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No.660 次男通園 ('05.7.25)
 次男がこの度,障害児の通園事業に登録し通い始めました。これは普段通っている国立中信松本病院のほうで新たに障害児対象の教育&リハビリ事業を開始し,そのお誘いを受けたことから早速応募してみたという訳です。ちなみに区分としては短期入所預かり,つまりは日中子供を預かってくれるということで,レスパイトに預けているのとほぼ同じ。通園中は親は不要で,ミルク注入や痰の吸引もすべて病院のほうでしてくれるので本当に楽です。ちなみに次男は週2日の通園となりました。毎週2日間だけは家内も次男から解放されるので,この制度は本当にありがたい限りです。
 なんとなく障害児の次男が入院以外で家に居ないのはおかしい感じもしますが,健康な子供と同様保育園に通い始めたと思えば,まぁ違和感は感じないかもしれません。それだけ次男も大きくなってきたということでしょう。これからもっと多くの人と接して成長して欲しいものです。

No.659 九州訪問 ('05.7.25)
 7月8日に福岡県北九州市まで出張がありました。九州訪問は約3年弱ぶり。前日飲み会で二日酔いを引きずっていた為,最悪の体調での遠距離出張でした。客先で仕事を片付けてからは自由行動とし,博多に出て特急「リレーつばめ」九州新幹線「つばめ」と乗り継ぎ鹿児島中央へ。これでJR全線完乗達成となりました。鹿児島訪問は7年ぶり。しかし体調が悪く,満足に食べることもできず,この日はそのまま博多に引き返し,博多駅前のビジネスホテルに宿泊しました。
 翌日は電化された篠栗線,筑豊本線へ。昔のイメージと変わってしまい,なんとなく浦島太郎気分。その後,門司港にできた九州鉄道記念館を訪問し,ちょうど昼に小倉駅から新幹線で九州を離れました。
 かつてよく訪れた九州ですが,銀色の電車ばっかし走っててちょっとつまんない感じでした。(笑) 私もそれだけ年をとったということでしょうか?

No.658 長期休暇 ('05.7.4)
 先月の父の危機的状況から葬儀等,一連の出来事の為,出勤したのはわずか8日間のみ。14日間は有給休暇となってしまいました。会社に入ってからここまでの長期休暇を取ったのは初めて。ちょうど仕事が切り替わりの時期で,危急な仕事が無かったことも休めた理由のひとつですが,なんにせよここまでの休暇を許してバックアップしてくれた今の職場と上司に感謝です。
 7月4日からいよいよ本格復帰ですが,さほど頭がボケボケにはなっていないので,一生懸命頑張って仕事していきたいと思っています。

No.657 スープカレー ('05.7.4)
 最近北海道で大ブレーク中のスープカレーですが,先日私初めて食すことができました。食べたのは新千歳空港内にある「リトルスプーン」というカレー屋。スープカレーはチキン野菜780円,野菜630円の2種類。私は野菜のほうを頼んでみました。生まれて初めての体験でしたが,元来カレー好きな私にはピッタリな食べ物。美味しゅうございました。また北海道に帰った際に是非食べてみたいと思います。このスープカレー,全国的に広がってくれると嬉しいですね。

No.656 本輪西駅の出補 ('05.6.28)
 気分転換に街へ買い物に出かけたその帰り,実家の近くの本輪西駅に立ち寄って見ました。するとなんと今年の3月で自動券売機が廃止されていました。え,え,えぇ?
 かつて硬券のたくさんあった窓口,JR北海道の硬券廃止により窓口売りの一般乗車券が姿を消し,自動券売機になったというのに,これが無くなってはどうなってしまうのだろう?って窓口を覗いていたら,背後から声が。「どうしたの?」と駅員さん。
 尋ねてみると,乗車券は出補(出札補充券)で出しているとのこと・・・うそぉ?思わず3枚頼んでしまいました。駅員さんも慣れたもの,子供用で作る?って聞いてきました。(笑) また窓口にダッチングマシーンがあったので硬券があるのか尋ねると,入場券が残っているとのこと。これにもびっくり。思わずこちらも3枚買ってしまいました。いやはや,今のご時勢,出補で切符を売ってくれるとは思いもしませんでした。というかまだ出補があったこと自体,驚きです。10年ぶりくらいに手に入れました。ラッキーかも^^ ちょっと昔に戻った感じ,趣味的には楽しい限りですが,これも最後の愉しみかもしれませんね。

No.655 名義書換のない貸付金 ('05.6.28)
 私の地元の地区はつい最近になってようやく下水道が完備しました。トイレの水洗化工事の為,室蘭市水道部で無利子の工事資金貸付を行っているので,私の実家でも「水洗便所改造資金等貸付金」の貸付を受けています。今回父が亡くなったので納付義務者(返済者)の名義を母へ変更をしようと担当部署に問い合わせしたところ,なんとも驚きの返事が・・・ 「名義変更は想定していない」 はぁ?なに〜ぃ? 私のほうこそそんな返事を想定していませんでした。(笑)
 債務者が亡くなるとその債務は相続者に移るので,債務者を変更しようと申し出たというのに,そんな事態を想定していないって一体どういうことでしょうか?担当者の説明では契約者本人が亡くなったら保証人がいるからその人に返済義務が移るからいい,とのこと。・・・ってそれじゃ誰も保証人しなくなるだろうって。(^^; 債務者が亡くなった場合,その債務を引き継ぐ者は相続者であって,その相続者が返済できなくなって初めて保証人が引き継ぐってのが筋じゃないでしょうか? おまけにこちらは逃げるんじゃなくて払うって申し出ているのに・・・。
 担当者に話を聞いてみると,そんな事態は今までほとんど起きていないとのこと。うそだろぉ? 老夫婦だけの世帯で債務者の旦那さんが先に他界し,奥さんだけが残る場合なんぞいくらでも想定できるし,実際に起きているはず。そうしたら奥さんが支払いを続けているのは常識として考えられるでしょう。おそらく表に出てきていないだけです。食い下がると,どうしてもというのであれば,あちらで書いた書類にハンコを押して欲しいと・・・。それも規定にない手続きみたいですが。
 ちなみにどういう風に解決したかというと,これまで口座振替だったものを亡くなった父名義の納付書を発行してもらって納付し続けるとのこと。戸籍や住民票を扱う市役所の一部署が,既に死んでしまった人間名義の書類を発行し続けるっていう神経もよくわかりません。部署が違うと関係ないや,っていうお役所特有の感覚の賜物ですな。
 はっきり言って債務者の引継ぎもできないようなシステムはお金を貸す資格がありません。おまけにここは市民の税金を使って貸付を行う役所です。貸付金の回収をきちんと果たせるようなシステム作り,危機管理ができていないのは重大な欠陥と言わざるを得ません。
 今回一連の出来事担当部署にメールし今後の善処を求めたところ,早速担当者から電話が掛かってきました。あくまでもあちらの立場を再度説明するだけ。おまけにメールされるとみんなに見られるから,と渋る様子。そんな言われて恥ずかしいことないだろ。(笑) こちらとしては次回以降の参考意見としてくれ,として丸く収めるつもりと言いましたが,でもここからは発信しちゃおう。(爆)
 全くもって常識知らずというか,揉まれていないというか・・・ 民間じゃあり得ない感覚に,ただただ笑いが込み上げてくるばかり。こういうところまでのどかな室蘭が私は好きなんですがね。(笑)

No.654 残務整理 ('05.6.28)
 さて父が亡くなったことでいろいろな事務的な仕事が出てきてしまいました。まずは母の年金と健康保険。全て父が亡くなったことで切り替えの必要が出てきており,父の勤めていた会社に相談している最中です。次に銀行。死亡広告が出ると銀行・郵便局は故人の口座を凍結してしまうのですが,これを解除するには色々な書類が必要なので,今日銀行に行って話を聞いてきました。また銀行口座が凍結されてしまうと様々な支払いの銀行振込が停止してしまいます。そこでNTT,電気,ガス,水道,灯油等など,各所に電話を掛けて手続き。さらに父名義の自動車ローンについても債務引継ぎの手続き。また携帯電話の解約やインターネット・プロバイダの解約と新規申し込み,IP電話の再申し込みなど,新しいモノ関係の手続きもあります。
 この他に土地建物の相続,父の自動車の処遇など,考えることがたくさん。さぁて,どう片付けて行きましょうか?会社で仕事しているのと同じくらい忙しいですね。

No.653 葬儀 ('05.6.28)
 6月25日通夜,6月26日告別式,出棺,火葬そして忌中引と一連の父の葬儀が終わりました。地元の町会,父の勤務していた会社,そして電気工事業界の皆様には大変お世話になりました。多くの方にご参列いただき,本当にありがたいと感謝しています。こんな機会ですが普段会えない親戚も集まり,通夜払いでは色々話も弾みました。疲れていたので早めに寝てはしまいましたが・・・。
 それにしても一番嫌なのは出棺と火葬場で最期の別れをする時ですね。本当にこれこそ本当に最期と思うと・・・やるせなくなります。しかし焼きあがった後は正直ほっとするというか気が抜けるというか,そんな感じかしました。骨になってしまうと,なんとなく実感が沸きませんので。
 なんにしても万事滞りなく済ませることができ,一応施主としての役目は果たすことができたと安心しました。本当に役員の皆様には感謝しております。

No.652 葬儀準備 ('05.6.25)
 父が亡くなった直後から一連の段取りが始まりました。長男としてここは全てを仕切るということで,泣くのはそこそこに行動開始。
 まずは葬儀屋の決定。これは3年前に祖母の葬儀を行ったところにお願いすることにし,まず電話を掛けて父の亡くなった病院から自宅まで遺体の搬送。自宅に戻ってから葬儀の段取りについて一連の打ち合わせ。6月25日通夜,6月26日告別式,喪主は母,施主が私となりました。3年前の祖母の葬儀のデータがあるので,それを参考にいろいろ決定。
 それにしても一番困ったのが葬儀委員長を誰にするか。実はこちらでは葬儀委員長は町会(自治会)会長が就くのが一般的。ところが葬儀の日程が町会の行事と重なってしまい,当初は町会ではお受けできないとの返事・・・さぁ困った。父の以前の会社の社長に相談したら,やはり町会長をたてるべきと,なんとなく断られ,最終的に父の業界仲間にも打診したり,と。結局,町会長がこちらの葬儀を優先してくれるということで丸く収まりました。
 今日以降,実際の儀式に入りますが,いろいろと考えることが多そうです。ゆっくり泣いている暇もない,というのが今の実感ですね・・・。

No.651 父逝去 ('05.6.25)
 とうとうこの時がやってきてしまいました。平成17年6月23日17時15分,父が亡くなりました。享年63歳。あまりにも若すぎる死になんともやるせない気持ちでいっぱいです。昨年2月上旬に大腸がん,そして肝臓への転移が判明。手術以降,抗がん剤治療を続けてきましたが思うように治療が進まず,今年の春から急激に体調を崩し入退院を繰り返し,5月中旬以降は完全に末期医療となってしまいました。
 痛みや不快感と連日闘う日々・・・父は相当に辛かったと思います。よくぞここまで頑張った,というのが今の実感です。
 6月11日から最期の入院をしており,いつ亡くなってもおかしくない状況だった為,家族泊り込みで付き添い看病をしていました。一応それなりの覚悟はしていたものの,最期の時は予期せぬ形でやってきました。母が父の呼吸がなんとなくおかしい,と言い始めたので見てみるとさほど違和感を感じなかったのですが,あれ?と思った瞬間呼吸の間隔が異様に長く,呼吸も浅くなり慌ててナースコール。そうこうしているうちに呼吸を止めてしまいました。最初に気づいてからその時間5分ほど・・・実に唐突に,そしてあっさりと父は逝ってしまいました。最期の瞬間は母,私,妹と叔父(父の弟)の4名が立ち会うことができました。
 父との思い出はまさに私の人生そのものですから,語りようがありません。子供の頃は厳しい父ではありましたが,子煩悩で楽しい思い出がいっぱい。大人になった今では私のよき理解者であり,後ろからきっちり支えてくれる頼もしい父でした。私の次男が初めて入院したときなんかは家族の一大事と,わざわざ北海道から長野県まで飛んできてくれた家族思いの父でした。本当に一言では言い尽くせないけど,偉大な父でした。本当に今までありがとう。
 写真は亡くなる二日前,もうほとんど意識の飛んでいる状態の父との最後の親子ツーショット写真です。

No.650 価値観の違い ('05.6.21)
 今回父の危機的状況で家族が集まったのですが,これに対していろいろ言う人が・・・。まるで死ぬのをみんなで待っているみたいだ,子供の学校を休ませてまで行かせなきゃいけないのか,子供がかわいそうだ。
 決して死ぬのを待っている訳じゃない。もう助からない病気だと知っていても,せめて生きている間に傍にいて手を握ってやるなり,話しかけてあげるなりしてあげるべきじゃないでしょうか? 可愛がっていた孫の顔が見れるだけでも病人は嬉しいんじゃないでしょうか? 子供だって家族の大変な姿を見てなにか感じ取ってくれるはずです。私なんかにしたら死んじゃったら何をしても意味がないんです。できるのは本人の感じることのできないセレモニーだけ。そんなの本人にとって本当に意味のあるものかどうなのか。一番大事なのは生きてい<るときになにをしてあげたか,ではないでしょうか?
 これまで病人を看取ったことがなくて判らないとは言っても,人間としてどうあるべきか,言わずとも考えれば自明だと思うのですが,世の中わからない人がいるものです。もし自分が病人の立場になった時,同じ台詞が言えるのか,問いかけてみたいと思うのは私だけでしょうか? 虚礼不要,本質の問題です。

No.649 伯父甥珍道中 ('05.6.21)
 6月12日に私と一緒に長男も北海道へとんぼ帰りしたのですが,その後状況も暗転しており,実家の中も大変なことから我が家の次男をレスパイトで病院に預け,私の家内にも北海道へ来てもらいました。しかし次男のレスパイトは時間的制約があることから,また長男が小学校の欠席が一週間を超えたこと,そして父の状態が小康状態であることから6月19日に一度家族で松本に戻ることになったのですが,私たちと同時に帰省していた仙台の妹親子もこれ以上子連れ看病が厳しいことから,妹の旦那の実家(福島県)に預けることとなりました。そんな訳で私が1歳の甥っ子を仙台まで飛行機で連れて行き,仙台から新幹線で松本に帰ることにしました。
 当日は我が家の3名と甥っ子の4名で室蘭を出発,新千歳空港で別れ,私と甥っ子で仙台行きの飛行機に乗りました。さてどうなるかなぁ?と多少は不安でしたが,案外におとなしくしてくれていたのと,私も男の子2人育てている経験がありますので,まぁなんとかなりました。(笑) 途中眠くてぐずって騒いじゃったりしましたが,まぁそこは物や食べ物で釣ったり(笑) でも仙台空港で義弟と義弟の両親に甥っ子を無事渡せたのはかなりほっとしました。甥っ子も今ではおじいちゃんおばあちゃんの家で充実した日々を送れているようで,伯父の私も一安心です。

No.648 闘う日々 ('05.6.21)
 6月12日に北海道へとんぼ帰りした私でしたが,ここから一週間,実家に居て付き添い生活を送りました。父は末期がんの影響でひどい痛みに悩まされてしまい,最終手段であるモルヒネの増量に踏み切りました。お陰で本人が痛みを感じることはさほどなくなったのですが,幻覚症状が物凄い状態に・・・。ひたすら仕事の話ばかりで,いかに本人が仕事に気を遣っていたのかがわかります。そして肺がんの状況も悪化し,濃緑色の痰が次第にひどく,そして自力で出すのが困難になってきました。少し状態が落ち着いたかな?と思ったら今度は激しく嘔吐。それも真茶色の液体。何回も吐いて苦しそうなので,鼻から管を通して胃の内容物を抜けるようにしたところ,なんと1Lほどの液体が取れました。これで本人の苦痛もだいぶ和らいだのですが,言いようのない不快感が本人に襲い掛かってくるようで,先週末は夜中は眠れない状況もありました。そして毎日毎日目に見えて状況が悪化していっています。今日現在では発熱で39℃ほどになっているにも関わらず,血圧が100を切るなど,医師からもいよいよ厳しくなってきましたと言われている状況です。本人の意識もかなりなくなっており,素人目に見ても時間の問題です。
 私のほうは6月19日に一度松本に戻り,6月20日に久しぶりに出社して仕事をしたものの,再び容態悪化したことから6月21日に再度北海道に戻っています。おそらく今度が最期まで,となるでしょう。ひたすら待つだけで何もしてあげられないのが悲しいですが,せめてもの親孝行のつもりで傍に居てあげたいと思っています。

No.647 危機的状況 ('05.6.12)
 このコーナーは私から家族や知人宛に発信していますが,そのうちの一人が私の父なのでこれまで病気について書くに書けなかったのですが,今日時点で危機的状況になってきたので,ついに書くことにします。
 父は昨年2月に大腸がんが発覚し手術。この時点で実はかなり進んでおり,肝臓にも転移が進んでしまい,その治療として辛い抗がん剤治療を続けて一時期旅行までできるほとに回復したのですが,昨年秋に抗がん剤の副作用による肺炎を併発。約3ヶ月の治療を経て再び持ち直したのですが,今年の4月,体調を崩し入院。一度は退院したもののGW直前になって吐き気が止まらず再入院。この時治療にあたってる医師から直接話を聞き,肝臓に転移したがんが進んでしまい,胃腸を圧迫して腸閉塞を引き起こしているとのことでした。さらにがんが肺にも転移してきているとのこと。以来,病院で入院しながら食事を摂らず点滴生活を送っていましたが,病状は悪化の一途。6月に入り母が医師と話したところ,肝機能がかなり悪くなっており極めて厳しい状況と告げられました。医師としては患者に悔いが残らないように一度家に戻ったほうがよいとの意見に賛成し,父には真実を悟られぬよう自宅で点滴をしながら体力を回復させようと説得したところ了解を得て退院。しかしその3日後から全身に黄疸が出て,さらにトイレに移動すると息が上がってしまう始末。 私が6/9に家族4名で帰省した時は自宅のベッドで苦しそうに寝ていましたが,黄疸と浮腫がひどいのに衝撃を受けました。その時,父が言葉にしていたのが,夢と現実がごちゃ混ぜな時がある,と。何かおかしいな?と思っていたところ,6/10辺りからこの症状がひどくなり,急に仕事の話が出てきたりと幻覚が激しくなってきました。6/11に後ろ髪を引かれる思いで我が家4名は実家を後にしましたが,この一日で幻聴がひどくなり,夕方痰が切れないと言い出したことから,急遽病院へ搬送。検査の結果,肺がんが進行し呼吸器系への障害,肝機能は危機的状況で黄疸と幻聴幻覚が発生,さらに腎機能が低下し浮腫がひどくなり,体内のカリウムが増え,いつ心肺停止してもおかしくない状況と医師に告げられたとのこと。
 そんな訳で私も急遽本日実家へとんぼ帰りする予定です。信じたくないけど受け入れざるを得ない本当に辛い悲しい現実です。せめてもう一度だけでも回復して家に戻れるくらいになってくれれば,とは思うのですが・・・。これからは一日一日が大事です。

No.646 プライオリティゲストサービス ('05.6.11)
 今回の次男の帰省は松本−新千歳間のJAL便を利用したのですが,障害児である次男を連れて行くには吸引機や酸素ボンベが必要なので,JALのプライオリティゲストサービスを利用しました。専用デスクに電話して申し込みをし,医者の診断書,酸素ボンベの認定書などをFAXで送付。当日空港で手続きをすると松本空港でも新千歳空港でもカウンターで別途扱いで手続きしていただき,往復ともに座席の余裕があったので少し多めに席を使わせてもらうことができました。また機内乗り込み時や降機時は係員が付き添ってくれて荷物を持って誘導してくれたり,機内では客室乗務員のお姉さま達にいろいろ配慮いただいたり,新千歳空港では秘密の通路を案内されたり。とにかくサービスという面では航空会社は素晴らしいですね。鉄道会社にはおそらく無理だろうなぁ,と実感させるものがありました。

No.645 立て続けの帰省 ('05.6.11)
 実家の父の病状が思わしくなく,5月に入ってから2〜3週おきに帰省しています。GW期間中には私と長男,5月21日・22日は家内と長男,そして6月9日から11日までは次男を含めた家族4名全員で帰省しました。病気の次男は生まれて初めての北海道帰省。どうなるのかドキドキの帰省でしたが,飛行機に乗っても格段に悪くなることもなく,無事実家にたどり着くことができました。父と次男は,昨年10月に病気を押して父が松本まで来てくれて以来,8ヶ月ぶりの対面でした。私の妹も時を同じくして帰省してくれたお陰で,実家は初の孫3名全員集合と相成りました。ちなみに男だけ・・・(笑) 自宅療養中の父と孫3名でようやく一枚の写真に収まることができ,本当によかったです。

No.644 煮詰まる頭 ('05.6.11)
 最近頭が煮詰まったような感じです。仕事のほうは新分野,商品企画なんかを考える仕事になったのですが,いろいろ資料集めてどういう市場かを把握して,うちの会社の勝ち筋があるのか,なんていうのを考えて・・・っていう風に毎日を過ごしているのですが,正直思ったよりハードな内容。重すぎます。なかなか上手くいかないし,結果もすぐに出せるわけでもなく,厳しい業務と今実感しています。ここはやはりみんなで議論する必要があるかなと今思っているところで,この仕事のペースを掴むにはまだしばらく時間がかかりそうです。その他,実家の父の具合が思わしくないこともあったり,次男の病気のこともあったりと,ほんとなかなか気が休まりません。ま,ここはひたすら耐えるところでなんでしょうな。

No.643 兜 片付け編 ('05.6.11)
 5月の頭に出した我が家の兜ですが,GWに次男が入院してしまったり,北海道に帰省したり,お出かけしてしまったりといろいろありまして,6月5日にようやく片付けることができました。息子たちなのでお嫁に行けないとかないので,まぁいいか,との思いもありましたが・・・(笑)
 片付け前にようやく息子たちを並べての写真撮影。なかなかこちらを向いてくれない次男にてこずりましたが,なんとなくこちらを向いてくれた写真が撮れました。

No.642 キャラメル事件 ('05.6.11)
 家内から山梨旅行でお土産に桃とぶどうのキャラメルをもらいました。ま,一緒に行ったのにお土産をもらったのはさておき(笑),息子と一緒に数個食べて私の部屋に放っておいたら,いつの間に姿形が無くなっていました。あれ?おかしいな?とは思いつつ,息子に聞いてみても知らないよ,の一言。大体の犯人はわかっていたのですが・・・。
 週末,息子の机が散乱しているので片付け始めたところ,机の下の裏側の棚から,例のキャラメルの空き箱が出てきました。さあ,ここからが大変。キャラメルを全部食べてしまったことと,箱を隠していたこと,そして知らないと嘘をついたということで,久しぶりに息子は大雷を落とされてしまいました。ここは親として見過ごす訳にはいきませんからね。彼が言うには,食べてたら止まらなくなって全部食べてしまった。でもこれがバレたらお母さんに怒られてしまう。だから見つからないところに隠した,とのようです。嘘はつかない,そして最初から嘘をつかなきゃいけなることはするな,こってり叱りましたが,うちの息子も小学生になりここまで知恵がついてきたか,と実感しています。これからいろんなことが起きるんだろうな・・・

No.641 石和温泉 ('05.6.11)
 No.640で述べたように5月28日に山梨県へ行ったついでに,家内の誕生日祝いと我々夫婦の入籍祝いを兼ねて,石和温泉に宿泊しました。当日朝,JTBのネットで見つけて決済したのは,石和温泉のホテルふじ。果たしてどんなホテルだろうかとちょっと不安でしたが,訪れてみると仲居さんがなかなか親切でいい感じ。お風呂は大浴場が二つあり,夜19時に男女入れ替えで露天もあり,なかなかに良い風呂でした。一番良かったのは従業員の対応でしょうか。食事はすべてバイキングだったのですが,食堂の従業員の大部分は若く,フロアを仕切ってたのは私ほどの年代の方。我が家のような障害児を抱えていても皆細かいところまで気配りがあり,それでいて出しゃばらず,と本当に気持ちよく過ごさせていただきました。帰りに駐車場で写真を撮ろうとしたら従業員の方がすっ飛んできて,家族全員を写してくれまして,本当に気が利くな,と感心した次第です。またこの宿には是非泊まってみたいと思います。


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