京都ごはんたべ日記

ごはんたべとは老舗の若旦那なんぞが芸妓や舞妓と食事することらしいが
まあ、いいじゃん。この言葉が気に入ったからつかわせてもらう。


2013年


6月30日(日)
 岡本綺堂の「半七捕物帳」をまたまた読み返しています。何度読んでもあきない。独特のゆったり流れる時間に引き込まれてしまいます。ミステリと言うより「探偵物語」と呼ぶのがふさわしい世界です。敬意を表してゆっくりていねいに読みます。日本で連作推理小説というスタイルを創始したのが半七捕物帳です。幕末に活躍した半七という岡っ引きの手柄話です。岡っ引きというのは、目明しとか御用聞きとも言われ、町奉行所の同心の手先をつとめた町人です。明治になってから半七老人が若い新聞記者に語り聞かせた話を、大正から昭和にかけて小説化したという設定です。半七老人の江戸っ子気質と、大正昭和のモダンながらもゆとりある時代風潮があいまって、なんともいえない魅惑の香りを漂わせています。いま読んでもまったく古臭い感じはしない。むしろひと昔まえのおもしろい言い回しが楽しい。「数え日」は、年末になって残り少ない日々のこと。 言い得て妙ではありませんか。「仕事師」は鳶職(とび)のことです。鳶職は普請だけでなく火消しや祭りの花形で、町娘の憧れのイケメンだった。歳末には仕事師が出入りの商家の門松などを飾りつけたものです。「目串を刺す」は、不審者に目をつけることです。いかにもそれらしい言い回し。刺すというのが効いてますね。「生けっぷてえ」は江戸っ子弁でしょうか。「ふてえ野郎だ」は時代劇によく出てきますが、生けっぷてえ、はさらに微妙なニュアンスがあるみたい。若い娘に対して、半七がそう言っています。ふてぶてしいアマだ、という感じでしょうか。そのへんの真意は想像するしかありません。最後に、とてもおもしろいのが「ござっている」という表現です。「お吉のやつは、よっぽどあの男にござっているらしいな」。「惚れている」と直に言うより、なんとも意味深な言い回しではありませんか。



6月29日(土)
 子供のころの思い出。炎天下でわんぱく連と心ゆくまで遊び、のどが渇くと家に走って帰って台所に飛びこんだ。土間の台所はひんやり暗かった。水道の蛇口に口をつけて水をむさぼり飲んだ。喉がぐびぐび鳴った。なんぼ飲んでも腹にスーッと消えていった。身体中の汗がスッと引いた。干天に慈雨。あのときの水のうまかったこと。「渇いたら水」。それがぼくらの原則だった。単純明快だった。いまの子供は「水のおいしさ」を知ってるだろうか? あの水をふたたび味わいたいけど、おじさんにはもうできない。それがくやしい。それが哀しい。やがてラムネというものが登場した。はじめて「買って飲む」ぜいたくな飲みものだった。お祭りとか祝いごととか特別の日しかありつけなかった。開けるとプシューッと音がして、シュワシュワーと泡が出て、陽にかざすと細かい泡がはじけるのが楽しかった。水に砂糖やブドウ糖などを加え、香料でライムやレモンの香りをつけた甘い炭酸飲料だった。飲んでしまうとラムネ玉をカラカラ鳴らしてうれしがった。ラムネはたんなる飲みものじゃなかった。あの独特の形をしたガラス瓶が好きだった。プシューッも、シュワシュワーもたまらなかった。ラムネ玉の仕掛けに興味津々。瓶の上部にくびれがあって、口とくびれの間にガラス球が封入されている。この瓶に飲料を詰めて、間髪を入れず瓶をひっくり返す。すると炭酸ガスの圧力でラムネ玉が口のゴムパッキンに押し付けられて密閉される。単純明快、手間いらずの手法だった。明治のはじめに神戸の居留地ではじめて造られたという。ラムネという名称は、イギリスから持ちこんだレモネードが訛ったものらしい。のちにサイダーという似たような飲料が出たけど、子供には断然ラムネのほうが人気があった。



6月28日(金)<きものがたり-1>
 女性の着物姿がすきです。とくに黒留袖がいい。婚礼やパーティなどで黒留袖を着ている女性は、女っぷりが五割がた上がっています。京都の春の風物詩「都をどり」は祇園の芸妓さん、舞妓さんを最高に美しく見せる花舞台です。色鮮やかな振袖の舞妓さんたちを従えて、中心にただひとり、黒留袖の芸妓さんが踊ります。すばらしく美しい。おとなの色香が匂い立ちます。映画でこんな場面を見ます。黒留袖の芸者が白い半襟から紅絹(もみ)をのぞかせて、無粋な客に小気味よい啖呵を切る。しびれますねえ。留袖は既婚女性が身につける最も格の高い礼装です。近づけば黒無地、離れて見える裾模様。これがいい。ある本を読んで着物の歴史に開眼した。着物ファッションは京文化と江戸文化のせめぎあいの中から生まれたのですね。江戸初期はまだ江戸風俗が未熟で、京都風が幅をきかしていた。上半身に友禅などの派手な柄を散らした着物に、飾り気のない細い帯をしめていた。元禄末期になると模様がしだいに腰より下に移る。裾をひきずる流行に乗って、江戸褄とか裾模様という着物が生まれた。褄は裾の左右両端の部分。「左褄を取る」「辻褄を合せる」の褄です。そこに模様を流したのが江戸褄。芸者からひろまって大奥の女たちまでとりこにしたそうです。文化文政期になると京都から脱皮して、江戸独自のファッション感覚が芽生えます。先陣を切ったのが深川の辰巳芸者だった。縞柄、格子、小紋などの細かい幾何学模様を好み、茶、鼠、萌黄、納戸などの渋い色合いが意気とされた。しかも「四十八茶百鼠」といわれるほど種類が多かった。「深川鼠」「利休鼠」「路考茶」「梅幸茶」などの渋い色がもてはやされた。「意気」という江戸独特の感覚が生まれた。のちに「粋」ともいわれる洗練された独自の美意識だった。



6月27日(木)
 石清水八幡宮へ行くとき京阪電車に乗った。京阪にはめったに乗らない。「京阪乗る人おけいはん」なんてコマーシャルのせいか、阪急にくらべてなんとなくダサい感じがしていた。特急車両が明るくきれいなのにびっくりした。座席のクッションがカラフルだ。畑の畝みたいに波打っていて、凹みに尻がすっぽりおさまる。背当ても一人ずつ画然とデザインされている。知らなかったが、京阪は阪急よりずっと古いんですね。明治43年に大阪・京都間が開通している。さきに営業した国鉄の料金があまりにも高かったので、対抗して民間で安い電車を造ったという。いまも事情はかわらない。阪急は昭和のはじめになってからだ。おけいはんさん、おそれいりました。京都に住んで京阪や阪急で大阪へ通勤しているひとが多い。40分くらいか。京都は住むところ。大阪は働くところ。これはええんでないかい。ちょうど鎌倉から東京へ通勤するようなもんだ。小津安二郎の映画にはそんな勤め人がよく出てきました。サラリーマンがみんな帽子をかぶっていて、エリートだった時代の風景です。まあ、ゆとりある大正・昭和の御世はよかったろうが、いかんせん鎌倉は遠すぎる。いまじゃ満員通勤はかなりしんどい。むかし「鎌倉文士」というのがもてはやされた。特に関東大震災で東京が壊滅状態になってから、作家たちが環境のよい鎌倉へ移住した。戦後は川端康成や久米正雄、高見順や中山義秀たちが鎌倉に集結した。京都とおなじく鎌倉も古都であり、芸術文化の香りゆたかな土地柄だった。いまでは「文士」は死語になった。鎌倉文士も絶えてひさしい。いまも親しまれているのが江ノ島電鉄(えのでん)である。藤沢・鎌倉の海岸線を可愛い電車がトコトコ走っている。京都・嵐山間を走る嵐電(らんでん)に似ているのがおもしろい。



6月26日(水)
 五月雨の季節です。五月雨ということば、好きです。字面も美しいし「さみだれ」という音(おん)もいい。陰暦五月に降る長雨のことで、梅雨と同じだけど、「つゆ」も「ばいう」もいまいち美しくない。歌にならない。芭蕉さんも「五月雨を集めて早し最上川」のように詠えなかったでしょう。「いとどしく賤(しづ)の庵のいぶせきに、卯の花くたし五月雨ぞ降る」という古い和歌もある。五月雨の別名を「卯の花くたし」とも言ったようです。卯の花を腐らせるような長雨の意味です。卯の花とくれば「夏は来ぬ」です。「卯の花の、匂う垣根に、時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて、忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ」と自然に歌がでます。酒のアテ、おからも卯の花ですね。五月雨式という言葉もあります。断続的にいつまでもだらだらと続くことをいう。さて、ことしの五月雨はぜんぜん五月雨式じゃない。いきなり猛暑が来たかと思ったら、きゅうに涼しくなり、雨はたいして降らない。こんなのを梅雨寒(つゆざむ)と言うのでしょうか。まあ暑いよりは過ごしやすくてありがたいけれど。話は飛ぶけど、「五月雨美女がさ乱れる」という歌ごぞんじですか? 聴いたことなかったが、ひょんなことからYouTubeで発見しました。Juice=Juiceというアイドルたちが歌い踊っている。森高千里も歌ってるらしい。五月雨に「さ乱れ」をかけている。「さ乱れ髪」なんてことばもあるらしいから、たくみに作詞したもんだ。作詞作曲つんく、というからさもあらんと思った。和歌・俳句の五月雨も、一転、かくのごとくさ乱れるものかと思う。興味あるかたは、題名をクリックして聴いてみてください。



6月25日(火)
 可愛いけど性格のわるい女、というのがよく小説に出てきます。現代ものにも時代小説にも登場します。いわゆる小悪魔というのでしょうか。男ならだれしも一度は翻弄された経験がおありでしょう。作家たちにとって小悪魔は、波乱を起こす火種になるし、ふるまいを描いて面白いからでしょう。男性作家はどちらかといえば小悪魔に翻弄される男の側のどたばたを描いています。かたや女性作家はその性格の歪みをこれでもかと抉り出してみせます。小悪魔のいやらしさはもっぱら同性に見せつけられるからでしょうか。これは独断と偏見かもしれませんが、小悪魔というのは子供のままで成長が止まった女ではないでしょうか。小さいときに周囲からちやほやされて育った女の子。祖父母から猫かわいがりされた子。歌ったり踊ったりすると拍手大喝采された子。とうぜんわがまま放題に育ちますが、気まぐれに大人をくすぐる知恵だけはしっかり身につけている。やがて少女になり娘になれば、思いのままにふるまうだけで男をとりこにします。猫のような気まぐれが男を引きつけるのです。もともと男が好きなのです。いつもちやほやされていたいのです。でもそれがいつまでつづくでしょう。悲しいかな女も年をとります。可愛さが失せれば残るは意地のわるさだけ。同性からは総スカン、頼るは男だけです。待ってましたと寄ってくる男がいます。ヒモ男です。これまたよく小説に出てきますね。ヒモ男はどのようにして発生するものか、同性ながらよくわかりません。しかしいつの世にもこのタイプが存在するのは歴然たる事実です。小悪魔のなれの果てとヒモ男。おたがいに相手を必要としています。ぴったりのカップルなのです。こんな二人を池波正太郎さんは好んで取り上げています。



6月24日(月)
 京都へきて以来、はずかしながら甘味処なんぞに親しむようになった。みつ豆が好きです。「みつ豆」と「パフェ」は甘味界の両巨頭ではないか。みつ豆に行くか、パフェに行くか。これを分けるのが小豆だ。小豆路線は、みつ豆、あんみつ、ぜんざい、おはぎ。クリーム路線は、フルーツパフェ、チョコレートパフェ、抹茶パフェなど。みつ豆は和風、パフェは洋風だが、甘味処も喫茶店も気にしない。両者共存、和洋折衷、なんでもござれである。みつ豆の基本形は、赤えんどう豆、寒天、求肥、ミカン、サクランボなどを器に盛って、黒蜜や糖蜜をかけたものだ。小豆あんを加えるとあんみつ。白玉を入れると白玉あんみつ。フルーツたっぷりならフルーツみつ豆。ポイントは寒天です。だれが考えたのか、この修羅場にようも寒天を持ちこんだものだ。えらい。もし寒天がなかったら、えんどう豆とミカンと求肥をムシャムシャ食っても、うまくもなんともない。寒天あってこその清涼感である。だから夏に食べたくなる。鹿ケ谷通にある「銀閣寺喜み家」の名物「豆かん」は、赤えんどう豆と寒天だけのシンプル・ベストである。豆と寒天。それだけ。なにも足さない、なにも引かない。素朴で上品なおいしさです。女主人が東京の方なので、関東流の豆かんを京都にお披露目したかったと、ご本人から聞いた。六角通にある「栖園」の「琥珀流し」がいい。これぞ寒天の極致。涼しげにフルフルと揺れる寒天の口当たりがいのちです。月ごとに蜜が替わる。抹茶・ミント・黒蜜など、カラフルな蜜が透き通ったガラス器に映えて美しい。祇園祭のころの清涼感がたまらない。



6月23日(日)
 ぼくは五人兄弟姉妹のまん中だった。男二人女三人。当時は五人なんて珍しくもなかった。二つちがいの兄貴とはガキの時分からいろいろあった。ほとんど喧嘩の思い出ばかりだ。兄ははしっこかった。ぼくはおっとりしてた。兄がぼくの頭をひっぱたいて逃げる。ぼくがしつこく追っかける。ほとんどこの構図であった。五人もいると「得した損した」という話になる。大人になってからも、盆や正月に集まるとそんな話で盛り上がった。妹二人は「買い食い」の経験があるが、ぼくから上は小遣いをもらったおぼえがない。妹たちは祭りの屋台や見世物が楽しかったと語るが、こっちはそんな思い出がない。せいぜい夏の蝉取りに熱中した思い出くらいだ。私が得したのは東京の学生時代。銀座でときどきうまいものを食わせてもらった。親父が毎月のように出張で東京に出てきた。そのころ父は五十前後の働き盛りだった。高度成長の波に乗って世の中がみるみる豊かになった時代だった。その恩恵にあずかったのだ。スエヒロのビフテキや寿司をごちそうになった。なんだか申し訳ない気もしていたが、あとで聞いてみるとさにあらず。瀬戸内方面で兄や妹もけっこう旨いものを食ってたみたい。下関で最高の料理旅館で、ふぐの刺身やふぐ鍋をたらふく食った話を聞いた。妹が「皿だけ出た」とたまげた笑い話が出る。薄造りがあまりにも見事に赤絵の大皿を透かしていたのだろう。こっちは一流のふぐ料理なんか食ったことがない。まあ東京で高級なふぐの店へ行けばなんぼ取られるかわからん。一番上の姉は早く嫁に行ったので、こんな話になるといつも蚊帳の外でつまらんとこぼす。激動の昭和の時代と兄弟姉妹の年齢差もからんで、損した得したの話になつかしさが尽きなかった。それも過去になってしまった。



6月22日(土)
 きのう雨のなか友人と石清水八幡宮へ行ってきた。ひどい悪天候を覚悟したが、さいわい小雨程度でたすかった。石清水ははじめてだ。日本三大八幡宮の一社というから一度は行きたいと思っていた。男山山上の本宮のある上院と、山麓の頓宮や高良神社のある下院とに分かれている。「徒然草」に笑い話がある。仁和寺の法師が、山上の本宮を見ないで下院だけ見て「ありがたい」と帰ったという話です。このへんは現代のお調子者となーんも変わりまへんな。何事も知ったかぶりはあかんという教えです。石清水八幡宮の社僧だった松花堂昭乗が「松花堂弁当」の元祖と言われている。社僧というのも妙だが、もともと神仏習合で神社・寺院が一体だったらしい。松花堂庭園のなかにある「京都吉兆」で松花堂弁当、いただいてきました。さすがです。おいしかった。欧米人もたくさん来て、和食を食べていました。これで大きな顔して「吉兆」へ行ったと言うてやろう。木津川にかかる「流れ橋」を見物した。映画やテレビの時代劇ロケには欠かせない名所です。350米だからけっこう長いです。橋板を歩いてみて河原からアップで写真を撮って満足しました。橋板がワイヤーロープでつないである。洪水のとき橋板だけ浮いて流れるしかけだ。それで橋桁はたすかる。流れた橋板を回収して架けかえる。よう考えたもんだ。これをいまに残している京都府はえらい。さいごに「一休寺」を見学しました。あの頓知の一休さんです。のちに京都の大徳寺の住職になったとき、ここから輿に乗って大徳寺まで通ったというから驚きです。簡素ながらも風格があっていい感じの禅寺であった。一休さん手書きのカタカナまじり文書があっておもしろかった。



6月21日(金)
 ある本にラッキョウの漬け方がでていた。ラッキョウはいまが旬なんですね。生で食べることがないので、旬を意識したことがなかった。泥ラッキョウを買ってきて下処理して、塩でさっと漬ける。朝漬けて夕食に食べるくらいの浅漬けがうまいと書いてある。読んでるうちに無性に食べたくなった。いつどこで食ったのか憶えていないが、たしかにカリカリと引き締まった塩ラッキョウはうまい。塩だけなのでラッキョウ独特の強い匂いとヒリヒリする辛味が生きている。あの匂いはニンニクやニラと同じ成分らしい。夏になると茗荷(みょうが)が出てくる。これも大好きだ。あの独特の香りと風味はなんとも言えない。紫紅色の色合いも食膳を引き立てる。好きなひとは好きだが、嫌いなひとは根っから嫌いかもしれない。しかし日本料理にはぜったい欠かせないね。蕎麦・素麺・冷奴などの薬味としてなくてはならないものだ。天ぷらや酢の物なんかもいいね。これを食わんと夏という気がしない。猛暑にあえぐ口中をいっきょに爽やかにしてくれる。俗に「食べると物忘れがひどくなる」と言われているが、これはなんの根拠もないそうな。安心して食べましょう。東京都文京区に「茗荷谷」という地名があります。江戸時代までこのあたりで茗荷の栽培が盛んだったのでこの名がついたようです。余談ですが、茗荷谷に跡見学園というお嬢様学校があります。そこのお嬢様を紹介されて、しばしおつきあいした思い出があります。茗荷は武家の紋所にも形象をとどめています。領地のために命を張った戦国武士が、戦闘で生き残る「冥加」にかけて好んだようです。「いのち冥加なやつよのう」というセリフもありますね。「影茗荷」「鍋島茗荷」などの茗荷紋がのこっています。



6月20日(木)
 「吾輩は猫である」。この「吾輩」を「株価」にかえると、昨今の世情をそのままあらわしています。株はまさに猫である。気まぐれである。買えば下がる。売れば上がる。けっしてこっちの思うようには動かない。おまけにこのうえなく小心である。まわりの音に怯えやすい。地震・カミナリ・火事・親父のうち、無視してよいのは親父だけである。アメリカのバーナンキとかいうおっさんがくしゃみすると、日本中の猫が風邪をひく。安倍政権になってから猫はがぜん元気になった。アベノミクスが出た4月以降は、一気呵成に駆け上がってきた。気まぐれ猫がまるで犬になったように、庶民の願いに忠実にこたえてきた。それが5月末にとつぜんはじけちゃった。いろいろ言われているが、これは当然の反動ではあるまいか。猫も疲れちゃったんですね。犬の真似して忠実にやってきたけど、ここらで本来の気まぐれに戻りたくなったんですね。話は変わるが、ニッポンのおとうさんは「犬好き」が多い。猫好きよりもだんぜん多い。犬はおとうさんの言うことをよーくきく。忠実です。おかあさんに冷たくされても犬はやさしい。犬と散歩するおとうさんの姿は、高齢化ニッポンの風物詩といってもよい。そのおとうさんたちが株式投資にのめりこんでいるという。これが問題です。株は猫なんです。犬じゃないんです。株価が大きく動いた日の夕刻、大手町あたりの株価ボードの前で、おとうさんにインタビューしますね。このときのおとうさんの反応が、上がればニコニコ下がればショボン。「なんでだ!」なんて怒り出すおとうさんもいる。あんまり正直なので笑ってしまいます。正直者は猫に化かされます。こういうひとは株なんかに手を出さないほうがいいのに、なーんて思ってしまいます。



6月19日(水)
 むかしは近所にガキ大将がいたものです。おおむね仲間うちの年長で身体もでかいやつが多かった。子供たちはガキ大将にくっついて遊んだり、なぐられたりしながら大きくなったものだ。いまは大勢で遊ぶ子供たちを見なくなり、ガキ大将も見なくなった。「むかしは無邪気でよかった」とひたすら懐かしむ向きもあるが、はたしてそうだろうか。むかしは貧乏人の子沢山で子供をかまってる暇がなかった。だからおのずから子供社会ができて、いやでも切磋琢磨したのではないか。無邪気どころか、幼いうちに「社会の葛藤」を体験して、いちはやく大人の気質を身につけたのではないか。たくみにガキ大将にすりよって子分になるやつがいた。告げ口するやつもいた。反発するやつもいた。風見鶏もいた。それぞれが自分の居場所をさがしていたのだ。ガキ大将もけっこう屈折していた。女の子に対してそれが表れた。ほんとは好きなのにわざといじめたりする。女の子は怖がって逃げる。そのくせ隣町のガキどもが女の子をいじめたりすると、ガキ大将は死にもの狂いで守ろうとした。北原亞以子さんの「慶次郎縁側日記」シリーズに「蝮の吉次」という岡っ引きが出てくる。ひとの弱みをつかんでやんわり強請るのが得意芸。口止め料や袖の下をまきあげたりする。まむしの別名がぴったり。周囲から蛇蝎のごとく嫌われ、犯罪者からは怖れられている。かと思うと気まぐれに情けをかけて金を恵んだりもする。テレビドラマで吉次を性格俳優の奥田瑛二が演じている。はまり役である。主人公は「仏の慶次郎」と呼ばれる元同心で、高橋英樹が演じている。「蝮の吉次」と「仏の慶次郎」。両者の関係がビミョーである。反発しながらひかれている。吉次は屈折したガキ大将のなれの果てではないか。そんな気がする。



6月18日(火)
 「オノマトペ」が気にくわない。ごぞんじですね。「ドキドキでシャキーンって感じ!モフモフ、パフパフしててさ」なんてあれです。気にくわんのは中身じゃなくて、オノマトペということばです。なーんも、そーんな、えたいのしれない言葉、持ち出してくるこたぁー、ねえーだろうがぁー、と思うものだ。NHKまで使いよる。女子アナがときどき噛むのが笑える。擬声語・擬態語ともいうらしいが、これまたモロ役人語で気に入らない。いっそ音葉(おとば)というのはどうだろう? 音の言葉だもんね。さてさて、文句はそのへんにして、先をいそごう。日本語くらい音葉の豊かな言語はないそうだ。その数は5000以上にのぼり、他の言語の数倍も多いという。しかもどんどん増えつづけている。「ガチャガチャ」というのは音を文字で表わす擬音語です。いっぽう「キラキラ」は光っている物を目で見たときの感じです。でもキラキラーンなんて音が聴こえるような気もします。大阪ではいいおとこを「シュッとした人」と言う。見た目を音感にかえている。聴覚と視覚が交錯するなかから「音葉」が出てくるんですね。 日本人は目に見えない音を、あえて文字で表したり、目に見えるものを音感イメージで表現したりします。とても感性豊かな民族なんですね。 ちかごろの若いもんは、音葉と顔文字を抱き合わせてスマホ流通させてるらしい。ゲラゲラ(^∀^)、キラーン ( ̄ー+ ̄) 、ゲロゲロ (;´Д`) 、ショボーン(´・ω・`)なんてかんじ。テレビで見ましたが、コンビニ・スーパーの商品名に「もちもち」「もっちり」をつけると、とたんに売上アップするそうです。商売にもイメージが肝心らしい。そうそう、「オノマトペのうた」というのを発見しました。クリックしてごらんください。



6月17日(月)
 学生時代はなつかしい。学生食堂がなつかしい。いま思えばけっしてうまくはなかったが、食い盛りの飢えを満たしてくれたありがたさ、なつかしさがある。「秋の日の図書館のノートとインクの匂い」にはあまり縁がなかったが、学食の味噌汁の匂いはおなじみだった。法学部の地下にあった「いっしょく(一食)」は50円だった。最低限の基本食であった。医学部の二階の「にしょく(二食)」は80円くらいだった。ちょいと見栄をはるときはこっちだった。一食は「おかず」の域を越えないが、二食は「洋食」ふうの彩りがあった。そして三か月に一度くらいの最高のぜいたくがあった。大学の門前に「白十字」というカフェがあった。ここのランチはたぶん200円くらいだったと思う。基本食50円の時代の200円である。これはもう清水の舞台から飛び降りる覚悟で店にはいった。白十字の名のとおり白を基調とした明るい店内にシャンデリアがキラキラ輝いていた(ような気がする)。いまのメイドカフェのねえちゃんを、うんと上品にしたようなメイドさんが給仕してくれた。もちろんれっきとした洋食である。一見銀器を思わせる光る食器まで登場した。そしていまだに忘れられないのが、生まれてはじめて食った(いえ、いただいた)ババロアというものであった。板つきかまぼこをうんとふくらましたような形をしていた。クリーム色のつやつや生地の中にオレンジ色の果物片がのぞいていた。こんなプルンプルン食感を知らなかった。すっげえ高級なスイーツ(なんて言葉はまだなかった)をいただいてる気がした。その後親父が出張で来たときなど、銀座でごちそうになったりもしたが、白十字のババロアの感激は忘れない。



6月16日(日)
 早朝からひと騒動あった。起きると部屋の空気がムッとしてるので窓を開けた。何かが「ガサッ」と首すじをかすめて飛んだ。「なんだなんだ?」。見ると大きな虫がカーテンにつかまってる。一瞬ゴキブリかと思ったが、薄緑で長いヒゲがある。髪切虫のたぐいらしい。ティッシュで捕まえようとしたが、敵もさるもの。けっこう素早いのだ。どこかに隠れよった。よーし、こんど出てきたらやったるで、と、キンチョールを用意した。パソコンに向かってたら「ガサガサ」いう音。見ればそばの襖にいた。キンチョール作戦発動。背中じゃ効かんだろうから、腹側に狙い定めて思いきりプシューッとかましてやった。敵は必死で逃げてまた見えなくなった。でもきっと効いてるはず。それにしてもこんな高い階までよう来たもんだ。ふと田舎の実家を思い出した。山肌にはりついてるような古い家です。ここでは人類・鳥類・虫類が共存共栄している。カミキリだろうがコガネムシだろうが蛾だろうが平気で入ってくる。夜のガラス窓にヤモリが這ってる。その真っ白な足がかわいいじゃん、なんて感じ。あんまり気にしない。池の鯉はみんなアオサギに食べられてしまったそうな。木・土・紙でできた家は虫にもやさしい。それでも平気じゃないのがムカデ。これはいけません。ムカデは百足と書く。百本の足でガサガサ這いまわるのは気味が悪い。刺されると大事だ。こいつはだんぜんスリッパでひっぱたく。さて、逃げた虫はどこへ行ったか。いました、いました。洗面所の床にあおむけに倒れて足をばたばたやってる。「もうあきまへん、降参ですぅ」という感じ。「ざまあみろ」と広告ビラでとっつかまえて捨てました。マンションで共存共栄はムリでんなあ。



6月15日(土)
 清少納言の枕草子に「うつくしきもの」という一節がある。「二つ三つばかりなるちごの、いそぎてはひくる道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなるおよびにとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし」。幼児が急いではいはいしてくる途中で、とても小さなほこりがあったのを目ざとく見つけて、とてもかわいらしい指でつまんで、大人などに見せるのは、実にかわいらしい。と、清少納言さんは言うてはる。うつくしきものは、かわいらしいものという意味ですね。いきなり枕草子なんかを持ち出したにはわけがあります。京都に来て八年になる。はじめ京都は輝いていた。通りも町家も寺も石畳もことごとく輝いて見えた。最初の二年は夢中で歩きまわった。なにもかも新鮮だった。やがてだんだんと普通に見えてきた。あたりまえだよね。「知らないうちが花なのよ」なんて文句もある。これは人の一生にも言えるのではないか。子供はなんにでも興味をもつ。「なに?なんで?どうして?」と質問攻めにする。子供の遊びは文字通り探検であり冒険である。しかし学校に入って無理やり知識を詰め込まれると、かえって興味を失ってしまう。初恋の相手は天使のように見えるものだ。はじめて東京へ出たとき東京は燦然と輝いていた。結婚したとき新妻は輝いている。やがて「釣った魚に餌はやらない」なんてことになる。感動、感激は永遠には続かない。年をとると感受性もすりきれてくるのか、反応がにぶくなる。しかし新しいもの、知らないものに対する人間の興味は限りがないと思う。興味の対象はころころ変わるかもしれないが、好奇心はすりきれない。地球は不可思議だ。人間は不思議に満ち満ちている。ひとは物事を知ってるようで案外知らないものだ。いまだに「目からウロコ」の驚きがしばしばある。これはうれしいことだ。



6月14日(金)
 こわい夢をみました。SF映画みたいな夢だった。むかし住んでた美しい町が見るも無残に変貌しているのだ。美しかった欅並木、駅前のしゃれた喫茶店、広くてきれいな駅舎などが見る影もない。汚く醜く不潔に変わっている。夢の中で胸がつまって泣き出しそうになった。アーノルド・シュワルツェネッガーのSF映画に「トータル・リコール」というのがあった。火星かどこかの植民地の情景が出てくる。地上では暮らせないのか穴倉みたいな地下都市に押し込められている。無国籍かつ人獣混在の街はかぎりなく醜い。派手な色や音に満ちてさわがしいが、見てるだけで胸がしんしんと冷えてくるような光景であった。あの映画を思わせる夢だった。SFってどうしてあんなに暗いのでしょう。SFで明るい未来って見たことありますか。科学者も作家も暗い未来しか見えないのでしょうか。なかでもハリウッドのSF映画はうんざりする。特撮やCGや化物仮面は最先端かもしれないが、それで描き出す未来はあまりにも暗く残酷である。インディアン殺戮の過去、戦争ばかり追いかける現在。それをそのまま未来へ投影したような映像である。ひさしく夢を見なかったので、起きたとき衝撃で頭がボーッとしていた。ああ、現実でなくてよかった。と胸をなでおろした。



6月12日(水)
 北原亞以子さんの「慶次郎縁側日記」シリーズをまた読みはじめた。すでに十数巻刊行されている。だいぶ前に初巻を読んでそのままだった。最初に知ったのはたしかNHKのドラマだった。主人公の森口慶次郎を高橋英樹が演じた。高橋英樹という役者好きなんだよね。いまどき珍しい大きさとゆとりを感じさせる。ミステリーの十津川警部シリーズも高橋英樹が一番よかった。じつは数十年昔に山形県の上山温泉の宿で高橋英樹を見かけたことがある。まだかけ出しで石原裕次郎の陰に隠れていたころだ。ほんとはかたわらにいた松原智恵子の可愛さに見とれていたんだけど。さて小説にもどる。慶次郎は北原亞以子さんの理想の男性像だという。もと南町奉行所の定町廻り同心で、44歳で隠居して商家の別荘の寮番をしている。44歳で隠居なんてうらやましいと思うが、人生50年のころの話である。ともかく楽隠居にめぐまれている。寮番といってもじつは富商の世話になって悠々自適というわけだ。だから縁側日記という題名になる。これも慶次郎の人徳である。奉行所の同心といえば幕府の役人のうちでもけっして上の方ではない。むしろ木っ端役人なんてさげすまれることが多い。裏へ回って商家から賄賂を取る同心や岡っ引きも少なくなかったようだ。そんななかにあって慶次郎はいさぎよい。女からもたよりにされる。しかし初巻のタイトルが「傷」であるように心に深い傷を負っている。最愛のひとり娘が婚礼前に暴行されて自害したのだ。その犯人を殺してやりたいほど憎みながらもあえて殺さなかった。そのあたりから慶次郎の人間像が浮かび上がる。きびしくもやさしい男。作者が理想の男性像といったわけがわかるような気がする。



6月11日(火)
 外食生活が長い。年期がはいっている。結婚が遅いほうだったし、それが終わるのが早かった。外食は18歳からはじまった。はじめて東京へ出たときは「まかないつき」下宿だった。ここのおばはんはうるさかった。食事時間がきびしいので嫌になって、3か月で引っ越した。親元を離れて「わあー自由だ」と羽を伸ばしてる18歳が、毎日夕食6時に帰るなんてとうていムリ。世田谷の経堂から渋谷区の代々木上原へ引っ越した。こんどは間借りだけ。三畳一間で家賃三千円。当時は一畳千円が常識だった。駅前の食堂によく通ったものだ。店主のおばさんや息子や親類の娘さんまで、家族ぐるみの付き合いになった。クリスマスには家族パーティに呼んでくれたりした。生まれてはじめて「天津麺」なるものを食ったのもこの地の中華だった。分厚くて香ばしいかに玉がラーメンにのっていた。こんなうまいもんがあったのかと感激した。渋谷区だけど小田急沿線なのでよく新宿へ遊びに出た。代々木上原駅で何度か吉永小百合に出会った。デビューしたころだろう。15歳くらいかな。ニキビ顔でそこらの娘とさしてかわりなかった。あか抜けする前のさなぎ少女だったんだろう。いまの新宿歌舞伎町はちょっとこわいけど、当時は若者の街だった。ポロシャツ兄ちゃんがあふれていた。コマ劇場の周辺は映画館だらけだった。邦画・洋画とりまぜて映画の全盛期だった。ジャズ喫茶「ラセ−ヌ」もあったなあ。平尾昌晃とか山下敬二郎などがギターをテケテケやって歌っていた。新宿ゴールデン街もそのころからあったはずだが、まったく知らなかった。無理もない。もともと青線というやばい一角だったらしい。売春防止法によって飲み屋街に変身するころだ。文壇バーなんてのはもっとあとの話だ。



6月10日(月)
 7月の参院選からネット選挙が解禁されるそうだ。ブログ、ツイッター、フェイスブックなど自由に使えるという。どうなるのだろう。ひょっとして、しっちゃかめっちゃかになるんじゃないか。ぼくはパソコン歴・ネット歴も長いし、ホームページなんかもやっている。ネットの便利さを知ってるが、その怖さもよく知っている。インターネットには出会い系サイトやオレオレ詐欺に通じる危うさがある。情報漏えいの問題もある。以前に友人からフェイスブックへの登録をすすめられたが、本名を出して能書きたれるなんて、おそろしくてようやらん。クレジット・カードを使うのももってのほかだ。むかしは自分のページに掲示板(BBS)を開いていたが、雲行きがあやしくなったので中止しました。炎上まではいかなかったけど。非難・批判・誹謗・中傷などが殺到して収拾つかなくなるのを「炎上」という。インターネット上で感情や欲望のおもむくままに振舞う人々がいる。極端な行動や主張にはしる。ブログやフェイスブックに炎上はつきものです。だからぼくは公開のブログに乗らないで、ページを一から手作りしているのです。まして選挙といえばあぶない世界の代表である。利害・金銭がからみ、非難・誹謗・中傷は日常茶飯事である。みにくい言葉がネット上を飛び交うだろう。演説みたいにきれい事ではすまない。双方向だから候補者も答えなくちゃいけない。へたなこと言えばやじうまや扇動者がなぐりこみをかける。しっちゃかめっちゃかになる。収拾がつかなくなる。ネットにはドシロウトの選挙担当。さあ、どうする、どうする。こうなると自民も民主も公明も、ネットの手練手管を知りつくしたIT業者のカモになるのではあるまいか。



6月9日(日)
 いつもの店で「鯛頭の唐揚げ」が出た。これはめずらしい。あら焚きは何度かいただいたが唐揚げははじめてだ。でっかい鯛頭を目の前にして、どうやって攻略してやろうかと身構えた。あら焚きならスルリと身がとれるけど、唐揚げはそうはいかない。パリパリの皮を箸で突っついて身をほじくり出さないといけない。焦げた部分が骨にしがみついているのでやっかいだ。それでもだんだん慣れてきた。うまく身がとれるようになった。紅葉おろしと九条ねぎを入れたポン酢につけて食べる。うまい。鯛というやつはどうしてこれほど締まった身をもってるのだろう。噛むとキュッキュと音がしそうだ。おまけに唐揚げはパリパリ皮が香ばしい。皮といっしょに骨までかじってしまう。鼻先から攻めて頬にいたり、目玉をくり抜いてとろとろのコラーゲンをなめる。皿の片隅に骨が山盛りになる。ほんと鯛さんの骨ってしっかりしてること。彫刻すれば根付になりそうだ。カマの部分は身がたっぷりある。ゴッソリ取れるとすごくもうかった気分になる。大きなカタマリを最後に味わって噛みしめた。でもまだあった。ヒレがあった。こいつは唐揚げならではだ。パリパリに揚がったヒレの先端をかじるとなんとも香ばしいあじわいであった。錦市場を歩いていると鯛の頭をよく売っている。それほど高くはない。でもこれをご馳走にまでもっていくには腕がいるんだな。



6月8日(土)
 地球上の動物で人類だけが「直立二足歩行」です。一見それらしく見えるペンギンやカンガルーの足は曲がったままです。二足歩行によって体重にくらべて巨大な頭部をささえることができ、脳がどんどん進化したのです。直立二足歩行になったので人類は一夫一妻になったという説があります。二本足で立つと空いた両手で物を持てる。それで雄は雌にプレゼントをはこぶ。雌はよりええもんを持ってきた雄を選ぶようになる。雌が選択権をにぎったので人類は一夫一妻になったというのだ。ほんまかいな。ある学者がそう言っている。学者なんてもんは俗世間にうといから、こんな珍説を編み出すのかもしれない。まあ金持にいい女が寄ってくるのはほんとだけどね。二足歩行になったのは400万年前だそうな。えっ、なんでそんなことがわかるの? 歴史は5000年、一夫一妻なんてほんの最近のことだ。400万年前からついさきごろの5000年前まで、人類はいったいなにをやっていたんだろう? たぶん、生きていくだけで大変だったんでしょう。食べものを得るためにひたすら、脳と手足の能力をみがいたんでしょうね。でも直立二足歩行はいいことばかりじゃなかった。人類は腰痛・肩凝・膝痛に悩むようになった。犬猫にそんなもんはない。それに馬や鹿は生まれて一時間もすれば立ち上がるのに、人間の赤ちゃんは一歳でやっと立ち上がる。だから初めて立ったときの感動が大きい。やがて飛んだり跳ねたりする。手足を動かすのが楽しくてしょうがないのだ。それから幾星霜、やがて歩くのさえしんどくなる。これはつまり、立って歩くのはすごい身体能力が要るということです。二足歩行で人類は優位にたったけど、それを維持するのはじつに大変なんです。絶えず訓練していないと足はみるみる衰えてしまうそうです。がんばらなくっちゃ。



6月7日(金)
 きょうはなじみの割烹で松花堂弁当が出た。倍の値段でもおかしくないような弁当がいつものとおり950円である。これはたぶんひいき客へのお礼心ではあるまいか。お造りから煮物・焼物にいたるまで、大きな器のなかの一品一品に手抜きが一切ない。ゆっくり味わって満足しました。カウンターはほとんどが年輩のひとり客である。おじさんもおばさんもいる。たまーに若い女性客などが混じると軽い驚きがある。こういう気軽でしかも美味しい店が東京にはなかったな。だいいち住んでいた郊外などには一丁前の和食の店なんかない。そして都心においても、和食の料理屋と気軽な定食の店には歴然と区別がある。落差がある。料理する人間の種類があきらかにちがうからだ。ちゃんと修業した料理人と素人の落差がある。京都といえば名のある料亭ばかり話題になるが、じつはもっともちがうのが普通の店のレベルではないか。東京では金を出せばいくらでも旨いものが食えるが、ふだん使いの店ではあまり美味しいものは食べられない。そんなとこに腕のある職人はいないからだ。東京で安くてうまいものを食うには、むしろ飲み屋とか焼き鳥屋へ行ったほうがいいかもしれない。



6月6日(木)
 二条城のまわり一帯は江戸時代に官庁街だった。といっても京の官庁ではない。江戸幕府側の役所です。京都所司代はじめ、京都守護職、東町奉行所、西町奉行所などが二条城をとりかこんでいました。京の都や町衆を治めると同時に、じつは禁裏・公家を監視するのが大事な役割だった。諸藩の武士が御所周辺と接触するのを幕府はもっとも怖れていたのです。なかでも尊攘派の志士を目の敵にしていました。いま残っているのは二条城だけですが、手持ちの「幕末京都地図」を見ると役所の所在地が明らかにわかります。澤田ふじ子さんの「公事宿事件書留帳」という時代小説はこのへんが舞台です。公事(くじ)は訴訟のことです。公事宿は宿であり弁護士事務所でもあったので、奉行所周辺にかたまっていたのです。公事宿の親分だった二条陣屋(いまもある)が小説に出てきますが、六角牢屋敷(六角獄舎)もしばしば登場します。わが家からも近いので散歩の途上に跡地の石碑を見ました。「日本近代医学発祥の地」「勤王志士平野國臣外十数名終焉之地」という二つの石標が立っています。1754年に医学者・山脇東洋が、京都所司代の許しをえて六角獄舎で処刑された囚人の死体解剖を行ったのです。また1864年の「禁門の変」のとき「どんどん焼け」の火の手が六角獄舎に迫りました。その混乱に乗じて尊攘派の囚人が脱獄するのを恐れ、志士37人を獄内で斬首したという。火の手は堀川で止まって獄舎は焼失しなかったというから哀れです。この六角牢屋敷の北側に接して「武信稲荷神社」がいまもあります。境内に天然記念物の樹齢850年という榎(えのき)の大木があります。この大樹の下で坂本龍馬と恋人のお龍が逢っていたという伝説があります。このへんは幕府の縄張りのどまんなかです。新選組の近藤や土方もうろちょろしていたでしょう。なんとも大胆不敵な龍馬の逢引きではありませんか。



6月5日(水)
 「袖すりあうも他生の縁」ということわざがあります。道でたまたま袖すりあう人にも前世からの深い因縁がある、という仏教の教えです。これをながいあいだ「多少の縁」と思っていました。そりゃ多少の縁はあるわな、うん。なーんて納得していました。あるとき本で「他生の縁」の文字を見てギョッとした。辞書をひいてみた。真実を知って顔から火が出た。目からウロコが落ちた。「袖振り合うも多生の縁」とも言うようです。「多生」とは六道を輪廻して何度も生まれ変わるという意味です。六道(ろくどう・りくどう)は「地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道」の六つです。われわれ凡人が迷いつつ生死を繰り返す六つの世界だそうです。京都の六波羅(ろくはら)は古くから葬送地・鳥辺野(とりべの)への入口でした。そこに「六道の辻」や「六道珍皇寺」があり、毎年お盆の前に「六道詣り」が行われます。鐘をついてあの世の霊を呼び戻すのです。お盆が終わってあの世へ霊を送り返すのが「大文字五山送り火」です。余談はさておき、幼児は大人の口をおうむがえしにしてことばを覚えます。意味なんかわかっちゃいない。あたりかまわず繰り返すので、大人が笑ったり叱ったりする。ときには家庭の事情が近所につつぬけになったりする。そうやってことばを身につけてゆくのですが、その過程で正されなかった勘違いがのこります。そんな「可愛いまちがい」をいっぱい胸に抱いてひとは世の中へ出てゆくのです。みぞうゆう(未曾有)と言ったエライひとも、まだ小学生の尻尾を引きずってたかと思えば可愛いものです。もうひとつ失敗は、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」です。「世紀のうた 心のうた 東京ブギウギ」という歌詞を、ずーっと「正義のうた 心のうた」と得意げに歌っていました。鞍馬天狗にあこがれるちっちゃな正義漢だったのでしょうか。



6月4日(火)
 時代小説が好きでよく読みます。ほとんど江戸が舞台である。時代小説は江戸小説といってもよいくらいだ。池波正太郎氏は江戸小説を書くためにしばしば京都を訪れた。江戸の情景を描くのに京都が必要だった。それほど江戸は跡形もなく消え失せてしまったのです。さて、このたび京都を舞台とする時代小説を手に入れた。これはめずらしい。澤田ふじ子さんという女流作家の「公事宿事件書留帳」シリーズである。澤田さんは京都在住の作家です。「公事宿」(くじやど)という舞台がいい。ごぞんじですか? 公事宿というのは訴訟のため上洛した人々を泊める宿で、同時に現代の弁護士事務所も兼ねていた。裁判だから長いのは半年も一年もかかる。京都の東西町奉行所は二条城付近にあったので、公事宿も近くの大宮通あたりに集中していたらしい。さきごろ見学した「二条陣屋」は公事宿の総元締めだったという。冒頭からながい京ことばの会話が出てくる。さすがほんものの京ことばです。それだけでもう池波さんの江戸ものとは歴然と雰囲気がちがう。女流作家の時代物もけっこう読んでます。平岩弓枝、北原亞以子、宮部みゆき。平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」シリーズは全部読んだ。北原亞以子さんは下町の人情あふれる深川ものがいい。宮部みゆきさんは現代ミステリーより空想時代物が好きだ。女流の小説はやっぱり男流とはちがうなあ。男流がいきいきさっぱりなら、女流はしみじみしっとりです。男はどうしても見得、意気、度胸が先に立つ。歌舞伎の舞台みたいに見得や啖呵を切りたがる。読者もそれを期待している。女流ははるかに地道である。生活感がある。リアリズムである。ただし文章がながくて回りくどいこともある。それでどうなんだよ、とじれる。色模様(恋愛場面)にしても、激しくあからさまなのは男性作家のほうで、女性作家はややひかえめのようだ。



6月3日(月)
 「鴨南ばん」はうさんくさい。なんだかよくわからんヤツだ。得体が知れない。みなさん蕎麦屋へいっていきなり「鴨南ばん!」と注文しますか?しないでしょう。メニューの片隅にある(ない店もある)ことは承知しているが、まあだいたいは無視しますね。なんにするかと言いつつ、ヒラならきつね・たぬき、部課長なら天ぷらそばあたりに落ち着くのがふつうだ。鴨南ばんの「鴨」がまずひっかかる。鴨さんとは日頃おつきあいがうすい。へーこれが鴨さんでっか。真っ赤な肉と真っ白な脂身。血の色である。「南ばん」もあやしい。「南ばんとはなんばん?」なんちゃって。ぶつ切りのネギを南ばんというらしい。江戸時代に南蛮人がよくネギを食べていたので、ネギを南蛮と呼ぶようになった。鴨肉の素性もあやしい。真鴨ではなく合鴨らしい。合鴨は真鴨と家鴨(アヒル)の雑種です。合鴨農法とかいって可愛い子鴨をたくさん田んぼに放つ、あれです。かと思えば「うちは鶏肉です」という店もある。ことほどさようにあやしげな鴨南ばんであるが、じつは、これがうまいんですね。とくに冬場はいい。むかし目黒駅裏に古風な蕎麦屋があった。大きくはないが池波正太郎ごひいきの「神田まつや」のような古色を帯びていた。いつも二階座敷に上がった。ツユの旨さが格別であった。細かい油が散って山椒の香りもうれしい黒いツユが、こたえられないほどうまかった。この味がいつまで続くだろうかと危ぶむほどの極致だった。案の定、ある日とつぜん味が落ちた。親父がなくなったのか。職人が辞めたのか。同じ店とは思えぬほどの変わりようだった。ほかで鴨南ばんを食べたことがない。鴨南ばんは世にもまれな「出あいもの」ではあるまいか。一生一度の貴重な出会いだったような気がする。



6月2日(日)
 京都では六月に水無月を食べて厄払いをします。白い外郎の上に甘い煮小豆をのせて三角形に切った菓子が水無月です。四季折々の和菓子を珍重するのが京都です。京都の和菓子は王朝文化や寺社、そして茶の湯や町衆の暮らしの中で育まれてきました。和歌や古典などを題材にした巧みな意匠・色彩が華やかです。春は桜の名所・二条城に近い二條若狭屋の「しだれ桜」、御室桜で名高い仁和寺の近くにある笹屋昌園の「桜餅」。夏は祇園祭にちなんだ亀廣永の「したたり」、西陣・茶洛の「わらびもち」、なじみの甘味処・月ヶ瀬の「白玉ぜんざい」。そして祇園の老舗・鍵善良房の「くずきり」。高台寺都路里の「抹茶ソフト」は暑い日にかかせない。書き出せばきりがありません。大丸地下の老舗コーナーをめぐるだけでも四季折々の美しいお菓子が目を引きます。これからの季節は清閑院の葛羊羹を楽しみに買います。八百屋も料理屋もなにより大切にするのが季節感です。東京は季節感がない。めぐる四季とか過ぎた歴史には関心がうすい。つねに変化と新しいものを追いかけているのが東京です。料理だって季節感より、流行ってるかどうかです。「旬」の意味がちがう。「キテる」ことが旬なのである。東京で生きる(暮らすと言わぬ)ことは、新幹線に乗って走るようなもんだ。前を向いて高速でつきすすむ。流れ去る車窓の景色はひとしなみに過去に放りこむ。そんな忙しい東京人がふと立ちどまるときがある。なにか忘れているような気がする。そんなとき彼らは京都へ来るのだろう。本人は意識していないだろうが、忘れものは「変わらぬもの」「懐かしいもの」ではないだろうか。



6月1日(土)
 「薦かぶり」(こもかぶり)というものがある。薦で包んだ日本酒の四斗樽です。酒好きには垂涎の的です。祝いごとや祭りには薦かぶりを寄進するならわしがある。寺社や会所に威勢よく四斗樽を積み上げる。木槌で蓋をたたき割る「鏡開き」も行われる。薦かぶりにはもうひとつ意味がある。乞食である。お薦さんと呼ばれる。栄華と没落をともに意味するのが皮肉です。ある本を読んで目からウロコが落ちました。おこもさんの薦はほかならぬ酒樽をくるむ薦だったのだ。貴重な酒を護るため防水加工してあるので、そんじょそこらの薦とはちがうらしい。だから掘立小屋の外壁になった。防寒のため頭からすっぽりかぶるのにも重宝した。江戸時代の読み物の挿絵を見ると、おこもさんが「剣菱」の商標つきの薦を着ているのがおかしい。「男山」と書かれた薦で屋根をふいた小屋もある。そうか、現代のブルーシートにあたるのが薦だったんだ。このような写実的な絵が多いのは、江戸時代の絵双紙とか合巻という読み物である。こんな絵本のたぐいを貸本屋が女子供にとどけて歩いたらしい。当時の暮らしの諸相がまざまざと描かれているのでおもしろい。ただしきわめて細密な絵なので強度の虫眼鏡を通して見るはめになる。ふしぎなことに気づく。あるいは誇張してるのかもしれないが、江戸の男も女も、じつに自堕落な、だらしない姿勢をしているのだ。通りでも店でも家でも同じである。きちんと座ったり立ったりしている絵柄が皆無である。歩くのもへっぴり腰。しゃがんだり、寝転がったり、足を投げ出したり、しなだれかかったり、みんな好き勝手な格好をしている。そして能天気な表情をしている。太平二百年、江戸の規律はゆるんでいたんだなあ。風紀は乱れていたんだなあ。



5月31日(金)
 ひとがものを食うありさまは興味深い。これが国によってあるいは民族によってちがう。アメリカでは可憐な金髪の美少女まで、巨大なハンバーガーをペロリと平らげる。イタリ人ならパスタですね。それもトマトソースの赤いやつ。こんなイメージはじっさいに旅行してたしかめたものもあれば、なんとなく先入観でそう思ってるやつもある。フランス人ならフォワグラかじってワインを飲んでいる。はて、イギリス人はなんだろう。どうも思い浮かばない。せいぜいトースト、それも薄いカリカリのやつ、をかじりつつ紅茶でも飲んでるかな。あ、そうか、ローストビーフがあった。ドイツ人といえばゲルマン民族の大移動だ。焚き火をかこんで骨付き肉にかぶりついてる感じ。これは経験した。ライン下りの船に乗った。両岸の絶壁に中世の古城が見えた。ローレライ伝説の難所も見た。上陸して昼めしになった。カントリー・レストラン風の食堂。出てきた皿に度肝を抜かれた。巨大な肉塊がどーんと皿に乗っている。肉片ではない。肉塊である。直径20センチ超の豚肉ボールである。半分のまた半分くらいしか食べられませんでした。これがもし、おいしかったらあと半分は食えたんだけどね。中国人といえば卓にあふれるばかりの皿を取って、片っ端から食い散らかすイメージです。これも経験しました。骨でも皮でもペッペと床に吐きちらすんだね。日本人とは対極の人類だと思いました。日本人だったらやっぱり寿司をつまむ姿でしょうね。日本食のなかでも寿司はとくに清潔・清涼を食べるものです。白木のカウンター、職人の真っ白な衣装、てきぱきした言葉。店中に清涼感がなければならない。食は民をあらわすものですね。



5月30日(木)
 衣替えの季節ですね。衣替えは6月と10月が一般的ですが、5月から30度なんて気狂い陽気では勘が狂ってしまう。翌日の気温を毎晩チェックして、半袖から上着までとっかえひっかえしなければならない。まあ衣類は夏物も冬物もクローゼットのハンガーにかけてあるのでさほど手間はかからない。下着やパジャマだけはタンスをひっくりかえさなきゃならん。むかしは妻がちゃんと気を配ってくれたのでほとんど意識していなかった。男はこういうのが苦手なんですよね。この手の家事を妻がてきぱきさばいてくれるととってもうれしい。おもわず甘えたくなる。いまは自分で衣類を仕分けして洗濯したり、クリーニングに出したりする。出したものは時期をみて取ってこなくちゃならないし、気を使うのがうっとうしい。それでも自分の身に着けるものは若いときから扱ってきたので苦にはならない。いちばんいやなのがベッドまわりの寝具です。シーツとかカバーとか枕とかいろいろあるんだよね。その取り付け取り外しと後始末にけっこう手間がかかる。むかしは妻まかせだった。ついめんどうなので冬のシーツのまま来たが、さすがにバカ陽気で暑くてたまらん。一念発起して夏物にとりかえました。ああ、さっぱりした。京都では町家も衣替えします。6月に「夏のしつらえ」に一新します。ふすまをはずして簾(すだれ)や御簾障子に取り替え、畳の上に網代(あじろ)を敷きます。すだれや御簾は風通しもよくて目にも涼やかです。また網代は足の裏にひんやりと涼しいものです。さらに屏風や床の間の軸も夏仕様に入れ替えます。夏のしつらえを見学したことがあります。「夏をむねとして」建てられた京町家が、一年でもっとも美しく見えるのが夏のしつらえなのです。



5月29日(水)
 小説もドラマも大好きなのが「鬼平犯科帳」。その主題曲「インスピレイション」をYouTubeで見つけて以来、YouTube世界にはまってしまった。すばらしい映像や音楽を自由に楽しめるのだから、こんなありがたいものはない。桜や紅葉や新緑など京都の四季を特撮した映像も発見した。ネットで文字を見るのに疲れたときなど、新緑の祇王寺をめぐる映像と音楽にいやされる。こんなのもある。鬼平犯科帳「江戸庶民の味」がいい。池波正太郎さんの小説には思わず唾を飲み込むようなおいしそうな食い物がしばしば出てくる。「小鍋立て」なんてのはすっかり気に入って実行してみたほどだ。さて、YouTubeで見る江戸庶民の味。新香めし、酒めし、鮎めしなど、いわゆる「めしもの」がだんぜん多い。飯に具を混ぜたり乗せたりして食う料理ですね。当時はなんといっても米のごはんが主役だったんだなあ。あたりまえか。江戸時代の経済は米で成り立っていたのだ。コメしかない。武士は百石取り、大名は百万石というようにコメの分量で人格がきまっていたのだ。料理にもどる。新香めしは大根、胡瓜、青菜などのお新香が大量に盤台に乗っている。これを熱々のごはんに乗せて食うだけだ。お新香という言い方も江戸のもので上方では漬物という。鮎めしはうまそうだ。こんがり焼いた鮎を数尾、丸ごと熱々ごはんのおひつにぶち込む。頭と尻尾と骨をたくみにするりと抜いてからしゃもじでワッセワッセとかきまわす。湯気と香ばしい匂いがただよってくるようだ。それから天ぷらそばもおいしそうだ。江戸の中頃にはじまったらしい。貝柱のかき揚げをのせるのはかなりぜいたくで、貧乏人の食えるものではなかったようだ。



5月27日(月)
 友人からメール回覧板がまわってきました。現代の友情はこんなカタチでつながっているのです。活字世代だからまともな(?)文章のパソコン・メールである。スマホの顔文字はあかん。たまに顔を合わせて酒をくみかわす。これがいい。さて「脳梗塞に気をつけろ」という警告がまわってきた。われらもそういう年なんですね。ノーコーソク、いやですねえ、こわいですねえ、なりたくないですねえ。おもわず淀川長治さんの口調になってしまう。回復しても半身マヒなどの後遺症が残ったりするからこわい。身近にそんな方を見かけることもありますね。しかし夢のような特効薬があるそうな。「t-PA」というクスリらしい。ただし「4時間半」以内でないと効かないそうだ。270分一本勝負である。リターン・マッチはないのだ。だから早期発見がカンジンだ。この話のネタ元はNHKの「ためしてガッテン」です。じつはぼくも最後のとこだけちょこっと見ました。三つの症状のどれかが出たらただちに救急車を呼べという。「顔のマヒ」「腕のマヒ」「ろれつが回らない」の三つだ。顔・腕・舌とおぼえよう。でも本人は認めたがらない。ぐずぐずして手遅れになる。だからそばにいる家族が気をつけて、ただちに行動しなければいけない。おれなんか一人暮らしだから、本人と家族の両方やらなきゃならん。のべつ「ろれつの回らん」方々は気をつけなはれ。この早期発見運動をイギリスのテレビが大々的にやって、すごい効果をあげたそうだ。世界最先端の高齢化ニッポン、ほんとはまっさきにやらなきゃね。



5月26日(日)
 日本維新の会もえらいケチがついちゃった。橋下さんの失言もさることながら、石原慎太郎と手を結んだあたりからおかしくなった。そもそも大阪維新からはじまった橋下ブームだろ。大阪あっての橋下なんだよ。大阪人だからこそ橋下を応援したんだ。大阪で日の出の勢いだから東京に行っても通用すると思ったらまちがいだ。吉本芸人が東京でなかなか人気が出ないのとおんなじだ。関西から見れば、慎太郎がなんであれほど長く都知事に居座ってたのか理解に苦しむけど、それが東京なんですね。東京人なんですね。とにかく有名で偉そうにふるまう男が好きなんでしょう。東京マラソンはじめたり、つぎはオリンピックと派手にぶち上げたりするのが東京人に受けるのでしょう。石原の大阪府知事がありえないように、橋下の東京都知事もだんじてありえない。市民の性格と都市の性格がこれほど極端にちがうのもめずらしい。大阪人が東京人を「ええかっこしい」と言えば、東京人は大阪人を「えげつない」と言う。そもそも合わない同士なんですね。それが無理やり手を組んだのがまちがいだった。橋下さんも後悔してるでしょうが、慎太郎も「オリンピックで花道を飾ればよかった」と思わずもらしたらしい。それにしても民主の栄光と没落、自民の劇的な復活を見てると、政治もまさに「はやりもの」ですね。明日はどうなるかわからない。



5月25日(土)
 この春だったか大勢の友人を京都の「御金神社」(みかねじんじゃ)に案内したことがあります。宝くじ大好き人間がぜひ行ってみたいと言うので。その名のとおり金運上昇の神様です。金ピカの鳥居がかなりの迫力ものです。アベノミクスのおかげで人々が金儲けや投資に興味を持ちだした昨今はいっそう盛況でしょう。もし宝くじが当ったら当方にもお裾分けがあるかも。数多の名所旧跡が集中する京都ですが、意外とユニークな寺社が多いのです。金運アップの神様はほかにもいろいろあります。その名もずばり金札宮(きんさつぐう)は伏見で最も古い神社といわれています。平安遷都にあたり社殿を造営するとき天から金の御札が降ってきたそうです。競馬で儲けたいなら藤森神社です。競馬関係者やファンが多数お参りに訪れます。そして忘れてならないのが伏見稲荷大社。全国4万社にのぼる稲荷神社の総本宮で、商売繁盛の神様です。京都ミステリーによく出てくる延々と続く真っ赤な鳥居が印象的です。正月ともなれば駅から鳥居までたどり着けないほどの人であふれます。京都の商売人は何をおいてもお参りしないと落ち着かないそうです。京都と金運の神様は一見ミスマッチのようですが、考えてみれば不思議はありません。日本で一番ながく商売にたずさわって、時代に翻弄されてきたのは京都の商人ですから。神頼みもしたくなるでしょう。アベさん今度こそたのんまっせ。



5月21日(火)
 テレビのコマーシャルってずいぶん見てるはずだが、意外と商品名や会社名をおぼえていない。ずいぶん金かけて、おそらく番組の中身よりも金かけて作ってるだろうに、気の毒なことだ。むかしのCMは商品名を連呼したものだが、いまそれはしない。むしろ注意をほかへそらすような作りになっている。連続ドラマ風の場面に有名タレントがつぎつぎ登場して短いセリフをポンポンやりとりする。話すというより単語を投げつける。なんのCMかおぼえていない。スポンサーもかわりましたね。スマホとサプリと保険ばっかしだ。クルマや電化みたいにキラキラ見ばえのする商品ではない。印象的なミュージックもなくなった。以前ホンダのCMで流れていたボレロみたいな魅惑的な音楽も聴かない。地方発のCMというのがありますね。東京から京都にきておどろいた。CMに大阪弁が氾濫している。吉本オンパレードである。それでも言葉はわかるけどギャグがわからない。なにがおもしろいのかわからない。年とったせいではあるまい。笑いの感覚がまるでちがうのだ。「豚まんがあるときー、ないときー」なんて言われてもピンとこない。ワッハッハと笑うけど、なにがおもしろいの? それにほんまもんのローカルCM。故郷に帰ったりすると地方局で流している。うごかないCMね。静止画にかぶせてナントカ建設とかカントカ饅頭なんて連呼する。あれ、なんか懐かしいね。白黒からカラーテレビにかわったころのコマーシャルを思い出します。ゆっくりしゃべるのもなぜかホッとする。



5月20日(月)
 暑くなると冷たい讃岐うどんを食いたくなる。行きました。例によって「冷たいかま玉うどん並」と注文した。いつもは野菜かき揚げとちくわ天が定番だが、大きなれんこん天が目についた。よし、きょうはちくわをやめてれんこんにしよう。れんこんうまかったです。ガシッと堅い歯ごたえに昔ながらの力強さを感じました。太いうどんをツルツル吸い込みながらふと考えました。天ぷらにも二通りあるな。上品な天ぷらと下品な天ぷら。どっちもうまい。上品のほうは粋な暖簾に白木も清潔な名店で供される。車海老や穴子やキスの天ぷらです。めごちもおいしい。キス釣りでは外道とバカにされるけどキスよりうまいんじゃないか。かき揚げなら小海老か貝柱ですね。これらの天ぷらは新鮮なネタのうまさを味わう。上品で美味しいけどお高い。いっぽう讃岐うどんのお友達は下品の代表である。これは油を食べるのだ。ネタは二の次ではないか。野菜かき揚げは下品にうまい。いろんな野菜がごた混ぜで何と何かなんてあまり意識していない。玉ねぎの味だけがちょいと目立つていど。ごた混ぜ野菜に油がからまり、うどんつゆや出汁醤油と一緒くたになってベタにうまい。冷えた野菜かき揚げに醤油をぶっかけるとじつに下品にうまい。ときどきデパ地下やスーパーでかき揚げを買ってきて醤油で食う。ただし醤油にはこだわる。古くて黒くなったような醤油ではだめだ。赤く透き通ったすこし高い醤油の小瓶を買う。ソースというものが嫌いで、とんかつでもたこ焼きでも醤油でいきたい人ですから。



5月19日(日)
 すきな時代小説を読んでいるとしばしば「下り酒」という言葉が出てきます。江戸時代、伊丹・池田・灘など上方の酒どころで醸造された酒がさかんに江戸へ送られました。往時はあくまで京都がみやこだったので、西から東へ行くことを「下る」と言ったのです。江戸で消費される酒のほとんどが下り酒であった。上方から千石船に大樽を満載して江戸に運んだものだ。下り酒はうまいが地酒はまずい。だからつまらないものを「くだらない」と言うようになったのです。江戸庶民も現代人におとらず飲兵衛だったらしい。酒量は現代人より少なかったらしいが当時はぜんぶ日本酒だ。いまは大半がビールだからアルコール量なら江戸のほうがだんぜん多い。おまけに自家醸造のどぶろくも自由に出回っていたから酒量はさらに多かった。毎年冬になると新酒を江戸へ送る順番を競う海上レースがおこなわれた。これを「新酒番船」と呼んだ。西宮あたりに千石船が集結していっせいにスタートした。盛大な囃子太鼓で送り出すお祭り騒ぎだった。ふつう二週間かかるところを五日以内に着いたそうな。江戸へトップで着いた「一番酒」は、初物好きな江戸っ子に高値で売れたという。上方から江戸へむかう千石船は、かならず富士山を見てすぎるので「富士見酒」と呼ばれて珍重された。そのためわざわざ富士山のあたりまで酒を運んでから引き返し、京阪地方でも富士見酒と称して売ったという。いつの世も商売気のあるやつは絶えないもんですね。



5月18日(土)
 このあいだテレビの街頭インタビューでおもしろい場面を見た。道頓堀あたりで大阪の女の子に「あなた神戸の子みたい」と言うと、めちゃよろこぶんですね。何人もの娘に訊いて同様の反応を示したから、そう思っていいでしょう。神戸みたいと言うと、大阪娘は上品で洗練されたイメージを抱くらしい。その裏には、大阪はどうせがさつでえげつないと思うとるやろ。そんな懸念があるのか。だからよけい嬉しいのかもしれない。東京には横浜、大阪には神戸、どちらも近くに港町があります。だけど両者の関係がかなりビミョーなのだ。横浜にもしゃれた港町イメージはあります。その感じはひとむかし前のほうが強かった。英国王族やチャップリンも泊まったホテル、ニューグランドがある。山下公園や港の見える丘公園がある。洒落たナイトクラブが遅くまでやっていて、石原裕次郎が大挙して銀座から流れて夜遊びしたという。元町の老舗にも風格があった。いまではニュータウンなど住宅地という性格が強くなった。東京人は横浜に対してそれなりのリスペクトがある。埼玉や千葉とはちがうと見ている。だけど憧れることはない。神戸はややちがう。神戸・芦屋方面はお金持ちの住むところというイメージがある。大阪で成功すると芦屋・神戸に屋敷をかまえる。大阪の娘っ子は神戸にあこがれるが、神戸は大阪にあこがれない。むしろたがいに尊重し合っているのは京都と神戸じゃないか。京都人は神戸の海と港と洋服の着こなしが好きらしい。神戸人は古都の風情と着物にひかれるみたい。関西の三都はなんともビミョーな関係らしい。



5月16日(木)
 ハーフのタレントがふえましたね。歌手、俳優、モデル、キャスターなど各界に活躍しています。黒木メイサ 、沢尻エリカ 、ウエンツ瑛士、木村カエラ、滝川クリステルなどなど「カタカナ名前」があふれています。1000人から1人とかの確率でハーフ美人を選び抜いたのだろうと思っていました。認識不足でした。サッカーの若い世代にもカタカナ名前が多い。ハーフナー・マイク、カレン・ロバートなどはすでにヨーロッパで活躍している。10代の日本代表にも、白岡ティモシィ、オビ・パウエル・オビンナ、町田ジェフリー、吉田ディアンジェロ、なんて選手たちがいる。まだ無名の少年サッカーでも、大会プログラムを見ると必ずカタカナ名前に出会うという。2006年の厚生労働省の調査では、日本国内で生まれた子供のうち、片親もしくは両親が外国籍の子供が約30人に1人いるという。いまでは約15組に1組が国際結婚である。これからハーフの子供はもっともっとふえてゆくはずだ。親類にカタカナ名前がいてもなんら不思議ではない時代だ。「へえ、そこまできていたのか」。日本もそこまで国際化していたのか。目からウロコの思いでした。大昔からアジアで混血してきた日本人ですが、そこに欧米、東南アジア、インド、中東、アフリカなども加わったのだ。多くのカタカナ名前の子供たちがさまざまな分野で日本代表をめざして精進しているのだ。そのなかで最も輝いているスターが、大リーグ野球の「ダルビッシュ有」投手ですね。



5月15日(水)
 みなさん夜寝るときどんな姿勢をしてるのだろう。寝苦しい夜なんかなかなかこれという姿勢がきまりませんね。右や左へ転々と寝返りをうつことになる。あおむけにきちんと足を伸ばして、というのが正しい寝相だとなんとなく思ってるけど、ほんとにそうでしょうか。ちかごろ意外な発見をしました。朝早く起きすぎてもうちょっと寝たいと思い、だらしなくうつぶせに寝てみたんです。そしたらこれが気持いいんですね。うつらうつらにバッチリ。腹がふんわり圧迫される感じが快い。足の甲がぴったりベッドに触れて気持いい。自然に深い腹式呼吸ができて胃腸もなんとなく目覚めてくる感じです。これはいいんでないかい?と思いました。うつぶせ寝は赤ちゃんにはよくないと言われますが、赤ちゃんだったのは一世紀むかしである。考えたらあおむけに寝る哺乳動物は人間だけですよね。犬も猫も牛もみんな腹ばいで寝る。たまーにあおむけに寝る猫なんかいると珍百景に登録されるくらいだ。これはやっぱり背骨と内臓の位置関係かしら。ネットをのぞいてみました。意見はさまざまある。うつぶせ寝健康法があるかと思えば、身体に悪いと言うひともいる。なかで聖路加国際病院の日野原センセイ、あの元気爺さん、あの方はうつぶせ寝をすすめている。みずから10年前から実行してるそうだ。寝つきが良くなった、肩こりや腰痛がなくなったとおっしゃる。センセイによると脊椎動物にはうつぶせ寝が一番自然な姿勢だそうです。安心した。これからも朝のうたた寝はうつぶせでいってみよう。



5月14日(火)
 トンテキというものをはじめて食った。三重県四日市の名物料理だという。ビーフステーキならぬ豚ステーキだが、たんなるポークステーキではないぞ、という自負がネーミングに表れている。厚切りの豚ロース肉をにんにくと一緒に濃い目のたれでソテーして、たっぷりの千切りキャベツをそえた料理である。四日市では戦後間もないころから供されていたという。 中華料理店から広がって現在では洋食屋、ラーメン屋、居酒屋など、四日市市内や周辺のいたるところで見かけるそうな。分厚い豚肉を食べやすくするため、手の平の形に切れ込みを入れてあるのでグローブ焼ともいうらしい。たしかに切れ込みありました。ナイフとフォークがついてくる。でも切ったあとは箸のほうが食べやすい。分厚い豚肉は意外とガッシリした歯ごたえです。しかし噛み切れないことはない。濃ーいタレにくわえて辛子をつけるとなんとも濃厚な味わいです。四日市といえばあきらかにナゴヤー圏だにゃー。かの有名な味噌味・濃ーい味文化圏に属する。味噌カツ、味噌おでんでゃーすき人間が集結する地帯である。味噌ではなくソースだけど一脈通じる好みを感じます。ふと入った店がその名も京都トンテキ。四日市トンテキ推進連盟京都支部であった。どちらかといえば若いもんの好みだろうが、たまにはガッツリもいいんでにゃーか、と思いました。



5月13日(月)
 日本人はチャイコフスキーがお好きなようだ。モーツアルト、ベートーベンのつぎくらいに人気があるのではないか。ドラマティックでありながら哀愁のただよう旋律が、日本人の心にしみるようだ。いまはそれほどでもないが、ぼくらの若いころはトルストイ、ドストエフスキー、ツルゲーネフなどのロシア作家もよく読まれた。人生の苦悩、神は存在するか、なんて深刻なやつだ。ぼくも読みました。その名残りに立派なドストエフスキー全集が書棚に鎮座している。いまなら高く売れるかしら。文学に出てくるロシアのインテリは、どれほどヨーロッパに憧れていたことか。先進文明への後進地のあこがれ。せつなくなるほどだ。ヨーロッパにすりよっては、はねかえされる。それがロシアだ。いまだに変わらない。なぜか芸術では縁があるけど、ロシアの好感度はけっして高くない。プーチンも油断ならぬ顔つきだ。北方領土もある。終戦のどさくさにまぎれて日露戦争のあだうちしよった。ずるい。ソビエト連邦が解体して昔日の栄光はないのに片意地はっている。ロシアに経済力はない。石油・天然ガスの輸出に頼り切っている。ヨーロッパへパイプラインで輸出していたが、ちかごろ価格も下がってあまり買ってくれなくなった。そこでアジアに目を向けた。日本への面当てに習近平がプーチンと仲良しごっこして石油を買うという。日本にも売りたいはずだ。安倍首相がロシアと中東を相次いで訪問して石油を天秤にかけたのは賢いやりかただ。ロシアはいつも西と東のあいだをうろうろしている。



5月12日(日)
 東京では「かしわ」といっても通じない。鶏肉である。名古屋コーチンで知られた名古屋あたりから西では、鶏肉をかしわと呼ぶ。京都にも「かしわ」の看板を掲げた専門店があちこちにある。牛も豚も売らない。鶏肉ひとすじだ。鳥清とか鳥安とか焼鳥屋を思わせる屋号である。卵専門店もけっこうある。錦市場にも三木鶏卵、田中鶏卵、中央鶏卵などの専門店がある。その場でお得意のだし巻き玉子を焼いて売っている。観光ギャルが立ち食いしている。京都へ来たとき、これはおどろきだった。東京には鶏専門店も卵専門店もみかけない。鶏肉は牛や豚といっしょに肉屋で売ってるもんだ。卵はスーパーにきまってる。だんだん京都事情がわかってくると認識をあらたにした。京都では鶏肉のステイタスが高いのだ。名代の鶏料理店が鶏鍋や鶏会席を出す。丼物の王様はだんぜん親子丼である。カツ丼は影がうすい。こんな話を聞いた。むかし京都へ修学旅行したとき、夕食に鶏肉のすき焼きが出た。「子供だからケチったな」と思ったそうだ。これは誤解です。戦前の京都ではかしわが牛肉より上等とされたそうな。商家の主人がかしわのすき焼きなら、奉公人は牛のすき焼きだったという。ほんまかいなと思うけど、それほど鶏が珍重されてきたのだ。いまでも鶏肉と卵にかける情熱ははんぱじゃない。京都へ行ったら親子丼である。



5月11日(土)
 「埼玉都民」なんて言い方がある。首都圏以外の方はごぞんじないでしょうが、これにはふかーいワケがあります。埼玉県に住んでいながら東京へ通勤・通学する人々を、いつしか埼玉都民と呼ぶようになった。およそ100万人もいる。ちょっとした都市の人口に匹敵する。埼玉県ではかつて新宿駅前に「埼玉領事館」という出先機関を置いて、パスポートや住民票のサービスをしたというから驚きです。埼玉都民はまいにち荒川を渡って東京へ出稼ぎにゆくわけです。まんいち直下型地震でもあれば、大量の帰宅難民が発生します。東京では住宅の価格や家賃がめちゃ高い。なかんずく一戸建住宅ともなれば東京ではまず無理。やむをえず埼玉に住むことになる。ダサイタマなんて言われてもじっとガマンの子です。さてここに問題があります。彼等は一日のほとんどを東京ですごしているから意識は東京都民です。埼玉に郷土意識はない。住んでる地域に関心がない。政治的には無党派層が多い。埼玉地盤の候補者にしてみればつかみどころのない有権者なんです。そんな埼玉都民が定年になって自宅に引っ込むと困った事態になる。意識は東京に残したままです。埼玉と東京のあいだで分裂症になる。日本中で東京だけは別格です。食べる、飲む、買う、遊ぶ、学ぶ、すべての優れたものは都心に一極集中している。住んでる町と都心の格差・落差はものすごく大きい。この感覚はちょっと地方の人にはわかりにくいかもしれない。そこで退職したのにいつまでも会社に顔をだす種族が出てくる。なかには会社近くの喫茶店で暇をつぶす埼玉都民もあるという。



5月9日(木)
 水無月といえば旧暦六月のことだが、京都にきて八年にもなるとお菓子を思い浮かべるようになった。白い外郎(ういろう)の上に甘い煮小豆をのせて三角形に切った菓子を水無月と呼びます。白い外郎と三角形は暑気を払う氷のつもりで、小豆は悪魔払いになるそうだ。六月に入ると和菓子屋さんの店頭に「水無月あります」の貼り紙が出る。ちょうど「冷し中華はじめました」とか「おでんやってます」のビラみたいなもんだ。あっちでも水無月、こっちでも水無月です。ただし老舗の一流店になると六月三十日にしか売らない。季節ごとの和菓子を珍重する京都だけど、一年で一日だけというのはめずらしい。一年の折り返しにあたるこの日に「夏越祓」(なごしのはらえ)が行われます。半年の罪や穢れを祓い、あと半年の無病息災を祈る習わしです。あちこちの神社の境内に茅(かや)で編んだ大きな「茅の輪」(ちのわ)が立てられ、これをくぐってすこやかな暮らしを願う。また紙の人形(ひとがた)に姓名・年齢を書いて神社に納め、川に流すと厄払いになる。地元の知りあいが話してくれた。「子供のころから親しんでいるので、水無月はどこにでもあるお菓子だと思ってました。京都特有の習慣だったんですね」。京都の暑い夏をしのぐのはほんと大変です。そこで夏越祓や水無月、納涼床や祇園祭などの暑気払いや厄払いが生まれたのでしょう。



5月8日(水)
 YouTubeごぞんじですね。これに乗ってビックリ動画やナンダコレ映像が世界中を飛び回っている。そしてYouTubeニュースがおもしろい。さまざまなミニコミ・会社・団体などから多チャンネルで配信されている。マスコミも利用している。たとえば日経新聞サイトに「映像」ボタンがあって、クリックすると映像プレヤーが起動する。国内・海外ニュースや新製品情報などがあるけど、もっとも日経らしいのが「市況」速報である。女性アナが本日の株式市場の動きを速報してくれる。表・グラフ・CG・動画にナレーションをからめたニュースは、パソコン・タブレットの独壇場になる。「米豪華客船東京港入港」のニュースは一つの街のように巨大な船内を見せて迫力ものだ。全画面表示モードにすれば、パソコンだかテレビだかわからない。そしてもうひとつ。ミニコミとか団体の情報は、新聞・テレビでやらない分野、できない分野である。きれいごとですまない内容である。独断・私情・主義主張も多分にふくむ情報である。これがおもしろい。いろんなやつが出てきていろんなこと言うから興味津々である。安倍首相に肩入れする一派もいれば反対する連中もいる。TTP賛成もいれば反対もいる。いろいろな見方があることがよーくわかる。外国の報道をそのまま転載するようなバカな新聞よりよっぽどためになる。YouTubeニュースを見てると痛感します。日本の新聞はまさに風前の灯火だなあ。なくてもぜんぜん困らない。



5月7日(火)
 またまた日本人が大金をだまし取られた。MRIとかいうアメリカの資産運用会社です。1300億円というからはんぱな額ではない。こういう詐欺話を聞くたびに思います。なんとだまされやすい人たちだろう。信じやすいひとびとだろう。純粋素朴だから信じるのか。そうも言えまい。儲かると思うから乗るのでしょう。欲があるからだまされるのでしょう。それにしてもうますぎる話を信じてしまうのがなんとも解せない。日本人は諸外国から見ればうらやましいほどの莫大な金融資産を持っている。それで信じやすいとくれば格好のカモにされます。そろそろ学校でも「投資」を教えたほうがいい。サギ話に乗るわりに日本人はまともな株式投資をしない。現預金の10%くらいしか投資していません。外国では25%から40%くらい。しかも投資に未経験なためか他人の動くとおりに動くようだ。アベノミクスで株式市場が活況になるとわれもわれもと殺到する。証券会社の投資セミナーには老人・主婦がおしかけてる。それでもうかるほど投資はあまくない。「買物かご下げた主婦がおしかけたら相場は天井だ」という格言があるくらいです。年とってからでは遅いんです。若いうちに経験して一度はバブルで痛い目にあったほうがええ。そうすればうまいサギ話なんかには絶対乗らんやろう。



5月6日(月)
 きのうはめずらしく長時間テレビを見ました。なつかしい光景を目にしたからだ。京都に来るまで二十年も暮らしていた東京都府中市の年に一度の大祭を実況していた。地上波12チャネルのJCOMがやっていた。しかも三時間ぶっとおし放映だ。府中市の中心部に、古代から千年以上の歴史がある大きな神社がある。大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)という。東京西部の総元締みたいな由緒と格式のある神社だ。ここの例大祭が「くらやみ祭り」です。5日間にわたり、5月5日がクライマックスです。8基の御輿が盛大に練り歩く御輿渡御が行われる。直径2メートルを超える6基の大太鼓がくりだして威勢良く打ち鳴らされる。大國魂神社の参道は樹齢八百年のケヤキ並木で、府中の目抜き通りです。交叉するのが旧甲州街道です。このあたりは人波で埋まり身動きできないほどだ。むかしは深夜に街の灯りをすべて落として祭りをやったので「くらやみ祭り」の名がうまれた。神聖な御霊を神輿に移して御旅所に渡御するのは、人目に触れない暗闇でなければならないという伝統があった。いまは日が落ちると無数の提灯が神輿・大太鼓・白装束などを照らし出して美しい。かつて住んでいたマンションは神社の隣なので実況に映し出された。むかしなじんだ地元商店のコマーシャルなども出てきてなつかしかった。江戸時代には多くの江戸人が見物に出かけたという。好きな池波正太郎の小説にも登場している。



5月5日(日)
 いまテレビで3D放映をやっている。飛騨白川郷の合掌造り住宅を特集している。メガネをかけないと立体映像に見えない。つまらん。肉眼だと変形画面が左右に二つ並ぶだけ。これじゃ見にくくてかなわん。こんなものをわざわざBS放送でやる必要があるのかね。メガネかけてまで立体を見たいやつだけが、ソフトを買えばいいじゃないか。むかしを思い出す。白黒からカラーテレビにかわるとき、画面右下に「カラー」と表示された。小馬鹿にされた感じでしゃくだった。「メガネかけないとカラーに見えません、あしからず」なんて言われたら腹立つぜ。はなはだおもしろくない。だから3Dテレビ見ないでこうやって文句を書いている。メガネやレンズをのぞくと立体写真が見えるという子供騙しは、むかーしから祭りの見世物なんかでやってたもんだ。しかし実用になったものはひとつもない。聞けば衛星放送のスカチャン3Dが閉局したそうだ。放送を止めれば3Dテレビは売れない。売れないから放送しない。悪循環ですね。3Dにこりもせず今度は4Kテレビだって。そのつぎは5DKかね? 技術屋さんの暴走じゃないの。電機メーカーは消費者の気持ちを考えず高機能を押しつけるから、大赤字を出して軒並み左前になった。業界の都合で無理やりデジタルテレビを買わされたばかりだよ。



5月4日(土)
 スポーツを見て思う。日本人に向いてるものとそうでないものがある。マラソンは向いてるが100mは向いてない。野球やサッカーにも言える。長嶋・王のほかに打者のスーパースターはいない。松井くんは地味すぎました。いっぽうピッチャーはいいのがつぎつぎ出てくる。いまもっとも輝いてるのはメジャーに行ったダルビッシュ投手ですね。彼はすごい。アメリカの野球通もびっくりしてる。日本人は投手にむいてるみたい。繊細な神経と職人技とコントロール。ワールド・ベースボールでも勝つのは投手で勝つのだ。打者はどっちかというとおおざっぱなやつが向いてる。慎重すぎては打てない。日本でもでかい外人のほうが優勢だ。「いわゆるひとつの、失敗は成功のマザーですから」とか「決してネバーギブアップしません」なんて甲高い声でいう長嶋さん。ああいう動物的なカン男が打者にむいてる。サッカーもそうだ。ストライカー、いわゆる点取り屋は外人が多い。考えるより身体が勝手に動いちゃうタイプが強い。野生の本能みたいなもんだ。いっぽうゴールのお膳立てをする選手は頭がよくないとだめだ。機敏に動いてチャンスをつくる。これが日本人のお得意である。香川、清武、遠藤などがこのタイプだ。そんなことを思っていたら、すごい18歳があらわれた。日本ハムの大谷翔平選手である。打つのも投げるのも超一流らしい。どっちでいくかわからん。できれば待望の打者として大スターになってもらいたい。



5月3日(金)
 安倍首相がロシアや中東を歴訪している。ひさしぶりに外へ出してはずかしくない元首、という気がしてよろこばしい。財界のお歴々が多数同行しているが若い人がいないね。エネルギー・資源・インフラ・原発などの商談をまとめるためだろう。それはけっこうだけどそれだけでは何かもの足りないと思う。いまひとつ魅力に欠ける。彩りがない。文化の視点がない。日本の古い文化から最先端のカルチャーまで、諸外国のとくに若い人は強い興味をもっている。茶道、華道、版画、浮世絵から、マンガ・アニメ、ゲーム、アイドル、ファッション、ミュージックまで。さらに飲食をめぐるサービス産業は日本独自のおもてなし文化です。それらを魅力的に紹介して見てもらいたい。そして日本を好きになってもらいたい。それが当然ビジネスにもつながる。こんなプランはいかがだろうか。政府が大きな客船を一隻チャーターして民間に貸すのだ。船内に常設展示会をつくる。文字通り満艦飾にした日本文化のデパートを世界中に航海させるのだ。東南アジア、インド、中東、アフリカなどの、港々に停泊して一か月でも二か月でも現地の人々に見てもらう。同時に商談もする。これなら出展する日本側にも、見てもらう外国側にも便利ではないか。この計画はぜひともサブカルチャーの強力サポーター、麻生外相に音頭をとってもらいたい。



5月1日(水)
 テレビ・ドラマで見るのは時代物くらいです。江戸のドラマはいい。ゆったりした時が流れ、男は男らしく、女は女らしい。たがいにうやまう言葉づかいがすてきだ。男女の着物姿も新鮮で美しい。この雰囲気にひたると、あわただしくさわがしいばかりの現代ドラマは見る気がしない。なかでも好きなのが「鬼平犯科帳」です。いろんな役者が主役の鬼平を演じているが、やはり中村吉右衛門がベストです。池波正太郎の原作イメージに一番はまってると思う。毎週月曜にBSフジとKBS京都で連続して放映してるから楽しみだ。このエンディング曲がまたいいんです。「インスピレイション」というギター曲だ。ジプシー・キングスというフランスのバンドが演奏している。リズムのきいたフラメンコ調に哀愁がからんで心をゆさぶる。一幕見終わった余韻を煽るような妖しげなギターの調べです。もうひとつひいきのドラマがある。NHK木曜時代劇「居眠り磐音・江戸双紙」です。はじめは主役の男がちょっとものたりなく感じたが、見慣れるとそれなりにはまってきた。この主題曲がまたしびれます。ミュージカル女優として活躍する新妻聖子が歌う「愛をとめないで〜Always Loving You」です。Always Loving You〜と高音をはるサビのとこなんか、しびれちゃう。せつなくなる。男殺しの声である。それに新妻聖子さん、きれいなんですね。曲名をクリックするとYouTubeから曲が流れます。楽しんでください。



4月30日(火)
 5月から電気料金が上がる。関西電力からビラがきた。「電気料金の値上げに関するご説明」とある。なんの愛想もありゃしない。せめて「値上げのお願い」くらい言えないものか。値上げの理由、値上げ影響額、なんて木で鼻をくくるような物言いである。平均値上げ率:9.75%。このデフレの世にこんな値上げがほかにあるか。それでも家庭用は政府がすこしは規制したが、企業用はそれこそ通知ひとつで大幅値上げである。企業サイドも今度ばかりはさすがに頭にきたと見える。自前で発電しようという会社が出てきた。トヨタ・ホンダが手をつけるらしい。あんな大工場では使う電気もはんぱじゃない。せめて自社用くらいは発電しようということになる。目端の利くソフトバンクさんは早々とメガソーラー発電に乗り出す計画らしい。アベノミクスの規制緩和で、発電と送電を分離するという。そうなれば発電は自由競争になる。そもそも発電・送電の独占を許してきたから、役所みたいな電力会社ができちゃったのだ。「お願い」しないで「ご説明」ですますような体質がのさばっている。福島原発問題は電力のおごりへの鉄槌かもしれない。後手後手にまわった対応のあげく危機感のない首脳部のゆるーい発言。これにはあきれるばかりだ。ここで思いきって電力独占にメスを入れてもらいたい。



4月28日(日)
 ひとは年をとる。年をとれば仕事をやめる。自営業や自由業でもないかぎり、早かれ遅かれ引退のときがくる。「おおやけ」から「わたくし」にもどる。勤め人の老後はむずかしい。とくにエライさんがむずかしい。たぶん家のことは妻まかせだろう。背広もワイシャツもネクタイも妻に出してもらう。靴下のありかさえ知らない。仕事だって偉くなるとまわりがお膳立てしてくれる。本人は「よし」とか「だめだ」とか言うだけである。宴会もゴルフもすべて送り迎えだ。みずからはなんにも気くばり手くばりしていない。汗をかいていない。街を歩かない。スーパー・コンビニなんか入ったこともない。ないないずくしである。「わたくし」にもどると肩書きがなくなる。重役室もなくなる。美人秘書も、社用車もなくなる。これがひどくこたえる。失意のどん底に落ちるひともある。ハダカになってクヨクヨするか、サバサバするか、これが分かれ目です。幸いにというか不幸にというか、ぼくは早くに一人になったので目が覚めた。いやでも素っ裸の自分が見えてきた。いかにたよりないか知らされた。発想を転換した。なんでも自分でやるしかない。東京にいたとき日本語ボランティアをやっていた。日本語を教える仲間はみな年輩者だが、なんと9割が女性だった。男はなぜ参加しないのだろう。引退しても身構えて自由になれないのだろうか。



4月26日(金)
 この日記を書きはじめたのは京都にきて間もないころだった。まいにち興味津々で東奔西走。あちこち食べ歩いたので「ごはんたべ日記」と名づけた。ちかごろはごはんたべの話が少なくなったみたい。それでも昼食はかならず外で食べている。定食屋、レストラン、割烹、中華食堂、うどん屋などさまざまである。ぼくは「くせになる」たちのようで、ある店が気に入るとつづけざまに行く。いいかげん通ったあげく、突然つきものが落ちたように方向転換する。転進するにはもうひとつ理由がある。そのときどきで行動範囲がかわるからだ。朝から街中にでかける習慣がつくと、どうしても富小路、三条、河原町あたりの店にゆく。反対に昼ちかくまで家にいるのがクセになると、新町あたりの近場で食べることになる。新町通には以前からなじみの店がいくつかある。ずいぶんごぶさたしてしまったなあ。ある中華食堂に最近またカムバックした。ちょっとおもはゆい気持だったが歓迎してくれた。やっぱりなじんだ店はいいなと思った。ご主人や奥さんとなんのへだてもなく話できる。もともと気に入って通っていた店だから料理にはまちがいない。ここのあんかけ焼きそばがうまい。ぼくの好みも知ってるから、そばに適度な焦げ目をつけてくれる。とろっとしたあんの下から焦げたそばが出てくる。これがなんともいえない。



4月24日(水)
 ヨーロッパっておもしろいね。欧州はひとつという掛け声で欧州共同体とかユーロとか作ってみたけど、そう簡単にひとつにはなれない。ギリシャ、スペイン、ポルトガル、キプロスとつぎつぎに問題が噴出している。イタリアもやばい。こうして見ると地中海に面した南の国ばかりだね。北の代表のドイツなどは、だらしない南の国々を援助するのにいいかげんうんざりしてるらしい。放漫財政をなんとかしろ。もっと勤倹節約しろと言うと、南の国民は「えらそうに言うな」とドイツに反発してデモをやる。だけど考えてみればギリシャ・ローマはヨーロッパ文明の発祥地ではないか。哲学も宗教も衣食住もすべては南から北へひろまったのだ。北は野蛮人だったのだ。だからカソリックの総本山はいまだにバチカンにあり、法王選出ともなればヨーロッパじゅうから善男善女が押し寄せる。料理はフランスだとえばってるが、あれだってもとをたどればイタリア料理である。どうも北と南じゃ気性が合わないようだ。ゲルマンとラテンでは血もちがう。ドイツは「まじめに働け」と、謹厳実直、規律勤勉を絵に描いたよう。イタリア・スペインは「堅いこというなよ、楽しくやろうぜ」というスタイル。地縁・血縁でつながるから脱税汚職がはびこる。マフィアなんてやばいものもある。北から見れば南は腐敗してると言う。そんな異質な民族に統一通貨なんてどうなのよ。欧州はひとつにならんでもいいんじゃない。いろいろあったほうが楽しい。



4月23日(火)
 まだ東京にいた時分のことだが、祇園祭の最中に京都で同窓会をやったことがある。大集団で旅館を借り切った。宴たけなわの余興に舞妓さんが四人登場した。畳に三つ指ついていっせいに「おこしやすー」と言う。顔は白塗りなのでよくわからない。やがて同期の熟女たちの「変身」とわかって大爆笑になった。そうか、京都では舞妓に化けられるんだ。祇園から清水寺界隈には「舞妓変身」「着物体験」のスタジオが花盛りである。せっかく京都に来たんだから、一生一度は舞妓さんになってみたい。舞妓姿で人力車に乗って高台寺あたりを流してみたい。そんなキョートしてる娘たちをよく見かける。たまーに昔の娘も混じっているから御用心。白塗りだから夜目遠目にはわからないが、近づいてくるとギョッとする。祇園の裏通りや宮川町などを歩くと、昼間でもほんものの舞妓さんに会えます。おおむね淡い桃色や鴇色の普段着で、地毛を可愛く結った頭に普通のお化粧をしている。小さな風呂敷包みを胸に抱いてトコトコ歩く姿がかわいらしい。芸事のお稽古に通う二三人連れの舞妓さんを「八坂女紅場学園」のあたりで見かける。知人に会うと立ち止まって「おはようさんどす」とていねいにあいさつしている。



4月22日(月)
 日本の存在感が増している。総理がかわるとこんなに変わるもんか。安倍・黒田のタッグチームが世界を動かした。日本の空気を変えた。景気にも明るいきざしが見えはじめた。円・ドル相場は80円からあっという間に100円ちかくまで変動した。株価は9000円から13000円まではね上がった。終わったばかりのG20(20カ国財務相・中央銀行総裁会議)では日本が主役だった。世界が日本の政策に注目した。もともとそれだけの実力はあるのだ。自信をなくして沈滞していただけだ。異次元の金融緩和だってどの国にもできるわけじゃない。やりたくてもできない国がほとんどである。外国から入ってくるホットマネーという投機的な金を頼りにしてる国が多いのだ。財政赤字が大きいといっても外国から借りてるわけじゃない。日本国民が貸してるのだから、よそに文句は言わせない。国民の持つ金融資産1500兆円の威力ははんぱじゃない。ミセス・ワタナベと呼ばれる主婦投資家が世界の為替相場を動かすほどの力を持っている。日本の技術もすごい。こんどのTPP交渉で米国自動車業界はトヨタ・ホンダに戦々恐々である。新幹線、リニア鉄道などの技術は世界最高である。日本はひかえめで大きな声を上げない。宣伝が下手だ。世界には宣伝・陰謀・謀略をこととする国がいくらもある。世界でうまく立ち回るのも政治ではないか。なめたらいかんぜよ。



4月21日(日)
 「みっともない」という言葉がある。「見とうもない」という中世語から転化したものらしい。人のすがた、しぐさ、ふるまいを、常識、作法、礼節などに照らして恥ずかしいと思う。他人を見て、また自分をふりかえって言う。みっともないに類する表現は数かぎりなくある。見苦しい、体裁が悪い、はしたない、慎みがない、品がない、不作法な、大人げない。醜態、老醜、破廉恥(はれんち)、顰蹙(ひんしゅく)なんて難しい漢字もある。ダサい、ヤボい、キモい、イモい、なんてカタカナ系もある。古来長きにわたって育まれた日本人の美意識であろう。枕草子の「うつくしきもの」、徒然草の「よき友」などはよく知られている。「みっともないマネをするな」。そう言われて育った。ところが「みっともない」が通じない人種がやってきた。電車で化粧する女たちを見たら、清少納言は卒倒するだろう。さて、現代のみっともなきもの。「アンチ・エイジング」である。これは毛唐の思想である。自然を敵と思うのが欧米人だからね。老化に歯向かってどうするの。赤目つって息を切らしてジョギングする。アンチはわざとらしい。ムリがある。日本人は自然を友として生きてきた。もっと自然にいきたいね。老いに逆らうことなく、さらりと受け流したい。



4月20日(土)
 本屋をのぞくのが日課です。おのずと書店の変遷をひさしく見つづけてきた。はじめて東京に出たとき、新宿の紀伊国屋へ行った。木造二階建ての店舗で、歩くと木の床がガタガタ鳴った。そんな時代もあったのです。むかしはどの町にも本屋があった。しかし個人商店はみんなつぶれて、名の知れた書店チェーンばかりになった。中身も変わりましたね。新刊ばかりで古い岩波文庫など置いてない。半分がマンガ本という店もある。昭和の末ごろか、東京郊外の駅前に小さな本屋があった。帰宅の途中によく寄って立ち読みした。あるとき店のおばさんが「いいかげんにして」と険しい声で追い立てた。ハタキで叩くようなしぐさまでした。さすがに鼻白んで二度と行かなくなった。立ち読みは悪いことだったのだ、当時はね。いまの書店は様変わりである。「どうぞ自由に読んでください」と店内に椅子までおいてある。一角がカフェになってる書店もある。本を持ち出してカフェでコーヒーを飲みながら読んでもいい。「買わずに戻してもいいですよ」というサービスぶりである。ハタキで叩くなんてもってのほかです。京都ではジュンク堂と大垣書店が大きい。蔵書数ではジュンク堂が一番かな。三条の大垣書店はワンフロアで広いのでぶらぶら見て歩くのによい。店内ではないが隣りにスターバックスがあって、買った本をすぐ読めるのもいい。電子書籍になると本屋はどうかわるのだろう。



4月19日(金)
 日本人ほどおみやげの好きな民族もいない。熱海でハワイで、まなじりを決しておみやげを買いまくる。必死の形相でなんかやることを、大阪弁で「赤目つって」と言うらしい。ぼくの好きな田辺聖子さんがよく使う表現で、とても気に入ってます。「そんな赤目つって仕事せんかてええのに」という風につかう。聖子さんの面目躍如という言い回しである。余談はさておき、わが民族の血にしみこんだおみやげ狂いは、旅のはじまりが寺社詣りだったからであろう。江戸っ子の旅といえば江ノ島詣でに大山詣り、一生一度はお伊勢参りだった。しかも隣近所の代表として出かけたので、何が何でもおみやげを持って帰らなければならなかった。旅の報告であり、神仏のご利益のお裾分けでもあった。おみやげは英語でスーベニアだが、それは自分の思い出にするものです。だから飾り物や置物がおおい。日本のおみやげは饅頭や羊羹のようなお菓子とか、名産の食べ物が多い。食い意地がはってるのかしら。それも自分で食べるのでなく、身内や近所に配ってあるく。しかし江戸の旅はちがった。食い物は腐るし、長い「歩き旅」なので軽くてかさばらないものが喜ばれた。人気の伊勢みやげは、伊勢暦(こよみ)・万金丹(くすり)・煙草入れ(紙製)だった。赤目つって「伊勢の赤福」に殺到するのは現代ギャルです。



4月18日(木)
 BRICs(ブリックス)という言葉おぼえてますか? 聞いたことある。なんだっけそれ?もう忘れている。ブラジル・ロシア・インド・中国こそ未来の大国だと言って持ち上げたマスコミの勝手な造語です。いっときは猫も杓子もブリックスだと騒いでいたが、いまじゃ知らん顔している。ほんとマスコミというやつは無責任なお調子者である。いまブリックス経済はひところの勢いがない。インド経済を支える自動車などの主要産業は総崩れとなり先行きに暗雲が広がっている。ロシア経済はエネルギー輸出にたよっている。原油価格が下がっているのでロシアは再び失速するかもしれない。10%を超える高度成長を続けてきた中国も輸出減少・インフレ懸念など、先行きの景気見通しは急速に悪化している。ブリックスに投資していた先進国の資金が新興国から逃げ出しはじめた。賃金の上昇や政治リスクに嫌気がさして、欧米資本も日本も中国から逃げ出している。資本と技術が逃げたらあとになにが残るだろうか。いっぽう日米経済の見通しが明るくなってきた。米国は「シェール革命」で沸いている。地中深くから大量の石油やガスが出る。いまに最大の石油生産国になるという。エネルギー価格が下がるので日本もありがたい。マスコミは表面だけ見て本質を見ない。中国がいまにもアメリカを追い越すようなことを言う。そう簡単にゆくものか。国力をくらべるなら人間を見なければだめだ。その国の人間がおおむねどの程度なのか。そのレベルが問題です。



4月17日(水)
 牛タンといえば仙台、仙台といえば牛タンです。これほど有名になったのはいつのころからか。むかし仙台に暮らしたことがある。新米社員のころだった。いまよりはるかに自由奔放な時代だった。植木等が「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌って笑いのめす時代だった。森繁久彌の女好きな社長が遊びまわる「社長太平記」なんてお気楽映画もはやった。ご多分にもれず毎晩遊びまわっていた。なじみの稲荷小路という盛り場の片隅に牛タンの店があった。屋台のような小さな店だが酔客に人気だった。無口なおやじが黙々と長い箸で牛タンを焼いていた。そこではじめて牛タンを食った。牛肉とはぜんぜん違う食感に最初は驚いたが慣れるとやみつきになった。牛タンがまだめずらしい時代で、仙台でもここ一軒だけだった。それからはるかに幾星霜。ネットの写真で意外な発見をした。あのときの無口なおやじこそ仙台牛タンの元祖だった。牛タン発祥の店「味太助」の創始者だったのだ。なぜ仙台で牛タン焼きが生まれたのか。戦後の貧しい時代の話だ。駐留米軍は大量に牛肉を食ったが、タンとテールは残した。それを生かすため牛タン焼きを発明したらしい。米軍のお余りを食ったのだ。しかし牛タンは人気が出るまでかなり年月がかかった。ぼくらみたいな転勤サラリーマンが仙台でその旨さを知り、東京に戻ってから口コミで牛タンの評判をひろげたのだ。



4月16日(火)
 ある医者がこう言っている。この人は「患者よ、がんと闘うな」あるいは「それでもがん検診うけますか」などの本を書いている。
 『検診には構造的な問題があります。日本の人口は減り、医師は増えています。このままだと医師一人の収入が減る。それをどうにかするには患者を増やせばいい。健康だと思っている人から、病気を発掘しようとしているわけです。成人病健診なんて、見つかるものはほとんど老化現象なんです。50歳、60歳の人を健康診断すれば、何かはきっと見つかる。それに病名をつけて薬を飲ませているのが成人病医療です。』
 よう言ってくれた。そのことよ。日頃から「そうじゃないかな」「なんか怪しいな」と疑っていたとおりです。医者が病気をつくっているのだ。ふつうの商売なら「需要と供給」の原則がある。供給が増えれば値段は下がるのが当然です。それでも売れなければ倒産です。ところが「医療」という商売はちがうらしい。需要をどんどんつくってしまう。こんなええ商売はないじゃん。仕事がなくて苦労してる中小企業のおやじさんが歯噛みするぜ。あこぎな稼業を許してる庶民もわるい。とかく医者にたよる。病気でもないのに保険があるからと病院へ行く。医者のカモになっとる。こんなきびしい言葉もある。
 『高齢者は具合が悪いとき「病気だ」と言われると安心する。「老化ですね」というと怒り出すんです。病気なら治るという意識があるのかもしれない。アンチエージングの風潮もあり、なかなか老いを認めない社会になっていますね。』



4月15日(月)
 このところ朝のパン食が定着した。進々堂でパン・ドミ七枚切りを買う。六枚と八枚のあいだで、七枚切りというのがビミョーかな。薄切り好きの東京と厚切り好きの大阪。あいだで揺れてるわたくし。フランスパンもうまいけど切らなきゃならんし、粉がポロポロこぼれて始末がわるい。あとはハム、ソーセージ、ベーコンのたぐいを気まぐれに選んで買う。ソーセージはプリマのあらびきポーク「香薫」というのが気に入ってる。燻製っぽい香りが好きなのだ。ベーコンは半切りじゃなくて長いのがいい。薄めのやつをカリカリに焼き上げるのが好みです。沖縄人ごひいきの缶詰スパムもいい。チャンプルーとかに入ってるやつね。スライスして焼いてトーストに乗っけて食うとうみゃーでよ。ある日ふと考えた。バターにもちょいとぜいたくしてみようか。どうせしれた量なんだし。雪印、北海道はおなじみだけど、すこし違うのに浮気してみたい。ちょうどネット情報を見た。「シェフおすすめのバター・ランキング」である。エシレという外国産や四つ葉という国産などいろいろ出ていた。四条烏丸の地下鉄駅のさらに地下にある「成城石井」へ行ってみた。バターにもいろんな大きさや形があるんですね。なかでシェフもすすめる「カルピス特撰バター」がよさそうだ。カルピスがバターやってるとは知らんかった。有塩と無塩がある。有塩にした。450グラムだからでかい。そのままケースになる箱に入ってる。帰ってさっそくためしてみました。白っぽい色ですごくなめらか。とても上品なうまさ。若いひとにはすこし物足りないかもね。



4月14日(日)
 「社長・島耕作が辞任」。これはサラリーマン漫画の世界だが、まんざら絵空事ではない。舞台となる大手家電メーカーのモデルがパナソニックであることは誰でも知っている。パナソニックは7600億円の大赤字を出して経営危機に陥っている。6000億円を投資したプラズマ・テレビは液晶テレビに敗れた。6700億円で買った三洋電機はガラクタだった。シャープはさらに深刻だ。最悪の赤字4500億円で窮地に立っている。液晶テレビの大成功に浮かれて世界最大の液晶パネル工場を造った。この投資1兆円が重荷になった。韓国のサムスン電子にテレビの王座を奪われた。そのサムスンから「たったの100億円」を借りるというから情けない。ソニー・ブランドも地に落ちた。アップルの前では形無しである。日本企業は商売が下手です。技術・物づくりを過信して、消費者の気持を忘れている。優秀なら魅力的とはいえない。テレビなんてそこそこの性能で安ければいいのだ。いまや世界の薄型テレビ市場でダントツの韓国勢だが、これもいつまで続くかわからん。もともと韓国企業は技術に弱点がある。変わり身の速さと通貨安を武器にシェアを伸ばしてきただけだ。この韓国モデルをまねして急成長しているのが中国企業である。さて似たもの同士の勝負はどうなるか。いっぽう長いあいだ鳴かず飛ばずだったふるーい企業が盛り返している。日立・東芝・三菱電機が好調だ。家電やデジタルに見切りをつけて得意な発電や鉄道などのインフラに集中したのが成功した。



4月13日(土)
 けさ早くめずらしく地震があった。そろそろ起きようかという時分だったので、すぐに気がついた。寝床でじっと我慢して震度をたしかめた。かなり揺れました。淡路島あたりが震源で、震度6弱だそうだ。これはけっこう強い。おそらく京都でも震度5か4くらいはあっただろう。JR西日本や私鉄各線も運転を一時見合わせたという。高速道路が速度規制になったり、関西空港の滑走路が一時閉鎖になったりしたようだ。「津波の心配はありません」そうな。このフレーズは東日本震災以来かならず言うね。ひさしぶりの地震なのでびっくりした。京都にきてからめったにない。東京にいたときはしょっちゅうだった。きけば東日本地震のあとはひときわ頻繁に余震があるという。東京人は慣れっこになっているので大さわぎしないだけだ。むかし一度、高層ビルの40階で地震にあったことがある。このときはさすがに怖かった。揺れ方が半端でない。ガタガタでなくてユーラユーラなのだ。船酔いみたいになる。机や椅子が床をすべって動く。超高層になると何メートルという振幅で揺れるという。東京は近年ますます地上高く伸び、ますます地下深くもぐってゆく。東京スカイツリーがそびえ、地下鉄はどんどん深くなり、渋谷駅が地下5階にもぐり、トンネルばかりの首都高速が走る。ほんま大丈夫かいな、と心配になる。



4月12日(金)
 ルンバってごぞんじですね。踊りじゃなくて掃除機。CMでちょくちょく見かけます。おもしろいな、かわいいな、とは思っていたが実体を知らなかった。いつごろ出来たのか、どこのメーカーが作ってるのか、国産か輸入品か。なにも知らなかった。あれ米国のアイロボット社の製品なんですね。だからちょいと高いのかな。もう1000万台も売れたという。最新のルンバはとても賢くて、全自動で部屋中を掃除して、電池が切れそうになるとちゃんと充電器にくっついて充電するという。ベッドの下までもぐりこんで掃除するのがいいね。あの円い形がいいし、ルンバという名前もいい。いまネット検索でルンバと入れると掃除機しか出てこない。ダンスのルンバはマイナーになってしまった。もうちょっと安かったら買うんだけどね。でも安い模造品が出回ってるらしいから気をつけないと。ルンバを見てつくづく思った。ロボット技術なら日本のほうがはるかに優れれてるのに、なぜ掃除機が生まれなかったのか。人型ロボットばかりやってる。走れます踊れますとデモするけれど、身近な商品は出てこない。技術だけが独走して商売にむすびつかない。それが日本の弱みではないか。ソニー、パナソニック、シャープなどの苦境を連想してしまう。ルンバってジュウタンなどがからまって動けなくなると、悲しげな音を出して人間の助けを呼ぶんだってね。かわいいじゃないの。そういうのは日本人のお得意なんだけどね。機械も人間あつかいしてしまう。その証拠にルンバにかぶせる帽子があらわれた。スーパーマリオの亀のキャラクターだという。



4月11日(木)
 さわやかな晴天である。歩いても気持がよい。きょうの昼定食は竹の子ごはんに若竹煮、それに菜種のからし和えと春色満開であった。やわらかいけどサクサクした歯ごたえの筍がなんともいえない。大好きだ。「いっぱい召し上がってください」とのおすすめに乗って、竹の子ごはんをたっぷり二杯も食べてしまった。満腹した。「好きでよかったですね」と店のおばさんが笑っていた。この季節になると京都は筍一色に染まる。錦市場の八百屋にも筍があふれる。寺町の老舗八百屋などは、店中が筍だらけで他の野菜はほとんど目につかないほどだ。とくに店先には見事に大きなやつばかり山積みされている。こういう季節感は東京ではあまり感じなかったなあ。いっとき三食とも自炊していた時期があった。妻をなくした当座である。めしぐらい自分で作れなければ生きていけない。危機感をひしひしと感じた。さいわいうちの目の前に伊勢丹があり、付属の生鮮スーパーがあったので買い物は便利だった。しかし買い物も初心者だった。最初はどこになにがあるのかさえ分からなかった。慣れてからは気軽にのぞいたけど、野菜も魚もあまり季節は感じなかった。魚はいつもマグロとアジ。いつもの品がいつものようにある景色だった。外食しても献立に季節感はなかった。まあ高級な料理屋にでも行けばそれなりの旬の食材が出るだろうが、定食では無理だった。京都はちがう。あたりまえの定食やランチにも季節の香りがする。京都人のDNAにしみこんでいるのだろう。飲食の店に行けば店の人も客もまっさきに旬の食べ物の話をする。季節に触れるのが京都人のあいさつなのだ。



4月10日(水)
 ネットニュースに「大阪人はNHKが嫌い!?」というのがあった。NHKに対する好感度調査を都道府県別にやったらしい。すると過去10年間のほとんど、大阪がダントツのワースト1だそうな。「好きなテレビ局」をきく質問でも最下位、「日頃よく見るテレビ局」でも最下位を独占している。「あたりまえじゃないか」と思うものだ。NHKといえば「東京」の代表みたいなもんだ。エリートが多いところだ。「上品」と「秩序」と「モラル」を絵に描いたようなもんだ。大阪人が「好かん」ものばかりじゃないか。嫌いなエッセンスを集大成したようなもんだ。大阪放送局は、汚名を返上すべく「親しみ向上プロジェクト」をスタートしたという。やめときなはれ、ムダでっせ。本庁のエリート役人が「もうかりまっか?」と大阪弁で言うようなもので、ぜんぜん様になりません。いつからやってるのか知らんが、「あほやねん、すっきゃねん」なんて騒ぎが出てきて、おいおい、これNHKかよ?とうたがった。若い連中や騒がしい芸人を出せばいいというもんじゃない。すりよるような「親しみ」なんかいりません。こんなごきげんとり番組や最近の紅白歌合戦(もうみないけど)など、姿勢のブレてるNHKがなさけない。くだらないテレビ界に見切りをつけかけてる視聴者の、さいごの砦がNHKではないか。堕落したNHKなら、受信料なんかはらわんぜ。ちなみに受信料支払いでも、大阪は沖縄に次ぐワースト2でした。



4月9日(火)
 「ミセス・ワタナベ」が帰ってきたそうだ。特定の女性ではない。日本の主婦投資家のことです。ドル・円などの通貨を頻繁に売買する。少ない資金で多額のドル・円などを売買できる外国為替証拠金(FX)取引というものがある。これを専門にやる日本の主婦などを「ミセス・ワタナベ」と名づけたのはイギリスの新聞です。アマチュアとあなどってはいけない。為替相場を動かすほどの実力がある。さきの金融危機で痛い目にあってしばらく隠れていたが、アベノミクスによる円安でふたたび市場に帰ってきたらしい。ミセス・ワタナベはロンドン市場が開くころ、夕食の支度をしながら台所のタブレットで為替レートを読む。「あら、きょうは円安に動きそうね」という調子で、円高に振れると外貨を買い円安になったら売る。大損もあれば大儲けもある。このFX取引の規模はなんと株式取引の1.5倍だからすごい。日本人の金融資産は1500兆円もある。世界最高の貯蓄である。現金・預金は850兆円。人口が2倍以上ある米国の760兆円より多い。日本の個人投資家はとてつもない余力をもっているのだ。いま投資セミナーなどにお年寄りの男女がわんさと殺到しているという。あぶないなあ。投資は若いうちにやって痛い目を見なくちゃだめだ。年とって手をだすと他人の言うなりで大損するのは目に見えている。とくに通貨はこわい。株式なら景気とか業績とか目安があるけど、為替は何で動くかわからない。経済はもとより政治・戦争・テロ、地震・台風・洪水・伝染病、異変があれば急激に動く。北の恫喝でも動く。油断もスキもありゃしない。



4月8日(月)
 こんな夢を見ました。ながらく会わない友からとつぜん便りがあった。こんなことが書いてある。
 『いつのことやら子狸が迷い込んできたのでわが家で飼っている。ときどき餌や水をやると縁の下から這い出してきて、うれしそうにペチャペチャ食べる。おれを親と思うのかなついてしまった。それがちかごろさびしそうにクンクン鳴くので気になっていたら急に姿を消した。飯どきになっても帰らないので心配になって、近所から町はずれまで探しに歩いた。見つからない。足が弱ってるのか疲れてぐったりして帰宅したら、子狸は縁の下に眠っていた。翌日またいなくなったが夜には帰ってきた。二三日してまた消えた。こんどは帰ってこない。もう一週間になる。心配だけど探す元気もない。きゅうに心身ともに弱ってきたようだ。おれはもうだめかもしれない。』
 筆まめどころかどっちかといえば不精な友が、小さな文字をびっしり書き連ねている。片隅に子狸の絵がかいてある。それが下手くそだけど無性にかわゆい。こんな文字や絵の出てくる夢はめずらしい。なんかの意味があるのだろうか。正夢とか夢のお告げなんていままでおぼえがない。夢ってほんと不思議だなあ。あとで思い返すと単なるハチャメチャ活劇みたいなのもある。なにかを暗示するような深刻なのもある。ひょっとしたら意識下の感情・欲望が表れたものかもしれない。そのうちに夢レコーダーとか発明されて、あとで夢を再生して見られるようになるかもしれない。夢アナリストなども現れて夢の意味を分析してくれるかもしれない。



4月7日(日)
 新聞をいっさい取っていないので、テレビ番組の雑誌をコンビニで買う。10種類くらいある。週刊もあれば月刊もある。月刊TVガイド、月刊ザテレビジョン、TVnavi、TVぴあ、TVTaroなど。どれも三、四百円である。地上波の局はおおむね決まっているが、BS、CSなどはきりがないほど多数ある。WOWOWだのスカパーだのスポーツチャネルだの無数にある。でもみんな別契約でけっこうな料金がかかる。スポーツチャネルを契約すれば世界中のサッカーが見られるけど、さすがにそこまではしない。わが家の視聴する範囲に合わせた番組雑誌を選ぶことになる。週刊ではめまぐるしいので月刊を買う。すると月後半の番組には空欄とか未定が多いけど、どうせ毎朝ネットの番組表でチェックするのでさしつかえない。チェックして興味ある番組に赤鉛筆でマークする。あ、それで思い出した。この鉛筆でマークすること、これをうちの父はなぜか嫌った。しるしをつけると怒られた。そんなつまらないことを、ふと思い出します。ネットではヤフーの番組表を使っているが、これも自分流にアレンジできることを知った。マイ番組表を作れるのだ。これで地上波の「マイ番組1」とBSデジタルの「マイ番組2」を作成した。これでネットと雑誌のチェックがずいぶん楽になった。さらにテレビのリモコンで番組表が出るからこれで最終チェックする。こう書くとよくテレビを見てるようだが、実際はあまり見ない。ほんとに見たいものだけにしぼっている。パソコンに向かっている時間のほうがはるかに長い。



4月6日(土)
 いいかげんにしろよ、と思うことがある。「ハム・ソーセージ・ベーコンなどの加工肉を食べると大腸がんになりやすい」。ほら、またまた食品バッシングだよ。やれ肉がわるい。油がわるい。マーガリンがいけない。うんざりする。冗談じゃない。ソーセージ・ハム・テリーヌ・パテなどの肉加工食品は、西洋千年の伝統食品である。「シャルキュトリー」という特別な名称があるくらいだ。ワイン・チーズ・シャルキュトリーの三つさえあればほかの洋食はいらないと思うほど。西洋の食の神髄である。西洋人はハム・ソーセージ・ベーコンで出来てると言ってもいい。千年も食ってきたのだ。それがわるいと言うのか。いまにチーズもわるい、ワインもいけない、なんて言い出すんじゃないか。五色の野菜を食えとか、馬ほど野菜を食えとか、青魚を毎日食えとか、できもしないことを勧めるのがアホな医者である。そうやってわざと病気をこしらえる。思えばわれわれはそれほど飽食の時代に生きているということです。むかしを考えてごらん。戦後のひもじい時代、明治時代、江戸時代に日本人はいったいなにを食っていたのか。食べちゃいけないどころか食べられなかったのだ。食べられることに感謝してありがたくいただきたい。おまけに「あれはいけない、これはわるい」の能書きはしばしばひっくりかえる。あとで「間違いでした」なんてことになる。重箱の隅をつつくような下らんことをやる暇があったら、医者はいまこそ仁術を考えなおしたらどうかね。



4月5日(金)
 堀川三条の三条会商店街にある中華食堂へ行った。「魏飯夷堂」(ぎーはんえびすどう)という難しい名前だ。この商店街は京都で一番ながーいアーケードである。マラソンの野口みずき選手が雨天練習で走るというほど長い。おしゃれな商店街ではなくて昔ながらのレトロな商店街である。毎日のおかずを買う場所だ。それでも立派につづいているのだからえらいもんだ。魏飯夷堂ができたのは二、三年まえかな。古い店舗にはいまでも「味噌」という大看板がかかっている。西陣に本店のある本田味噌の支店だったらしい。その建物をそっくり中華食堂に模様替えしたのだ。卓に座って見上げると、三階分ほどもある高い吹き抜けの天窓から陽が射し込んでいる。縦横に走る太い木組みが重厚な趣きである。たぶん味噌蔵だったのだろう。このあいだ友人たちと大勢で来たとき食った麻婆豆腐がうまかった。辛いけど深みのある味だった。それを食べようと思ったのだが、きょうはメニューにない。残念。貝柱と野菜のあんかけ焼きそばにした。昼のメニューには10種類くらいの定食、さまざまな点心、それに飲茶セットなどがある。この店は点心がご自慢のようだ。どれも800円の定食はプラス200円で小籠包とデザートがつくしかけ。飲茶セットは小籠包、餃子、焼売、あげもちなど6種の点心にチャーハンがついて1800円。あんかけ焼きそばは麻婆とはちがって貝柱特有の淡白なうまみだった。店を出た12時ごろには十数人が並んでいた。



4月4日(木)
 アメリカの新聞にこんなマンガが載った。「君は修士課程修了か」入社希望の履歴書を見ながら面接官が言う。「悪いがあきらめてくれ。うちで働いているのは最低でも博士だから」。青年はがっくり肩を落としてマクドナルドを去る。大学院を出てもマックの仕事さえないという笑えないマンガです。いま世界的に若年失業がふえている。2010年の若年失業率(15〜24歳)はフランスで22.5%、イギリスで19.1%、米国でも18.4%に達する。米国の何百万人もの大卒者がコーヒーショップやスーパーで働いている。ニューヨークでは医者や弁護士の資格を持ったタクシー運転手が珍しくない。立派な資格や経験に見合わない仕事につくことをアンダーエンプロイメントと呼ぶ。いわば役不足ですね。修士号や学士号を持つ人はもとより、法律の学位を持つ人まで時給10ドル(約940円)の仕事に応募してくるという。かつてはシリコン・バレーがITバブルに沸き、インターネットからロボットまで、ハイテクの開発にかかわる高度な技術者がひっぱりだこだった。さらにウォール・ストリートが金融バブルで沸いたときは、金融工学を駆使する高給の若者が脚光を浴びた。アメリカは新規ビジネスの交代がじつにめまぐるしい。それがアメリカの活力でもあろうが、景気後退にさしかかるとたちまちクビになってしまう。日本でも若年失業率は8.2%と、全体の4.6%より大幅に高い。日本では厚い熟年層が職場から若年層を追い出したのではないか。ことしから65歳定年ともなれば一層心配である。



4月3日(水)
 男にはだれしもなつかしい土地がある。多くは青年期を暮した土地である。遊びや仕事の数々の思い出がつまっている。ふれあった懐かしいひとびとの面影がつまっている。なかでも懐かしく慕わしいのは遊んだ町、遊んだ通りである。その地名を聞くと一瞬にしてむかしのあれこれがよみがえる。渋谷の恋文横丁、のんべえ横丁も懐かしい。新宿歌舞伎町もむかしは楽しい街だった。しかし東京の盛り場はあまりにも広く分散しすぎて思い出の密度がうすい。ぼくの思い出の町は仙台にある。元気で陽気な昭和の時代だった。国分町(こくぶんちょう)という地名を聞くと平静ではいられない。地元では「ぶんちょう」と呼んでいた。ケヤキ並木の定禅寺通と広瀬通にはさまれた一帯は仙台の歓楽街であった。クラウン、タイガー、ソシュウなど、大キャバレー華やかなりしころだった。いまのキャバクラなんてケチなしろものではない。300坪に300人の女性。広いダンスフロアとステージがあり、ショーとお酒とダンスを楽しむ場所だった。全盛時代のフランク永井と松尾和子のステージを憶えている。稲荷小路、虎屋横丁もなつかしい。酒場、料理屋がむらがる飲食の町だった。そこで食べた札幌ラーメンや牛タンの味を忘れない。小料理屋の名物「柳がれい」もうまかった。男が遊んだ土地の名は、瞬時にむかしを喚起する符丁であり、おまじないである。地名は文化です。あだやおろそかにできない。役人が勝手に変えるなどもってのほかである。



4月2日(火)
 京都の桜も満開である。二条城の紅しだれ桜を見に行った。薄紅の花が連なるすがたは妖艶である。紅しだれは色里にふさわしい。なぜかそんな思いが浮かぶ。外国人客がたくさんカメラを向けていた。昼は前田珈琲明倫店でスパゲティ・ナポリタンを食べた。廃校になった明倫小学校の教室がそのまま喫茶店になっている。昭和6年の建物はまさに昭和レトロの雰囲気満点。高い漆喰天井、板張り床、窓枠も腰板もクラシックな木組みである。別棟の講堂は豪華な折り上げ格天井の風格。室町は裕福な呉服問屋街だったので小学校もひときわ豪華な造りである。むかしながらのナポリタンをいただくのにぴったりの舞台です。熱々湯気の立つナポリタンがきた。濃厚なトマトの香りがツンと鼻を刺す。フォークでかきまわすとズルズルベタベタモチモチ、うん、これだこれだ、これぞナポリタン。食べ終えて口をぬぐったナプキンは真っ赤、皿の底も真っ赤。はじめてナポリタンを食ったのはたぶん郷里の町の喫茶店だったと思う。味は忘れたが感激したのを憶えている。家族で外食なんて時代ではなかった。外で食べるのはカレーくらい。なんでも新鮮で感激した。ナポリタンは日本の発明です。発祥は横浜のホテルニューグランド。戦後米軍に接収されていたホテルが返されたとき大量の乾麺とケチャップが残っていた。そこで料理長が工夫してナポリタンを発明した。いまナポリタン人気が復活してるらしい。熟年は懐かしく、若年は新鮮に感じるそうだ。



4月1日(月)
 さきごろ上七軒の通りから電柱が撤去された。空がきれいに見えて背景の山まで見通せるようになったそうだ。京都市も無電柱化(なんということば?)に力をいれてるようだが、まだまだ遅い。花見小路、二年坂、産寧坂などの観光スポットにかぎられていて、ひろくつながっていないのが残念だ。東京の銀座通りも電柱をとりはらってずいぶんすっきりした。欲を言えばむかしの柳並木を復活してもらいたい。あの並木は京都の木屋町の柳を移植したものなんだ。日本の街並みで電柱ほど邪魔なものはありません。人や車の交通を妨げるだけでなく、電柱・電線が空を遮ってとてもみにくい。都市の景観をそこなうこといちじるしい。これだけはどうひいき目に見てもヨーロッパの都市にかなわないと思う。いまやっと成熟時代にさしかかって、東京も京都も電柱撤去に動き出している。遅すぎたくらいだ。行政はよけいなものを造るのに熱心だが、無くすことには腰が重い。いやしくも古都として観光都市を標榜する京都なら、全市の電柱をすぐにもなくしたいものだ。幹線道路ではすでに四条通、烏丸通、御池通などは電柱がない。これがどれほど街を美しく見せることか。御池通からはるかに見渡せばケヤキ並木のかなたに東山の緑がのぞまれる。京都の大通りは単なる道路ではない。祇園祭をはじめとするさまざまな行事にとって晴れの舞台なのだ。観衆が押し寄せる観覧席なのだ。



3月31日(日)
 たまに行くと東京は人に疲れる。大阪は色と音に疲れる。大阪の街の原色ギラギラは落ち着かない。目がくらくらする。道路の上にまで原色看板があふれる香港の景色を思わせる。このたび大阪・ミナミの心斎橋筋商店街に景観協定ができたそうな。デパートやファッション店がならぶエリアに、落ち着いて買い物できる環境をつくる。風俗やパチンコは禁止。動画などの派手な広告も禁止する。カニ看板もくいだおれ太郎もあきまへんで。へえ、大阪でもそんなんやるの。規制反対の声は出ないかな。大阪人は上品がきらいだ。「ええかっこすんな」が口癖だ。なにかというと東京に敵対心を燃やす。こないだテレビを見て「へえ、そこまで言うか」と思った。人気の出た吉本の芸人が東京へ進出しますね。成功する例は少ない。大阪のギャグは東京ではてんで受けないからね。「豚まんのあるときー、ないときー」なんてCM、なにがいいのかわけわからん。感性がちがう。すごすご帰ってきた芸人は「やっぱ大阪がええやろ」と歓迎する。しかし東京になじんだ芸人を、大阪人はぼろくそに言う。「東京に魂売りよった」と言う。テレビに登場したおばちゃん・おっちゃん、若者も一様に「東京に魂売りよった」というセリフを吐く。でも悪態もギャグにしちゃうところが大阪人です。笑いながらぼろくそ言う。大阪人の言うことなすことみなジョークかもしれん。おばちゃんファッションも一種のジョークかも。



3月30日(土)
 「ちかごろの若いもんは」という年寄りの言い草は、古代エジプト時代から変わらぬそうだ。ぼくらがそんな思いで見たのが「新人類」だった。新人類は1980年代の流行語だから昔のことだ。みんなええおっさんになっとるやろう。さて、こんにちただいまの二十代についてはよくわからん。おつきあいがないからだ。ネットで「ヤンキー」の実態を知って、おもしろかった。見た目はけばけばしいツッパリ・ファッションだから、ちょっとコワイ感じもする。男はゆるゆるズボンに茶髪。ニット帽を目深にかぶりチェーンなどをチャラチャラさせてる。女はピンクや黒のどぎつい色を着てスマホも財布もキラキラ・デコレーション。ところが意外や意外、かれらは不良とは反対の人種であった。地元を愛し仲間と絆(きずな)を愛する新保守層なんだって。保守層というのが目からウロコである。きわめて温和で調和を好み、学校友達をずっと大事にする。多くは同級生と結婚して地元に根を下ろし、家族をなにより大切にする。競争を好まず身の丈に合った幸せを求める。それで思い出した。過疎地の現地ルポなんかで「家業を継ぎました」という若者が出ますね。うれしげな親父さんの隣に、茶髪ヤンキーが赤子を抱いている。ちょっぴり頼りないけど顔は明るい。そういえば東日本大震災の被災地にも地元やボランティアのヤンキーたちがいたなあ。こんな若者を、うるさい文化人などは「覇気がない」とか「世界にはばたけ」とか言うんだろうな。でも少子高齢化を救うのはひょっとしたら彼らではないか。



3月28日(木)
 この4月からいよいよ65歳定年がはじまる。そのために企業の人事部長さんを集めてセミナーが行われた。そのもようをテレビで見た。人事部長は「えらいこっちゃ」「どげんかせんと」と言う。いままでは60歳過ぎて正社員で再雇用されるのは一部で、ほかは嘱託職員・契約社員になった。給与は現役時代よりも大幅に減った。これからはそんな一時しのぎではいかなくなる。なかには積極的に高齢者の技能・経験を生かす新しい仕組みをつくる会社もあるようだ。これは働く人にとって数十年に一度という大変革にちがいない。なんとかこれを乗り越えていかなければならない。学者・評論家の先生方はここぞとばかり反論をとなえている。「これはサラリーマンいじめだ」という論調がおおい。政府や企業を敵にまわしてサラリーマンの味方ぶるのが先生方のお得意である。しかしそれですむ話か。65歳定年にいたったのは年金制度がもたなくなったからだ。それは少子高齢化のせいだ。子供を生まなくなったからだ。先生方は原因には触れない。複雑すぎてわからないから。学者・評論家は65歳定年だけをとらえて批判すればすむ。言論の人はなんにもしなくていい。でも実業の人はなんとかしなければならない。苦境をなんとか切り抜けることから道が拓けるのではないか。相当に時間はかかるだろうが、これからの時代に合った働き方が徐々に定着してゆくにちがいない。



3月27日(水)
 東海林さだおさんのエッセイが好きです。ご本人はエッセイなんて恥ずかしい、雑文です、とおっしゃるがとんでもない。東海林さんの食い物エッセイほど面白いものはない。思わずよだれが出そうな文章のサエは独自の境地に達しています。そして小市民の「セコさ」「いじましさ」を書かせたら並ぶものなき文章の達人です。「うまいぞ猫めし」というエッセイを読んだ。猫めしとはなんぞや。熱いゴハンの上にカツブシをかけ味噌汁の残りをかけたのが猫めしである。ただし人間さまの猫めしはカツブシに醤油をタラタラかけたものです。そして話はむかしの学童のお弁当「海苔弁」へ飛ぶ。東海林さんの海苔弁はこうだ。ゴハンの中間層にカツブシを敷きつめ、醤油をかけまわし、更にゴハンをかぶせ、最上段に海苔を敷きつめる。「中間層猫めし弁」と名づけられた。東海林さんはただちに製作にかかる。すぐやってみるのが東海林さんのいいところ。「これがめっぽううまかった」とおっしゃる。これを読んでわが母の弁当を思い出した。母は料理がうまかった。わが家の弁当は「ななめ多重猫めし弁」であった。ななめに押さえたゴハンの土手にカツブシ・醤油・海苔をのせる。これをつぎつぎ三段重ねにする。上から見ると三重のカツブシ・サンドがのぞく。見た目も美しい。芸が細かいのだ。貧しい時代だったからこれはごちそうだった。うまかったなあ。友達にもうらやましがられたものだ。また食べてみたいけど母はいない。



3月26日(火)
 昭和は喫茶店文化の時代だった。ぼくらの少年時代、喫茶店は輝いて見えた。喫茶店にはいるのは冒険だった。禁じられていたからだ。高校を出て大っぴらに入れるときはドーダ顔だった。大学時分は全盛期。純喫茶、名曲喫茶、歌声喫茶、ジャズ喫茶、シャンソン喫茶。これらが教室だった。そうそう美人喫茶というのもあった。美しいモデルみたいな娘たちがしゃなりしゃなりと歩いていた。京都はクラシックな昭和喫茶がそのまんま残っている稀有な都市である。さて、むかしながらの喫茶店が復活しているらしい。熟年世代ならよく知ってる「喫茶室ルノアール」。有名なふわふわソファーで昼寝ができる店。うっかり座るとお尻が沈み込んでひっくりかえる。そのルノアールが郊外へ出て「ミヤマ珈琲」に変身した。ねらいは定年退職サラリーマン。かつてルノアールになじんだリーマンも定年で郊外の自宅に引っ込んだ。お客さんを追いかけて郊外へ店を出した。おひまでしょう。のんびりしてください、というわけだ。これは正解です。いまの若者は喫茶店の客にならない。飲物はもっぱらコンビニ・自販機で立ち飲みだ。とかく若者ばかりねらってきた商売もそろそろ頭を切り替えたほうがいい。定年おじさんは若造より金もってるんだぞ。またおじさんにはおばさんがつきものだ。おばさんのパワーはすごい。おしゃべりおばさんたちの溜まり場になれば商売繁盛うたがいなしである。名曲喫茶、歌声喫茶も郊外で当たるんじゃないかな。



3月25日(月)
 ひさしぶりによく歩いた。円山公園から高台寺へ、石塀小路を経て祇園の街をぶらついた。およそ一万歩。半ばあたりから足の運びが快調になってきた。やけに暑いので汗が出てくる。東京では桜が満開と聞くが京都はまだまだです。一二本だけ八分咲きくらいかな。円山名物のしだれ桜はかすかに紅を刷いた姥桜のおもむき。高台寺都路里で抹茶ソフトを食った。四百円。また上がった。値があがって味がおちた。やばいんでないかい。やがて昼になったので祇園四条の「天周」でかき揚げ天丼を食おうと思ったら、なんと店頭に大行列ができている。こんなのははじめてだ。シーズンの日曜だから無理もないか。そこで木屋町から三条方面へ抜けて丸亀製麺で讃岐うどんを食べた。冷たいうどんに野菜かき揚げとハムカツ。サッカーボールみたいなまん丸かき揚げ。ハムカツの分厚いころもが舌を刺すほどパリパリ。ほとんどころもの味の中にかすかにハム(じつはソーセージ)の味。醤油だれのみの冷たいうどん。これがいい。日本人は「清潔を食う」民族だ。筆頭は江戸前寿司である。これはややお高いけれど、身近なところでは蕎麦ですね。それもタネぬきの盛りそばがいい。手早くたぐってさっと切り上げる。B級になるとおおむね濃ーい味なので清潔感は乏しいが、なかで讃岐うどんは清げな景色だ。とくに冷たい讃岐は清涼の気がただよう。ギトギト文化の徒にはわかんねえだろうな。



3月24日(日)
 ネットの「msn産経ニュース」をよく見る。このたび「msn産経川柳倶楽部」というのがはじまった。いろいろな記事を読んでその中身にあわせた川柳を、その場ですぐ投稿するしかけだ。これはおもろい。不愉快なニュースもおちょくり気分で川柳をひねってると不思議と落ちこまない。精神衛生によい。以前に読売新聞のネット川柳に投稿していたが、中止になったので欲求不満だった。これから大いに楽しんでやろう。きょう投稿した川柳を一部ご紹介します。シャープの出資交渉難航をよむ「世が世なら玉の輿でも断られ」。海老蔵さんに長男誕生をよむ「あのひとがやんちゃするなよなんちゃって」。安倍首相が満開の桜の下で久しぶりにゴルフをよむ「合格をもらってゴルフ桜咲く」。いまのところ安倍さん合格でしょう。アベノミクス効果で円安・株高になって景気回復ムードが高まっている。ことしの花見はいつもとちがうようだ。デパートの豪華弁当がよく売れるそうな。千円前後だった売れ筋の価格帯が、ことしは豪華な2千円弱の弁当に移ったという。桜の名所、上野公園に近い松坂屋上野店では「いつもよりぜいたくに」京都・山城産のタケノコをふんだんに使った1890円の花見弁当が人気だという。気分はまず食にはじまり衣にむかい、さいごに住へおちつく。そして不動産バブルになってはじける。ものごとはそういう段取りになっている。



3月23日(土)
 いつぞや自分で髪をカットするという話を書いた。友人たちから大きな反響があった。どんな道具を使うの?なんて興味津々だった。調べたら「ツーウェイ・ダイアル・ヘアーカッター」という道具だとわかった。楽天やアマゾンの通販に出ていたので、さっそく一斉同報メールで教えてあげた。そんなところへ「キプロスの銀行がヘアカット」というニュースが飛び込んできた。えっ、なんのこっちゃ?銀行が散髪するのかい? そしたらなんと預金封鎖、預金カットという深刻な話だった。地中海に浮かぶ小国キプロスで、銀行預金を一律9.9%カットするという騒ぎである。その金を国が召し上げて借金の穴埋めにする。たいへんだ。そんな前例ができたらえらいことになる。ギリシャやスペイン、ポルトガルやイタリアなど、やばい国の預金者は一斉に預金引き出しに走るだろう。すさまじい取り付け騒ぎがおきてユーロ危機が再発する。キプロス国民はもちろん大反対しているが、一番強く反発してるのがロシアなんですね。なんでなの? じつはキプロスの銀行にはロシアの資金が大量に預けられているという。やばい資金の避難先になってる。マネー洗浄をやってるのだ。政権や財閥の幹部もかかわっている。プーチンが声高に反対している。預金カットという非常事態は過去にもあったし将来もないとは言えない。莫大な預金をお持ちの方はほかの資産に変えておいたほうがいいかもね。



3月22日(金)
 京都の市街は真っ平らなので歩きやすい。年寄りにやさしい。自転車にやさしい。でも人間わがままだからときには坂道を歩きたくなる。東京は坂が多い。まっすぐな道はほとんどない。山の手・下町の典型は東京です。文字どおり地形からきている。武蔵野台地が西から東へ張り出している。江戸時代、台地のいいところはすべて大名・旗本の武家屋敷か寺社で占められていた。人口の半分を占める町人は、わずか一、二割の狭い低地に集まって暮らした。それは隅田川沿いの低地、湾岸の埋立地、あるいは台地の谷間であった。これが下町です。明治維新後、高台の武家屋敷は官地や邸宅地になった。そして高度成長期、東京は劇的に変貌した。変る前も変わった後も間近に見ているので感慨が深い。昭和三十年代に板橋区を車で走ったことがある。街道から一歩裏に入ると見渡す限り田畑がひろがっていた。畦道みたいな凸凹道を走ったものだ。六本木ヒルズ周辺はかつて谷間の窪地だった。入り組んだ深い谷間に小さな家々がへばりついていた。その谷筋をすっかり埋めて超高層を建てたのだから、どえらい工事をやったものだ。麻布十番は谷間に取り残された江戸以来の下町だった。手ぬぐい肩に銭湯通いの町だった。地下鉄が来て一躍脚光を浴びて高級化した。あまり劇的に変わると、昔を知ってることは一種哀しいことでもあります。



3月21日(木)
 アベノミクスで円安・株高になり日本に明るいきざしが見え始めた。なんでそうなるの?と不思議に思うひとも多いでしょう。ドル・ユーロなんて海外旅行のときしか興味ない。ただし通貨を売買して儲ける投資家(ミセス・ワタナベ)は別である。むかしから大国の興亡とともに通貨の栄枯盛衰があった。大英帝国が七つの海を支配した時代は、英ポンドが基軸通貨だった。戦後の超大国アメリカ時代は米ドルになった。そしてユーロ。一時はドルに変わると期待されて日の出の勢いだったが、いまやアップアップしてる。やれスペインだ、イタリアだ、こんどはギリシャだと、借金国の危機が飛び火しているからだ。どだいヨーロッパ単一通貨なんて無理があるんじゃないか。ドイツみたいに真面目によう働く国民と、地中海でのんびり昼寝してる国民を、同じ土俵に乗せるのはどうかと思う。ギリシャなどは働く人の30%が公務員で、遊んで高給をもらってるという。国は借金しまくって倒産寸前だ。アクロポリスの神殿は倒壊の危機です。なのに倹約はいやだと言って国民はダダをこねている。こんなのと一緒にされちゃドイツ国民が怒るのも無理はない。もともとヨーロッパ共同体はドイツとフランスの仲直りが発端だ。数百年も戦争ばっかしやってきた両国が「もう戦争はやめようぜ」といってヨーロッパ統合がはじまった。国境をなくして自由な往来や経済の交流をすすめたわけだ。だけど歴史や文化や国民性がちがうからね。「働くのが生きがい」と「恋するのが生きがい」ではアリとキリギリスの差がでてもしょうがない。



3月20日(水)
 上七軒は北野天満宮のそばにあり、京都の五花街のうちで最も古い花街です。春恒例の「北野をどり」を間近にひかえて、上七軒が美しく生まれかわった。通りの電柱をことごとく無くしてすっきりした。石畳風に生まれかわった道路に常夜灯が情緒をそえています。そぞろ歩く舞妓さん芸妓さんも一段と美しく映えることでしょう。花街に電柱は似合わない。ふさわしいのは柳である。豊臣秀吉が公許したわが国最初の遊郭は京の柳の馬場(やなぎのばんば)にあった。まわりを柳並木で囲われていたという。やがて六条三筋町に移ると、門のかたわらに一本の柳を植えた。「見返り柳」である。朝帰りの遊客が未練をこめて振り返るという見返り柳。これが京の島原遊郭を経て、江戸の吉原にも受け継がれた。吉原の大門(おおもん)を出ると衣紋坂(えもんざか)に見返り柳が立っていた。さかのぼれば中国に起源があるそうな。唐・宋の遊里はいずこも柳の樹に囲まれていた。柳並木は色里のシンボルであった。そのため遊里を柳巷とも呼んだ。妓楼には花がつきもの。あちらで花といえば牡丹である。「花街」といい「花柳界」というのもここからきている。そういえば中国の名所や庭園には柳並木がつきものである。北京の清華大学を見学して大学のゲストハウスに宿泊したことがある。キャンパスに清華園という由緒ある庭園楼閣があり、大きな池の水面に柳が影を落としていた。そこで大勢の年寄りが太極拳をやっていた。



3月19日(火)
 友人からベルギー・チョコレート「クァウテモック」の詰め合わせをいただいた。はじめて知りました。時期遅れの義理チョコです。とてもおいしかった。なかにいろいろ詰め物してあるのがベルギー・チョコの特色だってね。ところでベルギーについて何を知ってるか、と訊かれるとこまる。あのへんに小さい国がかたまってたよね、たしか。ベルギー、オランダ、ルクセンブルグだったかな。ベルギーといえばチョコレートとダイヤモンド。オランダは風車で、えーと、ルクセンブルグとなるとなんにも知らない。好きなサッカーで言えば、オランダはむかしから強豪でベルギーは最近強くなったな、なんてところである。そこへつい先月、世界の耳目をあつめる大事件がおきた。空港ダイヤモンド強奪事件である。ベルギーのブリュッセル空港で総額5000万ドル(46億円)のダイヤが奪われた。史上最大の宝石強盗だそうな。機関銃で武装した男たちがわずか5分間のうちに飛行機からダイヤを奪って逃げた。犯行グループは8人で、警察官の制服を着て覆面をかぶっていたという。綿密な計画、大胆な犯行。まるでイタリア映画の「黄金の七人」みたいではないか。ほら、いつも妖艶な美女(ロッサナ・ポデスタ)が出てくるあの泥棒映画です。どうせわれわれには縁のない巨額ダイヤモンドのせいか、そのあざやかなやり口が映画のように感じられてしまう。いい仕事してる。拍手しちゃいけないね。



3月18日(月)
 新聞の現物を読まないのでネット上のニュースサイトをたくさん見る。新聞・雑誌・外紙・ポータルごとに関心のある政治・経済・国際・アメリカ・サッカーなどに仕分けしてメニュー登録してある。これが「マイ情報源」である。報道のメインとなる政治・経済・国際・社会・スポーツなどのカテゴリーはいずこも共通だが、そのあまりは時代を反映して変わるようだ。いっときは文化・カルチャーがはやった。いまならサブカルチャーという分類を設けてもおかしくあるまい。やわらか系なら住まい・グルメ・ファッションなどの区分が登場する。京都新聞には「観光・社寺」の区分がある。ちかごろは「IT」「デジタル」などの新区分がある。「写真・動画」も出てきた。なにしろ動画投稿があっという間に世界中をかけめぐる時代だ。そんな「IT」情報におもろいのがあった。「iPadで般若心経」だって。iPadの画面に般若心経が表示される。画面をタッチするとそこの文字が濃くなり、あらかじめ録音された音声が流される。これに合わせて参会者が読経するしかけだ。般若心経のカラオケみたいなもんか。大阪大とNTTコミュニケーションが宇治の平等院で初めて公開実験をやった。最初はバラバラだった読経がしだいにそろって一体感が出たそうな。ようもこんなとこへ目をつけましたね。星三つ。



3月17日(日)
 京都河原町のシャンソン・ライブ「巴里野郎」が近く閉店するという。淡谷のり子や菅原洋一などもステージに立った店だ。関西で数少ないシャンソン系というのがようわかる。「大阪」と「シャンソン」。どう見ても合わんでしょ。むかしシャンソン喫茶というものがはやった。銀座の「銀巴里」(ぎんぱり)がはしりだったが、この店も90年代に閉じている。若いとき行ったことがあるけど気取った雰囲気になじめませんでした。シャンソンといえばパリですね。「シャンソン好き」「パリ好き」の周辺には独特のクセが匂う。なんかくさい。シャンソン好きはパリに住みたがる。住んでいっちょまえのパリジャンみたいな口をきく。かつての文化人はみなパリかぶれだった。実際に行って見るとそれほど感心しなかった。景観はきれいだけどテーマパークを見るようだった。パリにかぎらず以前から不思議に思うことがある。日本女性が外国人と結婚してその国に住むと、とたんに日本人でなくなってしまう。あたかも生まれつきイギリス人であるかのように上から目線で日本人にものを言う。「だから日本はだめなのよ」みたいなことを言う。本に書く。女性のサガなのでしょうか。結婚するまで女性に国籍はない。結婚して子を生んだ相手の国籍になるのだ。と言ったひとがいます。そうかもしれないな、と思ってしまう。



3月16日(土)
 「決められない政治に不信。議会の支持率わずか13%」こんな見出しを見たらみなさんどう思います?「ああ、日本の国会でしょ」とおそらく言うでしょうね。はずれー!これアメリカのことなんです。米ギャラップ社の世論調査によると、米連邦議会の仕事ぶりに対する米国民の支持率が急落しているらしい。与野党対立による「決められない政治」への不信感が強いそうだ。こないだまでのニッポン国にそっくりじゃん。なんやらわかりにくいが元凶はアメリカの膨大な財政赤字、借金まみれである。3月から歳出の「強制削減」ちゅうものが発動されてえらい騒ぎになっとる。あらゆる部門の予算が強制的にカットされる。大統領官邸や庭園などを見る「ホワイトハウス見学ツアー」まで中止になっちゃった。公務員の失職、自宅待機、無給休暇なんてことになりかねない。国防費も大幅に削減される。オバマ大統領の民主党政権に対して、下院は野党の共和党が多数を占める。これまた日本とおんなじ「ねじれ」現象です。両党が意地を張り合って収拾がつかない。再選後のオバマは人気も凋落して権力も衰えているようだ。米国のマスコミはやけにオバマの肩を持ってるが、市民はそっぽを向いている。借金まみれは同じだけど、ニッポンは日本国民から借りている。アメリカは外国から借りている。どっちが深刻かは言うまでもない。



3月15日(金)
 いま通販の拡大がすごいらしい。スマホでツーハンなら衝動買いだね。若者と女子はなんの抵抗もないらしいが、おじさんは素直に乗れない。過去にツーハン利用はただ一度。その腕時計はとっくにおシャカになった。ネット遊泳してたらなんかの拍子に通販サイトが現れた。そこにバリカンが出てきた。へえ、いまでもあるんだねーバリカン。でも昔のやつとぜんぜん形がちがう。電動式ばっかりだ。いまじゃヘアケア器具だってさ。手動式のバリカン、なつかしいなあ。銀色に光り輝いていた。むかしは一家の必需品だった。天気のいい日にお父さんが縁側の陽だまりで子供たちの頭を刈ったものだ。刃が鈍いとうまく切れなくて「イテテ!」と叫ぶ。「我慢しろ」なんて頭を引っぱたかれた。不器用父さんにかかると刈り跡がギザギザになり、学校で「やーい、トラ刈りだー」とからかわれた。いまの子はトラ刈りなんて言葉知らんだろうな。バリカンが広く普及したのは明治時代。徴兵令で入営した新米兵士の頭髪を丸刈りにするためバリカンが普及した。それがいまや軟弱の世ですね。ヘアケアだ、ヘアクリッパーだ、デザインカットだとぬかす。いろんな替え刃やアタッチメントがついている。お値段も2千円から2万円までいろいろ。見たら犬猫専用というのがいちばん高い。フフフ、笑っちゃうね。



3月14日(木)
 けさ新ローマ法王がやっとこ決まったそうな。ま、われわれは縁なき衆生だけどね。だけどここに至るすったもんだが面白かった。ローマ・カトリック教会といえばあちらでは超大物だ。ローマ市のなかにバチカン市国という国まで作ってるのだから。しかしバチカンの権威も地に落ちた。聖職者による性的虐待などスキャンダル続き。それでも新しいローマ法王を選ぶ「コンクラーベ」(教皇選挙)でヨーロッパは大さわぎだった。世界中から集まった115人の枢機卿が、ミケランジェロの大作「最後の審判」で有名なシスティーナ礼拝堂にこもる。完璧な秘密選挙のため、盗聴器が仕掛けられていないか念入りに調べ妨害電波まで使う。カトリック教会は外部の干渉を排除して秘密を守るため、何世紀もかけてこの選挙方法を練り上げてきたらしい。バチカンの舞台も古いけどやることも芝居がかっている。ふるいふるーいヨーロッパの面目躍如というところです。総数の3分の2以上を獲得した枢機卿が次期法王になるが、それまで何回でも投票を繰り返す。サンピエトロ広場に集まった数万の群衆がかたずをのんで見守る。礼拝堂の煙突から煙を吐き出して投票結果を知らせる。法王が決まると白い煙、決まらないと黒い煙を上げる。「根くらーべ」なんておやじギャグも出ようというもの。腐敗した旧体制に愛想をつかして人心一新のためか、歴史上はじめて南米アルゼンチンから法王が出た。



3月13日(水)
 人間だんだん年をとってくると新聞の「おくやみ」欄に目が行く。享年を見て、まだ若いのにねえ、そこそこええ歳かな、へえ長生きしたなあ、なんて感慨をいだく。平均寿命とくらべている。織田信長は「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」と謡い舞った。人間(じんかん)五十年は「人の世に五十年生きて」の意味で寿命のことではない。信長時代の平均寿命はたぶん20歳くらいだろう。江戸時代でさえ30歳だった。乳幼児の死亡率がきわめて高かったからだ。運よく成人すれば50歳くらいまで生きたようだ。そんな江戸時代、大名・旗本が世継ぎの男子を得るのはたいへんな苦労だった。世継ぎがないと「お家取りつぶし」になり一族郎党おしなべて路頭に迷う。だからお殿様は子作りに懸命だった。五人くらい生んでやっと一人生き残る。だから正妻のほかに側室だの側妾だの片っぱしから手を付けて「数打ちゃ当たる」方式だった。「何事もお家のためです」と家老が殿様の尻をたたいた。世継ぎにからんだお家騒動は日常茶飯事だった。平均寿命が50歳を超えたのは戦後の昭和22年です。遠い昔ではありません。いまや平均寿命はほぼ80歳。でもおのれの寿命だけはわからない。一寸先は闇である。



3月12日(火)
 寒いあいだは街歩きをさぼっていたので気づかなかった。いま女性に「黒髪ブーム」なんだって? へー知らんかった。このところ女性誌では黒髪企画が定番だという。女性誌の表紙を飾る人気モデルや女優にも、美しい黒髪の持ち主が選ばれる。おじさんは女性誌なんか見ない。知ったのはネットです。長く生きてると流行のええかげんさがようわかる。誰かが仕掛けて同じことを周期的に繰り返すだけだ。ふるーい人間でござんすが、とくに黒髪好きではない。茶髪が似合うひともいるしね。でも金髪の似合う日本人がそうそういるとは思えない。しかし平安美女みたいな「長―い黒髪」はどうかと思う。ストレート・ロングを愛好する男子も多いだろうが、いまどきの働く女性にはどうでしょう? 色がどうこうよりぼくは女子の短髪が好きなのだ。さて脱線したけど、黒髪で困ってるのが美容室だという。黒髪ブームで女性の「ヘアカラー離れ」がすすみ売り上げが激減したそうな。ヘアカラーが美容室の売り上げで一番大きい。いったいなんぼ?調べたら平均5000円、最高27500円。「痛いですね」と美容師がなげく。黒髪ブームにはほかに隠れた理由があるらしい。長引く不況で若い女性の可処分所得が目減りして苦しい。美容室でのヘアカラーをやめて黒髪にもどす。若い女子の節約志向はきびしいんだね。



3月11日(月)
 東日本大震災から2年です。日本民族に静かな大変動が起きています。家族形態がものすごく変わりつつある。2010年の国勢調査で、「1人暮らし」世帯(32・4%)が初めて「夫婦と子供」世帯(27・9%)を抜き、全体でトップになった。「夫婦のみ」や「片親と子供」も増えているが、だんぜん1人暮らしの増え方がめざましい。厚生労働省の将来予測では、2035年には1人暮らし世帯が37・2%に達するという。私のような男の1人暮らしはまさに「時代の先端」を行ってるのだ。自慢にもなりませんが。「未婚化」と「離婚増」が「お一人さま」の増加に拍車をかける。2030年には男性の3割、女性の2割強が「生涯未婚」ですごすという。また結婚しても3組に1組が離婚する。社会保障制度は1人暮らしの激増を勘定にいれていない。しかもご近所になじまない男の1人暮らしがふえる。行きつけの割烹でも最近とみに男のお一人さまが目立ちます。女は年とって一人になっても元気です。生活のプロだからなんにも困らん。男はひとり残されるとしょぼくれちゃう。どげんかせんといかん。まず料理をつくってみよう。すると生きていく力がわいてくる。男子にも家庭科を必須にせんとあかんね。男だって「自分のことは自分でせんと」生きていけまへん。



3月10日(日)
 「肥後守」(ひごのかみ)って知ってますか? 肥後守加藤清正ではありません。折りたたみ式の切り出し小刀です。思い出すなあ。子供のころに自分でなんでもやった世代ならみんな知ってるはずです。かつて肥後守は少年の必携アイテムだった。これで鉛筆を削った。万能の工作道具でもあった。木の枝を削ってゴム鉄砲をつくった。竹で水鉄砲をつくった。模型飛行機も作った。ときどき失敗して指を切ったりしながら刃物のあつかいを覚えたものだ。自分で研いで使う刃物だから砥石とか研ぎ方も身につけた。昭和30年代に鉛筆を削る文房具の一つとして子供に浸透したようだ。いまでは子供になじみがないが、依然として文房具店や東急ハンズなどで売っている。近年は中高年男性を中心に静かなブームらしい。熱心な愛好者やコレクターもいるそうな。桐箱入りで2万円もする高級品もあるという。なんで肥後守なんて名前がついたのだろう。これは推測ですが、むかし刀鍛冶には和泉守国貞、河内守国助、越前守助広などと呼ばれた名工がいました。技をきわめて名匠ともなると苗字帯刀(みょうじたいとう)を許されたようです。切り出し小刀といえど、刀鍛冶の流れをくむ職人が作るので誇りをもって肥後守と名づけたのでしょう。



3月9日(土)
 こんな報道にぶったまげてしまう。アメリカのバイデン副大統領が「自分の身を守りたければ、2連発の散弾銃を持つことだ」と市民にすすめたという。子育て雑誌のイベントに登場し、子どもを銃から守ることの大切さを保護者に訴えた。「万が一の場合は、バルコニーに出て家の外に向けて散弾銃を2発撃ちなさい。そうすれば侵入者はやって来ない」と語った。まるで西部劇のシーンを見るようではないか。信じられなーい。いやしくも一国の副大統領がこんなこと言うとはね。しかも子育て中の父母にね。コネティカット州の小学校で銃乱射事件が起きて20人の児童と6人の大人が殺された。すると銃犯罪にそなえて「教師も銃で武装しよう」という声があがる。合衆国憲法は国民が「武器を保有・携帯する権利」を侵せないと明記し、連邦最高裁は「銃規制は違憲である」と言った。「銃規制はいけんが、銃はいいけんね」と言ってるのだ。アメリカってそんな国なんですね。日本人にはちょっと理解できん。ようわからん国だけど、アメリカさんとはうまくやっていかにゃならん。経済でも安全保障でもね。なにしろお隣りにもっとわからん困った国があるけんね。



3月8日(金)
 ずっとマックを愛用してきたのでウィルス対策は無用だった。なのにどう変心したかWindowsを買ってしまった。大変じゃ、どげんかせんといかん。対策ソフト60日間無料試用に乗りながら、つらつら考えた。ただいまの生活におけるネットの重要度と、万一ウィルスに感染したときのすったもんだの大騒ぎを天秤にかけると、やっぱ対策しとかんといけんかのー。というわけでウィルス対策ソフトを買いました。ネットショップでね。氏名・住所・メルアドなどなど登録して、お支払方法を選ぶところへきた。クレジットカードが出てきた。おいおい冗談じゃない。言われた通り一千万振り込むような無垢な年寄りじゃないけんのー、ネットでカードなんて怖くてよう使わん。コンビニ払いを選びました。ファミリーマートへ行った。ファミポートたらいう機械に向かって立ち往生。どうやったらいいかわからん。店の人を呼ぶ。企業コードとか商品番号などを入力してやっと支払伝票が出てきた。そこで現金を払って受取証をもらって万事終了。やれやれ、そうか、若いのがチャカチャカやってたのはこれだったのか。家に帰ると早くも「新規ユーザ登録完了のお知らせ」というメールが届いていた。金払うとやることが早いのー。これで当分安心かな。



3月7日(木)
 とつぜん春がきた。ゆうべはスポーツ中継のはしご、かけもちで大わらわだった。ワールドベースボールの日本対キューバ戦、香川選手が大活躍したプレミアリーグのマンチェスターU対ノリッジ戦、それに女子サッカーのアルガルベカップ日本対ノルウェー戦です。プロ野球はふつう見ないんだけど国際試合だけは例外だ。ことしのチームはあまり強そうじゃないけどね。プレミアリーグのサッカーはもう結果がわかってるんだけど、それでも見たい。なにしろ香川クンがハットトリック(一試合3ゴール)をやったのだから見逃せない。ついにやったか。えらい! ゴールした時間まで調べて待ち構えて見るんだ。女子サッカーのなでしこジャパンは若手ばかりの新チームがどこまでやるか見ものだ。6時半から9時ごろまで地上波の野球とBSのサッカーをかけもちで見た。香川のゴールは三本とも目を皿にして見た。かっこよかったね。日本選手はとかく力任せに蹴って大きくはずすのだが、香川はじつに冷静に流し込む。どれも見事なゴールだった。野球のサムライ・ジャパンはほんと打てないね。好球を見逃す。振らなきゃ当たらないよ。若手なでしこは早々に2点取られて負けちゃった。野球もなでしこも自信なさそうにやってる。そこが香川クンとちがう。やはり修羅場での経験がものを言うんですね。



3月6日(水)
 「東京のオフィスビルでお遍路さん」ができるんだって。丸の内で八十八体のご本尊を一堂に集めて、一般人が有料で参拝できる催しをやる。弘法大師・空海がはじめたという四国八十八ケ所霊場が、来年で1200年を迎える記念行事である。新アイデアみたいだがじつは温故知新なのだ。いわば「出開帳」(でかいちょう)です。この出開帳ということば、いまは死語にちかいけど江戸時代の流行語大賞だった。時代小説を読むとしばしば本所・回向院の出開帳のにぎやかな情景が出てきます。ふだんは拝めない寺社のありがたい本尊や秘仏の帳(とばり)を開いて、庶民に拝観させるのを開帳という。本拠地で行うのが居開帳(いかいちょう)、他の土地に出かけていってやるのが出開帳です。地方のお寺は伽藍を修築したり建て替えたりする費用を稼ぐために、しばしば江戸で出開帳をやった。江戸庶民の行楽といえば寺社参り、なかでも出開帳の賑わいは芋の子を洗うようだったという。いまほど楽に旅行できなかった時代だから、よそからきてくれる出開帳は江戸庶民の楽しみだった。会場は本所・回向院がダントツ人気で、出てくる本山は信州善光寺、嵯峨清涼寺、成田山新勝寺、身延山久遠寺が四天王だった。さて丸の内の出開帳はどうか。「いま出開帳がキテる」なんてOLさんが飛びつきそうだ。



3月5日(火)
 井戸の底からせまい空を見上げてぶちぶち言う。これが日本の新聞だ。つまらん! それよりネットで外紙の報道を見る。世界にはいろんな見方がある。きれいごとですまない裏事情が見えてくる。こんな見出しが躍っている。<世界をダメにするオバマの無気力外交>。へえ、日本じゃオバマ人気が高いようだが、えらい風向きちがうじゃん。<オバマのアメリカから独立したい>という記事。米大統領選の結果と今後のアメリカの行く末に不満を抱く大勢のアメリカ人が「わが州をアメリカから独立させよ」と要求しているそうな。20州にのぼるという。<国防を議論できない共和党の野党ボケ>。野党ボケはアメリカも同じか。いまでは国防が得手だった共和党でさえ国防・外交に無関心だという。クリントン前国務長官は東奔西走して積極外交やる気だったが、オバマがやる気ないので辞めちゃった。安倍首相も日米会談はしたけれど、オバマが頼りにならんことは知ってるようだ。そういえばあの人、写真にはニカッと笑うけどなんか人間味が感じられないね。<戦争も政治も遠い、現在のアメリカの「リハビリ気分」>という記事を見れば、オバマのアメリカは徹底して内向きで、国外のややこしいことはごめんという姿勢らしい。失望してオバマ政権を去るスタッフが多いという。アメリカさん大丈夫?



3月4日(月)
 だんじてパソコンやスマホなんかやらん。そう断言するひとがいる。IT音痴をむしろ自慢にする人々である。知人にも何人かいる。そのひとりと十年ぶりに再会した。「パソコンで仕事しています」と彼が言う。耳を疑った。様変わりである。話を聞いて事情がよくわかった。彼は建築設計の仕事をしている。かつては事務所を構えて若い人を何人も使っていた。しかし長引く不況で仕事が減り苦境におちいったという。部下にやめてもらい事務所も閉じた。一人になるとさあ困った。いま設計図面はみなCAD(キャド)というソフトで描く。いやでも習得しないと仕事にならない。半年あまり悪戦苦闘して覚えたそうだ。そのうちにパソコンの威力がわかってきた。いまは外部の有能なスタッフとパソコンで連繋して設計をすすめているという。指示も図面も全部ネットでやりとりする。仕事がふえても外部の人材を使えるから大丈夫だという。よかった。だいぶ大人になった。自営業にこそネットは最強の武器である。便利な道具と思えば毛嫌いする理由はない。現役はもとより引退して暇になったぼくらにもネットは必需品だ。新聞・テレビよりはるかに有力な情報源です。iPSからAKBまでネットの世界はじつにひろい。わからんことは何でもネット検索する。ボケ予防にもなっていい。



3月3日(日)
 ひとの気分はかわりやすいものだ。世論調査で、2020年の東京オリンピックに賛成の人が83%に急上昇したんだって。ほんまかいな。このあいだまで賛成は少なかったじゃん。たぶん円安・株高で世の中の気分が上向いたせいだろう。と思ったら案の定、賛成の理由は「経済効果が期待できる」が73%でダントツ。「東日本大震災からの復興をアピールできる」も36%あるけど、まあ関心は景気ですね。「失われた二十年」の沈滞にいいかげんうんざりしてた気分が、アベノミクスで心なしか明るいきざしが見えてきた。ほんならやったろうじゃないか、東京五輪。ぼくらのように長く人間やってきた世代なら、あの日の出の勢いだった昭和39年の東京オリンピックに思いをはせるかもしれない。東海道新幹線、名神高速道路、首都高速道路の開通。「東洋の魔女」の金メダルが思い浮かぶ。あれから半世紀、こんどは「ただいま工事中」の東京じゃなくて、成熟した東京を見てもらいたい。あのひとは「しまった、都知事やめるんじゃなかった」と思ってますよ、きっと。IOCの決定がどう出るかわからないけれど、いずれにしても7年先のことです。そのときはどんな世の中になってるでしょうか。



3月2日(土)
 関東や九州で春一番が吹いたという。春一番は立春を過ぎたころにその年はじめて吹く強い南風です。春一番が吹いた日は気温が上昇するが、翌日は西高東低の冬型の気圧配置となって寒さが戻ることが多いという。そういえば今日はやけに暖かいけど、あしたはまた寒くなるのかな。女心のようにさだめなき春の空です。さて春一番といえば歌ですね。「もうすぐはーるですねえ ちょっときどってみませんか」とか「春一番がぁ 掃除したてのサッシの窓にぃ」なーんてキャンディーズの歌声が聞こえてきます。いかったねえ、キャンディーズ。そういう世代なんです。AKBじゃないんです。「春一番」の文字や音感から、なんとなく夢・希望・未来などルンルン気分を連想してしまう。でもじつは警告のことばでもあったんですね。江戸時代に長崎の漁師が出漁中に、おりからの強風で船が転覆して多くの死者を出したという。それで漁師たちがこの強い南風を「春一」または「春一番」と呼んで警戒するようになったそうな。ちなみに春二番、春三番というのもあるようです。ともあれほんとの春が待ち遠しいですね。ことしは京都の底冷えがひときわ長くつづいたのでひとしおです。



3月1日(金)
 人が集まると一人や二人は「困ったさん」がいる。百人に一人か。いやもっといるな。五十人に一人かな。会社、学校、部活、町内会、老人会。人間は集団ぬきには暮らしてゆけない。とかくこの世は生きにくい。どんなに変人でもへそ曲がりでも偏屈でも一人でやってる分には困らない。どうぞご自由に曲がっててください。敬して遠ざければ済むことだ。でも困ったさんは一人で遊んでないから困る。すり寄ってくる。相手かまわずおせっかいを押し付けてくる。悪意はないんだろうが迷惑なんですね。ひとの気持を考えないから、やることなすことカンにさわる。その場の雰囲気をこわす。空気よめないヒトなんです。遠い親類なんかにも一人くらいはいるもので、まわりじゅうに不義理をのこして雲隠れしたりする。そのまま消えてればいいがひょっこり現れたりするから困る。困った人はその自覚あるのかな。あったらやらないか。そのくせシカトされるとヘソ曲げる。この手の困ったさんがわんさといるのが政党ですね。国民の空気よめないで右往左往した某政党がこのあいだぶっこわれた。一番ややこしいのが海の向うですね。ウチのまわりは困ったさんばかりである。



2月28日(木)
 京町家友の会は町家のファン倶楽部です。ときおり洛中の古い建築を見にゆく。個人では見られない各所の町家を見学できるのでありがたい。今月は「二条陣屋」という一風変わった建物を見た。大規模修繕が終わって今春再開したばかりだ。二条城の南にある江戸時代の豪商小川家の邸宅だが、並の町家ではない。商家と武家屋敷を合体したような魔訶不思議な造りである。大名が上洛中に泊まる陣屋に使われたので、身の安全を守るためのからくりや仕掛けがあちこちに隠されている。書院造の大広間の天井裏に武者隠しがある。大名を護衛する武士の溜まり場だ。大広間に接して「お能の間」まである。茶室が七つもある。迷路のような廊下が廻らされ、なかでも二階は吊り階段、隠し階段、隠れ戸棚などびっくり箱みたいな仕掛けに満ちている。こんな「おもしろい」日本建築ははじめて見た。小川家は戦国のころは武士だったが、のちに商人として米屋・両替屋で財をなした。公事宿(訴訟人の宿)も兼ねていたようだ。周辺は京都所司代や東西町奉行所などが集まる幕府の官庁街だったので公事人も行き交ったのだ。民家としてはまれな重要文化財になっている。



2月27日(水)
 ことしは底冷えがつづく。なにより恋しいのが「けんちん汁」です。けんちん汁は根菜一家の顔見世興行だ。大根、にんじん 、里芋 、ごぼう 、ねぎ 、豆腐 、こんにゃく。具だくさんがうれしい。汁はうっすら醤油味だけど、具を胡麻油で炒めてから煮るので、適度な油のうまみと胡麻油の香りも加わってたまらんがやー。ちょいと一味でも振れば芯からあったまる。なじみの店でたまに粕汁が出るけどけんちん汁は出ない。粕汁は雅でけんちん汁は俗なのかな。けんちん汁の発祥は鎌倉の建長寺だという。「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったそうだ。一種の精進料理ですね。でもけんちん汁食わせるとこってホントないよねえ。なんでだろ。あんなにうまいのにね。そんなに食いたければ自分で作れって? ウン作って作れないことはない。けどねー、したごしらえがねー、大変なんよ。大根、にんじん 、里芋 、ごぼう、なんて連中は一筋縄ではいかない。そろって面の皮が厚いし、アクが強いしね。ヌメリなんて必殺技もある。手がかゆくなったりする。おまけに短冊切りだの、半月切りだの、いちょう切りだの、注文がうるさい。生ゴミはわんさと出るし、残った野菜は始末に困る。やっかいな成り行きが目に見えるからウカツに手を出せんのよ。それにしてもけんちん汁、食いたいなー。



2月26日(火)
 「ゆるキャラ」がようわからん。「ひこにゃん」とか「くまモン」とかの着ぐるみ。あれなんで流行るんでしょう? 「ご当地ゆるキャラグランプリ」などもとり行われているらしい。テレビ番組やCMにもやたらかぶりものが出てくる。きまってテーマソングに振りをつけて歌い踊る。うるさいんだよね。幼児やギャルならかわゆいけど大の男じゃかわゆくない。ゆるキャラを助長してるのはマンガ世代の「なかよし親子」ではないか。80年代から漫画アニメの「おたく文化」が全盛になった。当時カラオケバーでアニメソングをがなる三十男にあきれた覚えがある。これも日本のサブカルチャーでしょうか。最近はYouTubeを通して海外にも日本のサブカル・ファンがふえている。京都国際マンガミュージアムにも外人ファンが多い。ちなみに麻生元首相は日本のサブカルチャーを絶賛した。文化・産業として価値があると「アニメの殿堂」を構想した。思うにサブカルの流れは江戸時代に源流があるようだ。「浮世絵」「北斎漫画」「百鬼夜行絵巻」「百怪図巻」などなど。江戸の妖怪はバーチャル世界で人間を楽しませるキャラクターになった。水木しげるの妖怪マンガは江戸の妖怪画の伝統を継いでいる。日本人は江戸の昔から軽いものおもろいものが好きだったんだ。



2月25日(月)
 土曜日に大勢さまを京都案内した。関西・関東・広島から高校の同窓たちが25人もあつまったのだ。バスツアーの添乗員の苦労を味わった。こんだけ大勢だと昼飯あたえるのも大仕事だ。烏丸御池の讃岐うどん屋「いきいきうどん」が手近にあってよかった。流れ作業でうどんを食った。京都国際マンガミュージアムを見る。もと龍池小学校の跡地だ。昭和4年の風格ある建物を見せたかった。明治2年に日本最初の小学校を民間の寄付でつくった町衆の心意気をひとくさり述べました。押小路を歩いて御金神社(みかね)にお参りした。金ぴかの鳥居にびっくり。宝くじ当たるかなの声あり。つぎに二条城を見学した。団体割引はなかったが団体入口からはいった。係りの女性が「げた箱は13番ですよ」と叫んだので、みんなで大笑いになった。「13番さん」はわれわれの隠語で「じいさんばあさん」なのである。豪壮な桃山建築は何度見てもいい。大政奉還を決めた大広間や黒書院の風格がすばらしい。庭園の紅しだれ桜は残念ながら時期がはやかった。烏丸御池の地下鉄までもどって散会した。世話役数人で、炉端焼がぶりにておつかれ会。グラスで飲んだ山口の銘酒「獺祭」(だっさい)と山形の純米吟醸「くどき上手」が腹にしみた。勝手に「くどかれ上手」と名づけて喜んでるおなごはんもいてました。



2月24日(日)
 いまはサッカーがいちばん好きだ。その楽しみ方はいろいろある。だいたいは手軽なテレビ放映を見る。スポーツ・チャネルを契約すれば世界中のサッカーが見られるけど、そこまではやっていない。現場のスタジアムで観戦するのはまた違う面白さがある。スタンドを埋めるサポーターの熱狂と興奮を共有するのはサッカーの醍醐味である。ただしテレビのようなズーム映像はないので、遠くから見てる感じはいなめない。映像もほしい。熱狂もほしい。両方のいいとこ取りできるのがスポーツバーではないか。大型スクリーンの中継を見ながら大勢でわいわい騒ぐのがスポーツバーのいいところだ。うちから近い四条烏丸の地下に「HUB」という英国パブ調の居酒屋がある。ここは京都サンガのサポーターが集まる店だ。そしてこのたび新京極に大きなスポーツバーが開業する。とっくに閉館した松竹の映画館が生まれ変わるのだ。そんな時代なんですね。200インチの大型スクリーンと120席、それに個室まで設けるらしい。6月のFIFAコンフェデレーションズカップは今年の日本代表の天王山である。なにしろブラジル、イタリア、メキシコという強豪と連戦するのだから見ものである。ぜひスポーツバーで盛り上がるとしよう。



2月23日(土)
 年を取ったら「捨てること」と言われる。身のまわりのいらないものを捨てる。生活をシンプルにする。東京時代にこれを実践した。真っ先に整理したのがクルマだった。いつも駅近に暮らしてたからクルマはいらない。たまのゴルフとドライブのためにクルマを飼っていた。東京の駐車場はめちゃ高い。税金も高い。金食い虫を処分したらすっきりした。ゴルフもやめた。京都へ来るとき家具を思いきって減らした。衣類も整理した。ビデオ・レコードも捨てた。国も高齢化してきた。いつまでも成長の夢を追ってもしょうがあるまい。そろそろ捨てる時期ではないか。岩手県北上市で商店街のアーケードを撤去するという。老朽化したけれど商店街の空洞化が進んで維持・管理が難しくなった。雪の重みで天井板が落ちる事故も起きた。高度成長時代にどんどん造った設備や箱物がお荷物になってくる。立派な公民館や文化ホールなども維持費がたいへんである。子供世代にツケをまわしちゃかわいそうだ。橋下さんじゃないが、いらないものは切る。おんなも切る(笑)。シンプルになって出直そう。ちがった日本が見えてくるかもしれない。



2月22日(金)
 朝めしだけは作って食うことにしよう。といってもトーストにハムエッグくらいだが。ふいに決心したのはテレビの影響です。「朝ごはんの友ベストテン」なんて番組を見たせいである。肉類の部にグリコハム、プリマハムなどのヒット商品がつぎつぎ出てきた。これがうまそうだった。パリッと朝食ウィンナー、香薫あらびきポーク、燻しベーコン、なんてやつが食欲を刺激する。さっそくスーパーへ行ってみました。ずいぶん種類があるもんだね。関心がないときはぜんぜん目についてなかった。ウィンナーとベーコンを買いました。進々堂で好みの食パンも買いました。ふわふわじゃなくてしっかりした生地で山型に盛り上がったやつ。イギリスパンというのかな。話には聞いていたが、たしかに関西の食パンは厚切りが多いね。東京では8枚切りがふつうだが、こっちは6枚切りが標準みたい。冷凍食品のためにオーブントースターも買ってあるし、焦げないフライパンもある。さあ、準備万端ととのった。けさはベーコンを焼いてトーストに乗っけて食べた。粗びき黒胡椒をパッパッとふってね。うみゃーていかん。これで朝ごはんの友を探し歩く楽しみがふえた。



2月21日(木)
 東京神田の「藪蕎麦(やぶそば)」が焼けた。創業130年の老舗である。関東大震災直後に建てられた店舗が焼けてしまった。江戸っ子にはたいへんなショックであろう。それほどの店なのだ。食通で知られた作家の池波正太郎氏が書いている。「先ず藪蕎麦(やぶそば)である。東京が誇り得る数少ない名店の一つだ」。著書『食卓の情景』(おすすめの良書)の中でこう評している。周辺の狭い地帯は江戸情緒が残る別天地です。東京大空襲をまぬがれバブル期の地上げにも耐えた歴史的建造物がのこる地域です。神田川にかかる昌平橋(しょうへいばし)の南詰です。ちなみに「神田川」も「昌平橋」も、東京に奇跡的に残る江戸の地名です。池波さんの『鬼平犯科帳』にしばしば出てきます。一度だけ藪蕎麦を訪れたことがある。江戸っ子の友人がつれて行ってくれた。「どうだ、いいだろう」「すごいだろ」と友がしきりに自慢した。長い板塀に風雅な庭、粋でお洒落な日本建築は、東京ではちょっとほかにないだろう。お銚子を二、三本呑んでから蕎麦をたぐった。「これが粋なんだよ」と友が言った。「たぐる」という言いまわしも江戸のものらしい。さんざん蕎麦のうんちくを聞かされた。でも蕎麦好きではないので一度きりになった。



2月20日(水)
 麻生財務相がモスクワの主要20か国中央銀行総裁会議で存在感を示した。黒いソフト帽にロングコートのギャング・ファッション(アメリカ記者の皮肉)でさっそうと現れ、諸外国のエライさんたちを煙に巻いた。文句言いそうなドイツ財務相を熱弁で圧倒した。いままでこんな大臣いたか。これだけの男がいたか。ようやったじゃないか。拍手したい。なのにああ、わが国のマスコミ連のなんと「幼稚」なこと。記者に大人はいないのか。外国を黙らせて文句言わせなかったのは大成功である。麻生さんに「おめでとう」を言うべきだろう。ところが「フランスはこう言った」「韓国は非難した」とか、外国の難癖をいちいち取り上げてラチもない質問をする。立派な成果を「薄氷の綱渡り」とおとしめる。綱渡りでない外交はない。外交とは笑顔で相手を切ることだ。大人の喧嘩である。子供の「なかよしごっこ」じゃない。日本の国益は相手の不利益だから何かとケチつけるにきまってる。いやしくも大新聞の記者がそれくらいの非情さも認識していないのか。まるでいい子の子供新聞だ。それにくらべて麻生さんは大人だね。ダンディーだね。あえて気障にやってのけるとこがニクイじゃないか。



2月19日(火)
 ワールドカップの女子ジャンプで16歳の高校生、高梨沙羅選手が日本女子初の個人総合優勝を決めた。まだシーズン途中なのに早くも8勝して決めちゃった。「よくやった、えらいね」と頭をなでてやりたい。でも本人は「優勝、もう決まったんですか、自分でもびっくり」とキョトンとしてるらしい。大物だね。ジャンプ選手だったお父さんの指導で小学2年からジャンプを始めたという。身長152センチの小柄な少女が100メートル以上も軽々と飛んでしまう。国内女子の最長不倒距離141メートルを記録している。最長不倒距離というのもなんかイメージを喚起する言葉だね。にんげん、人生ではそうそう最長不倒距離なんて飛べないもんね、ははは。高梨沙羅(さら)という名前がいいね。スターの名前だ。外国でも通りがいい。女子ジャンプは来年のソチ冬季五輪で正式種目になるから期待の星です。スポーツも以前はチーム中心だった。つねに日本チームが話題になった。規律がいい、チームワークがすばらしいと賞賛された。いまは個人のスターがとつぜん出てくる。いきなりチャンピオンになっちゃう。ひとりで自由に海外へ飛び出していけるからだろう。ここがむかしとちがう。サッカーも海外で活躍する個人がふえたのでチーム・ジャパンが強くなった。



2月18日(月)
 新しいパソコンで遊んでいます。GoogleMapの航空写真にまたまたおどろいた。空から見た俯瞰映像ばかりと思っていたら、なんと路上からの360度スクロール映像までついている。どこの街角でも上下左右にスクロールしてながめられる。マップ画面をコチョコチョいじくってたら偶然発見したのだ。さっそく試してみよう。日本、近畿、京都、四条とぐんぐんズームアップしてゆくと、わがマンションの屋上が画面一杯に現れた。路上から周辺の展望も360度スクロールして眺められる。路上を移動できる。四条通を東に進めば四条烏丸交差点。まわりをぐるりとスクロールして三菱銀行も三井住友も全部見える。さらに四条大橋から見回せば鴨川も南座も一望である。どんつきまで行けば八坂神社前が360度見える。商店や街路や車や歩行者までくっきり見える。机上で街歩きできてしまう。現地に行かなくても東京や広島の街頭がたちどころにわかる。国立競技場のグランドに立ってぐるりとスタンドを見回すなんてこともできる。ただし大都市だけで田舎は用意されていない。それにしてもこれだけ膨大な映像をどうやってそろえたのだろうか。



2月17日(日)
 「認知症、不可解な行動には理由がある」という新書を友人から借りた。メールしたら親切に送ってくれたのだ。まだ一部しか読んでないが、目からうろこの発見が多い。「記憶」というのは情報処理のプロセスである。そう書いてある。脳には三つの記憶装置があるという。「作動メモリ」「短期メモリ」「長期メモリ」である。目や耳から入った情報はまず作動メモリに瞬時とどまる。そこになにか「注意」を向けると、情報は短期メモリに移る。さらに繰返し暗記したりして印象付けると長期メモリに焼き付けられる。子供のころの思い出などは長期メモリなんですね。思えばこの記憶装置はコンピュータのメモリとディスクにそっくりだ。それで謎が解けた。マクドナルドねえちゃんのとんちんかん応答がわかった。問題はちゃちな作動メモリにある。「ホットコーヒー・ブラック!」という俺の注文は、ねえちゃんの作動メモリに一瞬入るけど、なんの「注意」もはらわんので、ただちに「消去」されてしまう。そこで刷り込まれたマニュアル脳が「シュガーとフレッシュは一つずつでよろしかったでしょうか?」を吐き出すわけだ。



2月16日(土)
 きょうはカレイの煮付けと揚げだし豆腐が出た。この店は毎日かならず魚を出すが、おおむね焼き物で煮魚はめずらしい。おおぶりなカレイは卵も抱いていて食いでがあった。両端のエンガワのとこ、ほんとはしゃぶって食うとコラーゲンたっぷりなんだけど、小骨が舌を刺すのであきらめた。煮魚というと子供のむかしを思い出すなあ。母がよく晩のおかずに煮魚を出した。煮魚が好きなガキはめったにいない。「またハゲの煮付けかー」なんて兄貴とぼくがぶーたれていた。ハゲがカワハギのことだとは後で知った。どういうわけか、男は青魚の焼いたのが好きで、女は白身の煮たのが好きみたい。味覚の差なのか、それとも例の男脳、女脳のちがいかな。母自身はメバルの煮付けが大好きだったようだ。いまは高級魚とされる魚もむかしはごくありふれたおかずだった。魚をさばいて料理するのは女のたしなみだった。できないと嫁に行けなかった。いまの嫁は切身が魚と思っている。「きんきを送ってきました。どうしたらいいでしょう。恐いです。」なんてカマトト嫁の話を聞いた。あーもったいない。きんきの煮付け、絶品なのに。



2月15日(金)
 割烹の昼定食に味噌煮込みうどんが出た。これははじめてだ。お揚げさんがいっぱい入ってるのはいかにも京都というかんじ。うどんだけでなくカマス塩焼きとたこ酢の物にごはんもついている。うどんを汁物と思えばなんの不思議もない。関西ではそうだけど関東はちがう。東京では麺や粉ものはごはんの代わりと見なすので、うどんとごはんは珍な取り合わせになる。「炭水化物ばっかし」なんて言われちゃう。さて、味噌煮込みうどんといえばごぞんじ、なごやーの名物だがや。名古屋には味噌煮込みうどんの名店が数知れずあって、地元民はみんなひいきの店を決めてるという。専用の土鍋で出てくる。煮立ったぐつぐつ土鍋に空気穴のない蓋をかぶせて供する。保温のためでもあり、蓋を取り皿がわりに使うためでもある。ごはんと一緒に食べるのが名古屋の常識らしく、ごはんがないと「リャースがにゃーじゃにゃーきゃ」と怒るそうな。味噌カツ、味噌おでんと、名古屋はほんと味噌が好きだねえ。八丁味噌は徳川家康ゆかりの由緒ある三河名産らしい。江戸に幕府を開いたあとも家康さんは八丁味噌を愛好したが、徳川おひざもとの江戸庶民は味噌ファンにならなかった。特異な味噌文化はなごやー方面のみにのこっている。



2月14日(木)
 この日記を見やすく改造しました。かなり苦労しました。マックでは気にならなかったのですが、Windowsでは文字の行間がくっついていて読みにくいのだ。どげんかせんといかんと思った。それで行間をあける手法を必死で探したけどわからなかった。本屋でホームページ関係の本を立ち読みして、帰ってから試してみたが駄目だった。ふと思いついて「CSS」「文字」「行間あける」などのキーワードで検索したら、的確なアドバイスが出てきました。これをヒントに何度かトライしたらついにできました。要求にぴったりの情報を得るにはサイト検索がいちばんですね。本を読んでも要点にたどりつくまで大変だし、本代もかかる。検索ならタダだしダイレクトにめざす標的をとらえることができる。それ以来、慣れないWindows8の操作法なども、困ったらもっぱらキーワード検索で解決している。入門書なんかは意外と不親切で肝心なことが書いてない。いっぽう、検索で見つかる情報は本当に困ったユーザーの知恵だからとても参考になる。Windowsはどうも裏に隠れたマニュアルが多いみたいだな。



2月13日(水)
 ベタなみやげものってありますね。京都なら八つ橋、広島ならもみじまんじゅうとか。その土地へ旅行した証明書みたいに買って帰る。だれでも知ってるから実家や親類やご近所でも喜ばれる。でもあんまりベタなんで地元ではやや軽く見られる。他家への手土産にはちょっとはばかられる。京都へ修学旅行にきた少年少女たちは八つ橋をまとめ買いして持ち帰る。むかしはパリパリの煎餅だったが、いまは柔らかい生八つ橋が人気でショコラや苺の餡入りまである。こういうベタなお菓子は飽きられるから、どんどん新製品を開発してバリエーションをひろげるようだ。さて東京にもこんなベタものがあるんですね。東京名物「ごまたまご」「東京ばな奈」です。ごまたまごは黒胡麻のあんをカステラ生地でつつんでホワイトチョコでコーティングした卵型のお菓子だ。形がかわいい。東京ばな奈はふんわり柔らかいスポンジケーキの中にバナナを裏ごししたカスタードクリームが入っている。これもキャラメル、プリン、チョコ味もあり、パイ、クーヘンなどめちゃ種類が多い。東京にいた時分はまったく知らなかった。見たことも食べたこともなかった。



2月12日(火)
 ひさしくラーメン食ってないなあ。お気に入りがあれば毎日でも行くんだけどね。京都の業界事情は東京にくらべるとかなり変わっている。ひと癖ありげな「こだわりラーメン」ばかりである。東京ではカリスマ店は荻窪とか環七とか新宿の一角など、かぎられた地帯にあった。だいたいはごく普通のラーメン屋だ。おっちゃん・にいちゃんが作って、「おまっとさん」とおばちゃん・ねえちゃんが出す。ラーメン、タンメン、ギョウザ、チャーハンが人気四天王で、競馬中継が流れスポーツ新聞がちらばっている。ラーメンはあっさり醤油味が多い。こういう普通のラーメン屋が京都にはない。タンメンがないのも物足りない。京都ラーメンは意外にも「こってり濃厚」である。豚骨や鶏ガラを徹底的に煮溶かしたスープはどろりとしている。ぼくはとんこつ・こってりが苦手なのだ。富小路のある店では暖簾をくぐったとたん、強烈な匂いにむせて飛び出してしまった。大丸そばの博多一風堂は全国的な有名店らしい。並んでいるが、とんこつに二の足を踏んで入ったことがない。まあまあ気に入ったのは仏光寺そばのラーメン屋で、ここは魚介系のスープである。むかし好みにぴったりのラーメンが渋谷宮益坂にあってしょっちゅう通ったものだ。透き通った塩味スープに硬めの麺がよく合っていた。それ以来ひいきがまだ見つからない。



2月11日(月)
 京都の2月は寒中ながら寺社の行事が多い。節分祭は吉田神社や千本釈迦堂が有名です。吉田神社は日本全国の神社の総元締めだそうな。800もの露店が立ちならび、赤・青・黄の鬼たちが境内を駆け回ります。一度行ったとき、この鬼たちはおとなりの京都大学の学生さんなどのバイトだと聞きました。千本釈迦堂では愛嬌たっぷりの「おかめ」が鬼を改心させる鬼追いの儀が見ものです。おかめは釈迦堂を立てた大工の妻で貞女で有名です。伏見稲荷大社の初午大祭は京洛初春第一の祭りといわれます。商売繁盛には何が何でも出かけなあきまへん。毎月25日は北野天満宮の縁日「天神さん」ですが、2月は梅花祭でにぎわいます。地元・上七軒の芸舞妓のお茶席が梅花に花をそえます。わかっちゃいるけどなにせ底冷えの季節じゃけん。家でのうのうと横着を決め込んでテレビで祭りの模様をながめています。



2月10日(日)
 京都に来てからいろいろ電化製品を買った。東京からの引っ越しを機会に古いものを処分したからだ。寺町電気街のタニヤマムセンで、洗濯機、テレビ、エアコン、電子レンジなどを買った。これだけの実績があると割引を要求できるはずだ。ところがある日突然店名がかわった。ミドリ電化になった。最近行ったらこんどはエディオンになっていた。ころころ変わりよる。さて、長年マックを愛用してきたんだが、ついにWindows8機を買ってしまった。もっか糟糠の妻たるMACとピチピチギャルのVAIOの二頭立てで運用中です。ギャルはとにかく速い。これだけは素直におどろいた。でも操作性は妻のほうがすぐれているようだ。Windowsははじめてなのでようわからん。本屋でWindows8の入門書を買ってなんとか初歩だけはおぼえた。いままでできなかったが、GoogleMapの航空写真にはびっくりした。広島の実家の屋根が大きく見える。近くの海水浴場の堤防までありありと見える。かと思えば、ヴェネツィアのサンマルコ広場を歩く観光客ひとりひとりの影も見えてしまう。世界中みんな見えちゃうわけだ。考えるとちょっとこわいね。



2月9日(土)
 ぼくらの世代は戦後のどん底から出発したので、生活がしだいに良くなるのを素直に喜べた。不景気になっても「あの頃にくらべれば」と思える。「経済成長神話の終わり」という本を読んだ。戦後経済は十数年から二十年のサイクルで、高度成長期、安定成長期、停滞期と変遷してきた。いまさらながら思う。自分たちの年齢と時代の進行が見事に重なっている。「時代と寝る」という言葉がある。ぼくらはまさに「時代と寝た世代」なのだ。子供時代はみんな貧乏だった。青年時代は高度成長をとげた。池田勇人の「所得倍増論」だ。給料はどんどん上がった。結婚して家庭を持った。壮年時代は安定成長になった。こんどは田中角栄の「列島改造論」だった。都市化、マイホーム、消費の時代だった。土地や株が値上がりした。誰もが自分は中流だと思った。いい気になって浮かれていたらバブルが崩壊した。そして老年にさしかかり人口減少、経済停滞、就職難の時代がきた。いまも「失われた二十年」が続いている。さて、これからどうなるんやろか。



2月8日(金)>
 もう十年来床屋へ行ったことがない。床屋(とこや)なんて言うと笑われるか。呼名も変りましたね。床屋、散髪屋、理髪店、理容院。そして男子が美容院へ行く時代になりました。ある日ある時かんしゃく起こして床屋をやめた。床屋の親父というものは頑固な美学を持っている。客が注文つけても馬耳東風である。自分の思うようにしかしない。コテコテの七三分けにしよる。頭にきた。よーし自分でやったろうじゃないか。小間物店で髪をそぎ切りするヘアカッターを見つけた。貝印両刃カミソリ二枚を装着したクシ状の道具。これでなんとかなるもんだ。長くも短くも自在に切れる。思えば子供時分はサンパツも自前だった。縁側で親父がバリカンで刈ってくれた。北京や上海の路上ではいまもやっとる。自前でやるけどひとの頭は見ている。男の髪も変ったね。ちかごろの若い衆はボサボサ髪を立てるのが流行ってる。これは都合がいい。いいかげんに切ってザンバラでも見苦しくない。はやりだもん。髪ひとつとっても、自前の坊主頭からカリスマ美容師の芸術まで成り上がった。こんなんを経済成長というのでしょうか。



2月7日(木)
 日本代表監督の女子選手への暴力で柔道連盟がゆれている。女子だからこそ監督の非行を直訴できたと思う。柔道連盟は男だけで独裁してるらしい。あきれたもんだ。政治、経済、文化、学問、スポーツ、どんな分野にも組織がつきものです。サラリーマンには会社という組織がある。そして男というものは「組織」が好きなんですね。組織に属して安心する。認められて出世すると得意になる。幹部になればもう有頂天。目をつぶって組織を守ろうとする。武士は藩のために切腹した。これはもう「男のサガ」と言うしかない。しかし古今東西かわらぬ真理があります。ほっとけば組織は腐る。まちがいない。だから選挙が必要なのです。ガラガラポンしないと政治は腐る。でも多くの組織は選挙がない。派閥や情実がまかりとおる。親分が居座り子分はへつらう。こうして組織は腐ってゆく。組織は「必要悪」なんです。臭いものにフタをしない女性たちが、組織にカツをいれる。



2月6日(水)
 すごいもの見ちゃった。おんな同士の喧嘩です。大丸裏の路のまん中でおんな同士が角突き合わせている。四十代と二十代くらい。両者とも黒のダウンジャケットが「すごみ」です。顔が触れるほど接近して睨み合っている。サッカー選手のやり合いとそっくり。手を出さぬよう後ろにまわして顔だけ突き出してる姿勢がおかしい。昼休みの路上を歩行者が大勢とおる。サラリーマン風の男子連がニヤニヤ笑って過ぎる。あっけにとられて見てた。とつぜん四十女が大声で叫んだ。「オトコはどうでもええ!」。女ながらドスの効いた声です。「オトコ」の発音があたりにひびきわたる。京女もすげえじゃん。大阪のおばちゃんに負けとらん。「メス」のオーラがギラギラ燃えてる。この女たち何者だろう? どんな関係なんだろう。なにがあったのか。オトコを取り合ったのかな? いたく想像を刺激する光景であった。



2月5日(火)
 ふと思った。ひとの一生には「ひらがな世界」と「漢字世界」があるようだ。ひらがなは大和(やまと)ものだ。やわらかくやさしく「情」をえがく女文字です。漢字は唐(から)ものだ。固く難しく「理」を語る男文字です。ひらがな世界は一言でいえば「源氏物語」ワールドですな。酒のんで友達とバカ話して、いろんなおなごはんとおつきあいして、競馬に熱中して、なーんて暮らしです。いっぽう漢字世界はおつとめ社会だな。理屈をふりまわし片意地はってええかっこして、えばったりへこんだりという世界です。どっちが好きかといえば、もちろん「ひらがな」がおもろいにきまっとる。もう漢字におさらばしたわたくしなどは、思う存分ひらがな書いてええんやけど、そうは簡単にいきまへん。体力もいるし金もいる。おまけに漢字世界でしみついた「サガ」はかなしい。ひらがな頭になり切れん。理屈が出てきよる。政治だの経済だの世相が気になる。「なっとらん!」と怒ったりする。心ゆくまでひらがな暮しできるのは「光源氏」はんくらいやろか。



2月3日(日)
 おもしろい本を読んだ。ぜひおすすめしたい。「キレる女懲りない男」(黒川伊保子、ちくま新書740円)です。「脳にはハッキリ性差がある」と人工知能エンジニアの著者は言う。女性脳と男性脳の異なる回路特性を明かしてくれる。本書は女と男がわかり合うための「脳の取扱説明書(トリセツ)」です。目からウロコがいっぱいあった。思い込みの激しい妻。昔のことを蒸し返す妻。思いやりのない夫。妻と夫はまったくちがう理由で、些細なひと言に突然キレる。なぜなのかわかります。いまさら遅いかもしれんけど。たとえば女性脳は、ある感情をきっかけに過去の類似記憶を一瞬にして脳に展開するという。「あなた!二十年前のあの時こう言ったでしょ」。おそるべし女性脳。方向音痴の女性が多いわけも解った。男性脳は高所から空間を一気に展望して自分の位置を知る三次元認識である。女性脳は目の前のものをなめるように見る二次元認識です。だから女性は「タバコ屋を右に曲がって左を見ると」式になる。展望に強いかわり、先が見えない事態に男は弱い。昭和二十年、敗戦のとき男は途方に暮れるばかり。敢然と立ち働いたのは女たちだった。女性脳は「いま」「ここ」が大切だ。男性脳は「あした」「かなた」を思いわずらう。



2月2日(土)
 むかしは映画が好きだったけどいま見ないなあ。一年に一度くらいか。なんでだろう? どうも見力(みぢから)が衰えたようだ。人生80年として前半はインプット、後半はアウトプットの時期ではないか。子供の心は白紙です。喜んでどんどん吸収する。成人すると社会を知る。映画が面白い。後半は出す番です。だから絵を描いたり、川柳やったり、蕎麦をこねたり、工作したりする。現実はいやというほど見てきたから、ありふれた映画やドラマは「あ、またか」と思う。時代劇は知らない世界なのでまだ興味がある。以上がぼくの仮説です。なお女性は見力健在のようです。さて、かつてハリウッドといえば美男美女だった。ええ男が活躍して美女と恋をする。美男美女にあこがれて映画館へ通ったものだ。いつからかナミの男女になった。これを性格俳優と称した。へんな言葉だ。「どんな性格してんだ」とツッコミたくなる。そのうち主役が「人間」でなくなった。アーノルド・シュワルツェネッガーの「ターミネーター」あたりからか。最初はシュワちゃんの肉体美を見せてまだ人間くさかったが、つぎは頭脳が人間のアンドロイドになった。やがて完全ロボットになり、ついには変身する金属モンスターが現れた。エイリアン、プレデター、アバターとつづいて、ハリウッドはお化け屋敷になってしまった。人間の感情は入る余地がない。つまらん!



2月1日(金)
 人口が減ってゆく時代です。子を産まなくなった。政府は子供手当や助成金やと言うとるが、それで済む話やろうか。お金だせば子がでけるわけやおまへん。男女がくっつかんと子は産まれん。それがくっつかんのやからややこしい。「息子や娘が結婚せん、困った困った」という親のなげきがチマタにあふれとる。二十年も前からだ。喫茶店などで男女を見てると、スマホに夢中で相手なんか見とらん。生身の女よりゲームキャラがいいらしい。「ひと」や「もの」に触れないで「仮想現実」にのめりこむ。女子が教育を受け社会に進出し、自立したのはいいのだが、なぜか男女が引き合う「磁場」が弱くなったみたい。恋愛しない。結婚しない。人口減少は文明が進化(退化?)したあげくの「どんづまり」かもしれん。これはおおごとやで。女子が子を産む気になるまで、そんな男女の仲(結婚とはかぎらん)ができるまで、長い目で見るしかないのかもしれん。



1月31日(木)
 「つれづれなるままに、日暮らし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」とくればご存知「徒然草」。書き出しがすらすら出てくるから不思議だ。徒然草の「友人論」がおもしろい。良き友の「物くるる人」には笑ってしまう。本気かジョークか。悪き友に「若き人」「病なく身強き人」を挙げている。含蓄が深い。兼好法師のように私も元気自慢が苦手である。CMに出る「どうしてそんなに元気なの?」の人。「若いもんにゃ負けん」の人。あまりおつきあいしたくない。そばにいると疲れる。オーラに当てられる。悪き友の「酒を好む人」は耳が痛い。気の合う友と酒を飲みつつ語り合うのが一番楽しい。でも残念だがあまり酒が飲めなくなった。弱くなった上に持病ができた。ここ数年アトピーが出る。アレルギーなど皆無だったのにある日突然発生した。皮膚がかゆくなる。酒を飲むとひどくなる。原因もわからんし治療法もわかっていない。iPS細胞がわかってアトピーがわからん。大病から見れば大したことないが気分はめいる。花粉症も年とって突然出るという。気長につきあうしかないみたい。



1月30日(水)
 このあいだ東京が大雪で大騒ぎだった。こんどは広島に積もったらしい。でも京都はちらほら舞う程度でふしぎと積もらない。ただし寒波は強い。風の強い日は震えてしまう。さすがのわたくしも散歩する気にならない。きのうの昼食は寄せ鍋、鯖西京焼き、小松菜からし和えだった。寄せ鍋は出汁がおいしいので最後まで器にうつして飲み干した。鯖の西京焼きはめずらしい。西京漬は白味噌がいのちだから京都が本場だ。東京ではあまり見ない。鰆(さわら)が最も一般的でこの店でもよく出る。銀だらや金目鯛の西京漬は絶品だが、金さん銀さんはセレブなのでお昼にはお出ましがない。鯖の西京焼きは初めて食べた。これが珍味だった。ほくほく締まった身が濃密な味。鯖味噌煮はやわらかとろとろが持味だが、鯖西京焼きはかっちり締まった味噌煮みたいな風味である。小松菜からし和えのさわやかに鼻を刺激する香りがいい。和え物で一番好きなのが「菜の花からし和え」です。それには時期が早いけど小松菜もわるくない。口の中がすっきりさわやかになる。



1月29日(火)
 ネットは昭和レトロの宝庫です。「新宿ともしびに流れる熟年世代の歌声」という記事を見つけた。ナヌ?、探したらありました「歌声喫茶ともしび」。まだあったんだ、うたごえきっさ! 新宿の伊勢丹あたり。でも昔の若者天国ではない。団塊世代の紳士淑女が懐かしんで、はしゃいだり涙ぐんだりしてるらしい。ばっちり半世紀の年輪を重ねて「大人の居場所」になった。むかしはコーヒー・少女・歌集の清純派だった。いまは生ビール、ハイボール、カクテルもある。若鶏唐揚げ、ポテトフライ、ゲソ唐揚げなども出てくる。歌も変った。人気の歌は「花は咲く、百万本のバラ、寒い朝、真夜中のギター 、芭蕉布」だという。歌声喫茶のブームは1960年代高度成長の寸前だった。「トロイカ、カチューシャ、黒い瞳、ヴォルガの舟歌」などのロシア民謡がよく歌われたものだ。いまでは信じられんだろう。ロシア(ソ連)は人気があったのだ。「サヨク」がカッコよかった。学生運動やデモ帰りの青年たちが労働歌や革命歌を大声で歌った。いまの若者はなんと思うだろう。「みんなで合唱なんて恥ずかしくない?」「なにが楽しいの?」とか言いそうだ。



1月28日(月)
 京都で姪の結婚式に出たことがある。本人たちは京都在住だが客は東京や広島など各地から集まった。町家の式場の落着いた雰囲気がよかった。老舗仕出し屋の京料理が出た。出張仕出しははじめてだ。温かい椀ものもあり美味しかった。ついでに家族を京都案内した。さて「京都で和婚」がブームだそうな。京都の神社仏閣で、東京のカップルが挙式するという。上賀茂神社で紋付き羽織袴の新郎と色打掛けの新婦が、いそいそと式を挙げる。雅楽の生演奏なんかもある。いわば和婚の元祖・本家ですね。和装、神社仏閣の挙式、料亭の披露宴を三点セットで提供する業者が受けてる。考えたら京都は晴れの祝い事にぴったりじゃん。寺社で着物をまとった女性はしっとり美しく見えます。和装が絵になる建物や庭のたたずまい。友人たちも張り切って着物姿で出る。美しい記念写真はいい思い出になるでしょう。招待客も観光がてら「じゃいってみっか」となる。晩婚化で大人のカップルがふえて本格志向の和婚が好まれる。費用も東京より安い。京都で和婚、ええんでないかい?



1月27日(日)
 首都高速道路がオンボロになって「たいへんだ」と騒いでいる。トンネル崩落事故からこっちインフラがやり玉にあがってる。首都高は東京オリンピックのために突貫工事したものだ。あの工事のどさくさを憶えている。ちょうど50年経った。歳とるわけだね。オンボロ道路を直すのに1兆円以上かかるという。どうせ甘い見積りだからほんとは2兆円か。さあどうします? ちょうどいい、と便乗派がしゃしゃり出る。自民党政権でまた公共工事やろうぜ。景気浮揚にうってつけじゃないかと言う。だけど、ちょっと待て。50年前じゃないよ。人口減少時代だぜ。地方はとっくに超高齢化して、こんどは東京がどんどん高齢化する番だ。人口が減ればクルマも減る。物資は夜間に運べばいい。仕事は高速通信で足りる。50年は節目だ。逆方向へ発想転換する時ではないか。「この際オンボロ都心高速は撤去します」と言えば、「さすが首都の見識、あっぱれじゃ」と拍手するんだけどね。美しい東京を取り戻す。そうして世界中の人々を呼ぶほうが日本のためになると思うが、いかが?



1月26日(土)
 寒風が肌を刺す。雪になるかもしれない。さて、えらく古い話だけど、むかし三種の神器 (さんしゅのじんぎ) といわれた電化製品がありました。はじめは1950年代の白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫。つぎは1960年代のカラーテレビ、クーラー、自動車だった。はじめの三種はぜひとも欲しいものばかりだった。主婦の恩恵ははかりしれなかった。なくてはならないものだった。たちまち家庭の必需品になった。つぎのクーラー、自動車などは必ずしも必需品ではなかった。欲しいけどなくてもすませるものだから、ひろく普及したのはかなり後になってからだ。つまり時代が下がるほどヒット商品の「必要度」はしだいに下がってゆく。商品はあふれるほど氾濫したが、なくてよいもの、いらないものが増えてきた。商品の寿命はどんどん短くなる。スマホ・タブレットさえはや賞味期限かと言われはじめた。いまや欲しいものはほとんどない。それでも無理に買わせようとするテレビCM。いまCM界の三種の神器は、保険、サプリ、化粧品かな。



1月22日(火)
 麻生副総理の発言が物議をかもした。「さっさと死ねるように」と言ったらしい。このひとはほんま正直な人ですね。ぼくは好きだ。「させていただきたいとおもいます」みたいな持って回った政治家こそ「ごまかし」です。麻生さんはごまかさない。ま、政治家にしてはちょっと正直すぎるというか舌足らずというか。じつは「さっさと死ねるように」発言は、これからの日本にもっとも重要な提言をしている。「ひとの尊厳」を大切にする死に方もあっていいのではないか。麻生さんはこれを言いたかったのだと思う。「死にたいと思っても生かされるとかなわない」と言っている。民主党のなにがしが「とにかく生きようと頑張っている方もいる」と反論したが、それはそれでいいのだ。しかし「尊厳死」も認めていいのではないか。少なくとも「おれはそうしたい」と麻生氏は言ったのだ。その真意を曲解して揚げ足とって庶民の味方づらする連中を、ぼくはは好かん。



1月21日(月)
 成人式がありましたね。その模様をテレビが流す。見ると女性は100%着物姿に白いふわふわショール。男性もかなり着物が混じっている。不景気だ、就職難だと言うけれど成人式はけっこう華やかですね。無理してでも借りてでも晴れ衣装がそろうのは、やっぱり昔よりはるかに豊かなのでしょう。ぼくらのころ成人式なんてあったのかな。出席した憶えがない。それにしてもあのふわふわショール、なんとかならんかね、と、おじさんは思うものだ。100%例外なくあれというのはどうかと思います。全員ショールで、全員スマホをのぞいてる姿は人形の整列みたい。おなじ着物姿でも三十三間堂の通し矢で弓を引く女性はきりりと美しい。なぜだろう?「かわいいでしょ?」とひけらかすとかわいくない。弓とかお茶・お花など、何かに熱中してる顔に着物が映えるような気がする。着物はアニメ・ファッションではありません。



1月20日(日)
 薬味が好きです。荒びき黒胡椒、胡麻らあ油などを常備していますが、あらたに唐辛子を買いました。京やくみ匠一休堂の「京一味」というやつ。七味は荒びきの粒つぶが各種混じってるが、一味は文字どおり唐辛子だけ。真っ赤な粉です。粒子を細かくするほど辛味が増すんだそうです。こいつをなんにかけるか。なんでもいい。寒いからさしあたりスープがいいね。コンソメとか永谷園の「松茸の味お吸いもの」とか「お茶漬け海苔」にふりかけると身体がポカポカしてくる。パンにかけてもよい。菓子パンはあかん。おかずパンの中にふりかける。志津屋のペッパーカルネというのが好きでよく買う。丸いパンの間に玉ねぎ薄切りとハム、マヨソースに黒胡椒。これをカパッと開けて京一味をパッパする。これが意外といけます。



1月18日(金)
 この冬一番の冷え込みではあるまいか。人間というのはわがままなもんですね。夏には「暑くてたまらん」と言い、冬には「寒くてたまらん」と言う。しかし季節が過ぎるとすぐ忘れる。体感温度はそのとき限りである。ではひとつ客観的な尺度をさだめてみよう。「寒くてたまらん」のはいったい何度だろうか? 京都で七年暮らした実感です。最高気温5度未満、最低気温0度未満あたりが京都の「寒い」ではないか。今日がその日です。最高4度、最低ー1度です。こんなこと言ったら北海道の方々には申し訳ないですが、これが実感です。手袋していても指先がジンジン冷える。ドトールのコーヒーカップを思わず両手に抱いて指を温める。こんなんが分かりやすい徴候です。では京都の「暑い」は何度だろうか? こっちのほうが実感は強い。夏の猛暑はぶっつづけだからね。最高気温35度以上が「暑くてたまらん」でしょう。5度未満と35度以上、その差30度です。数字にしてみるとすごいもんだ。しかし子供のころ気温35度以上なんてあったのだろうか? これも忘れてる。



1月16日(水)
 ブランド物っていつから出現したのか。シャネル、カルティエ、グッチ、エルメス、ヴィトンなどなど。映画の世界がいつのまにか身近にきていた。気取った店にはずっとご縁がなかった。街を歩いても目に止まらんし入ったこともなかった。海外旅行したとき初めて経験した。妹と同行したからだ。女は物おじしない。妹がすいすい入ってゆく。後にくっついて入る。ドアマンがうやうやしく迎えてくれる。なーんだ、どうっちゅうことないじゃん。ブランド店を軒並み制覇した(見るだけよ)。イタリアでプラダの財布とフェラガモの靴を買った。財布は十年以上愛用している。長く使えるのはいいですね。でも靴は二三度履いたきりになった。美しいけど普段使いに革底はもうしんどい。ABCマートの靴がなんぼか楽でええ。おじさんにはフェラガモよりホーキンスじゃ。いまではブランド騒ぎも一段落。見る目も変ったようだ。冷静に対するようになった。かつての「ヴィトンねえちゃん」はいま「しまむらねえちゃん」でもあるそうな。



1月15日(火)
 早朝のマクドナルドの入口。タッチの差で負けた。毛糸帽子に着ぶくれのおばちゃんに先を越された。おばちゃんがメニューと首っ引きで注文する。「マック8個、それにナゲット6個」「それからえーと、ポテト8個でしょ」「あとシェイクが4個にー」「それに、ほら、あの・・・」と際限がない。朝からパーティーでもやるのかよ。ま、しゃーないか。おばさんというものはいつもなにかを背負ってるのだ。小さいのはピーピー言うし、老いたのはフガフガ言うし、連れあいはブーたれるし。もうたーいへんなんよ。おばちゃん鳥はエサを抱いて巣へ帰るのだろう。こないだスーパーでおばさんの後についた。テキは籠にてんこ盛りの買物。こりゃあかん。待ちを覚悟しました。牛乳パックひとつ手にしたぼくを、おばさんがチラと見た。「こちら先にしてあげて」とおっしゃった。感激しました。天使にみえましたねえ、おばさんのご尊顔が。



1月14日(月)
 びっくりした。東京は大雪だって。高校サッカー決勝を見ようとテレビをつけたら一面真っ白の国立競技場が出てきた。五センチほど積もってるようだ。決勝は延期になった。電車も運休で混乱してる。休日でよかった。京都はなんともないのに。さて、なじみの大戸屋で季節メニュー「醤油麹漬けまぐろ鍋」を食った。気に入った。まぐろの切身もいいが、丸ごと焼き葱がどっさり入ってるのがうれしい。五センチ長さのこんがり焦げた白葱を噛みしめると甘くておいしい。生姜風味のつゆも身体があたたまる。おまけに柚子胡椒がたっぷり添えられている。まぐろ、葱に柚子胡椒をまぶして口にいれるとその辛味がたまらん。柚子胡椒は鍋のほかにうどん、焼鳥、豚カツ、焼売、なんにつけてもおいしい。京都の和食系に薬味はつきものです。薬味は味を引き締める。香りもよくて食欲をそそる。京都といえば山椒です。ちりめん山椒はもとより、鰻丼、親子丼、うどん、蕎麦など、なんでもいい。京七味、黒七味なども料理屋の卓上に見かける。東京では薬味とのおつきあいが薄かった。あちらの食堂はそっけない。醤油とソース、あってもタバスコくらいか。



1月13日(日)
 ばんざーい! 「京都橘」が全国高校サッカー選手権で決勝にすすんだ。準決勝で優勝候補の名門・桐光学園(神奈川)を3ー0で破ったのだ。スカっとした。全国4000校から勝ち上がったのだから大したもんだ。京阪神サッカー界でひさびさの明るい話題です。今回は下克上と言われる大会で、名門校がつぎつぎ敗退して名もない学校が勝ち上がった。決勝は京都橘と鵬翔(宮崎)の対戦にきまった。14日が楽しみだ。無名の学校が強くなったのにはワケがあるそうな。なんと少子化のせいだって。生徒を集めるために女子高がどんどん共学化した。そのとき男子を引きつけるためにサッカー部を作って大いに力をいれてきた。それが実を結んだらしい。じつは京都橘も元は女子高だった。いまも女子が多いという。それにしてもようやった。見ていて楽しいサッカーだった。ガンバ大阪や京都サンガのせこいサッカーよりよっぽど元気がええ。ところせましと走りまわっとる。サッカーは走ってなんぼのもんじゃ、というのがようわかる。いま京都で最高のサッカーです。ガンバさん、サンガさん、高校生を見習いなはれ。



1月12日(土)
 「前田の呪い」というの知ってますか? これを知ってるキミはサッカー通です。この言葉を聞いたのは昨年「ガンバ大阪がやばいぜ」と言われたころだった。サッカーJリーグはJ1(18チーム)、J2(22チーム)から成る。一年の戦績でJ1の下位3者はJ2へ降格してJ2上位と入れ替わる。プロ野球のようになんぼ負けても安泰なんてことはない。きびしいのだ。J1のジュビロ磐田に「前田遼一」というフォワードがいる。日本代表選手の点取り屋だ。べつに恐ーい顔はしてない。前田選手が新年の初ゴールを決めると、相手チームはその年かならずJ2に降格する。これが「前田の呪い」である。案の定ガンバ大阪は最終戦で負けてJ2降格になった。過去6年連続して、甲府、東京、千葉、京都、山形、大阪、と呪いが適中している。わが地元の京都サンガも例外ではなかった。それ以来、京都はまだJ1に上がれないのだ。北野天満宮へお詣りして「たたり」をはらわにゃあかん。さて今年のジュビロ磐田の初戦は3月2日の名古屋グランパス。前田はレギュラーだから当然出てくる。前田の初ゴールはいつか? 対戦相手は戦々恐々である。



1月11日(金)
 なじみの割烹でちょっとした正月気分を味わえたのが嬉しい。お節料理の盛合わせみたいな小皿が出ました。田作りがある。文字どおり豊作祈願の祝い肴です。むかし田植えの肥料に乾燥したカタクチイワシを使っていたのが由来らしい。数の子がある。数の子がニシンの卵と知らない若い衆が多いとか。少子化の時代に子孫繁栄をいちばん願うのはたぶん年寄りでしょう。黒豆はマメに働けますように。「田作り、数の子、黒豆」を祝い肴三種(三つ肴ともいう)というそうな。 ほかに伊達巻き、ごぼう巻きなども皿に盛られていた。きょうび一般家庭のお正月はどのように執り行なわれているのだろうか? お節料理はデパートで買うものというご夫婦が多いのではあるまいか。子供たちは、ぼく洋食がいい、あたし中華、なんてゼイタク言ってるのではないか。お屠蘇やお節に無縁の生活は一人暮らしに限らないかもしれない。



1月10日(木)
 やったぜ! 待望のシクラメンがついに花をつけた。まだ開いてはいないが小さな蕾がびっしり顔を出した。去年夏越しさせた鉢である。葉っぱばかりヒョロヒョロのもやしっ子なので諦めていたところへ望外のお年玉です。かつて一度だけ夏越しに成功したが、そのときはわずか数輪の花でおわった。こんどは期待できそうだ。それにしても何と遅咲きの花か。ふつうは10月ないし11月に開花して店頭に出回るのがシクラメンだ。まさか年明けに咲くとはね。ま、大器晩成ということにしておこう。水やりさえ気をつければ4月まで次々に花をつけるのがうれしい。シクラメンの花言葉は「内気」「はにかみ」「嫉妬」とされる。とくに赤は「嫉妬」、白は「清純」だそうな。シクラメンが好きなのはその楚々とした風情に魅かれるからだろう。窓際で日を浴びる姿は静かでもあり華やかでもある。白いワンピースにパラソルをかざした清楚な令嬢のおもむき。むかしの日活青春映画にそんな場面があったなあ。



1月9日(水)
 割烹の焚き合わせに細工包丁の人参、くわい、里芋がでた。遅まきながら正月気分に触れた。大ぶりな赤魚の味噌漬焼きが出た。赤い皮が黒く焦げたとこが旨かった。赤魚(アカウオ)は京都に来てはじめて知った。外は鯛のように赤く中は白身。この店でも煮付け、塩焼き、粕漬け、唐揚げなどいろいろに供される。それぞれにいける。ベーリング海やアラスカ湾で大量に漁獲されるアラスカメヌケという輸入魚らしい。マヌケじゃないよ。調べたらカサゴ目フサカサゴ科メバル属だって。関西人の嗜好に合うらしく普通に見かけるが、東京ではとんとお目にかからなかった。だいたい東京人は誰でも知ってるような魚しか食べない感じ。スーパーの魚売場を見渡しても珍しい魚はまず見かけない。江戸前をやけに珍重するが、日本海、瀬戸内、玄界灘などの魚は知らないし興味もない。消費の圧倒的シェアはマグロである。「あしたからマグロありません」と言ったら、東京は唖然とし、愕然とし、恐慌をきたすだろう。暴動が起きるかもしれない。でも京都は「あ、そう」くらいの反応しかないだろう。それほどに魚の食習慣は土地によってちがう。



1月8日(火)
 割り箸にはえらいお世話になってます。毎日親しくおつきあいしてる。割り箸とわりない仲です。出自も容姿もピンからキリまである。上品なのはスカートはいてるが、品下れるあたりはスッポンポンである。大和なでしこもあればヤンキーもある。吉野杉はいさぎよくすっぱり割れるが、ぐずぐず言うのもある。定食屋方面のはアスペンという外材だ。色白で見た目はいいけど性格が悪い。性根が曲がってるからとかく斜めに割れる。割り箸のクセというのがありますね。割ると必ずこすり合わせてトゲをとる。コップの水で洗う。箸袋を結んで箸枕にする。箸の持ち方は千差万別。握り箸、交差箸、人指し箸、鉛筆箸など、我流は大人にも少なくない。これじゃ一見セレブもお里が知れる。美しい使い手は少ないね。食の所作はさりげないのがいい。きょう隣に座ったおっちゃん。納豆朝食をとった。すさまじい勢いで納豆をかき回す。割り箸が折れそう。表面が糸で真っ白になってもまだまだヤル気。やおら握り箸に持ち替えて練りに練る。かくして仕上げた作品をドバッとごはんの上に乗せた。ドヤ顔。思い入れ、こだわり、頑固、熱狂、愛着、執念、美学。これがわいの納豆道じゃ、文句あっか。



1月7日(月)
 初日の出を携帯カメラにおさめた。東山の、たぶん清水寺の上あたりに昇る。黒い山の端に赤い光がきらりのぞいたと思ったら見る見る大きくなる。あわててカメラを構えたときはもう半分出てる。こんなに太陽は(じっさいは地球)速く回ってるんだ。いまさらながら驚く。これじゃ一日はあっという間。光陰矢の如し。あと何回これを見られるだろうか。さて四条大宮のマクドナルドはツアーバスを待つおばちゃんの溜り場である。年末年始はことさらメスの動きが活発になる。きのうも数人たむろしていた。早朝からおしゃべりに花が咲いてる。「あたしこないだ行ったんよ、お伊勢さん」「どうだった?テレビですんごい人出だから止めたんだけど」。 おばちゃんって不思議ですね。誰とでもすぐ仲好くなっちゃう。近くにいればみーんなお友達みたいなかんじ。なーるほど、テキはかくのごとく情報交換するものか。さても口コミはおそろしい。そのうち温泉の品評会になる。「あそこ広くていいよ」「混浴でしょ?」なんて盛り上がる。「混浴だと男って小さくなってるじゃん」「ガハハハハ」だって。まいったね。ツアーバスの95%は女、90%はおばちゃんである。男は借りて来た猫状態。いままで混浴の機会がなくてよかった。



1月6日(日)
 トイレも変ったけど風呂もずいぶん変ったもんだ。まだ戦後といわれた時代、広島へ引っ越して最初に住んだ家は農家みたいな造りだった。でっかい納屋の片隅に風呂の焚き口があった。はじめは薪を焚いた。焚き口にしゃがんで新聞紙に点火し、小枝に火を移し、薪が燃えるまで大変な苦労だ。兄貴とぼくの役目だった。数年後に「ひとで」みたいな形のガスバーナーに変った。これで楽になった。地獄から天国だった。浴槽はこの地方独自の五右衛門風呂である。盗賊・石川五右衛門を京都三条河原で釜ゆでしたという、あの釜である。鉄製の深い釜を下から直火で加熱する方式だ。鉄に触れると火傷するから、木製の丸い底板に乗って湯につかる。この底板が曲者である。隙あらば反抗してやろうと思ってる。分厚い材木だからとにかく浮力がつよい。うまくなだめすかしてしずしずと沈めないと、いきなり跳ね上がってアゴを打つ。釜に触れてアッチッチと飛び上がる。のちに大学の友達五人が旅行で立ち寄ったとき、五右衛門風呂でひと騒動あった。みんな初心者だから「ドシロウトメ!」と底板におちょくられたらしい。往生したそうな。いまやボタンを押すだけで「オフロガワキマシタ」とおねえさんの声。「ハイハイ」なんてうれしくなっちゃう。



1月5日(土)
 新年は青空ではじまった。明るい年になればいいね。元旦の天皇杯サッカー決勝を見た。ガンバ大阪を応援してたのに負けてしまった。悔しかった。ガンバの戦法を見て思った。狭いところで短いパスばかり交換してる。敵味方入り乱れてダンゴ状態になる。ダンゴの外側には大きなスペースがある。敵陣でフリーの味方に長いパスを出せば絶好のチャンスなのに、それをしない。パスだけで頭は真っ白、ゴールなんか忘れちゃう。地元の京都サンガもダンゴサッカーなので見ていてじれったい。そして新春の高校サッカーを見ていたら、滋賀の野洲高校もやはりおなじ戦法で負けた。京阪神にダンゴサッカーの人脈があるのかな。いまはパスサッカー全盛だけど、そこに落し穴がある。パスばっかしじゃ勝てない。日本代表だって香川、本田、長友、清武などの勇敢な突破者が出てきたから強くなったんだと思う。



1月4日(金)
 ゴルフの初夢をみた。芝の上のボールをなんぼ振っても振っても空振りする夢だった。あほらし。スイング軌道がくるってる。なーんて夢の頭でマジに考えてるのがおかしい。三番ウッドというのもちゃーんと意識してる。最後にやけくそで振ったら見事な弾道で飛んでいったのでスカッとした。ゴルフを止めてひさしい。あれはゴルフきちがいの仲間と車がないとやってられんスポーツですね。いまにして思えば二時間も三時間もかけて、千葉や御殿場や伊豆くんだりまでよう行ったもんだ。京都にきて無縁になった。新品のクラブがほこりをかぶってる。夢というのはじつに破茶滅茶、奇想天外、荒唐無稽なもんですね。住宅地の真ん中で屋根越しにゴルフやってる夢。熱海の旅館の二階座敷から海にむけてティーショットしてる夢。いっとき麻雀やボウリングもよく夢にみました。麻雀パイが青空にひらひら舞ったりする。天空に国士無双ができる。好きでのめりこんだ物事は何でも脳細胞に刻み込まれてるらしい。眠ってて脳回路がショートすると記憶が火花のようにはじける。むかしのカレやカノジョが夢に出るのは自然なことなんですね。