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夜の住宅街は、切なくなるほど静かで。 君と二人、歩き慣れたこの道もこれで最後なのかと思うと、尚更切なくて。 小さく合わせた歩幅を、更に少しだけ小さくして――僕は夜空を見上げた。 そこには、当然のように細い三日月が輝いていて・・・。 わずかに先を歩く君が、くるりと振り返る。 「・・・どうしたの?」 「・・・空」 「そら?」 「うん・・・キレイだね」 つられるように、見上げる君。 「そうかな。いつも通り・・・だよ」 「いつも通り・・・かもね」 「変なの」 言って、君は小さく笑った。 君が無理をしていることは、この僕の目から見ても明らかだった。 1時間前、いつものデートの終わりに、君から「別れ」を告げられて――その時の悲しそうな顔が、僕の胸に焼き付いていたから。 悲しいね。今の僕なら、君の想いも少しは理解してあげられたはずなのに。 だけどそれは、所詮儚い願い。 僕は・・・さっきからずっと訊きたかったことを口にしようとして、やめた。 まだ、勇気が足りない。覚悟が足りない。 「ねぇ」 「ん?」 「最後に・・・手を繋いで、歩かない? ほら――いつもの、あの曲がり角の手前まで」 ――そう。いつも、あの曲がり角の手前まで君を送って行ってたんだっけ。その先まで行くとお父さんに見付かっちゃうから・・・だからあの曲がり角の手前まで、って。 「そうだね・・・じゃあ、最後に・・・」 言いながら、僕は右手を差し出す。 「せめて今日までは、恋人同士でいようか」 「・・・うん」 そっと、ぎゅっと握られた手は、いつもと同じ小ささで。いつもより少し冷たくて。 君の家が見えはじめる、あの曲がり角まで――あと50メートル。 僕らは、歩幅を更に小さくして。 無言で、歩く。 一歩、一歩。 今までの出来事を、今までの思い出を、踏みしめるように。噛みしめるように。 「貴方の手・・・暖かいね」 「そう?」 「うん。暖かいよ・・・いつも、そう思ってた。貴方に触れると・・・抱きしめられると、すごくすごく、暖かくなった。他に何も要らないって・・・思えるくらい」 街灯が、ちらちらと光を投げかける。明滅するそれは、視界の端にいる君の存在をどこかおぼろげにするようで。 「本当はね、貴方のこと、まだ好きなんだよ。あの人のことよりも、ずっと、ずっと、貴方のこと好きなんだよ――」 「・・・うん」 決して、自惚れじゃなくって。それは君が僕に教えてくれていた。今まで気付かなかっただけで・・・無言で、だけど強烈に、君は僕を愛してくれていた。 今、隣を歩く君は――きっと、泣いている。 だから僕は、あえて隣を見ないんだ。 今、僕がどんな言葉を発しても、きっと君には伝わらない。 「どうして・・・私が浮気なんかしたのか・・・貴方には、わからないでしょう?」 ――それは、僕がさっき言いかけたこと。 言い出せなくて、胸にしまったままにしておいたこと。 ・・・君が、僕のもとを離れて行く理由。 「ごめん。やっぱり・・・わからない」 少し間を置いて、僕はそう答えた。 本当は、わかってる。 わかってるんだけど、認めたくなかった。 「私が浮気をしたのも、その理由が貴方にわからないのも。貴方が――」 月の光と、街灯の光を、同時に浴びながら。闇を切り裂く幻想的な女性の唇が、揺れた。 「――私を愛してくれなかったからよ」 嗚呼、僕は、ぼくは・・・。 ・・・無言。 そして何も言えないままに、僕はただ君の視線を正面に受けとめる。 一瞬の攻撃的な色。それはやがて諦めにも似た色に変わって行った。 その全てを、僕は受け止めなければならない。それは僕の義務だ。たとえ言葉を発することができなくとも――。 握られた手に、微かに力が込められた。 「ほらね、何も言い返せない」 挑発的な言葉とは裏腹に、どこか切なそうな瞳。 うっすらと涙を湛えて、君は――微笑った。 曲がり角まで、あと10メートル。 君は不意に立ち止まり、体ごと僕の方へと向き直った。 「愛していたわ。・・・さようなら」 そして、繋いだ手を離す。 ・・・やっぱり、離したくない。 だけど僕に、彼女を引きとめる権利なんて無い。 君は僕を見つめる。 僕は視線を逸らす。 再びの無言。 1秒。2秒。3秒・・・。 そして4秒目、君が動いた。 僕の首に腕を回して、不意打ちのキス。 「――バカ。貴方なんて、大嫌い」 呆気に取られる僕を置いて、君は一人で歩いて行く。 さっきまでよりも、少し大きな歩幅で。 僕はじっと、小さくなる背中を見つめてる。 それでもやっぱり、僕には言葉は無くて。 ただ、いつもの――キスのあとの煙草の味だけが残された。 この夜の中。 曲がり角の向こうで、君も泣いているのだろうか。 | |