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| 第1話 いざマレーシアへ出張
1981年9月18日に私は自分の人生の大分かれ道に出会った。私が勤めていた某Nシステム建設は大手通信機器メーカーN社の工事を請け負いマレーシアで大規模名な電子交換機の据付プロジェクトを獲得した。当時マレーシアでは、日本からはそれまでH社の旧型クロスバー交換機という機械的にカチャカチャと動く交換機を収めていたのを、新しく電子交換機に切り替えることになった。 マレーシアの2年前にはN社はアメリカにこの電子交換機の一号機を納入し、世界的な実績を勝ち取っていた。 そのアメリカにも私は据付人員として一年半滞在した。 アメリカから帰国して2週間で、課長にマレーシアへ行ってくれと言われた。 が〜ん、と私の頭から音がした。「マレーシアってジャングルの国じゃないか〜!」 当時の新聞ではマレーシアでは発砲事件が相次ぎ、どうのこうのと書いている。 こんな国に行くの〜〜〜。 第一次計画として13箇所に交換機を据付けることになっている。11個所は既に派遣人員が決まっており、まだ2箇所残っていた。 一つはタイピンという静養地、もう一つはコタバルという場所。 タイピンは私の先輩が「おれはここに行くから、お前はコタバルにいけよ。」と私に言い渡した。 これが私の今後の一生を決めることになろうとは全く夢にも見ていなかった。 出張に先渡り、生活必需品をしっかりと買い込んだ。 下着、日用雑貨、日本食、麻雀セット(必需品)、雑誌、単行本等これだけで仕事に携帯する荷物より多くなる感じだった。 そう言えば、成田の空港で数万円の手荷物超過料金を払った記憶がある。 コタバルへは私を含めて4人飛び立った。 先ずは首都クアラルンプールへ降り立った。 飛行機から降りると一面になにか酸っぱいあの生ゴミのような匂いが漂っている。 なんだ、この匂いはと思っていたがこれはココナッツミルクの臭いだと後で分かった。 ココナッツミルク自体がこんな臭いではなく空気に触れて長時間経つと発酵してこんな臭いになるのである。 クアラルンプール、来てみると案外高層なビルが立ち並び都会ではないか。そこから北北東ぐらい、飛行機ボーイング737で約45分のところにコタバルがある。クアラルンプール(以降略してKL)に比べて、コタバルはなんと田んぼのなかに飛行場があり、やたらにバナナの木が多かったのが印象的だった。ここはケランタン州の州都でもある。 KLのような高層ビルはないが、せいぜい2〜3階立ての建物が並んでいる。中にはスーパーのようなところもあり、日用品は事欠かないことが分かった。 ジャングルの中に降り立つと思っていたのが全くの見当ちがいだった。 昔中学校で、シンガポールという地名を聞いていたが、実はシンガポールはマレーシアから独立した国だったのを知ったのは私だけだった(皆さんはそんなことぐらい覚えていますよね〜)。
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