◆ 森野 欧二の「パソコンに向かう夫と顧みられない妻の関係」についての論考−その3





「少し前、渋谷Bunkamuraで、「ピカソ展−偉大なる天才の秘密−」を見に行った。「ピカソ」というと、’わけがわからない’ことの代名詞に使われる場合も多々あるが、実際は決してそうではない。ピカソほど、自分が人生を歩んでいく上で経験した事柄を、直接的に作品に表現した画家は他にない、ともいわれているのだ。
中に入ると、館内にはあらゆる世代や立場の人がおり、皆、真剣な表情で、一心に作品を見ている。必死に説明書きを写している学生、デザイン関連の仕事をしていそうな人、画家らしき人もいた。その中に、一組のカップルがいた。雰囲気からすると、彼のほうがピカソにゾッコンで、彼女はデートがてら付いてきた、という感じだ。私がそのカップルに注目したのは、彼がひとつの作品を、30分以上も見続けていたからだ。これは別に珍しい事ではない。優れた作品は、30分、いや1時間見続けても、飽きてくることがないのだ。しかし、彼らの場合、一緒にいた彼女が可哀想だった。「(つまんないよー)」と、心の中でつぶやいているのが分かるような仕草をしている。
パソコンも、この彼と同じように、はまり込んでしまうと、時間を忘れ、宿題を忘れ、「家族」を忘れてしまうことがある。では、実例の続きを考えてみよう。

「妻が今日一日あった出来事を話してはいるが、あいづちを何回かうつだけで、5分もすれば食事は終わり、再びパソコンに向かう。時間はあっという間に過ぎ、気が付くと、既に妻は寝床に就いており、仕方なく自分も目をこすりながら就寝に入る。」というものだった。この点でも、先回強調したように、意思の疎通を図るよう、’お互い’が努力する必要があるといえるだろう。会話は、いわばキャッチボールをしているようなものなので、妻だけがボールを投げ続けても、意思の疎通は図れないのである。あなたは、どのようにボールを取り、どのように投げ返すだろうか。この点で、声の調子や言葉の選び方はとても大切な点といえる。「もういい加減にパソコンやめてよ!」と命令口調で言うよりも、穏やかで、思いやりのこもった声で「あなた、お楽しみのところ悪いけど、そろそろ食事にしたいの、きりの良いところでこちらに来てくださる?」と言うほうが、良い関係を保っていく上で、はるかに勝っているのではないだろうか。また、5分で食事をしてしまうことに関してだが、個人差があるので一概に悪いとは言わないが、何時間もかけて作った料理ならば、もう少し時間をかけて、味わって食べてあげることも、感謝の表われに含まれるだろう。消化にも良いし…。
さて、次回からはいよいよ、読者の経験談も交えて考えていくぞよ。

その4に続く)

Copyright(C)1998 森野 欧二