――1――



 ナミとは、見合いで知り合った仲である。
 双方、結婚を前提にという条件の下で会い、話し、逢瀬を重ねて今に至るが、実際結婚となるともう少しかかるやも知れぬ。
 別に嫌い合っているわけではない、と、思う。ただ、互いの距離は出会った頃とそう変わらないと言える。無論、これも僕の勝手な推測ではあるのだが。

 「そんな難しい顔をなさって。また、お仕事のことを考えているのでしょう?」
 一寸だけ高級な店、テーブルの向こう。
 柔らかな雰囲気を持った長い黒髪の女性は、僕に対してまるで見当違いなことを言う。
 しかし――少し困ったように、控えめに拗ねたように呟くその姿を見れば。
 「ああ、まあ、そんなところです。すみません、ナミさん」
 と、情けなく誤魔化すしか術はなかった。
 すると彼女は、今度は明らかに悲しむように続けるのだ。
 「折角、こうして一緒に食事をしているのですから。マシロさんがお忙しいのは理解しているつもりですが・・・」
 僕は苦笑して嘘を重ねる。
 「ええ、本当にごめんなさい。ちょっと、疲れているのです」
 「あ・・・い、いいえ。私の方こそ、出すぎたことを」
 恥ずかしそうに目を伏せるナミ。
 実に――できた人だと思う。
 男性を立てる女性が無条件に素晴らしい、などと言うつもりは毛頭ない。しかし、彼女の言葉や振る舞いは、どれを取っても刺がない。嫌味がない。誰も損をすることがない。
 だから――やはりできた人なのだと、素直にそう思う。
 正直、僕なんかには勿体無い程に。

 彼女とは、週に1度くらいの頻度で今日のように食事をしている。見合いの日から、もう3ヶ月くらいになるだろうか。
 そこで互いの話をして、徐々に理解を深めていこうという狙いである。
 この3ヶ月、少しずつとはいえ様々な話をした。
 どんな子どもであったか、どんな家庭で育ったか。好きな食べ物、好きな作家、好きな場所。昔のこと、今のこと、未来のこと。
 しかしそれでも僕のような鈍い男には分からないことが多く、未だ彼女の全体を捉えることは難しい。
 間違いないのは、彼女がこの上なく魅力的な女性であるということ。もしこんな人と本当に結婚できれば、それはさぞ幸せであろう。
 ・・・そう。結婚を前提にという付き合いであるが、具体的な結婚話には至っていないというのが現状だ。
 ナミに気後れして、ということもないわけではないが、それが決定的要因とは言えない。全ては、先にも述べた通りの理解不足のせいである。
 僕には未だ、彼女が分からない。
 より正確に、具体的に、端的に言うなら。

 何故彼女が、僕と直接的な接触を避けているのかが理解できない。

 何も、婚前交渉を求めているわけではない。
 彼女は、くちづけはおろか――手を握ることさえも拒否し続けているのだ。
 嫌悪からではなく、恥ずかしさからのものであることは態度や表情で分かる。古風な考え方の女性だから、そういう一面もあるだろう。
 しかし、結婚を前提に交際している男女が3ヶ月もの間指先すら触れたことがないというのは些か異常ではあるまいか。
 焦ることはないと自らに言い聞かせているが、さすがに不審に思っていることも事実である。
 勿論、臆病な僕が、そんなことを伝えてしまえるだけの勇気を持ち合わせているわけもなく。
 その日も、会計を済ませて彼女を家まで送り届けて終わりといういつも通りの予定であった。
 「じゃあ、今日はこれで」
 ナミの家の前まで送り、僕は手を上げ別れを告げる。
 だが、そこで彼女はいつもと違う言葉を口にした。
 「マシロさん。来週――」
 「・・・来週? どこか、行きたいところでもありますか?」
 ナミは、一度大きく息を吐き、決心したように言った。
 「来週、『ミナ』に会って頂けませんか」
 ミナ。
 それは。
 「ナミさんの、双子の――」
 「ええ、妹です」
 ナミには、ミナという双子の妹がいる。と言うより、肉親は今現在その妹だけだそうだ。
 そのミナは、数年ほど前に事故に遭い脚を負傷してしまった。今ではもうすっかり良くなったが、精神的な衝撃からか未だ車椅子の生活を送っているとのことだった。
 「それは構いませんが、また・・・どうして?」
 「マシロさんには、妹を知っておいて頂く必要があるからです。あの子は、まだマシロさんが思う当たり前の生活はできません。もし私と・・・その、結婚、して・・・頂けるのであれば。あの子のことは最低限知っておいて頂きたいのです」
 なるほど、と僕は思った。
 結婚すれば、ナミとは他人ではなくなる。ナミの妹は、僕の義妹だ。であれば、「結婚前に相手の家族に会う」という以上の意味がそこにはある。
 例えば、ミナの面倒を僕が見ることだってあるかも知れないのだから。それは、ナミの立場であれば当然過ぎる程に当然な話であった。
 「はい、承知しました。来週は、ミナさんにお会いしましょう。直接、こちらに伺えば良いでしょうか?」
 「ええ、申し訳ございませんが、そうして頂けますか。時間は、いつも通りで。当日は私が料理をしますから、家で3人で食事をしましょう」
 ナミは、いつもより少しだけ嬉しそうな顔で提案してきた。
 ――これはつまり、ナミも僕との将来を真剣に考えてくれている証拠である。
 随分ゆっくりではあるが、二人の仲が進展していることが実感でき、僕もまた、いつもより少しだけ――嬉しくなってしまった。

 そして当日、いつもの時間。いつもよりも上等なネクタイを締めて、だけどなるべく気負わないように――と、あれこれ考えながらナミの家を訪ねた。
 「ごめんください」
 が――家人からの返事は一向になく。
 どうしたことだろう、と僕はゆっくりとノブに手をかけ、扉を開いた。
 シンと静まり返った玄関。
 木造で年季の感じられる家だが、隅々まで掃除が行き届いており古さや汚さは一切感じられない。ふわりと鼻腔をくすぐる香りは棚の上に活けられた花のせいだろう。
 正面には短めの廊下が伸びており、突き当りとその左手にはひとつずつ部屋がある。少し手前にも扉があるが、風呂か何かのようだ。
 「ごめんください――ナミさん、いらっしゃいますか」
 僕は改めて、来訪を告げる。
 再び、静寂。
 たっぷり10秒ほど経って、正面の部屋から、彼女が姿を見せた。
 「ああ、ナミさん」
 否、これは。
 「・・・あれ・・・いや、ミナ、さん?」
 そう。
 ナミの顔で。
 ナミの姿で。
 だけど、髪は短く――何よりも、車椅子に乗っている。
 彼女は、ミナは、僕の顔をジロリと睨んでこう呟いた。
 「ふん、本当に来たのね」
 「え――」
 「煩わしいったらないわ。姉さん自身のことに、私を巻き込まないで欲しいものね」
 ナミと同じ唇から、ナミとは到底かけ離れた言葉を発する。
 それはどこか忌まわしく、そしてどこか蠱惑的であった。
 「あ、ええと・・・ミナさん、ですよね。僕は――」
 「マシロさんですね。話は姉から常々伺っております。今後とも姉をよろしく。さようなら」
 言って、器用に車椅子を操り反転する。
 「いや、ちょ、一寸待ってください」
 「何か?」
 振り向かず、撥ね付けるように言う。
 「今日は、お互いの紹介が目的と伺っています。私の名前はもうご存知のようですし、私もマシロさんのことは伺っていますから、顔を合わせればそれで良いでしょう」
 「それは、その、そうかもしれませんが」
 自分でも情けないほどに狼狽えてしまう。それほどに、その声はナミそのもので。そして、ナミ本人は到底口にしないであろう拒絶的な物言いが衝撃であったのだ。
 「ふ、ふふふ」
 そんな僕を嘲笑うように。
 彼女は、ゆっくりと体をねじり視線だけをこちらに向けて。
 ミナと同じ唇の端を、歪に持ち上げて。
 「なるほど、姉さんが好みそうな男ね――姉は、弱い男を舐め回すようにいたぶるのが大好きなのよ」
 と、今の僕には到底理解できないことを言って、部屋へと戻った。
 その後何度呼んでも、ミナは――そしてナミも、顔を見せることはなかった。

 「本当に、本当に申し訳ございません」
 夕食の約束を反故にされたその日。僕が家に帰り着くなり、電話が鳴った。
 もしやと思い受話器を取ると、案の定ナミであった。
 そして彼女は、何度も何度も、痛々しいほどの涙声で謝り続けた。
 聞けば、今日は急用で約束の時間に家を空けていたそうなのだ。10分程度遅れてしまうから、その間はミナが僕を持て成すように言い残していたということだが――結果はあの有様だ。
 帰って僕がいないことに驚き、ミナに問い質して、慌てて電話したのだという。
 「マシロさんには何と謝れば良いか・・・私が約束を守らなかっただけでなく、妹も大変な無礼を働いたようで」
 「あ、いえ。ナミさんが悪いことは何もありません。ミナさんも・・・姉の婚約者と会うのが気まずかっただけではないですか?」
 本当に僕のことが気に食わなかったという可能性も捨てきれないが。というか、あれはもう嫌悪の発露以外の何物でもないように思う。
 「ええ・・・あの子、まだまだ子どもなのです。気に入らないことがあればすぐ癇癪を起こしますし・・・でも、今回のことはマシロさんにもご迷惑が」
 「それはもう、本当に気にしないでください。僕も、実際のところあまり気にしていませんので」
 またさらりと嘘を吐く。悪い癖だとは思うが、あまり直そうとは思えなかった。
 「はい、ありがとうございます。私からも、きつく言っておきますので、どうか・・・どうか、お許しください」
 「ええ、大丈夫ですよ」
 と、それから更に3度ほど謝罪を受け、ようやく電話を終えた。
 しかし、あの妹――。
 本当にナミと双子なのか訝しんでしまう。
 見た目はほぼ同一人物といって良い。違うのは髪形くらいのものである。だが、あのきつい物言いや態度は一体どういうことなのだろうか。
 極度の姉依存で、僕に取られることを恐れている・・・?
 考えられないことはないが、あの態度はどこかその姉すらも軽蔑しているように見えた。
 ともあれ、僕の今日の目的は到底達成できたとは言えないだろう。
 いずれ、ナミとは結婚したいと思っている。そうなれば、ミナとも家族になるのだ。ミナの状態から考えて3人一緒に暮らす可能性は非常に高い。
 ある程度嫌われることはこの際やむを得ないが、それでもきちんと、面と向かって話をするべきなのだ。そうでなければ――元々他人なのだから、家族になんてなれるわけがない。
 やはり、結婚の話が具体的になる前にもう一度会っておきたいと思う。
 きっとそれは、ナミも望んでいることだろう。
 僕はすぐに折り返しナミに電話をすると、もう一度――今度は逆にあまり堅苦しいことは抜きに会って話をしたい、と伝えた。
 ミナは一体、何を思っているのか。
 僕は、知る必要がある。義務がある。
 ナミと同じ顔をした、もうひとりの家族――。
 どこか不思議な、苛立ちにも似たような感覚に捕らわれながら、僕はその日眠りについた。




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