前に自転車で転んだことがあります。ひざ小僧を怪我して、なかなか治らなかったのですが、やっと瘡蓋もとれてきれいになったと思ったら、その傷跡から妙に濃い毛が生えてきた。
手術の時は足まできれいに剃毛します。4週間くらいからリハビリが始まり足の毛も生えてきます。リハビリに行く時に靴下をはいて靴をはいていくのですが、靴下をはくのがとても大変なのです。足の先に手が届かない。悪戦苦闘して靴下をはきながらふと気がつきました。
とても不思議なことに、手術した右足は脛毛まで濃いのです。
他の人に聞くとやはり手術した足の毛が濃くなったといいます。
傷跡からも毛が生えてきています。
自己防衛本能???
髪の毛が薄くなってきた人は頭を刺激してみたらどうなんでしょう?なんて真剣に考えてしまいました。
術後1年半たった今は、もう右も左もほとんどかわらなくなりましたが、よ〜く見るとやはり右の方が濃い!
私と同じ日に入院して、同じ日に脊椎の手術をして、術後もしばらく同じお部屋だったIさんはとても楽しい人でした。
彼女は術後はお姉さんが付き添ってくれたのですが、手術が終わった夜に大変な事が起こったそうです。
術後はやはり痛くて痛み止めの注射もしてもらうのですがなかなか眠れないものです。
付き添いの人は疲れてウトウトと眠っています。看護婦さんは1時間おきにまわってきて、血圧を見たり様子を見てくれます。
Iさん苦しくて目を開けてみると、胸のあたりが何か暖かいのです。何かな〜と思ってさわってみると、手にべったりと血がつくではないですか!
びっくりしたIさんは慌ててお姉さんをおこします。
「姉ちゃん!姉ちゃん!!大変!死んじゃう死んじゃう!」
お姉さんもその血を見てもうびっくり仰天!
大変死んじゃう!
慌ててナースコールを押して看護婦さんを呼びました。
でも何だか変だなとはと思ったそうです。
手術したのは背中なのになんで胸が血だらけなんだろう???
術後で確かに痛いのですが、どこが痛いのかもよくわからない。
看護婦さんが来てみてわかりました。輸血していた血液がどこか管が外れて漏れていたそうです。
術後着せられた浴衣や、ふとんカバー、シーツ、みんな取り替えなければならなかったそうです。
看護婦さんは落ち着いていて、慌てた二人はとても恥ずかしかったそうですが、、、
どんなにびっくりしたかと思うと可哀相ですが、余りのおかしさに部屋のひとみんなで大爆笑。
死ななくてよかったですね〜。
ハ
音楽の話 狭い病室で長期間過ごすことはそれ事態ですごいストレスです。
術後しばらくは、痛みもあるし何しろ動けないということもあり、ストレス以前の苦しみですが、、、
入院も長引いてくると、やはりストレスがたまります。
そんな時は音楽が心の慰めになりました。
ヘッドホンで音量を上げて聞いているとそこが病院であることを忘れさせてくれます。
夕方人のいない屋上で、F-BLOODの「白い雲のように」を聞いて早くうちに帰りたいな〜と思ったものです。
藤井兄弟のF-BLOODのコンサートは本当に行きたかった。正直な事をいうと、手術はF-BLOODのコンサートに行ってからとも思ったけれど、早くしたほうがいいというのに子供の受験があるからと3月までのばしていたのに、コンサートに行きたいから5月にしてなんていうわけにいかなかった、、、
F-BLOODのライブ版がCDででた時はすぐに買いました。消灯後ヘッドフォンでボリュームを上げて聞いていると、けっこうライブ会場にいるような気もしてきます。不思議な事に二人の顔まで見えるようでした。二人が歌いながら顔を見合わせたりにっこり笑ったり、、、
ホームシックになりそうな夕方の屋上ではアルバム「STANDARD」がかなり泣けました。
リハビリにはチェッカーズナンバーが一番!
群響と第9を歌う会では、モーツァルトのレクイエムがその年の歌う曲だったので、せめて曲を聞いて覚えようとレクイエムも聞きました。
手術前と手術直後はさすがにあまりに縁起が悪すぎて聞けなかったけど、元気になってきたら聞いておかなくちゃね、と思って聞いたのですが、とても眠くなって、、、なかなか最後まで聞けない!
退院してから練習再開したのですが、いつも寝てしまっていた後半は曲を覚えるのが大変でした。
リハビリで転院した沢渡温泉病院では、温泉に入りながら歌を歌ったものでした。友達のかずよっちと一緒に歌ったのはカーペンターズのYesterday Oncemore,Close To Youなどでした。
一生懸命英語の歌詞を覚えて何だか楽しかった。
長女が高校生になってチャゲアスのライブに行って帰って来ていいました。
「お母さんと同じくらいの人やもっと年上の人もいっぱい来てたよ」
その一言が私を変えた。
私のまわりにはライブに行ってる友達もいなかったので、そんな事思いつきもしなかったけど、そうなんだいってもいいんだ。
そして96年秋の藤井フミヤオリオンツアーに娘2人とともに初参加。感動!感激!興奮!
ファンクラブにも入りました。
97年のライブは群馬と新潟両方チケットをとりました。群馬は長女が友達と一緒に行きたいというので、じゃあ実家のある新潟の方もとってそちらは私と長女2人でという事になったのです。
しかし長女は受験生、そうでなくても勉強もしなくて心配しているのに、フミヤのライブに新潟にそれも母が行きたくてなんて、、、
だんなさんにとても話せなかった。
そこで思い付いた事は、新潟に大学を下見に行くという口実でした。
新潟に行く1週間ほど前のある日だんなさんがいいました。
「新潟行くんならおれも行こうかな〜。」
そんな展開になるとは思っていなかった私は慌てふためき、実はフミヤのライブ、、、、
とうちあけました。それから1週間はもう気まずくて、
ばれて怒られるなら、なるべくギリギリまでばれないようにと思っていたのが間違い。ばれて怒られるなら早めにちゃんと正直にいうんだったと後悔しました。
オリオンツアーでは紙飛行機が会場を舞ってとても素敵だったので、新幹線の中で一生懸命飛行機を折りました。それなのに、、、その年はPaper Planeは歌われず紙飛行機は持ち帰るはめになってしまったのも、罰が当たったのだと思います。新潟は大雨でしたが、一応大学も外から見学してきました。
ライブが終わって新潟駅ではニュースで神戸の事件の犯人が中学生だったという事が報じられていて驚きました。
98年のライブは、術後初めてのライブ。入院中にチケットの申し込みをしました。
身障者席というのがあるのでそれにしようかとも思ったのですが、電話で問い合わせたところ、その席に座ったら立ってはいけないという事なのでやめました。
杖をつきながら会場に入り、杖をおいて『キャーキャー!』と騒ぎ、踊っていた私は、周りにはどう見えたか?終わるとまた杖をついて帰って来ました。
一緒にいった長女も最初は心配していましたが、元気にライブを楽しむ母をみて安心したのか呆れたのかは聞いてみないとわかりませんが、、、
99年今年のライブは横浜までいってきました。
もうフミヤのライブに行くといってもさほど驚きもしなくなった主人も、私が横浜に行くと知ってまたまたびっくり、
「何で横浜なんだよ〜?」
「だって群馬は帰りの時間が電車の最終ギリギリなんだもん。横浜なら娘のとこにとまれるしさ〜」
「え?帰りくらい迎えに行ってやったのにな」
横浜にいったおかげで、ライブの帰りはネットで知り合った友達と一杯飲んでから帰れたし、楽しかった!
来年は念願の武道館ライブにぜひいってみたい。
と夢はふくらむのですが、、、