終焉の夏


――1――


 このできそこないめ――。

 故郷にいる頃。
 自分が、陰でどう言われていたかくらい知っているつもりだ。家柄のせいか直接耳に入ることこそ無かったが、逆に、その家柄のせいで余計に酷く言われていたことも事実だろう。
 米国を、世界を敵に回した大戦の最中――。
 肺に病を抱えた僕が「できそこない」扱いされることは、ある意味当たり前だったのかもしれない。
 そしてその劣等感は、田舎の長崎から療養に出た先――福岡にやってきても、消えることは無かった。
 父の紹介で入院することになったこの病院では――父の権力のせいで――僕はお客様扱いだ。戦況は悪化し、武器はおろか食料すらままならぬ状況も、扉一枚隔てたこの個室には無縁らしい。
 何せ、ここに居るだけで一日に二度の飯には間違い無くありつくことができる。毎日、医者の診断を受けることができる。
 窓の外に広がる世界から、侮蔑の目が、嫉妬の目が向けられているような気がして――僕の肺は、また痛くなった。
 嗚呼、僕のようなできそこないは、お国のためにも死ぬべきなのだ。
 キット、故郷の人々が言っていたことも、この病室の大きな窓から注がれる眼差しも、どちらも正しいのだ。少なくとも、僕の存在よりは。
 しかし、だからと言って自殺する勇気も無い。僕は――臆病者だから。
 父は、所謂「子煩悩」と言われる部類の人間で。
 恐らく、仕事柄――政治関連の仕事なのだが――本当に信用できる人間が家族くらいしか無いからではないだろうか。この僕の異常な現状は、その辺りに原因があるわけだ。だから、父のためを思うのならば僕は死んではいけない。父の人形として生きる――それも悪くないか、と自嘲気味に思う。
 咳が出る。
 誰も居ない病室に、その音が妙に響き渡った。
 自殺などしなくても――どうせ、僕の命は長くない。
 僕は、臆病者だから。だから、それで良いと思った。真綿で首を締められるように、緩やかに死んでいこうと思った。
 それならば、父も許してくれるだろう。
 故郷の皆も、許してくれるだろう。
 惰弱な奴め――。
 誰かの声が聞こえた気がしたが、僕は聞こえない振りをして、布団の中に潜り込んでいった。


 穏やかな春の日差しが徐々に強くなっていく――皐月の日。
 病室を吹き抜ける、少し長めの髪を揺らす風が心地良い。
 もうじき、夏がやって来る。それまでにはこのだらしなく伸びた髪を切らねばなるまい。
 そんなことを考えていると、不意にコンコン、と扉を打つ――ノックする――音が聞こえた。
 「はい」
 そういつものように短く答えると、ぎぃという音と共にゆっくりと扉が開いた。
 「宗一君――気分はどうかな」
 少し背の高い白衣の老人が、声を発する。もっとも、老人と言っても白髪のせいでそう見えるだけで、実年齢は恐らく50代前半といったところだろうか。
 「すこぶる快調ですよ」
 「ホッホッホッ。それは良いことだ」
 老医師に、嫌味は通用しなかった。
 「気持ちだけは負けちゃいかんからのォ。それで良い」
 言って、いつもの診察に移る。
 体温を測り、聴診器を当てる。そして軽い打診と問診。
 僕の病は、はっきり言って今の医学で治るものではないらしい。しかも、医薬品や器具等の不足したこの現状では――キット、延命すら難しいのだろう。
 目の前の担当医は、いつも難しい顔で診察している。
 「大丈夫、気を強く持て」
 そして最後に必ずこう言うのだ――。
 「病は気から、と言うだろう」
 苦笑混じりの溜息を吐き、僕はヤレヤレと頷く。科学的であるべき医者が言う言葉ではないだろうに。
 しかし、僕はそんな老医師が嫌いではなかった。彼は、僕を一患者として扱ってくれる。異常なまでの特別視をしないのだ。それが、何とも心地良かった。だから嫌味の一つも言えるのだろう。
 「では」
 笑顔でそう言うと、彼はそそくさと部屋を後にした。
 「ありがとうございました」
 聞こえているかどうか分からないが、僕はいつもこんな感じで礼を言う。何となく気恥ずかしいから――だろうか。
 ――そして、また一人になった。
 たまに看護婦がやって来る以外は、僕は一人だ。軽い外出は許可されているが、自分から外に出ることは無い。
 孤独は好きではなかったが、奇異と侮蔑の目で見られるよりはマシだと思った。
 だから僕は、よく窓から外を眺めた。特別眺めが良いわけではない。そこはただの庭だ。これが二階や三階ならばまだ眺めも良かったかもしれないが、生憎ここは一階なのだ。
 その広い庭で遊ぶ子供――近所の子かここに入院している子かは知らない――なんかをただボンヤリと眺めている。
 特別、面白くも何とも無い。ただ、そうする他にすることが無いというだけだ。
 時折その子らと目が合う。大抵は微笑っていると無邪気に笑い返してくれるのだが、稀にその母親などがまるで見てはいけないものだと諭すかのように子供をしかりつける時がある。流石に――そうそう慣れるものではなく、その度に胸が痛くなるのだった。
 子供たちは、いつもと変わりなく遊びまわっている。
 ここも、田舎といえど空襲の可能性が無いわけではない。そうなったら――この子らはどうするのだろう。こんなに楽しそうに遊んでいるというのに。誰も、それを邪魔することなどできないはずなのに。
 自由に遊びまわる見えない翼は、いつでも簡単に引き千切られるということか。
 理不尽だと思う。しかし、それを口に出すことは許されない。
 ますます、理不尽だと思う。
 と、その時。
 僕の視界に、突如小麦色の物体が飛びこんできた。
 「ん――」
 目を凝らす。それは、風に飛ばされた帽子――麦わら帽のようであった。女性物なのであろう、赤いリボンが結んである。
 麦わら帽はゆっくりと空を滑る。一瞬の突風で高く跳ね上げられ、今まさに舞い降りてくる瞬間といったところだ。
 ――こちらに向かっているな。
 それは、ドンドンこちらに近寄ってくる。手を伸ばせば届くかも知れない。
 期を見て、ひょいと手を伸ばす。
 僕の鈍った反射神経にしては奇跡的に、右手はそれを捕まえることができた。・・・否、帽子が偶然右手に引っかかったと言うべきか。
 何にしても、誰の物とも分からぬ麦わら帽を手に入れてしまった。どうしたものか。
 僅か、僕が逡巡していると、右側の――その帽子が飛んできた方、つまり風上の方から女性の声が聞こえた。
 「すみません――その帽子、私の物です」
 軽く駆けながら、彼女はそう言った。
 「ああ――」
 言って、その女性――少女に目をやる。
 白のブラウスと、お揃いのスカアト。簡素ながらも、どこか気品溢れるものがある。髪は長く、後ろで一つにまとめられていた。
 僕は・・・その姿に、思わず見惚れた。
 「わざわざ拾って頂いて、有難うございます」
 いつの間にか目の前に寄っていた少女に、少しどきりとする。
 衣服の白に近い、真っ白な肌。
 大きく見開かれた瞳。
 僅かに紅の差してある唇。
 それらを近くで見て、もう一度見惚れた。
 「どうか、されましたか。お具合でも悪いのでしょうか」
 その心配そうな声で、僕は我に帰った。
 「ああ、すまないね。大丈夫、何とも無いよ――はい、帽子」
 「あ、有難うございます」
 帽子を手渡すと、少女は嬉しそうにそれを被った。
 その姿が、また不思議に――美しかった。
 女性というには幼く、子供というには大人びている。そんな中間の魅力。
 「お顔が――赤いですよ。やはりどこか――」
 「いや、いや・・・そんなことは無いから。大丈夫だから」
 焦ってうわずった声は、どこか言い訳めいていて。我ながら情けなくなってしまった。
 「しかし・・・帽子、飛んでいかなくて良かったですね」
 「ええ。私、肌が弱くて・・・この季節になるともう帽子が必要になるのです。これが無いと、すぐに顔が赤く焼けてしまいます」
 「そうですか・・・」
 僕が言うと、少女はくすっと笑った。
 「それでは、私はこれで失礼致します。有難うございました」
 「あ――」
 行ってしまう。
 酷く――酷く、切なくなる。
 「あの」
 呼び止めよう。そう思う前に、口が動いていた。
 「はい」
 少女が、軽い疑問の顔で上半身だけをこちらに向ける。
 「あの――こちらには、よく来られるのですか」
 「いえ・・・今日が初めてです」
 それはそうだ。僕は毎日ここから外を眺めているのだから。こんなに目を引く少女が居れば、気付かぬわけが無い。
 「母が・・・こちらに入院したので、そのお見舞いに」
 「ああ、そうだったのですか・・・」
 会釈をして、再び向き直って歩き始める。
 「あ、あの、もう一つ」
 ぴたり、と少女が足を止める。
 こちらを振り向く前に、僕は言った。
 「また――こちらにいらっしゃいますか」
 びゅう・・・。
 風が吹く。少女の長い髪と、白いスカアトがなびく。
 そのなびく髪とスカアトを押さえながら、少女はこちらを向いて、ゆっくり頷いた。そして、言う。
 「今度は――もう少しゆっくりとお話し致しましょうか」
 もう一度、にっこりと笑う少女。
 僕は――久しぶりに、何だかとても嬉しくなった。




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