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第2話 マレーシア人は英語が得意
高専を1979年に卒業し、その年に目出度く社会人となった。就職が決まったのは早い方だった。何しろ、海外でも仕事をする会社だ。 配属されたのは伝送部門の設計だった。ここまでは面接の時の希望通りだった。 この時期、N社はアメリカで電子交換機の受注に成功し、大きなプロジェクトが始まりかけていた。 当時の社長K氏はコンピュータ&コミニュケーションなどと提唱し大きな賛同を受けている。 そして、それが今、現実化しつつある。 このプロジェクトに対して、当時の人員では人が足りなく私が入社した同期の者たちは殆どが、このプロジェクトを遂行していた交換の部門に配置換えされた。 半年ほど訓練を受け、いざアメリカに出張することになった。 初めて乗った飛行機が国際便だった。 成田から夜行便で翌朝ロサンジェルスに到着した。 タクシー(イェローキャブ)に乗り込むと、運転手がいきなり 「チャワン」と言ってきた。 何?こいつ私が日本人だからチャワン”茶碗”などと言うのかな? と、思っているとまた、「チャワン」ときた。 こいつ〜と思いつつ「えっ」と日本語で聞きなおした。何回聞いても「チャワン」である。ただし、その前後に何か言っているが聞き取れない。 何回か聞いているうちに実はチャワンではなくチャイニーズと言っているのが分かった。 そうか! お前は中国人かと聞いているのか。 休みの日など家の近くにアメリカ人の子供が遊んでいるのを見ていた。 みんな英語をしゃべっている。 当たり前のことではあるが、 やはりアメリカだなと思った。 しゃべって言葉を覚えていくことをこのとき学んだ。 1年半アメリカに滞在し、少しは上達して帰国した。 そして、2週間後にはマレーシアへ出張である。 マレーシアへ来てみると、普通に皆が英語をしゃべっている。 小学生までしゃべっている。 なんで、マレーシア人は英語が話せるんだ。ビザの更新で隣国シンガポールに出たときもシンガポール人がきれいな英語を話している。 アメリカ人が英語を話すのは当たり前だったが、マレーシア人、シンガポール人が英語を話すのはくやしい気がした。 それもその筈、昔、ここはイギリスの領地だったためで、学校も昔は全て英語だったそうだ。 これで納得。 島国日本は隔離され、単一民族のため他国語は必要でなかった。 賢く勤勉な日本人はコツコツと英語を日本語に翻訳しては出版して来たし、自分たちの技術があるからこそ、日本語だけでやってこれた?
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