生命とは、、


  人が生き続けるについて、同類も含めて、実に多くの生ある物を殺して生きるものだなあと、このごろ思うよう

になった。

自分について振り返れば、爬虫類ならば青大将を超えるもの、哺乳類ならばネズミを超えるものを殺したことは

幸運にしてない。しかし虫ならば、意図をして、或いは面白がって殺したことは数限りなくある例によって、

僕の行った大学は動植物を扱うところだったので、脱走をした実験動物のネズミを含めて、野良ネズミが構内の

至る所で生息し、車が通った後には必ずと言って良いくらい、彼らが交通事故に遭遇するという具合だった。夏に

なると、雨の降った後は腐乱臭が道端と言わず漂っていた。

 日常的にそうした状態に生活していると、人は簡単に慣るもので、死骸が干涸らびて路上に落ちていても気に

ならなくなるのは不思議と言わざるを得ない。 これは、そのもの達が2度と動き出さない事が確実だからなのかも

知れない 逆に、人という生き物は、例えそれがどんなに小さなものでも、突然のように現れたりすると言いようの

ない不快感を催したり、自分と比べて遙かに小さなものが、自分の意図の裏をかいて逃げ去ると言うことが許せ

ない質らしく、うまく捕獲すると拷問と言う外ない方法を用いて、遂には死に追いやっておきながら、この世から

命が消え去ったことに気がつかない。人間という物が地上に存在していなければ、無用の殺戮は地球上にはない

であろうと思っている。

 深夜の研究室というところは、そういう意味では小さき物達の天国である。人の足音に怯えることもなく、自由に

徘徊し、食料を調達し、或いは生殖を行って、種の生存の長からんことを、神から与えられたこととして行っている。

 夏休みも近づく頃、卒論の研究が意外と面白いことに気がついた僕は、他の人に較べ遅くなってしまった実験を

進めるため、深夜実験を重ねた。 人のいない研究室では、始終大小のゴキブリがカサコソと走り回っていた。

 例の後輩(さようならゴキブリ4「飼い方のすすめ」参照)が陣中見舞いにやってきた。実験の手を休めて、

暫く笑いながら話していると、これも例によって、例の連中があちらでカサコソ、こちらでカサコソと散歩を始める。

 遂には足元へも出現するに及んで、例の後輩、履いていたサンダルを手に持ち替えるや、床をパシッ。

焦げ茶色の戦士をして、扁平な身体を殊更に扁平にせしめて、二度と動くことのない様にしてしまった。

彼これに飽きたらず。あちらでもパシッ、こちらでもパシッ。見事というくらい正確に叩き潰してしまう。

 「面白そうだね、それ」と、

僕もサンダルを手に持ち替えてパシッとやってみたが、全く触ることも出来ない。一匹のゴキブリの逃げる後

ばかりをパシパシパシッと連続で空打ちする羽目になった上に、遂には実験台の下にあると思われる巣に逃げ

込まれてしまった。

 見かねた例の後輩、

「○○○さん、それではゴキブリを潰すことは出来ませんよ。生き物が行動するときはパターンという物が

あるんですよ。」

と言う。

 「どんな生き物にもあるのかぁ」と、

僕が生物学をまるで知らないと言うことをばらすような馬鹿な質問をすると、

 「そりゃぁ、ネズミにだって、ダニにだってありますよ。」

と言うので、

「じゃあ、ゴキの行動パターンってどうなんだ。」

と聞くと、事細かに教えてくれた。

 彼の説によると、ゴキブリの危険回避行動は2種類しかないそうで、巣から出た位置と危険を感じた位置を

接線とする、巣へ戻る放物線の軌跡の右か左の一方なのだと言う。従って、どちらか一方の放物線の頂点に

サンダルを振り下ろせば、50%の確率でゴキブリを仕留めることが出来ると言うのである。

 僕はそれを聞いただけでワクワクして、ゴキブリが巣を出てから危険を感じた場合、いかに回避するかを、

サンダルで床だけを叩くという方法で実験した。確かに彼の説は正しく、放物線上を通って巣へ戻る。

しかも、巣を正面に見て左方向へと回避する例が多いようだった。十分にシュミレーションを繰り返した僕は、

嬉しさをこらえながらその時を待った

 少し灰色がかったゴキブリが辺りを窺うかのように。実験台の下から後出陣。サンダルを手に自分を押さえ

ながら、叩き潰すには十分な距離まで巣から離れるのを待つ。

 遂にその時は来た。ここまで来れば、数回はサンダルを打ち下ろしても十分と言うところで、思い切ってバシッ。

瞬間、サンダルの下から蜘蛛の子を散らすように、白い粘液と極小の粒状のものが、床に一気に広がった。

 犠牲者は抱卵中だったらしく、力一杯振り下ろされたサンダルの圧力で身体が破裂し、肉体と卵が四方八方

へと飛び散ったのだった。 「ヒェ〜ッ」と心の中で叫びながら、サンダルの底を洗い、床を拭きながら思った。

生命というものは何処にでもあるものだと。

 それ以来、虫を弄んで殺したり、実害を蒙らない殺生をすることは無くなった。

今、毛虫もいないような土地に住んでいると、ダニのように小さくて透明な虫が、本の頁の上を必死に這い上がって

いこうとするのを思わず眼鏡を外して観察し、小さな小さな足を懸命に動かしながら頼りを探して歩いているのを見て、

何だか心がなごむのである。

「さようならごきぶり」(完) 

 


Sabbathっす。

おいらと同じように、研究している人がいるんですねぇ、、さて、「さようならごきぶり」(完)っとありますが

おわり?もうネタないのぉ??あったらまたよろしくおねがいします。


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