Fake Sunshine―3years ago―


 僕は、ただ走っていた。
 暗闇の中、一人きりで。
 ・・・僕は、狂っている・・・?
 そんなことは・・・ない。
 狂ってなどいない。

 「ならば、何故、あんな事をした?」 

 ああ、どれだけ走り続けただろう。もう、ここがどこなのかすら分からない。
 ああ、記憶が交錯する。この腕に残る感覚は何だ?
 僕は何をしたんだ?何故、走っているんだ?何処に向かっているんだ?
 走るのをやめ、道端に座り込む。
 瞳を閉じ、回想を試みる。
 −そうか、そういうことか。
 そして僕は、狂っている自分を確認した。

 瞳を開いて最初に飛び込んできたのは、懐かしい人物の顔だった。
 「あれ?朔也・・・?こんなところで・・・何をしているんだい?」
 懐かしい声、懐かしい口調。僕は、15年前に立ち戻ったような感覚を覚えた。
 「・・・・・」 
 「まあいい。とにかく、ここじゃ風邪をひいてしまうよ。家においで」
 廃人同様の僕に、彼は尚も話しかけてくれた。そして、僕の手を取り、歩き出す。
 彼のことだ、きっと、僕が何も言わなくても、ある程度察してくれたのだろう。
 ああ、本当に、あの頃のようだ・・・。
 結局僕は、またも逃げ出すことができなかったというわけか。
 とある大きなマンションの4階。
 そこが現在の一葉の住処であった。部屋の内部の趣味もあの頃と変わらない。
 彼は、部屋の隅にあるソファーに僕を座らせると、温かい紅茶をすすめてくれた。ダージリンのほのかな香りが漂う。
 「彼の中の僕」が好んだ香りだ。
 僕は、軽い吐き気を感じた。
 「どうだい、結婚生活も、もう慣れただろう?」
 彼が僕の向かいに腰を下ろしつつ、質問する。
 「・・・まあ」
 「・・・そうか。・・・ふふ、あまり、いい気分ではないね。この年になってまで嫉妬心を抱くとは思わなかったよ」
 と、彼が皮肉っぽく言う。
 「で?その熟年夫婦の旦那さんは、あんな所で何をしてたんだい?」
 「・・・あの日と同じ・・・家出だよ」
 それを聞いて、彼は何やら嬉しそうな顔をした。いや、僕を嘲笑っているのかも知れない。
 「全く・・・進歩のない奴だな、君は」
 「何とでも言ってくれ」
 紅茶をすすりながら、僕は答えた。
 彼も、自分のカップ−おそらくコーヒーだろう−に口をつける。
 「ってことは、あの日のように、当てもなし、かい?」
 「・・・そうなるね」 
 「ふふっ、君のそんな顔、今でも好きだよ」
 照れもなく、彼が言う。職業柄、慣れているのだろう。
 「しかし・・・あの頃とは違う。もう、こんな年だ。あの頃のような元気は無いよ。現状は過去よりも悪いかも知れない」 
 「そんなことはないさ。元気はないが、今の君は独りでも生きていける。金もあれば経験もある。・・・違うかい?」
 彼なりの慰めだろうか。
 「まあ、そう言えなくもない」
 「なら、大丈夫だ。あとは、君の思うようにすればいいさ」
 そう言うと、彼は、テーブルにカップを置き、付け足すように言った。
 「とりあえず、今日のところは家に泊まっていくと良い」

 その日・・・僕は夢を見た。
 それは、まるで実際の出来事であるかのようなリアリティをもって、僕に迫る。
 ああ・・・この顔は、僕の顔だ。形の良い眉、やわらかな瞳、白い肌・・・。
 僕は、その白い肌にそっと口付ける。それに反応して、もう一人の僕が吐息を漏らす。
 指を滑らせ、肩をなぞり、胸へとたどる。
 そして僕は、僕自身と繋がった。
 今まで体感したことのない、心地よい充実感。
 決して届くはずのないものに、手が届いたのだ。
 そして、僕が呟く。
 「・・・お父さん」
 その声は、高く、未成熟な響きをもっていた。
 ・・・?
 どこかで・・・聞いたような。そんな声。
 僕は、夢の中で、記憶の糸を手繰った。
 そして僕は、再び気付いた。
 ああ、僕ではない。この腕の中の人は、僕ではない・・・。

 眩しい光が・・・射し込む。
 あの時と同じように、僕はカーテンをぴったりと閉じた。
 一葉は、すでに仕事に出かけているようだ。
 僕は、ベッドから這い出し、洗面所へと向かった。
 顔を洗い、歯を磨く。
 そしてそこで、僕は、最愛の人を目の当たりにした。
 ・・・僕は結局、変わることなど出来なかったのだな・・・。
 もうしばらく、一葉の世話になろう。彼のことだ、きっと笑って許してくれるだろう。あの日のように。
 僕はそっと、目の前の鏡に写る僕自身に口付けた。


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