バースデー・プレゼント


 「くすっ。ハルったら、こんな本読むんだ?」
 からかうように、下着姿の冴子が言う。
 「ああ・・・妹からのプレゼントさ」
 僕は、のそのそとベッドから半身を出し、けだるげに答えた。
 「あ、なるほど」
 納得したようにうなずいて見せる彼女。
 「コレ、私も読んだよ。女子中高生向けのレンアイものでしょ?ハルが読んで面白いの?」
 「まあ、ね」
 ――だってその本は、僕にとって特別なものだから・・・。

 小さな頃。
 妹のユキは病弱で、一緒に遊んだことなどほとんど無かった。
 そのためだろうか、妹というものがどんな存在なのか良く分からなかったものだ。
 ただ、両親からは、
 「ハル、ユキを守ってあげてね」
 とよく言われていて、僕は素直にその言いつけを守っていた。
 正直、煩わしく思ったこともある。
 しかし、それ以上に強い使命感のようなものを感じていた。
 ・・・ユキは、僕が側に居るだけで良いと言ってくれた。
 それだけで元気になれる、と。
 逆に、しばらく構ってやれずにいるととたんに塞ぎこんでしまい、それに伴って病状も悪くなってしまう。
 ――守ってあげなければ。
 僕は、自らの全てをユキに捧げることを誓った。

 それから数年後、僕はもうすぐ16歳、ユキは14歳になった夏。
 ユキはだいぶ元気になっており、休みがちではあるもののしっかりと学校に通えるほどになっていた。
 「お兄ちゃんのおかげだよ」
 優しい瞳のユキが言った。
 「・・・別に、何もしてないさ」
 照れ隠しに、わざと素っ気無く答える僕。
 「ううん、お兄ちゃんがいなかったら、私、きっとあの時のままだった。・・・大好きだよ、お兄ちゃん」
 柔らかな沈黙が僕らを包んだ。
 そして二人、ごく自然に口付けを交わす。
 優しく、うっとりとするような口付け。
 ゆっくりと唇を離すと、そこには瞳いっぱいに涙を浮かべたユキがいた。
 「あ、あれ、おかしいなぁ」
 慌てて目を擦るユキ。
 微かに朱に染まった頬が愛おしい。
 今度は僕の方から、少しだけ強引なキスをした。

 ユキの16歳の誕生日。
 僕は、プレゼントにと前々からユキが欲しがっていた小説を買った。
 少女向けの可愛らしい表紙に、レジでは少し恥ずかしい思いをしたものだ。
 (まあ、ユキが喜んでくれるならいいか)
 そう思い、僕は急ぎ足でユキの待つ家へと帰った。
 「わぁ、お兄ちゃん、ありがとう!」
 予想以上のユキの反応に、僕の方まで嬉しくなる。
 「そんなに高いものじゃなくって悪いけどね」
 「ううん、お金じゃないもの。お兄ちゃんが私の欲しがっていたものを覚えていてくれた、それだけで良いの」
 大事そうに本を抱きかかえ、ユキは満面の笑みを浮かべた。
 僕はもう、それだけで幸せだった。
 ・・・ずっとこのままでいたい。
 心から、そう願っていた。

 それから二ヶ月後、僕の18歳の誕生日。
 大学進学という進路を選んだ僕にとって、おそらく最後になるであろう、実家での誕生日・・・。
 正直、迷っていた。
 別に、大学で学ぶことにこれと言った目的があるわけではない。むしろ、その目的を探すために大学に通うようなものだ。
 それならばいっそ、この近くで就職した方が良いのではないだろうか?
 そうすれば、ここに留まることができる。・・・ユキの側にいることができる。
 しかし、両親も教師もなかなか納得してくれなかった。
 「君くらいの学力があれば、進学に全く問題は無いんだよ?それとも、どうしても就職したい先があるのかい?」
 ・・・答えられなかった。言えるはずが無かった。
 この世界では、僕とユキが抱く想いは強い禁忌なのだ。
 「いえ・・・でも、大学に行ってもやりたいことなんて・・・」
 やっとの思いで、それだけの言葉を紡ぎ出す。
 「フフ、贅沢な悩みだね。・・・まあ、今はそうかも知れない。でも、やりたいことを探しに大学へ行くのも良いんじゃないかな」
 何てくだらないことを言う人間だろうか。
 僕には、ずっと前から決めていた目標があるのに。
 ――あと、半年か。
 結局皆を説得できなかった僕は、取り敢えず大学進学という形をとった。
 僕は・・・僕はユキを守っていたいのに。
 そしてその日の夜、僕の部屋。
 「お兄ちゃん・・・何か辛いことでもあったの?」
 不意に背後から聞こえたその声に、僕はハッと我にかえった。
 「何でも・・・無いさ」
 今の、情けない顔を見られたくない。
 僕は振り向かなかった。
 「・・・嘘だよ、お兄ちゃん・・・」
 背中に、あたたかなものが触れる。そして、ユキの両手が優しく僕を包んでくれた。
 「辛いことがあったら、言って?私には・・・何もできないけれど・・・話を聞いてあげることくらい、できるから」
 ・・・そんなユキの想いに、僕は涙をこらえるので精一杯だった。
 「うん・・・ありがとう」
 声が震えるのを抑えつつ、そう答えた。
 「あ、そうだ。お兄ちゃん・・・お誕生日、おめでとう」
 「え・・・?」
 両目を擦ってユキの方に向き直ると、彼女は一冊の本を差し出していた。
 ――あの時、ユキにあげた小説。
 ただ、それはもちろん僕がユキにあげたものではなく、ユキが最近買ったものなのだろう、綺麗にリボンが掛かっている。
 「どうしても・・・お兄ちゃんに読んで欲しいの。どこに行っても、私のことを覚えていてくれるように・・・」
 ユキはまるで、僕の全てを見透かしているようだった。
 こらえきれなくなった涙が、一粒だけ、僕の目から零れ落ちて行った。

 それから数日後。
 教室でぼんやりしている僕に、先生から知らせが入った。
 「晴之君!君の妹が・・・病院に運ばれたらしい!」
 「えッ!?」
 寝耳に水。僕はそれ以上話も聞かず、慌てて学校を出て病院へと向かった。
 ・・・あんなに元気だったのに。
 強いとまではいかないものの、もう普通の人と変わりないくらいになったはずなのだ。
 病弱だった子供の頃とは・・・違うはずなのに!
 「ユキ!」
 病室のドアを開き、叫ぶ。
 ユキは・・・いつもと変わらず。
 美しい髪、白い肌。
 しかし、その瞳は・・・閉じられたままで。
 「・・・ユキ?起きろよ、ほら・・・。目、覚ませよ・・・・・・ユキィ!」
 返事は、無く。
 「お兄さんですか?由希子さんは、交通事故で・・・」
 誰かが何か言っているようだ。
 でも・・・僕には何も聞こえない。
 そう、僕の全ては止まってしまったのだ。
 最愛の人と、共に。

 「たしか・・・中世を舞台にした話だったよね。何か、今思い返すとどこが面白かったんだろうって感じ」
 本を手にしたまま、冴子がごそごそと僕の隣にもぐりこんできた。
 そして、パラパラっとページをめくる。
 「あぁ、そうだそうだ。ヒロインの相手のナイト様が実の兄、っていう設定が何だかドキドキものだったんだよね」
 昔を懐かしむように、彼女は言う。
 「・・・まあ、男の僕には良く分からないけどね」
 嘘だった。
 「やっぱり?そうよね、こういうのって女のコの感性だもんね」
 パタン、と本を閉じ、枕元に置く。
 「それにしても・・・妹さん、ハルのことが好きだったんじゃない?」
 「・・・何だよ、急に」
 「だって、この本をプレゼントするっていうことは、そういうことなんじゃないの?誰だって、男の人がこのテの本を純粋に楽しむなんて考えないよ。ってことは・・・ね?」
 「妹からのメッセージ代わり、ってこと?」
 「御名答」
 ぴっと僕を指差し、彼女は悪戯っぽく笑った。
 「・・・今となっては、分からないことさ」
 僕は、力無くそう呟いた。
 「どうして?今でも想い続けてるかもよ?」
 「・・・もう、いないから・・・」
 「あ・・・」
 ようやく察したのか、冴子は申し訳なさそうに押し黙る。
 わずかな沈黙の後、彼女は切なそうに言った。
 「・・・死んじゃった人には、敵わないかな」
 「ん?何だって?」
 本当は、きちんと聞こえていたのだけれど。
 「ううん、何でも無い」
 明るい声でそう言うと、彼女はその両手を僕に絡めてきた。
 彼女の体温が、僕の肌に直接伝わる。
 でも。
 僕は、そんな冴子に心から答えることなんてできはしないのだ。
 体は反応しても、心の方はあの日のまま――
 ユキと共に凍りついてしまっているのだから。
 ・・・それでも・・・僕は、生きている。
 何も無い平坦な日々を、ただ怠惰に・・・。



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