時々、自分の姿がみえなくなる時がある
とても馬鹿で愚かなことをしているのに
それに気付かずに、愚かな行動をとってしまう
幼いというのは、言い訳で
単に、馬鹿なだけなんだと思う
普段の反動というのも馬鹿な言い訳で
自分に対して責任をとれないんだと思う
最近注意された時にやっとわかった
自分のとってる行動が
まわりのみんなにも影響をだしていることを
別に、個人的な不一致とかじゃなくて
自分が思ってる程、自分はみられてて
影響をあたえてるんだと
もちろん自意識過剰な程
みられてる訳じゃないけど、、、
赤信号、みんなで渡れば恐くない
という言葉がある、集団の中では
一片の淀み無く己が道を貫く
ということは出来ないことが大概だし
つまらない虚栄や偽善を創ってしまう
漫画のようなかっこよさや
映画のようなかっこよさってのは
案外、普通の生活に潜んでいるんだと思う
ただ、それに気付くことができなかった僕は
本当にかっこわるかった
現実から逃れて、つまらない物語をみて
つまらない物で部屋を覆い
やすっぽい愛や、偽物の自由のなかで暮らしていた
毎日がつまらないのは僕がこの道を選んだせいで
けして世の中のせいじゃないことに気付いていた
でも、その心までも隠し、毎日をおくっていた
そんな日々の中で、僕の心の中の誰かが
死ぬまでそうしていろ
といった、僕は最近考える
たとえば、いま必要としている物や愛は
50年後も必要かと
昔のドラマであったけど、50年も必要なものなんて
そうそうあるもんじゃないし、今ここにある時間や
世界のほうが、よっぽど大事だって、
限定品とかもあんまし意味がないんじゃないかって
もちろん意味のないこともないだろうけど
実際にもっとすばらしいことや
経験したことのないことをすることが
大事なような気もするし
もっと成長できるような気がする
つまらないことで人生をぼうにふる必要はないし
小さなことで悩む必要もない
もちろん自殺する必要もない
他人に愛される人になりたいなら
愛される人を目指せばいいし
愛する人をもてばいい
こんな世の中とはいうが
世の中をみてるのは自分だ
自分がみているのが現実だ
選んだ現実でなくとも
かえられないものは悩んでもしょうがない
しょうがないとわかってて何もしないのは
わかってないのと一緒だよ
僕はそうだった、今もそうかもしれないけど
かえられないモノに理由をつけて
責任逃れや、まやかしを創るのはやめたい
いや、絶対にやめる
君がみているのは
幻想かい?
それとも現実かい?
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