Prologue
昭和60年夏、息子の誕生後すぐに夫の転職が決まり、仙台のアパート暮しから一転、
岩手の夫の実家に入り生活することになりました。
岩手県某郡某所、そこは大自然に満ち溢れたところでした。
春には山菜の採り放題、夏にはすぐ脇の沢でつかまえたヤマメや沢蟹を食べたり、あ、
そうそう、裏の畑にカモシカが遊びに来たこともありました。
自然に囲まれているということは、不便さもいっぱいということ。
水は沢からホースで引いているので、水圧が弱い上に、元の部分に枯葉がたまったりする
とすぐ出なくなるので、大雨の中、懐中電灯を持って山の中に行かなければならないこと
もしばしば。(今考えれば、衛生面で非常に大きな不安がありますが、ビョーキになった
ことはなかったから大丈夫?!だったんでしょうねぇ)
我が家より奥にはもう家がない、というほどの山奥だったので(標高が高いという訳では
ないのですが)新聞は配達されません。
無理に頼んでもその部落(?!)の入り口に近い家までしか配達してくれないので、取りに
行かなければならないのです。
一番近いスーパーまでは車で30分。
仙台から荷物を運んできてくれた引越し会社のお兄さんが、私に「これから大変ですねぇ」
と、しみじみ言っていたのを今でも思い出します。
そして、話には聞いていた「若妻会」、本当にあったんですよ。
構成はナント、20代〜50代まで様々。どこが「若妻」なの?と不思議に思ったのですが、
お姑さんが現役であれば40歳だろうが50歳だろうが「若妻会」会員なのだそうです。
私も開き直って、そういう生活を楽しめばよかったのかもしれませんが、初めての子育
てと、生活環境の急激な変化、友達のいない淋しさなどがどっと押し寄せ、ちょっとした
パニック状態になっていたのでしょう。どんどんバカになっていく自分の姿が見えてしま
いました。社会から隔絶されてしまったような気がしてメチャクチャ焦りました。
妊娠で16kg増えた体重も一気に20kg減り、精神的なストレスとはこんなにも強烈なもの
なのかと身をもって実感したのもこの時です。
(何かしなきゃ、何とかしなきゃ)毎日毎日ただそればかりを考えていたある日、郵便局
で1冊のパンフレットに出会ったのです。
郵便局から毎月発行されている小冊子で、ケント・デリカットさんがゲストだったと思い
ます。詳しい内容は忘れてしまいましたが、とにかく「ペンパルを持とう」という内容と
「日本郵便友の会協会」の紹介でした。
(これだ! これしかない!)
海外文通は、高校時代にアメリカの女の子と5〜6回手紙のやりとりをしただけの、経験
とも言えない経験があるだけでしたが、これで外界(?!)とつながりが持てる、そう思いこみ、
ためらっている暇などありませんでした。
すぐさま申し込み、初めてのペンパル、シルヴィア・ベバ(ドイツ人)を得たのでした。
シルヴィアとは現在も楽しく文通を続けています。
私におきた出来事は、全てつつみかくさず手紙に書いているので、ひょっとしたら心のつ
ながりは日本の友人よりも強いかもしれません。
辛いことの方が多かった岩手での生活、でも素晴らしいペンフレンドを持つことができ
たのも岩手にいたおかげだと思っています。人生何が幸いするかわかりませんね。
少し長くなってしまいましたが、これが私が海外文通を始めることになったきっかけです。
