1996年3月
初めてのソウル
1996/3/12
韓国に着くまでの機上では、今更ながら落ちはしないかと不安の面持ちで窓の外を眺めていた。国際線も始めてなので、機内食がとれるというのも初めての経験だった。いくらエコノミークラスでも国際線ともなれば違うな、と感じた。ドリンクのサービスも、国内線であればせいぜいお茶かコーヒーといったものだが、アルコール類も豊富で、驚いた(いや、それは常識か?)。往路は忘れたが、復路はジンジャーエールを飲んだ。そうこうしているうちに金浦空港に到着した。
韓国に入ってまずしなければならないのは入国手続きだが、その後の税関はとてもいい加減だった。何か申告すべきものがある人と、そうでない人とに分けられるが、後者は慎重そうなのに前者はただ申告書を渡せば、荷物も見ずにすぐ通されるというものだった。これでは、密輸があってもおかしくないと勘繰りたくなった。
税関を出た後はウォン貨への交換である。日本にはウォンに交換できる銀行が韓国外換銀行だけなので、円貨を現地に持っていくのが一般的である。そこで、自分も空港にある銀行の出張所で両替した。その時のレートはおよそ(100ウォン=12円)位であったのだが、一つ気付いた事に両替の際の端数の問題です。レートの関係上細かい数になるのだが、現在5ウォン、1ウォンといった硬貨は流通していないのか、10ウォン単位で多めに来た事である。銀行では手数料もとっているのでその分の損は仕方ないと思うが、日本ではまず考えられない。
韓国への到着は夜の八時頃だったので外は真っ暗で心配だったが、現地係員が名前の札を持って待機していた。同じ志を共にする人々がいて、一安心といったところだったが、一人という事が災いした。他の人はみんな2人以上だったので同じホテルだったようだが、自分は一人部屋なので一人違うホテルに移された。
名前を記入しルームキー(カード式)をもらいホテルのロビーで一人ぽつんと立っていると、ボーイがセーフティーボックスにパスポートを預けてくださいと言うので、それに従った後荷物を持っていってくれるのかと思いきや、何もしてくれないので仕方なく自分で運んだ(何もしゃべらなかったのも悪かったが)。
さて、その日は機内食が一応夕食であると考え、特に食事はしなかった。外に出る気力もないのですぐに眠った。ただ、室内の暖房が効きすぎていたのでベッドの上にそのまま横になった。暇つぶしにラジオをかけてみたが、九州のラジオが入ってきた。近いので当然といえば当然だが、何となく不思議だった。
1996/3/13
翌日の朝は、子供たちの声で目覚めた。と言うのも、ホテルの隣に初等学校があったからである。部屋が暑いので、窓を開けて外の様子を見ていたが、どこの子供も変わりはないな、と思った。ただ、これは違うなという印象があった。日本ではそれぞれ自由な服装で(特に公立の小学校なんかは)色彩豊かに彩られているが、韓国の子供たちは紺か黒の制服を着ており、その表情とは裏腹にどことない暗さを感じた。また、国旗が何らかの行事があるわけでもないのに、高々と掲げられていたのがまた印象的だった。
その日は韓国に来た大方の目的である、板門店観光に行く日だった。板門店観光の申し込みは今回のツアーとは別に、板門店観光を唯一主催している大韓旅行社の日本支店に独自に申し込んだ。ツアーはロッテホテルから出発するので、まずはロッテホテルに行かねばならなかった。市内の地図を見て地下鉄に乗って行ったのだが、降りるところを間違えてもう一度確認の上乗る羽目になった(後から考えればそこから歩いても行けたが、道が分からなかったのと時間もなかったので)。この時、細かい硬貨を持っていなかったので窓口で買ったのだが、最初韓国語が通じずに困ったが(多分声が小さかったからだとは思うが)、駅員の配慮で英語で話してくれたので(それまで韓国人と思って話をしていたが、外国人であると分かって)、何とか「次の駅」と言ってその場を切り抜ける事ができた。しかし、韓国語を勉強してきた身としては、英語で会話するというのは、何となく屈辱でもあった。
それにしても韓国の地下鉄は日本に比べて大きな違いがある。特に驚いたのは、切符を買うのは自動販売機だが、行き先のボタンを先に押してからコインを入れる事である。しかも、通常ソウル市内だけの移動ならば400ウォンで済む(この場合、Zoneというボタンを押す)。改札も自動だが、切符を入れればすぐ入出場できるのではなく、ちょうど改札の所に手押し式のレバーがあり、切符を入れた後に押して入出場する仕組みになっている。ただ、この改札の問題点は、手押しのレバーの下には40から50センチほどの隙間があり、無理をすれば無賃乗車が出来そうで、実際そのような人を見掛けた。自分が乗ったある地下鉄は行き先によって改札が異なり、これを間違えると大変な事になるものもあった。ただ、これは日本で言う山手線のようなもので、たとえ間違えても辛抱すれば目的の駅に到着できるが(ソウル地下鉄2号線)。
時間前に何とか、ロッテホテルの2階にある大韓旅行社のツアーデスクに着き、予約券を渡した。程なくガイドを伴って出発するのだが、参加者のうち1組がバスを間違えたために若干遅れた。これでいよいよ観光ができる、という安堵感から車窓を横目にゆったりと車内でくつろいでいた。ここに来るまでは結構大変だった。服装はジーンズ、サンダルのようなものは駄目、アルファベット表記のものは駄目等といくつかの規制事項があった。出発後、板門店に行くまでも様々な見るポイントがあった。昼食を途中に挟んでツアーは進むが、何しろ兵士の食事なのでとても簡素なもだった。話には聞いていたが、薄いグレープフルーツジュース、冷えたローストビーフ、クラッカーなど、食事というよりは寧ろおやつといった感じだった。
板門店への途上、様々な名勝等を見ながらバスが進んだが、軍事境界線に入るや否や、それまでの雰囲気が一変し、途中からは国連軍の隊員が同行して、まだここは緊張感の地域である事をまざまざと見せ付けられた感じだった。そうこうしている間に板門店に着くのだが、それほど切迫した感じはなかった。ガイドの話によると、観光客の為にわざわざ隊員が警備しているところを見せてくれているそうで、観光客が去ると隊員達も帰るそうだ。軍事境界線の最先端にある建物の中は、自由に行き来ができ、一時的に北に亡命?する事もできた。ここでも一部撮影が許されたが、背後にいた兵士が微動だにせずに観光客の撮影の的になっていたのが印象的だった。

↑マイクのコードが境界線になっている。

↑向こうに見える建物は「板門閣」と呼ばれる北朝鮮(朝鮮民主主義共和国)側の建物。手前左手の青い建物は南北会談などが行われる建物。建物と建物の間にコンクリートで敷かれたライン(下から2本目の線)が南北を分断している。
およそ7時間余りの行程の末、ソウル市内に戻ってきた。ロッテホテルに到着したが、隣接するロッテホテルに行った。ここでは、日韓辞典を購入した。書店では板門店でも売っていた本があったのだが、こちらの方が安かったので迷わず買った。その日は疲れて食事に出掛ける気力もなかったので、ホテルの中のレストランで食べた。驚いたことに税金等が10%近く掛かり、結構な額だった。その後疲れて早めに眠ったのだが、夜中の1時頃電話の音でたたき起こさた。電話の主は、写真屋だった。板門店観光の際の写真を届けに来たのである。
実のところ、韓国に行くのにはタイミング的に大きな懸念があった。それは、当時「竹島(韓国名で独島)」問題が噴出していたからである。しかし、それはそんなに大きな障壁ではなかった。確かに民族感情として反日的な態度を示す場合があっても、ビジネスとは別問題のようである。旅行社の態度からも感じられますし、ソウル市内を歩いていても、その風貌が韓国人に似ている事からトラブルに巻き込まれる事はなかった。このような態度は、日本も見習っていかねばならないものであると思う。そういう意味では韓国は日本に比べて大人なのかもしれない。
韓国の交通は、右側通行なのでなんとなく違和感があった。当然バスなどの乗り口も日本と逆側にあり、利用はしなかったが戸惑った。ソウル市内は特に交通量が多く、こんな状態でよく走れるなと思った。もう一つ気付いたのは、韓国の自家用車のナンバーは緑だという事である。バスやタクシーはどうだったか記憶にないが、日本は緑と言うとバスやタクシーを思い浮かべるので、驚いた。
1996/3/14
次の日は特に予定はなかったので、とりあえずソウル市内を歩く事にした。初め、かつての朝鮮総督府だった国立中央博物館が取り壊されるという事で、その前に是非カメラに収めておきたいと思って行った。博物館は景福宮駅の近くでしたが、よく分からないので地図を見ていると、駅員らしき人が「どこに行きたいの?」と聞いてきた(たぶん)。博物館は言い方が分からなかったので、「景福宮」と言うと、「出口がいくつかあるが、あちら側から行ける」というような事を言っていた(と思う)。
駅員の話は、はっきりとは理解できなかったが、とりあえず礼を言ってその場を後にした。外に行くと、その言っていた意味が何とか理解できた。それは、確かに国立博物館は取り壊し中だったのだが、博物館の側から出てくる出口が工事中で、遠回りをしなければならなかったからである。そして、それとはまた関係ないかもしれないが、市内の至る所に兵士が右往左往しており、物々しい雰囲気だった。そういえば、韓国の元大統領だった全氏や盧氏が逮捕され、裁判の真っ最中という事もあったので、厳戒体制を敷いていたのかもしれない。ソウル市庁の前もまた同じだった。

↑国立中央博物館。当時取り壊し中で、建物上部の尖塔はすでに取り除かれていた。

↑光化門。後ろにあるのが国立中央博物館。壁に囲われてこちらから見ることは出来ない。
ともかく国立博物館に入ってみると、見た感じどこへ行っても日本の博物館と変わりない造りだった。唯一違う点を挙げるならば、表記が韓国語であったという点である(当たり前だが)。しかし、十分見るには足りるだけのボリュームがあった。アメリカ人らしき観光客が館内の案内を受けていたので、自分も頼めばよかったと思った。館内の案内図には日本語のものもあり、とても配慮が行き届いていると思った。
その後、大きな書店を見たりしながらロッテデパートまで行った。そこにはロッテリアがあったので、朝食とも昼食ともつかぬ食事をとって(ブルコギバーガー=焼肉バーガーのセットを食べた)適当にぶらぶらしていた。その後、再びロッテデパートに行き、土産物等を免税店で買った。旅行社から人参石鹸と交換することができる券をもらっていたので、早速換えた。免税店ではその場で商品は手渡しないが、出発の日の空港の引き渡し所でもらうことができる。ここでは高麗人参茶の粉末と、口紅を購入した。その後は何をしたか記憶にないが、とにかくホテルに戻った。その日まで現地のガイドから何も連絡がなかったので不安だったが、その日の夜電話が来てほっと胸をなで下ろした。
財布を見ると、ちょっときついと思ったのでその日の夕食は何も食べなかった。考えてみれば、この3日ほどろくに食事は取っていなかった。生きているのが不思議なくらいだった。
1996/3/15
最終日の朝は、遅れをとるまいと早目にチェックアウトした。朝食も取ろうとは思ったが、結局やめた。ホテルの部屋にはミニバーがあったが、余計なお金をかけたくなかったので全く手を付けなかったが、お陰で割増料を払わずに済んだ。
時間通りバスの迎えが来たが、何しろ自分1人だったので恥ずかしかった。途中土産物店に立寄ったが、後から気付いたことながら、割増の土産品を思いっきり買ってしまった。大体日本円で通用するというところがうさんくさかった。もろこしや焼酎、明太子を買ったが、焼酎は同じ物を日本で買った方が安かったのには驚いた。次からは注意するとして、一応これも教訓になった。
帰りの機内では、これで帰れるんだ、という気持ちで一杯だった。飛行機が成田に到着したときには、本当にほっとした。あいにく雨で、空はどんよりと曇っていたが、心は晴れ晴れしていた。財布には帰りの運賃分も残っておらず、一瞬戸惑ったが郵便局のキャッシュカードがあったので、何とか引き出すことが出来た。
電車に乗って家へと急いだが、あいにく雨はやまず、仕方なくそのまま行った。傘はさしていたが、荷物まではカバーできず、家に帰って荷物を開けてみるとあちこち水浸しだった。しかし、平穏な家庭に戻って来られただけでもよしとしなければならない。家に戻ると、今まで韓国に行っていたのが嘘であったように思えるほど家は変わっていなかった(これも当たり前だが)。
日程としては3泊4日という短い旅ではあったが、ここから得るものはかなり大きかった。異文化に触れるという事で、改めて日本の良さを感じる事もできたし、何より自分一人で計画して旅行に行ったわけなので、今後また旅行をする上でもいい教訓になった。また、得体の知れない所であると最初は反対していた両親も賛成して送り出してくれたのも有難かった。
また近いうちに、それも遊ぶというわけではなく、歴史の勉強のためにもう一度行きたいと思っている。