♪えっちゃんの日記〜8月〜♪


平成13年8月3日(金)
パパ,ありがとう・・・

平成13年7月26日。
私の父がこの世を去った。享年62歳。

亡くなる1週間ほど前,父は腹痛を起こして入院。 腹膜炎だった。
次の日,腹膜炎の炎症がひどいということで緊急手術することになった。
先生は「1時間ほどで終わるし,大きな手術じゃないから安心して」と。
手術は無事終わり,痛いしい父が手術室からでてきた。
「3時間後には麻酔がきれるから,話せますよ」と看護婦さんは言ってくれた。
そのときをわくわくしながら待った。
・・・・・3時間ほど経過
看護婦さんに呼ばれてICUに入った。
麻酔が覚めているはずの父が反応しない。
それから何時間経っても父は反応を示そうとしなかった。
かすかに何度か手をにぎってくれるだけだった。
次の日もその次の日も,わたしたち家族は時間のある限り父に会いにいった。
けれど父の意識は戻らない。
私たちは父と話したりできないことで悲しい毎日を過ごしていた。

そんなある日,いつもならうっすらしか目をあけていない父が
はっきりと目をあけ,手を強く握ってくれるときがあった。
結局それが父の最後の反応になるとは,その時わたしたちは考えていなかった。
喜んで帰り,次の日もまた父に会うのを楽しみにでかけた。
しかし,もう昨日みたいな反応はしてくれない。
しょんぼりしながら帰った。

それから数日後の26日午前2時。
電話がかかってきた。
「こんな時間・・・・病院からやわ・・」震える声で母が言った。
電話にでれそうもない母だったので私が出た。
やはり病院だった。
血圧がさがってきていて,あまり良い状態ではないとのこと。
私は倒れそうになるのを堪えて,電話を母に繋いだ。
電話を渡した途端,私はひどい貧血を起こして倒れた。
きっとそのとき母自身も辛くて倒れそうになっていたと思うのに,
「パパが1人で辛い思いしてんのよ。わたしたちが行ってあげなかわいそうでしょ。
さぁ,がんばって行こう」と必死でわたしを励ました。
母の気持ちがぐっと胸にささり,私は震えながら母に支えてもらいながら
病院にかけつけた。

血圧が低くなっている父の体は氷のように冷たかった。
いろんな気持ちがめぐりめぐった。
涙があふれて止まらなかった。
私は母と「諦めちゃだめだよ」と慰め合った。
朝になっても状態が変わらず,先生は「この先の見通しはつかない」とわたしたちに話した。
弟は合宿先だったので,朝一番で病院に戻ってこさせた。
近い親戚もかけつけてくれていたので,みんなで良くなることを祈りながら待った。

午後3時頃。 血圧が下がってきて,呼吸のメーターの波が時折一直線になりつつあるのを 見せられた。
信じられなかった。
信じたくなかった。
先生が処置をしてくださり,そのあと家族に説明があった。
「この処置で私が持っているコマを全部だしきりました。これ以上はもう何もできない」と。
このとき私たち家族の頭には「もうだめかも・・・」という気持ちが芽生えていた。
それからその夜まで父はとてもがんばった。

午後8時。
わたしたちは先生に呼ばれてICUに入った。
そのときすでに呼吸のメーターはゼロを指していた。
母と弟と涙が枯れるまで泣いた。
父の手や顔を触った。
「パパ,よくがんばったね」と。
管をいっぱいつけられ,いろんな箇所に縫い跡をつくられてしまった父の 姿は本当に痛々しかった。

発病から5年目。
本当は4年間も生きられない病気だった父。
けれど,先生からは「5年を過ぎれば安定期に入る」と言われていた。
あと数ヶ月で5年だったのに・・・

その間,父は幾度となく手術をしたけど,その度にちゃんと退院して家に帰ってきた。

腹膜炎が死の直接原因ではない。
腹膜炎が根本にあった病気を再発させたのだ。
先生に「4年間生きられたのは奇跡に近いですよ」と言われた。
父の病気からすると4年間は長いかもしれない。
だけど,私の結婚式,弟の成人式・・・まだまだ父が見なくちゃいけないもの,
参加しなくてはならない行事はいっぱいあった。 そう思うと悔しかった。

まだ父が生きているときは気づかなかったことを今頃になって気づいてみたり。
例えば父が好きだったイチゴジュース。
私はこの春,いっぱいイチゴを買ってきたことがあって,
そのとき父と私の分のイチゴジュースを作っていっしょに飲んだ。
それが私が作ってあげたものの最後になった。
私が作ったものはいつも「おいしい」と言ってくれた。
父は料理人だったので私は父の手料理をいっぱい食べることができた。
そのときは何も感じなかったけど,父の料理は想い出の一つになっている。
あの味は一生涯忘れることはないだろうなぁ。

母が私と弟を叱っても,決して父は叱らなかった。
いつも私たち子ども味方でいてくれた。
怒ったこともほとんどみたことがない。
誰に対しても本当にやさしい父だった。

幼いころは父の背中は大きくて,とても逞しく思えていた。
病気してからの父をみると,「なんだかちっちゃくなったな・・」と 思うと
胸がキュっと痛くなったのを思い出した。

いまは家に帰ると父の祭壇を前に,
「パパ,ただいま。今は何をしていますか?」とか
「そちらのには温泉はありますか?」「大好きな唄を唄っていますか?」とか 話しかけている。(笑)
返事がないのは淋しいけれど,話しかけることで私の気持ちは不思議と落ち着くのだ。
まだどこかにいそうな感覚があるけれど,最近は徐々に事実を受け入れられるようにになってきた。

そしてなによりも,父の子どもに生まれてよかったと思う。
喧嘩もしたし,たまには怒られたりもしたけど,いまとなってはとてもいい想い出。
父と母がいたからこそわたしが存在するんだから,本当に感謝の気持ちでいっぱい。
また生まれ変わったら父と母のの子どもになりたいと思う。
そしていつかわたしがこの世からいなくなったときは,あの世で逢えたらいいなと思う。

パパ,今まで本当にありがとう。