我が家の運転手


我が家の最初の運転手さんの名前は「シャハリ」。前任者からそのまま雇わせて頂いた。
高飛車のようだが、外国人やある程度の社会的ステータスのある人は、「運転手」「メイド」「ベビーシッター」を雇うのが当たり前の国。
我が家は車が一台なので「社用・家庭用」として、車と運転手さんを使いこなさなくてはいけなかった。(この弊害については後に触れますけど)

空港であった時「うわぁオヤジだ・・・。」と思ったので、聞いてみたらヤッパリオヤジで「年下の外国人に使われる事に抵抗は無いのだろうか?」と心配してみたが必要はなかった。
真剣な顔をすると「強面系」にもみえるし、頼りがいがある。
しかもドアのロックは忘れても、私たちのドアの開閉は忘れない。彼のこだわりはそこ一点にあるようで、私がドアノブに手をやろうとすると、凄く慌てて飛んで来る。
これは「社用」に使う時には、お客様に非常に好評だったらしく、彼はプロだと思わせてくれた。(自分がやってもらうときは、恥ずかしいものだけど)
ひとつだけ彼は、私達に「Bapak」(年上の人に使う敬称)をつける事を要求していた。
その時は年上なのだからと素直に従ったが、ジャカルタ生活で、運転手に「Bapak」を付けて呼んでいる人には最後まで出会わなかった。 要するに高い自意識・プライドの持ち主なのだ。(これに因る弊害は後日色々出てくる)

この人は真面目で、約束に関しては信頼出来る。しかし肝心の運転は「?」、その上にどうも要領が悪い。
この国ならではのシステムに「Car Call」がある。(自分の運転手を「出入り口」まで呼び出すアナウンスで、このカウンターはジャカルタ中の建物に必ずあります。雇い主に呼ばれるまで、運転手さん達は駐車場でズーっと待っています。)
最初は「なんて高飛車なシステムなんだ!」と思った。それにまた、これが便利なんだか不便なんだかって感じ。

荷物が沢山あったりするときは非常に有難いのだけど、何度呼んでも車が来ないときには本当にイライラする。
後にお猿は「そごう」で、45分間も荷物を持ったまま待たされる経験をする。 恋人でもない人を45分「ジッ」と待つのは非常に辛い。
待っているその間に「そごう」にやって来た友人が、買い物を済まし先に帰ってしまっても、私はズーっとシャハリを待っていたのだ。当然、呼び出しは何度も掛けている。
涼しい顔でやってきた彼に、私が怒りを押さえながら「何度も呼んだんだけど、何でこれなかったの?何かあったの?」と聞いても涼しい顔で「聞こえなかった。ココのCar Callは良く聞こえないんだよ」で済まされてしまう。(他の人の運転手達は出てこれるんだけどねぇ・・・。)
帰ったら食べようと買った「出来立てだったはずのチーズバーガー」はすっかり冷えて、夕食用に買ったお肉からは思いっきり水が出ていた。

さらに「地図」が読めない。(これが俄かに信じがたいが、インドネシア人には結構多いらしい。聞いてみると図面がゴチャゴチャしていて、実際の道とリンクする感覚がよく解らなくて、面倒くさいのだそうだ。)
標識や看板もほとんど見ない。だから当然「目的地」を探すのも非常にヘタクソなので、此方で探して場所を説明するが、それでも間違える。(^^;)
以前、「なまけもの」は郊外のお客さんの会社に伺う時、降りる高速のインターまで指示したにも関わらず1つ先のインターで降りられ、挙句の果てに「迷子」になられ大遅刻し、その日のスケジュールをぐちゃぐちゃにされ発狂したことがある。

小額と言われようと「身銭」切って雇っている相手である。
何度も辞めてもらう事を検討したが、その人柄ゆえに躊躇してしまい(運転手がらみのトラブルや犯罪も考えられるジャカルタ生活では「人柄」も重要なのです)3年付き合ってしまった。
そして似たような事件は、その後もあちこちでチョクチョク起き、我が家の「シャハリの運転では行かない場所」は増え、「シャハリがやりそうな失敗を予想し未然に防ぐ技」は確実に腕を上げていくのであった。


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