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SALAMANCA |
はじめに
「じゃ、とりあえずサラマンカ」
ビールではなく、スペイン語を勉強しようと思いついた人がまず最初に目指すのがここ、サラマンカの街です。
世界中から多くの留学生がワラワラと集まってくるのには訳があって、この地方で話されているスペイン語が一番訛りがない、とされているからなんですね。
スペイン最古の大学であるサラマンカ大学をはじめ各種学校、そして留学生のメッカと呼ばれるに相応しい多くの語学教室が揃っており、「サラマンカと言えば学生の街」の言葉通りの、ってか「学生しか居ない」なんて印象すら受ける街です。
街にはアカデミックな雰囲気が満ち満ちており、夕日に照らされて赤く輝く尖塔の街は「綺麗」という言葉を超越しています。明け方に(←ディスコ帰りとも言う)石畳をコツコツ鳴らしながら見る霧に沈んだ街なんて涙が出るほどです。歩けば歩くほど好きになる街、そして学生に帰りたくなる街です。
1988年には旧市街全体がユネスコの世界遺産として認定されました。
スペイン・ルネッサンス
カトリック色の強いスペインではルネッサンス文化が育たなかった、なんて言われたりもするようです。が、どっこいサラマンカの街では数多くのルネッサンス様式建築を堪能する事が出来ます。
理由としてサラマンカが古くから学問の、そして羊毛取引の中心地として栄え、ルネッサンスたけなわのイタリアから才能ある芸術家達を呼び寄せ仕事をさせるのに充分なお金を持っていた事、そして近郊にあるVillamayor村産の石がスペイン・ルネッサンス様式の大きな特徴である綿密な装飾を彫るのに最も適していた事があげられます。Villamayor産の石って、取れたて(?)は白く柔らかく彫るのが容易く、が、しかし時が経つにつれて黄色く更には堅く強くなる摩訶不思議に都合の良い石なんです。
スペインで華開いたルネッサンス様式の装飾法は大きく3つに分けられます。
(1)プラテレスク-Plateresco-様式(1500-1530年)
(2)プリスモ・プラテレスク-Purismo Plateresc-様式(1530-1560年)
(3)エレリアーノ-Herreriano-様式(1563年)
その見分け方は簡単で(1)クドイ程の装飾、(2)ほどほどの装飾、(3)飾りっ気ゼロ、となります。
(1)プラテレスク=サラマンカ大学正面玄関
(2)プリスモ・プラテレスク=サラマンカMonterrey邸
(3)エレリアーノ=マドリッドの北西にあるエスコリアル王宮
と、まぁ、各様式の代表作を見比べてみれば一目瞭然ですね。
プラテレスク(Plateresco)とは後付けの名前で、イスラム文化の影響を多大に受けた表面を全て覆い尽くすような多量の装飾を、ある芸術評論家が「まるで銀細工師(Platero)の作品のようだ」と評した事に由来しています。
イスラムの香りプンプン漂うゴシック様式のベースに、均衡とプロポーションを重んじたイタリア・ルネッサンス様式を取り入れた様式、と考えれば良いでしょう。
ゴシック時代に始まり、プラテレスク期で華開いたスペイン建築独特の装飾法は建物の正面、しかも一番目立つトコロの壁全体にわたって聖史を題材にした彫刻を施す事です。
そもそも教会とは広く大衆にキリスト教の尊い教えと、天国の概念をビジュアル面からビビビと植え込む為の紙芝居小屋のようなモノです。それが内部だけに留まらず教会全体で主張をしはじめた訳です。
何だかとってもスペインらしいっす。
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PALACIO
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モンテレイ宮殿
1539年製作のプリスモ・プラテレスク様式を代表する建物です。
最上階には回廊、塔には見晴台を置き、美しい暖炉の煙突は実用的と言うよりはデコレーションに徹した感があります。
と言うのもモンテレイ邸は、今まで主流であった重々しい城から新しいタイプの城へ、つまり全ての軍事、防衛の意義を取り除き、軽やかで優雅な、ただただ芸術として存在する建築物のハシリ的存在なのです。
そんなモンテレイ邸はその後のスペイン、そしてラテンアメリカのお城のモデルとされました。
ところでこいつ、当初の計画では「中庭を囲む四方形の各角に塔を持つ城」のハズでありました。
しかし建設中に隣接するSanta Maria de los
caballeros教会に建物の一辺がブツかってしまう事にハタと気がつき断念した、と、まぁ、何ともスペインらしい経緯を持つ建築物です。
ってかそんなん建てる前に気づけよ、と一般的な日本人なら思うハズ。
(でもスペイン人の性格を知ってる人なら驚かないハズ。)
そんな訳でこの建物、一辺のみの奇妙な形です。
現在はアルバ公爵の私邸として使用されています。
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COLEGIO MAYOR
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フォンセカ大学寮
サラマンカ市内に4つあった大学生寮で唯一現存する建物です。
1525年、当時の大司教であったフォンセカ氏が貧乏だけれど頭の良い学生達の為に建てました。
当時のルネッサンス芸術家の有名どころを、Pedro
de Ibarra, Juan de Alava, Diego de Siloe,
Rodrigo gil、と、まぁ、何ともそうそうたる連中を贅沢に使って、つまりは金にモノ言わせて作ったバブリー建築です。
正面玄関はプリスモ・プラテレスク、入り口の扉はプラテレスクを代表する装飾がほどこされています。
注目はゴシック様式の礼拝堂。天才Alonso de
Berrguete作の飾り衝立に出会えます。
プリスモ・プラテレスク様式の傑作と呼ばれる優雅でクラッシックな中庭は、時間をかけてゆ〜っくり見ましょう。
その回廊の柱の一本一本に刻まれたメダルの中には歴史、神話上の高名な人物の浮き彫りがほどこされています。そのメダルの数、128個!
ところで貴方、何人当てられましたか?
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lA CLERECIA |
LA CLERECIA教会
この美しく雄大なバロック様式の建築は、教団同士の強いライバル意識が建てたものと言えましょう。
サラマンカの歴史の中で最も影響力を持った教団はイエズス会です。しかし最初に権力を握ったのはドミニコ会でした。
そのドミニコ会、サラマンカへ勉強しにやって来た若き聖イグナチウス・デ・ロヨラを、つまりイエズス会創始者を20日間も監獄に繋いだのです。
これによって彼は余儀なくパリで勉強を続ける事になりました。
その後サラマンカでイエズス会が影響力を持ち始めると、創始者がかつてこの地で受けた侮辱を償おう、なんて動きが出てきます。そんな訳でこの地にイエズス会の教会、兼学校を建てる事になりました。
その建築にあたってイエズス会はサラマンカのどど真ん中に7000uの土地を買い取り建築にあたりました。
結果、数々の住居や教会が取り壊されたのでイエズス会優位の揺るぎ無い象徴となりました。
1617年、フェリーペ3世の夫人であるMargarita de Austriaの多大な援助を元に建築が開始されましたが、1767年に飛ぶ鳥も落とす勢いであったイエズス会が失脚し、スペインを追放された時ですらまだ未完成の状態でありました。
教会はLa real clereia de San Marcosの権限となり、残りはアイルランド人による神学校へ分割され、やっとどうにか完成しました。
バロック様式の最も美しい塔とうたわれる2つの塔は上昇の意味を持ち、その塔に挟まれた盾形の一枚壁には精霊の到来のレリーフが刻み込まれています。
ところでこの建物の平面図、精霊の象徴である鳩の形をしています。
このように平面図の中にナンラカノ形、シンボルを持たすのはその当時の流行でした。
現在この建物はPontificia大学として使用されています。