
「 マッチ箱並べが意外に奥深い趣味である事に関する一論考
あるいはオタクの歓びについて 」
旅行初日に行ったそば処どこおっこと亭でもらった
そばを切っている職人の姿を描いた
切り絵風の美しいイラストの付いたマッチを
飲食店マッチコレクションの最上段中央に
そっと置いてみる。
うーっむ何処か座りが悪い
やはり
上段左から二番目に位置する
台湾料理店麗郷のマッチの
赤白二色でまとめた
シンプルで力強いデザインとの
相性を考えて
二段二番目に置くべきか。
しかし
室町砂場のマッチの、
落ち着いた白を背景に
唐傘を淡彩で描き
降り出した強い雨を斜めの線で表現した
まるで天保時代の浮世絵師のような
大胆な構図と繊細なタッチは、
おっこと亭のマッチとの間に
単に蕎麦屋のマッチ同士であると言う
些細な共通点を超越した、
深い類縁性を感じさせる。
ここは二つをどーんと中央部に据え
全体の流れをこの部分に収斂させるという
オーソドックスな手法を取るべきだ。
そーでなければ世間が納得しまい。
いやいや
インド料理店アジャンタのマッチも侮り難い。
このマッチには
恐らくはシヴァ神であろうと思われる
虎に乗った女性が
こってりとした色彩で描かれている。
けっして洗練された上手な絵ではないが
その素人臭さがある種のユーモアを醸し出し、
今の日本ではほとんど絶滅してしまった
手描きの映画館の看板への郷愁にもつながる、
懐かしさとやすらぎを感じさせる。
この泥臭くも楽しいイラストを
おっこと亭のすっきりとした色彩のマッチの対角線上に置き、
双方の対照的な性格を強調してみてはどうだろう。
素敵な思いつきに半ば陶然としながら、
おっこと亭のマッチを右上の角に
アジャンタのそれを左下の角に置いてみれば、
あーら不思議
ふたつのマッチは
まるでジグソーパズルの最後の2ピースが
正しい位置に嵌められたかのように
あるべき場所にピタリと収まり、
もう何十年もそこに置かれているかのような
動かし難い存在感を主張し始めたではありませぬか。
シブい中年男は
一歩,二歩後ろに下がって全体のつながりをチェックし
会心の笑みを浮かべると、
まあ、こんなもんさ
と一人つぶやく。
やおら フローティングの床に腰掛け、ポケットから煙草を取り出すと、
もちろん大事なお店のマッチは一本も使わず、
百円ライターで火を点けた。
そうして一本の煙草の味と香りを隅々まで味わい尽くすかのように、
充分な時間をかけ
深くゆっくりと喫っていったのでありました。
ちょうど一仕事終えた職人が
そうするように。
煙草をようやく喫い終えた中年男
手っ取り早く次の仕事を片付けようと
腰を浮かしかけたちょうどその時、
何処からともなく聞こえてくる
優しい女性の歌声
いーえいえ それではいけませぬ
生まれ育ったふるさと離れ
いつもひとりさみしく歌っている
このわたくしを、
おっこと亭とかいう店の
あの優しそうなにいさんの
おそばにおいて下さいな。
遠い異国にある切なさも、
暑くて長い日本の夜を
手持ち無沙汰に過ごす侘しさも、
いい話し相手がいたならば
きっと紛れていくことでしょう。
お、おまえは、ラ・ラナリータのカエル娘!
そう、歌っていたのはイタリア料理店ラ・ラナリータの
紙マッチに描かれた一匹のメス蛙であった。
なア,お前よー。
おめえの気持ちはよっくわかるけどさー。
こりゃあもう決まっちまったことなんだ。
マッチ箱の並べ方ていうのはなー、
そりゃー難しいものなんだぜ。
何てったって、並べれるのはな、
銀座、日本橋、神田に四谷、上野、浅草
いずれ劣らぬ大店や名店の
格の高ーいマッチさんたちでえ。
あちらを立てればこちらが立たず、
全部のお店のマッチさんに納得していただいて、
それぞれの持ち味を生かしたならべかたにするのは、
並大抵の苦労じゃあねえんだ。
おいらいっけえマッチを並べると
精魂尽き果てちまってさ、
三日は寝込んじまうんだ。
何故そんな苦労までしてマッチをならべるのかってか。
んまあ、要するにすきなんだなあ。
お前も見たことあるだろう?
老舗や一流店のいいマッチを。
一流の広告屋やイラストレーターたちが技やアイデアを競う
箱やラベルの意匠の美しさなんざ、そりゃーため息モンもんだぜ。
いい店のマッチ箱に出遭ったときの喜びってのはなあ、
いい店の料理を食ったときのうれしさに匹敵するなあ、ホント。
背筋を雷みてえなのがびびって走ってさ、
二の腕のここいら辺に鳥肌が立つのさ。
まあ、わからねえやつにはわかるめえが。
おっといけねえ。
そーいやあ、あんたマッチだったな。
マッチにマッチの講釈垂れてもしょうがねえなあ。
別に悪気はなかったんだ、
許しておくれな。
でもなあ、マッチとはいえ外国から来てまだ2年
素直な性格のあんたにゃアなかなかわからねえ
裏の事情ってえのもあってな。
えっ、聞きてえのかい?
実はな、あんまり大きな声じゃあ言えないんだがなア。
名店のマッチってのは、そりゃア見かけも中のマッチも一流だけど、
プライドの高さも半端じゃあねえんだ。
その上いつも大店でチヤホヤされて何の苦労もなく育ってるから
マッチの情ってやつがわからねえ。
わがままで、強情で、筋金入りの根性悪ばっかしさ。
展示用の箱の中でも目立ちやすい場所に置かれている分は良いけれど
目立たない場所に置かれて脇に回されたと感じると
途端に手を抜きまくりの燻りまくり
主役張ってた時にゃあんなにいい味いい色出してたのに
これが同じマッチ箱かって
嫌んなるくれえの変わりよう。
でもさ、いくらいいマッチだからって
東京の一流の繁華街の
限られた店のマッチで顔ぶれ固めて
しかもみんなの顔色伺い
おんなじような並べ方してた日にゃ、
いつ見ても似たような出し物ばっかし
見てる観客(まあ、ほとんどオイラ一人だけどさ)だって飽きがくる。
次第にお客に見離されて
コレクション自体が少しづつ痩せ衰えていくのは目に見えてる。
しまいにゃあ
振り返って見てくれるもんもなくなり
厚い埃を被ったままほって置かれ
ある日おそうじ好きのおふくろの
格好の標的となって
ゴミ箱直行がセキの山さ。
おいらそんなことだきゃあ
あっちゃあなるめえと、
今度,信州を旅行したのを好い機会に、
目を付けていたいいお店の
これはってマッチを連れて来たんだ。
お前がさっき言っていた
おっこと亭ってのがそれさ。
お前も聞いたことがなかったろう、
おっこと亭なんて変わった名前。
地元じゃあそこそこ有名らしいが、
まだ全国的なメディアでは
それ程話題になってねえみたいだな、幸いに。
これが結構な蕎麦を出す店でなあ。
しかもさ、おう、ここんとこよく聞きねえ。
驚いちゃいけねえぜ。
あの宮崎駿先生がここにいらしゃって、
どうやら蕎麦をお気に召したみたいで
トトロ入りのサイン色紙を書いて置いていったっていうじゃあねえか。
それにな、三谷幸喜、小林聡美御夫妻、山崎努大人の色紙まであるっていう
正真正銘、スジのいいお店でえ。
おいら、渋るカウンターのオバちゃんの手を握らんばかりにして
残り少なかったマッチを
ようやくの事貰い受けて来たんだ。
これからこの店を背負って立とうって言う期待のマッチを
三顧の礼を持って迎え入れたってわけさ。
そういういきさつもあって、今回のマッチの並べ替えじゃあ
未だ新参者のおっこと亭を
思い切って上段右角っていう大役に抜擢したのさ。
実質的な主役みたいなもんだ。
ブーたれる顔役マッチ達を説得し、
何とか根回しも終わってこれからって時に、
お前のさっきの発言ってわけさ。
まあ、お前のさびしい気持ちもわかるけれども
今は時期が悪過ぎる。
いずれ折を見て
お前をおっとこ亭のそばに置いてやろう。
それまで待ってられないって言うのなら
お店の格はちょっと落ちるけど
駿府の国は府中辺りの
ほんわかとあっちの天気見てえに気の好い坊ちゃんマッチを
話し相手に 連れてきてあげてもいいんだぜ。
まあ、悪いようにはしないから
今回だけは私の言う事をお聞き。
おいおい、頼むから泣くのは止めとくれ
後で飴買ってやっからさあ。
聞き分けのない事言わねえでくれよ。
困っちまったなあ。
何だかおいらの方まで泣きたくなっちまったぜ。
まあ、年端の行かないお前に
大人の理屈を分かれっていうのがそもそも
むりなんだけどな。
普段からかわいがっているカエル娘に泣き付かれ
中年男は閉口し、困り果て
まあ駄目でもともと、
一応は言ってみようと、
おっとこ亭の隣のマッチとの交渉に臨む。
おっとこ亭の隣のマッチは洋食の煉瓦亭。
中年男が情理を尽くして説いてみれば、
お店も御上品 値段の方も御上品と言う
銀座のお店の中では例外的
比較的低価格、庶民の味方で知られる
煉瓦亭のマッチだけのことはある。
場所をラナリータに譲ることを
意外とあっさり承知をしてくれた。
煉瓦亭には代わりに用意した好位置に移ってもらうと
ああうれしい、よかったと
喜びはしゃぐカエル娘を
早々におっとこ亭の横に置く。
こんにちは。
私の名はラナリータ。
お兄さん、それは何をやっているの?
ふうん、蕎麦切り。
ずいぶんおじょうずねえ。
ザクザクザクザクおんなじ速さでおんなじ幅で
機械みたいに正確に、きれいなお蕎麦が
どんどんできていくのね。
ねえ、お兄さん、お忙しいのはわかるけど、
お仕事続けながらで構わないから、
私のお話を聞いて下さる?
そう、ありがとう。
わたしは よーろっぱっていうそれはとおい場所の
みなみのほうにあるいたりあっていうくにの
みなみのほうにあるなぽりっていうまちの
そのまたみなみのほうにある
ちいさなむらで生まれたの。
お父さんお母さんのことはよくおぼえていないわ。
ものごころついた頃には同じ位の歳の
たくさんのこどもがえるといっしょに
暮らしていたわ。
こどもがえるのなかには、未だオタマジャクシからかえるになりかけで
しっぽの残った子もいたっけ。
わたし達は木造の壊れかけた教会の
大きなホールみたいなところで
みんな一緒にがやがやげろげろ賑やかに食事を摂り、
夜になれば
もうひとつあった大部屋に
同じ形のベッドをずらりと並べて
いっしょになってすやすや寝たわ。
月のきれいな夜に
浮かれ騒いで唄っていると
尼さんの格好して眼鏡をかけた
怖いお姉さんがえるがやってきて
わたし達の事を
ひどく叱ったっけ。
規則はとっても厳しかったし、
それから食事もまずかった。
それに量も少なかったから、
わたし達はいつもお腹すかせていたけれど、
それでも結構楽しかった。
みんないっしょにいられたからね。
でもいろいろな事情から
あのときの仲間は
少しずつ少しずついろんなところへ
別れ別れになって行きました。
わたしがむっつになったとき
とうとうわたしのところにも
突然いじんさんがやってきて
わたしをなぽりの港に連れて行った。
わたしは
なぽりの港からふーねにのーって
いーじんさんに つーれられーて
横浜の港にやって来たの。
いじんさんって何人の事かって。
もちろん日本人のことですわ。
わたしたちイタリア人から見れば、
日本の方はいじんさんですもの。
えっ、赤い靴は履いてたかって。
いいえ、もちろん履いていませんでしたわ。
だって人間の靴の形は、
かえるの足に合いませんもの。
こうしてわたしは日本にやって来て
紙マッチのラベル蛙として
働くことになりました。
いじんさんに連れられた子は
何処かの国へ安く叩き売られて
ひどい目にあってすぐに死んでしまうという噂話を
何処かで聞いたことがあったので、
密かに恐れていたけれど、
みなさん親切にしてくださって
とっても感謝しています。
お給料も ちゃんともらえるし、
このごろ少し貯金もできました。
以上でわたしの身の上話はおしまい。
日本に来てどのくらいになるかって。
今月の10日でちょうど2年。
やっつになったばかりです。
ねえお兄さん。
お願いがあるのだけれど。
さっきもいったように
わたしは今の暮らしに
充分満足はしているけれど
でもマッチのラベルの狭い世界はやっぱり窮屈。
それにこの世界を描いたイラストレーターの方は
わたしの仲間のカエルを描いてはくれませんでした。
だからわたしはいつもひとりぼっち。
だからお願い
お仕事の始まる前か終わった後の
ほんのわずかな時間でかまわないから
わたしの話し相手になってください。
疲れていらっしゃらないときは
いっしょに遊んでもらえると うれしいな。
わたし日本の遊びをあんまり知らないの。
手鞠っていうのを就いてみたいな。
イタリアの人は 男も女も
おとなもこどもも
カルチョ カルチョで
ああいうのあんまりやらないの。
それからあやとりっていうのもやってみたいし。
えっ、遊んでくれるの?
ホントにほんとねっ。
嘘ついたらハリセンボンよ。
難しい日本語知っているでしょ。
あんまり茶化しちゃあいけないわね。
本当にありがとう。
わたしもう行くわ。
まだいいって?
でもお兄さん、
わたしのお話を一生懸命聞いて下さったのは
うれしかったけれど
わたしさっきから気付いていたわ。
お蕎麦を切る音
あのリズムがずいぶんゆっくり不規則になっていた。
わたしはすっかり話に夢中になって
その事がどんな意味を持つか考えもしなかった。
わたしお兄さんの仕事をじゃましていたのね。
ごめんなさい。
わたしもう行く。
でもお兄さん
忘れないでね 約束よ。
お仕事終えたら
手鞠の就き方おしえてね。
少しの時間で
構わないから。
その頃中年男は
ラ・ラナリータと煉瓦亭の位置変更に対応した
マッチ箱配列全体のプラン変更を迫られていた。
うーむ、あちらを立てればこちらが立たず。
どうすりゃあいいんじゃあ。
イタりアンジェラートの店ロビンの名刺も名刺コーナーに加えなければならないし、
竹風堂の栗強飯山家定食の箸袋コーナーへの展示もある。
いや分類がはっきりしている物はまだ見通しがつくが
おっこと亭の袋いり爪楊枝二本セットという珍品は
どこに収めたらいいのか。
未だろくに仕分けもせずに放ってある小布施関係のパンフレットはどうなっておるの
じゃ。
その上美術館関係のパンフレットでは
山下清の作品を中心にした放浪美術館などという
もはや何処で手に入れたのかわけのわかんないものまで出てくる始末。
男の苦悩はいよいよ大きく、
眉間の皺はさらに深く刻まれ
男は絶望的な溜め息を漏らす。
などと深刻なポーズをとりながら
じつは男の胸は唄い出したいほどの悦びに
満たされていた。
これだけの材料があれば
あとどれくらい
自分の勝手な空想や思い込みに酔い
笑ったり 泣いたり
突然怒り出したり
ふんふうんふふんっと鼻歌を歌ったり
夕焼け空を眺めてうっとりと涙ぐんだりして
楽しむことができるだろう。
男はジャッカルのような鋭い目で
部屋中に散乱した印刷物を見廻し、
量と質を冷静に値踏みして、
その期間を約1箇月と断定した。
一ヶ月、あと一ヶ月はこうやって楽しむ事ができる。
ここに至って悦びはほとんど勝利の確信に近くなる。
唇はだらしなく緩み、表情にはニタニタ笑いのような物が浮かぶ。
おっ、いかんいかん、
こんなことではいかん。
男は気を引き締めなおし、
再び眉間に深い皺をよせると、
小布施のパンフレットの整理に取りかかる。