祖母が死んだ日。

※「和泉の日記。」掲載時のものに加筆・修正を行っています。


――2/15(水)――

 会社に着き、いつものようにPCを立ち上げてすぐ、父から電話があった。

 祖母が亡くなったらしい。

 つい昨日、母から
 「危ないかも知れない、週末にでも一度帰っておいで」
 との連絡を受けてはいたが、あまりにも急すぎる出来事にさすがに動揺した。
 すぐ帰るから、と伝えて電話を切ると、すぐさま自社への手続きを行って博多駅バスターミナルへ向かった。
 頭の中をひとまず落ち着けようと思い、故郷への高速バスの中で読む本を物色。なるべく中身が空っぽでくだらないような漫画を選んで購入した。
 平日の朝だけあって、バスはガラガラ。そんな中でぼんやりと、本当にぼんやりと本を読んだ。
 取り敢えず今は、何も、考えたくなかった。

 バスが到着する寸前、母からメールが届いた。
 「直接斎場に来てください」
 一言だけのメールから向こうの慌しさを感じ、詳しい場所は知らなかったが
 「分かった」
 とだけ返信した。母に、ほんの僅かでも余計な手間をかけさせたくなかった。
 きっと――あの気丈な母は、今回も頑張りすぎていると思ったから。

 バスターミナルで斎場の場所を尋ね、急いで向かった。
 「和泉家控え室」と張り紙がされた部屋へ入ると、母が一人お経を唱えていた。
 お母さん、と呼びかけた時、振り向いた母の目は赤く、疲れ果てていた。
 そして母の向こうには、横たわる祖母の姿が。
 祖母の顔は痩せこけ、実に痛々しい。そして顔の右半分には何故か大きな痣ができていた。
 「ベッドから起き上がろうとして、バランスを崩して顔を打ったのよ」
 母が言うには、1ヶ月ほど前から祖母は幻聴、幻覚に襲われていたらしい。
 更に訊くと、直接的な死因は呼吸に必要な最低限の筋肉がなくなったことによる呼吸障害のようなものだったらしく、自然、脳に血液が回り難くなって幻覚を視る――ということだ。
 何でも、入院中に子供が尋ねてきたような声が聞こえ、気になって立ち上がろうとしたのだという。
 ――たとえ幻聴でも、子供の声を聞けた祖母は、嬉しかっただろうか。

 控え室にいたのは母だけで、父と弟は祖母の部屋を片付けているということだった。
 祖母の部屋には、祭壇を置くらしい。
 そのためには、ベッド、衣類、その他諸々の日用品を全て別の部屋に押し込める必要がある。
 おばあちゃんの日用品も、全部捨てなきゃね――。
 寂しそうに、母はそう呟いた。
 間もなくして、父と弟二人が斎場に着いた。正月に会っていたので、特に大仰な挨拶もなく、一連の準備の打ち合わせを行った。
 まずは納棺の準備をするということで、遺体を洗ってもらい、死化粧をしてもらう。
 全てを終えると、目の前で祖母の遺体は棺へと納められた。
 棺は通夜の式場へと運ばれる。そして様々な親類、友人らから贈られた花と、遺影が飾られた祭壇の真中に置かれた。
 遺影は、父が選んだ写真を加工して作られていた。元の写真は浴衣姿だったのだが、CGで喪服にされていた。
 何だか少し、納得がいかなかった。

 通夜が始まる直前、ようやく父の兄弟が到着した。
 「おばあちゃんの死を報せた時に、帰ってくると即答したのはお前だけなんだ」
 苦々しい表情で、父は言った。
 兄弟仲が悪いことは聞いていたが、なるほどそんな兄弟なら不仲にもなるだろうと呆れ果てた。
 せめて葬式や入院にかかった費用くらいは全額出させてやるんだと息巻いていたが、意外と気弱で人の良い父にそんなことが言えるのかは甚だ疑問ではあった。
 ともあれ、そんな親類も一通り揃った。
 通夜は、滞りなく執り行われ、父は涙声で参列者へ挨拶をしていた。そして――それが終わるや否や、伯父達は控え室で酒を飲み始めた。父と母は、遅れて断続的にやってくる参列者達の相手をしているのに。
 ――悲しくて、酒でも飲まなければ正気でいられなかったのか。それとも本当に只の碌でなしだったのか。
 どちらにしても腹は立ったが、両親は我慢している(もしくは諦めている)ようだし、ならば話をややこしくすることもなかろうと敢えて何も言わなかった。

 途切れ途切れにやってくる参列者への対応と、蝋燭・線香の守を父と伯父達に任せると、ひとまず斎場を後にした。
 家に着いて時計を見ると、既に日付は変わっていた。
 実に慌しく、悲しみに浸る間もない一日だった。
 しかし、こんなときまで不仲を引き摺る伯父達の姿だけは、悲しかった。


――2/16(木)――

 告別式は、午後1時から行われた。
 通夜式と違ったのは、葬儀屋の過剰な演出があったことだろうか。
 家族内の思い出話をアナウンスで読み上げ、祖母が好きだった美空ひばりの曲を安いシンセで演奏する。
 家族も参列者も泣いていたが、何故そんなもので泣くのかさっぱり分からない。
 思い出なんて他人のアナウンスをトリガーにして懐かしむものではないし、むしろちょっとアンケートを取っただけで分かった風な話をされると腹が立つばかりだ。
 一人そんな状態で何だかばつが悪い思いをしていたのだが、告別式の最後に棺の蓋を閉じる直前、急に涙が溢れてきた。
 今はまだ、祖母は祖母の姿を保っている。
 動き出しても、何ら不思議ではない程に。
 だけど。

 これから目の前の祖母は、焼き払われてしまうのだ。

 髪も肌も肉も内臓も、全て焼失してしまい、骨だけになってしまう。
 やめて――やめてくれ。おばあちゃんが、無くなってしまう。全部、無くなってしまう。
 焼かないで。まだ、死んでいないかも知れないから。
 そんな子供染みた思いが頭の中をぐるぐる駆け巡って、急激に悲しさが膨れ上がってきた。
 人間が死ぬことなんて、充分過ぎるほど知っていることだ。脳も筋肉も働かなくなって、二度と元には戻らない。
 喋らない考えない目覚めない――動かない。
 それらは全部、本やテレビで見聞きしていたし、他の動物の死ならたくさん見てきたから、対象が人間になったところで容易に想像できることだ。実際、目の前に横たわる「死」は、イメージと寸分違わぬものだった。
 だけど、それでもこの脳は、完全な理解ができていなかった。
 意識の深い部分で、納得していなかった。
 ああ――そうか。だからヒトは、葬式という式を打つのだった。
 ふと、そんなことを思い出した。
 目の前に寝ている人はもう死んだのです。二度と起き上がることはないのです。
 そんな当たり前のことを、脳の奥の奥まで真に理解させるために、儀式を行うのだ。
 実感を伴うと、知識として持っていた概念がよりリアルなものになる。
 そうすれば・・・人の死が曖昧でなくなれば、幽霊となって彷徨うことなどあるはずがないと理解できる。
 思うに、これを以って、「成仏」というのではないだろうか。
 死んだ人間の魂が云々、といったことではなく、遺された生者の中で区切りをつけ、現世にはもういないのだと理解することで――。
 だからきっと、これで祖母の幽霊に会うことはないと思う。
 少しだけ、寂しいけれど。

 家族の方で棺の蓋を閉めてください、と言われたが、結局蓋に手をかけることはできなかった。
 棺の中一面に敷き詰められた花と、好きだった音楽のカセットテープ、それらに囲まれた祖母の顔。
 それを見ているだけで、精一杯だった。
 棺は霊柩車へと入れられ、皆で火葬場へと向かった。ついに、祖母を火葬するのだ。
 最後にもう一度だけ棺の窓を開け、祖母の遺体を確認する。そこには間違いなく祖母が納められており、そしてやはり生き返ることなく眠り続けていた。
 もう、全て焼いてしまわねばならない。
 とうとう脳も観念したらしく、涙は出なかった。
 棺の蓋を閉め、火葬炉へと入れられる。
 全て焼き終えるまで約2時間、遺族は待合室で待たされることになる。
 待合室には、大勢の先客がいた。どうも、火葬をしにくる人数は日毎にばらつきがあるらしい。ガラガラの時もあれば、今日のように混みあっていることもあるということだ。
 月の満ち欠けが人間の死に影響する、という話を聞いたことがあるが、実際の話を聞くとやはり不思議なものだ。
 そんな中、伯父の一人が帰ると言い出した。
 拾骨まで待っていたら、帰りの飛行機に間に合わなくなると言うのだ。
 それはまあ、分からないでもない。これ以上死を悲しむのも無意味だという考え方もあるだろう。
 しかし、飛行場へ行く前に長崎名物のちゃんぽんを食べて帰りたいなどと言っている。そんな時間はあるというのか。
 最後まで怒りを腹に溜めたまま、型破りな伯父を火葬場から見送った。

 2時間程して、拾骨を行った。
 骨壷の下から、足、胴、頭という順で遺骨を入れていく。
 骨はぼろぼろに砕け、あまり原形を留めてはいなかった。
 一般的にそういうものなのか、それとも祖母の骨が特別脆かったのか。それは分からなかった。ただ、黙って骨を納めていった。
 その骨壷を抱え、家へと帰る。
 昨日の内に作っておいた祭壇の一番上へ、骨壷を置いた。その下に遺影、位牌と続けて置く。
 そして改めて祭壇を見ると、やはりCGの遺影は頂けないと思いながらも、祖母の死をひしひしと感じた。

 通夜式を行って、告別式を行って、火葬して。
 そうしてようやく、祖母の死を受け入れることができた。
 福岡に離れて暮らしているため、なかなか祖母に会うことができなかったこともあって、他の家族よりも理解するのに時間がかかったようだ。
 やはり――あまりに急すぎた。


――2/17(金)――

 2月17日。
 ある程度近所からの弔問客が落ち着いたこともあって、祖母の遺品の整理を始めた。
 父と母は、それでもまだたまに訪れる客の対応や、葬儀費用についての兄弟間のモメ事などで相変わらず忙しそうだった。
 両親共に、疲弊しきっているのは明らかだった。やはり、3日間の休みを会社に申請して正解だったと思う。
 これでも長男だから、弟達だけに任せるわけにもいかない。最終的にはもちろん任せないわけにはいかないのだが、今日までは、せめて。

 遺品整理をしていると、やはり懐かしいものが出てくる。
 それなりに立派なアクセサリや着物類は、ある程度親類に送ることになったが、それ以外のものは殆ど捨ててしまうという。
 残していても、仕方がない。
 そうして、大量のものを捨てたが、まだまだ整理は終わらない。取り敢えず日常生活に差し支えのないレベルまで片付けたから、ひとまずはお役御免といったところか。
 後は、申し訳ないが弟達に任せる他ないだろう。
 急いで帰り支度をすると、弟にバスターミナルまで送ってもらった。
 帰りの高速バスの窓から見える景色は、ここに住んでいた頃とは随分変わっており、そして――昔からずっと嫌っていた街のはずなのに、何だか名残惜しくさえ感じるようになっていた。

 おばあちゃん。
 僕は――少し大人になったかな。
 心残りは、彼女を「彼女」としてじゃなく「お嫁さんです」と紹介できなかったこと。
 今度、ちゃんと彼女を連れてお墓参りに行くね。
 その時に、ちゃんと「お嫁さんです」と紹介するからね。
 少し遅れてしまうけど、おばあちゃんの言う通りに、心の優しい人だから。
 いっぱい、いっぱい祝福してね。
 おやすみなさい、おばあちゃん。




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