第四話     2001年6月09日

マレーシア人も脅かされれば木に登る  

カテゴリー : 歴史

第4話 マレーシア人も脅かされれば木に登る
 

 私が派遣されたところはコタバルというところだった。日本人は3名で実際に日雇いの労働者を雇って電話局を設置する土台作りから始まる。 今回、N社が受注したのは交換機をトレーラーの中に設置した簡易電話局みたいなもので、新規に電話局舎を建てるよりトレーラーに収まった交換機の方がはるかに安く、また、移動も容易である。 N社の前は日本からH社が旧型クロスバー交換機を納めていたが、今回N社が電子交換機を納めクロスバー交換機と取り替えになった。

 日雇い労働者を集めるのに現地のコントラクターを使った。このコントラクターは結構な年寄りで年は多分60歳を越えていると思う。 名前がハジ・サレーという。 日本語だと「恥去れー」となり妙な名前だと思った。 しかし、このハジは恥ではなく、 メッカに巡礼に行った人のみが授かる聖者のような称号であることを教わった。 サレーというのが名前でイスラムの人の名前としては一般的な名前である。 さて、このハジ・サレーが我々日本人に対して、「班長」とか「はい、分かりました」とか日本語で喋ってくるのである。 最後には「見よ東海の空明けて、、、」と軍歌まで歌い出すのである。 「なんだ!」とも言う。 こちらもつい、「なんだ!」と唸ってしまった。 

 話を聞けば、第二次世界大戦の時に実は日本軍がこのコタバルからマレーシアに上陸し、遥か、シンガポールまで自転車で南下したそうだ。これが、いわゆる銀輪部隊だと後で知った。 私は日本軍が東南アジアまで遠征に出たことは習った記憶があるが銀輪部隊など知らなかった。 色々と日本軍がした事を聞かされたが、現地の人が面白く可笑しく語ったのがこの「マレーシア人も脅かされれば木に登る」だった。

 南国マレーシアでは至る所に特に砂浜近辺には椰子の木がたくさん生えており、この椰子の実がマレーシア人の生活に切り離せない重要な資源である。 椰子の木は高くなり、椰子の実を採る手段としてはサルを使うことがしばしばである。 首に鎖をつなげたサルをおだてて木に登らせ、下から右、左、と言ってサルに椰子の実を落とさせるのである(サルをおだてるのは本当かどうか知らないが)。 人間が登る場合もあるがそれは素手、素足でよじ登っていき、これは熟練した者でないと到底できるものではない。 

 それを、上陸した日本軍は現地の人を捕まえて、椰子の実を採って来いと命令。 拒否すれば首が飛ぶ。 命には摩り替えられず已む無く登ったそうだ。 日本軍のおかげで椰子の木に登れるようになったと言われた時は、何とも言えない複雑な気持ちだった。 戦後生まれの我々はなんと答えていいのか分からなかった。 ハジ・サレーが笑いながら話すのでこちらも「ハハハ」と笑って受けたのだが。 この話はマレーシアの至る所で聞かされる話である。
第3話   ハローはちょっとすみませんの意

今のマレーシアは30年前の日本   第5話