お赤飯

 
赤飯は、文字通り赤い色をしたご飯のことで、「セキハン」とか「アカマンマ」とか呼ばれています。

  現在は、糯米(もちごめ)に小豆とその煮汁をまぜて蒸し、赤い色を出しますが、その昔は、「赤米」と呼ばれる赤い米を使って作ったので、色が赤かったのです。

  この赤米というのは、わが国が稲作を始めた頃に栽培していた、非常に原始的な米の品種で東南アジア原産です。今では、わずかに琉球列島や九州・四国の南部地方に残っているだけです。

  このように、極めて古い品種のために、遠い先祖をまつって祝う日などには、この赤米を炊いて、先祖の霊に供えるという習わしがありました。ところが、次第に赤米を栽培しなくなり、赤米の変わりに、小豆で色をつけて赤いご飯をつくり、それを供えるようになったのです。

  今では、先祖の供養だけではなく、めでたい特別な日には、必ず赤飯を炊いてお祝いするようになりました。ちなみに、江戸時代には、祝い事の赤飯に対して、葬礼のときには、白い強飯(こわめし)を用いました。

  ところで、東南アジアでは、今でも赤米が栽培されていて、太平洋戦争当時、日本軍の兵士たちは、その赤米を炊いて日本の「赤飯」をしのんだということです。



鎌倉の大仏

 
大仏といえば奈良と鎌倉と相場は決まっています。鎌倉の大仏は、大きさでは奈良に劣りますが、柔和で端正な顔立ちで知られています。

 さて、その鎌倉の大仏ですが、なぜか大仏殿がなく、露天にそのまま座っていますね。でも、大仏をつくって大仏殿をつくらないなどといった、そんなもったいないことをするはずがありません。

 では、どうして大仏殿がなくなってしまったのでしょうか?

 鎌倉の大仏の造立が始まったのは、建長4年(1253年)のことです。そのときには、ちゃんと大仏殿もいっしょにつくられました。その後、大仏殿は何度か壊れましたが、最終的に消滅したのは、明応7年(1498年)の大津波によってなのです。

 この年、鎌倉を大地震が襲い、それに伴う津波で大仏殿が流されてしまったのです。その後、大仏殿は再建されず、現在に至っています。

 流された大仏殿は、東西25間(約45m)、南北21間(約38m)という大規模なもので、現在では、大仏の周囲に礎石だけが残っています。



野菜と果物の違い

 
あなたは野菜と果物の違いがわかりますか。では問題です。

  Q1.「イチゴ」は野菜ですか、果物ですか?
  Q2.「トマト」は野菜ですか、果物ですか?
  Q3.「メロン」は野菜ですか、果物ですか?

 答えの前に、少しヒントです。
 
 官公庁の分類では、種をまいたあと1年で花を咲かせ、そのあと枯れる1年草本類を「野菜」としています。反対に、木やつるのまま何年も成長をする多年生の木本類の果実を「果物」としています。

 これに当てはめるとおのずと答えがわかるでしょう。答えは、

  A1.「イチゴ」は野菜です。
  A2.「トマト」は野菜です。
  A3.「メロン」は野菜です。

 これはあくまでも官公庁の分類で、民間の分類とは異なるような気がします。
 
 イチゴやメロンは、世間では果物として通っています。果物屋でもイチゴやメロンは堂々と真ん中の方に置かれています。しかし、キャベツやニンジンは真ん中には置きません。

 これは一般にはイチゴやメロンは果物、キャベツやニンジンは野菜という認識があるからです。イチゴやメロンが果物だと思ってしまう理由は、「甘くて、デザートに適している」といった感覚のようです。
 
 イチゴやメロンを果物といっても特に問題がないと思われますが、これを野菜といった場合は、野菜と果物の定義の違いを認識していないと「変な人」といわれてしまう可能性があるので、しっかりと認識しておいた方がよいでしょう。



地獄の沙汰も金次第
 
 
「地獄の沙汰も金しだい」という言葉があるが、まさにこのことをいっているのではないかと思われるのが戒名である。(宗教によっては法名、法号とも言うがここでは戒名に統一する)。戒名とは、故人につけられる法名のこと。
 
 この戒名、宗派によって多少ことなるが、値段によって大分ことなるようだ。まず、文字数。一般的なものは6文字か9文字。この戒名をつけてもらうのに6文字の場合は10万円かかるのに対し、9文字の場合は50万円となる。

 わずか3文字の違いしかないのに5倍も違いが出てくる。そして、文字。「院」や「大」の文字がつくとさらに高くなる。この文字がついて12文字となると100万円以上かかる場合もある。事実上、戒名はお布施の額によって決まるものなのである。
 
 通常、どのような戒名にするかは遺族が決める。僧侶や葬儀屋さんに「個人のことを考えるなら...」といわれればつい少しでも上のランクの戒名をと希望してしがちである。

 戒名によって死後の世界の扱いが異なるのであればまさに「地獄の沙汰も金しだい」。神様(?)も罪作りなルールを作ってしまったものである。