閉じた乗車口をふたたび開けさせてゆうゆうと降りていった。その間乗客を待たせてることなど知らんぷりである。こんな光景をときどき見るが、これをやるのは例外なく中年以上の女性である。この神経、いったいなんなんだろう?理解にくるしむ。
2月16日(水)ひさびさに暖かい日和。祇園花見小路あたりで「木村伊兵衛写真展」を見た。街場の小ぶりな美術館「何必館」である。木村伊兵衛は愛用のライカを片手に、「昭和」をスナップした写真家である。ぼくもいっとき写真にはまり、街のスナップが好きだったので興味がある。昭和28年前後の写真が多かった。ぼくらの子供時代だ。東京下町の元気な子供たちの遊び。秋田の田畑で働く「おばこ」たちの風俗。なつかしい昭和の画像がそこにある。いまや下町に子供たちはいない。秋田の田んぼに若い娘はいない。そういう意味でもまさに失われた「昭和」なんだね。 2月15日(火)
昨夜来の雪があがって晴れてきた。雪は積もらなかった。たまった洗濯物をちゃっちゃと片付けて散歩に出る。バスで出町柳まで行く。出町柳駅から百万遍への道をぶらつく。あの「カミ家珈琲」はもうなくなったんだね。マスターが亡くなられたみたい。あの珈琲とホットケーキ、もう一度食べたかった。カミ家はなくなったが「名曲喫茶柳月堂」は健在であった。朝なのでほかに一人しか客はいなかった。高い天井の劇場みたいな喫茶店。ソファはすべて舞台?を向いている。中央のグランドピアノをはさんで左右に超弩級のオーディオスピーカー。もちろんレコード演奏である。シンフォニーが終わって、とつじょチゴイネルワイゼンのむせび泣きがはじまった。こいつはクラシックな恨み節だね。レコードだから古い人だろう、ハイフェッツかなと思って訊いたらやっぱりそうだった。おれの耳も捨てたもんじゃない。こんなごっつい仕掛けの名曲喫茶は東京でも見たことがない。学生町にこんなのがあるんだから京都は大したものだ。昼食は街に戻って仏光寺高倉の「よしおか」へひさしぶりで行った。二年ぶりくらいかな。店もご亭主も健在で安心した。なにもかわっていない。看板もない知る人ぞ知る天ぷらの店だ。十人も座れないカウンターのみ。目の前でおやじさんが次々と揚げてくれる。1500円でこれだけたくさん出るものだと感心する。じつに「きれのいい」天ぷらである。揚げたてを口にしたら残りを紙にもどすのがおしいほどだ。海老や穴子やかき揚げのよさは言うまでもないが、きょうは野菜のうまさを痛感。野性たっぷりの野菜である。れんこんはパキパキ、さつまいもはガシガシ、玉ねぎはパリパリとうれしい歯ごたえがある。満足して店を出た。ここにはもっと来ようと思った。 2月12日(土)
知恩院の三門にはじめてのぼった。ことしは法然上人800年大遠忌だから特別公開しているのだろう。ものすごく急な木の階段を用心しながらのぼる。日光をさえぎるためか屋内はうす暗い。写真撮影も禁止である。この三門は徳川二代将軍秀忠が建立したという。いま話題の「お江さん」の旦那だからタイミングもいい。お釈迦さまの左右に十六羅漢像が並んでいる。天井画は龍や天女や鳳凰が描かれている。色彩もあざやかでそれほど古びた感じはしない。得意になってしゃべってるおじさんの解説が長いので、外の回廊に出る。さすがに見晴らしがよい。京都市街が一望できる。石川五右衛門が「絶景かな」と言ったのはたしか南禅寺の三門だったと思うが、知恩院も負けてない。見下ろすと参道や広場や建物などの整備がまっさかり。世話役らしきおばさんに「800年大遠忌もたいへんだね。さぞ大金がかかるんでしょう」と下世話なことを言ったら、「春には大勢のお客さんが来てくれるのを期待してます」と笑いながら答えた。信者でなくお客さんと言った。2月4日(金)
ぽかぽかと春のような日和。朝から遠くまで散歩に行った。北野天満宮前でバスを降りて、御前通を一路南へむかう。この道は平安京の西大宮大路で、天神さんへの参道でもある。大昔は幅24メートルもあったというが、いまはごく狭い通りになってしまった。ところどころに古めかしい寺や町家や門が見える。ふと右手の小道をのぞくと、派手な赤い幟がみえたので行ってみる。これがなんと法輪寺という寺なのだ。通称だるま寺というらしいが、その派手派手のプロモーションにびっくり。境内にはテントやだるま人形が並んで運動会みたい。どうも京都の寺らしくない。住職が大阪出身なのかもしれない。二条駅から三条商店街のアーケードに入った。どこで昼飯を食べようか? ふと思い出した。前から目をつけていたが行く機会のなかった店が三条堀川あたりにあるはず。魏飯夷堂(ぎはんえびすどう)という中華の店だ。古い町家を改装して去年開店したはずだ。カウンターにすわりランチをたのんだ。豚肉とキクラゲと玉子いため定食。800円だが小龍包とデザートをつけて1000円。主菜の味付けがちょっと甘かったけど、スープも小鉢も搾菜も丁寧なつくり。小龍包もいけるしデザートはマンゴープリン。このお値段なら損はないといえよう。一万歩あるいた。 2月2日(水)
長く続いた寒波が一転して、ようやく暖かく気持ちのよい快晴になった。昼めしを食べてからお散歩に出た。京都には自家営業の博物館や美術館があちこちにある。とても貴重な町中の文化遺産である。産業や文化や工芸などの伝統に身近に触れることができる。きょうは雑誌で見かけた堺町通二条上るの「堀野記念館」へ行った。ここはキンシ正宗という日本酒の誕生の地で、造り酒屋と町家文化の博物館になっている。はじめて知ったのだが御所の堺町御門から下がったこのあたりは、江戸時代には伏見とならぶ酒造りの町だったという。展示されてる古地図を見ても、堺町通の両側一帯は酒蔵ばかりである。ところが明治の東京遷都で天皇さんと公家たちが東下りしたため、お得意さんを失って衰退したらしい。ご年輩の女性が丁寧に説明してくださった。幕末の「どんどん焼け」にも燃え残った「天明蔵」に、江戸時代の酒造りのもようをしのばせる大樽、桶、杓、しぼり器などが保存されている。庭には名水「桃の井」の井戸があり、いまも豊かな水があふれている。飲んでみると実にまろやかな軟水だった。できたての純米原酒と吟醸酒を試飲させていただいた。ちからづよい原酒がうまかった。明治初期に建てられた母屋の内部も見せていただいた。とくに二階が見ものだった。広い主座敷の隣には「さやの間」というのが付いている。客をもてなす宴席で芸妓の舞踊をみせる舞台のようなしつらえだ。さらに虫籠窓の裏側の低い屋根裏は使用人部屋だが、ここには出入口がない。なぜなのか?どうやって出入りしたのか? 知りたいかたは現地を訪れてください。ここには京都町家麦酒醸造所と酒場「ほっこり」も付属しているのでゆっくり飲むこともできる。 1月29日(土)
朝から晴れたけどさむい。きょうは昔の仲間12名が関西各地からあつまって「西陣めぐり」をやるのだ。地下鉄の今出川駅を降りて歩き出す。左右に同志社大学のお洒落な赤煉瓦の建物が見える。同志社は場所も一等地ならキャンパスもかっこいいね。歩いてるギャルもなんだかおしゃれ。京都大学あたりとだいぶちがうな。寺之内通を西へ折れて住宅地を行く。最初のお目当ては茶道の大本山である。やがて右手の辻に「百々橋(どどばし)の礎石」が見える。応仁の乱の激戦地だった場所である。その角の細道を北に曲がるとすぐに「表千家家元・不審菴」があり、となりあわせに「裏千家家元・今日庵」がある。表千家は武家の長屋門みたいないかめしい構えで門を閉ざしているが、裏千家は数寄屋ふうの風雅なおもむきで中が見える。周辺のお屋敷はのきなみ「千」という表札。千昌夫じゃないよね、なんておやじギャグも出る。堀川通を西へ渡って大宮通を越えると右手に「松翠閣(しょうすいかく)」が見える。西陣織工芸美術館である。門の暖簾をくぐると風雅な日本家屋とお庭。玄関で靴をぬいで上がる。二間をぬいた座敷の奥に中庭と蔵がのぞまれる。座敷には見事な西陣織りの打ち掛け、帯、掛け軸、襖絵などが展示されている。着物姿の女性が親切に案内してくれる。二階の部屋の仕掛けには驚いた。三方の壁面すべてを日本画と洋画が半々に占めている。照明をだんだんしぼってゆくと、絵の一部が光って浮かびあがる。灯りを消しても星のような光が闇の中にまたたいている。あたかもプラネタリウムのようだ。蓄光染料の糸で織った西陣織だという。こんな織物もあるのか? 西陣織の多様さに感嘆した。 松翠閣のすこし先を南に折れると、うつくしい石畳の小道が現れた。浄福寺通(じょうふくじどおり)である。西側に「織成館(おりなすかん)」がある。昭和11年に西陣の帯製造業「渡文(わたぶん)」の店舗兼住宅として建てられた「織屋建(おりやだて)」という町家建築である。黒く太い柱や梁、高い天井、天窓などに風格がある。能装束や帯、織物の展示もあったが、ここの見どころは何といっても工場見学だ。手織り機で実際に織るところを解説つきで見学できるのだ。伝統工芸士の工場長さんがおもしろい方で、質問すればどんどん乗って話してくれる。なんとも繊細緻密な西陣織の技に触れて大いに感動した。織成館のパンフには「西陣イラストマップ」がついてるので西陣あるきにはもってこいだ。 1月27日(木)
あいかわらず寒いけどちぢこまってもいられない。バスで百万遍まで行ってから歩き出した。どっちに行こうかな? とりあえず東へゆく。知恩寺にはいってみる。なかに入るのははじめて。まわりに塔頭も多くけっこう広いんだね。毎月15日の「手づくり市」が賑わうと聞いたがさもあらん、これならたくさんの出店が並ぶだろう。京都大学をぬけて白川今出川から銀閣寺へむかう。銀閣寺は素通りして手前の路地を右へ曲がる。たぶん法然院にいきあたるはずだ。法然院はいつきてもいいな。寺というより環境そのもの。竹林のなかの静寂にほっとする。前の道をそのまま南へさがる。霊鑑寺門跡を経てくねくね曲がる細道をたどるとノートルダム修道院・女学校に出た。こんな山の中に大きな建物があるのはびっくり。坂を下ると哲学の道に出た。大豊神社のそばであった。昼になったので座れるかなと心配だったが鹿ヶ谷道の「日の出うどん」に行った。二席ほど空いてた、ラッキー! なんにしよう。前に肉カレーを食ったので、きょうはあげきざみと肉の両方入った「特カレー」にした。だしのきいたカレーがなんともいえない。とろりと柔らかい京都風のあげは舌触りがいい。ちぢれた肉もうまい。しかし肉とあげの両方はちと欲張りだったな。関心が分散するみたい。やっぱし肉ひとすじのほうが素直にうまいかもしれない。 1月6日(木) ケータイの万歩計を使っている。毎日見るわけではないが、たまに履歴をさかのぼって見るとおもしろい。その日のお天気や気分や活動ぶりが、如実に歩数にあらわれる。大晦日から今日までの履歴はつぎのとおり。 12/31 50歩 1/1 2199歩 1/2 4897歩 1/3 6807歩 1/4 9312歩 1/5 10411歩 1/6 12299歩 まるで冬眠から覚めて日ごとに動き出す熊みたいなもんだね。なんだかおかしくなる。 1月3日(月)
大晦日の初雪におどろいた。この冬は雪国だけでなく、西日本や九州に雪が降るみたいだ。元旦もどえりゃー寒い一日で初詣どころではなかった。やっと晴れたので八坂神社に出かけた。さすがに大した人出である。あいかわらず若い娘たちは恋占いに夢中できゃーきゃー騒いでいる。こっちは目の保養になりそうな着物姿をさがしてきょろきょろ。円山公園をずっと奥まで登って知恩院の鐘楼のところに出た。これは知恩院への抜け道である。知恩院の境内に下りてきょうは隅々まで見てまわった。初めてだ。観覧料を払って方丈庭園と友禅苑も散策した。千姫の墓があった。いちばん北側の黒門にいたる折れ曲がった坂道は風情があっていい。三門を出ると、ことしは法然上人800年大遠忌なので参道の整備がすすんでいた。参道のゆるやかな階段がきれいに出来上がり、なんだかわからんが高い門柱みたいなのが二本立っている。 |