京都ごはんたべ日記

ごはんたべとは老舗の若旦那なんぞが芸妓や舞妓と食事することらしいが
まあ、いいじゃん。この言葉が気に入ったからつかわせてもらう。


2013年


12月31日(火)
 日本食がユネスコの無形文化遺産になりました。京都の料理人が音頭をとって始めた運動だけに一層うれしいことです。日本食のなかでも「お弁当」こそ文化遺産だと思います。駅弁、ホカ弁、コンビニ弁なんて外国にありません。まさに日本文化の宝石箱です。子供のころ遠足や運動会の最高の楽しみは、おかあさんの手作り弁当だった。玉子焼きだった。京都にきてお弁当に目覚めました。京都で言うお弁当はちょっとちがいます。若い人は別として、京都のご年配の方が「お弁当」と言ったら、それは駅弁やホカ弁のことではありません。名の知られたれっきとした料理屋(料亭・仕出屋)のお弁当を意味します。京都人といえども、いや京都人だからこそ、むやみに高級料亭のお座敷に座ることはしません。お座敷は祝い事など親戚知人がつどう「晴れの日」だけです。法事・花見・芝居などはもっぱらお弁当の出番です。そんなときのためどの家もひいきの料理屋さんがあるそうです。予算と好みを伝えれば希望どおりのお弁当を届けてくれます。仕出しを兼ねる料亭もあります。風雅なお庭に面したお座敷で懐石料理をいただくのも結構ですが、それなりにお値段がはります。お座敷や調度やお庭の維持費、大勢の女中さんの人件費ははんぱじゃありません。だから始末(節約)のよい京都人はお得なお弁当を愛用するのです。おばさまたちは食べなれて目も舌も肥えていますから、料理屋にはコワーイお客さんです。そんなお客さんに磨き抜かれた結晶がお弁当なのです。おいしい京料理を手軽に味わう最良の方法がお弁当なのです。高級料亭で「一番高い料理を出せ」なんて言うのはおおむね東京人だと、名物女将が笑っていました。札ビラを切るクセはバブルがはじけてもなおらんみたい。いろいろな機会に様々なお弁当を食べました。東本願寺別邸の枳殻邸(きこくてい)でお庭を鑑賞しながら泉仙の仕出し弁当を食べました。大徳寺門前の大徳寺一久で精進料理のお弁当を味わいました。犠牲豆腐、筏牛蒡など独特の料理に驚きました。円山公園にある風雅な料亭・左阿彌のお座敷で食べたお弁当も逸品でした。お座敷でいただくお弁当には温かい椀物や吸物がつくのがうれしい。



12月30日(月)
 京都の祇園祭が変わります。時期はずれで恐縮ですが、来年も近いので、ま、いいか。祇園祭のクライマックス・山鉾巡行は毎年7月17日に行われてきました。豪華に飾られた山や鉾と呼ばれる山車32基がいっせいに都大路にくり出します。それが来年から二度にわかれます。17日の「前祭」(さきのまつり)と24日の「後祭」(あとのまつり)の2回に分けて開催される。前祭では山鉾23基、後祭では再建される大船鉾を含めて10基が巡行します。前祭は従来通り四条通、河原町通、御池通と巡回しますが、後祭は逆に右回りになります。あわせて前夜祭の宵山も14〜16日と、22・23日ごろの2本立てになります。屋台で稼ぐテキ屋さんは喜ぶじゃろう。そもそも祇園祭が始まったのは平安時代とされるが、長い歴史の中でさまざまな変遷があった。京都が灰燼と帰した応仁の乱や幕末の蛤御門の変で、山鉾町は大きな被害を受けた。そのたびに消えたり復活したりして今の形になったようだ。こんど復活する「大船鉾」は幕末に焼失したものだ。じつは昭和40年までは前祭と後祭の二回でした。それが交通渋滞の緩和や観光振興のため一本化されたのです。いわば半世紀前にもどすのですね。事情はようわかりまへん。巡行が四時間半は長すぎるという声もあった。「祭り本来の姿に戻すべきだ」という意見が浮上したらしい。手遅れになることを「あとの祭り」というが、これは祇園祭から生まれた言葉らしい。いっぽう「祭りのあと」という言葉もあります。わびしく物悲しい気持になります。とくに子供は敏感です。大勢ひとが集まって賑やかに騒ぐことは、子供にとってみんなお祭りだった。それが終わって一人去り二人去る祭りのあとは子供心にもせつなかった。そんな記憶から歌が生まれる。「祭りのあとの淋しさが いやでもやってくるのなら」と吉田拓郎が唄う。「胸に残る祭りのあとで 花火は燃え尽きた」と桑田佳祐が唄う。あとの祭りが人生なら、祭りのあとも人生でにゃーか。後期高齢者なんて味気ない呼び名はよそうぜ。長嶋さんならきっと言うでしょう。「そうですねー、いわゆるひとつの、アフター祭り世代、と申しましょーか。」



12月27日(金)
 年の瀬だなあ。大丸周辺は賑わっている。錦市場もあることだし買物客の動きもあわただしい。押し詰まっても外国人旅行者は健在だ。顔じゃわからんが周囲で聴こえるのが外国語ばかり。彼等は春節(旧正月)だからいまは関係ないみたい。あちらの政府はこわもてだけど人民は別らしい。小金ができりゃ文化のある国へ行ってみたいのだ。大丸のデパ地下をひやかしてから、ひさしぶりに大戸屋へ寄った。ちかごろ鍋定食のやよい軒ばかり行ってたのでごぶさたしていた。季節のメニューがかわっていた。おお、さすが大戸屋、抜け目はないじゃん。ここも鍋定食をはじめたんだ。「鯵つみれと里芋団子の和風鍋定食」をいただきました。鯵つみれは本格の味です。小魚をすりつぶしたザラつく味わいがいい。ふわとろの里芋団子はなつかしい舌ざわり。絹ごし豆腐も吟味されている。箸ではつかめないほど柔らかいので、れんげでスープと一緒にすくう。しかも端正な真四角を保っているのが見事。白菜、人参、しめじが入っている。透き通った出汁がまたいいですね。美味しいので最後までれんげですくって飲みました。はじめて知る「かんずり」という薬味がついていた。唐辛子を三年熟成した醗酵調味料で、新潟県妙高市の特産だという。ゆず胡椒にちょっと似た唐辛子味噌という感じ。ゆず胡椒は青いけど、これは赤い。鯵つみれにちょこっと乗せて食うと抜群であった。こんなお・も・て・な・しはさすが大戸屋とうならせる。秋田のいぶりがっこみたいな沢庵を細切りにした漬物もいい。やよい軒は家庭にあるふつうの土鍋である。肉野菜の盛り付けはとくに考えてない。どっちかと言えば豚コマ放り込みゴッタ煮風です。特段の薬味もついてない。いわゆるひとつの定食屋の鍋ですね。いっぽう大戸屋は大きく開いた小じゃれた鍋を使っている。食材を吟味している。鯵つみれ、里芋団子は手が込んでいるし、豆腐、野菜とともにしかるべきところに配置されている。見た目に美しい。小料理屋の鍋といってもよかろう。女性客が多いのがわかる。ほかに「鶏とごろっと野菜の和風カレー鍋定食」もあった。こんどはこいつを試してみよう。



12月26日(木)
 このところ四条西洞院の「やよい軒」をひいきにしている。鍋定食をはじめたからだ。京の底冷えに鍋はうれしい。いま現在四種類ある。すき焼き、チゲ鍋、ちゃんこ鍋、坦坦胡麻鍋である。値段はどれも890円。鍋を食うとチケットをくれる。五枚ためると鍋定食がただになる。もう二回ほどただめしにありついた。今月20日で訪日外国人数が1000万人を超えたそうだ。やよい軒でそれを痛感する。この界隈に手頃な値段のホテルが三つばかりある。だから外国人旅行者が多い。西洋人もいるが圧倒的に多いのは中国・台湾・韓国であろう。ちかごろはタイ・ベトナムなども増えてるようだ。そんな連中がこの店におこしになる。おおむね五六人の集団である。若い人が多いので食券販売機は平気だ。ディスプレーに出てくる料理写真を見てキャーキャー言いながら選んでいる。席についても興味津々店内を見回している。日本式定食システムがめずらしいのだろう。さっそく番茶サービスに目をつけた。ポットの前に並び湯呑にお茶をたっぷり流し込む。行ったり来たり忙しい。盆にのせた料理が運ばれると、自分のはもちろん、仲間全員の皿や小鉢をながめまわして嘆声をあげる。やおら立ち上がってスマホで写真をとる。食べ始めてやっと静かになった。かと思ったらつぎつぎ立って「ご飯おかわり処」へ殺到する。ちなみにここの茶碗は並の茶碗ではない。ふつうに盛ると二膳分は入る。ぼくはめったにおかわりしない。日頃すごい食欲に感嘆するのは近くの工事現場からおこしになるガテン系である。ほら、あの裾広がりダブダブズボンのお兄さんたちだ。中国・韓国系の胃袋も負けていない。集団のうちに一人女性がいた。ギャル以上おばさん未満というお年頃。この女子の食欲がすごい。最初は男性たちのおかわりを代行してるのかと思った。そんな心遣いも日本女性なら不思議はない。でも中国女性はそんなにやさしくない。あきれて見てたらやっぱり本人御用達だった。つごう三回おかわりした。四杯食べたのだ。よっぽど腹がへっていたのか。それともニッポンの美味しいコメにいたく感激したのかしら。



12月25日(水)
 土曜日の夕方やってる「人生の楽園」というテレビが好きです。冒頭に西田敏行の語りがはいる。「今週は何かいいことありましたか。私ね、思うんですよ。人生には楽園が必要だってね」。前はキャンディーズ時代から好きならんちゃん(伊藤蘭)の声だったのでもっとよかったんだけど。年配のご夫婦が田舎へ移住して第二の人生を歩む姿を、周囲の人々との交流を交えて描いています。農業をやったりお店を経営したりする。隠遁じゃなくてもっと積極的です。それを見ていて、私ね、思うんですよ。人生には伴侶が必要だってね。仕切ってるのはかあちゃんです。明るくって、しぶとくって、タフなかあちゃんがいなけりゃ、田舎暮らしはやってらんないね。こだわって野菜作ったり蕎麦打ったりするのはとうちゃんだが、それを商売にするのはかあちゃんだ。周囲をうまく巻き込むのは人付き合いのうまいかあちゃんしかできない。ニッポンのおとうさんはシャイな職人肌が多い。東京の多摩地区に住んでたとき、よく妻と二人で奥多摩方面へドライブした。知ってますか?東京都の西半分は山また山なんですよ。そのまんま山梨県につながっている。いまは道路が整備されてるから快適に走れる。何度も通っているうちになじみの休息場所ができた。秋川渓谷を渡って山へ分け入った小さな集落にしゃれた喫茶店があった。石垣の上にある農家の庭の中にログハウス風の白木の小屋が立っている。門をくぐって階段を上がって庭を抜けて喫茶店へたどりつくのだ。知らない人は気づかない隠れ家だ。この店のご夫婦がUターン組だった。ご主人は画家らしい。母屋で絵画教室をやってると聞いた。ときどき寡黙なおやじが店を手伝っていた。喫茶店はやさしい奥さんと高校生くらいの可愛い娘さんがやっていた。壁一面の棚に色とりどりのコーヒー・カップが並んでいる。すべてちがうデザインの器である。奥さんが趣味で集めたらしい。好きなのを選んでコーヒーをいれてもらうしかけだ。通ってるうちにぼくの器を憶えてくれた。庭の東屋もよかった。いつも五六匹の猫が気ままな格好で日向ぼっこしていた。これが東京都かいなと不思議なほど、鄙びたのんびりムードだった。おれも女房が生きていたら違う場所で違う暮らしをしていたかもしれない。ふとそう思うことがある。



12月24日(火)
 クリスマス・イブですね。シュトーレンというお菓子を友人からいただいた。生地にドライフルーツやナッツが練りこまれていて、表面は砂糖でコーティングされている。ドイツの伝統的なクリスマス菓子だそうな。たまたまテレビでドレスデンの「シュトーレン祭り」を見たばかりだったので「あ、あれだ」と思った。毎年12月になると重さ4トンもの巨大なシュトーレンを作り、飾り屋台に乗せて市内をパレードするらしい。そのあとで切り分けて群衆に配る様子がテレビで放映された。わたくしめもさっそくいただいてみました。厳重なラップをはがして端っこにナイフを入れる。堅いです。口に入れると砂糖があみゃーていかん。ガシッという歯ごたえ。ほんのりフルーツの発酵臭がただよう。質実剛健単純素朴。いかにもドイツ菓子である。やわなフランス野郎のモンブランとはちゃうで。ヨーロッパ共同体といえどお国柄がみんな違うからおもしろい。ドイツからイタリアへ向かう飛行機に乗ると金髪骨太のドイツ女性がいっぱい。会津が薩摩へ行くみたい。肌が合わねえだろうな。ドイツ人は几帳面で清潔好き。日本人と似てる。イタリア人はマンジャーレ・カンターレ・アモーレ(食え歌え愛せ)です。わるく言うといいかげん。よくよく考えると日本人は両面をもっている。現代ビジネスマンならドイツ人と相性がいいだろう。しかし江戸の庶民なんかまさしくイタリア流であった。陽気でちゃらんぽらんだった。日本のサッカー選手はドイツで歓迎されるしイタリアでもそこそこやっている。こんど日本代表のリーダー格・本田圭佑選手がイタリアのACミランへ入団する。彼はオランダ、ロシアと渡り歩いて実績を残してきた。日本人にはまれな強烈な個性を持っている。きっとイタリアでも受けるだろう。イギリスはどうも日本人と合わんのじゃないか。大英帝国とか言っちゃってスパイ・謀略にたけた国柄はちょいとなじめない。フーリガンもいるしね。香川クンもマンチェスター・ユナイテッドへ移籍してからどうもパッとしない。相性が悪いみたい。以前はドイツのドルトムントで大活躍して人気者だったのに。ドルトムント・サポーターはいまでも香川選手を待望してる。ドイツへ戻ったほうがいいかも。それにサッカー元祖のイギリスより、いまではドイツのブンデスリーガのほうがレベルが高いようだ。



12月23日(月)
 日曜日に全国高校駅伝を見た。朝十時から女子駅伝、昼から男子駅伝である。都大路が舞台だけど寒いからテレビで見た。選手諸君、ごめんなさい。高校生っていいね。ほんとに一生懸命走るとこがかわいい。とくに女子高生はかわいい。なーんておじさん丸出し。去年優勝した地元の立命館宇治は残念ながら四位に終わった。優勝した愛知の豊川高校を見ていて思った。豊川の選手はみんな走り方が美しいのだ。姿勢がいい。脚をまっすぐ上げてまっすぐ蹴る。そのような選手を集めたのか、そのように指導したのか。うしろのほうを走ってる選手ほどフォームがよくない。前かがみになったり反っくり返ったり。内股や外股が目立つ。さらに豊川がいいのがユニフォームです。上下赤一色がすっきり映える。テレビ時代なんだから高校当局もいますこしユニフォームを見直すべきでにゃーか。色の取り合わせがダサいのが多い。憧れの衣裳を作るのも学校経営のひとつでしょ。DOKKYOマン(独居おじさん)の年末年始の楽しみは、なんといっても駅伝とサッカー観戦です。ようもやってくれるというほど年末年始は駅伝・サッカーのオンパレードなのだ。まず駅伝。全日本実業団対抗女子駅伝、全国高校駅伝(男女)、全日本大学女子選抜駅伝、実業団ニューイヤー駅伝ときて、トリは新年の箱根駅伝でしめくくる。箱根駅伝は正式には「東京箱根間往復大学駅伝競走」と長い。つぎにサッカー。皇后杯全日本女子サッカー、全日本大学サッカーときて、ヤマは天皇杯全日本サッカー決勝である。天皇杯決勝は元旦に東京の国立競技場で行われる。「ガンタンのコクリツ」といえばサッカー関係者はナミダなくして語れぬほどのビッグイベントである。今年は特に感慨が深い。七年後の東京オリンピックのため国立競技場を建て替えるので、現存では最後の「コクリツ」になる。大晦日のNHK紅白歌合戦を見なくなってひさしい。乗れないのだ。面白くないのだ。カラオケおばさんとカラオケギャルを一緒くたにした中身はいったい何でしょうか。「みんなで歌う歌」もなくなったし「みんなで見る映画」もなくなった。これからの年末年始はスポーツだがや。若い人が元気で走りまわるのが一番でにゃーか。テレビ当局は「年末年始スポーツ合戦」をジャンジャン流してちょ。お・も・て・な・しもええけど、ス・ポ・−・ツも無形文化遺産と言えるんでにゃーきゃ。



12月20日(金)
 「匂い優しい白百合の 濡れているよなあの瞳・・・」。憶えてますか?「想い出すのは 想い出すのは 北上河原の初恋よ」。なつかしの初恋ソング「北上夜曲」です。高度経済成長へ向かう昭和30年代の中頃だった。全国津々浦々に歌声喫茶というものが流行った。コーヒーを飲みながらその場の全員が声を合わせて歌うのだ。伴奏はアコーディオンだった。唱歌・童謡からロシア民謡、労働歌、反戦歌、歌謡曲までなんでも歌った。その話をしたら現代の若者が言いよった。「はずかしいじゃん、なにがおもしろいの?」。その歌声喫茶から北上夜曲はひろがった。流行しながらも作者不明ということがこの歌を神秘的なものにした。いくつものレコード会社が競作した。いろんな歌手が歌った。和田弘とマヒナスターズ、ダークダックス、菅原都々子。のちに倍賞千恵子、野路由紀子、芹洋子なども歌った。YouTubeであそんでいたら小柳ルミ子の北上夜曲をみつけました。聴いてみた。いまさらながら小柳ルミ子の美声に惚れました。じつにのびやかな高音の美しい声である。「京のにわか雨」という京都ソングもいいね。彼女にはちょっとした思い入れがある。いっしょにボウリングしたことがある。彼女はまだ高校生くらい、有名になる前のことだ。無邪気な可愛い女の子だった。当時ボウリング・ブームでぼくも熱中していた。マイボウルをいくつも作ってマイバッグでボウリング場をわたりあるいていた。たしか青山のボウリング場だったと思う。たまたま隣り合わせになって、にわか仲間でワイワイ楽しんだ。「わたしの城下町」が大ヒットしたときは驚いた。へえ、あの子がねえ、と感心した。時は流れた。さなぎは蝶になった。無邪気な女の子は変身した。世を騒がした。まさかあんなタイプになるとはねえ。女は魔物です。いまもたまにテレビで見る。あの体型を維持してるのは立派です。まあ、年下と張り合うにはよっぽど努力せんとね。でも歌いはじめたらびっくりした。まるで声がでていない。あのすばらしい美声はどこへいってしまったの。気の毒になって消音ボタンを押してしまいました。



12月19日(木)
 むかし若くて元気なころ、東京中をくまなく歩き回ったことがある。仕事であった。東京の地形と町の成り立ち、商業地・住宅地の分布、住んでる人々の類型、などを徹底的に足で調べ上げたのだ。山手線の内側に歩いていない道はないほどの徹底ぶりだった。いまでも地形の高低や道の曲がり具合などが頭に刻みこまれている。もともと歩くことが好きだったから非常に興味深い経験だった。いま京都にいて江戸の時代小説を愛読している。雑司ヶ谷の鬼子母神、原宿隠田村、麻布仙台坂などの場面が出てくると、あたりの起伏や坂道の勾配まで目前に思い浮かぶ。京都にくらべると東京の地形ははるかに複雑である。西から東へ武蔵野台地が張りだしていて丘陵と谷筋が入り組んでいるからだ。江戸時代は武士と町人の住むところが画然と分けられていた。高台のいいところはすべて武家屋敷であった。面積にして七割ちかくが武士の住む地域だった。残された低い谷筋の底に町人たちは押し込められていたのだ。もしくは深川などの海沿いの埋立地であった。「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど頻繁に火事があったらしい。密集した商家、長屋はたちまち延焼して大火になった。「振袖火事」「八百屋お七の火事」「水戸様火事」など、名称は艶っぽいが被害は甚大だった。死者十万を超えた火事もあった。裕福な商家などはもう一軒分の材木を準備して木場にあずけてあったという。記録は定かでないが、川筋や海沿いでは洪水・高潮・津波の襲来もあったにちがいない。いちばん被害を受けたのは低地に住む庶民たちであった。明治維新のあと諸藩の武士たちはみんな故郷へ帰った。武家屋敷はのきなみ空き家になった。もし東京が首都にならなかったら、どえりゃーことになっただろう。七割が空地・空家になってしまう。商人・職人もお客がいなくなってしまう。実際は元武家屋敷はおおむね官に接収された。官庁や官舎になった。桜田門外の変で有名な井伊屋敷のあとに、国会議事堂が立っている。霞が関官庁街ももとはすべて大名屋敷である。麻布・広尾・六本木の高台には各国の大使館ができた。周辺に外国人が住みついた。高級住宅地になった。のちには高級マンション地帯になった。いまでも高台と低地では、土地柄・住民・イメージが明らかに異なるのが東京という都市なのである。



12月18日(水)
 三条京阪のブックオフに行った。うちの前のバス停から12番に乗るとブックオフの真ん前に着く。例によって女流の文庫本を買った。宮部みゆきさん一冊、宇江佐真理さん二冊。あわせて800円ほど。ジュンク堂とか大垣書店は毎日のように寄るんだけど、新刊本や雑誌をながめるだけで、めったに買わない。きのう買ったのは来年のカレンダー。これは毎年おなじものを買う。帰りに柳馬場姉小路の町家中華でランチ。京都の通り名は読み方がむずかしい。柳馬場姉小路は「やなぎのばんばあねやこうじ」と読む。烏丸通は「からすまどおり」、綾小路は「あやのこうじ」、御幸町通は「ごこまちどおり」という。この町家中華は本店がうちの近くにあったので以前は毎日のように通った。いまでは本店がなくなって姉小路の町家だけになった。でもずいぶん立派なお店になったので大出世である。中庭に面したお座敷は素敵だ。掘り炬燵式の回転卓はとても居心地がよい。ご主人はもと一流ホテルの厨房をあずかっていたので腕はたしかだ。選び抜かれた食材にさっと強火を通す料理はけっして脂っぽくない。奥さんもサブの料理人も給仕のおねえさんもおなじみだからアットホームでくつろげるのがいい。店が広いので補助の店員さんも多い。ときどきに変わるけれど見てると世相を感じる。外国人もいる。190センチもあるスロベニアだかどこかの大男には驚いた。しかし日本語が達者だった。きょうは小柄な可愛い少年がいた。奥さんに訊いたらこんど大学に入るバイトだという。へえ、十八ってこんなに幼いものか。なんにも知らんかったのも無理ないな。と、自分の昔を思い出した。さて、きょうの日替りランチは細切り豚肉とじゃがいも炒めだった。中華風茶碗蒸しと若布スープがついている。じゃがいもは油通ししてあるのかポテトフライみたいな感じ。これが甘くておいしい。ほかにキャベツ、玉ねぎ、ニラなど野菜たっぷり。ごく細切りのお肉も食べやすい。茶碗蒸しには鶏肉と椎茸が入っている。口当たりがとてもなめらかだ。土日はランチをやらないが定食千五百円がおすすめだ。主菜のほかに前菜三種盛り、点心三種盛り、ねぎ麺と、ひじょーにお得感がある。



12月17日(火)
 土日は株式市場が休みなので出勤しない。「つまらん!」と大滝秀治になる。趣味で株をやっている。といっても小金(こがね)をちょい動かす程度。たいして儲からんけどじつにおもしろい。世の動きがビンビンわかる。わが性格の弱点をいやというほど知らされる。ああ、またやっちゃった。サルでもできる反省ばかりしてる。ひとには勧めない。いいかげんに手を出すととれとれ詐欺にかかる。昔から「株は美人投票」といわれます。自分が美人と思うひとに投票してもダメ。「万人が美人と思うだろう」というひとに投票しないとミス日本を当てることはできない。これは美人だ、いい株だと、ひとりよがりで買った株はウンともスンとも動かない。それをよそ目に、悪女みたいな妖しげな株がバンバン跳ね上がる。人気がないとだめだ。「人気知れば商いも株も負くることなし」という相場格言があります。いったん人気に火がつくともう、美人かブスかはどうでもよくなってしまう。ぼくは競馬をやらないがテレビ中継は見るし解説も聞く。つくづく思うのは競馬と株がよく似ていること。「きてる馬に乗るべし」。これは共通する秘訣だ。新馬戦というのか二歳の若駒のレースがある。まだ馬体は細いけど見るからにピチピチ元気がいい。有望な二歳馬を見つけてずっとフォローする。ダービーで勝つかもしれない。三冠馬になるかもしれない。人気が出始めの若い株に乗れば勝つ確率が高い。AKBにデビューしたてのギャルにいちはやく目をつける。あくまで新鮮ピチピチでないとあかん。姥桜を追いかけるとえらい目にあう。自分が乗ったころには株価が天井であとは落ちるいっぽう。しかし人気はめぐる。姥桜も時がたてばピチピチ再デビューできるのが株のいいとこ。ディープインパクトみたいな本当に強い馬は、たまに負けても再び期待がもてる。また勝つことが多い。強い株もあります。トヨタはどこから見ても優良で業績のよい日本一の会社です。そんな株はおおむね高いけどたまに下げることがある。強い株が下げたところを買えば戻すことが多い。ところが最近トヨタ株はほとんど動かない。業績は最高だし円安でますます有利なはずだが、テコでも上がらない。すぐに手放した。ようわからん。みんなが持ってるから動くに動けないんじゃないか。



12月16日(月)
 ことしも押し詰まってきましたね。みなさんお正月の準備が大変でしょう。大掃除しなきゃ、買物もしなきゃ、お節料理もつくらなきゃ、と主婦は忙しい。亭主は邪魔だろうね。友人たちはおおむね女房子供がいるので正月は賑やかでしょう。こっちはじぇんじぇん関係ない。心持ち丁寧に掃除するくらいであとはなんもない。気楽なもんだ。寂しいもんだ。このあいだ五条警察から携帯にとつぜん電話があった。喫茶店にいたのであわてて席を立った。聞けば「一人暮らしの見守り」担当ですという。「お元気ですか?大丈夫ですか?」と訊きよる。まるで頑是ない子供に言う口調です。「振り込め詐欺が多いので気をつけてね。話に乗ってはいけませんよ」とつづく。いつからおれはガキになったんだよ。と言いたかったが我慢した。福祉協会たらいうところと地元警察が連携して独居老人を見守ってくれるのだ。ありがたいではないか。「はい、おかげさまで元気にしております」と殊勝に答えておきました。友人たちに酒飲み話でもらしたら大笑いしよった。時代の先端でにゃーか、DOKKYOマンと呼んでちょ。まあ、こっちのこと分かってないからみんな一様に扱うのは無理もない。この日記を見ればシャンとしてると納得するだろうに。そうだ、こんどそう言ってサイト教えてやろうか。さてDOKKYOマンの正月はいかなるものか。まずは食事処の確保がなにより。はじめのころは探し回ったけれどいまはもう大丈夫。もっとも頼りになるのが大丸そばの大戸屋錦小路店です。ここは年中無休。11時から22時までやってます。肉・魚・野菜なんでも食えるのがありがたい。デザートまであるでよ。正月二日からは大丸も営業するから買物に不自由はしない。つぎは烏丸仏光寺の和食店・かごの屋です。座敷もある大きな店で、お正月はチントンシャンと琴の音色が流れます。いつだったかここで形ばかりのお雑煮がついていました。お正月に京都の町を散歩するのは最高です。おおむねお天気もよい。なーんもやってない京都なんてこの時しかない。スッピンの京都を心ゆくまで堪能できるのは地元に住んでる特権でしょうか。



12月13日(金)
 うちから四条通を東へいくと四条烏丸に出る。夏の間はバスで一気に大丸前まで行き、そこから歩いていた。いまは再び歩け歩けの毎日です。でも四条通は歩かない。歩道は広くないし団体観光客の通り道である。団体さんを乗せた大型バスは堀川通に停車する。荷物と人間を吐き出す。周辺に手頃なホテルが多いので、大きなバッグを引きずった団体さんがゾロゾロ歩くことになる。ぼくの歩道は一筋裏の道です。一筋南の綾小路をゆき一筋北の錦小路をもどる。道筋にいろんな京都がある。綾小路はきみまろさんで知られている。「あやの小路」はお洒落な小間物の京都ブランドです。原宿あたりでがま口が人気だそうです。京町家の多い静かな通りです。信号が少ないのも歩きやすい。途中に大きな町家の「杉本家住宅」がある。重要文化財です。間口も広く奥行きも深い立派な屋敷造りです。祇園祭のときや折にふれて公開されるので見学したことがあります。ふだんは人が住んでいないが、ときおりピアノの音がもれてきます。新町通に出る。この辺はぼくの好きな食事処だったが、店が移転したり閉店したのが残念だ。やがて烏丸通に出る。急に景色がかわる。ビジネス街の大きなビルが連なる大通りだ。左手にCOCON烏丸、 LAQUE烏丸などの商業ビル、右手に三菱UFJ、三井住友銀行が見える。周辺に本屋、喫茶店、パン屋、マクドナルドなど、ぼくのおなじみさんが多い。大丸や定食の大戸屋も近い。帰りは錦小路をぶらぶら歩いてもどる。錦小路は飲食小路である。立ち飲みの「清水家錦」がある。こだわりラーメンの「蒼龍唐玉堂」がある。お好み焼きの「まんまるの月」がある。その先には町家中華の「膳處漢(ぜぜかん)ぽっちり」の堂々たる建物がそびえる。敷地200坪の呉服問屋だったのを改装したという。通りに面した表家はモダンな洋館。奥に入ると和風木造建築が広がり和洋折衷の異空間である。さらに奥には白漆喰の蔵を改装したバーがある。やがてふたたび新町通に出る。あたりは祇園祭で山鉾が集中するメッカである。宵山には両側に屋台が並び、押し寄せる人波があふれる。駒形提灯に照らされた山鉾が夜空に浮かび上がる。平素はおしゃれな町家風景の連なる落ち着いた街並みです。大好きなおばんざい居酒屋「太郎屋」がある飲屋横丁も近くにあります。



12月12日(木)
 きょうは中華を食べようかと姉小路のなじみの店に行ったら休みだった。そこで近くの堺町姉小路にある「光泉洞寿み」(こうせんどうすみ)の和定食にした。表の黒板に献立がでている。きょうの日替りは、肉団子甘酢あん、春雨サラダである。この店は地味なわりに知られた店である。大げさな料理屋ではない。京都の美味しい家庭料理みたいな感じ。お昼(四時まで)だけの営業。予約すれば生麩定食やおばんざいなども用意してくれる。地元人はもちろん、東京ギャルなども「るるぶ」やガイドブック片手に押しかける。クリーム色の壁に虫籠窓(むしこまど)の古い京町家をそのまま使っている。引き戸を開けると土間の向うに二間続きの座敷があり、奥の障子越しに坪庭が見える。座敷には座卓がいくつか並べられている。座敷の一角に厨房に面して掘り炬燵式のカウンターがある。四人くらいしか座れないがぼくはいつもここに座る。胸当てつきエプロンのおばさんはいかにもふつうの主婦という感じ。三人ほどでやっている。ほかに客は三人くらいだった。これで商売になるんだろうか、と思わせるいい店があるのが京都のよさである。肉団子はフワフワじゃなくてカリカリのほうだった。かっちりした歯ごたえがいい。噛みしめると生姜の隠し味がほんのり匂う。五個の団子はけっこう食いでがあった。甘酢はひかえめな酢がよかった。ツンとくる酢には弱いのだ。深い椀にたっぷり熱々の味噌汁がうれしい。豊かな気分になる。浅い椀の底にちょっぴりの味噌汁はいけません。こんなのはおおむねぬるいからますますいけない。漬物の千枚漬にはおどろいた。めったにないぜいたくです。この店が知られているもうひとつの理由がある。「京都迷宮案内」などのテレビドラマのロケに使われるのだ。見ていて「あっ、あそこだ」とすぐに気がつく。柿色の暖簾をはずしていてもわかる。表口を刑事たちが出入りする場面があった。座敷の場面もあった。なんのドラマだったか、無口で武骨で一徹な職人のおやじさんが、さもうまそうに出し巻き玉子をほおばるシーンが印象に残っている。



12月11日(水)
 「病葉(わくらば)を今日も浮かべて、街の谷川は流れる、ささやかな望み破れて、哀しみに染まる瞳に・・・」。こんな唄がひょこっと出てきました。記憶というのはほんま不思議なもんや。吸取紙に染み込むインクのように、染まってない脳ミソにたちまち吸収される。20歳だった。あれから幾星霜。満タンのこの年になると「もうあきまへん」と受付けない。今日びの歌手や俳優の名前なんか受けるそばから門前払いである。「ほら、あの、あれ、あいつ」なんてことになる。あきらめたころひょっこり出てくる。さて仲宗根美樹の「川は流れる」です。沖縄出身歌手のはしりです。ヒット一発だけでその後どこへ行ってしまったのか。消息を聞かない。いわゆるヒットソング時代の幕開けだったろうか。その時その場所まではっきり憶えている。青春の無聊にふと忍び込んだ歌声だった。東京・代々木上原の下宿の三畳間に寝ころんで聴いた。「人の世の塵にまみれて、なお生きる水を見つめて・・・」。ハスキーでけだるい歌声を忘れない。当時の歌は歌謡曲であった。スローな曲に乗って切々と歌詞を聞かせる。悲しい歌が多かった。いまのミュージックは言葉より音である。めちゃ早口で英語や叫びまじり。何言ってんだかわからない。どうせ音だからわかんなくていいんだ。デジタル信号みたいなもんだ。そういえば昔はラジオやレコードで歌を聴いたが、いまはどこからかダウンロードする。リズムと音だから集団でジャカジャカやるほうがいい。ひとりで直立して歌ったんじゃかっこうがつかない。おのずとAKB48が飛んだり跳ねたりすることになる。さて三畳一間のお話。「窓の下には神田川 三畳一間の小さな下宿 あなたは私の指先見つめ 悲しいかいって訊いたのよ」と、南こうせつとかぐや姫さんが唄いはった。三畳の下宿なんてずいぶん貧しいと思うだろう。でも当時はあたりまえだった。この歌の下宿はどのへんだろうかと想像する。都の西北、早稲田界隈を神田川が流れている。早稲田の学生さんの下宿が多いところだ。面影橋のちかくに友人が住んでいた。むかし訪れた風景を思い出す。たぶんこのあたりにその下宿はあったのだろう。二人で行った横丁の風呂屋は、ひょっとして・・・面影湯?



12月10日(火)
 今朝は気分をかえよう。いつもとちがうところへ散歩しよう。南の五条方面へ歩き出した。この気まぐれは正解だった。烏丸通と松原通の交わる角に「コメダ珈琲店」を発見した。そうか、できてたのか、コメダ。知る人ぞ知る(知らない人は知らない)名古屋の喫茶店だがや。と、はやくも語りはナゴヤ・モードじゃけん(あ、まちがえた)。さっそく入って見にゃーいかんぞなもし。できたばかりの明るい店だ。時間もよし。有名な名古屋モーニングちゃーどんなんだべ。本場では和洋中華なんでもモーニングに出ると聞いたが、ここ京都ではごくまともにトースト・ゆで卵だったがや。この卵が熱々で出るのがええにゃー。皮をむくのに手が踊るくらいだ。さてコメダさんのメニューは尋常ではにゃーだろ。期待して見まわす。あった、あった、ミソカツサンド。エビカツサンドもあるでよ。あ、いたいた、エビフリャー。エビフリャーのにゃーナゴヤがありゃーすか。ナゴヤの婚礼はエビフリャーの大小を問われるとか。となりに座ったキンキラ刺繍革ジャンのお兄さんが「小倉トースト!」と、堂々宣言しはった。おいおい、そりゃーちーとミスマッチでにゃーか。トーストに小倉あんが山盛りついてくる。そのあんこをバタナイフで塗りたくるのだ。壁を塗る左官屋みたい。これぞ名古屋名物コテコテあんこだぎゃー。あんこをはさむ小倉サンドもあるでよ。お皿にこんもり盛った小倉あん単品100円もあるみたい。コメダ珈琲店は喫茶王国・名古屋のシンボルぞなもし。全国に500店以上あるらしい。愛知県民が喫茶店に使うお金は全国平均の倍返し・三倍返しだぎゃー。名古屋人はコーヒーそのものより喫茶店という空間が大好きなんだにゃー。そこらじゅう喫茶店なので競争は熾烈らしい。これでもかこれでもかとモーニング・サービスを競っている。食べ放題もあれば、和食モーニングもあり、うどん・おにぎりもある。長嶋さん、どう思いますか?「そうですねー、これはもう、いわゆるひとつの、喫茶カルチャーですねー」。



12月9日(月)
 大発見をした。まえから六角東洞院で建築工事をやっていた。おしゃれな建物らしいな。料理屋でもできるのかな。と思っていたら、できました。はいりました。おどろきました。なんと高級スーパーである。京都はやたらコンビニが多いけど生鮮スーパーが少ないと書いてきました。それができたのです。しかも京都の「へそ」六角堂のそばに。京都に初の都心高級スーパーであります。東京で言うなら東急ストア、京王ストアではなくて、青山のKINOKUNIYA(紀ノ國屋)なんです。そんじょそこらのスーパーではない。おそれおおくも「京都・八百一本館」なるぞ、頭が高い、なのである。外観は紀ノ國屋よりはるかに立派です。すっきりとおしゃれな店構え。明るい店内に選び抜かれた食材があふれている。その名のとおり野菜にはこだわっているみたい。色とりどりの野菜がみるからに美しい。高そうな霜降り牛肉もそろっています。しゃれたパン、スイーツ、お弁当もあります。エスカレータでのぼる吹き抜けの二階には輸入食材、菓子類、チーズ、ワインなどのコーナーがある。ワインバーまでしつらえてある。三階にはレストランもある。これは京都人の暮らしにとって画期的なことかもしれない。六角通から御池通にかけてちかごろ高級マンションがつぎつぎ建っている。そこで暮らす人種は錦市場を愛する昔ながらの京都タイプではあるまい。東京都心で暮らす人々と似た感性をもっているのではないか。気に入った食材を買ってきてディナーをこしらえたり、パーティをしたりするのかも。京都に「青山」が来たのだ。青山の紀ノ國屋は東京で知る人ぞ知る高級スーパーです。紀ノ國屋の紙袋を下げて歩くのは青山人ならずともステイタスなのです。さらにハイソ(上流)なのが南麻布にあるナショナル麻布スーパーです。周辺は大使館や高級住宅・高級マンションばかりです。大使館員や外国人ビジネスマンご愛用のスーパーなのです。店の中は独特な雰囲気。日本じゃないみたいです。有栖川公園のそばにあって周辺もおしゃれな雰囲気です。ぼくらが大学生のころできたらしい。時代が大きく変わるころだった。



12月6日(金)
 六時に起き湯沸かしポットに点火しパソコンをつけ顔を洗って散歩にでる。外はまだ暗い。ひんやりした冷気に思わず身がひきしまる。四条通を烏丸方面へ歩く。日中は避ける四条通だがいまはほとんど人がいない。自分の足音だけが響く。同じような暗さでも夕刻の暗さと明け方の暗さはずいぶんちがうなあ。夕方は空気がだれている。よごれている。やれやれ、疲れたなあ、いっぱい呑みにいこか、という暗さである。明け方はちがう。ほら、目を覚ませ、しゃんとせい、働かんかい、という空気である。ぼくはもう働かんけどね。この薄闇にもっとも目立つものといえば信号の赤と緑である。前方はるかかなたまで赤信号や青信号が連なる景色は早朝しか見られまい。周辺の建物や道路が闇の底に沈んでいるので赤丸・青丸がひときわあざやかに映える。祇園祭の駒形提灯を連想する。はじめは車も少ないが見る見るテールランプの赤がふえてくる。歩いているうちに空の色が変わりはじめる。黒から深い縹色(はなだいろ)になり、しだいに明度が増してやがて白にかわる。お天気の朝でもいったん白になってから青空にかわる。路傍で目につくのはコンビニの灯りくらいである。余談だけど早朝のコンビニ店員はなぜか外国人ばかりである。日本語がつたないのでわかる。一所懸命はたらいているんだなあ。四条烏丸の大きなマクドナルドで朝のコーヒーを飲む。ちょいと何か食べて朝食にすることもある。はじめは客が少ないけど五分ごとに増えてくる感じ。壁際で居眠りしているひと。新聞読んでるひと。はやくもパソコンにかじりついてるひと。七時ちかくになるとカウンターに行列ができる。背広姿が多くなる。でっかいバッグを引きずった旅行者もまじる。外国語なども聴こえてくる。京都の朝がはじまる。



12月5日(木)
 「秘密のケンミンショー」というやつが好きでよく見ています。「県民の県民による県民のための赤裸々カミングアウトバラエティー」とうたっている番組です。タレントが出身地別に出演し、その土地だけで行われている一風変わった行事・習慣を紹介するのが売り物。「ヒミツのごちそう」という地域限定の食べ物がおもしろい。おかずに砂糖をぶっかけて食う秋田。なんでもありの名古屋のモーニング・サービス。ノリツッコミなどけったいな言動をする大阪。なかでも異色は沖縄である。イラブー汁は燻製にした海蛇をゆでてスープをとり具材を煮込んで塩で味付けしたもの。蛇腹がもろに見えてすごい。豚の大腿骨(ゲンコツ)にストローを差し、骨髄をチュウチュウ吸う「げんこつちゅうちゅう」。コラーゲンたっぷりと女性が嬉しげに吸っている。ゲテモノが苦手のわたくしなどは辟易する。沖縄の台所・牧志公設市場へ行くとまるで外国のようだ。皮つきの豚の頭を丸ごと売っている。鮮やかな青や緑の大きな魚はちょっと気味がわるい。肉食の様相は香港に似ているかも。香港の裏町をうろつくと、店頭で大きな肉塊をさばいている肉屋ばかりの一角がある。真っ赤な肉・血と強烈な臭いに鼻を押さえて逃げ出した。沖縄のひとは風貌もちょっとちがう。目がパッチリして濃い顔である。歌手やタレントさんが多い。沖縄のお墓はものすごく立派な石造りの祠である。大勢の親族が集まってお墓の前で飲んだり食べたり踊ったりする。沖縄人はもともと長寿だったのに、最近は肉食のとりすぎで平均寿命が短くなったと問題化している。もともとの豚肉食に加えて米軍の影響か牛肉食がとみに広がった。国際通りはステーキ屋だらけ。ケンミンショーで見たが、たらふく酒(泡盛)を飲んだあげくシメとして巨大なステーキをペロリとたいらげる。それがあたりまえだそうな。最初に沖縄へ行ったのは昭和47年の沖縄返還の前だった。パスポートを持って入管したのを憶えている。免税店もあった。それ以来何度も訪れて親しみを感じている。なにかといえば踊りだす陽気なおばあちゃんの笑顔も好きだ。レンタカーで島中を走ると米軍基地がいかに大きな存在かわかる。大半が基地なのだ。どげんかせんといかん。近くに危ない国があるかぎり日本国の防衛はみんなで分かち合わんとね。



12月4日(水)
 「みやさんみやさん、おんまのまーえにヒラヒラするのはなんじゃいな、あーれはちょうてき(朝敵)せいばつ(征伐)せよとのにしきのみはた(錦の御旗)じゃしらないか、トコトンヤレトンヤレナ」。子供のころに聴いたおぼえがあるでしょう。女の子たちが手毬歌のように歌っていた気がする。いまどき「ちょうてき」はわかんない。意味をぜんぜん勘違いして憶えてたりしてね。鳥羽・伏見の戦いのとき官軍の兵士が歌った軍歌・行進曲です。のちに内務大臣をつとめた長州の品川弥次郎が作詞して、大村益次郎が作曲したといわれる。一説には祇園の名妓・君尾が祇園囃子をアレンジして作ったともいう。笛太鼓に乗ってやけに陽気な軍歌である。トコトンヤレトンなんてお座敷小唄みたいじゃないか。幕末から明治にかけて京都の南の郊外で、鳥羽・伏見の戦いがあった。薩摩藩・長州藩が主力の新政府軍と旧幕府軍が鳥羽・伏見で激突した。軍歌のせいでもあるまいが、劣勢となった幕府軍は大阪方面に逃走する。このとき薩摩藩の本陣であった東寺に「錦の御旗」が掲げられたという。これで薩長軍は正式に「官軍」とされたわけだ。対する前線の幕府兵たちが「このままでは朝敵になってしまう」と青ざめて退却したそうな。「賊軍」とされた佐幕諸藩は大いに動揺したという。このへんがどうもよくわからないところです。ついきのうまで天下の江戸徳川幕府とえばっていたのに、「錦の御旗じゃ知らないか」と言われると、急にへなへなと腰砕けになるのが解せない。そんなことなら朝廷をもっと大事にしてうまくやればよかったのに。武士や町民の心中で「朝廷と幕府」の位置づけはどうなっていたんだろう。徳川将軍の慶喜さんは味方を捨てて、側近とともに大坂城から海路で江戸へ逃げ帰ってしまう。これがまずかったね。敵味方から敵前逃亡と見なされた。幕府勢力は肝心かなめの京大阪を失ない、薩長中心の新政府がこれに取って代わる。そのあとに上野の彰義隊との上野戦争、白虎隊の会津戦争などがあいつぎ、五稜郭の箱館戦争で最終的に「ちょうてきはせいばつされて」しまう。トコトンヤレトンヤレナ。



12月3日(火)
 近くの四条通に「やよい軒」という定食屋がある。全国展開のチェーンらしい。東京・茅場町の弥生軒という洋食屋が発祥だそうな。京都にもあちこちにある。ここは最近全店改装したので明るくモダンになった。ふだんはあまり使わないが、寒くなると「鍋定食はじめました」という幟が立つ。これが待ち遠しい。いまはすき焼きとチゲ鍋だが、やがてちゃんこ鍋やカレー鍋も出てくる。そして五鍋食うと一鍋がタダになる食券をくれる。これは得した気分になる。きょうも寒い。こないだすき焼き食ったからきょうはチゲ鍋にしよう。最新式の券売機で食券を買う。フルカラーディスプレーに料理の写真が出るので、これを見て選ぶ。ときどきジジババが操作にとまどって店員を呼ぶ。中央に大きな対面式カウンター席があり、まわりの壁際にボックス席が並ぶ。ぼくはいつも二人用ボックス席に座る。料理を持ってくるおねえさん(またはおばさん)が「ごはんのおかわりは自由です。あちらでどうぞ」と言う。あちらの一角に「ご飯おかわり処」がある。中央に大きな保温釜があり、右手におしゃもじが突き刺してある。ただ刺してあるのではない。深い凹みにアイスキューブがたっぷり詰めてあり、その中にしゃもじが立っている。左手の大きなポットに熱い番茶がはいっている。湯呑も用意してある。各席には漬物の器があって自由に取る。きわめて細切りのたくわんと紫蘇がまぜてある。これは気がきいている。小皿に漬物を取り、熱い番茶を飲みながら料理を待つ。チゲ鍋がくる。熱々の土鍋に豚肉、白菜、ねぎ、しめじ、豆腐、肉だんご。熱々たっぷりの赤いチゲスープ。中央にとろとろ玉子が乗っている。ほかに野菜サラダ、キムチちょっぴり、ニラチヂミ二切れがついている。チゲスープをれんげですくって飲む。身体がホカホカあったまる。ぼくはご飯のおかわりはしない。深い茶碗はふつうの二杯分くらい入る。となりに座った学生風の兄ちゃんはガッツリ唐揚げ定食だ。食べる前からおかわり処へ直行した。見るとごはんを山盛りてんこ盛りにして席にもどり、猛然と食い始めた。若いってことはすばらしいな。うらやましい。



12月2日(月)
 「町や酒場に幸せはない、楽しみばかり求むるではない、だが若い日は自由にあこがれ、翼のぞまず生きられようか」。歩きながら知らないうちに唄を口ずさんでいた。えっ?なんだ、なんだ。なんの唄だったっけ。よう憶えていたもんや。そうだ、「囚人の歌」だった。学生時代に歌声喫茶あたりで仕入れたものか。そういえば当時はロシア民謡が流行っていた。聴いたときどう感じたものか、いまも憶えているのはよほど印象が深かったのでしょう。なにげなく口ずさんだ歌詞が想像を刺激しました。囚人といっても殺人を犯したわけじゃない。帝政ロシアの話。独裁に反抗したかで兵士に捕えられたのだろう。冒頭の歌詞はたしか「舟こぐ明け暮れ鎖に繋がれ、思いはいつか母の面影」だった。鎖に繋がれた囚人が舟をこぎながら母を思う。母はよく言っていた。「町や酒場に幸せはないんだよ」。息子をさとす母の言葉としては当然でしょう。でもね、ほんとにそうだろうか。息子の身になるとちがうのではないか。町や酒場に幸せはあったんじゃないか。楽しいことばかりじゃない。つらいことや悲しいこともあったにちがいない。でも彼はそのとき精一杯生きていたはずだ。やんちゃもしたけど充実していた。しあわせだったのだ。人生は時間でしょ。今でしょ。いつ終わるか知れない人生だもの。生きてるその時間だけが人生です。こんな歌詞がつづく。「ただ毎日がすばらしい、祭りの続きでほしかっただけさ」。おいおい、それはちょっと欲張りでないかい、と思うけどね。だれにもそんな若い日があったことでしょう。思えばじつに青くさく未熟で愚かなこともやったけど、でも楽しかったなあ。充実していた。充実している時間は長いのか短いのか。とてつもなく長い時間だったような気がする。一刻一刻が脳裏に焼き付けられているからでしょう。いまでも町や酒場をうろつくけれど、もうあきまへんな。若くないからね。成熟することは馬鹿をやらなくなることだ。まわりの人は安心だろうが、本人の幸せはまた別ものじゃないか。はるか遠い夏の情熱を懐古してみました。折りしも紅葉の季節。人生の秋ですね。



11月30日(土)
 きのうは爽涼の青空に白い雲、赤い楓に黄色い銀杏、まさしく色気満載の秋でした。友人たち十人ほどで金戒光明寺、真如堂へくりだした。本人たちはだいぶ色気もあせてるけどね。この冬いちばんの冷え込みで朝方は風が冷たかったが、陽の温もりも感じられた。こんかいは錦秋の京都に八重の桜のおもかげをさぐる企画であった。金戒光明寺の門前には「京都守護職本陣」の看板が掲げられ「会津藩殉難者墓地」の石碑が立っている。幕末の1862年、会津藩主・松平容保が弱冠26歳の若さで一千名の兵士を従え、12月24日クリスマスイブに京都へ乗り込んできた。藩主以下一兵卒にいたるまで決死の覚悟で来たという。尊皇攘夷・佐幕いりみだれて狂瀾怒濤の京都であった。会津本陣には新選組の近藤・土方も出入りした。一代の侠客・会津小鉄もひそかに密偵をつとめていた。時代劇の役者そろい踏みであった。不思議なめぐりあわせで、いまもこの寺の境内は時代劇を撮影する絶好のロケ地となっている。鬼平犯科帳、必殺仕事人なども撮影された。金戒光明寺の御影堂・大方丈・庭園などをはじめて拝観した。方丈には松平容保の謁見の間があった。容保さんの座所は二段高いところにあった。さすが譜代大名。会津の初代藩主・保科正之は三代将軍家光の腹違いの弟だから、いやでもなんでも徳川家を守護する京都守護職を引き受けざるを得なかったんですね。6年後鳥羽・伏見の戦いで、会津藩は賊軍とされて薩長主体の官軍に敗れる。鳥羽・伏見の路上に会津兵士の屍が累々ところがっていたという。二百名の配下を指揮してその戦死者を収容しねんごろに葬ったのが、かの会津小鉄であった。その後長く小鉄は会津藩墓地を清掃し手を合わせ守護したという。墓地に近い西雲院の境内には会津小鉄の墓がいまも残されている。ちなみに松平容保さんは東京に移されて蟄居するが、のちに許されて日光東照宮の宮司となったそうな。明治26年に東京小石川の自邸で死去した。享年59歳。波瀾万丈の生涯だが、運命にもてあそばれた若君の感なきにしもあらず。



11月29日(金)
 朝はパン食が多い。ときには夜もパンで軽くすませることがある。だから毎日のようにパン屋をのぞく。どこときまっていない。候補はしぼられているが、その日の気分と行動範囲できまる。まず進々堂がある。京都で名代のパン屋である。御所に近い寺町通に本店がある。雰囲気のよいレストランもある。秋の陽が射す街路樹をながめながら、モじモば(モダンなじいさんばあさん)が洋食ランチを食べている。三条河原町や大丸ちかくにも支店がある。京都駅地下街にもある。ラクエ四条烏丸の地下にも開店したので便利になった。バス停と直結しているからだ。SIZUYA(志津屋)も有名であちこちに店がある。大丸の向かいによく寄る。大丸地下のベーカリーは二店合同だ。パンの種類がめちゃ多いのでいつも迷ってしまう。京都にはパン屋が多い。意外にも京都人はパン好きなのだ。 頑固な保守のくせに新しいものも好きな京都人。いち早くパンを日常生活に取り入れたのは明治・大正のころだったという。寸暇を惜しんで働く商人・職人にとって朝昼メシは間に合わせである。冷飯、ぶぶ漬け、うどんに、舶来のパンが加わった。仕事の合間に手軽につまめるパンは調法だった。パン屋に二系統あるようだ。伝統派とモダン派です。古くて地味でカッコよくない、昔ながらの商店系パン屋がいまも残っている。西陣の「大正製パン所」のカレーパン、松原商店街の「まるき製パン所」の小倉あんぱんがいまも健在である。「製パン所」がいいでしょ? 昔ながらの元祖京都パンは、あんぱん、ジャムパン、クリームパン、メロンパンなどの、いわゆるジャパン・オリジナル「おやつパン」だった。かつて今出川通にブティック系パン屋が乱立しモダン派が熾烈な競争を繰り広げた。いまでは淘汰されて数も減った。勝ち残ったマリーフランスの人気商品が「超重量級あんぱん」というのが、なんとなくおかしい。おやつパンになじんだ京都人のパン嗜好が、すんなりモダンに移行するとも思えない。ファッションは食わないのが京都人である。



11月28日(木)
 東京は忙しい。東京人も忙しい。なぜ忙しいのか考えてみると、まわりに巻き込まれるからではないか。新しいもの、流行ってるものにすぐ飛びつくのが東京です。テレビでグルメ情報を流すと、店はすぐ長蛇の行列になる。アップルが新製品を売り出すと徹夜で並ぶ。並んだ人にインタビューすると、得意顔でとくとくとしゃべる。一番のやつなんか天下を取ったように喜ぶ。あれを見てどう思いますか? 京都人は容易に乗らない踊らない。マイペースである。筋金入りの都会人なのでしょう。いまは東京が日本一の都会ですが、したたかな京都から見れば東京はまだまだ若いのです。うぶなのです。千二百年と四百年の差がある。暮らしぶりにもあらわれます。たとえば京都のお店はとにかくマイペースです。営業時間、定休日はみんな自己流で決める。だから店によってバラバラである。きょうこそはと勇んで行ったらお休み、なんてことがしばしばある。はじめのうちは面食らった。そこで、営業時間と定休日を携帯の電話帳に入れておくことにした。それでも不定休にはかなわない。こんなマイペースは、家族営業の店が多いことにもよるだろう。わが家の生活習慣を頑固に守っている。かといって商売をおろそかにするわけではない。客には充分なもてなしをする。それが京都流のようだ。ある店に「命を惜しんで・・定休日」という木札が下がっていたのには笑ってしまった。ある洋食屋に開店の11時半きっかりに入ったら、「仕込中なので座って待っててください」と言われた。目の前でゆったりとランチの下ごしらえをしている。20分くらい経ったろうか、やっと注文を受けてくれた。しかし味はさすが評判どおりだった。ハンバーグとタイ風カレーのセット。異国風のカレーの風味がいい。加えてさすが京都「おすまし」のお椀がついている。みんな旨かった。どこにも手抜きがない。しかも安い。でも忙しい東京人だったら、こののんびりムードにはイライラするに違いない。ぼくらの若いころは東京も家族で営む店が多かった。銀座は落着いた大人の街だった。いつからかしだいに子供っぽい街になってしまった。



11月27日(水)
 秋はいいなあ。大好きだ。「一年じゅう秋ならいいのに」と言ったら、「あんたは人生の秋でしょ」と言われた。じぇじぇじぇ!(こんなとき使うのかな?)冗談さておき、食欲の秋です。上等の京料理を語る資格はないが、ふだんの食い物には詳しい。すべて外食だからなんでも試してみる。一言でいえば京都人が大好きなのは「ふわとろ食感」である。その典型が麩屋町にある権太呂の「けいらんうどん」です。けいらん?聞いたことない。こんなのよその土地にない。鶏卵とはそのものずばり。卵をとじたあんをうどんにかけ、生姜を添えたものです。濃い目のかつおだしで作ったあんに、こだわりの地卵をとき入れ、強火で一気に煮立てます。すると卵が薄い膜状につながってふんわりしたけいらんが出来上がります。熱々のあんかけと、とろとろの卵。まさにふわとろ食感の極致です。その上に体を芯からあたためるおろし生姜がたっぷりのっています。あざやかな黄色もきれいで、いまの季節にぴったりではありませんか。京都人の「玉子愛」は尋常ではありません。親子丼、出し巻玉子、茶碗蒸し、天津飯、玉子サンドなど、京都人の愛する食べ物は玉子だらけです。この玉子愛と出汁愛がむすびついて卵とじ愛になるのです。うどん屋につきものの丼物は卵とじのオンパレードです。その大将が親子丼です。さらに天とじ丼、ハイカラ丼、若竹丼、木の葉丼(このは)、衣笠丼(きぬがさ)とつづきます。天とじ丼は海老天の玉子とじ、ハイカラ丼は揚げ玉の玉子とじ、若竹丼は筍の玉子とじです。なんでも食ってやろう精神で木の葉丼に挑戦したことがあります。こいつは蒲鉾と椎茸とネギの玉子とじ丼であった。椎茸は甘く煮込んである。そして衣笠丼。これこそ京都限定の珍品です。大阪にもない。具は油揚げとネギ。揚げもまた京都人の大好物だ。「お揚げさん」なんてさん付けで呼ぶくらい愛している。大好きなお揚げさんを大好きな玉子とじにした究極の一品が「衣笠丼」なのである。ふわとろ万歳!



11月26日(火)
 先日サッカーの国際マッチで日本がベルギーに3−2で勝った。痛快だった。胸がスッとした。朝四時半に起きてテレビにかじりついて見たんだぜ。外国との試合だけはどうしても見たくなるのは、やっぱ愛国者なんでしょうか。ただしフィギュアスケートや体操などはほとんど見ない。審判が失敗を採点するような競技はイライラして精神衛生によくない。サッカーの流儀は大きく分けて二つある。ような気がする。古典的なイングランド流儀は前線へロングボールを蹴って、背の高いやつが頭でゴールする。あるいはめちゃ足の速いやつが敵をかわしてゴールへ蹴り込む。もう一つはいま流行りのスペイン流儀である。ショートパスを縦横に交わして敵のスキをついてゴールする。ヨーロッパには2メートルちかい大男がたくさんいる。アフリカ系にはものすごく速い男がいる。こいつらはだんぜん有利である。日本チームにはめちゃ高い男もめちゃ速い男もいないのでパスサッカーしかない。ゲットした3点はいずれも俊敏なパス交換から生まれた。いままではパスばかりでゴールが遠かったのでイライラさせられた。こんなに見事なゴールをたて続けに決める日本代表をはじめて見た。いっぽうベルギーには190センチ以上が何人もいる。めちゃ速い黒人がいる。案の定、ミスをつかれてスーパー黒人が抜け出し最初のゴールを決められた。2点目は背の高いやつがジャンプして頭でゴールした。点が取れるようになったのはうれしいけど、ディフェンス(防御)が相変わらず弱いなあ。甘いなあ。1点目だって守りの日本選手がボーッとしてなければ簡単に防げた得点だった。ボーッとしてて早く蹴りださないから、後ろからきた敵に蹴られてしまった。ディフェンスは抜け目なさと、身体をぶつけるようなずる賢こさが必要だ。日本選手はどうも「お人よし」なんだよね。えげつなく激しくやれない。遠慮しちゃうとこがある。本田や香川の攻撃陣だけでなく、防御も欧州で格闘技みたいなサッカーを経験しないとだめかな。だけどなでしこジャパンはけっこう守りに強いぜ。女子に教わったほうがいいかも。



11月25日(月)
 外食生活が長い。もう二十年ちかくになろうか。その前半は東京、後半は京都である。外食には食環境というものがある。どれだけ多種多様な食事の店がそろっているか。もちろん手頃なお値段でだ。食環境に食嗜好が作用して食習慣ができる。たとえば下宿していた学生時代の食環境は学食(学生食堂)に支配されていた。並食と上食の二個所あった。あるいは学校や下宿のそばの学生相手の食堂くらいだった。いまは多少程度が上がったけれど、外食という点では似たようなものだ。東京と京都では食環境がちがう。金さえ出せばなんでも食えるのは東京も京都も同じだが、ふだんづかいする店の顔ぶれがちがう。東京では駅前の小ぶりなホテルのレストランを愛用していた。洋食と中華が隔日に交代する昼定食だった。昨日はハンバーグで今日は回鍋肉みたいな感じだった。味は濃いめだがまあまあ。東京の定食は若者向きである。洋食・中華が多いわりに、和食系の定食屋があまりない。だいぶ後になってから近くに大戸屋ができたのでうれしかった。京都に落着くまえに下見にきたとき、京都駅から歩いて五条の定食屋に寄った。そこで出来立て熱々の出し巻玉子が出た。こんな店でこれが出るとは。これが京都かと感激したものだ。東京にそば屋とラーメン屋はそこらじゅうにある。ここでいうラーメン屋は大衆中華食堂です。炒飯、餃子はむろん麻婆豆腐、八宝菜、青椒肉絲なども食べられる。これが東京のふつうのラーメン屋です。ところが京都のラーメン屋は麺ひとすじのこだわりラーメンばかりだ。間食にはなっても食事にならない。京都にうどん屋は多いがそば屋は少ない。東京はサラリーマン家庭が多い。内食も外食もそれを前提にしている。その典型が生鮮スーパーとファミレスである。京都はコンビニはやたら多いけど、生鮮スーパーはすくない。京都のお客さんは食習慣がちょっとちがう。じいさんばあさんが食堂で平気でひとり食いしている。家族みんなで仲良くという図はあまり見かけない。ちなみに、ひいきの割烹の本日の昼定食は、さわら西京焼、タコのやわらか煮とひろうす(がんもどき)里芋、カニと胡瓜の酢の物、茶碗蒸し、であった。こんな献立は東京ではちょっと食べられなかった。



11月22日(金)
 背中を押されるということがある。どうしようかと日頃考えていたことが、ひょんなきっかけで急に動き出す。京都へ来ることになった動機がそれだった。東京でなにげなくネットをのぞいていた。東京暮らしもそろそろ飽きたかな。京都もいいかな、なんてうすうす考えてはいた。京都の分譲マンション情報が目についた。経験豊富なのでマンションを見る目は確かだった。ポイントは立地、分譲会社、施工会社の三点。まれに見るいい物件だと見極めがついた。見れば分譲中で残りは多くない。思いつくと早い。さっそく京都へすっ飛んでいった。大丸の向かいのビルにモデルルーム・販売事務所があった。まず現地を歩いて立地を確かめた。周辺も見てまわった。希望の住戸を申し込んだが抽選になるという。とんぼ返りで帰京した。抽選がはずれたと連絡がきた。電話ですったもんだのやりとりがあった。わざわざ東京から飛んで行ったんだ。なんとかしてくれ。と、担当の女性をおどかした。感じのいい美人だったので脅しもちょい腰が引けてたけど。でも熱意はしっかり伝わった。数日するとキャンセル住戸が出たと電話がきた。またまた京都へすっ飛んでいった。間取りも向きも希望どおり。すぐ手を打って決めた。もしこれが決まらなかったら、どうなっていたかわからない。たぶんまだ東京にいたでしょう。その先は全然ちがう成行きになったかもしれない。こういうのを「ご縁」というんでしょうね。その年の同窓会がたまたま京都の祇園祭だったのもご縁かな。友達には内緒だったが、来年はここで暮らすんだ、とわくわくしていた。いま思えばじつにあわただしい決断と実行だった。なんで引っ越すの?なんで京都なの?とさんざん訊かれた。なにからなにまで全部ひとりでやったので大変だった。いまより若くて元気だったからできたのだ。いまやれと言われてもできない。ふと思い出してこの日記の2005年4月ころを読み返してみた。所は京都、時は春、なにもかも珍しくて面白くて毎日まいにち歩きまわっていた様子がわかる。遠い昔ではないけど懐かしい。



11月21日(木)
 友達は多いほうがええか、少なくてもいいか。この秋ひさしぶりに東京へ行ったとき友人たちに会った。大学時代の友人とその奥様方あわせて10人ほどである。同窓会ではなく特に親しかった仲間の集まりです。いつからか奥様同伴もいいことになった。奥様方はすごい。世慣れている。初対面のぼくを子どもあつかいしよる。酒も料理もほどほどしか腹に入らないが、むかし語りが楽しかった。つぎの日に昔の職場の友人に会った。会社仲間っていつも会ってるから親しいようで、案外その時かぎりが多い。仕事や酒を離れてもつきあいたい人はきわめて少ない。男子は裃(かみしも)を脱げない人が多い。自惚の裃、意地の裃、見栄の裃。始末がわるいのが地位の裃である。現役時代はむろん引退しても地位の裃を脱げない。経歴が人を変えてしまう。これがこわい。こんなのとはお友達になりたくない。東京で数年ボランティアをしていた。外国人に日本語を教えるボランティアは暇のできた中高年です。その9割が女性だった。いくら募集しても男子が来ない。それで痛感した。裃を脱げない男がいかに多いことか。女性にも裃(かみしも)がある。へきえきするのはリッチ裃の奥様です。いい生活してるのよ、というひけらかしです。男のぼくでさえウゲッとなるから、まして女同士ではおえりゃーせんぞな。「エライんだぞ」「リッチなのよ」はお呼びでにゃー。あっち行っとりゃーせ。かくしていま、いちばん親しくつきあってるのが高校時代の友人たちです。何十年も会わなくて再会した仲間たちです。良いも悪いも知ってるからカッコつけることない。それぞれ持ち味や得意技があるからうまくゆく。何百人も友達がいると自慢する人がいる。ほんまかいな、と思ってしまう。多けりゃいいってもんじゃねえだろ。よき友は「物くるるひと」と兼好法師は言わはった。つれづれ法師は「おおらかなひと」と言いたい。あまり繊細なのはつかれる。そしてベタベタはあかん。付かず離れずくらいがええんでないかい。



11月20日(水)
 京都に引っ越してきた当初、空地(あきち)を見ると「もったいない」と思ったものです。ノーベル平和賞のマータイさんの高尚な「MOTTAINAI」とは似て非なるものです。東京に長く暮らした人間のセコイ感性のなごりです。おはずかしい。狭いエリアに東京1000万人、首都圏3000万人が暮らしている。狭い土地にギュウギュウ押しくら饅頭してる。一人分の地面は猫のヒタイほどしかない。どうしても土地に目が行ってしまう。土地で価値判断してしまう。ひたすら地主が尊敬される。有名人が100坪の豪邸を建てたと騒がれる。サラリーマンが、おれんちの方が1坪広い、ドーダ、なんてセコ自慢する。いわば地本主義です。こんな感性はすでに高度成長時代からあったけど、昭和末期のバブル景気でとことんまで助長されてしまった。都心は軒並み億ションになっちゃった。地上げ屋なんてものがはびこり土地価格が天井知らずに暴騰した。ウォーターフロントに工場を持つ会社の株が跳ね上がった。一億総不動産屋の時代だった。さて未来はどうなる。2020年の東京五輪がきまったので、東京ではまたぞろバブル再来かと言われています。晴海のマンションのモデルルームに希望者が殺到したり、有明の土地が驚く高値で落札されたりしています。新設される五輪競技場の大半は臨海部に集中するので、湾岸は開発ラッシュになるらしい。東京湾岸はすべて埋立地です。都民の吐き出すゴミで作った土地です。いま見ても潮風が吹きすさぶ荒野原です。これまで「五輪待ち」で棚ざらしになっていた湾岸の開発が一気に動き出すという。居住人口が倍返しどころか十倍返しで増えるらしい。ただし今度のバブルは一極集中です。湾岸バブルです。株式市場はおっちょこちょいだから、はやくも湾岸に土地を持つボロ会社の株が、含み資産株として急騰している。だけどさ、いい気になってええんかい。湾岸って津波が真っ先に押し寄せるんだぜ。液状化もあるでよ。それはこの際だまっていような、とささやく声。いったいどう考えてんだ。責任者でてこい。



11月19日(火)
 なぜか京都はコンビニ激戦地である。とくにこの二三年の熾烈な戦いは衆目を引く。反面、東京みたいな生鮮スーパーはきわめて少ない。中心部には大きなスーパーを構える空地も空きビルもない。しかし小店舗ならどこにもある。東京人は大半がサラリーマンです。奥さんは夕方スーパーで肉・魚・野菜を買って帰り夕食の支度をする。そういう生活スタイルです。だから生鮮の品ぞろえを何より重視する。京都人は商人・職人が多いから食事パタンがまるでちがう。コンビニ向きである。コンビニ間のガチンコ勝負がおもしろい。よそでは一二を争うセブンイレブンとローソンが意外と目立たない。やたら元気なのがファミリーマートである。出店攻勢がはげしい。絨毯爆撃である。うちから東の西洞院にファミマがある。こんどは西へすこしの四条大宮で準備中だ。今月末開店らしい。いままであまりファミマのお世話になっていなかった。セブンやローソンで買うほうが多い。まあ近いので夏場のアイスクリームが一番の買物だった。フライドチキンが人気と聞いたが、これは食べない。そのファミマで眼からウロコが落ちた。無印良品(MUJI)のスナック菓子があったのだ。同じ西武系だから不思議ではない。無印良品は寝具を買うときしか行かなかったので、おみそれした。ずいぶん変身したんだね。衣料品もやってるし、家まで売っている。このあいだテレビでカレー人気投票をやっていた。本家のハウスやエスビーを向うにまわして、無印良品が大健闘だった。驚いた。タイカレーが美味しいと女性に大変な人気らしい。その場に登場した若手の商品開発陣がかなり根性いれて作ってるみたいだ。無印良品のダブルチョコマフィンがおいしかった。これはおすすめ。袋物の菓子なのにしっとり柔らかくてチョコ風味もいける。バナナバウムなんてのもある。チョコマシュマロもある。優しい昔菓子と名づけた袋もあった。ファミマの無印良品はめっけものだった。



11月17日(日)
 きのう土曜日はテレビで一日中サッカーばかり見ていた。ほかに女子プロゴルフあり男子プロゴルフあり相撲あり女子バレーありと、スポーツ満載の秋日和だったが、サッカーに集中した。それも年齢・性別・場所・レベルさまざまだったから、面白かったし考えさせられた。はじめは高校女子サッカーだった。東海地区予選で藤枝順心高校と時習館の対戦だった。ピンクのユニフォームの藤枝順心がはつらつと駆けまわるのが印象的だった。レベルが高い。女子もここまでやるかと思った。13−0で圧勝した。相手が気の毒なくらい。全国の優勝候補らしいから無理もない。小学・中学・高校の積み上げがあって強いなでしこジャパンが出来たそうな。いまどきの女子は好きなことができて幸せだな。つぎが天皇杯の準々決勝だった。まずサンフレッチェ広島と鹿島アントラーズ。広島のサッカーに目を奪われた。元気がいい。ロングボールを縦横に蹴って攻める。ショートパス主体の現在に異色である。応援した広島が3−0で鹿島を圧倒して勝ったのでごきげん。つぎはベガルタ仙台と清水エスパルス。仙台が最後の最後に1点とって接戦を制した。そして夜はメインエベントの日本代表対オランダ代表であった。オランダは伏見稲荷の鳥居みたいな派手な朱色のユニフォーム。ジャパンは青にピンク線のユニフォーム。ワールドカップ用で初披露という。親善試合とはいえオランダがようも受けてくれたと思う。ザッケローニの顔かしら。ランクは8位と40何位。えらいちがい。たぶん負けるだろうが、どこまで食いつけるかだな。案の定、立ち上がりにつまらんミスで1点とられた。つづいて見事なミドルシュートを決められた。やっぱり守備が弱いな。期待しないで見ていたら前半のうちに1点かえした。おやおやっと身を乗り出した。長谷部のロングパス一発を大迫がダイレクトに左隅へ決めた。後半は香川や遠藤も出てきて日本がオランダを圧倒しはじめた。巧みなショートパスの交換で切り込み、本田が右隅へ決めた。2−2の引き分けに終わったが、3点、4点とって勝ってもおかしくない出来だった。これだからサッカーはやってみなくちゃわからん。二日後はベルギーが相手だ。がんばれ!



11月15日(金)
 烏丸御池で大きな建築工事をやっている。ぶっとい鉄骨が五階まで組み上がっている。壮観だ。NHK京都放送局の新館を建設中である。いまの局は二条城の北の辺鄙なとこにある。NHKさんも八重の桜をきっかけに表舞台に出ることにしたか。御池通を歩くと立派な和菓子屋が開店していた。「お菓子司」みたいな風格あるたたずまいだ。秋になってふたたび街を歩きまわるようになった。昨日今日はいささか寒いけど歩いていればポカポカしてくる。うっすら汗をかくこともある。これは健康によい。夏の間は猛暑のあまり歩けなかった。喫茶店の冷房へ逃げ込んで時代小説ばかり読んでいた。小説はおもろいけどじっとしてるのは身体によくない。歩けば町にいっそう愛着をおぼえる。声がひびく。音が聴こえる。匂いがする。人々の表情が見える。通りの看板が見える。店頭に商品があふれている。開店した店、なくなった店。ときには知った顔に会う。バスにばかり乗ってた夏の間はみんな素通りしていたんだね。町の表情が見えなかった。人も町も同じことで、いつも会ってるから愛着がわくんだね。京都はちょうど手ごろな大きさだから毎日町とご対面できる。商店街も盛り場も神社仏閣もみんな歩いてまわれる。その点、東京は大きくなりすぎた。住んでる町だけで満足できるとこは数少ない。自由が丘、吉祥寺、下北沢など限られている。美味しいもの楽しいもの洒落たものは都心まで行かなきゃない。なじみの店だって、新橋のさくらと渋谷のもみじと六本木のシクラメンとか、とんでもなく離れている。はしごしようものならどえりゃー行程になる。めんどうだとタクシー飛ばせばどえりゃー出費になる。とにかく金がかかるようにできとる。おえりゃーせんぞなもし。東京で暮らすのはあっちこっちのつまみ食いである。東西南北が面的につながって見えることがない。慣れるとそれがあたりまえに思えてしまう。外へ出るとはじめて、よそには違う暮らしがあるんだなと感じる。



11月14日(木)
 今週はきゅうに寒くなった。夜具の冬支度をしておいてよかった。虫が知らせたのかな。外に出ると冷たい風が首まわりに忍び込む。風邪をひかないように身なりに気を使う。それでも夏より冬のほうがいいな。ことしは一段と猛暑だったのでまいりました。地下道や冷房に逃げ込んで運動しないのは身体によくない。冬は寒いけれど歩き回れば身体も温まる。新陳代謝が活発になって健康によい。それに着るものがよくなったね。ひとむかし前とは雲泥の相違です。下着も上着も薄くて軽くて温かい。おまけに安いのがうれしい。ユニクロさん、お世話になっております。ダウンジャケットだって初期のやつは分厚くてモコモコでかっこ悪かった。まるでヤッコ凧みたいだった。いまのは薄くてスリムでいい。丸めると小さなバッグにおさまってしまう。いまの若いひとはラクダのももひきなんて知らないでしょうね。「なにそれ?動物のラクダですか?」と訊く。元来は動物のラクダの毛ですが、とても高いのでふつうは綿やウールで作った茶色の下着です。茶色で分厚くてモコモコだから、カッコ悪いおじさんの代名詞みたいに言われたものです。それでもほんとに寒い冬やスキーのときなど、これにたよるしかなかった。話は飛びます。鬼平犯科帳です。江戸時代の火付盗賊改方長官・長谷川平蔵が主役の刑事ものです。あるとき町廻りに出ようとした平蔵さん。ギラギラ照り付ける太陽をあおいで「こりゃたまらん」と外出をよしてしまう。そしてつぶやく。「若いころは夏が好きだったが、この年になるとうんざりする」。それを読んで「うん、わかる、わかる」とうなずいてしまいました。若いときは太陽を浴びて汗をかくと「生きてる!」と感じたものだ。海が好きだった。海で泳いだり恋をしたり失恋したり、夕陽にむかって叫ぶのが青春なんでしょうね。そういえば鬼平犯科帳に「本所桜屋敷」という一篇がある。剣術の修行に明け暮れた日々の、道場と友人と隣屋敷の桜の蕾のような乙女をめぐるお話です。それはもう、胸がしびれるせつない青春慕情でありました。



11月13日(水)
 名古屋の思い出だがや。ガキのころナゴヤァの南の知多半島に住んどったぞなもし。どえりゃー田舎の漁村だったがや。栃木弁で話したら「みょーなことばしゃべりゃーすな」言われてしもうたぞな。ガキのころはじきに方言になじむでよ、わしも名古屋弁でみゃーみゃー言うようになっただぎゃー。エビフリャーはうみゃーていかんわ、なーんて言うとったぞなもし。あとでえりゃー目にあったでよ。大阪あたりの学校にひゃーったとき、「たあけ(馬鹿)」ちゅうたら「われ、あほか」言われたでよ。こんどは広島へ引っ越したんじゃけんのー。大阪弁をしゃべったら「いなげな(へんな)ことばじゃのー」言われたぞなもしじゃけんのー。ほじゃけんど漁村は楽しかったでよ。魚もぎょーさん釣ったし、泳ぎもおぼえた。学校はじぇんじぇん憶えとらんが、帰り道が楽しかったにゃー。川べりに船大工の現場があったんじゃ。材木を切ったり削ったりして組み立てる漁船じゃったにゃー。その作業をじーっとながめるのが興味津々じゃったぞなもし。材木をたくみに曲げて和船のみごとな曲線を生み出すのが魔法みたいに思えたがや。毎日真剣に見ていたら、あるとき大工が「坊、おもしろいか?」と訊いた。「うん、おもしろーていかん」とこたえた。大工の陽に焼けた皺深い顔がニッコリ笑った。船大工に惚れたんじゃ。学校の先生よりなんぼかえらい人に見えたでよ。家に帰って「わし、船大工になるんじゃ」言うたら、おふくろに笑われてしもうたがやー。船が完成すると進水式が楽しみじゃった。船にロープを何本もかけて大勢で川のスロープをすべり落とすんじゃ。バチャンと水しぶきを上げて川面に落ちるとみんな歓声をあげた。船は幟旗や扇や花などで満艦飾だがや。観衆にお祝いの餅がまかれた。しずしずと川から海へすべり出てゆく船がどえりゃーかっこよかったぞなもしだぎゃー。



11月12日(火)
 木枯らし一番が吹き立冬も過ぎたきょうこの頃、朝晩は冷たい風が身に沁みます。しかし晴れた昼間に直射日光を浴びるとけっこう暑くて、しまったと上着を脱いだりします。毎日着るものや布団などに気をつかう昨今です。昼食後に御池通を歩いていると、強い風が吹いてきてケヤキの枯葉を落としています。ハラハラどころかバラバラと顔に当ります。まだ緑が多いのにもはや枯葉の季節かと感じます。「枯葉よ、絶え間なく、散り行く、枯葉よ」なんてシャンソンの歌詞が頭に浮かびます。シャンソンというやつはどうも気取りすぎで、体質に合わないのですが、それでも憶えているもんです。イヴ・モンタン、高英男、越路吹雪なんて名前も浮かびます。枯葉は見るだけならロマンチックだが、掃除するのが大変です。子供のころはよくやらされたものだ。落ちてすぐならまだしも、一度雨に打たれるとこれがひと苦労なんですね。とくに紅葉のような薄い葉っぱが濡れると地面にへばりついてしまう。竹ホウキでも熊手でも手におえない。アスファルトにくっついたりしたらテコでもはがれない。これを濡れ落葉というんですね。むかしむかし、相思相愛の二人は「捨てないよ」と誓って結婚しました。あれから四十年。定年退職したおとうさんは、おかあさんがいないと何もできません。「捨てないでね」はおとうさんです。おかあさんにすがりつくのです。典型的な「濡れ落葉」症候群であります。おかあさんが出かけようとすると「ワシも行く」と言うので「ワシ族」とも呼ばれます。子供なら可愛いが還暦過ぎたおじんじゃうっとうしいばかり。いっぽう「枯れ専」は若い女の子にもてるそうです。さらりと脂が抜けて粋に枯れたおじさん。これがいいんだそうです。枯れ専はふっきれています。すがりつかない。自立しています。脇役俳優なんかにいますね。好きなことやって好きな店で好きな酒を飲んでればしあわせなおじさん。いい子してひとり楽しんでいる。「いいなー」と、周りはかえって気になるんでしょうね。



11月11日(月)
 この季節なのにきのうは大汗をかいた。一念発起してベッドカバーをとりかえたのだ。やらなきゃやらなきゃと思いながらも面倒で先延ばしにしていたが、ついにあきらめて手をつけました。衣替えも着るものは簡単です。夏物も冬物もつりさげてあるから、その位置を入れ替えるだけですむ。寝具まわりはいやだね。夏物のベッドカバーをはずして冬物につけかえるのがけっこうしんどい。冬用のいいやつを無印良品で買ってきた。表面が毛羽だっていてホカホカ温かい。この際マットレスの前後裏表を入れ替えてやろう。同じところに荷重がかかるのはよくない。マットレスは重い。持ちゃげて回転するのは楽じゃない。カバーの取り替えには重いマットレスのあっちゃこっちゃ持ち上げる。手足の力を使う。薄いベッドシートは日干しにしたり叩いたりしなきゃならない。そのシートの足元あたりに部分的な電気毛布を取り付ける。置いただけじゃ夜中に蹴っ飛ばしてずれるから、止めピンで三か所を固定する。以前に全身の電気毛布を使ったら暑くて寝られないので足元だけにしたのだ。電気のコードやソケットを設置する。そのうえから袋状のベッドカバーをかぶせてやる。これがまた一筋縄でいかない。あっちを持ち上げて引っかけ、こっちを持ち上げて引き伸ばし、こんどは足元を持ち上げてかぶせる。カバーの端をマットレスの下にたぐりこむのが、これまたひと仕事なのだ。たんびに持ち上げなきゃならん。やっとこきれいにならした表面を保持するために左右をピン止めする。最後にずれてしまったベッドの位置を正しいところに動かす。枕を置き、掛布団(これだけはもう冬物になってる)をかけ、パジャマを冬物に取り替えた。どっと疲れがでた。腰は痛むし腕もつっぱっている。こんなときこそ「ああ、女房がいたころはよかったな」と切実に思うものだ。



11月8日(金)
 日本食がユネスコの無形文化遺産になるという。日本食のなかでも、ぼくは「お弁当」こそ日本の文化遺産だと思う。駅弁、ホカ弁、コンビニ弁なんてものは外国にない。まさに日本文化の傑作である。子供のころ遠足や運動会の楽しみは、おかあさんの手作り弁当だった。京都にきてお弁当に目覚めました。京都でいうお弁当はちょっとちがう。若い人は別として、京都のご年配の方が「お弁当」と言ったら、それは駅弁やホカ弁のことではない。名の知られたれっきとした料理屋(料亭・仕出し屋)のお弁当を意味します。京都人といえども、いや京都人だからこそ、軽々に料亭のお座敷に座ることはしない。お座敷は祝い事など親戚友人がつどう「晴れ」の時だけです。法事・花見・芝居などはもっぱらお弁当の出番です。そんなときのため、みなさんひいきの料理屋さんがあります。予算と好みを伝えれば希望どおりのお弁当を届けてくれます。料亭は同時に仕出し屋でもあります。風雅なお庭に面したお座敷で懐石料理をいただくのも結構ですが、それなりにお値段がはります。お座敷や調度やお庭の維持費、大勢の女中さんの人件費はばかになりません。だから始末(節約)のよい京都人は実質的でお得なお弁当を愛用するのです。おばさまたちは食べなれて目も舌も肥えていますから、料理屋にはコワイお客さんです。コワイお客に磨き抜かれた結晶がお弁当です。おいしい京料理を気軽に味わう最良の方法がお弁当なのです。いっぽう、高い料亭へ行って「一番高い料理を出せ」なんて言うのは、おおむね東京人だそうです。わたくしもいろいろな機会にさまざまなお弁当を味わいました。東本願寺別邸の枳殻邸(きこくてい)でお庭を鑑賞しながら仕出し弁当をいただきました。大徳寺一久の精進料理のお弁当も味わいました。犠牲豆腐、筏牛蒡など独特の料理が出ました。円山公園にある左阿彌のお座敷で食べたお弁当もけっこうでした。



11月7日(木)
 喫茶店でうしろに座ったおっさん二人、さっきからうるさくてしょうがない。「なにいうてけつかんねん!」「いてこましたろか!」「そやろ?」「ちゃうか?」という調子。のべつ激した口調の高い声がひびく。語尾にはすべて感嘆符がつく感じ。時には声が裏返ったりする。世間話さえ喧嘩口調なのだ。こういうひとっていますね。若いやつにもいる。女の子を相手にこの調子でがなってる若者を見たことがある。親の顔が見たいね。聞いてる彼女はなんとも感じないのかしら。こんなひとはおおむね大阪弁です。京都弁では激しい口調にならないのだ。テレビ芸人たちの汚いしゃべりも影響してるだろう。おっさん二人はいい年だからいまさら直しようがないだろう。喧嘩しゃべりで一生を終えるのだろうな、と思った。こんな喧嘩口調はほかにもあったような気がする。と考えて気がついた。あったあった。「おきゃがれ!」「べらぼうめ!」「てやんでえ!」。江戸時代の職人言葉である。大工や鳶職(とび)が啖呵を切る口調である。裏長屋の八っつぁん熊さんもこの伝だったろう。これがカッコよかったのだ。威勢のいい啖呵を切る火消・鳶職などに、若い娘がキャアキャア騒いだらしい。時代小説やドラマによく出てくる。いまもこんな口調が残るのはたぶん浅草あたりの寿司屋の親父くらいでしょう。もし東京1000万人がこの調子でしゃべったら首都は騒乱状態になってしまう。じっさいには東京の電車内はまことに静かです。うるさいのは大阪のほうです。余談ですが、東京の人口はオリンピックの2020年に1300万人でピークをむかえ、2060年には1000万人まで減ってしまうそうだ。高齢者が4割になるという。周辺部はおそらく空き家だらけになってしまうだろう。東京が急激に膨張しはじめた時代のシンボルが東京タワーだった。それが御用済みになった。感無量です。



11月6日(水)
 食事しながらふと考えた。よく噛んで食べるのが健康によいことは誰でも知っている。ダイエットにもよいそうな。よく噛んでから呑みこむと満腹感が大きいという。だから食べ過ぎたり間食したりしなくなる。さて、なにを考えたかというと、つまんないことです。歯と舌の連動はじつに巧みなもんだと気づいたのです。舌は食べ物の塊りをたくみにあやつる。前後左右に動かして歯にあてがってやる 。歯は上下に動くだけだから愚鈍なもんだ。しかし舌の動きはやってる本人にもわからないほど俊敏かつ巧妙である。あれは一種の反射神経なんでしょうか。硬いものや噛み残した塊りをちゃんと歯の間へ送り込む。決して舌を噛んだりしない。歯は馬鹿だからたまにほっぺたを噛んじゃうけどね。連想しました。餅つきのつき役とこね役に似てる。餅をつく杵(きね)が歯で、舌はこね役です。熟練のこね役の呼吸と手の動きはじつに見事です。リズムがある。つき役をリードして餅を仕上げる。また連想しました。こね役は鍋奉行ではないか。来月になると忘年会です。寒いから鍋が多い。待ってましたと鍋奉行が出てくる。どこの会社にもいるもんですね、鍋奉行。その場を仕切るのが好きなんですね。まずは肉・魚や野菜の投入順序から指揮をはじめる。煮えてくると「待てっ、まだまだっ」「そこ、煮えたよっ」「肉、食べてよしっ」なんてどなる。舌はこね役である。こね役は鍋奉行である。ということは、舌は鍋奉行である。「肉まだ硬いよ、奥歯、よく噛めっ」「ほら、鯖の小骨、吐き出せっ」「ニラはさまった、よし、取ってやるっ」なーんて食事を仕切ってるんですね。舌はこれほど八面六臂の大活躍をして健康維持に貢献してるのに、あんまりよく言われない。舌先三寸、二枚舌、口舌の徒、舌を出す、と軽蔑されている。食べるだけならいいのに、しゃべるからいかんのかしら。でも舌は大切だよ。舌噛んだら死んじゃうんだからね。



11月5日(火)
 このあいだはじめて伏見稲荷へ行きました。東福寺までは四季おりおりに訪れていたが、それより南は電車で通過するだけだった。伏見は京都の郊外という感じですが、それはなんと千年も昔にはじまっている。平安時代にある貴族が伏見に別邸を構えてから、やんごとない筋の別業地になったという。いまや別荘地でなく郊外住宅地です。伏見と聞けばまっさきに伏見稲荷を思う。商売繁盛には欠かせない神様です。つぎに伏見の酒です。江戸時代は大阪湾から千石船に積んで江戸へ運んだものです。上方から江戸へ下るので「下り酒」と呼んで珍重されました。京都と大阪をむすぶ淀川三十石船の起点が伏見だった。高瀬川で京都から伏見へ運び三十石船に乗せたのです。そして豊臣秀吉の伏見城があった。しかし伏見桃山城は江戸幕府によって破壊されたので面影はない。歴史の記憶だけです。じつは伏見の地名を最初に知ったのは書物の中だった。小野小町に想いを寄せた深草少将の百夜通い(ももよがよい)伝説です。深草から山科まで毎夜通いつめたというので、地図でたしかめてみたことがあります。えらいこっちゃ、ようやったな、と思いました。しかるに哀れ深草少将は九十九夜目に雪に埋もれて死んでしまうのです。美女は罪つくりなもんです。それから忠臣蔵にまつわるお話もあります。大石内蔵助は京都祇園の一力茶屋へ通ったと伝えられています。歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」にも「祇園一力茶屋の場」が登場します。しかしどうやら大石さんは祇園界隈では相手にされなくて、伏見墨染の撞木町(しゅもくちょう)遊郭がおなじみだったそうです。池波正太郎氏の小説に「おれの足音」という大石内蔵助伝があります。そこにはひょうひょうとして女好きの大石内蔵助が描かれています。内蔵助が隠れ棲んだのが山科ですから墨染のほうが本当らしく思われます。吉良邸討ち入りを胸に秘めて江戸へ下る直前、墨染の妓楼で最後の遊興にふける大石内蔵助。哀愁が漂います。



11月4日(月)
 きのう日曜日、NHK総合テレビでサッカー中継をやっていた。しかもJ1じゃなくてJ2の試合ですよ。日曜日に、NHK様が、J2サッカーなんて! ありえなーいって感じ。ガンバ大阪とロアッソ熊本の試合だった。なんであえて中継したかといえば、ガンバ大阪のJ1復帰がきまるかどうかというゲームだったからです。放映でいまさら気づいたのですが、J2(二軍)のトップ3は、神戸、大阪、京都なんですね。なんとなんと関西三都ではないか。こんなところで三都が競り合っていたのかよ。J1復帰を競り合うなんて自慢にもなりゃしない。このところサッカー界で、関西の地盤沈下がいちじるしい。かつてはいつも優勝争いしていたガンバ大阪が、二軍でモタモタしているしまつだ。広島が優勝を争ったり、仙台が上位で活躍しているのに比べて、関西は実にだらしない。ただひとつましなのはセレッソ大阪だけ。どうしてこうなったのだろうか? テレビ中継を見てるとわかる。サポーターの姿勢にちがいがあるようだ。関東の浦和・柏・鹿島などはスタジアム全体がひとつになって盛り上がっている。熱狂的なファンが団結して後押ししているのがわかる。立派なスタジアムに熱狂的声援。くらべて関西はなんか冷めてるみたい。スタジアムの規模や設備も関東にくらべて見劣りする。ということは地元の自治体にもあまり熱がないということか。残念ながら京都サンガもいまいちである。技術や才能のある選手は多いのに、毎年いま一歩でJ1へ昇格できない。なんとなく狭い世界に安住しちゃってるみたい。関西サッカーはなんだか体質が古いんだよね。時代に追いついてない感じ。世界を目指すような覇気がない。プロ野球の阪神きちがいが多いわりに、関西はサッカーには冷たい気がする。



11月2日(土)
 心地よい夕風にさそわれて昨日は一杯呑みにくり出した。ひとりでふらっと出るのはまことにひさしぶりだ。歩いて五分足らず、四条の裏路地にある太郎屋さんである。五時過ぎだったので開店一番客だった。例によってカウンターの大鉢に盛られたおばんざいを見て回る。細い蕗のような煮物が目にとまった。聞けば山蕗の山椒煮だという。さっそくそれで飲みはじめる。酒に迷った。ちょいと利き酒をさせてもらって、佐賀の純米酒「天吹」を選んだ。どういうわけか佐賀の酒が口に合う。前にもここで佐賀の「鍋島」という酒が気に入った。ちょっとくせのある深い味わいがいい。山蕗の山椒煮がまたひときわ気に入った。ガシガシという歯ごたえがいい。山椒の香りと風味がこたえられない。わたくしはなぜか山椒が大好きなんです。鰻の蒲焼にはぜったいに山椒が欠かせない。なじみの大戸屋では親子重にかならず山椒の小瓶をつけてくれる。なんと気の利いた定食屋ではないか。鶏肉に思いきりパッパとぶっかけて食う。鶏南蛮そばにも山椒をふるとうまい。京都は山椒に縁が深い。京都人は山椒が大好きなのだ。ちりめん山椒はそれこそ京都じゅうの店が風味を競っている。錦市場をあるけばさまざまな山椒の佃煮がある。青実山椒の佃煮もあれば山椒入り塩昆布もある。鞍馬の味付け山椒もあれば、塩で味付けした大原の塩生山椒もある。山椒味噌は白いごはんにぴったり。胡瓜につけてもうまい。うなぎとじゃこの山椒煮は酒に合う。鶏の山椒鍋もあるんだよ。きわめつけは俵屋吉富の山椒もち。香りゆたかな挽き山椒を用いた求肥の一口餅菓子です。食べてみたい。お菓子にまで山椒をとりこんでしまうから京都はすごい。



11月1日(金)
 京都の地下鉄は二路線しかない。おまけに自分はお勤めしてないからめったに乗る必要がない。こないだ東京に行って地下鉄に乗った。昼間だったのでさほど混んでいなかった。見回すとほとんどがスマホ族である。学生・サラリーマン・OL・自営業・役人などだろう。みんな一様にスマホにかじりついている。つまり、じいさんばあさんがいないのだ。そのことに東京人は気づいているだろうか。京都に住みはじめたころ街中にジジババが多いのにびっくりした。腰の曲がったひとが多い。杖をついてるひとも目立つ。しかし彼等は平然と街にとけこんでいる。大丸百貨店でも錦市場でも店員に達者な口をきいている。近所から歩いて来たか、ちょいとバスに乗って来たのだろう。東京ではそんなわけにいかない。都心まで少なくとも数十分はかかる。電車に乗りターミナル駅で乗り換える。あるいは地下鉄に乗り換える。迷路・階段・エスカレータ。ターミナル駅も地下鉄駅もジジババにとって越すに越されぬ難関である。地下鉄はますます地底深くもぐり核シェルターになった。ここで定年退職したおとうさんを考えてみよう。郊外の住宅地から都心へ通勤していたおとうさんの生活圏は都心だった。地元のコミュニティなんてとんと無縁だった。なじみの料理屋や酒場はみんな都心にある。元気なうちは電車に乗ってひいきの店へも行けるが、弱ってくるとだんだん足が遠のく。目も舌も肥えたおとうさんに地元の店はは物足りない。おとうさんはさびしい。首都圏では老人の生活圏がおのずから限定されてしまう。都心から疎外されてしまうのだ。政治や経済はそのことをよくよく分かっているのだろうか。これからはシニア消費の時代だ、なんて掛け声だけじゃしょうがない。東京は若いやつほど優遇してジジババに冷たいんじゃないか。老人天国はただひとつ巣鴨・とげぬき地蔵。ばあちゃんの原宿である。じいちゃんの原宿はない。



10月31日(木)
 きのうは素晴らしく気持のよいお天気だった。よし、こんな日は足を伸ばして昼飯を食べに行こう。暑かった夏の間ははバスに逃避して楽していたので身体がなまってきた。先日の伏見稲荷の階段登りはしんどかったけど、あれで身体に活がはいった。涼しくなってからどこにでも歩いて行くようにした。室町通を北へ歩いて姉小路を東へ曲がる。柳馬場の角にある「MACHIYA 兪(ゆ)」へしばらくぶりに顔を出した。京町家を改装した中華の店である。この店はわが家に近い新町通が発祥の地だった。ひところは毎日のように通ったものだ。二店目を出したのが姉小路柳馬場だった。こっちのほうがはるかに大きく立派なお店だ。その後残念なことに最初のお店はやめて姉小路に統合されてしまった。「しばらくでーす」と顔を出したら、奥さんが笑顔で迎えてくれた。そして礼を言いつつ文庫本を返してくれた。そうか、宮部みゆきの百物語事始を貸してあげていたのだ。面白かったというので続編を持ってくることにした。日替り定食は八宝菜だった。麻婆豆腐の小鉢と玉子スープがついている。ここの八宝菜が大好きです。強火でさっと炒めた野菜が生きている。しっかりした野菜の歯ごたえがいい。薄切りのかぼちゃが入っていてこれが甘くておいしいのだ。脂っこい中華がだめなひとでもこの店の料理ならきっと気に入るにちがいない。とくに魚介と野菜の「あっさり炒め」というのがおすすめです。塩だけの味つけなのに深ーい旨みがある。ご主人も奥さんも店員さんもよく知っているので、ここではアットホームな雰囲気にひたれる。ご主人とお客さんと居酒屋で飲んだこともあった。京都に来て以来かわらぬつきあいをしてるのは、このお店と四条裏路地のおばんざい酒場「太郎屋」さんくらいかな。



10月30日(水)
 以前から感じていたが、先日東京へ行ってさらに実感した。地方によってテレビの中身はずいぶん違うものですね。ファッションからグルメまで、これでもかと新しいものを紹介するのが東京のテレビです。最新スイーツ事情とかであちこちの店を取り上げていた。こんなの見てすぐ並ぶのが東京人です。語りはもちろん標準語ないし東京弁です。いっぽう関西はいやになるほど大阪弁がはびこっている。バラエティ、ドラマ、スポーツからCMまで大阪弁オンパレード。どこにでも芸人が顔を出す。「大阪芸人テレビ」かよ。広島・仙台あたりはおおむね標準語で地元弁はめったに出てこない。そしておもしろいのが地方局特有のコマーシャルです。静止画プラス素人っぽいアナウンスの地元企業CMです。マルマル建設とかバツバツ住宅なんてやつが多い。うるさくないのがいい反面わびしい感じもする。ひとはみな故郷がある。好みもちがう。そこで提案があります。日本中のどの地方のテレビでも自由に選んで見られないものか。かつて住んでいた都市や田舎、旅をして好きになった土地、さらに震災後の東北はどうなっているか。四季おりおりの催しや旨いものや観光情報も見たい。各地のニュースも知りたい。フランチャイズでしかやっていないプロ野球やサッカーもある。電話、携帯、スマホ、タブレットと通信技術はめざましく進化している。選択メニューがどんどん広がっている。くらべてテレビは全然かわっていない。旧態依然である。免許事業にあぐらをかいている。このままじゃテレビ離れがますます進むだろう。安倍政権は「観光立国」を唄っている。国内旅行を盛んにしよう。外国人にたくさん来てもらおう。まして七年後は東京オリンピックです。日本中のテレビを自由に選んで見たい。いまの技術ならやってやれないはずはない。縄張りに安住していると、テレビの終末はちかいぜ。



10月29日(火)
 ひさしぶりに大丸裏の大戸屋へ行ったら、季節のメニューが更新されていた。「ふるさとの浅き冬」と銘打たれた料理は「海老の蒸し寿司とかぼちゃのほうとう」であった。ふるさとはどこだ? ほうとうは山梨だが、なんとなく京都風の寿司が、秋田大舘・曲げ輪っぱみたいな器に盛られている。まあ、かたいことはいうまい。ふるさとの香りがあればそれでいいのだ。「海老」と表示したのは賢明です。どこかのホテルみたいな「芝海老かバナメイエビか」問題は起きない。寿司の色どりが鮮やかです。赤い海老、茶色い椎茸、緑のきぬさや、そして黄色い錦糸玉子が食欲をそそります。ガリのみじん切りが寿司に混ぜ込まれている。いい隠し味になっている。あまーく煮付けた椎茸。これが好きなんだよね。刻んだのもいいけれど、鍋焼きうどんには丸のままの大きな椎茸が乗ってくる。噛みしめるとじんわりと甘みと椎茸風味がにじみ出してこたえられない。ほうとうは特製ブレンド味噌を使っているという。やわらかい風味だった。具はかぼちゃ、大根、にんじん、しめじ。かぼちゃが甘くておいしかった。きしめん風の平打ち麺が入っていて意外とボリュームがある。蒸し寿司は小ぶりだけど完食するとおなかが一杯になった。女子好みのこんなメニュー、以前なら手が出なかったものだが、食い物の好みも変われば変わるもんだなー。ほうとうを食べたら豚汁が恋しくなった。東京では「とんじる」と言うが、京都では「ぶたじる」と言うようだ。ともあれ汁物が恋しい季節になりましたね。間もなく近くの定食屋で鍋物をはじめるので楽しみだ。最初は鶏鍋とすき焼きからスタートして、やがてチゲ鍋やちゃんこ鍋がきて、最後にカレー鍋が登場するのが例年のならいである。



10月28日(月)
 名を知られたホテルのレストランがインチキをやっていた。脂を注入した肉をステーキと称して食べさせていた。安い冷凍エビを芝海老と言って出していた。七年も続けていたのをいまごろ白状したというから驚きだ。陳謝の記者会見に登場した会社の幹部。なに言ってんだかさっぱりわからん。「従業員の意思疎通が悪かった。意図的ではない」だって。意味のない言葉をモゴモゴ言ってるだけです。かつて船場の某一流料亭の女将が「ほら、頭が真っ白、真っ白」と息子にセリフを耳打ちした光景を思い出しました。こんな場面に立たされたエライ人はいたたまれないでしょう。記者や聴衆から罵声をあびるが、反論することもできない。ケツをまくるわけにもいかない。非難するのは簡単ですが、まんいち自分がこの場に立たされたらどうだろう。そう考えてしまいます。やっぱりモゴモゴ言うしかないにちがいない。そんな場面を作らないように日頃から努めることがトップの責任なんでしょうね。起きてからではもう遅い。もしインチキしたのが個人商店ならたちまちつぶれるでしょう。それが分かるからおのずから自制する。しかし大きな組織になると個人のモラルがなしくずしに堕落する。北海道の元国営鉄道会社はまさに典型です。上から下まで腐った建物は、一度つぶして建て直さないとダメかもしれない。「ほっておけば組織は腐る」。これが持論です。ホテルでは料理を食べた数万人に料金を返すというが、客をどうやって特定するんだろう?不思議でしょうがない。だれもかれも返せと言ったらどうするのか。何千人か申し出て一千万返したそうな。まあ、日本だからこの程度でおさまる。外国なら暴動が起きて、ホテルは家具・什器から食材まで根こそぎ略奪されるにちがいない。



10月26日(土)
 きのう金曜日は株式相場が暴落した。土日をひかえているのでもともと動きにくいのだが、それにしても400円近く下げた。外国のヘッジファンドが午後に売り仕掛けをやったらしい。とはいえ下げが大きすぎる。ほんとの原因はなんだかよくわからん。アメリカはオバマと共和党が喧嘩ばかりやってるし、経済もけっしてよくはないのに株式が毎日上げている。日本経済のほうがよほど明るいのに日本株はすぐ下げる。日本株が14000(円)くらいでアメリカは15500(ドル)だけど、この数字は反対ではないかと思う。これも国民性かいな。アメリカさんはお調子者ですぐに乗る。日本は慎重居士が多い。アメリカはブル(雄牛)で強気、日本はベア(熊)で弱気である。きのうはソフトバンクが大きく下げた。相場のリード役だから影響が大きかった。為替も円高になったので主要銘柄がみんな下げた。そんな中でも元気な株があっておもしろい。熊谷組という建設会社が新高値をつけて上げている。鉄建建設とか大豊建設なども元気だ。これはリニア新幹線や東京オリンピックで景気がよくなる銘柄だからだ。もうひとつ、おもしろい理由があるらしい。最近の株式市場は新興市場がにぎわっている。ネット、スマホ、バイオ関連などの新しい企業ばかりである。材料がでるとすぐにストップ高が相次ぐので売買人気が高い。しかし古くから株をやってるおとうさん投資家は、新興市場のカタカナ銘柄になじめない。なんの会社かもわからん。なんとなく反感をいだいている。そうしたアンチ・カタカナ派が、熊谷組に総結集したのではないか。そんなうがった見方もある。はからずも株式市場に世代間闘争が発生しているのだ。国民性とか世代交代とかいう観点で見ると、これで株式投資もおもしろい。カネぬきでも興味がつきないところがあります。



10月25日(金)
 ことしはやけに台風が多い。つぎからつぎへとやってくる。幸せをもたらすお客さんならいいけれど、台風はありがたくない。せんだって京都の嵐山周辺が水につかった。川沿いの商店は大変だった。こんどは伊豆大島で大規模な土砂崩れが起きて、30人が亡くなった。いまも行方不明者を捜索している最中だ。そこへまた台風27号と28号が同時に襲ってくるという。二つが同時に来ると干渉し合ってややこしい動きをするらしい。気象予報士の解説ではじめて知った。日本人ならだれでも忘れられない台風の記憶があるだろう。直接被害を受けたり、少なくとも恐ろしい思いをしたことがあるでしょう。ぼくは二つの大きな台風が記憶に残っている。ひとつは昭和28年の「ジェーン台風」です。いまの人は「えっ、それってなによ?」なんて言うでしょうね。当時は台風になぜかアメリカ女性の名前をつけたのです。カスリーン、アイオン、キティなんてね。可愛くないキティちゃんです。アメリカ人が始めたことらしいが、彼等はよっぽど女性が怖かったんでしょうね。小学生のころジェーン台風に遭遇した。たしか日曜日だったが、先生のお手伝いで数人が登校していました。ものすごい雨風で学校に閉じ込められてしまった。鉄筋校舎なので大丈夫だったが、子供の胸まで浸水した。台風は去ったが、さあ、どうやって家に帰ろう? 夕方、母が迎えに来てくれた。深い水をかきわけかきわけ帰宅した。ドブの匂いが臭かった。さいわいわが家は浸水していなかった。もうひとつは後で聞いた話だが、むかし住んでいた愛知県知多半島の漁村みたいな土地が、のちの伊勢湾台風(昭和34年)で村ごとそっくり流されてしまったそうな。わが家は海岸まで10メートルだった。いなくてよかったとゾッとしました。



10月24日(木)
 そろそろシクラメンの季節ですね。毎年このごろになると三条商店街をぶらついてシクラメンの鉢を買うのが通例だった。ここが安くていいのだ。花屋が三つほどあってどこかでいいのが見つかる。花を探すのは楽しい。あたかも「鬼も十八番茶も出花」の娘さんを物色する気分です。おじさんっていやですね。「番茶も出花」の意味はごぞんじですね。 醜い鬼の娘でも十八という年頃になれば、色気が出て魅力的に見える。粗末な番茶であっても一番茶は香りがよく美味しいというたとえです。さてシクラメンの好みの色合いがうるさい。赤色でもなく紅色でもなく、ピンク系がいい。それもうすいピンクでなくて濃いめのピンクが好きです。ショッキング・ピンクというのだろうか。好みの花がてごろな値段で買えて、ビニール袋をぶらさげて帰るときの心躍る気分はなんともいえない。さりながら今年はちょっとちがう。じつは去年はじめてシクラメンの夏越しに成功したのだ。やや時期遅れながら立派に花を咲かせた。その鉢と買い足した鉢の二つを今年も夏越しさせた。葉はみごとに生きているが花をつけるかどうか、まだわからない。ハラハラドキドキしています。まだ季節のはじまりなので値段が高い。もうすこし成行きを見るゆとりがある。まんいち夏越しの鉢が花をつけなかったら、暮れまでには花屋で買わなければならない。魚がかかるのを待ってる釣り人の心境である。大物を釣ってくるぞと勇んで出かけたはいいが、さっぱりボウズなので、帰りに魚屋でこっそり買うおとうさん。あれとそっくりの事態になる。



10月23日(水)<きものがたり-5>
 あなたはシャツをズボンの中にいれますか、それとも外にたらしますか。人によってはっきり分かれる。今日は中にいれ明日は外にたらすということはない。きっちり派とらくちん派。その人の流儀がある。ぼくらの父親世代は会社から帰ると和服に着替えた。その方が楽だったのだ。日本人には着崩しの伝統がある。着物はただの布っきれだから、どうにでも着られる。江戸の着かたは自由奔放だった。幕末の写真を見ると女性の着物姿に唖然とする。だらしなく着崩している。いまのTシャツ・ジーパンみたいな生活着だからそれも当然か。おなじ着崩しでも浮世絵のそれはなんとも妖しく美しい。着流し、裾なが、裾みじか、おはしょり、尻っぱしょり、たすき掛けなど、着崩しにはきりがない。「抜き衣紋」は髪油の汚れを防ぐために襟を下げて着る。若い女性は襟をどんどん下げて襟足を長くほっそり見せるように工夫した。「けだし」は着物の裾からひらひら見える派手な色の布。下着のように見えるので、男性の目を惹いた。芸者は左手で褄をとるので左褄と呼ばれた。町奉行同心は黄八丈の上に黒い羽織をかさね、羽織の裾を帯に巻き込んだ。「巻き羽織」といえば八丁堀同心をさす。その手下の岡っ引きは唐桟の着物を尻っぱしょりして紺の股引で駆け出した。「いまどきの娘の浴衣の着方はひどい。短く着て足を出したり厚底サンダルを合わせたり」とおばさまが憤慨している。そんなのお江戸では珍しくなかった。堅いこというから着物を着なくなる。学生だって制服の着崩しは昔からやっていた。弊衣破帽がかっこよかった。「バンカラ」なんて言われた。いまは男子がシャツをズボンから出してルーズに着たり、女子がスカートを巻き上げて丈を短くしたりする。やりかたが時々にかわるだけだ。日本人は着崩しからお洒落を生み出してきたのだ。



10月22日(火)
 「やられたらやり返す。倍返しだ!」というセリフがばかに受けているようです。「倍返し饅頭」までくり出して、もう大騒ぎ。まちがいなく今年の流行語大賞になるでしょう。ドラマはまったく見てないので世間の騒ぎをただあきれて見ているだけです。あちらの国々では旧約聖書に「目には目を、歯には歯を」がある。復讐の言葉です。かと思えば新約聖書に「右の頬を打たれたら、左の頬を差しだせ」というのもあって、どうしたらいいかよくわからない。しかしどうやら地球上には「やられたらやり返す」遺伝子があるようです。異教徒、異民族、異国民のあいだでは古来戦闘がくり返されてきました。異教徒ばかりではない。中世から数百年つづいたキリスト教同士の凄絶な殺し合いもあった。イスラム教派閥間のはてしない殺し合いはいまもつづいている。テロ対策を打てば自爆テロでやり返す。中東の独裁者は自国民にも容赦なくやり返す。日本人にはもともと「やられたらやり返す」遺伝子はないようです。狭い島国に同質な社会をつくり八百万の神を信仰する民は倍返しなんてやらない。江戸時代「仇討ち」の掟があったじゃないか、と反論する人がいるでしょう。でも日本の仇討ちはそれほど勇ましいものではなかった。一種の見せしめですね。それと他領へ逃げ込んだ犯人を追及できない刑法の代わりだったのです。幕府のご都合主義と言えなくもない。現に仇にめぐり会えないまま行き倒れたり、家禄をとりもどせない例が多かったらしい。勇ましいどころか哀れな成行きだった。ドラマの銀行みたいな閉鎖社会で「やられたらやり返す」は現実にはなじまないでしょう。だからこそ一度は言ってみたい鉄火な啖呵にしびれるのでしょうか。



10月21日(月)
 秋のシーズンに入り京都観光の旅行者がふえている。ことしはなかでも西洋人の姿がとくに目につく。原発さわぎでいっときはスーッと引いてしまった外国人がもどってきた。神社仏閣でも、錦市場や飲食店でもフランス語、イタリア語などが飛び交っている。アメリカのふとっちょさんも多いみたい。伏見稲荷にも外国人がたくさんきていた。垂れ幕を見ると伏見稲荷は「外国人の人気第二位」だそうな。第一位はどこなんだろう?たしかに一面朱色の派手な社殿や大鳥居は外国人に強烈な印象をあたえるでしょう。彼等はタフですね。山登りの前半は日本人も多いが、上の方になると急に外国人比率が高くなる。二メートルもありそうな外国人が長い脚でスタスタと登ってゆく。紅い千本鳥居の裏側にこれを建てた人や会社の名前と年月が刻まれている。「千三百年記念」なんて文字も見える。外国人女性が「これはなにを意味するのか?」と訊いてきた。「1300年アニヴァーサリー」と言っちゃったけど「メモリアル」のほうがよかったな。あとで気がついた。でも意味が通じたんだから、まあいっか。政府は観光立国をとなえ、訪日外国人客数1000万人を目指している。ことしは間違いなく1000万人を超えるだろう。でもフランスは8000万人、イタリア4500万人、ドイツ3000万人だぜ。先進国ならせめてドイツなみに3000万人は来てもらわんと。彼らが落としてくれるお金と波及効果は大きい。2020年の東京オリンピックもきまったことだし、もっともっと外国人に日本へ来てもらいたい。それには高級からB級まで幅ひろい日本食の魅力と、京都おとくいの「o-mo-te-na-shi」でしょうか。



10月19日(土)
 きのうは登山をした。伏見稲荷の一の嶺を征服したのだ。男女とりまぜ総勢9名、高校OB会の快挙であった。さすがに今朝は足がつっぱっている。なにしろ1万8千歩も歩いたのだ。しかも大半は階段の登り下りだからハンパじゃない。ようも歩いたものだ。仲間と一緒だから完遂できたのだろう。負けたくない、迷惑かけたくない、まだまだいけると信じたい。そんな気持ちが重い足を運ばせるのだろうか。もし一人だったら、たぶん、途中の茶店で甘酒なんぞ飲んで引き返していただろう。ぼくははじめての伏見稲荷だったので、それでテッペンまで登れたのはラッキーだった。話に聞いたしテレビで見たが、あの千本鳥居(ほんとは何本あるんだろう?)は聞きしにまさる景観だった。ほんとにくっついて立ってるんだね。建てた人や会社の名前、年月が裏側にきざまれているのを知った。ほとんど平成の建立で昭和は数えるほどしか残っていない。するってーと、あの鳥居たちはみんな若者なんだね。その若者たちがハアハア言ってる年寄りたちをながめていた。下山後、どっかでダベっていた足弱組と合流し、付近の寺を拝観したのち打上会にのぞんだ。場所は「キザクラカッパカントリー」である。あの小島功さんの色っぽい河童の漫画でおなじみの「カッパキザクラカッパッパ」の黄桜酒造直営店である。冷えた樽酒がじつに旨かった。陶器のちろりみたいな器からぐい吞みにそそいで呑むやりかたもうれしい。おてごろ懐石も酒の友にけっこうでした。ほろよい機嫌で外に出るとひんやり秋の空気が頬をなでた。暑くもなく寒くもなくちょうどよい天気にめぐまれた一日だった。



10月18日(金)
 なじみの大戸屋にいくとおねえさんが必ず訊く。「白いごはんですか。五穀米になさいますか?」。ごはんの種類と大小を問われるのである。ぼくは白いごはん普通とこたえる。見てると女性は三人のうち二人は五穀米を選ぶようだ。年齢を問わない。健康志向、ダイエット志向が定着してるのがわかります。いっぽう男はどうか。若い人は五穀米もあるが、年輩男はほとんど白米を選ぶ。「銀シャリ」に格別の熱情をもつ世代はどうにもならん。ヒエやアワはいやというほど食ってきた。うちの兄などは「イモは一生分食ったから二度と食いたくない」とのたまう。若いひとは「そんなの江戸時代じゃない?」なんて言うだろう。五穀米は「いまきてる」はやりものみたいに感じている。こういう人種だからこそ年収ダウン時代を生きていけるのではないか。高度成長・バブル時代を生きた世代には、年収ダウンは恐怖でしかない。給料が二割も三割も上がった経験をしているのだ。バブルの大盤振る舞いに踊った口なのだ。いまや「年収300万時代」がキーワードだという。それでいかに幸せに暮らしてゆくか。「500万なくちゃいや!」という娘はそれなりの選択と行動をするだろう。「清く貧しく美しく」なんて標語が大昔にあったけれど、いまの若者はそんなこと意識していない。「自分なりに」が彼らの合言葉らしい。都会でセコセコやるより田舎でノンビリという人種も出てくる。テレビの風土記などに地方の農家や職人などが出てくる。そのなかに、もろヤンキー夫婦を見かける。男はかわらぬヤンキー・スタイル。そばにヤンママが赤ちゃんを抱いている。人口減少時代を生きるのは彼等なのだ。知らないことは強いことかもしれない。



10月17日(木)
 ある経済関係のブログを見ていたら「害極人投資家」という言葉がでてきた。笑ってしまった。まさかカナ漢字変換まちがいではあるまい。意図して書いたのだろう。わが国の株式市場に流れ込む資金の60%以上が外国人だという。けたちがいの巨額を動かすファンドという怪物が市場で暴れまわっている。めまぐるしく飛びまわる短期資金もある。こんなのと対抗するんだから個人投資家はたいへんである。油断も隙もならない。デリバティブとかいって人をだまくらかす手練手管にたけている。米国などは金融ビジネスと情報ビジネスで食っているようなもの。鉄鋼もだめ、自動車もだめ、電機もだめである。つい最近「米製造業、復活は本物か」なんて記事が出たけど、そうそう簡単にはいかないだろう。いま「決められないアメリカ」がおかしい。オバマと共和党の喧嘩がはてしない。予算案も法案も決められない。「米国デフォルトか?」なんて騒ぎでウォールストリートで株が暴落する。とたんに日本の資金を引き上げるから日本も暴落する。たまったもんじゃない。迷惑千万である。おまけに彼等は株価を下げて儲ける画策をする。おおむね個人投資家は株価が上がらないと儲からない。午後の市場などで、害極人投資家が意図的に大量の先物を売りあびせることがある。とたんに現物株もみるみる下げる。わけもなく下げる株価に右往左往してしまう。あわてた個人投資家が売ると、害極人がちゃっかり買うしかけである。個人投資家はよほどしっかりしていないと、害極人の手玉にとられるはめになる。



10月16日(水)
 10日に渋谷で飲んだばかりの友人とゆうべ京都で飲んだ。こんなのはめずらしいハプニングである。以前から京都旅行を計画していたとのこと。もうひとりの友人と二人できた。いずれもむかしの職場の同僚である。さっそくなじみの太郎屋のカウンター席を予約した。日暮れ時に大丸前で待ち合わせてポツポツともりはじめた灯りの中を店へむかった。四条通裏の細い路地。太郎屋はおばんざいで酒をのませる店である。京都に住みついて以来かわることなくひいきにしている。しばらくごぶさたしていたのでなつかしい感じ。入口そばのカウンターに陣取る。ここは落ち着いて話ができる。常連の役得でかけつけ早々に数種の菜を注文する。肉じゃが、鯵の南蛮漬け、唐辛子とじゃこ炒め、ポテトサラダ、そしてこれぞ京都という茄子と鰊の炊いたん。炊いたものを京都では「炊いたん」と称するのだ。出汁たっぷりに甘辛く煮付けた茄子と鰊がなつかしい味わいである。ぼくは手はじめに千葉の純米酒、木戸泉「自然舞」をたのんだ。さっぱりうまい酒である。友人たちは最初ビールを飲んでいたが、そのうち「このサカナにはやっぱり日本酒だな」といって木戸泉を注文した。大きめの陶器で呑むひやが腹にしみる。京都の観光スポットや東京の変貌ぶり、それから共通の友人たちの消息など、話題は尽きない。二杯目は岩手の地酒「南部美人」にかえた。こちらのほうがより濃厚なうまみが感じられる。なんだかんだで二杯半ほど飲んでしまった。こんなに飲んだのはひさかたぶりである。それだけ体調がよくなったことがうれしい。親しい友人と飲む酒はうまい。



10月15日(火)
 先週東京に行った。むかしの職場の友人とひさしぶりに渋谷で会った。超つきなみにハチ公前で待ち合わせた。早めに出て時間まで駅周辺をぶらついた。高層ビルがふえたなあ。渋谷警察よりのガード下はホ−ムレスのねぐらだ。東横線の旧駅をぶっこわしている。ヒカリエという商業ビルをのぞいてみた。ここはたしか東急文化会館だったかな。映画館と本屋と青山への抜け道をよく利用したものだ。その抜け道にさまざまな食い物屋がびっしり並んでいたものだが、そのおもかげがない。大規模な商業ビルが建つのに文句はないが、そうすると周辺の「小ぎたない食い物屋」がなくなってしまうのがさびしい。小ぎたない店がうまいのだ。友人と再会して酒場へ向かう。駅前のスクランブル交差点(いつもテレビに出るやつ)を渡る。ほんとひさしぶりの雑踏です。東急百貨店本店あたりからラブホ街を抜けて延々と歩いた。そのあたりの妖しげな雰囲気はむかしと変わっていない。やや寂しくなったあたりに友人のなじみの店があった。彼に言わせると駅近の店はうるさくて落ち着かないそうだ。いちおう和風の感じだが沖縄や東南アジアの料理で酒を飲ますという。彼は焼酎、ぼくは冷酒のボトルをとった。島らっきょうがカリカリしてうまかった。沖縄風さつまあげもよかった。聞けば亭主がミャンマー人で奥さんが奄美大島のひとらしい。幼い子供が奥さんにしがみついて照れている。となりにでっかい相撲取りがきてどっかと座った。そんな店だった。とりとめなく書きつらねたが、要はこんな店がいいなという話である。イタリアンだのパティスリーだのカフェだの、小奇麗な店ばかりじゃ、おじさんは落ち着けない。むかし長く住んでいた府中駅前も、再開発で小ぎたない路地が消えてつまらなくなってしまった。



10月14日(月)
 東京で友人から「半沢直樹・倍返し饅頭」なるものをもらった。ただありがとうと受け取ったが、帰って身内に見せたら、どえらいラッキーだという。いま大変な人気で容易に手に入らないレア物だという。TBSショップで毎日限定500個しか売らないそうだ。そういえば友人はTBS関係者であった。そんなにありがたいものならと姪っ子にあげた。そしたら職場に持ってゆき、お茶タイムは「倍返し饅頭のひととき」で大いに盛り上がったそうな。知らんかったなあ。半沢直樹は視聴率40%とかで、国民的な大騒ぎになり、直樹グッズもたくさん出ているらしい。こっちは書店の「なんたらかんたら半沢直樹」というアナウンスが、うるせえなあ、と思っていただけである。話はとつぜん変わる。滞在した身内の家は東急田園都市線にある。駅からちょい離れてるのでクルマかバスになる。むかしは裏側一帯が山林であったが、いまや港北ニュータウンに様変わりした。横浜地下鉄のセンター北・センター南駅に巨大ショッピングができた。生活圏の向きが真反対になった。東急側はさびれる一方らしい。ひさしぶりの東京で痛感したのは電車網の激変である。知らない地下鉄がいっぱいできている。私鉄がみんな地下鉄乗り入れして、便利だけどダイヤが乱れている。急行待ちで10分も停まる。むかしはありえなかった。ターミナル駅も変わった。東横線の旧渋谷駅をぶっこわしていた。こんどの駅は地下5階だって。東京は刻々と変わってゆく。その変転を楽しむのが東京かもしれない。半沢直樹だぜ、倍返し饅頭だぜ、新線だぜ、新駅だぜ、東京オリンピックだぜ。言うならば「つまみ食い」である。そういうことは片耳で聞き流して、相も変らぬ暮らしを営んでいるのが京都なんですね。



10月12日(土)
 時ならぬ炎暑が去ってきょうは快適な秋日和になった。やがて紅葉の季節になり、それが終わると京の底冷えがやってくる。紅葉の京都は一年でもっとも賑わいます。そんな旅行者にぜひ食べていただきたい京都のB級グルメ。おすすめはカレーうどんです。身体がホカホカ温まりこれからの季節にぴったり。よそとは一味も二味もちがう京都のカレーうどん。カレー風味はもちろんだが、きめ手は鰹と昆布のお出汁です。だしがきいてるのが京都流です。自他ともに認める一番店は、紅葉の永観堂の近く、鹿ケ谷通りにある「日の出うどん」。哲学の道からも近い。11時の開店前には路上にタクシーがずらりと停車する。運ちゃんはうまいものを知ってるのだ。ぼくは肉入りカレーうどんが好きだが、特大のおあげが入った「甘あげきつねカレーうどん」も女性に人気。辛いカレーと甘いおあげが絶妙の組み合わせです。紙エプロンをくれるので心おきなくすすれます。街中で便利なのは八坂神社そばの「味味香(みみこう)」。京都風の柔らかい麺を片栗で強めにとじてある。香りはややひかえめだが辛さはしっかり。頼めば辛さを調節してくれる。ちくわ天トッピング100円がだんぜんお得。かわりどころは京都府庁近くの丸太町通りにある「やまびこ」。名物の牛すじカレーがおすすめ。とろとろに煮込まれた牛すじと青葱の入った辛口のカレーうどんです。無料サービスの温泉玉子をからめて食べる。ちなみに、ちくわ天と牛すじ。これは京都のかくれたグルメ食材ではないか。居酒屋とかお好み焼きなどあちこちに登場します。ちくわ天のちくわはそれ専用に作られたものらしい。小ぶりでもっちり感が独特です。



10月11日(金)
 やれやれ、やっとこ京都へもどってきました。10月というのに夏のように暑い東京の日々でした。希望どおり神田川散策に出ましたが、あまりの暑さにコースを途中で切り上げる始末でした。地下鉄神保町で降りて歩きはじめる。神田の古書店街はなつかしい。その雰囲気は変わらない。坂を登ると明治大学の巨大なビル群が現れる。これはもう摩天楼大学ですね。むかしはもっと低層で落ち着いた感じだったな。山の上ホテルだけはかわらず露地奥にひっそりとたたずんでいる。聖橋にたどりつき神田川を見下ろす。なんとがっかり。目の前の川中に巨大な鉄骨構造物が立っている。なんの工事だろうか。川の景色は台なしであった。しょうがない。江戸の柳原土手の名残でもさがそうと、川沿いに急な坂道を下ってゆく。ここも大きなビルの裏道というおもむきだ。やがて万世橋の煉瓦壁が見えてくる。かつて存在した立派な国鉄・万世橋駅の遺構があるという。煉瓦ビルの川沿いに長い木造デッキが作られている。少しだけ涼しい川風を感じられた。神田須田町にかかる。神田まつや、やぶそば、ぼたん、などの貴重な老舗を探訪するつもりだったが、暑さにまいってきた。素通りして神田駅あたりの喫茶店に逃げ込んだ。東急田園都市線の身内の家に泊まったのだが、交通網がずいぶん変わったな。地下鉄に乗り入れて押上から埼玉県にまでつづいている。それはいいけど弊害が著しい。ダイヤが混乱している。遅れた普通電車が急行をやりすごすために桜新町で10分以上待たされた。むかしはこんなこと決してなかった。東京オリンピックは大丈夫かいなと心配になる。



10月5日(土)
 せんだってNHKニュースウォッチ9で、広島カープのファンが急増しているという報道があった。しかも首都圏で、しかも女性ファンなのだ。巨人の本拠地・東京ドームでの平均観客動員の堂々1位は、なんと広島カープ戦なんです。東京に住む若い女性がカープにのめりこむ漫画「球場ラバーズ」が人気である。「だって野球が好きじゃけん」。旅行情報誌・るるぶは「るるぶ広島カープ」を発行した。異例のことです。うれしいじゃないか。中学・高校時代を広島で過ごしたせいか野球となればやっぱり広島を応援する。昭和50年の広島カープ初優勝のときは、女房と自由が丘で祝杯を上げたものだ。その年のオールスターゲームで、カープの山本浩二と衣笠祥雄がそろって1試合2本塁打を打ったので優勝を予感した。当時はカープを「赤ヘル軍団」と呼び、「赤ヘル旋風」を巻き起こした年だった。以来何度か優勝した。カープは市民球団と言われる。お金がないので子飼いの選手ばかりである。球界一の「育て名人」である。年俸も安い。育てた選手をよそのチームに取られる。関西の某チームなど主力は元カープ選手ばかり。東京の某チームはカープが育てた投手のおかげで何度も優勝した。そんなカープは平成3年に優勝して以来22年優勝してない。12球団でいちばん長く勝ってない。いま増えているのは強かった時代を知らない若い世代のファンだ。特に女性ファンが多く「カープ女子」と呼ばれています。カープ女子が言う。「最初から強ければ応援しなくても勝つけど、カープが勝ったときは声出したかいがあったなと感じられる」「一緒に戦っているとつよく感じます」。人気の秘密に「赤」がある。地味だったころに「赤いユニフォーム」を採用した首脳陣はえらかった。「赤いユニフォームを着て球場へ行こう」がひとつのファッションになった。そんな女性ファンの熱狂ぶりがソーシャルメディアで広がったのも大きい。時代ですねえ。



10月4日(金)
 だれがなんといっても「かき揚げ」が好きだ。と、きばるほどのもんでもないが、とにかくかき揚げが好きなんです。天ぷらコースだと最後に出てくるあれですが、ふつうの天ぷらより好きだ。コースのは小さくて上品だが、大きくて下品なかき揚げもうまい。丸亀製麺の野菜かき揚げは球状で赤ん坊の頭ほどもある。そのままじゃ食えないから箸で割って食べる。だし醤油をかけて粗野に食べるのがいい。ふつうの天ぷらもおいしいけどわりと単調です。海老・穴子の天ぷらはどこまでいっても海老・穴子です。そこへいくとかき揚げは複雑微妙である。あ、小海老だなと思ってると、やや、小柱がきた、かと思えば、おやおや、三つ葉の香り。ころもだってうまい。海老天のころもは単なるカバーです。海老の家来です。かき揚げのころもはちがう。具と一体化してる。みんな仲良くやろうねと言ってる。かき揚げは江戸時代の蕎麦屋からはじまったらしい。江戸時代の書物には「芝海老のかき揚げ蕎麦」が出ている。鬼平犯科帳には貝柱のかき揚げを浮かした天ぷら蕎麦が出てくる。深川や行徳などでとれたあおやぎの小柱が珍重されたようだ。いずれにしても当時としては贅沢品で、裏長屋の住人には高嶺の花だったろう。「てんや」という天ぷらチェ−ンがある。ここのかき揚げ天丼がうまい。パリパリ派のかき揚げで、庶民派の代表だ。口に突き刺さるようなパリパリ感がいい。500円台のお安さもうれしい。赤坂の「天茂」のかき揚げ丼は絶品です。ごはんが見えないほどでっかいかき揚げの上に風味豊かなゆず。ごま油の風味と海老や小柱のうまみ。揚げたてを目の前でタレにジュッとくぐらせるので良く馴染んでいる。小さな店にコの字のカウンター。その中でてきぱきと調理している。昼はあっという間に満席になる。おやじさんが目を光らしているので極上の味をたもっている。



10月3日(木)
 ときどきマスコミが「モテるおじさん」をとりあげます。週刊誌あたりのでっちあげ記事だろう。週刊誌のお客は100%おじさんである。「おじさんだってモテたいっ!」という切なる願いをくすぐれば週刊誌が売れる。マスコミはいいかげんだ。火のないところにも煙を立てる。ネタがなけりゃつくれ、というわけだ。モテるにも流行りすたりがあるようだ。最初は「ナイスミドル」だったかな。かっこよさと思慮深さを兼ね備えた中年男性です。「仕事ができる」「紳士的な態度」「清潔感がある」「心が広い」と条件がうるさい。できすぎじゃない?そんな男そうそういるかよ、と思ってしまう。池部良、鶴田浩二みたいな二枚目が成熟したおじさん? なんだか優等生すぎて面白味に欠ける。と、思っていたら「ちょいワル」がきた。ある雑誌が売らんかなで持ち出したコンセプトらしい。イタリアの中年男性(ジローラモ)をモデルに大々的なプロモーションを展開した。そっちが優等生なら、こっちは不良っぽさだぜ。「グラっとくる色気」「セクシーな魅力のある男性」だって。イタリア男ならわかるけど、日本男子じゃちょい無理じゃない?ヤの字ならなんぼでもいるけどね。かと思ったら、つぎは「カレセン」ときた。カレセンは「枯れたオジサン専科」です。社会の荒波にもまれて人生の酸いも甘いも知り尽くし、若い頃のギラギラした油が抜けきった「枯れたオジサマ」がいい。藤村俊二、蟹江敬三みたいな。女性がそういう。定義は以下のごとし。「路地裏が似合う」「一人の時間を持て余さない」「ひとりでふらっと寄れる行きつけの店がある」「金や女を深追いしない」「犬より猫が好き」。なんだ、なんだ?ぜんぶあてはまるじゃん。そうか、おれは枯れ専なんだ。でも若い女性が寄ってこないね。しょーがねえ。おーれは、かーわらーの、かーれすーすーきー、ときたもんだ。



10月2日(水)
 秋涼の候、気持のよい季節になったのでひさしぶりに東京へ行ってみよう。日記は来週お休みします。七年後のオリンピックがきまって東京は盛り上がっているかな。離れてもう八年になると、あらたまって東京観光に出かける気分です。ちょうど大学の仲良しグループの例会があるので、みんなの顔が見られる。そのあと、こんどは昔の職場の同僚たちと会う予定だ。同じ年頃の友人たちがどんな年のとりかたをしているだろうか。大学の仲間はどっちかといえば遊び人たちだった。学校の夏休みにぼくの実家へいきなり五人がたずねてきた思い出がある。学生の旅行に旅館なんてとんでもない時代だった。毎晩友人宅に泊めてもらって旅をつづけたものだ。彼等はうちの五右衛門風呂がはじめてなので、悪戦苦闘して大笑いした。職場の友とは波乱の別れだった。会社がおかしくなってみんな散り散りに他の会社へ移ったのだ。ひさかたぶりの再会が楽しみだ。あとはどこへ行こうか。オリンピック予定地は殺伐な埋立地ばかりで見てもしょうがない。スカイツリーなんか見たくもない。大混雑はかんべんしてほしい。新宿・渋谷などはいまさらという感じだし、六本木・赤坂の夜という色気もない。銀座だけは一度ぶらついてみようか。そうそう行きたいとこがあった。御茶ノ水の聖橋の上から神田川を見下ろしてみたい。ここは渓谷といってもよい地形である。渓谷の横っ腹をぶちぬいて地下鉄が走っている。一瞬だけ地上に出るのだ。江戸時代は猪牙舟(ちょきぶね)が神田川を行き交っていただろう。両国広小路から西方にはあの有名な「柳原土手」があった。神田川南岸に築かれた土手には柳並木がつづき、昼間は古着屋が軒を連ね、夜ともなれば夜鷹の稼ぎ場所だった。吉原と柳原土手が出てこない江戸小説はないだろう。帰りには付近の大学町の雰囲気もあじわいたい。そして池波正太郎氏が愛した須田町の「神田まつや」で蕎麦でもたぐろうか。



10月1日(火)
 江戸時代は貧困のため捨てられる子供が多かった。売られてゆく子供もたくさんいた。捨てられた子を見れば哀れに思うのがひとの情けです。「不憫だねえ」と言われました。この言葉いいですね。ぼくは好きです。「不憫なやつよのう」「不憫でなりません」のようにつかう。不憫(ふびん)という音感も簡潔でよい。このように意味はわかるけど今ではあまり使われない言葉ってけっこうありますね。いまなら「かわいそうだねえ」と言うのでしょうか。長いし音感がよくない。「不憫」は仲間として自然に同情する気持が感じられるが、「かわいそう」はなんとなく上から目線で批評してるみたいな感じをうける。さて驚くべきことがあります。江戸時代に捨て子の保護と養育の制度があったのです。いま考えても画期的なことです。捨て子が見つかると、その町内が養育する責任を負います。となり町へ追い出したりすると罰せられたそうです。町から奉行所へ念書を提出します。「お届けの捨て子は幕府からお預かりしたもので、以後大切に養育します」という文面です。子どもは天からの授かりものという精神です。10歳になるまで捨て子を養育し、その間に里親を探します。見つかれば里親が責任を持って育て行く末は養子にするのです。幼児の死亡率がとても高かったので、里親が見つからないことは殆ど無かったそうです。 みんな貧乏なのに孤児を育ててゆこうという意識が強かったのです。裏長屋の貧乏人でさえ「困ったときはおたがいさま」と言ったのです。ちなみに飛騨の人は不憫を「かわいい」と表現するという。「あーれ、かわいいなあ、まんだ遊びたいさかりやに」なんて言うそうです。やさしい表現ですね。捨て子より捨て親が問題になる昨今です。「不憫」と「おたがいさま」を江戸が教えてくれます。



9月30日(月)
 初秋の早朝。こんな気持のいいときはない。店開きしたばかりの酒場の空気を思わせる。ピカピカに磨かれたグラスやカウンターに照明が光るのが好きだ。客はまだいない。静かななかにピリッとした緊張感がある。早朝の京都は店開きしたばかりの町である。ひんやりした風が頬をなでる。建物ごしの朝日が開店の照明である。早起きは三文の徳(得?)というけれど三文どころではない。東京にいた時分もこんなに早起きして散歩していたら、またちがった景色が見られたにちがいない。隣りに由緒ある大きな神社の森があったのに。いまとなっては口惜しい。そのころは宵っ張りの朝寝坊であった。東京に住んでいるとどうしてもそうなる。それに輪をかけてバス電車の終夜営業をはじめるという。つぎの東京オリンピックに向けた取り組みらしい。まさに「眠らない東京」になる。かつて終電車は毎度おなじみだった。酔客と夜の蝶御用達の満員電車。あのむっとした空気と臭いは忘れない。それに遅れると深夜バスであった。新宿西口を午前一時に出発して高速をつっ走った。タクシーに一万数千円なんてこともたまにあった。ときには帰るのをあきらめて新宿のサウナバスへ行く。ながながとサウナに入って休憩所で仮眠した。常連さんと顔なじみになった。そうそう、あれはどこだったか忘れたが、カプセルホテルにも泊まったな。閉所恐怖症なのに、よくあんな狭いスペースに寝たもんだ。酔っぱらっていたから平気だったんだろう。京都に最新式の旅行者用カプセルホテルができたので見学したことがある。あんまり清潔できれいなのに驚いた。へえ、カプセルもここまできたかと思った。男女は完全セパレートでエレベータまで別々になっている。町のどまんなかにあるのに、一泊五千円未満だ。外国人女性が「ワンダフル」と喜んでいるそうな。



9月28日(土)
 食欲の秋ですねー。ぞくぞく登場する秋の味覚が食欲をそそります。秋刀魚、秋鯖、秋鮭、もどり鰹。松茸、秋茄子、里芋、かぼちゃ、さつまいも。梨、りんご、柿、栗、葡萄、無花果と充実しています。なじみの割烹で賀茂茄子の田楽がでた。甘めの味噌がからんだトロトロ茄子がなんともいえない美味しさだった。旬は真夏の祇園祭のころなので、すこしおそいかもしれない。賀茂茄子は水に恵まれた上賀茂あたりで栽培される京野菜の逸品です。とにかく全てが普通のなすと違うので、見慣れない方はびっくりするでしょう。ソフトボールみたいな球状で、大きいものは直径15センチ、重さ1キロにもなります。賀茂茄子は肉質が締まっていて、火を入れても適当な歯ごたえがあります。淡白な味なので油と相性がよく、油でいためるとコクやうまみが増します。料理はなんといっても田楽が一番だが、猛暑のころには「ひゃーし賀茂なす」がいい。揚げてからだし汁とともに冷蔵庫でうんとひゃーして食べる。茄子はもともと身体を冷やす作用があるので夏バテに活をいれてくれる。「秋茄子は嫁に食わすな」ということわざがあります。秋茄子はたいへん美味なので、嫁には食べさせてやらないという姑の「嫁いびり」ですね。かと思ったら反対の説もあるらしい。茄子は身体を冷やすので身重な嫁にはよくないから食べさせないという。これだと嫁の身体を気遣うやさしい思いやりということになる。ほんまかいな。やさしいふりして本音は意地悪?かもしれない。「秋鯖は嫁に食わすな」ということわざもあって、やはり嫁と姑の確執を想像させます。浜の真砂は尽きるとも、嫁姑のタネはつきまじ。



9月27日(金)
 人間いくつになっても知らないことが多いものです。漱石・鴎外や芥川龍之介など明治大正の作家を読むと、知らない言葉がいっぱい出てきます。頻出する漢語はむろん難解ですが、ふだん使われていた言葉でもよくわからない。いまでも時代小説を書くひとは時々見慣れぬ言葉をさらりとつかう。「甚助を起す」がちんぷんかんぷんだった。見たことも聞いたこともなかった。こんだけ長く生きててそんなことがある。「嫉妬する」という意味なんですね。甚助は甚だ助平という意味らしい。嫉妬深い男、淫乱な男を意味する。どうやら吉原あたりから発した花柳語のようだが、一般にもひろく使われたようだ。嫉妬の感情は古今東西かわらぬようで、類似語がきわめて多い。嫉妬、羨望、焼き餅、悋気(りんき)、岡焼き、ねたみ、やっかみ、ジェラシー、ときりがない。法界悋気(ほっかいりんき)なんてヘンなことばもある。自分にまるで関係ないのに嫉妬することです。「ジェラシー」というタンゴの名曲があります。冒頭の悲鳴のようなバイオリン・ソロではじまり、ゆらめきうねる妖しい旋律は、めらめら燃える嫉妬の炎そのものです。悋気(りんき)は古典落語のかっこうのネタになっています。明治時代の圓朝は「悋気の炎(ほむら)は絶える間は無く(真景累ヶ淵)」と語る。「悋気の火の玉」も古典落語の演目の一つです。浅草の商家の主人が助平心をおこして、吉原の花魁(おいらん)を身請けして根岸に妾宅をかまえる。本妻と妾の板ばさみで悪戦苦闘のあげく、両者とも先立ってしまう。すると本妻の鬼火が根岸へ飛んでゆき、妾の鬼火が浅草へ飛んでくる。たばこ好きの主人が煙管(きせる)の火を借りようと本妻の鬼火に近づく。「あたしの火じゃ美味しくないでしょ?」というのが落ちです。



9月26日(木)
 いまでもあるのだろうか、駄菓子屋さん。昭和レトロの風景に駄菓子屋は欠かせない。どこの町でも近所に二三軒はかならずあったものだ。残念ながら買い食い禁止だったので、自分自身は駄菓子屋世代になりそこなった。でも妹たちは五円十円にぎって駄菓子屋へ飛んで行った。さまざまな駄菓子への思い入れを語るが、こっちにはいまいちピンとこない。駄菓子屋は全国にひろまったけれど、発祥はたぶん東京下町ではないかと思う。思い出を語る人も下町出身が多いようだ。江戸の時代ものを読んでいてふと気づいたことがある。ひょっとしたら駄菓子屋の起源は江戸時代の「木戸番」ではあるまいか。江戸の町々には木戸が設けられていて、朝は明け六つ(午前6時)に木戸を開けて夜の四ツ(午後10時)に閉めた。盗賊や不審者の通行・逃走を防ぐためである。木戸には番小屋があって「番太郎」とか「番太」と呼ばれる木戸番が居住していた。年輩の夫婦者が多かった。木戸番は夜毎に拍子木を打って「火の用心さっしゃりませー」と夜警もしたし、火事があった時には火の見櫓の半鐘を打つ役割もあった。木戸番の給金はそれぞれの町内から支払われたが、薄給だったので副業が認められていた。駄菓子・蝋燭・箒・鼻紙・火鉢・草鞋などの荒物(生活雑貨)を商うのがふつうだった。夏には金魚や西瓜を売り、冬には焼き芋を売った。なかでも焼き芋は番太郎の専売のようになっており、「八里半」とか「十三里」と書いた赤提灯を出していた。九里(栗)にちかい八里半、九里よりうまい十三里、という焼き芋にひっかけた駄洒落です。焼き芋一本が六、七文だったから、だいたい百円くらいでしょうか。江戸のわんぱくたちが番小屋にむらがって「おばちゃん、これおくれ」と叫ぶ姿が目に見えるようです。



9月25日(水)
 書店といえばしーんと静まったなかに、ときおりサラサラとページをめくる音がする。それがふつうだよね。ところがどっこい、ちかごろの本屋はちがう。本を手にちょい読みしていたら、頭の上からいきなり声が降ってきた。かっこつけた男のナレーションが「なんたらかんたら半沢直樹、どうしたこうした半沢直樹」とくりかえす。すると「なんで銀行員となんか結婚しちゃったんだろう?」とぼやく女の声。これがしつこいのだ。ループテープで何度も何度もくりかえす。銀行員が聞いたら気を悪くするだろう。最近の本屋は「売らんかな」の姿勢が露骨である。「半沢直樹」はいまテレビで当たってるらしいね。視聴率30%以上とか聞いた。銀行員のサラリーマン・チャンバラ劇だそうな。「やられたらやり返す。倍返しだ!」というセリフが流行語になってるらしい。こんな単純馬鹿ドラマは見る気もしないから知らない。企業ドラマや恋愛ドラマは、知らないことがいっぱいある若い人だから面白いのだろう。おじさんはもう沢山と食傷気味。テレビで話題を集めてレコード(古いね)じゃなかったCDを売るというのが音楽業界の作戦だったが、出版業界も二匹目のドジョウを追っているのか。売らんかなの姿勢が如実に見えるのが文庫本の表紙です。むかしの表紙は地味だった。縞柄とか市松模様とかのカバーが多かった。写真やイラストなんか皆無だった。ちかごろは派手派手もいいとこ。劇画や漫画調の極彩色があふれている。表紙を見ただけで敬遠してしまう。こういう売らんかなの出版が取捨選択されて残った文庫本がブックオフに集まるのです。しかも格安になっております。わたくしがブックオフを愛好するのも当然ではないでしょうか。



9月24日(火)
 時代小説の多くは殺人事件をめぐる捜査・捕物を描いていますから、主役は町方同心とその手下の岡っ引きです。当時は南北町奉行所にそれぞれ与力25人、同心120人がいて、月交代で江戸八百八町の取締りに当っていた。こんな少人数で捜査や警備ができるわけがありません。そこで同心の下に岡っ引き(御用聞き、目明しともいう)、その下に下っ引きを使っていた。与力・同心はお役人だから俸給が出ますが、岡っ引き以下は純然たる民間人で給料はほとんどありません。ですから岡っ引きの女房はおおむね商売をしていました。料理屋などを経営して、その稼ぎを亭主の仕事につぎこんでいたのです。そうまでして民間人が、命をかけて刑事に日夜奔走したのはなぜでしょうか。もうひとつの江戸の主役は火消しです。「火事と喧嘩は江戸の華」。ひんぱんに大火災がありました。あの大岡越前守忠相が、いろは四十八組の町火消をつくりました。町火消は町奉行の指揮下におかれ、その費用は各町が負担すると定められたのです。町火消の中核をなしたのは鳶人足(とびにんそく)です。土木建設工事では鳶として働きながら、一町事あれば火災現場で消火に命をかけたのです。これまた消防夫の給料をもらってるわけでもないのに、なんでそこまでやったのでしょうか。岡っ引き、火消鳶に共通なのは「意気でいなせでカッコいい」ことです。町娘にもっとも人気のあった仕事です。彼等は自分の仕事に誇りを持っていた。それは江戸の町の花形であり、ひとびとに頼りにされる仕事だったからでしょう。金は出さないけど意気をくすぐる。幕府はじつにうまく民間人を使ったもんです。内閣は老中・若年寄以下わずか数人。役所の長官だって寺社奉行・勘定奉行・町奉行くらい。財政は札差にたより、貨幣流通は両替商にまかせ、人別・戸籍は町役にやらせた。かわりに名誉をあたえる。威張ってできる仕事だけやって、ややこしい仕事はどんどん民間におっつけた。江戸幕府は究極の「小さな政府」だったのです。



9月23日(月)
 涼しくなって食欲が出てきました。本日は何を食おうか。行ったのはなじみの大戸屋だけど、きょうは気分を変えてみよう。いままで食べたことのないものを試してみようと思った。カラー写真のメニューをさんざめくって長考のあげく、きめました。よし「まぐろの漬け丼」いってみよう。これがずばり大当たりでした。おいしかったなー漬け丼。見た目もいいです。大ぶりに開いた赤い塗り物めいた丼で出てきます。ごはんの上に海苔を敷いて、つやつや濡れ濡れ光るまぐろが乗っています。白胡麻がかかっている。紫たまねぎの薄い輪切りとパクチーみたいな青菜がそえてある。そしてまん中に卵の黄身がポッカリ乗っている。小鉢に見慣れぬタレがついているので、どうやって食べるのかとおねえさんに訊きました。そしたらちょっと舌足らずの日本語が返ってきた。中国のおねえさんみたいだ。「塩こーじですかーら、かきまぜてーおめしあがりください」。おめしあがりください、よく言えましたね。ちかごろは日本娘だって言えない。なるほど混ぜ混ぜする木のさじもついている。ほかにワサビもついてるので、これをまぐろに乗っけて食べる。うまい。そんじょそこらのまぐろ丼とはあきらかにちがった。タレと塩麹と黄身のトロトロが一体になって複雑微妙なおいしさでした。たまねぎや青菜もきいている。長嶋さん流にいえば、いわゆるひとつの塩麹ビビンパ風漬け丼なのであった。新境地を開拓した漬け丼といってもよい。まぐろの漬け(づけ)はいわゆる江戸前の仕事です。生身のままでなく、酢じめや醤油漬けなど、魚になんらかの仕事をほどこすのが江戸前寿司です。となると「塩麹ビビンパ風江戸前漬け丼」を中国ねえさんの給仕で食ったという、なんだかわけわかんないことになる。



9月20日(金)
 ゆうべ中秋の名月をみた。澄んだ中天にかかる満月がみごとだった。黄金色に輝く月をみたのはじつにひさしぶりです。秋涼の季節になって旅行者がとみにふえてきた。先日の台風で嵐山方面が被害を受けたが、すぐに立ち直って影響は軽微のようだ。うちの近くにはビジネス系のお手頃なホテルがいくつかあるので、始末(節約)のいい外国人旅行者が目立つ。東洋系は言葉を聞かないとわからないが、西洋系は見ればすぐわかる。その西洋系がここにきてずいぶん増えている。彼等はほんとお洒落しないね。薄着のシャツに半パンという普段着のまんま。小さいのや大きいのやザックを背負っている。旅慣れた若者たちはおおむねチャリンコですいすい走りまわっている。西洋系のお客さんも子供から老人まで幅が広くなったね。日本人とおなじようにガイドの後を金魚のフンみたいにつながって歩く団体さんも見かけます。しかし太っちょが多いね。とくに女性に多い。うしろから見ると洋梨に手足という感じ。巨大なお尻がゆっさゆっさ揺れている。きみたちハンバーガーの食べ過ぎじゃないの。身体によい京都料理をぜひ食べていらっしゃい。ところで外国人にたいする京都案内は、どのようにとり行われているのだろうか。地元民としてはちょっと心配になります。それは京都という町が一筋縄ではいかないとこだからです。おもてからさらっと見ただけではなんにもわかりません。日本のほかの都市とたいして違わないように見えます。京都は物理的にも心理的にもとにかく奥が深いのです。町家だったら遠慮なくずいーっと奥まで通り抜けてください。世界遺産の神社仏閣も奥の奥まで見てほしい。庭園を歩きまわってほしい。料亭や居酒屋も裏の裏まで味わってもらいたい。西陣の織家では機織りの現場に入って職人の技も見学できるのです。京都はびっくり箱みたいな都市です。美しいもの、おもしろいもの、美味しいものを探しあるいていただきたい。



9月19日(木)
 東海林さだおさんのエッセイを愛読しています。これはニッポンの大傑作です。東海林さんを好きなひとに悪い人はいない。その傑作のひとつに「ドーダの人々」がある。ドーダは自慢話です。財力ドーダ、地位ドーダ、教養ドーダと、ひとはなんでもかんでもドーダする。ぼくもさっそくドーダを一発かましてみよう。むかし都心の港区白金台というところに住んでいた。ドーダ、すごいだろ。一般にはシロガネダイと言うが、ほんとはシロカネダイです。年賀葉書に港区白金台と印刷したときがドーダの絶頂だった。しかし通勤は便利だったが、都心生活は意外とマイナスもある。ふだんの買物が案外不便なのだ。近所のジジババ商店はほとんどつぶれる寸前で、ろくな物がなかった。近くにあったスーパーは並のスーパーじゃなかった。輸入高級食品ばかりでお値段もどえりゃー高級だった。ここに住んだ最大のメリットは野球観戦だった。神宮球場のヤクルト・広島戦をかみさんと二人でよく見に行った。帰りはいつもタクシーだもんね。地下鉄へ殺到する帰り客をしり目にさっさと車に乗る。こっちはタクシーだかんな。家まで乗り付けだかんな。ドーダドーダ! みんなが満員電車に揺られてるころ、こっちはビールで乾杯なんかしていた。ところがある日突然ドーダ生活は終幕をむかえる。泥棒にやられたのだ。バルコニー側の窓を三角に破られていた。捜査にきた刑事が「ああ、これはあいつだ」と言った。わかってるならすぐ捕まえろ、と思ったが「プロだから捕まらん」という意味だった。女房が怖がってすぐにも引っ越したいと言うので、あわただしく府中市へ転居した。都心からいきなり郊外へ移るはめになった。つかの間の都心暮らしであった。のちにバブルがやってきた。金満マダムはシロガネーゼと呼ばれた。こっちは泥棒騒ぎに引っ越し騒ぎで、カネガネーゼのほうだった。



9月18日(水)
 テレビに「豚バラと白菜の重ね煮」がでてきた。なつかしい。自炊してた時分によくやったもんだ。テレビでは土鍋に同心円状に重ねていたが、ぼくは鍋の底から上へと重ねていった。厚めで深めの鍋を用意する。白菜も豚も大きめにぶつ切りする。鍋肌を水でしめらせる。鍋の底にまず白菜をバッサリ敷く。少し塩を振る。つぎに豚バラを白菜がかくれる程度に敷く。さらに白菜、塩、豚バラ、白菜と順番に重ねる。最後は白菜でフタをする。白菜から水気がタップリ出るので、水はいれない。酒をパラパラ振る程度ならよい。鍋を火にかけ、弱火でゆっくり蒸し煮にする。強火だと白菜が焦げてしまう。白菜がシンナリすれば出来上がり。大きめのつけ皿に醤油を注ぎ、カラシをたっぷり溶かす。しんなりした白菜と豚バラにカラシ醤油が絶妙に合う。旬の白菜は甘くてうまい。じつに簡単な料理だけどじつにおいしい。大きな鍋にどっさり作っても何度でも食べられる。二度三度でも十分おいしい。豚バラと白菜という組み合わせがいいんですね。池波正太郎氏の「仕掛人・藤枝梅安」のなかに「小鍋立て」がでてくる。試してみた。これなら一人で食っても乙なもんだ。絶妙の取り合わせというのがある。ぶりと水菜、あさりと大根千六本。こういう鍋物にはよくポン酢をつかうが、ぼくは好まない。なにより醤油がいい。醤油にちょいと薬味をそえるのが好きだ。目玉焼きでも豚カツでもキャベツでも何でも醤油がいい。そのかわり醤油にはうるさい。透明な琥珀色のやつが好きだ。明かりにかざして見ると透き通って赤みを帯びているやつ。黒くて濃い醤油は好まない。ふだん使うのも圧倒的シェアを誇るKマン醤油ではない。ややマイナーなYサ醤油の「有機丸大豆の吟選しょうゆ」を愛好している。劣勢ながらよう頑張っとる、という弱者びいきもある。



9月17日(火)
 オバマが面目をさげたね。シリアに軍事介入すると騒いでみたけど国民はついてこなかった。戦争反対デモが起きた。議会の支援も得られなかった。国連も消極的だった。迷走してるうちにロシアのプーチンがしゃしゃり出てきた。シリアの化学兵器を国際管理しようと提案してシリアが賛同した。プーチンに主導権を奪われ、オバマは蚊帳の外におきざりにされた。あわてて化学兵器を廃棄させる枠組みに加わった。やむをえず涙をのんだかたちです。シリア閣僚が「今回の米ロの合意を歓迎している」として「ロシアの友人のおかげで達成されたシリアの勝利だ」と語ったという。いいとこはみんなロシアに持っていかれちゃった。これじゃアメリカのマスコミや議会が黙っていない。米テレビ局の討論番組ではオバマへの批判が相次いだ。共和党マケイン上院議員が「米国にとっての敗北だ」と言い、下院情報特別委員会のロジャース委員長は「プーチン大統領は望むものをすべて手に入れた」と語った。さらに失態がつづいた。連邦準備理事会(FRB)バーナンキ議長の後任問題です。世界経済にとってはこっちのほうが重大な懸案です。オバマが推したサマーズ氏が、とても議会の賛成が得られそうもないと候補を辞退したのです。だいたいサマーズ氏は傲慢できわめて敵の多い人物らしい。なぜあえてそんな人物を推薦したのだろうか。どうもよくわからない。世界中の脚光と歓声をあびて登場したころのオバマの輝きはない。米国大統領というのはご大層なわりに権力がないらしい。議会のほうが強い。そんなボスを選ぶのになんであれほど大騒ぎして、二年も三年もかけてややこしい選挙をやるのだろうか。日本人にはどうも解せないアメリカさんである。



9月16日(月)
 きのうきょうは空模様が猫の目のように変わった。ゆうべは姪夫妻と飲み会の約束があった。午後6時大丸前で落ち合った。昼間は晴れていたのに夕方雨になった。台風接近も伝えられていたので用心して、大きな傘をさして出かけた。雨がうるさいから近場で間に合わせようと、新町裏の飲み屋横丁に行った。いきつけの太郎屋は祭日休みなので並びにある「ここら屋」に入った。ことし出来た新しい店で入るのははじめてだ。御幸町通で昼定食などをやってる店があらたに烏丸店を出した。こちらは夜専門の飲み屋である。中は意外と広い。掘り炬燵式のカウンターもあるが、三人なのでテーブル席にした。酒は高知の「美丈夫」を選んだ。うまい。魚系の料理が充実しているようだ。剣先イカ、もどり鰹がおいしい。落ち着いて飲むのはひさしぶり。アトピーがおさまって飲めるのがうれしい。帰るころはやや小降りになったが雨に濡れつつ家まで歩いた。酒のせいかぐっすり眠ったが、今朝暗いうちに眼が覚めた。ゴーゴーと外気がうなっているのが聴こえる。起きてみれば猛烈な風雨が吹き荒れている。台風が上陸したのかな。ネットで台風情報を見る。名古屋あたりに上陸するらしい。しかし風雨は意外とあっさりおさまってきた。すると東京の妹からメールがきた。テレビで渡月橋に打ち寄せる川水を見て心配になったらしい。もうおさまった、大丈夫と返信する。雨もやんだので昼飯を食いにでた。食後に本屋に寄ってから、屋外にでたら台風一過秋晴れの光が射している。ころころとようも変わるものだ。



9月13日(金)
 快い季節がかえってきたので嬉しくてたまらない。心地よい風を体に感じて歩いていると、これがあの猛暑の京都とおなじ京都かいなと、不思議に思うほどです。空の青もまるでちがいます。暑いうちはドトールの冷房にこもって読書三昧だったが、これからはスタバのオープンテラスがいい。珈琲をのみながら、新聞読みながら、街ゆく人々を眺めるのが楽しい。娘たちは早くも秋の装いをとりこんでいる。ベージュや紺系統が多いみたい。若い娘さんもあまり派手な色合いは着なくなったね。秋の訪れとともに、お茶会などでおばさまたちの着物姿がふえるのもうれしい。おじょうさまならもっといい。かろやかな単衣(ひとえ)からしっとりした袷(あわせ)にきりかわる時期ですね。やわらかな秋の日差しに粋な小紋が映えます。観察していると目をひく人がいます。きょうも気になるおじさん(おじいさん?)がいた。着古したジーンズをはき、ジーンズのハンチングをかぶった細身のおじさん。一見してジーンズ愛好家とわかる。これでさっそうと歩けば洒落たおじさんです。ところがひどく背中が曲がっているのです。前かがみで杖をついてトボトボ歩いてゆく。どうしてあんなに曲がってしまったんだろう。街中の人だから野良仕事でもあるまい。足弱(あしよわ)という言葉があります。子供・年寄など活発に歩けない人を言います。江戸時代の道中にはかならず出ることばです。ちかごろは杖をついてる方々が目につく。新京極には「つえ屋」という専門店がある。杖といえばむかしは木竹ときまっていたが、いまはそんなもんじゃない。アルミ、カーボンなどの新素材に飾りもカラフルです。「つえ屋」は市内に数店あり、さらに日本中のデパートに出ている京都の名店です。きょうびはゴルフクラブ作るより、杖のほうが成長産業といえるでしょう。



9月12日(木)
 中島みゆきの歌に「群衆」というのがあります。「流され 流され 織りなすモザイク。はかない時代だね せめて君だけは 私をみつけて」と歌います。群衆の典型は新宿にあります。年齢・性別・職業・人種の雑多な、ぼう大な人々の群れ。この群衆がどこから来てどこへ帰るのか想像もできません。働き盛りのうちは群衆が気にならない。そもそも見えていないのです。当面の関係者だけが問題で、ほかはどうでもいいのです。しかし若いときと、老いてからはちがいます。むかし老若は地元の仲間と暮らした。いまは都会の群衆の海をを泳ぐ。群衆のただなかにいると、自分のほかはみんな楽しく幸せに見えます。大都会の孤独、というのでしょうか。なかにはブツブツ独り言をいう人がいます。電車の中で突如叫び出す人もいます。地方から出てきて友達もいない、若い人はつらいでしょう。老いた人は孤独の飼いならし方も知っていますが、若い心はハゲシク揺れ動くものです。「せめて君だけは 私をみつけて」と叫びたくなるでしょう。「夜明け間際の吉野家」にたむろするあんちゃんは「狼になりたい 狼になりたい ただ一度」と叫びます。人が多すぎるということは、味方がほとんどいなくて、敵がかぎりなく多いことです。渋谷駅前の横断歩道を渡るとき、新宿の西口広場を横切るとき、群衆は自分の行く手をさえぎる邪魔者でしかありません。世の荒波をたくみに世渡りする人がいます。江戸のむかし「渡り中間(ちゅうげん)」は旗本屋敷を渡り歩いた。いまは「渡り旗本」(天下りともいう)を斡旋する口入屋(くちいれや)があるそうな。大海では自分のシマにしがみつく。芸能界とか学界とか野球界とかね。そこで暮らせばさびしくない。そう見るとサラリーマンはつらい。住んでた世界がある日突然なくなってしまう。あらかじめ後妻の口を探しておかなくちゃならないのです。



9月11日(水)
 2020年の東京オリンピックが決まったね。どうなるかと思ったが、なんか9回逆転勝ちみたいな結果だった。ロシアとブラジルという反面教師のおかげじゃないか。ソチとリオデジャネイロがええかげんでハラハラさせたので、IOC委員は懲りたようだ。今度こそちゃんとできる国にまかせたかったんだね。その点東京は間違いない。日本人ほどすべてをぬかりなく段取りできる民族はちょっとほかにない。1964年の東京オリンピックも立派にやりとげた。といってもじつはわたくし、当時は遊びまわるのに夢中でオリンピックなんかほとんど見てなかった。若いというのはしょうがないもんで、オリンピックがどえらいイベントだという認識がまるでなかった。印象に残ってるのは「東洋の魔女」女子バレーの金メダルくらいです。オリンピックそのものよりもむしろ、そこにいたるまでの準備のほうをよく憶えています。新幹線、高速道路、地下鉄、国立競技場、代々木体育館などなど、日々刻々とかわってゆく東京の風景は忘れません。とにかく東京じゅうが工事中だった。あらゆるとこをほじくりかえしていました。いま思えばまさに日本国は「普請中」の時代だったのですね。こっちも若かったし、渦中にいるとオリンピックもバブルも、その意味がわからんもんです。今朝の新聞に、前回と今回の日本国の対比が出ていました。1964年は、一人当たり国民所得30万円、経済成長率11.2%、乗用車普及率6%、為替1ドル360円だったのです。今昔の感に打たれます。年収30万円ですよ。でも成長率11.2%はすげえな。まさに日の出の勢いだったのです。ともあれ、生きてる間に二度もオリンピックを見られたら、どえりゃーラッキーなことでにゃーか。せいぜい長生きせにゃーいかんぞなもし。



9月10日(火)
 来月あたりになると早くも書店にカレンダーが出回ります。みなさんはどんなカレンダーをお使いですか。ぼくはこの十年おなじものを買っている。京都ではジュンク堂で買います。飾りもなにもなくて升目に数字が並んでるだけ。余白に予定を書くのに便利です。厚紙の上下二個所に留め具のグルグルリングがついていて、つねに当月と翌月が表示されるしかけが気に入ってます。むかしはどこかでもらったカレンダーばかり使っていた。マルマル株式会社、バツバツ商店なんてデカデカと印刷されていた。そこだけ切り取ったりした。取引先が持ち込んだカレンダーが会社のデスクに山と積まれた。それを社員がとりっこした。おおむね日本の四季みたいな風景写真が多かった。なかにヌードや女優ものがあると真っ先にかっさらうやつがいた。日めくりもあったね。老舗商店の帳場の柱にでっかい日めくりが掛かっていた。「きのえね」とか「三碧」などの記載があり、「乗りかけた船にはためらわず乗れ」なんて標語がおかしかった。祭日にはぶっちがいの日本国旗が赤く印刷されていた。日めくりをめくる人はどんな感慨をいだくのでしょう。若い人ならデートの日がまだかまだかと思うだろうし、老いた人なら月日のたつのが早いなと思うだろう。ところで、年の瀬にカレンダーを配る風習は世界でも日本だけだそうです。江戸時代に伊勢神宮が全国に配布した「伊勢暦」(いせごよみ)が発端です。木版刷りの暦を折り畳んで表紙を付けたコンパクトな折本形式の暦です。日ごとに節季や吉凶などが書かれている。なかでも農事の記述は農作業の時期を決めるために、農家にとって欠かせない情報源だった。伊勢神宮の御師(おんし)は毎年定期的に大名から農民までの各地各層の旦那廻りをした。寄進を集めるにはお土産がいる。御札に添える伊勢土産として、伊勢暦が全国に配付されたのです。御師はいわば神宮のセールスマンですね。「お伊勢さん」はたんなる神さんじゃなくて、占い師でもあり気象予報士でもあった。インターネットのない時代に足でかせいで情報発信したのはえらいもんや。



9月9日(月)
 スーパーに缶詰がならんでいたので近寄って見たら猫缶だった。「ダイエット肥満傾向の成猫用」「こだわりのまぐろしらす入りねこまんま」だって。まいったね。ちかごろ人間用の缶詰たちはどこへいったのでしょう。むかし食品店は缶詰屋といってもよかった。さけ缶、さば缶、いわし缶。ツナ缶、カニ缶、ホタテ缶。学生時代はさば缶のお世話になった。缶詰はお友達だった。親しくおつきあいしていた。おつきあいのしかたもよく知っていた。いかにして缶詰を開けるか。いろんな缶切りがあった。単純なのはテコ方式でキッコキッコと押して切る。ハンドルを回して蓋を切開していく回転式もあった。のちには電動式も出た。缶詰を開け中身をほじりだしてごはんに乗せる。それだけでおかずになった。さば、いわし、さんまは中流だったが、さけは上流だった。ひと味ちがった。まん中の太い骨がホロッとくずれてうまかった。缶の底にたまった汁もごはんにかけるとうみゃーていかん。そうそう、大和煮というのがあった。牛肉大和煮、くじら大和煮。醤油・砂糖と生姜などの香辛料で濃ーく味付けした缶詰だった。遠足・キャンプは大和煮の出番だった。牛肉大和煮はかつて帝国陸軍で牛缶と呼ばれ、携帯食糧として将兵らに人気があったという。その名もヤマトだからね。時代が豊かになると缶詰もかわった。横文字になった。コンビーフ、ソーセージ、オイルサーディンになった。缶も角型へかわった。ごはんの友からお酒の友になった。ちかごろ手にする唯一の缶詰は「スパム」です。沖縄人のお友達の豚肉ソーゼージ。米軍が世界にひろめたヒット商品です。缶詰はもともとほかに食い物がないときの食糧だ。うまいものがなんぼでもあるきょうび、お呼びがないのも当然か。いまでは地震・台風・津波にそなえる非常食になってしまった。



9月8日(日)
 2020年のオリンピックが東京にきまった。ロビー活動がへたな日本だが、こんどはうまくやったのかな。なにはともあれ日本が元気になるのは歓迎だ。それにしても安倍さんはついてるね。逆に「しまった」と歯ぎしりしてるのが前都知事。話はかわる。おしゃかにした家電って邪魔っけなもんですね。勝手に捨てるわけにもいかないし、引き取ってもらうには余計な金がかかる。だからたいていはテレビ、冷蔵庫、エアコンなどを買うときに、古いのを引き取ってもらう。しかしパソコンは簡単じゃない。たくさんのデータが残ってるからすぐには捨てられない。てなわけでふるーいiMacがわが家に残っておりました。記念すべき初代のiMacですよ。二十世紀の終わりころに登場したやつです。横から見ると三角形の奇抜なスタイルで派手なブルーの色です。家電無料引取のビラが入ってたので、これ幸いと捨てることにしました。持ってみるとこれが重い重い。エレベータに乗せて外に持ち出すのに往生した。いまのVAIOはノート型だから薄いし軽い。つくづく時代を感じました。しかし変わったのは重さだけじゃない。パソコンというものは衰退する運命らしい。iMacはいまもあるけれど、時代の流れとしてはiPadへ変身し、さらに進化してiPhoneになっちゃった。これだけ軽く小さくなって、機能はあの重いiMacをはるかに凌駕するのだから、みんなスマホ族になっちゃうわけだ。スマホの画期的な重要度はビジネスにあると思う。だから会社が全員に持たせるのだろう。でもスマホ族がはまってるのは仕事じゃない。家でなければ使えないパソコンは、そこに一定の歯止めがあった。スマホ族はいま何にのめりこんでいるのか。



9月7日(土)
 けさのテレビは大騒ぎである。NHKはじめ民放各局こぞって、オリンピック報道で大騒ぎしてる。2020年の開催地がどこになるか、あす早朝に決まるのでその話題でもちきりです。アルゼンチンのブノスアイレスで最終決定会議があるので、役員・選手・報道陣、都知事などが現地に乗り込んでいる。安倍首相も出席するそうな。なんでわざわざアルゼンチンくんだりまで行くの?これがそもそもわからん。米大統領選挙とオリンピック選挙は、世界の二大馬鹿騒ぎだと、つねづね思っていました。長期間にわたり世界中の関心をあつめるが、なんでそこまでやらなきゃならんの?オリンピック開催地を決定するIOC委員というやつがいる。これがなんか胡散臭いんだよね。王室関係だの貴族だの前代の遺物みたいなヨーロッパ勢が権力を握ってるらしい。こいつらをみんながよってたかってよいしょする。彼等はえらそうに世界中を旅してまわり、行く先々で大げさな接待を受ける。そんな騒ぎが数年におよぶのだ。そうしないとオリンピックを誘致できないらしい。莫大な袖の下をもらって問題になった委員さえあった。スポーツの祭典にこれほど大仕掛けな儀式が必要なのか。くしくも同時期にロシアでG20首脳会議をやっている。米大統領オバマがシリア攻撃の必要性を訴えている。賛同票を集めようとやっきになっている。オリンピック誘致でいっとき優勢だったイスタンブールが、隣国がシリアなのでいまは落ち目になったという。皮肉な成行です。オリンピックと戦争。ふたつの大騒ぎ。なんか考えてしまいます。



9月6日(金)
 史上空前の猛暑もついに去ったか。秋になった。早朝に散歩するとじつに爽快だ。頬をなでる風が心地よい。昨日いつものドトールへ行くと店舗改装中だった。しょうがないので隣のスタバに寄った。店先のテラスでコーヒーを飲んだ。四条通を行きかう人々をゆったり眺めていた。ギャルの脚をながめるのは楽しいね。ちかごろはみなさん脚むきだしだから目の保養になる。ちょいと陳腐だがパリのシャンゼリゼ通りを思い出した。目の保養、やったんですよ、あそこのカフェで。えらい混雑でやっと空席を見つけた。ビールの小瓶とサンドイッチをたのんだ。このサンドイッチが予想外においしくて、さすがパリだと思った。シャンゼリゼですっかり「パリして」しまった。話は飛ぶが、「あがる」という精神状態がありますね。超ハイになってそわそわあたふたする気持。そこに立つとあがってしまう都市というものがある。見てるとアメリカ人もイギリス人もドイツ人も、みんな「パリしてる」。かっこつけてる。でもパリの表の顔はきれいだけどテーマパークみたいだ。じっさい、あれ、テーマパークなんですね。世界博覧会とか国際会議とかに際して、意図的に造りあげたものです。建物をぶっ壊し道をひろげて都市改造した結果です。大通りの突当りにそびえる建物がみんなモニュメントじみているのもそのせいだ。民主主義以前の強権があったからこそできたものだ。いっぽうでモンマルトルの丘をさんざ歩き回った。これが飾らないパリでしょうか。坂道のあちこちで画家の卵がキャンバスをひろげ絵を売っている。絵葉書になる風景ですが、道路は犬のクソだらけです。踏まないためにピョンピョン飛んで歩くほどです。じいさんばあさんが犬を散歩させる姿をそこらじゅうに見かけます。清掃車が大量の水を放出して糞も下水に流し込むから、彼等は平気なんですね。パリの街自体が巨大な水洗便所なんでしょうか。



9月5日(木)
 こんなCMがあります。食卓をかこむお母さんと幼い女の子二人。仕事を持つお母さんは買物・炊事にてんてこ舞いして、いまやっとごはんができた。腹ペコの子供はごはんにかぶりつく。「おいしい?」とお母さんが訊く。「うん」と姉妹は満面の笑顔。お母さんは無言でニッコリうなづく。「よしっ」という感じ。食卓に母子の幸せがあふれる。こんなCMなら何度でも見たい。家族で囲んだ食卓は大きくなっても忘れない。ニッポンが貧しかったころは食材も貧しかった。お母さんは苦労して得意料理を編み出したものだ。なかには珍料理もあったようで、「えっ、これってウチだけ?」なんて笑い話もあった。ぼくの生家にも得意料理があった。餃子です。いまじゃ当たり前だが、家庭でしばしば作るのはめずらしかった。わが家は満州から引き揚げてきたので、餃子は家族みんなのお友達だった。肉はちょっぴりでも美味しい餃子ができた。餃子の日は一家総出でにぎわった。母が指揮をとり姉妹三人が餃子づくりにいそしんだ。慣れてるから子供でもうまいものだった。男兄弟はそばでチャチャを入れていた。七人家族だから作る量もはんぱじゃない。大きな木製のもち箱にぎっしり並んだ。食べる段になると大騒ぎ。母がフライパンでつぎからつぎに焼いても追っつかない。あっという間にペロリとなくなってしまう。のちに妹が言っていた。高校の家庭科で餃子をつくったとき、妹が教師より上手だったので臨時の先生にされたという。手早く餃子のヒダをよせる妹の手際に友達は感嘆したそうな。やっぱり女の子には、いや男の子にも、小さいうちから料理を手伝わせるべきですね。ちなみに、宇都宮市が餃子の町になったのも、満州からの引き揚げ者が多かったからだそうです。



9月4日(水)
 またブックオフで諸田玲子さん、宇江佐真理さんの時代小説をまとめ買いしてきた。なんと5冊で770円です。ありがたいことです。宮部みゆきさんは以前からファンです。いま女流作家が元気ですね。現代ミステリ、時代もののいかんを問わず書きまくっていらっしゃる。書店にあふれている。量だけではない。質も高い。思えば日本には「源氏物語」「枕草子」という女流の先覚者がいた。ひらがな、和文、女ことばの長い伝統がある。男性にはないことば感覚と想像力がある。中島みゆきのようなことば使いの魔術師もいる。宮部さん・諸田さん・宇江佐さんが好きなのは、明るさ、やわらかさ、ユーモアです。武家社会の栄枯盛衰を描くのは男の得意だろうが、庶民の暮らしや人情を語らせれば女の独壇場である。ともあれ世間は女性の時代です。町も田舎も、海も山も、そして世界のすみずみまで、ギャル&元ギャル(現おばさん)があふれている。吉野家、居酒屋、ラーメン屋。王将、焼き鳥、ホルモン屋。女のいかぬとこはない(ここは韻をふんでお読みください)。のこるは職場だけ。酒場・料理屋・喫茶の飲食界はむかしながらの女性の職場。かたいとこでは女先生の教育界。女優・モデル・歌手・女子アナの芸能界はあこがれの仕事。バス・タクシー・トラックの運ちゃんもただいま攻略中。政界のチルドレンはあだ花か。いちばん遅れているのがビジネス界だ。いまだ職場の花あつかいを脱皮していない。社長・役員の女性比率が世界でもっとも低いそうだ。能力があれば抜擢されるアメリカとちがい、日本の業界は根回しの社会です。ふるーい社会でござんす。まわりとうまくやらんと出世できない。なのに周囲は男だらけ。それに男の嫉妬がある。男って意外とケツの穴が小さい。「女のくせに」と足を引っ張る。女の時代に中島みゆきが吠える。「やまねこ」をどうぞ。これ大好きなんです。



9月3日(火)
 ラー油というものがありますね。わが家にもある。ハウス食品の「辣油」と京都の老舗山田屋さんの「ごまらあ油」の二本ある。たまに冷凍餃子を焼くときのためです。たぶんどこのご家庭にもあるでしょう。しょっちゅう使うもんじゃないのに必ず置いてある。だいたいラー油っていつごろから家庭に入ったのだろう。ぼくら子供のころはなかったな。やっぱりラーメン屋が日本中にひろまった時期、昭和三十年代だろうか。ラー油といえば餃子。餃子といえばラー油です。餃子の王将へ行くと大きな声で「餃子二人前よくやき!」と注文する。待ってるあいだにタレの準備をするのだが、すぐにはやらない。餃子の焼け具合を勘案しつつ、出てくる寸前にタレを作る。なんでだろう。早く作ると古くなるような気がするのかな。一般には小皿に醤油を入れ酢をたらし、そこへ好みの分量のラー油をぶちこむ。ぼくは酢が嫌いだから入れない。ほらもうすぐだ。パリパリに焦げ目のついた餃子が、目の前の鉄板からヘラですくわれ、左手の皿にヒラリとひっくり返して「ハイおまち」と出される。六個ずつくっついてるから皮に穴をあけないようひっぱがす。タレをつけて口にいれるともう、アツアツハフハフパリパリヒリヒリでなんともいえない。口中が火事になったみたい。餃子は上品に食べるもんじゃない。下品に食うもんだ。蕎麦は清涼の気をすするが、餃子は熱狂の火をほうりこむ。口も舌も歯も喉も大騒ぎじゃけん。ラー油は意外と麺にもいける。タン麺に合う。野菜たっぷり塩味スープのタン麺。まず上に乗った野菜をかじり、麺をすすり、スープを飲む。半分ほど進行したところでラー油を投下する。淡白塩味スープが豹変する。ピリ辛コク味スープになる。一度で二度おいしいタン麺が味わえる。京都にはなぜかタン麺がない。残念です。ところで、いつぞやのあの狂騒はどうなったの。「食べるラー油」はどこへ行ったのでしょう。「辛そうで辛くない少し辛いラー油」だの「ぶっかけおかずラー油チョイ辛」だのはまだ健在でしょうか。



9月2日(月)
 古川柳をたまに読みます。田辺聖子さんの「古川柳おちぼひろい」は格好の入門書です。「なきなきもよい方をとるかたみわけ」などは分かりやすくてよいが、一般に古川柳は難解です。江戸人の常識がわからない。おまけに芝居・浄瑠璃・都都逸などを「かけて」あるから、原典を知らんとさっぱりわからない。「あまつ子のようなにはまる浅黄裏」というやさしい川柳も、浅黄裏がわからないと意味不明。江戸へ勤番に出て来た田舎武士のことだ。田舎侍の衣服の裏が多く浅黄色だったので、遊廓で野暮の骨頂と嘲けられた。「軽井沢ぜににあかした櫛をさし」がわからなかった。ぜいたくな櫛は理解できるが「軽井沢」がわからん。軽井沢といえばあの日本一の別荘地でしょう。避暑地、白樺林、高級ホテル、ブルジョワ、文化人、西洋人というイメージがわく。ところが江戸時代はぜんぜん違った。軽井沢は中山道の宿場だった。古川柳で軽井沢といえば、軽井沢宿の飯盛女(めしもり)つまり遊女を指す。宿場の飯盛女がぜににあかした櫛でしゃれてる図なのだ。わかってみればなんだと思う。だがじつはもっと深い。「ゼニ」に含蓄があるのだ。「カネにあかした」でなく「ゼニにあかした」と言ってる。これがクセものだ。どうせ田舎の遊女だから、せいぜいゼニくらいだろうと、馬鹿にしているのだ。江戸時代は現代のわれわれよりも、カネとゼニをはっきり区別していた。庶民は一文銭、四文銭という「ゼニの世界」でつましく暮らしていた。大名・旗本・大商人は千両・万両の「カネの世界」で贅沢三昧やっていた。一両は十万円くらいだから長屋暮らしには無縁だった。戦前は2円50銭とかの銭貨があったけど、いまは1円以下の硬貨はない。銭の単位もない。金銭感覚がちがう。それでもカネとゼニを区別する感性は残っている。大きいほうは「大ガネ持ち」、小さいほうは「小ゼニ入れ」「日ゼニを稼ぐ」というふうに使い分けている。するってーと「小ガネができたらね」というのは、じつにビミョーな表現ですね。



9月1日(日)
 大勢でワイワイ騒ぐということがなくなりましたね。自分がそうなったのは年のせいであたりまえだが、世の中全般に騒がなくなった。昭和は騒擾だった。平成は平静である。静かになったが元気もなくなった。これが社会が成熟するということでしょうか。むかしは子供から大人まで群れて騒いでいた。近所じゅうのガキが集まってキャアキャア遊んでいた。小中学生も校庭でおそくまで遊んでいた。学校の行帰りにじゃれて騒いでいた。公園で野球をやっていた。おやじは会社の部下を家に呼んで宴会やっていた。子供心によく憶えている。やがて赤ちょうちんで騒ぐ時代になった。四季おりおりに騒いだ。花見といえば花見酒、会社ぐるみで海水浴、秋には社内温泉旅行、クリスマスは銀座でドンチャン騒ぎ。三角帽を乗せてケーキをぶらさげたおとうさんが街にあふれていた。なにかといえば大勢集まってワイワイさわいだものだ。その最後がバブルの大盤振る舞いだったのか。ディスコのイケイケねえちゃんだったのか。いまの子供は集まって遊ばない。集まるほどいないのかも。小中学生も学校の統廃合で景気がわるい。塾通いで青い顔してる。若者も集まって酒を飲まない。せいぜい二三人でちんまりしてる。酒を飲まない若い衆もふえた。喫茶店でも話をしないでスマホとにらめっこ。カップルでさえそれだ。たまに女子会を見かけると、こっちのほうがなんぼか威勢がええ。人間なにが楽しいか。原始人は焚き火をかこんで酒を飲み、歌い踊った。それが人類の原点ではないか。生きてる楽しみはそこに尽きるんでないかい。こんな時代だからこそ同窓会が盛んになる。ワイワイ騒ぐ楽しさを知ったもの同士が集まる。ふたたびの人生を謳歌する。同窓会川柳という独自の分野ができるほど盛んである。「同窓会 君はいくつと 聞くお人」



8月30日(金)
 酸っぱいものを食べると酸っぱい顔になってしまう。苦手なんです。「鱧落とし」を食わなきゃ京都の夏は来ないと言われる。ハモはいいけどあの梅肉だれがあきまへん。真っ白なハモにポッチリ赤い梅肉、色どりはとても素敵だけどね。子供のころ梅肉エキスなるものをなめさせられて、口がひんまがった思い出がある。ケチャップは嫌いだし、マヨネーズは酸っぱくないのを選ぶ。白菜の浅漬けもシャキシャキの浅いやつは好きだけど、漬かりすぎたら箸をつけない。京都名産のすぐきも遠慮いたします。らっきょうは塩漬けがいい。大ぶりのパリパリ塩漬けはほんとにうまい。でも牛丼屋、カレー屋の酸っぱいらっきょうは敬遠する。ピクルスなんか、ようこんなもん食うなと思ってしまう。しかしすべて嫌いかというとそうでもない。ツンとくる激しさが嫌なのだ。やわらかーい酢の物くらいはいける。それも胡瓜や若芽が好きだから食べられる。ねぎとワカメのぬた(酢味噌和え)もわるくない。ねぎも大好きだから。そうだ、南蛮漬けがあった。母親が作ってくれるワチの南蛮漬けが大好物だった。ワチは岡山ではママカリと呼ぶ瀬戸内の小魚です。出来立ても翌朝もおいしかった。いまはなじみの「太郎屋」のアジ南蛮漬けが気に入っている。パリッと揚がったアジに酢が浸み込む寸前がうまい。酢は体にいいという。疲れを取るという。黒酢にんにくはしょっちゅうテレビに出ています。いきつけの大戸屋の「鶏と野菜の黒酢あん定食」は大人気メニューです。鶏の揚げたの、じゃがいも、人参、れんこん、ピーマンの乱切りに黒酢あんがかけてある。見てると、注文するのはほとんど女性です。女性はほんとに酸っぱいものが好きなのだろうか。ドラマの決め事がある。女性に酸っぱいものを食べさす。わかってるくせにわざと引っぱっておいて「あら、おめでた?」と言わせる。新妻がポッと頬を染める。そういう段取りになっている。



8月29日(木)
 「鬼平犯科帳」「必殺仕事人」などの時代劇が好きでよく見ます。見慣れていますがよくよく見直すと、「ちょんまげ」くらい奇妙奇天烈な髪型はありません。頭のてっぺんを剃り上げてしまうなんて実にヘンテコな風習です。世界にも例がないでしょう。女性の日本髪はこしらえすぎとは思うが、醜いとは思わない。男のツルツル月代(さかやき)はどうにもいただけない。せっかくのいい男が台なしじゃん。ちょんまげの起源・由来は判然としない。武士が兜をかぶるとき、蒸れないようにてっぺんを剃ったのが始まりらしい。でも戦国時代はちょんまげもあれば総髪もあり坊主もあった。好きに選んだようだ。ちょんまげが固定したのは江戸時代からです。戦場や兜が無縁になってから、猫も杓子もちょんまげになったのは皮肉な現象です。それが徳川幕府の統治政策だったからです。全国統一をなしとげた幕府の、最大の課題は社会の安定だった。それには士農工商の身分を固定することが眼目だった。そこで身分ごとに髪型、服装、履き物まで事細かく規定して、これを厳守させた。まげの位置、たぼ(後頭部のふくらみ)、びん(耳の横のふくらみ)の張り具合や形によって、士農工商その他が見分けられるようにした。権力を握る連中(その名も老中・若年寄だぜ)のオツムがさみしいので、ツルツルにこだわったんじゃないか。勘ぐりすぎかな。女性でも髪型で未婚既婚の区別、職業、身分を表わした。封建制度はこんな事までいちいち規制したのです。つまり必要性やお洒落で髪型ができたのではなく、規則でがんじがらめだったのです。おまけに鎖国で海外との交流がなかった。だからへんてこな形がそのまんま明治までまかり通ったのです。とはいってもひとびとの洒落心はおさえられません。時代が進むと規制もゆるんだのか、若衆髷とか本多髷など、伊達な髪型が流行します。八丁堀の同心たちまで小銀杏という洒落たまげを、毎朝結い上げたそうです。



8月28日(水)
 どうでもいいんだけど、何か気になることってありますね。焼き魚の頭は右に置くか左に置くか。皿にのせるとき皮を上にするか身を上にするか、なんてね。エスカレーターの「左に立つか右に立つか問題」もその一つです。ぼくは長く東京にいたので無意識に左に立ちます。知らず知らず左にある心臓を護ってるのではないかと思う。ところが大阪へ行ったらみんな右に立っているので驚きました。なんとなく居心地がわるかったです。京都はどうかな? 京都駅のエスカレーターを見ると左派もいれば右派もいます。観光客も多いし大阪人もいるので真相はよくわかりません。気になってました。そしたら世の中には物好きなひとがいるもんですね。徹底して実地調査を敢行したひとがいました。それも一人じゃない。何人もいてネットで発表しています。名古屋はあきらかに左派なので、名古屋と大阪の間に境界があると見て調べたそうです。まず京都市内のあちこちを調べたところ、京都は左と判明したそうです。京都は大阪に近いけれど、意外にも東京の流儀でした。京都の手前の大津や彦根もやはり左派です。そこで京都・大阪間を調べると、高槻は大阪と同じ右でした。つまり京都と高槻の間のどこかが境界らしいのですが、エスカレーターがあんまりないのでよくわからないそうです。ちなみに大阪を越して岡山まで行くと、これがまた東京と同じ左なのです。つまり大阪周辺だけが異質なんですね。1970年の大阪万博の時に、世界で主流だった右立ちを採用したとする説もあるがほんまかいな。東京の反対を行きたがるのが大阪です。アンチ巨人が旗印です。阪神タイガース応援歌「六甲おろし」に隠し歌があって、それを大阪のオカンが子供に教えるという。「負けたらあかん東京に」「お好み焼きはコテで食え」「エスカレータは右に立て」。



8月27日(火)
 中島みゆきの「あたいの夏休み」という歌を聴いて笑ってしまった。ちんぴらカップルが軽井沢あたりへくり出して、まわりのひんしゅくを買う情景を歌っている。ちんぴら感、みじめ感、こっけい感がおかしい。軽井沢がいちばんエラソウだったバブル期の歌なのです。働き盛りのど真ん中でバブルを経験したわれわれ世代は、おりにふれてバブル期を思い出します。ひとときの夢と知りつつ「また来ねえかな」なんてうそぶいたりします。しかし「あれはいったいなんだったのか?」という疑問はずっと残っています。渦中にいたぼくらは「なんかヘンだな」「どうもおかしい」と思ってるうちに、みるみる洪水に押し流されたのです。あれよあれよ、という感じでした。バブルの分析は経済学者(頼りにならんけど)にまかして、身近な事実を思い出してみよう。地価高騰、住宅バブルが一番強烈だった。東京都心のマンションは軒並みウン億円になった。別荘地や北海道の原野までめちゃくちゃな高値になった。株価は四万円ちかくまで暴騰した。いまは一万円台です。要は世の中にジャブジャブ出回ったカネが、いっせいに投機に向かったのだ。投機は古今東西めずらしくない。しかし戦後日本では初体験だった。みゆきの歌じゃないが「十把ひとからげ」に狂ってしまった。あふれてる金があたかも自分のものであるかのように思い込んだ。フェラーリを買った。ダイヤを買った。ゴッホ・ルノワールを買った。マンハッタンのビルも買った。若者は六本木のディスコで踊り狂い、おじさんは銀座の高級クラブでドンペリの栓をポンポン抜いた。1960年代、田舎から東京サ出た若者たちが、空前の高度成長をもたらした。ニッポンは世界第二の経済大国になった。田舎から東京へ、東京から世界へ。ニッポンおのぼり党の成り上がりの極致がバブルだった。だからフェラーリ、ゴッホ、マンハッタン、ドンペリだった。舶来・一流・高価・ゴージャスがすべて。世界の田舎もんの大行進だった。龍宮城の浦島太郎だった。やがて太郎は故郷へ帰ってまじめに暮らしましたとさ。



8月26日(月)
 こう暑いと家ではパンツ一丁でうろうろしてる。あまりカッコよくない。みなさんはどうしてるんだろう。むかしは真夏スタイルといえばきまっていた。おじさんはランニングとステテコ。子供はランニングに半パンだった。ひと夏すごすと肩ヒモの跡が肌にくっきりついたものだ。いまランニング・シャツはタンスの底に眠っている。若者のタンクトップは似て非なるものだ。あるときランニングは世の女性たちから総スカンをくったらしい。下着のシルエットが透けてみえるのはみっともない。「ダサい」ことになった。たしかにワイシャツの下から見えるんだよね。そこで襟ぐり(ネックライン)の小さい下着にかわった。いまもラン・ステで通すのはよほどの頑固おじさんか、寅さんか、バカボンのパパくらいだろう。パンツ一丁で外出はできない。去年買った夏パンをはく。ヒモを結んでボタンをかけてファスナーを上げる。これが面倒だ。家でも涼しくてそのまんまちょいとコンビニへも行けるパンツがないものか。と思っていたら、これがあるんですね。ユニクロのシルキードライSTETECOというものがあるらしい。STETECOですよ。考えたもんだ。「ステテコとは何か」を解説している。専門の「ステテコアドバイザー」を店に配置してるそうな。解説はいらん。わかっとる。ウェブサイトを見たら、なるほどカラフルなSTETECOがたくさん並んでいる。紺系が多いけどピンクもある。縞や格子や柄物。こいつは浴衣感覚だね。サッカーのラモス瑠偉をモデルにしてることからターゲットがわかる。はいてる感じがしないほど軽くさらっとした感触だという。これはええんでないかい。よし、さっそくゲットしにいこう。ちなみにワコールでは女性向けのステテコ「女子テコ」を売り出した。けっこう人気だという。ついでにのぞいてみた。こっちは上下のコンビになっている。こまかい花柄や小紋がいけてます。女子テコで女子会かい?そんな時代かも。



8月25日(日)
 高橋真梨子さんの「はがゆい唇」をYouTubeで見つけて、お気に入りに登録しました。これ大好きなんです。ついでに「桃色吐息」と「五番街のマリーへ」もいっしょに。高橋真梨子はいい。目をつけたのはペドロ&カプリシャスから独立して一人になったあとだった。あの声が魅力です。けっして澄んだ声ではなく、ややかすれたような、ときにはドスのきいたような不思議な声です。もう何十年も歌いつづけていますが、見事に幸せな成長をとげてきたようです。グループ時代はぷっくり下ぶくれの可愛いタイプだった。「マリーという娘と 遠い昔にくらし 悲しい思いをさせた それだけが気がかり」と歌ったのがペドロ&カプリシャス時代だった。そのころはあまり記憶にない。独立してから十年、二十年。あるときから姉御ふうになった。年増の深川芸者みたいな風情がただよってきた。ふっきれた感じ、気風(きっぷ)のよさみたいなものが感じられるようになった。大人の女になったみたい。「歯がゆいのよ その口づけ 私の中の落とし穴 ぽっかり開いてる 孤独を塞いで」と歌うのがぴったりくる歌手になった。二十年ほどむかしだったか、はじめて高橋真梨子のリサイタルに行った。そのころ住んでいた東京郊外の府中市だった。彼女が開口一番こう言ったのをよく憶えている。「ようこそおいでくださいました。みなさんご近所から下駄ばきで来て下さったんですね」。都心でなくて郊外の町のホールだから、気楽にさせるつもりのジョークだったのでしょう。どっと笑いが起きてなごやかになった。女性歌手はたくさんいるけれど、しあわせに歌いつづけるひとは多くない。ヒット曲一本にすがる歌手人生はかなしい。私生活でも順調なひとは多くないようだ。きのう藤圭子が飛び下り自殺した。なにがあったのだろうか。「十五、十六、十七と 私の人生暗かった」とすれっからしのような声でつぶやいた少女の面影が忘れられない。



8月23日(金)
 ホッケというものがいますね。「そりゃいるよ、あたりまえじゃん」と若者なら言うでしょう。でもね、おじさんはね、ホッケさんと親しくおつきあいしていないんです。いまでもホッケさんに対面すると、まだ紹介されてないお客さんという感じがする。ホッケはいつの間にかメジャーになった。油断ならないやつだ。知らない間にするすると居酒屋に喰い込んだ。はじめは若者に媚びていたが、いつしかおじさんにも言い寄ってきた。いまホッケ焼きは定食屋の定番です。大戸屋でもやよい軒でも、堂々レギュラーを張っています。大戸屋で見かけます。でっかいホッケ焼きをほじってる若い娘さん。「ホッケだーいすき」みたいにニコニコしてる。なんとなく違和感があります。娘さんがホッケなんかと親しくおつきあいしていいんだろうか。なーんて思ってしまう。秋刀魚や鯖は身内だからいいけど、ホッケはよそ者という感じ。どっかから流れてきたちょっとアブナイ渡世人みたい。ぼくらが子供のころ、ホッケはいなかった。魚屋にもいなかった。晩のおかずにも出なかった。給食にも出なかった。ホッケは新参者である。その生い立ちも気心もよく知らないから、なんとなく不安なんですね。魚食いのプロである私も、食い方がようわからん。でかいツラだね。ヤワなくせに脂っこいね。分厚い皮は食べていいのか、残すのか。「皮硬いんでないかい」「身がやわすぎない」「小骨なんとかならない」と文句をつけたくなる。ホッケがでかい図体を人目にさらすようになったのは、そもいつごろからだろうか。調べてみました。知らなかったわけだ。80年代からだって。傷みやすい魚なので冷凍技術や物流が進んでやっと、北海道から関東方面へ流れてきたのだ。やっぱり北の流れ者なんだ。えらい出世したもんだ。



8月22日(木)
 趣味でときどき株をやっています。退屈しないしボケ予防にもいい。近年つくづく感じるのは、なんとカタカナ社名の多いことか。東証一部でも半分ちかくがカタカナ社名です。インフォテリア、アクロディア、プリンシバル、ソースネクスト。いやになります。ひと目でわからない。読みにくい。なにやってる会社かわからない。なにか胡散臭い感じさえします。いいことはなにもない。れっきとした漢字社名があったのに、わざわざカタカナ社名に変えた社長は、見識がないと思う。漢字は表意文字だからひと目でわかる。印象が強い。好感さえいだくことがある。たとえば楽天。いい名前じゃないですか。短くてわかりやすく明るくていい。これがもしラクテンだったら、ひと目でわかりますか。信用しますか。親しみを感じますか。三井物産、三菱地所、日本郵船、野村證券。いいじゃないですか。端正で品格がある。業種もわかる。社風まで想像できるようだ。合併して三井住友、新日鉄住金なんてのはいまいちかな。三菱USJは、もうすこしどうにかならなかったの、と思ってしまう。東証一部、二部のほかに、新興市場というのがあります。ジャスダック、マザース(市場名までカタカナ)という新しくつくられた市場です。インターネット、ゲーム、スマホ、バイオ関連(これまたカタカナばっかし)の会社が多い。所属する会社はほとんどカタカナ社名ばかり。このんで新興市場の株を売買する個人投資家も多いそうです。値動きがめちゃ荒いからです。儲けるときはガッポリ、損するときもドッサリ。あぶなくてぼくは手を出さないようにしています。ぼくが対象にするカタカナ会社は、オリックス、ソフトバンク、ヤフーくらいです。身近でよくよく知っている会社だからです。社名を漢字にもどそう、という転機がくるのではないか。



8月21日(水)
 猛暑で頭がモーローとしている。なんにもする気にならん。冷房をつけて小豆入りアイスキャンデーをかじりつつボーッとしていると、あやしうこそ物狂ほしけれ。呆けたドタマにとりとめのない妄想がわいてくる。年年歳歳、猛暑がひどくなる。むかしはこんなことなかった。熱中症でバタバタやられちゃかなわん。それに適応するため人類も進化するんじゃないか。自衛策を体内にとりこむのではないか。身体にたまる熱を効率よく逃がすしかけが必要だ。学ぶのはウサギです。ウサギちゃんの耳が長いのは、あれ、一種のエアコンなんですね。でっかい耳の表面から熱を逃がしてる。耳の表面にこまかい毛細血管が網のようにはりめぐらされている。血管に風をあてて中の血液を冷やすしかけだ。ほら、自動車のエンジンを冷やすためのラジエーターってあるでしょ。あれとおなじです。耳を立てて走ればれば風が流れてさらに効率がよい。人間の耳がだんだん伸びる、伸びる。SF映画に出てくる宇宙人の中に、耳のでっかいやつがいる。あれは地球人の末裔かもしれない。人類はさらに進化する。10本の耳を風車のようにまわしたらいい。耳も冷えるし扇風機のかわりにもなる。それから皮膚もスベスベじゃいけない。シワシワにする。体表面積が何倍にもふえて体熱を放出しやすくなる。シワはいやだって? いやなに、そうなれば美意識も変わってくる。「そのシワのよりかたがじつに美しい」なんてことになるかも。鮫肌がうけます。鮫小紋なんて呼ばれます。いっそ体内にエアコンを内蔵したらどうか。大動脈のそばに大冷脈をとおす。冷脈の中に冷媒を循環させる。むろんフロンはいけない。人体に無害で、オゾン層を破壊しないものとする。冷媒は消耗するから交換する。すると売込みがハゲシクなる。「冷却力抜群!その冷え味がなんともいえません。ほんのりバラの香りもつけました」なんてことになる。・・・妄想ははてしなくつづく。どうも狂ったみたいです。



8月20日(火)
 「宵越しの銭は持たねェ」。江戸っ子の得意なセリフです。その日に稼いだゼニはその日のうちに使ってしまう。あしたはあしたの風が吹く。金銭に執着しない江戸っ子の気風(きっぷ)を自慢する言葉です。江戸時代の江戸っ子とつきあいがないので、ほんとのところはわかりません。やせ我慢でカッコつける。こんな「江戸っ子」をどう見るか。ここがポイントです(試験にでます)。能天気な野郎メと嘲るか。無計画な浮かれ者とそしるか。当時の武家や商家の旦那などは、そのように江戸っ子を軽んじたでしょう。現代のおとうさんたちもおそらく生真面目に非難するでしょう。世の中にはマジメ派が多いのです。でも江戸っ子を「楽しそうだな」「幸せだな」と見るひともいるはずです。私などはその口です。江戸の洒落本・滑稽本、落語、時代小説に出てくる江戸庶民に感嘆します。驚嘆します。なんであんなに楽天的に暮らせたのか。それは職人・小商人(こあきんど)の世界が確立していたからでしょう。宵越しの銭を持たないのは、明日も仕事があるという確信があるからです。職人の腕をみがき、仕事をちゃんとこなせば、夕方には1 日分の手間賃が貰える仕組みがあったからです。しかも大工の手間賃などはけっこう高かった。これは幸せなことです。そしてもうひとつ、現代人が意外と気づかない理由があります。彼等はみんなすごく若かったということ。なにしろ平均寿命が30歳に満たない時代です。江戸は女性が少なくて、男性は圧倒的に若い独身者だった。小町娘はアイドルなみの人気だった。吉原や岡場所がはやったのもわかる。若い男は馬鹿である。無茶もやる。だから楽しい。ぼくらだって「馬鹿やって暮らせたらどんなに楽しいか」と思う。それができたのが江戸っ子だった。つまり若くて元気で馬鹿な独り者たちだったのです。うらやましい気がします。



8月19日(月)
 立秋はとっくに過ぎたけど、食欲はいまだ回復しない。馬はぐったりして走るどころじゃない。きょうは何を食うべえか、と毎日考えてしまう。おなじみの定食「大戸屋」で季節の新メニューが出ていた。大きな写真付きである。豚丼と稲庭うどんの組み合わせが気分に合ったので試してみた。当たりー!だった。うまかった。豚が薄切りだけどしっかり味がある。タレがさらりとかかっていてベチャベチャしてないのがいい。たっぷりの白髪ネギが乗っていて白胡麻がふりかけてある。この白髪ネギがうれしい。豚と相性がいい。和風豚丼という感じかな。稲庭うどんも好きだ。真っ白で細くてツルッツルの肌が舌にうれしい。生姜のツユにたっぷりひたしてすすりこむ。口ざわり、舌ざわり、歯ざわりがなんともいえない。猛暑のなかを歩いてきた体熱をひんやり冷ましてくれる。温かい豚丼を一口ほおばっては、冷たいうどんをひとすすり。かわりばんこがいい。あいまに漬物ポリポリ。そして小鉢はじゃこおろし。これも気が利いているじゃないか。大戸屋の醤油は透きとおった薄口系でぼくの好みだ。これをおろしにかけまわして食う。仕上げはもちろん甘いもの。きょうは抹茶ムースでまとめてみました。お豆腐型の抹茶ムース、アイスクリーム、白玉あずきの盛り合わせです。お値段が安い割にはしっかり抹茶の味がする。白玉あずきも合格です。帰りに店の女性を呼んではっきり伝えた。「豚丼と稲庭うどん、うまかった。ひさびさのヒット作である」と。美味しかったときははっきり言うことにしてる。むこうもうれしいだろうし、一段と気合が入るだろう。しかしまずいときはあえて言わない。二度と食わなければいいのだ。文句言うのも不愉快だし、言わずとも不評はすぐにわかるものだ。



8月18日(日)<きものがたり-4>
京都 大原 三千院
恋に疲れた女がひとり
結城(ゆうき)に塩瀬(しおぜ)の
素描(すがき)の帯が
池の水面(みなも)にゆれていた
京都 大原 三千院
恋に疲れた女がひとり

 ごぞんじですね。永六輔作詞、いずみたく作曲で大ヒットした名作「女ひとり」です。三番まである歌詞の要所に、着物と帯の名称が織り込まれています。「結城(ゆうき)に塩瀬(しおぜ)の素描(すがき)の帯が」池の水面(みなも)にゆれているのです。あの永六輔さんの風貌からは想像もつかない、みやびな歌詞ではありませんか。京都の地名とお寺と着物や帯の組み合わせが絶妙です。静かな情景のなかに、愁いを秘めた女人(にょにん)のたたずまいが浮かびます。恋に疲れた女がひとり、なのです。思わず抱きしめたくなりますね。そう思わせるのが歌詞のすごさです。着物を知っていなければこの歌詞は書けません。さっそく調べてみました。結城は結城紬ですね。紬(つむぎ)はものすごく手間のかかった高価な織物ですが、あくまでカジュアルなおしゃれ着だそうです。それに合わせて塩瀬もおしゃれ帯です。つまり、おしゃれで高価なふだんの装いです。にくいですね。そういう装いができるのは、センスもマネーも半端じゃありません。「おぬし、できるな」てなもんです。二番の歌詞には「大島つむぎにつづれの帯が」、三番には「塩沢がすりに名古屋帯」とつづきます。大島紬は結城紬と並び称されるつむぎの逸品です。つづれの帯の「つづれ」とは「綴れ織り」のこと。独特な技法でつくられる高価な織物です。塩沢がすりもやはり紬ですが、細かいかすり模様が特徴なので塩沢がすりとも呼ばれます。名古屋帯というのは、なんだかよくわかりませんが、要するに簡略式の帯のようです。いずれにしても、これだけの衣裳をとりそろえ、とっかえひっかえ着る女。ただものではありません。この歌がはやったころ、京都の古刹で和服の若い女がふえたそうです。



8月17日(土)
 ゆうべは大文字送り火を屋上から眺めた。そこそこ風もあって少しは秋の気配を感じました。けさ歩道にハトが群がっていた。三羽がせっせと餌をついばんでいる。見ればハトの朝食は、昨夜の酔客がのこした置き土産「五目おかゆ」であった。ハトさんには思いのほかのご馳走なのでしょう。こうしてハトたちは街を清掃してくれるのだ。先日見たテレビを思い出した。1000頭もの鹿が棲息している奈良公園です。国の天然記念物だから鹿さんは自由気ままに徘徊している。一日中草を食んでは糞を出す。その糞量は一年間に300トンだって。しかし公園当局は鹿の糞をいっさい清掃しないそうだ。はじめて知った。おどろいた。人間さまのかわりにちゃーんと掃除してくれる清掃ロボットがいるのだ。ルリセンチコガネという藍緑色に輝く美しいコガネムシの仲間だ。鹿の糞は黒豆みたいにコロコロしてる。ルリセンチコガネは黒豆を上手にころがして巣穴にひっぱりこむ。これを1日で分解してしまう。ハエが産み付けた卵も一緒に食べてしまい、ハエの発生も防ぐ。小さな虫が公園の美化を担っているのだ。分解されたフンは芝の肥料になるそうだ。「黄金虫は金持ちだ 金蔵建てた 蔵建てた」という童謡があります。えらいもんだなあ。奈良公園の「鹿と虫と芝」は独自の共生関係にあるという。地中の虫もえらいが、海中の魚や微生物もえらい。人類は糞尿をたれ流すだけでない。洗剤を流す。廃棄物を流す。放射能を流す。海に流れ込む汚濁・汚染はばく大な量だろう。それを魚が食べてくれ、微生物が分解してくれる。だから人間が生きていける。しかし人間は地表の収穫だけで満足しない。地中深くや深海底から資源をあさる。エネルギーを浪費する。地球をボコボコにしよる。年年歳歳、猛暑がハゲシクなる。集中豪雨・洪水がひどくなる。地球がハゲシク怒っている。泣いている。そんな気がする。



8月16日(金)
 高度成長期、地方から中央へ大量の労働力が移動した。民族大移動であった。なかでも東北各地から中学生・高校生が、集団就職列車で上京した。「うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川」から東京サ出ていった。彼等は「金の卵」と呼ばれた。「上野はおいらの心の駅」になった。くじけちゃならない人生が、あの日ここから始まったのだ。「東北型働く人間」の門出だった。ねばり強い東北人の働きがニッポンに驚異的な成長をもたらした。一方「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」とうそぶく連中もいた。やがて「働くだけが人生か」という疑問が生まれた。そこへ登場したのが「てなもんや三度笠」というお笑い劇場だった。藤田まことの長ーい顔が大阪から哄笑を投げた。「大阪型笑う人間」がしゃしゃり出た。吉本喜劇が生まれ、爆発的な漫才ブームにつながる。70年代になると「三畳一間の小さな下宿、窓の下には神田川」の感傷世代があらわれた。赤い手拭いマフラーにして、二人で横丁の風呂屋へ行ったのだ。フォーク全盛時代をリードしたのが「博多型歌う人間」たちだった。演歌もあった。「ああああー、長崎はああー、今日もおおおー雨えだあったわわわー」のだ。タモリという異才もきた。バブルがはじけた。はるか南国から躍動する人類があらわれた。SPEEDに代表される「沖縄型踊る人間」がハゲシク踊りながら登場した。いま沖縄はタレント生産地である。モデル、女優、歌手、ダンサーなどを矢継ぎ早に生み出すゆりかごだ。ふしぎに思う。東北・東京・大阪・博多・沖縄と、流れは西へ西へと向かっている。大阪型、博多型、沖縄型に共通するのは、ひたすら「目立つ」「名を上げる」「東京進出」という目的志向である。つぎはどこからどんな人種が出てくるのだろう。「全国区総選挙型少女隊」が出てきた。いまや玉石混交、弱肉強食、右往左往、魑魅魍魎、七転八倒、波瀾万丈、落花狼藉、狂瀾怒濤の乱世だから、何がでるかわからない。若いやつらは仮想空間に生きている。つぎは「スマホ型妖怪人間」か。なんかうすらキモイかーんじ。



8月15日(木)
 カンカンジリジリ油照り。気温は連日38度。これはたまらん。おそれ入谷の鬼子母神です。強烈な太陽をまともにあびたら死んでしまう。そこで自衛策を考えました。日陰ばかりを歩いて外出できないか。わが家の真ん前にバス停がある。道路を渡るときだけ陽をあびる。冷房完備のバスで四条烏丸まで行く。降りたらすぐ目の前の地下鉄入口に飛びこむ。阪急の地下道を歩いて蕎麦屋「そじ坊」にて昼食。ここは烏丸交差点の三菱銀行あたりの地下だろうか。きょうは野菜天ぷらのざる蕎麦を食った。こう暑いとざる蕎麦、ざるうどんがいい。ツユをつけてすすりこむと喉の通りがよい。昼食後はいつものように本屋をひやかす。蕎麦屋のそばに書店がある。ジュンク堂や大垣書店みたいな大どころではないが、新刊や雑誌なら用が足りる。ビジネス誌、サッカー誌、文庫と新書をひととおりチェックする。文庫はブックオフでまとめ買いしたから当分買わなくていい。雑誌は立ち読みでじゅうぶん。地下の売店で日経新聞を買って三井銀行地下の喫茶店で読む。帰りにラクエ烏丸ビル地下の進々堂でパンを買う。買い物があるときは地下道を東へ行って、そのまま大丸の地下へ入る。食品、寿司、弁当、和菓子など地下ですませる。大丸地下を錦小路側へ抜けると向かいに定食の「大戸屋」がある。ここならバラエティ豊かな定食が食える。この店のおまけの楽しみはデザートです。10種類くらいあってどれも300円台のリーズナブルなお値段。「宇治抹茶ムースとミルクアイス十勝あずき添え」「大戸屋謹製わらびもち」「黒糖生クリームとラズベリーのパフェ」などがある。ぼくは「宇治抹茶ムース」か「十勝あずきの白玉ぜんざい」を食べる。帰りは四条烏丸バス停から冷房バスで家まで直行。やれやれ。



8月14日(水)
 古いやつだとお思いでしょうが、愛だ恋だがまかり通る世の中でございます。いまの若い男は「愛してる」なんて言うのかな。言うんだろうね。ぼくらよう言わん。言わず語らずわかってくれよ、が本音だが、女はそれじゃ納得しない。しょうがなく「好きだ」とボソッとつぶやく高倉健。演歌は「好いた惚れた」と正直だが、新ミュージックは「愛だ恋だ」とかっこつけよる。「好いた惚れた」、いいじゃないですか。けっこう毛だらけネコ灰だらけです。惚れてくっつく。それが男女の正しいありかたでっせ。神さんはそのように人間を作らはった。年頃になれば、異性の身振り手振り、表情、しぐさ、笑顔、声、しゃべりなど、ほんのささいなことを好きになる。理屈もなんもあらへん。その好きな美点は自分だけのもので、他人はなんとも思ってない。あばたもえくぼです。江戸のむかしから「好いたらしい」ということばがあります。言い得て妙ですね。江戸の町娘はじつに自由闊達でおきゃんで惚れっぽかった。「色っぱやい」といことばがあるくらい。すぐに惚れてくっついた。だめなら別れてやりなおした。明治維新からこっち、人間が素直じゃなくなった。理屈をこねてくっつかなくなった。どこからか「愛」なんて言葉を輸入してきた。至上の愛みたいな、ご大層な物言いがくさい。「愛は勝つ」だの「世界の中心で愛をさけぶ」には鳥肌が立つ。あほか、おまえ。恥ずかしげもなく、ようそんなこと口にできるな。だいたい愛なんてキリストさんがでっちあげた妄想でしょうが。愛はいまだに日本語になっていない。神代の昔からニッポンにそんな観念はおまへん。田辺聖子さんは愛を語らない。ほんとの男女の機微をさりげなく描いていらっしゃる。聖子さんが言うてはる。「可愛げのあるのが一番や」。さすが人生の達人のおことばです。可愛げがあればいい。ほんまです。そうでなくちゃ美男美女しか幸せになれんやんか。



8月13日(火)
 大相撲がつまらないね。大画面で見る迫力はむかしと様変わりだけど、興味がいまいち盛り上がらない。想像力が刺激されない。だいいち日本人力士が少ないもんね。もう長いこと日本人が優勝していないだろ。いまさら国技なんて思っていない。サッカーみたいに国際感覚で見ればいい。とはいうもののジャパンがそこそこ強くないと面白くもなんともない。大相撲にいちばん熱中したのは小学生のころだった。もちろんテレビなんかありません。ラジオが唯一のメディアだった。音声だけというのはふしぎと想像力を刺激するものですね。栃錦、若乃花、吉葉山、鏡里の全盛時代だった。ぼくは見たこともない栃錦のファンだった。栃錦はまだ関脇だった。吉葉山、鏡里などの重量級横綱を、小兵の栃錦が荒業で投げとばすのが痛快だった。出し投げと二枚蹴りが得意技だった。吉葉山を「二枚蹴りでずっでんどうと倒しました」なんてアナウンスに狂喜した思い出がある。栃錦、若乃花が二枚看板になった栃若時代はもっと後のことだった。おなじころ熱中してかじりついたのが少年ラジオドラマだった。夕方のひとときは「白鳥の騎士」「笛吹童子」「紅孔雀」などに夢中だった。「ヒャラーリ ヒャラリコ ヒャリーコ ヒャラレロ 誰が吹くのか 不思議な笛だ」という主題歌。歌詞とメロディがいまでも耳に残っている。ラジオの効果音というのが実に効果的なんですね。波の音、風の音、小川のせせらぎ、疾駆する馬の蹄などが、あたかもそこにあるかのようだ。耳は不思議な力を持っている。あるとき街中で白昼夢を経験した。車のエンジンをふかす音を聴いたとたん、二十年前のある日ある場所の情景がまざまざと頭によみがえった。胸が切なくなる一瞬の走馬灯だった。目は口ほどにものを言う。耳は目ほどにものを見る。



8月12日(月)
 今季はじめて秋刀魚を食った。いいですねえ、焼き秋刀魚。すくすく育った長ーいのが皿からはみ出している。たっぷりの大根おろし。焼き具合が絶妙です。さすが熟練の板さんである。こんがり焼けた皮はパリパリ、身はシットリ、わたはニガトロ。それぞれがそれなりにうまい。猛暑がつづいているが、昔ならとっくにさわやかな秋風を感じるころ。秋刀魚の旬である。スーパーに行くとピチピチ秋刀魚が並んでいる。三匹セットもあれば一匹単体もある。一本どっこのやつは立派な姿かたちをしている。光り輝く魚体が美しい。つぶらな瞳が可愛い。見ると買いたくなる。一度買って帰ってみずから焼いたことがある。大失敗でした。網の上で焼いたのだが、外は真黒焦げ、中は生焼けだった。弱火でじっくり焼かないとだめなんだよね。子供のころは苦いワタが食えなかったけど、いつしかうまいと思うようになった。大根おろしをたっぷりまぶして食べるとおいしい。ちかごろは秋刀魚を刺身で食わせるけど、やっぱり焼いたほうが好きだ。むかしむかしお殿様が目黒不動参詣に出た。途上で秋刀魚を焼くいい匂いが漂ってきました。農家で秋刀魚を馳走になった殿様は、すっかり秋刀魚が気に入ってしまいます。後日殿様が秋刀魚を所望じゃと言うと、家来は日本橋魚河岸で極上の秋刀魚を買ってくる。脂ギトギトではまずいと、蒸しあげて脂を抜いて小骨も抜いて出す。殿様は「これは秋刀魚ではない。どこで買ったのじゃ」とたずねる。家来が「日本橋魚河岸にござります」と答える。殿様が「あっ、それはいかん。秋刀魚は目黒にかぎる」。ごぞんじ落語の「目黒の秋刀魚」です。おそまつ。



8月9日(金)
 京都という町は表から見ただけではわかりません。奥が深いのです。繁華街も表を見ればビルばかりで、よその町と変わりません。しかし一歩裏通りに踏みこめば、古い木造の京町家がそこかしこに残っています。そして町家もまた、紅殻格子(べんがらごうし)の間口を見ただけでは、奥に隠された驚くべき空間はまったくわかりません。その京町家が外国人に引っ張りだこのようです。近年は町家を改装して観光客むけの低廉な宿泊施設を開業する例が多い。ゲストハウスと呼んでいます。これが特に欧米からの来訪者に人気なのです。家族ぐるみで京都を訪れる外国人も「日本の伝統をじかに体験できておもしろい」とか「ホテルよりも広くて家族で使いやすい」と言います。町家である程度長く暮らす外国人もふえています。町家の賃貸を斡旋する業者によれば「10軒のうち7軒くらいは外国人が入居する」そうです。町家を買う欧米人もいます。京都でよく知られた顔の英国人ジェフさんは、立派な町家で英会話教室を開いています。木屋町御池上るところの露地のどんつき(つきあたり)にある素敵な町家です。二階の縁から鴨川を一望できる素晴らしい立地です。欧米人のほうが古い建物を大切にする。町家に対する理解も深い。ただし歴史や伝統の尊重だけでは、家を買う気にはならないだろう。彼等は「風が自然に通り抜けて心地よい」と言います。町家の構造と魅力をわかっているのです。京町家は、蒸し暑い京都の夏を乗り切るため、風通しをよくすることをひたすら追求した構造です。四季の変化を体で感じる住まいです。玄関から奥庭まで抜ける細長い通り庭は、高い吹き抜けと明り取りや風通しの窓があります。坪庭や裏庭など、風通しをよくする工夫が随所にあります。夏は襖をとりはらって内外を開放し、畳には網代(あじろ)を敷き、簾(すだれ)を下げて涼感を演出します。京町家は木造の都市住宅です。すき間なく連なる都市の家屋として独自の傑作といえるでしょう。



8月8日(木)
 スマホを持っていない。普及率が50%というから、いまはまだ少数派でない。そのうち変人・時代遅れと言われるだろう。パソコンもタブレットもすべて一緒くたにして小さくまとめたものだから、便利にはちがいなかろう。女子高生のスマホ利用率が昨年三倍になったそうだ。小学生まで持っている。スマホでズルをする受験生が問題になった。「スマホチルドレン」だの「スマホ難民」だの、やな言葉があふれている。歩きスマホ、自転車スマホ、運転スマホなど、夢遊病者のような連中がはびこっている。猫も杓子もうつむいてスマホに見入ってる図は一種不気味でさえある。スマホ中毒でたいへんだと騒いでいる。いまさら騒いでもおそいのじゃないか。一日8時間もスマホに夢中で、ないと不安症や不眠症などの禁断症状に陥るそうだ。わかっちゃいるけどやめられないそうだ。なにか探すとか自分の発想で使うぶんには中毒になるまい。ただなんとなく見てしまうのがこわい。中毒患者の大半はおそらくゲーム愛好者であろう。テレビのCMでもモバゲー、グリー、パズドラなどの用語が目立つ。これを聴くたびにゾッとする。なんときたない音感のことばだろう。ところがこんなゲームが日銭何億というゲーム代を稼いでいるのだ。パズドラを売り出したガンホーという会社の株価は、一年で30倍に跳ね上がった。なんかヘンだなと思う。ゲーム・バブルかもしれない。怖れていることがある。スマホは遠からず身に着ける形になる。眼鏡と耳栓の組み合わせになる。そうなるとまさしくスマホに取りつかれたスマホ人間になる。年がら年中離れられない。スマホは「背後霊」になる。そのうちスマホが命令しはじめる。人間は夢遊病者のごとく従うだけになる。なんと怖ろしいことではありませんか。



8月7日(水)
 時代小説を読んで思い出した。ぼくらがガキの時分、家庭の排泄物は立派な商品であった。近所のお百姓さんが定期的に汲み取りにきて、ありがたく礼を言って大切に持ち帰った。現金はくれなかったが、野菜を山のように置いていった。物々交換の典型で、江戸時代そのままだった。江戸は元禄期に人口100万を超える世界有数の大都市になった。近郊農村では米作よりも野菜づくりに力を入れた。江戸市民の糞尿は大切な肥料で、その確保が農民の死活問題だった。それが糞尿争奪戦に発展した。おかげで江戸は清潔に保たれた。町人の住む長屋の共同便所、大名屋敷・旗本屋敷の便所などが争奪戦の激戦地だった。農民や汲取り業者は、大家や役人と「糞尿汲取り契約」をかわした。下肥代金は長屋を管理する大家(おおや)の懐に入った。江戸市民の糞尿は食べ物にぜいたくだから上物で、一種のブランド品だった。その江戸ブランドにもランクがある。超高級は江戸城・大奥の糞尿、上級が大名・旗本屋敷、中級が町方の家・長屋で、のこりは下級品だった。地域でも選好があった。青山、赤坂、麹町あたりの下肥はよく効くので、値段が高かったという。江戸・川越間にも運搬船が往復した。江戸の糞尿を川越に運び、帰りに川越の物資を積んで江戸に戻った。川越の人々は「江戸のやつらは川越の恩を尻でかえす」と言ったそうな。もっとも高価な江戸城の産品。その権利を一手に握ったのが、どういうわけか「江戸城御用下掃除人」の葛西権四郎なる人物だった。江戸湾から日本橋川をさかのぼり、日本橋をくぐり内堀を経て、貴重な「大奥不浄物」を運んだという。権四郎はこれを葛西船(糞尿運搬船)で農村へ運んで莫大な財を成したという。うんがついていた。そういえば昭和三十年代にも神田川を「おわい船」が走っていた。御茶ノ水の橋の上から眺めたものだ。それは「神田川」に唄われていない。



8月6日(火)
 「お正月には凧あげて、独楽を回して遊びましょう、早く来い来いお正月」と歌ったのはいつのことか。いまの子供は凧もあげないし、独楽も回さない。知らないし、街中でそんなことすると怒られる。それでも京都ではかろうじて八月の「地蔵盆」の日だけ、路地で子供たちが独楽を回している。それも大人たちが独楽から紐からすべて準備して、紐の巻き方から投げ方まで教えてやって、やっとできる始末だ。独楽の歴史は古い。エジプトで紀元前1500年ごろの独楽が発見されているという。指でひねる「ひねりゴマ」、紐を巻く「糸巻きゴマ」、ムチで打つ「ぶちゴマ」などいろいろある。独楽ほど地方色ゆたかなものはない。形・模様・色彩も多様でうつくしい。回すと音の鳴るコマもある。遠心力で形が変わるコマもある。逆立ちするコマまである。地球ゴマというのもあったな。鉄のコマ本体が軸受の中で回るやつ。ジャイロスコープみたいなやつで、子供心に不思議だなあと思って見たものだ。子供のころしょっちゅう転校したので、いろんな地方のさまざまな独楽を見た。なかでも広島地方のコマが印象深い。木製のコマ本体の外側に鉄製の輪をはめた大型のコマだった。かなり重量がある。これに紐をかけて回すのだが、単純に地面でまわすばかりじゃない。むしろ軸を紐に引っかけて空中で回すのが得意技である。上手な子は紐を強く振ってコマを空中に投げ上げ、それをまた紐で受け止める。うまくいくとチビッ子たちが拍手したものだ。そんなあんばいで、コマひとつだって大勢の輪の中で遊んだものだった。こういう手足を使う遊びっていいね。大きい子も小さい子もいて教えたり教えられたり。お勉強が苦手な子もここでは花形になる。友達に教えてやって得意満面になれる。ひとりでスマホは感心しない。



8月4日(日)
 かあさんは夜なべをして手袋編んでくれた。うちの母も編み物が得意だった。小さいころに着たセーターはほとんど母の手作りだった。フワフワじゃなくてゴロゴロ毛糸だった。毛糸を処理する手伝いをやらされた。毛糸の束を両手で支える。母がそれを巻き取って球にする。これがしんどい。疲れて腕が下がってくると叱られた。そのころは色さまざまな毛糸球を家の中で見かけたものだ。いまも編み物をする男女(男もいる)はいるが、それは趣味になった。切実な要求ではない。切実といえば、つくろいものも切実だった。むかしのガキが着てるものに「つぎ」がないことはなかった。男の子のズボンのヒザはつぎがあるのが当たり前だった。上着のヒジにもつぎがあった。辞書をひいてみると、つぎは「衣服などのほころびにほかの布を当てて繕い縫うこと。また、それに用いる布。 」とある。「つぎを当てる」と表現する。いかにたくみにつぎを当てるかが、母親の甲斐性だった。つぎはもはや死語になった。思い出す母の姿といえば、正座して縫い物・編み物をするうつむいた背中であった。これは江戸時代から明治・大正・昭和とかわらなかった。いつごろだったか、ミシンというものが家にきた。いまやアンティークの代表みたいな、あのシンガーミシンである。鉄製の猫脚みたいな、唐草模様みたいな台に「SINGER」と麗々しく彫ってあった。もちろん足踏み手廻しミシンだった。だいたい縁側の片隅あたりに置いてあったものだ。母はずいぶん便利になったと思うのだが、ふしぎとミシンに向かう母の姿はあまり印象に残っていない。こっちが大きくなってあまり家にいなくなったからだろうか。ためしにミシンを踏んでみたことがある。手ではずみをつけてから足を踏むのだが、どうしても逆回転してしまう。東京の学生時代のこと。どうしてもつくろいものが必要になって、下宿のおばさんからミシンを借りた。さいわいなことに当時は電動ミシンの時代になっていた。これでズボンをつくろったり、かっこつけたりしたものだ。



8月2日(金)
 中島みゆきにはまっています。昔からひいきなんですが、ここにきて YouTube を集めまくって、50曲ほども貯まったでしょうか。パソコン画面を見るのに疲れたとき、気分にあわせてちょいとクリックして聴くのがいいんです。初期から最近までの曲を通して聴いてみると、中島の多彩な変貌ぶりがわかる。中島みゆきはおもしろい。さまざまな顔を見せてくれる。「しおらしい」女、「ぶりっこ」の少女、「泣き虫」の失恋女。かと思ったら「いなおった」台詞を「ふてくされた」声で「やぶれかぶれ」に吐き出す。七色の声をつかいわける。かわいい声でつぶやくかと思えば、ドスの利いた声を張り上げる。中島はみずから作詞作曲して歌う。70年代、80年代、90年以降と多様な展開を見せている。時代とともに変幻自在である。75年にデビューした当時は「泣き」の中島と言われた。「わかれうた」「ひとり上手」「化粧」など、失恋して泣く女のイメージが強かった。「みゆきを聴いて思いきり泣いてください」なんてコピーもあったくらいだ。80年代は本人に言わせれば「御乱心の時代」だった。模索の時代なんてかっこつけないとこが中島らしい。いわば、ひらきなおりの時代か。ロック調の激しい曲もあれば、牧歌的なやさしい歌もある。なかで「毒をんな」が大好きで繰り返し聴いている。「この人間たちの吹きだまりには、蓮の花も咲きはせぬ。この人間たちの吹きだまりには、毒のをんなが咲くばかり」というサビが利いている。作曲もすばらしいけれど、これは門外漢だから批評のしようがない。作詞のすごさは自分にもよくわかる。天才ですね。ことば使いの魔術師といってもよい。90年代からはテレビドラマの主題歌でも活躍している。NHKテレビの「プロジェクトX」の主題歌「地上の星」がヒットした。これでみゆきファンになった中高年おじさんも多いという。クリックして毒をんなをお楽しみください。



8月1日(木)
 わかい娘のおしゃれアイテムはきりがないようだ。がま口専門店が人気だそうです。だいぶ以前に寺町あたりで見かけて面白そうだとのぞいてみた。かわいい小銭入れを買った。おじさんのお洒落感覚もまんざら捨てたもんじゃない。いまがま口がブームだそうな。金具のぽっちをパチンと弾くと、大きな口をパックリあける。まさにガマの口みたいで、ちょっとユーモラスでもある。ぽっち方式はファスナーより簡便かつ小粋です。昔を知らない若い子にはとても新鮮でかわいく見えるらしい。昭和レトロがまたひとつ見直されるのはよろこばしい。がま口ブームの火付け役が京都勢というのがうれしい。美しい小間物はむかしから京都の得意技です。東京からきた旅行客やファッション感度の高い女性の間で評判になった。それがブームの発端です。「ぽっちり」「あやの小路」などの京都ブランドがぞくぞく東京へ進出しています。スカイツリーとか原宿に店を出しています。メイド・イン・ジャパンの品質が、外国人観光客にも大人気とか。「ぽっちり」はいかにも京都らしい語感です。その意味を知ってますか? 舞妓さんが身につける帯留めのことです。京都の花街だけで使われることばです。ぼくはたまたま知っていました。「膳處漢ぽっちり」(ぜぜかん)というお店で知ったのです。うちから近い錦小路にある中華料理の店です。ここの建物がすごい。一見の価値があります。表は昭和初期の堂々たる洋館、奥に入ると町家と中庭と蔵がある。蔵の中に隠れ家みたいな「バーぽっちり」があります。そこでぽっちりの由来を聞きました。そして「あやの小路」はわが家のすぐ裏の通り「綾小路」です。「ぽっちり」「あやの小路」が人気なのはなんとなくうれしい気がします。



7月30日(火)
 ちかごろはめったに停電しない。むかしはちょくちょく停電したもんだ。戦争までさかのぼらなくても、インフラが未熟なころは毎度おなじみだった。晩飯の最中にいきなり電気が消えた。慣れてたからあまり騒がなかった。「あ、またドジったな」なんて平気だった。電気会社のアホがミスしよったという意味だ。冷静に常備のロウソクを出してマッチをすった。いつもロウソク立てに立ててあった。よく使うので半分くらいになっていた。かつて台風には停電がつきものだった。台風が接近してきて雲行きが怪しくなり、不気味な風が吹きはじめる。「ほらロウソク、出しといて」なんて母親が叫んだものだ。台風には停電。停電にはロウソク、と相場が決まっていた。デカ箱マッチが健在だった。台風も停電もこわいくせに、なぜかわれわれ子供たちははしゃいだものだ。非日常に遭遇する興奮でドキドキした。ぼくらは電燈の明るさとろうそくの暗さを実地に比較体験した世代だった。いまじゃ、なに?ロウソク?そんなもんあったか?の時代になった。しかし近年異常気象で、集中豪雨・洪水が頻発する。地震・津波もこわい。そこで防災用品として、ロウソク、ラジオなどの「なつかしもの」が復活している。話は飛ぶ。江戸時代は「蝋燭」といえばどえりゃーぜいたく品だった。庶民が使えるものじゃなかった。蝋燭を明々と灯すのは大名屋敷、吉原遊郭、それに「八百善」「平清」などの高級料亭くらいだった。「蝋燭をもらったが何かわからん。かじってみたがうまくない。焼いたら溶けてしまった」という庶民の笑い話があるくらいだ。家庭の灯りはもっぱら行灯(あんどん)だった。火皿にいれた油を燃やすのだ。菜種油や綿実油などの植物油だ。それさえ貧乏人には高いので、鯨や鰯の魚油を燃やした。すごく臭かったらしいが、貧乏人の子沢山はぜいたく言えなかった。行灯の明るさは60ワット電球の百分の一。その灯りで勉強したり裁縫したりしたんだな。



7月29日(月)
 バスのなかで娘さんの美しいうなじを見て、しあわせを感じました。ぼくの右前方にいました。この角度がいいんですね。顔は見えません。あえて見ませんでした。それで充分なんです。ほっそりしたうなじから首筋、頬にいたるカーブがなんともうつくしい。なめらかな肌はいのちの輝きです。かすかなうぶ毛は若さのあかし。はやりことばで言うなら「今でしょ!」という感じ。今しかないという、あやうい美しさです。まったく知らないよその人ながら、はかない美をいとおしむ気持になりました。「あなた、自分の美しさをわかっていますか?」と言いたくなります。「今ですよ、今しかないんですよ」。江戸時代、嫁にやるなら十八までと言われました。ひとの命はいまよりはるかに短かったのです。短い命の「旬」を思いやったのでしょう。くだんの娘さんですが、若いときなら、是が非でも前に回って顔を見たでしょう。若いときってそんなもんです。関係ないのに美しいものはなんでもわがものにしたい。それが若さでしょうか。若いひとは贅沢ですから、勝手にいろんなことを言います。やれ細めがいいの太めがいいの、くびれがいいの、お尻がいいの。まず顔を見るか、脚を見るか。和顔がいいか、ハーフ顔がいいか、などなど、きりがありません。まあ理想ばっかり追ってる若い男は、かわいいもんです。この年になると、街でたまたま美しい女性を見かけたら、それでもう充分なんです。満足なんです。うつくしい陶器を鑑賞するようなもんですね。いや、陶器なら出自や由来を知りたくなりますが、女性にはそれもありません。純粋無垢です。なーんていささか自画自賛かな。



7月28日(日)
 SPAMって知ってる? ジャンクメールのことだろ、ってたぶん言うでしょうね。勝手にジャンジャン送ってくるあの迷惑メールですね。でもちがうんです。ここで言うのは食い物のスパムなんです。ランチョンミートという豚肉ソーセージ風の缶詰。いかにもアメリカものという感じの缶詰です。これが便利なんだ。ちょっと小腹が空いたときトーストを焼く。バターだけじゃさみしい。ジャムはお呼びじゃない。スパムを適度にスライスしてフライパンで焼き、トーストに乗っけてかじると割といけます。スパム先進地といえば、なんといっても沖縄です。米軍基地から大量に放出されて普及したのです。それにかの地では安いらしい。スパムは沖縄料理に欠かせない食材です。薄切りのスパムを両面こんがり焼いて玉子焼きにのせると「ポーク玉子」です。チャンプルーにも入れるし、チャーハンや焼きそばの具にも使う。ハワイ・グアムはスパムの消費が最も多い。これも米軍基地のせいだろう。日系アメリカ人が考案した「スパムむすび」はハワイでひろく愛好されている。薄切りにして焼いたスパムをおむすびにのせて海苔で巻く。寿司の玉子みたい。米軍基地が沖縄にあたえた影響ははかりしれない。本土復帰のすこし前にはじめて沖縄へ行ったときは、パスポートを持って入国(?)し、免税品店で土産物を買った。食文化にも多大な影響を与えた。スパムにかぎらず沖縄は肉食文化みたい。夜もにぎやかな国際通りにはステーキハウスがやたらに多い。彼等はたらふく酒を飲んだあとの「しめ」に、大きなステーキをペロリと平らげる。そんな食生活は副作用を生んだ。スリムだった島民が太くなった。日本一の肥満県になった。長寿王国だった沖縄のランクはどんどん下がっている。



7月27日(土)
 諸田玲子さんの「きりきり舞い」という時代小説を読んだ。かの「東海道中膝栗毛」の戯作者、十返舎一九の娘が主人公である。葛飾北斎とその娘とか奇人・変人ばかりがわんさと出てきて、きりきり舞いする話であった。その文庫本の表紙がいいのだ。踊る少女を描いた村上豊氏の挿絵が魅力的です。桜散らしの着物に扇をかかげ、テケテンテケテンと踊る姿がなんともかわいい。ヒョイヒョイとはずむ足取りを見事にとらえている。白足袋の片方はつま先立ち、片方は跳ね上げている。軽く反った背の下にぷっくり可愛いお尻がのぞく。左右に目のはなれたファニーフェイスは、村上氏ごのみの小町娘です。村上豊さんの絵はどれを見てもすばらしい。平安童女みたいなぷっくり美人あり、おちゃっぴいの江戸小町あり、エロかわいい少女あり。めちゃかわゆいお雛様、無心なお地蔵さまのお顔は、見ているだけでほのぼのとしてくる。村上先生に弟子入りしたくなります。 池波正太郎氏の「鬼平犯科帳」の表紙・挿絵でもおなじみです。江戸の闇に浮かびあがる屋並みの墨絵は、まさに盗賊たちの跳梁する修羅場をほうふつとさせます。犬、猫、狐、狸、蛙、フクロウなども村上ワールドの素敵な住人です。その風貌やしぐさを見るだけで、思わずクスリと笑ってしまいます。そして村上豊さんの面目躍如たるものが、鬼・妖怪のたぐいです。オドロおかしい鬼、ブサかわゆい妖怪、エロなやましい幽霊と、けったいな連中ばかりです。おまけにみんな踊っているのです。村上さんの生み出すものたちは、人間も動物も鬼も妖怪も、手振り足振り踊りながらこの世に出てくるのです。村上ワールドに親しむと、あるときふと気がつくでしょう。あ、わかった。これは「にっぽん昔ばなし」の世界だ、と。いまにも「じゃったげなー」という、市原悦子・常田富士男コンビの語りが聴こえてくるようです。



7月25日(木)
 喫茶店で女性同士の会話がきこえてきた。「カレがね・・・」。ほーらはじまった。こういうのをぼくは「カレばなし」と名づけています。話はつづく。「・・・距離をおいてみようと思ったの」「それで?」「そしたらね、うん」と自分であいづちを打つ。「・・・やっぱりわたしにはカレしかないと」。ほーらきた、そらきた。女同士のカレばなしは、女たちの想いだけで盛り上がってゆく。男がどう思っているか、がコロっと抜けている。こんな会話も、若い坊やなら「ひょっとしてボクの参考になるかも」と耳をすますかもしれないが、おじさんはあほらしくて聞いちゃおれん。女たちは1000年前からずーっと同じ会話をしてきたのだ。御殿の廊下のどんつきとか御簾の陰にかくれて、女官たちも「あたしの源氏はね・・・」とかやってたにちがいない。ひけらかし、思い込み、かんちがい、葛藤、破局、涙。1000年かわらない成行です。だったらせめて美しくきれいにやってもらいたい。花枝につけ文するとか、歌を詠んでおくるとか。毛筆で恋文をしたためたり、月を仰いで歌を詠むのはハンパじゃできない。書が上手になる。情感豊かに知性も磨かれる。失敗しても(どうせ失敗なのよ)「うつくしきもの」「すまじきもの」なんて反省文でも書いてもらいたい。女同士ってどうしてこんなに、カレばなし、元カレばなしが好きなんでしょう。男はひとのカノジョの話なんか興味ないけど。と、思っていたら、ちかごろは事情がかわったらしい。きょうびは男からの恋愛相談が多いそうだ。そんな一例を見ました。やたら長文の男性の嘆き節でありました。彼女の口から元カレとの深い関係を逐一聞かされてショックを受けました。「ボクはもう耐えられません。」「どうしたらいいでしょう?」というアホな相談。どうでもせい!女も女なら男も男だ。



7月24日(水)
 きょうも暑くなりそうだ。わが家のちかく、堀川通の角に大きく枝をひろげた樟(くす)の樹が二本ある。早朝、信号待ちをしていて蝉の声に気がついた。蝉の声って不思議だね。とっくに鳴いてたはずなのに、気づくまでは聴こえていない。枝を見上げても蝉の姿は見えない。かつては蝉取り名人だったオレには哀しいね。五官のうちで眼がまっさきに衰えてきた。耳はたしかなのでうるさいほど聴こえる。朝っぱらから盛大に合唱している。シャアシャアシャアと威嚇的に鳴くのがクマゼミ。ジイジイジイと聞くだに暑苦しいのがアブラゼミ。両者は見るからに脂ぎっててアク強く図々しい。こいつらは蝉の「タカ派」です。とにかくうるさいし態度がでかい。いっぽうホーシンツクツクピーヨピーと鳴くツクツクボウシ、カナカナカナと澄んだ声のヒグラシ、ミューンミュンミュンと鳴くミンミンゼミなどは、さしずめ蝉の「ハト派」ですね。タカ派のうるさがたがブイブイ言わせる陰で、ひかえめに鳴いている。鳴き声も爽やかで変化に富み、一服の清涼剤ともいえる。その存在もなんとなく影がうすい。小型で羽が透き通っていて、蒲柳の質というか、虚弱児童というか、そんな感じがする。いっぽうタカ派の頭目クマゼミは、羽こそ透明だが図体がでかい。真黒なウルシを塗ったダルマみたいだ。達磨みたいに眼光スルドク他者を威圧する。指で持つと噛みつきそうに暴れる。クマゼミは南方系らしい。ぼくらが子供のころは関西より西にしか生息していなかった。それがいまや東京周辺でもあたりまえに見るようになった。あきらかに気候温暖化のせいである。そのうち東北・北海道にまで出没するかもしれない。北海道のクマゼミじゃ里帰りみたい。クマゼミは樹の高みにしか止まらないので、ゲットするのが一番むずかしい。それだけに捕えたときのうれしさは格別だった。



7月23日(火)
 このあいだ、おけいはん(京阪電車)のことを書きました。認識不足で失礼しました。さて東京の電車もいろいろです。私鉄は都心から放射状に走っているので、沿線イメージがくっきりわかれる。一番人気は東急電車です。沿線に高級住宅地をつくるのがうまかった。イメージづくりが巧みだった。ところで、東京スカイツリーを立てたのが、東武電車だということ、ごぞんじですか? 東武電車はパッとしない電車だった。下町ゼロメートル地帯のごちゃごちゃしたとこを、ごちゃごちゃ走っている。東急・西武などにくらべるとイメージが落ちる。その東武電車が「社運を賭けて」「乾坤一擲」おっ立てたのがスカイツリーなんです。あそこは東武鉄道本社の敷地だもんね。スカイツリーは都心から北東の鬼門にあたる。首都鎮護のお役目をはたして繁栄をもたらすでしょうか。あのへんは私も一度しか行ってません。下町探訪もせいぜい浅草までで、隅田川を越えて向う岸まではなかなか行かないもんです。江戸時代は小梅村と言いました。広大な「水戸屋敷」に沿って源森川が東へ走り、南へ曲がって横川になっていた。川沿いは中ノ郷瓦町といって、瓦を焼く煙が終日立ち昇っていたそうです。田畑の合間に商家の寮(別荘)がちらほらという田園地帯だった。池波正太郎氏の時代小説でおなじみの世界なので、現代のスカイツリー詣でより、江戸の面影のほうが親しい感じがします。源森川はのこっていますが名前が変わっている。横川は地下に埋められてしまった。隅田川東岸の向島は江戸庶民の行楽地だった。能の「隅田川」で知られた木母寺や三囲稲荷をめぐる参詣客で賑わった。桜の名所でもあり、花見の季節は大変な人出だった。いまや見る影もない。江戸風景がもっとも無惨に変貌したのがこの川沿いです。かつての桜並木の頭上に、コンクリートの高速が二重三重に走る。そこへ巨大な鉄塔を立てた。江戸っ子が見たらなんと言うだろうか。



7月22日(月)
 夏は「ざるうどん」にかぎる。ざる蕎麦もわるくはないが、江戸っ子ではない。東の生まれでなく西の育ちなので、蕎麦には縁がうすかった。はじめてお江戸に出たとき、そこらじゅう蕎麦屋だらけでびっくりしたものだ。「生蕎麦」の暖簾を「なまそば」と読んだ西の人もいた。さて、うどんは河原町三条の丸亀製麺がひいきだ。ほかにも讃岐うどんはあるけれど、しこしこ麺ならここが一番だと思う。ここではざるうどんというより、トッピングつき冷たいうどん、という感じで食べる。いつも取るのは「冷たいとろ玉うどん」。とろろと生卵が入ってるのでかき混ぜてから食べる。つゆは入ってるが出汁醤油を加えてもよい。乗せるのは野菜かき揚げが定番。もひとつは宇和島名物「じゃこ天」なら申し分ないが、季節限定だからなかなかお目にかかれない。地魚を骨や皮ごとすりつぶして揚げた練りもので、じゃりじゃり食感がうまい。なければさつま揚げかちくわ天で代用する。さて、この夏の意外なめっけ物は、近所の「やよい軒」の「鉄火丼とざるうどんセット」であった。鉄火丼には醤油、うどんにはツユがついてくる。小皿に山葵と葱みじん切りがのってる。山葵は練りわさびだけどたっぷり添えてある。鉄火にもうどんにも使うからだ。マグロを山葵たっぷしの醤油に浸けてから海苔ごはんの上をなでる。ごはんにも山葵醤油がしみてくる。そこへマグロをのっけてごはんと一緒に頬張る。これがうまい。つんと鼻に抜ける辛み・清涼感がたまらない。つぎにこれまた山葵たっぷしのツユにうどんをひたしてすすりこむ。これを交互に繰り返す。ごはんはあたたかい。うどんはつめたい。どっちにも海苔がまぶしてある。口中に醤油と海苔と山葵の香りがひろがる。好きな薬味三種ミックス。ごはんとうどんは脇役みたいなもんだ。食欲減退でもどんどんいける。暑い間はこれできまりだな。



7月21日(日)
 いまから700年前の夏、鴨川の二条河原に長い文書が貼りだされた。京童(きょうわらべ)が群がって大騒ぎになった。これが世に言う「二条河原落書」です。できたばかりの建武政権の混乱ぶりや、不安定な世相を風刺たっぷりに詠んでいます。「此比(このころ)都ニハヤル物、夜討・強盗・謀綸旨(にせりんじ)、召人(めしうど)・早馬・虚騒動(そらさわぎ)、生頸(なまくび)・還俗(げんぞく)・自由出家、俄大名(にわかだいみょう)・迷者、安堵・恩賞・虚軍(そらいくさ)」。七五調の韻をふんで調子よい。しかるべき人士の傑作でしょう。当時の婆娑羅(ばさら)や下剋上の風潮を反映しています。婆娑羅とは、天皇や公家などの権威に反発して、過激なふるまいや華美な服装を好む美意識です。かぶき者の先駆でしょう。日本には風刺の伝統がない。二条河原落書は貴重な例外でしょう。あとは徒然草くらいか。近代にも夏目漱石の「吾輩は猫である」のほかに見られません。漱石は風刺の本場イギリスで学んだからでしょうか。社会の矛盾や人間の醜さなどを、あからさまでなくやんわりと批評するのが諷刺です。婉曲に言うことでユーモアやおかしみが生まれます。イギリスの政治家は「風刺という武器」を持たなければ一人前でないそうです。新聞人も同様です。わが国でも明治のころには宮武外骨(みやたけがいこつ)なんて反骨の新聞人がいました。「滑稽新聞」を発行して、時の政権やこれに媚びるマスコミを、痛烈・滑稽に風刺した。その系譜は残念ながら途絶えてしまった。このごろ都にはやるもの、いじめ、やっかみ、ストーカー。自民、公明、虚新聞(そらしんぶん)。反骨・風刺はどこへやら。自分はいつもいい子の新聞人。はやるのは「引かれ者の小唄」。引かれ者は江戸時代の罪人。馬に乗せられて刑場まで引かれるとき、死の恐怖におびえながらも強がって、辞世の句など詠んだそうです。マスコミもいまや風前の灯。瀕死のあがきかもしれない。



7月20日(土)
 むかしむかし猫を飼っていました。犬より猫が好きです。猫を見るとおもわず行動を観察してしまう。猫はおもしろい。小さいのも大きいのもおもしろい。生まれて間もない子猫はいたいけなくたよりなく可愛い。やがて気ままを発揮するようになる。寒いと炬燵で丸くなる。縁側で日向ぼっこする。飽きるとやおら起き上がって、あくびしたり、背伸びしたりする。あの猫背伸び、じつは真似してみました。床に四つ足をついて、背中をいったん丸めてから思いきり伸ばす。これが気持いいんですね。両手両足を思うさま伸ばしてドタッと床に腹這いになる。圧迫される腹が心地よい。猫がやるわけだと思った。猫は気持いいことしかやらない。いやならすぐやめる。忠犬ハチ公は、猫にはできない。猫は餌を食べていても、突然ふっとやめてどっかへ行ってしまう。小走りに出かけるのかと思ったら、急に立ち止まってなんか考えて、寝てしまう。寝るときも丸くなるばかりじゃない。ときどき、ドタリ仰向け半回転ひねり、みたいな妙な姿勢で寝てる。これも真似してみました。暑くなったのでベッドにゴザを敷いた。快適だ。すべりがよいので寝返りが楽だ。。仰向けに寝て両足を開いて、大の字になる。大文字送り火の「大」みたいにのびのびと手足を伸ばす。夏にはこれがいい。体表面積がふえて涼しく感じる。さて、上半身を90度ひねって耳を枕につける。腹にかなりの「ねじれ感」がある。これが気持ちいい。これは筋肉と内臓にいいのではないか。ねじれもいいもんだよ、安倍さん。右へ左へゴロゴロ転がるのは意外と気持ちいいもんだ。うつぶせ寝も快適。なんでもやってみる。いやならよす。猫に人生を学んだ。可愛く生まれ、気ままに生き、老いて化ける。思えば猫も人間もちょぼちょぼではないか。



7月19日(金)
 祇園祭のハイライトも終わって、ご近所が静かになった。夜も暑い。冷や酒を呑みたいな。酒アレルギーも和らいできたので、ごぶさたしている「太郎屋」へカムバックしようか。時期は過ぎたが、菜の花の辛子和えが大好きだ。茄子とにしんの炊いたんは京都の定番です。じゃこと万願寺唐辛子炒め、いんげん胡麻和えも酒のアテにぴったりだ。それにここの小鯵の南蛮漬けは毎度欠かせない。カリッと揚げたての小鯵に南蛮酢がしみてうまい。いつからか冷や酒が好きになった。定番の銘柄のほかにときどきの入荷がある。これが楽しみだ。新潟・岐阜・佐賀・岡山などのうまい酒が入る。ぼくの好みを知ってるので、いい酒をすすめてくれる。話は変わる。江戸庶民はどんな「おかず」を食べていたのか。それに関する本を読んだ。これがおもしろい。「為御菜」(おさいのため)と名づけたおかず番付表が江戸末期に刊行されていた。相撲番付そっくりの筆使いでびっしりと書き並べてある。大関、関脇、小結、前頭の順に、江戸庶民に人気のお惣菜がランクづけされている。「値段が安い割に量が多く、毎日が節約になる料理」という惹句がついている。番付の東方・西方に代って精進方・魚類方に別れているのが面白い。さらに四季に別けてある。大関は「八杯豆腐」。絹ごし豆腐を水六杯、酒一杯、醤油一杯の汁で煮るだけ。簡単だけどなんかなつかしい。関脇が「昆布油揚げ」、小結は「きんぴらごぼう」。ひじき白和え、小松菜おひたしなどもある。魚類方の大関は「目刺しいわし」。関脇が「むきみ切ほし」。貝の剥き身と切干大根の煮物である。小結の「芝えびから炒り」はいまならご馳走だね。まぐろ、かつおはむろん出てるが塩漬けである。たたみいわし、いわしのつみれなど、いわしはむかしから庶民の味方だった。こうして見るとまさにお番菜といってよい。ちなみにお番菜の「番」は「ふだん使い」の意味です。番茶、番傘なども同じです。



7月18日(木)
 母さんが夜なべして、手袋編んでくれた。ほいじゃ父さんも、なんぞやるべえか。で、やりました、夜なべ仕事。パジャマのズボンのゴムがゆるんできた。だらしないのが気になっていた。父さんは夜なべして、ゴムひも編んだだよ。ズボンが落ちちゃ、せつなかろうて、せっせと編んだだよ。やおら裁縫箱を取り出した。いちおうあるんです。籐で編んだわりと立派な箱です。側面には組紐みたいな柄が編み込んである。蓋には花柄の刺繍がついている。蓋の裏には綿入れのふっくらした紅い裏飾りがついている。まずゴムひもを探す。やっと見つけたが、やけに幅広のゴムが一本しかない。ゴムを通す口が狭いので折りたたんでかろうじて通る感じ。しょうがねえ、これでがまんするべ。さてどうやって通すか。針のようなゴム通し器具が二三本あったけど、うまく合わない。無理やり押し込んだら途中でつっかえてにっちもさっちも行かなくなった。ゴムを引き抜いてやりなおし。頭を冷やして考えました。ふとひらめいた。そうだ、安全ピンだ。家じゅう探して手ごろな大きさの安全ピンを調達してくる。太いゴムを二重に折って、その二重部分に安全ピンの針を通す。これで狭い入口も通るし、順々におくってゆけばゴムを通せるだろう。でもなにしろ狭いところへ太いひもを通すのだから苦労しました。夜の灯りだし、目は弱ってるし、往生しました。冷房してるのに汗がでてきました。ゴム君が全行程を走破したときは、思わずヤッホーとさけびました。下手して抜けたりしないように、用心しながら長さを調節する。仮止めしてはいてみる。ゆるすぎないか、きつすぎないか。両端をしっかり結んで完成しました。やったぜベイビー!ひと仕事やりおえた満足感がありました。あした百均でゴムひもを余分に買っておこう。なーんて考えながら渾身の力作パジャマを着てぐっすり眠りました。



7月17日(水)<きものがたり-3>
 「きもの」にがぜん興味がわいてきた。でも着物を着る話ではない。着物の「色・柄・文様」がすきなのです。長い歴史と文化、日本人の趣味嗜好によって選り抜かれた「美」に魅せられるのだ。職人の技術に感嘆するのだ。そして時代小説に登場する男や女の着物を想像するのも楽しい。おりにふれて<きものがたり>をつづってみよう(6月28日が一回目でした)。はじめに黒留袖というばりばりの正装をとりあげたけど、きょうは正反対のゆるゆる着物です。京都は着物姿が多いほうだが、東京などは着物は皆無にちかいだろう。高いから着ないのか。窮屈だから着ないのか。難しいから着ないのか。着物は単純な仕立てだから、着物のほうを体に合わせてまとう。ある本を見て目からウロコの思いだった。着物が敬遠されるのは「帯の結び」に問題があるのだ。お太鼓結びがむつかしい。お太鼓は江戸末期にはじまった一手法にすぎない。じっさいの江戸の女性はもっと自由奔放に、好きなように結んでいたという。帯はうしろで結ぶなんて常識もない。前帯、抱え帯といって前で結ぶのも、横で結ぶのも勝手だった。絵を見ると、武家や町家の主婦も、遊女も、平気で前に結んでいた。身分に関係なく格別の決まりもなかった。着物はしどけなくゆるゆる着ていいのだ。そうか、着付け教室がいかんのだ。ややこしい結びをしち面倒に教えるからいやになっちゃう。自分でさっと簡単に着られて、しかもおしゃれでなくっちゃ流行るわけがない。着物を復活させるには「ギャル・ファッション」にもっていかなきゃだめだ。粋で、おしゃれで、カワイくて、丸洗いできて、安い着物はつくればできるはずだ。帯の意匠も結びも自由。ギャルにまかせておけば、カッコよくカワイイ結びをなんぼでも編み出すだろう。アクセサリーも自由。おしゃれ情報がスマホで飛び交うだろう。そんな着物ギャルが街を闊歩すれば世の中かわる。観光立国ニッポンにもええんでないかい?



7月16日(火)
 近所の定食屋「やよい軒」が全店改装して再開した。すっきり明るい感じになった。定食屋もいまや女性・老年を相手にしなくちゃならない時代です。それで変身したのかな。きょうも右隣は娘一人、左隣はおばあちゃん一人だった。ここは近い、早い、安いが取り柄です。文字通り安・近・短の三拍子そろった便利店です。まず24時間営業というのがいい。たまには朝の納豆定食を食べにゆく。昼飯にしても、大半の店が11時半、はやくても11時だけど、ここは時刻を気にしなくていい。いつもの高倉・富小路あたりまで行くつもりだったが、宵山のきょうは昼間からたいへんな人出です。歩けば人波でつっかえるし、バスを見ても渋滞で容易に進まないようだ。そうだ、やよい軒へ行こう。この店は祇園祭の山鉾町の手前にある。あそこなら混雑を避けて折り返せる。改装してからはじめて行った。店員のおねえさんたちも心なしか以前よりすっきりしてる。応対の言葉もはきはきしてきた。休み中に特訓したんだろう。さて何にしよう。そうだ、この暑さだから、ざるうどんがいいな。冷たいざるうどんと、かつ丼のセットでいこう。790円でした。ここの券売機はすでに改装前から最新鋭のディスプレイ・マシンに変わっていた。それに戸惑ってお手上げのお年寄りが多かったが、きょうはそんな「13番さん」(仲間内の隠語で、じいさんばあさん)を見かけなかった。やっと慣れてきたのかもしれない。改装再開で思い出した。今日から証券取引所が大きくチェンジする。大阪の現物取引がすべて東京に統一される。京セラ、ローム、王将フードなどの上方銘柄も東京市場取引になる。といってもネット取引の時代だから、市場がどこにあっても関係ないけどね。



7月15日(月)
 今夜は宵々山だ。ゆうべはすごい落雷と夕立だったが大丈夫かな。山鉾も立ち上がって祇園祭はいよいよクライマックスが近い。17日の山鉾巡行の前夜が宵山、その前が宵々山、宵々々山です。わが家から四条烏丸への途中が山鉾町だから、いやでも毎日の進行が逐一見える。近年は炎天下がつらいので、山鉾巡行は遠慮して夜の宵山の風情を楽しむことにしている。ついでになじみの店でちょっと一杯。そうなるとむしろ宵山が好きになった。江戸の三大祭は、山王祭、神田祭、深川祭といわれる。山王祭、神田祭は徳川将軍家のお膝元だから、いわゆる「おひざもと」意識が強い。ちょっと嫌味な部分もある。いま将軍はいないけど名残はのこる。祇園祭とくらべるなら深川祭がよい。富岡八幡宮をめぐる庶民のお祭りで真夏の炎天下にやるからです。深川といえば木場の材木商に深川芸者です。とにかく威勢がよい。旦那衆がドーンと気前よく寄進して、木場人足・鳶(とび)・火消が手足となって動く。そこに辰巳芸者が華をそえる。意気と威勢で盛り上げた。「ワッショイ、ワッショイ」とかついだ神輿を大きく揺する。沿道の客が大量の水をぶっかける。にぎやかで派手な祭りである。余談だが、「ワッショイ、ワッショイ」がいつのまにか「セイヤ、ソイヤ」に変わったそうな。神輿のかつぎ手が減ったので地方から助っ人をたのんだからだ。深川では「ソイヤ」禁止令を出して「ワッショイ」にもどしたという。くらべると祇園祭はけっして威勢がよくはない。むしろテンポがゆったりして優雅さを印象づける。にぎやかでもない。「エンヤラヤー」の掛け声は始動するときだけだ。派手な見せ場は「辻回し」くらいだろう。江戸が「動」なら京都は「静」です。だから宵山が似合う。駒形提灯の灯りに浮かび上がる山鉾の光と影。会所に展示された懸装品や飾り物の数々。町家の見世の間に飾られた屏風の美しさ。沿道を埋める屋台の灯りとそぞろ歩く見物客。これらが織りなす夜の風情こそ最高の祇園祭ではあるまいか。



7月14日(日)
 根っからの酒好きは立飲みする。古典的なのは酒屋の立飲みです。金を払ってその場で桝酒をキューッとあおる。昼間っから酒屋で立飲みするおっさんはあたりをはばかる。きめられた喫煙所でタバコを吸うのもこれに似てきた。肩身がせまい。酒屋の立飲み、京都に来てすぐに見つけました。鼻がきくんです。高倉通錦小路にある。知る人ぞ知る古くからの酒屋です。ここは店頭でちょいと一杯なんてもんじゃない。ずいーっと奥まで通るんです。ただしウナギの寝床だから身体を横にしてすり抜けないと入れない。ガラス越しに中庭まで見える乙な雰囲気。酒瓶ケースを積み上げてテーブル代わり。ほとんどおじさんばかりです。場所柄おおむね日本酒を飲んでる。酒屋飲みの元祖は江戸時代の「豊島屋」(としまや)とされている。江戸城を間近にあおぐお膝元の鎌倉河岸にあった。これは江戸検定にも出る常識です。時代小説にもしばしば登場します。佐伯泰英氏の「鎌倉河岸捕物控」では主役の岡っ引き、金座裏の宗五郎一家のたまり場になっている。さて現代には若者系の立飲み屋もある。これは和風スタンドバーというおもむき。間口が透明ビニールで店内丸見えのスタイルが多い。酒屋系とはまったく客筋が異なる。揚げ物、焼き物などのガッツリ系つまみも豊富です。なかには昼は弁当を売り、夜はお酒という店もある。いっとき大丸裏の立飲みを愛用していた。お酒がめちゃ安かった。和服や浴衣の外人さんが陽気に騒いでいた。京都ならではの業態が町家系の立飲み屋である。古くて趣きのある町家でしか営業しない。内装に手をかけない。柱も梁も壁も、高い吹き抜けも天窓もそのまんま。どっかで拾ってきたような古い卓や椅子がちらほら。ただし酒は吟味されている。活きのいい魚も出る。祇園祭の山鉾町にある。酒は安直がいい。アベノミクスも、おとうさんの小遣いを上げろとは言ってくれない。



7月13日(土)
 三条大橋のブックオフで文庫本を仕入れてきた。自宅から店の前まで直通バスがあるのでしごく便利です。ブックオフはわが家の御用達です。それには理由がある。本日はいい収穫があった。宮尾登美子「きものがたり」、宮部みゆき「平成お徒歩日記」「ぱんぷくりん」、諸田玲子「あくじゃれ」「きりきり舞い」、宇江佐真理「幻の声」。しめて6巻、二千円だった。なんだ、女ばっかりじゃないかって? そうなんです。ちかごろ小生は女性作家にはまっておるのです。題名を見たってみんなおもしろそうでしょ。うち四冊は時代小説です。諸田さん、宇江佐さんはこのたび初めてお目にかかります。宮部さんの「平成お徒歩日記」も時代物がらみの江戸下町探訪記です。宮尾登美子さんの「きものがたり」は名著です。ご所蔵の着物をご本人がモデルになって紹介されています。美しい着物の写真がとても魅力的です。むろん著者ご本人も美しいです。これは特に女性におすすめしたい本です。ところがこの本がどこの書店にもないのです。さして古くもないし、しかも文庫本ですよ。それなのに、ないんです。文句言ったら店員がパソコンでこちょこちょ検索している。「200X年なので版元にもないみたいです」なんて答える。それがあたりまえのように言う。すこし前の文庫本がもうないとは、どういうことだ。それがブックオフに行けばあるのです。どっちがほんまもんの本屋かいな。ちかごろの書店は新刊しか売らんつもりか。ハードカバー本は、精一杯着飾ってお化粧して「こんど出た新人でーす。ピチピチだからちょっとお高いでーす。」という感じで並んでいる。目立つ店頭に山積みになっている。こんな駆け出しは相手にしない。文庫本になってこそ一人前だ。いい本は古書店で買いましょう。



7月12日(金)
 早朝六時、四条大宮のマクドナルド。若い娘が四人ぐったり睡眠中である。腕を投げ出して「ふて猫」みたいに卓上に突っ伏している。長い髪が渦巻いたり垂れ下がったりしている。もう欲も得もないという感じ。ようもあんな恰好で寝られるもんだ。大きなバッグや紙袋が周囲にうず高く積まれている。となりの席まで食べカスや荷物が占領している。みんな18歳くらいかな。いったいどこへ行ってなにをしてきたのだろうか。木屋町あたりで徹夜で遊んできたのか。それともアイドルの追っかけでもやってきたのか。そういえば四条通の某ビルにこの手の娘たちがよく群がっているな。四条大宮は京都の西南方面から来るバス・電車のターミナルだ。桂・長岡天神・高槻あたりから来たのかもしれない。ちょうど渋谷・原宿へ遠征してくる埼玉娘のように。深夜、渋谷の谷底にはそんな若者たちが沈殿していた。道路にしゃがんだり、足を投げ出したりしていた。あの姿勢だけはどうもなじめない。さて、マックねえちゃんが目覚めたようだ。寝ぼけまなこでただちにスマホをチェック。低く鼻唄なんか歌ってる。やがて二階席からもう一人降りてきた。この子は身づくろいしてお化粧直しもしてきたらしい。すっきりした顔をしている。「外へ出て目をさましたら?」「外はあったかいよ」なんて声が聞こえる。あったかいどころか朝からムッと暑い。そうか彼女等は冷房で冷え切っているのだ。おいおい、冷え性になっちゃうぞ。外の駅前広場にはつぎつぎに観光バスがやってくる。日帰りバスツアーの出発地なのだ。おじさん・おばさんが大勢あつまってにぎやかだ。リムジンバスも来る。大きなバッグをガラガラ引きずって関西空港へ向かう旅行者。アベノミクスでボーナス上がったのかな。



7月11日(木)
 むかしの人の書いた文章を読むと「かなわないなあ」という感想を抱く。夏目漱石や森鴎外はもとより、大衆文芸の吉川英治や岡本綺堂にしてもそう思う。かなわないな、教養がちがうな、と痛感するのだ。まず漢籍の教養がちがう。日本古典の教養がちがう。歌舞伎・浄瑠璃などの熟練がちがう。おのずから使う言葉も言い回しも、そして舞台背景も、ぼくらには及びもつかない広がりを持っている。ほんとうの教養人なのです。漱石の猫はこう言う。「千金の春宵を心も空に満天下の雌猫雄猫が狂い廻るのを煩悩の迷いのと軽蔑する念は毛頭ないのであるが、如何せん誘われてもそんな心が出ないから仕方がない。」猫にしてこの言を吐くのだからかなわない。「吾輩は猫である」のおもしろさは、教養が空回りして無為徒食する明治人のおかしさにある。しかしそれも教養がなければ描き出せない。岡本綺堂の「半七捕物帳」しかり。ただの岡っ引きにすぎない半七が、ふともらす洒落や言い回しの裏に歌舞伎の台詞や浄瑠璃の文句がかくされている。そんなのは江戸庶民の常識だったんですね。かなしいかな、ぼくらにはそれが通じない。歌舞伎や浄瑠璃は古いと切り捨てるのは簡単だが、それは歴史・文化にうとく日本人としての素養に欠けるということです。ネット辞書とか歌舞伎サイトを検索することが多い。半七をよんでは、つと本を置く。歌舞伎狂言を検索する。これがむずかしい。通称とか場の名称とか本命題とか、いろいろあってややこしい。与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)、人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)のようにやたら長い。登場人物やあらすじをたどる。せりふも知っておかないと。「雪暮夜入谷畦道」(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)の直侍(なおざむらい)と三千歳の恋。それにからめた半七の捕物話が出てくるのだ。知ると知らないじゃ捕物帳の興味がぜんぜんちがってくる。こんな悠長な読書も、暇のあるいまだからこそできる。ありがたい。



7月10日(水)
 連日カンカン照り。気温37度です。たまりまへん。はやくも祇園祭です。きょうから四条通で鉾立がはじまった。四条烏丸の手前では、月鉾、函谷鉾(かんこぼこ)、大丸前では長刀鉾(なぎなたぼこ)が組み立てを開始した。いずれも錚々たる花形鉾である。長刀鉾はつねに先頭を行き、お稚児さんが乗る特別な鉾です。四条通を一車線囲い込んでおっ立てるのだから大物です。バス・タクシーも山鉾様をよけて通るのが京都なんです。バス停だって移転しちゃう。きょうから四条烏丸バス停はなくなる。ずっと手前に臨時バス停が設置されて、その先は大丸前まで停車しない。山鉾様のお邪魔になるからだ。その臨時バス停を過ぎてから、ひとりのギャルが運転手と話している。知り合いかと思ったらそうじゃないらしい。四条烏丸に停まらないのであわてているのだ。運ちゃんに泣きついている。しょうがねえなあ、という調子で運ちゃんは歩道に寄せて停めた。娘っ子は礼を言ってあたふたと降りていった。これは特段の配慮です。移転の初日だから戸惑うのも無理はないと考えたのか、それとも可愛い娘だったからか。もしおばさんだったらどうしたかな。なにしろ祇園祭はえらいのだ。電線だって信号だって祇園祭を配慮してつくる。山鉾が出発してまた戻る新町通だけは、道を横切る電線が一本もない。高い鉾が引っかかるからだ。四条通の信号はみな90度折りたためるしかけだ。山鉾巡行のとき邪魔になるからだ。千年の歴史はただもんじゃない。



7月9日(火)<きものがたり-2>
 バスの中で浴衣の女性を見かけました。白地に紺の「麻の葉模様」がいかにも涼しげです。中年女性だけどオバサンに見えないのは、すっきり和装の功徳でしょうか。麻の葉模様、じつは覚えたばかりなんです。それがすぐに解ったのがうれしい。時代小説を読んでいて着物や帯の柄が出てくると、すぐにネット検索して確かめます。柄・模様・文様の名前とその写真を合わせ見て納得します。なかでも麻の葉模様は好きな柄なのでしっかり憶えていました。女流作家、なかんずく宮部みゆきさんの時代物には、さまざまな着物や帯が出てきます。それを着る女性の年頃やその場の雰囲気に合わせてあるんですね。千鳥文、桔梗文、雁金文(かりがねもん)、鱗文(うろこもん)、雪持文(ゆきもちもん)。その名前がなんともすてきです。どんな美しい模様だろう、と思わず調べてみたくなります。模様にはそれぞれ成り立ちやいわく因縁があるようです。鱗文は女の厄除けなので厄年に着るといいらしい。雪持柳、雪持松、雪持南天などの雪持文は、植物に雪が降り積もった風情を文様化したものです。しなやかな枝葉が雪の重みに耐えて、やがて雪をはね返して立ち直る生命力。春を待つ心を表しています。雪持南天はさらに「難を転ずる」意味があります。縞・絣(かすり)・小紋などの小粋な文様も大好きです。「よろけ縞に千鳥」なんて小紋の、まあ粋なこと。市松模様、亀蔵小紋、市村格子など、歌舞伎役者から派生した文様も数多い。着物の色や柄に触れることで、どれほど日本人の美意識が磨かれてきたことか。その名前や由緒や想いを知るのは、どんなに豊かな楽しみであったことか。美しい宝石を失ってしまった。それをみんなが思い出すことこそ、ほんとの日本再生ではあるまいか。



7月8日(月)
 祇園祭の七月になったとたん、梅雨寒から一転して猛暑になった。暑いだけなら我慢もするが、息苦しいほどの湿気がたまらない。これじゃ熱中症になっちゃうよ。食欲減退。いつもの昼めしを食う気にならない。そうだ、こんな日はざる蕎麦にかぎる。さいわいなじみの蕎麦屋「そじ坊」は四条烏丸の地下にあるから日照りよけになる。地下のわりに雰囲気がいい。暖簾をくぐれば老舗の蕎麦屋の空気がある。冷房がきいててひんやり。何にしようかな。本日の売りもんは「うな丼定食」らしい。小さめのうな丼とざる蕎麦のセットである。いまやうなぎは貴重品らしい。絶滅危惧種になりそうだ。まあここらでうな丼を食うこともあるまい。天ざるにしようかとメニューを見たら、野菜天ざる、というのがあった。これだ、これだ。ねりわさびと本山葵を選ぶしかけになってる。本山葵が50円ほど高い。こんな日はやっぱし香りと清涼感がほしい。本山葵にしよう。野菜天ぷらは、なす、かぼちゃ、いんげん、そしてうれしいことに茗荷がついていた。さっぱりしたいときに茗荷の風味は絶好です。でっかい本山葵とおろし金が出てきたので、思いっきりガシガシとすりおろす。けっこう硬くて力がいる。でもいい香りがプンと漂ってきた。山盛りすった本山葵を豪快に蕎麦つゆにぶちこんだ。そばをすくってザンブリつゆにひたす。江戸っ子みたいに尻だけチョイなんてケチなことはしない。口にいれると山葵の香りと辛みがツーンと鼻にぬける。これがたまらん。ひさしぶりのざる蕎麦、けっこうでした。特別メニューの写真にひかれた。「揚げなすと肉味噌の辛み冷やしそば」。これいいんでないかい。よーし、つぎはこれでいこう。夕方はつまみに生ビール・冷や酒がいい。以前はよくきた。またこようかな。



7月7日(日)
 革の匂いがすきです。ひなたの匂いのような香ばしさ、なつかしさがあります。あのなつかしさはなんだろう。動物の皮をなめして皮革にするときは、ものすごく臭いそうです。それが製品になるとあんないい匂いになる。むかし革は貴重品だった。革靴や革カバンは父親だけの特権だった。はじめて革のグローブを買ってもらったときは天にも昇る心地だった。手にはめたグローブを顔に押し当てて、思いきり息を吸い込んだものだ。革の切れっぱしだって宝物だった。ゴム銃を手作りするとき、玉受けの部品として大切だった。若者は革ジャン・革ジャケットにあこがれる。それを着るとだれでもカッコつけたくなる。どうしてもそうなる。革にはそれだけの魔力があるのだ。おじさん族は昔から革カバンを愛している。すり切れた古いカバンを後生大事にかかえたおとうさん。通勤電車で見かけます。その気持ちがよーくわかります。デパートのカバン売り場には革好きおじさんが群がっています。みんな深呼吸して革の匂いを吸っているみたいです。好みのカバンを見つけると革の表面を撫でたりさすったりします。さもいとおしそうに触れています。つぎにおとうさんはカバンを片手にぶらさげて上下にゆすります。なんの意味があるのか不明ですが、なぜかみんな一様にゆすってみるのです。つぎに内部の探査にとりかかります。ちかごろのカバンにはいっぱい仕切りがついています。あちこちにポケットがついています。隠しポケットなんかもあります。おじさんは仕切りやポケットを発見するたびに、うれしそうにウンウンなんてうなずいています。仕切りやポケットがたくさんあると、なんか得したような気になるのでしょうか。海外旅行に行っても革の匂いに引かれます。ヨーロッパは革の本場です。ぼくも見たり買ったりはほとんど革製品ばかり。財布にベルトに革靴。いまも大切に使っています。



7月6日(土)
 時代小説を読むとかならず江戸下町の長屋がでてくる。裏店(うらだな)ともいう。表通りには多様な商売が店をはっていた。その裏にひっそりと長屋があった。木戸をくぐると細い露地の両側に数戸ずつの長屋が連なっていた。俗に「九尺二間」といわれる部屋である。九尺二間といえば六畳です。そこに生活のすべてが押し込まれていたのだ。共同便所は外にあった。もちろん風呂はない。みんな湯屋(銭湯)に行った。井戸も共同だった。井戸端会議はここからはじまった。夕方になるとおかみさんたちが露地に七輪を持ち出して、いっせいに秋刀魚を焼いた。昭和になっても戦後の貧乏時代は、江戸と大差なかった。八畳ひと間に一家七人が暮らしたことがある。ろくに畳のない家に住んだこともある。ちょっとましな家になったのはかなり後だった。自立してからは一戸建て住宅に住んだことがない。ほぼ四十年のあいだにマンションを四回買い換えた。平均して一か所十年である。一番長く暮らしたのが二十年。京都へ来る前の東京都府中市だった。東京競馬場のすぐそばだった。うちの横の小道は通称「おけら街道」と呼ばれた。馬券をすった連中がトボトボ帰る道だった。競馬はやらなかった。住まいを変えるということは環境をそっくり変えることだ。大変なことです。ふんぎりが要る。でも楽しみもある。引っ越し好きのひとがいる。一年に何度も引っ越すひともいる。そうなると借家住まいになる。逆にてこでも動きたくないひともある。やっぱり子供時代の経験が大きく物を言うのではないか。小学六年で六回転校したぼくなどは、土地が変わることに何の抵抗もない。つぎはどんな土地だろうかと、楽しみのほうが先に立つ。てなわけで、とうとう京都まで来てしまいました。



7月5日(金)
 大丸のお弁当コーナーは楽しい。時間つぶしに時々のぞいてみる。まずは高級どころからいってみよう。老舗料亭の出張カウンターがある。料理人が出張してきて日替わりで特別メニューを提供している。ほぼ3千円くらいかな。オープンのときは「京都吉兆」だったという。ただし人気があるので予約がいるらしい。老舗料亭の日替わり弁当やお総菜が楽しめる「お取り寄せ庵」という一角もある。二傳、下鴨茶寮、高台寺茶寮などが出ている。雪月花弁当、葵御膳、六角弁当なんて名前にひかれる。はも御膳もいいな。ちょいと張り込むならここがいい。二千円前後くらいが多い。旬の色とりどりを目で味わえるのでじっくり見てまわる。春はお花見弁当の花盛りになる。たん熊北店の特製弁当、二傳の春彩弁当、六盛の花見弁当などが並ぶ。「いづう」の鯖寿司がカウンターで手軽に食べられる。「三嶋亭」のすき焼き弁当もいいな。牛肉売り場の奥の小さな店で、お弁当やサーロイン御膳などがいただける。 つぎは実用コーナーです。寿司、和食、中華、洋食とさまざま。ぼくのひいきは「おこわ弁当」です。おかずの見本が数種類。空いてる部分に好きなおこわを詰めてくれる。五種類ほどのおこわが目の前にホカホカ湯気を立てている。きょうは「五目鶏おこわ」と「しらすおこわ」の二種詰め合わせにしてもらった。持って帰ってすぐ食べれば温かくておいしいし、冷めてもおいしいのがおこわのいいとこだ。モチモチした口当たりも好きなんです。お弁当は日本文化だ。祝事・祭事・法事・花見・芝居・物見・遊山。日常ならざればお弁当。こんな宝石箱は外国にない。



7月4日(木)
 台無しになる、ということがある。この雨じゃ花見も台無しだよ。ほらほら泣いたらせっかくの化粧が台無しよ、なんて言う。自分のせいで、他人のせいで、あるいは天変地異のせいで、物事が台無しになってしまう。なかにはわかっちゃいるけどやめられず、人生を台無しにするひともある。棒に振る、おしゃかになる、という言葉もある。人生は引き際がむずかしい、と言われます。政治家でも経営者でもチャンピオンでも引き際がむずかしい。「晩節を汚す」という成句もある。せっかく尊敬されてきた人が、引き際を誤ると、名誉を台無しにすることがある。なんとか連盟会長かなんかに祭り上げられて不祥事に遭遇する。飛ぶ球・飛ばない球騒動で、あたら面目を失うはめになる。人品骨柄ということがある。ひと年とれば顔に責任がある。ああいう顔をトップに据えちゃいけない。スポーツが台無しになる。そんな大げさなことじゃなくても台無し事はある。お値段の張るブランド・スーツに身を固め、ピカピカの靴をはいていても、場違いなド派手靴下がのぞいては台無しになる。興ざめである。なじみの店の常連さんに、いい感じにお年を召した方がいます。上品でおとなしい風貌です。ところが、ものを食べはじめると台無しになる。ピチャピチャと音を立てるのだ。舌鼓を打つという表現はおいしそうだが、じっさいに音を発するのはどうもね。いい感じはしない。これも子供ならともかく、いい大人になると無関心ではいられない。自戒して気をつけなければと思う。



7月3日(水)
 京都に住みはじめたころでした。五条通を歩いていたら鴨川べりに出た。ふと見たら「五条楽園」という看板が見えた。なんやろう? まったく知らなかった。高瀬川沿いに足を踏みいれた。この一角は碁盤の目じゃなくて細い露地が入り組んでいた。旅館のような大きな日本家屋や、丸いステンドグラスにタイル貼りの大正モダン建築がもの珍しかった。玄関だけ豪勢な唐破風の家もあった。どの家も玄関が開いていてガラスの金魚鉢に紅い金魚が泳いでいた。あちこちに金魚が見える。さすがに子供ではないから、歩いてるうちになんとなくわかってきた。妖しげな雰囲気に気がついた。しどけない身なりの女もちらほら。そうか、遊郭だったのか。昼間だったのでさほど異様な空気は感じなかった。灯ともし頃だったらずいぶん感じが違っただろう。むかしからずっと明治・大正・昭和を通して、五条・六条・七條の川べりは新地と言われた遊郭だったのです。島原・祇園が旦那衆の行くとこなら、七條新地は高瀬舟の船頭・船曳・人足たちが通う色街だったのでしょう。金魚鉢は営業中のしるし。金魚は遊女の身代わりでしょうか。紅いおべべの金魚と遊女。ひらひらと泳ぐさまが目に浮かぶようです。昭和33年の売春禁止法以降も続いていた。ぼくはその末期を見たことになる。2010年に警察の手入れがあって最終的に営業禁止になったという。そのとき五条楽園の看板も下ろされた。いまでも独特のおもむきある建物群はけっこう残っているが、ほとんど人影を見ない街並みになってしまった。



7月2日(火)
 『格子戸が、力まかせに閉められた。あわてて両手を桟にかけたが、相手は壁にたてかけてあった棒切れを心張棒にして、部屋へ駆け上がって行った。部屋の障子も音を立てて閉められて、そこも物差しかはたきかを心張棒がわりにして、開けられぬようにしたらしい。裏口へまわろうとすると、その気配を察したのだろう、・・・・』。ある女流作家の書き出しである。すんなり小説に入っていけなくて、同じところを何度も読みなおすはめになる。いつどこでだれがどうしているのか、さっぱりわからない。女性というものは思い浮かぶものごとをそのまんましゃべったり書いたりする傾向があるという。自分にはよーくわかっているから、相手もわかると思うのだろうか。この手の文章には情緒纏綿の美点もあるけれど、男性読者にはちとつらい面もある。おいおい、何がどうなってんだよ。はっきりしてくれよ、と言いたくなる。『青堀の小平次の直感が(いまだ、殺れ!)と、彼自身にすすめてきた。たたきつけるような、にわか雨であった』。これは男性作家の書き出しです。ずばりと核心に切り込んで読者の興味をグイと引きつける。単刀直入です。あえてだらだら文が書いてあるときは「ははあ、これは夢だな」と推察がつく。男性と女性ではドラマの意味にもちがいがあるようだ。どんな男と女がめぐりあって、どんな感情がぶつかりあって、どんなにふしあわせになったか(しあわせはめったにない)。これが女流の描くドラマであるようだ。男はもっと派手なのがいい。お家騒動とかの大事件が起きて、敵と味方に別れて、ちゃんちゃんばらばらやってくれないとおもしろくない。男というのもしょうがないもんです。



7月1日(月)
 ドトールはコーヒーだけでなく、ケーキ・パン・サンドイッチなども売っている。その展示ケースは必ずカウンターの手前にある。順番待ちしてるといやでも目の前に見える。「ねえ、買って、買って」と呼んでいる。しかも容易に取れるよう配慮されている。ぼくの前におばさんがいた。おばさんはおおむねグループで動くが、めずらしく一人おばさんだった。おじさん(ぼく)は注目して観察した。おばさんはカウンターに進みコーヒーをたのんだ。と思ったつぎの瞬間、サッと一歩後退して素早くパンをつまんだ。コーヒーが出る寸前だった。そうか、そうきたか、おぬしやるのう。「見返りゲット」の術を使いよった。意地悪じいさん(ぼく)はこれを待っていたのだ。おばさんの行動を読んでいるのだ。ドトールで飲物だけというおばさんはきわめて少ない。例外である。パンはおばさん御用達といってもよい。なぜだろうか、とつらつら考えました。食い意地がはってるだけじゃあるまい。思い浮かんだのがお茶会風景である。「秘密のケンミンSHOW」にもしょっちゅう出てくる。仲間の家に集まって十人ほどがワイワイお茶してる。卓上にはあふれるほどお茶のアテ(つまみ)が乗っている。饅頭・羊羹・どら焼き・せんべい・お焼きなどなど際限ない。裏千家のお茶会だってちゃんとお菓子がつく。「これだ!」と思った。「お茶にはお菓子」。条件反射なのである。パブロフの犬である。それが証拠に、お茶会に縁のない若い娘は行動がちがう。しかし娘には娘で気がかりがある。ペットボトル症候群である。立ち飲み、歩き飲み、バス電車内、おかまいなしだ。錦市場では立ち食い娘も目立つ。「オレオマエ」なんて口をきく女子もふえた。立ち飲み、立ち食いとくれば、立ちシ*ンとならんか心配である。