魔術の実践教書 <6=9> 「存在」!つまり「不存在」の顕示! 1、この教書は、この一文を含む、条項を掲載し、かつ内容を改変しない限り、あらゆるメディア、あらゆる印刷物、 あらゆる電子的複写を含む複写、掲載を許可する。 2、複写物、掲載印刷物等は有償、無償を問わず、またこの教書の著作者の許可を得ずに自由に行なってよい。 3、この教書の著作権は「Fr.PANNT」および「DNA」にある。兄弟PANNTは「DNA」の名前で知られる魔術団体 の一員である。 4、この教書の地球外持出、地球外閲覧、太陽圏外知性体への譲渡を禁止する。 5、DNAは、君を諸難から守る祈りを随時行なっている。その加護において自信をもって活動すること。 0、 実践にあたり、過去において培われてきた一切の色眼鏡を捨て去り、偏見のない視点をもって取捨択一するこ と。 GHfr.AFNK(X師)は次元を超え、いつもわれわれのそばにいる。 君が選ぶ選択は必ず正しい。 もし正しくない選択をしたと思っても、それは後から現れる真の選択のためのワンステップだったにすぎず、その ような一時期において結果のように見える中途段階は、反省にも判断にも値しない。 好意を抱く者、敵意を抱く者、良いように見える者、悪いように見える者、中立な者、親族、縁の遠い者、これらに 対して平等の視点で見れる者は、これらすべてより必ず優れている。 意志の元に平等の視点をもってすれば正しい選択が自ずと現れてくる。 意志が、自己の理論と実践に満足し、愛が意志に従えば、これが真の法である。 ha!thelema! 法の言葉は「thelema」である。 DNA Fr.PANNT 1、用意すべきもの 理解できぬ個所は読み飛ばしてよい。後で神聖な示唆により教示され、知識となる。 理論を学び知識を得る。 知識を経験するために実践する。 実践による経験を理論により分析する。 分析して得られた知識が指し示す方向を吟味する。 次の段階に進むか、現段階を繰り返す。 どちらにしても理論と実践がさらに深まり、より高位の精神へと進む。 よしんば低位の精神へと進んだとしても、それはうわべだけの結果であり、どちらにしても目指している目的の一 道程に過ぎぬ。 魔術の武器を考えられる限り一個所に配置せよ。 なければいらぬ。 「E」のごとく衣服を用意する。 すなわち「プラクティスにおいて、姿勢を妨害するような衣類」ではない、まさに魔術向のものである。 ローブ、三衣、天然素材のジムナスティック衣料(体操服)、作務衣等はその最高の効能を発揮してくれる。 次にこの文章そのものを印刷したもの。 書き写したものでも、複写でもよい。すでに印刷されているこの文章を手にしているならば必要はない。 アレイスター・クロウリー著による「魔術−理論と実践(Magick in Theory and Practice)」、および「法の書(The book of the low)」の別名で知られる「220の書」を用意する。 必要とあらばクロウリー著「Eの書」において必読書としてあげられている「易経」「ウパニシャッド(各ウパニシャ ド)」「パガバッド・ギーター(バガボンの書)」「死者の書」「ダンマパダ」「777」の中のできうる限りを入手する。 これらの書は実践の結果を判断するに必要であったり、直接に指針を与えてくれる書である。 または「チベット・メディテーション(c・マクドナルド著ペマ・ギャルボ/鹿子木大士郎訳)」「彼方」「印と真言」「黄 金の華の秘密」「タントラ」をできうる限り入手する。 これらの書は、実践の方法を示唆し、また実践の内容を解明し、また実践の結果を判断するに必要である書で ある。 これらの書物が指し示す方向が同じであり、互いに補完しあい、調和を生み出していることに注意すること。 必要な物がなくとも、実践を始めたまえ。 実践が必要な物を呼び寄せ、また生み出すことになる。 そして「日記」を用意すること。 「日記」とは、あらゆるメディアでかまわないので、理論の思索で書き留めておきたい記録、実践の結果をできう る限り書き留めるものである。 これは必ず用意されたい。 (GHfr.P.I.A.Lはハンディ・タイプのバインダー式手帳に、自作のフォーマットをほどこした用紙をはさみ、これを活 用し成功をおさめている。GHfr.S.S.D.Dはパソコンのデータベースを活用し成功を収めている。こうした工夫は楽し く、また有意義な作業である。) ここまでが準備の段階である。 2,瞑想 メディテーションがあらゆる神秘の実践に欠かせぬものであることは否めない。 UFO宇宙人崇拝者であろうと、キリスト教徒であろうと、黒魔術師であろうと、犯罪を行なうような偽宗教でも、あ らゆる地上の宗教者で、呼び名はどうあれ瞑想を取り入れぬものはない。 また超能力を手に入れる為でも、実力以上の力を発揮する場合でも、スポーツのプロもアマも、イメージトレーニ ングを主とした瞑想に反旗を翻すものはない。 こうしてあらゆる場面において、活かし、かつ有用な瞑想を行なわぬものはもはや人間ではないと言いたいが、 確かに長く生きているとこうした思索の一端もないような輩にたびたび出会うのだが、これらはエレメンタルがその 肉体をかりて現出しているだけであって、人と呼べるような代物ではない。 人は、肉体に人としての魂を宿してこそ人間であり、それ以外は、それ以外のなにかなのである。 瞑想は、おそらくはあなたがここに至るまでに大なり小なり実践されてきたはずである。 実践されてきたからこそ、こうして今、この文章に出会っているのである。 どこかへ行く乗り物の中で巡らせた思索、就寝前に寝具の中で想いをはせた精神世界、図書館や喫茶店で本 を読んだり読まなかったりしながらした考え事。 これらが初期の瞑想である。 この瞑想の段階を経て、自己の意思によって行なう瞑想の段階にはいる。 2つの瞑想の方法があり、一方は緊張によって行なう瞑想であり、一方は弛緩(リラックス)によって行なう瞑想 である。 前者は「集中」と呼ばれ、後者は「リラクゼーション」などと呼ばれることが多いが、中級者以上は肉体を緊張下 におき精神を弛緩させたり、または肉体を弛緩させ精神を集中させたりすることができる。 実際、リラクゼーションを行なうと、精神は開放した弛緩状態ののち、まるで自動車のエンジンがアイドリングして いるように、心臓の鼓動や肺の律動に呼応するかのように精神は律動し、脳の中の時間軸を爆走しはじめる。 この精神の乗り物に、「自己」を乗せて、己の精神世界の中を旅するのである。 目的が無いものは迷走であり(中級以上にはこうした作業も必要である)、目的(テーマ)をもって行なえばこれ はもう立派な瞑想である。 椅子に座る、床に座る、床に横たえる、ひざまづく、直立する。 これら5つの方法を中心に瞑想を行なうこと。 瞑想の課題は神聖な偶然が与えてくれる。 もし見つからないようなら「瞑想する精神状態について」「瞑想について」か「瞑想のテーマをなににするか」を瞑 想する。 ただし、途中で瞑想のテーマを変えたり、本題から逸れぬように万全の注意をはらい、テーマにそってどこまで自 分の精神がたどりつけるか試すこと。 この段階を経て、より高度で強力な訓練を積むことになる。 3、サイコメトリックス 物質的透視である。 基本的テキストであるEの書ではタロットの使用を薦めている。 タロットを使用する場合には「トートの書」もしくは「777」が必要となるかもしれない。 ハイテクの現代においては、ビデオや書物、その他のメディアが使用可能である。 書物の場合では、呼んだことの無い、しかも新品の書物(雑誌でもよい)を何冊かもちいると良い。 偶然に開いたページが製本の都合で開きやすくなっているページであることを避けるために、0−9の数字を持 つサイコロを用意し、これを2から3回ふってページを決定する。 しかるのちにメモ用紙に予測される語句を2、3書き留め、ページを開き吟味する。 音楽について書いてあるページで、内容が恋愛をたたえることに終始しているのに、「戦争」や「爆弾」の言葉を あげていたなら、これはまったく失敗である。 しかし、戦争のページに「暴力」や「爆弾」などの言葉を浮かべていれば、これはまったくハズレということはない。 こうして自分の透視と、実際とのズレやコツを自覚し、修正していくと、やがて自己の透視の可能性や、波、見え ない世界の偶然などを実感することができてくる。 シンクロニシティを強制的に引き起こし、一種霊感と呼ばれる視野が開けてくるかもしれない。 このように上達してくると、次にするべき実践が示唆されるか、開示されるだろう。 偶然か、故意の意志力によって出会いがあるかもしれぬ。 いや、そうして次の段階は開陳されるのだ。 4、実験 自己の精神と肉体の関係を実験し、観察せよ。 酩酊の状態を記録したり、酒や薬や刺激的な香辛料やあらゆる味覚の食物の摂取によって精神がどのように 変化するかを観察するのも良い。 またスポーツや遠足、登山などによる肉体的な限界を知っておくのもよい。 これらの観察結果は記録されるべきである。 観察の結果を瞑想するか、それに用いられた器具や摂取した物を使用したサイコメトリか、とにかくどんな形でも よいから吟味すること。 しかり、この吟味こそが魔術の術式を生み出す。 5,呼吸 4拍呼吸(吸う、自然に止める、吐く、自然に止めるを同じ時間ずつ、繰り返し行なう呼吸)をお勧めしておく。 より高度な呼吸法は、自己の精神の求めに応じて行なう。 呼吸法は10分、30分、1時間、2時間、3時間の単位で行なう。 途中で眠っては失敗。 瞑想するのではなく、精神も呼吸の維持にフルに活用し、それに集中すること。 肺の中の空気が浄化されれば、心身の運動能力はアップし、睡眠は目覚めたときのそう快さを約束してくれるも のとなる。 Oの書における神聖な振動は、こうした意識的な呼吸からしか生まれない。 ちょうど水泳のときの呼吸が、意識的なものであって、無意識の呼吸が水泳では「おぼれる」をもたらすのににて いる。 一日のうち、ある時間に意識的な呼吸をおこなうと、自己の意識が「単独」ではなく、他の意識の流れとともに潮 流に乗っていることに気づくかもしれない。 ともあれ結果は記録され、吟味されるのがよろしい。 6、儀式魔術 Oの書における儀式魔術を行なうが、書の無い者でも実践できるよう便宜をはかり、ここにOの書における「五芒 星の小儀礼」を紹介する。 部屋の中央、もしくはしかるべき中央に東向きに立ち、呼吸を整える。 まず「カバラの十字」をきる。 どちらかの手(利き腕で良い)の指を自然にそろえ、その先で額に触れながら「アテー」と唱える。そのまま手を下 ろし胸の中央に触れ「マルクト」と唱える。 同じように指先で右肩に触れ「ヴェ・ゲブラー」、左肩に触れ「ヴェ・ゲドゥラー」と唱える。 胸の上で手を組み「ル・オラーム・アーメン」と唱える。 ここまでが「カバラの十字」の作業である。 ついで魔術の武器(通常は魔術杖)で、地の召喚の五芒星を描く。 唱えるべき神聖な名前を知っている場合はそれを唱える。 次に南を向いて(すなわち時計回りに4分の1周)、同じように地の召喚の五芒星を描く。 西を向いて同じように五芒星を描く。 北を向いて同じように五芒星を描く。 東に向き直り、腕を広げるか、指を組むか、もしくは必要な所作をとり、次のようにとなえながら、その言葉の通り に思いえがく。 すなわち「わが前にラファエル、わが後ろにガブリエル、わが右手にミカエル、わが左手にウリエル。わが回りで五 芒星は燃え、足もとに六芒星が輝き、頭上に6つの星が輝く。」 しばし、思い描いた情景をしずかに観想し、霊的浄化を観想する。 もう一度「カバラの十字」を行ない、大きくノビをするなり、呼吸を整えるなりして儀式を終える。 これが「五芒星の小儀礼」である。 ここで用いられる「地の召喚の五芒星」とは、頂上の一点を頂点とし、左下に向かって引き降ろされる一辺から 書き始められる「星型(☆)5つの直線で構成される、5つの頂点を持ついわゆる一筆書きの星」である。 ごくたまに、この小儀礼で用いられる五芒星を、「五芒星の大儀礼」でもちいられる五芒星と混同して解説してい るテキストも見受けられるが、基本はここに書かれた通りで相違ない。 この儀礼が成功すれば、室内および儀式された場所が霊的に浄化されることになり、あらゆる瞑想や訓練、実 践の助けとなるものである。 こうした儀礼を繰り返しおこなっているうちに、偶然を装ってある機会が訪れるかもしれないし、強い情動にから れ自分からある機会に飛び込むかもしれない。 その機会とは、より高度な儀式と、より強力ななにかをもたらしてくれる。 注意深く、それを待ち、時が来れば休むことなく、また疑いもなく、それを実行するのである。 補足 結果が出たと思っても、それは最終的な結果にいたる通過地点にすぎないことをいつでも心しておくことが重要 である。 通過地点と結果を履き違え、「神になるべくして修行し、神になったと錯覚し、人を裁いたつもりになって、裁かれ るべきものになってしまった」などという笑い話が、本当になってしまうような「笑い話」の現世である。 山中や海中に生活する者がいて、他の人間とも接触を絶った場合には、他人からふりかかる火の粉や災いも最 小限に食い止められるだろうが、現代においても過去においても、人間が人間として生まれ、人間との縁を絶つこ との困難なこと。 今、この現在着ているであろう服でさえ、自分の生み出したものでも、作り出したものでもないことがそれを顕著 に表徴している。 さて今が通過地点として、どこからどこへゆく通過地点なのか。 それを決めることができるのか、その舵取りがはたして可能なのだろうか。 今一度、この文章のどこかに、それを解明するヒントがいくつかちりばめてある。 まずは一度、実践してみよう。 なに、つまらなければこの文章を破棄するなり、地に叩き付けるなりすればいい。 このようにして作業は順調にすすみ、完成にいたるのだ。 いつか完成にいたるのは、遅かれ早かれ否定しようのない事実なのである。 事実はいつの世も現れている、そして隠されている。 ha!thelema! DNA公式文書「魔術の実践教書」了