<キャプテンクック 登場!>
♪ハワイ発見!!
長いこと、ポリネシア人たちは、ハワイで、彼らだけの生活をしていました。
その生活が変わったのは、1788年、イギリス人の海洋探検家、ジェームズ・クック船長がハワイ諸島を発見してからです。
クックは、ソシエテ諸島から、アメリカ大陸の北西部へ、向かう途中で、1月18日にオアフ島を発見し、20日に、カウアイ島の
ワイメア・ベイに、レゾリュ―ション号をつけ、ヨーロッパ人として、初上陸をはたしました。
クックは、これらの島を、自分の後見者である、海軍提督サンドウィッチ公爵の名をとり、「サンドウィッチ諸島」と命名しました。
ハワイ人たちは、クックのことを「ロノ」の神の再来だと思いこみました。
と、いうのも、伝説で、収穫、雨、平和の神「ロノ」は、いつか地上に再来すると、予言されていたからです。
それもそのはず、クックは、彼らにとって、見たことも、聞いたこともない大きな船に乗って現れたのですから。
ハワイ人たちは、クックの前にひれ伏し、クックが指図するまで、頭をあげようとしなかったと、言います。
クックの一行と、ハワイ人たちは、物々交換をはじめ、ハワイ人たちは、釘を求めました。
彼らは、釘から、魚をとる釣りバリを作ったのです。
クックの一行は、ニイハウ島に立ち寄り、ここでもまるで、王様のように、歓迎されました。ハワイ人たちは、クックに、ヤム芋と塩を贈り、クックは、お礼に、山羊や豚、スイカ、かぼちゃ、たまねぎの種をおいていったのです。
1788年11月、再びハワイを訪れたクック一行は、今度は、マウイ島沖に錨をおろしました。
その頃、マウイ島では、二人の酋長、カへキリと、カラニオプウが勢力争いをしていました。
二人の酋長は、別々にクックを訪ねてきました。
カラニオプウの甥の若い酋長ー後のカメハメハ大王ーは、クックの船に一泊し、あらゆるものを、見てまわり、驚愕し、クックの国が強力であることに、恐怖を感じ、帰って行ったということです。
マウイ島を後にして、クックはハワイ島の、ケアラケクアに、停泊しました。
ここでも、クックは、ロノ神の再来として、歓迎されたという話しです。
しかし・・・クックの船員の一人が亡くなったことを知ったハワイ人たちは、クックがどうも、ロノ神ではないのでは・・・と思うようになりました。神が、船員を、助けられないわけがないからです。
♪クックの最期
この時、船員たちが、本国への土産として、ハワイ人たちの、古代宗教の神殿の棚や、木でできた偶像をハワイ人から取り上げたのも、ハワイ人たちの感情をかなり害していたのでしょう。
1789年2月4日、クックは、無事出航しました・・・が、カワイハイ沖で、暴風雨に会い、マストが折れてしまったため、2月11日に、再びケアラケクア湾に、引き返しました。
ところが、ハワイ人たちの態度は、一変しておりました。クックは、「ロノ神の再来ではない」と知ってしまったためです。
さらに、ハワイ人たちが、クックの船から、火箸とのみを持ち出し、ボートまで、持っていってしまったため、クックは、怒り、ハワイ島の大族長カラニオプウを人質として、ボートを返すように、ハワイ人たちに迫ろうとしました。
しかし、クック達は、2〜300人のハワイ人たちに、攻撃され、クックは、棒で、打たれ、ナイフで、刺されてしまいました。
その、ナイフは、以前に、物々交換で、船員がハワイ人にあげたナイフだったと、いいます。
クックと、4人の船員は、その場で、息を引き取りました。
1789年2月14日、朝でした。
あわてた、他の船員たちは、船に戻り、大砲を発砲して、多くのハワイ人の死傷者をだしました。
戦いのあと、ハワイ人たちは、クックたちの、遺体とハワイ人たちの遺体を全て持ち去りました。
古来、ハワイ人たちの伝承に、「偉大な人物の遺体には、強力な(マナ=神霊)が宿る。それを所有すると、自分にもそのマナが宿る」と信じられていましたので、クックの遺体は、切断され、この戦いに参加した酋長たちに、分配されました。
クックの遺体の一部は、新しいレゾリュ―ション号の船長(クラーク)にも、届けられました。
・・・この習慣をまるっきり知らなかった、クラーク船長は、さぞ、びっくりしたと、思います・・・
2月21日、英国船の全員は、ケアラケクア湾に、偉大な船長「クック」の屍を埋葬しました。
ハワイ人の手にある、クックの遺体は、「ロノ」神殿に埋葬されましたが、1819年になにものかによって、持ち出され、今も行方がわかっていないそうです。
♪クックの史跡を訪ねる方へ
クックの史跡を訪ねてみようと、思われる方は、まず、ハワイ島の「カイルア・コナ」へ行ってください。
「カイルア・コナ」から、車で、11号線を12マイル南にいきますと、「キャプテン・クックの街」があります。
この、「キャプテン・クックの街」の「白木ドライクリーニング」の前を右に曲がり、
海にむかって坂道を6マイル下ります。
すると、「ナポオポオ」の村につきます。この「ナポオポオ」の村の廃港の前を右に曲がると右側に「ヘンリ・オプカハイア」の記念碑がたっています。
その、後ろの低い丘は、ハワイ人たちが、クック船長をロノの神と崇拝した、「ヒカアウ・ヘイアウの聖域」です。
そこから、ケアラケクア湾の対岸に、白いキャプテンクックの記念塔が見えます。
クックの墓は、記念塔の側にあり、そこへ行くためには、「カイルア・コナ」から、ボートで、行くことになります。
観光客相手のツアーがあるかどうかは、わたしは、知りませんが、もし、ツアーがなくとも、車があれば、是非、「ナポオポオ」まで、いらしてください。
キャプテン・クックの街から、海までの、坂道は、素晴らしい花々が咲き乱れ、とてもきれいです。
ハワイの歴史その3 INDEX