NO.3

♪大きな声ではいえないオーバーステイの人たち 
                  
ハワイに住んでいるあいだ、日本にずーっと住んでいたら、決して体験できない事をいろいろ体験し

ましたが、その中でもこの人達に会って、その生き様をまのあたりに見た事は、貴重な体験でした。
  
ご存知のように、アメリカに行くのには、3ヶ月以内でしたら、ビザはいりません。

それ以上アメリカにいたければ、何かしらのビザが必要です。

私の場合、F1ビザ、という、学生ビザをとってアメリカにはいりました。F1ビザは5年間有効で、
 
延長も可能です。ただ、学生ビザであるので、その当時は20時間のアルバイトしか認められて

いませんでした。学生生活のあいまに、さまざまなアルバイトをして、そこでいろいろな人と

知り合いました。これはその人たちのノンフィクションです。
 
その方たちとはコンタクトできないため、了解がとれず、すべて匿名です。

      sealine                        
<KENさん29歳、の場合>

KENは1985年にアメリカに観光客として入国しました。日本からツアーにまざって4泊6日で

入国した彼は、初めから、6日めにみんなといっしょに日本に帰る気などありませんでした。

彼はロスアンジェルスからアメリカにはいりましたが、ツアーのみんなと一緒に入管を通過した後

兼ねてからの予定どおり NEW YORK へとノースウエストで向かいました。

以前、NEW YORK を訪れたとき知り合いになった人の経営している日本食レストランで

働くためです。 KENは大学をでてからしばらくの間普通のサラリーマンとして働いていましたが、

休みのあいだに何回かいったアメリカ、特に NEW YORK のよさが忘れられず、ついにNEW
 
YORK に住む、という夢を実現させたのです。

もちろん彼も、初めからオーバーステイをしたかった訳ではありません。初めは何とか法的に有効

な手段でNEW YORKに住もうとこころみましたが、どうしても有効なビザを取ることができず、

とうとう強行手段にでたわけです。

私にはNEW YORKのどこがいいか、わかりませんが、NEW YORKに憧れてオーバーステイ

までして、すんでしまう日本人は結構多いようです。

知り合いの人のレストランで、彼はウエイターの職を得ました。 時給8ドルという、とても安い給与

でしたが、思いのほかTIPが多く、1日150ドルを超えることもあったそうです。

でも、NEW YORKは物価も東京と変わらないくらい高く、アパートメントも借り賃が

ばかになりません。ある程度日本から貯金をはたいてもってきてはいましたが、それも残り少なく

なったある日、日本食レストランの同僚が、麻薬所持で逮捕されました。

その同僚は少しでも自分の罪を軽くしてもらおうと思ったのでしょうか、そのレストランで働いていた

オーバーステイの人たちの名前を警察官に話しました。そのレストランでは全部で30人の日系、
 
もしくは日本人が働いていましたが、そのうち7人がオーバーステイでした。

麻薬関係は警察所管ですが、オーバーステイは入国管理局(イミグレーション)です。

でも、KENのところにイミグレーションの連中がくるのにそんなに時間はかかりませんでした。

ある寒い12月の朝5時、KENのアパートのドアが激しくたたかれました。

’OPEN THE DOOR!、WE KNOW YOU ARE THERE.’

KENはその時ちょうど逃げるしたくをして、窓のところに足をかけたところでした、
 
ある人から情報がはいり、一刻も早く逃げたほうがいいと判断したのでした。

アパートのルームメイトは中国系のアメリカ人で、彼がうまくイミグレーションの人をひきとめて

くれている間にKENは無事アパートをぬけだしました。

でも、さてどこに行ったらいいのでしょう。 もうあのレストランでは働けないし、かといって他の

レストランでもあぶない。

KENはその足で空港に向かい、HAWAII行きの切符を手にしました。12月のNEW YORKの

寒さがそうさせたのだ、といいます。

     sealine

1989年12月、KENはホノルル空港におりたちました。 その時の彼の所持金はわずか300ドル。

それでも、KENは日本に帰りたいとは思いませんでした。
  
KENは、そのままワイキキへのバスに乗り、3日後、小さな会社のツアーガイドになりました。

1年後、日系アメリカ人のかわいい女性と恋愛し、めでたく結婚しました。

KENがオーバーステイであった事が、結婚の際障害にならなかったといえば、うそになります。

でも、彼女にはKENの赤ちゃんがいました。本当なら、KICK OUT(国外追放)になるはず

ですが、弁護士を雇い、イミグレーションと交渉しました。彼女はアメリカ人であるので、KENには

比較的簡単にグリーンカード(永住権)が手にはいりました。

これで、はれてKENはもう身を隠すことなく、堂々とアメリカで働いて生きていけるのです。

少なくとも、1993年までは、彼はハワイで奥さんと子供とくらしておりました。

でも、KENが住みたかったのは、ハワイでなくニューヨークです。その後KENとは音信不通に

なりましたが、風のうわさでは、あこがれのNEW YORKに家族でもどり、小さな会社をはじめた

そうです。

  KENとその家族のしあわせをいのってやみません。         


     次回は 大きな声では言えないオーバーステイのひとたち
          MAYUMI(30歳)の場合               です。
       

            NO2へ