「君の瞳に乾杯」
〜Here is looking at you, kid〜
VOL.4
さてページを改めて気の利いたセリフ、名セリフの続き・続き〜
「人生は美しく、自由であり、すばらしいものだ。諸君の力を民主主義の為に集結しよう」
チャップリンの「独裁者」(1940)でのセリフ。有名なラスト10分間の大演説の一部。この映画はチャップリン初のトーキー(発声映画)。彼はトーキー嫌いであったのでトーキーが普及しだしても以前からあるサイレント(無声映画)を撮り続けた。が、全世界に自由と民主主義のメッセージを伝える為にこの映画でトーキーにふみきった。この映画で登場する独裁者はユダヤ人迫害を唱えるナバロニ国の独裁者ヒンケル。国名と人名は架空ではあるが、もちろんモデルはヒトラー。彼はこの作品でヒトラーを徹底的に笑い者に仕立てあげた(ヒトラーとチャップリンは同い年、1889年生まれ。同じなのはチョビ髭だけではなかった)。彼はこの映画で世界中の民衆に向って自由と平和を訴えた。民衆の自由を求める力・民主主義こそ、独裁者・ファシズムに勝てる力だと信じていたのだ。しかしそんな彼も戦後、戦争による殺戮の正当化を弾劾した作品「殺人狂時代」(1947)で共産主義者と見なされアメリカを追放され、赤狩り(共産主義者弾圧)に狂う民衆に絶望する。そしてロンドンで製作した「ライムライト」(1954)では次のようなセリフを吐く。
「(民衆に対して)愛してはいるが賛美はしない。個人個人は立派でも群集は頭のない怪物だ。進む方向も知らず引きずられる」
この作品ではチャップリン演じる売れなくなった道化師のカルベロの過去を思い出して(以前自分を支持してくれた観客に対して)のセリフなのだが、このセリフはチャップリンのアメリカ国民に対する思いに他ならないであろう。個人個人で責任を持って学を積み、思想を持ち、政治への参加意欲を持たなくては民主主義といえども必ず腐敗する。衆愚政治に陥った民衆に対してはまさしくぴったりの言葉だろうなぁ。さて「ライムライト」には他にもいいセリフがある。
「恐れなければ人生は素晴らしい。大事なのは勇気と想像力、そして少しのお金だ」
カルベロが自殺未遂をした少女テリーに向って言うセリフ。彼は人生を賛美し、人間らしく生きる事を説いた。彼は映画に愛や体制批判などのメッセージを吹き込んだ。同時代の喜劇役者バスター=キートンが映画にメッセージを含まなかったのとは対照的。キートンは思想的なメッセージを含む事は喜劇ではないとチャップリンをあまり好ましく思っていなかったようだ。この作品で初めて2人は共演している。そうそう、この作品ではチャップリンが日本の木(盆栽)のパントマイムをしている有名なシーンがある。なかなか特徴を捉えていて、面白い。ちなみにライムライトとは舞台のスポットライトの事。
さて、その人生に必要なお金についてであるが、ちょいと古い映画から
「金は魔物だ。二万五千ドル分掘ろうと思って出かけて、何ヶ月も見つからないと二万ドルでもいいと思い、五千ドルでもいいと思うようになる。だがいざ金を発見したら、あと一万ドル掘る為に死んでもいいと思う」
一攫千金を狙う人々の人間模様を描いた作品「黄金」(1948)でのセリフ。メキシコで食い詰めた2人のアメリカ人(ハンフリー=ボガート、ティム=ホルト)が金探しの名人らしい老人(ウォルター=ヒューストン)と山に入る。その老人が金(きん)について語ったセリフ。金を巡る人々の悲喜交々があり、最終的には厳しい内容の映画だった。収穫を1人占めしようとしたボガートは山賊に殺され、砂金は風で飛び去ってしまう。このセリフはギャンブル全てに言えるよね。当たるまではわずかでもいいから当たってくれとか思うのに、いざ当たるとまた次に当たるまで続けようと思う。気がつきゃスッテンテン。やはり人生に必要なのは少しのお金だってば。でも少しってどのくらいだろうなぁ?
「愛もいつかは想い出に終わる」
「8月のクリスマス」(1999)韓国映画での主人公のセリフ。韓国映画というと「シュリ」の方が有名だろうが、これは「シュリ」よりも半年ほど前に日本公開された。初めて韓国映画を観たのだが、いや〜これはいい映画だった。主人公の2人の男女(ハン=ソッキュ、シム=ウナ)の不器用な恋愛模様が言葉少なに情感豊かに見事に描かれている。どんなに愛しく想えても時が経てば・・・、というこのセリフ。実は映画の中で2回出てくる。1回目はこれだけなのだが、もう一度ラストに出てくる時にはこのセリフに続きがある。「そう思っていたのだけれど、君だけは・・・」この時のセリフこそ名セリフで胸を打つ。ここに書こうとも思ったけれどもちょいと長いし、この映画のラストで聞いてこそと思うのでここには書かない。懐かしさを憶えるようなノスタルジックな風景の古き良き時代、男も女も恋する事に臆病で控えめだった頃のような(お互い気持ちを打ち明ける事もなく終わる)ラブストーリー。やさしく、ナイーブに哀しい運命の心情がとても切なく伝わってくる。ほろり、ほろり。ちなみに主人公のハン=ソッキュ、「シュリ」にも主役で出演している。
「月っておもしろいですね。形はいっしょ、でも見方によっていろんな形に見える」
「ワンダフル・ライフ」(1999)でのセリフ。このコーナーで初めて扱う日本映画ですな。舞台となっている古い小学校のような建物はこの世でもあの世でもない中間地点。死んだ人はここに1週間留まって生きていた時の想い出を一つだけ選び、それをもとにここの「職員」が撮った再現ビデオと共にあの世に旅立つ。ここは最後の旅を前に自らを振り返り発見する場所なのだ。ようは生きていた時の想い出を一つだけあの世に持っていけるとしたら何を持っていきますか?という作品。いや〜これまたとてもいい映画だった。あの世への旅立ちという、言うなれば少々手垢のついたテーマを扱いつつも物語はすごく新鮮。ヘタなコメディーよりも笑えるうえ、知的、精神的にも刺激してくれる。とても暖かくてすばらしいヒューマンコメディー。皆、想い出選びにいろいろと迷うのだけれど、少年時代に乗った路面電車の中で感じた夏の風、自分で初めて操縦したセスナから見た雲、初めての出産、少女時代に赤い靴を履いて踊ったダンス、第二次大戦中ジャングルで吸ったタバコの味などなど・・・ここに来ている彼等(ようは死んだ人)の語る想い出は生き生きとしていてユーモラスで暖かい。些細で素朴な事のようにも思えるし、大切な想い出とは案外そんなものかもしれないなぁ、とも思える。当然の事なのだけれどやはり人によって様々なんだよね、人生って。冒頭のセリフはここの「職員」である所長(谷啓)が人生を捉えて言ったセリフ。いや〜ほんとにいい映画です。宗教臭くもなく、決してじめじめした映画でもなく、むしろ淡々としたユーモアでありながら最後のシーンではちょいとせつなくてほろり、ほろり。人生に対するせつなさ、優しさ、暖かさ全て含んでしみじみと心に響いてくる、そんな作品です。
「写真なんて無い方がいい。忘れられるもの」
「セントラル・ステーション」(1999)での主人公ドーラのセリフ。ブラジル映画(映画のストーリーとは関係ないが、代書屋が成り立つような識字率の低さ、駅の殺伐とした日常、臓器ブローカーの存在などブラジルの国状についてはちょいと考えさせられる)。リオ・デ・ジャネイロの駅で代書屋をしている初老の女性ドーラ(フェルナンダ=モンテネグロ)と目の前で事故で母親を失った少年ジョズエ(ヴィニシウス・デ・オリヴェイラ)の父親を探す旅の物語。一人ぼっちになった見ず知らずの少年を遠く離れた父親の元へ届けようとするドーラであったが、彼女は決して優しい人物ではない。代書屋をしつつも代書をした手紙を投函する事もなく自宅で読んでは笑い、破り捨てていた。彼女の乾いた心は代書を依頼しにくる人達の手紙に込められた想いを受けつけないのだ。しかし彼女のそんな心も少年と旅を続けるうちに少年の強い心に影響され、人を愛する気持ち・優しい気持ちを取り戻していき、少年も優しい気持ちを取り戻したドーラを信頼し頼っていく。冒頭のセリフは父親の写真がないといったジョズエにドーラが言ったセリフ。実は彼女も少女時代に父親と別れており、そんな父親との感情を自分の中で整理する為に忘れようとし、その為には写真など無い方がよかったのだ。しかし実は彼女も父親の事は忘れられずにいてラストの少年宛ての手紙の中でやりなおしたいとも告白する。そして少年に対しても「私の事などいつか忘れる」と言っていた彼女だったが手紙の中で少年に対して「あなたが私を忘れるのが怖い」「(2人で撮った)あの写真を見て私を思い出して」と言う。ラストの2人で撮った写真を見るシーンはほろりとくる。評判通りのいい映画です。ちなみにドーラを演じるフェルナンダ=モンテネグロはベルリン映画祭で主演女優賞を受賞している。彼女は品のある整った顔つきであるのだが、宮崎駿の映画「天空の城 ラピュタ」に出てくる海賊の女首領ドーラに何処となく似ている気がする。
「これは天使の鈴といって、悲しい時・苦しい時にこれを鳴らすと天使が来て助けてくれる」
「菊次郎の夏」(1999)での主人公菊次郎のセリフ。両親がいなくておばあさんと2人暮しの少年正男(関口雄介)。夏休みに何処へも行けず、遠く離れた所で仕事をしているという母親に会いに行こうとする。そして彼をお母さんの所まで連れて行く事になったのが近所の中年チンピラ菊次郎(北野武)。この映画は菊次郎と正男のお母さんに会いに行く夏休みの旅の日記。上の「セントラルステーション」と同じような設定ですな。ストーリーもこれまたほとんど同じで旅を続けるうちにどうしようもないチンピラの菊次郎が段々と本来の優しさを見せていき、2人の間の気持ちが通じ合うようになるというもの。冒頭のセリフは旅の途中で悲嘆にくれる正男に菊次郎が慰めようとして言ったセリフ。実はこの鈴は2人組みのバイクのおじちゃん(井出らっきょ・グレート義太夫)から奪い取ったものなのだが、菊次郎の正男への(少し不器用だが)気使い・優しさが伝わってくるいいセリフ。それにしても北野武は細かな動作とか、映画で監督・主演を兼ねるなどチャップリンに影響を受けているのではないかな?そうそう、この映画ではチョイ役でビートきよしが出演している。ツービート時代を知ってる自分としてはストーリーとは全然関係ないところで何やら切なさを感じてしまった。この映画では旅で出会う大人達が喜んで楽しそうに遊んでる姿が印象的。ちょいと郷愁を誘う夏休みそのものといった感じ。
「明日の時の長さは?」「永遠と1日」
「永遠と1日」(1999)でのセリフ。何やら謎めいていて哲学的なセリフである。実はこの映画も少年と大人の旅の話。が、ストーリーは上2つの映画ほど単純ではない。不治の病で入院を明日に控えた老詩人アレクサンドレ(ブルーノ=ガンツ)。彼が過ごす最後の1日をアルバニア難民の少年(アキレアス=ケスヴィス)との出会い、愛妻の手紙から蘇る夏の想い出と共に描いている。映画の冒頭に明かされる妻の手紙。それに綴られた夏の1日、心のこもった妻の愛、それが何度も変奏されて登場する。そのたびにアレクサンドレは自分がいかに愛された存在であったかを自覚し、失った愛の大きさを知る。人生最後の1日の旅は愛を再発見する旅なのだ。(その旅の中では詩・母なる言葉、時間的・空間的・政治的国境など幾つかの副主題が絡みつき重層な味わいを出している)そして愛への回帰たるその旅の中で過去・現在・未来という3つの時間軸が交差してくる。このセリフは時間についてのある定義「時間は存在しない」を暗示したセリフ。人生最期の日、たった1日に3つの時間軸(過去・現在・未来)が集結し、アレクサンドレは現在を見ながら過去を生き、未来へ呼びかける(過去・現在・未来というも3つの次元は別々のものとしては存在していない)といったもの。でも、ここの解説だけ読んでも何の事やらわからないかもしれないなぁ。ようはこの映画のテーマは「愛」であり「時間」であるのだ。それをさながら映画全部が一編の詩のように叙情的に、そして哲学的に描いている。まぁ、さすがパルムドール受賞作品ということやね。幻想的な雰囲気に包まれつつ、感動的なんだか、よくわからないんだか紙一重。舞台はギリシア。ギリシア・フランス・イタリア合作作品。
さてさて、これらの名セリフ、使えるチャンスがあれば使ってみてはいかがかな?