〜銀幕あれこれ〜
ここでは銀幕に関する提言・批評・小ネタ・想い出などを述べんとす。まぁ、銀幕版随筆です。
「言語」など0000000000000000000000000000000000 映画の中で使われている言語にはやはりこだわりたい。言語が持つ微妙なニュアンスの違いも登場人物の心情の機微を表現する際にはとても重要になってくる。それに単純に言っても、ヘンな言葉を遣われると途端に作品のリアリティーが大幅に欠如してしまうと思うんだよね。例えば「シンドラーのリスト」ではオスカー=シンドラーもアーモン=ゲイトも英語で話していたけれど彼等はドイツ人なのだからやはりドイツ語で話して欲しかった。だってさぁ、日本兵が英語で話していたらそれだけでもう作品を観る気無くすでしょ。まぁ、そんな作品は観た事ないけどさ。ケビン=コスナー演じる「ロビン=フッド」を観て思いっきりしらけていたイギリス人の気持ちはよく理解できる。日本の戦国時代の武将、例えば武田信玄が合戦のシーンで「Let's Go!」とか言ってごらんよ。劇場のスクリーンにポップコーン投げつけるよ、ほんと。スクリーンで何処の国の人間にも英語を話させるのは英語を母国語とする国(特にアメリカ映画)の傲慢さも見え隠れする。もちろん彼等は意識してないのだろうけどさ。だって、言語に関するリアリティー追求なんて、する気になれば容易にできる。もう少し謙虚になって他国の言語にも配慮した映画創りをして欲しいものです。だってその方がより映画が面白くなるもの。「シンドラーのリスト」を観たドイツ人、「ジャンヌ=ダルク」を観たフランス人なんてきっと思いっきりしらけたんだろうなぁ。
「日本人」など0000000000000000000000000000 リアリティー追求という点で上記のコメントと重なる部分が多々あるのだけれど、外国映画の中の「日本人」。やはりこれまたどうにかして欲しいものが多々あるよねぇ。日本語をロクに話せない日系人を使ったりしているから日本人なのに何言ってるかわからん場合もある。キアヌ=リーブス、ビートたけし出演の「JM」での日本人ヤクザの話す日本語なんて全然わからなくて映画の中でたけしに「何言ってるかわかんねぇよ、英語で話せ!」なんて言われて英語で話している。わからない事はなくても発音がおかしい日本人は多々でてくる。
アメリカ映画の中の日本人の描き方についてなんだけど、まずは悪意・侮蔑の念がこもって描かれている場合(製作者側が意識してない侮蔑も含む)と単なる勉強不足でおかしくなっている場合と二通りあると思うんだよね。悪意・侮蔑の念がこもって描かれている映画の日本人はまぁ、ひどいよ。「ライジング・サン」やB級どころで言えばドルフ=ラングレン出演の「リトル・トーキョー殺人課」などがそう(他にも多々あるが)。こういった映画に出てくる日本人は好色で野蛮この上ない。そんでもって、日本人の好色ぶりを示すシーンとして御約束なのが女体盛り。上に盛られている日本食はもちろん寿司で外人が「皿まで生だ」てな事を言う。これは「リトル・トーキョー〜」でのシーンなんだけどね、「ライジング・サン」の中でも同じようなシーンがある。そんでもって野蛮ぶりを示すシーンでは日本刀でバッサリ。ひどいもんだよ、まったく。まぁ、こういった悪意のこもった映画を創る鬼畜は相手にしなくてよいのだが。
一方、勉強不足やイメージのみで日本人を描いている場合なんてのも多々ある。こちらの場合は悪意は感じられないのだが映画を創るのであればちゃんと勉強して欲しいねぇ。ちょいと情けなくなるぁ。これまた多々あるのだが日本のプロ野球球団(中日ドラゴンズ)に助っ人でくるアメリカ人を描いた「ミスター・ベースボール」。この助っ人(トム=セレック)を歓迎する為に監督(高倉健)の娘(誰だか知らん)は入浴中に「御背中御流し致します」といきなり入ってくる。当然セレックは驚く。娘は平然と「日本では当たり前の事」とかぬかしよる(もちろん娘は娼婦とかいう設定ではないよ)。全然当たり前じゃね〜だろ。まぁ、ツッコミが必要な映画を挙げていったらキリがないのでもうやめておくが。悪意はないのだろうけど・・・やはりちゃんと勉強して欲しいなぁ。もちろん普通に日本人を描いた映画も多々存在しているけどね。
ちなみにあの「パールハーバー」。あれは悪意と無知の両方こもった世紀のバカ映画です。ハワイ空襲のシーンでは病院・一般人への機銃掃射のシーンが延々続き、倒れていく民間人の苦しみが満載。日本本土空襲のシーンでは軍需工場を爆撃のシーンのみ。これは完全な悪意です。無知は言うに及ばず。
あ、そう言えば・・・「キャノンボール」ではジャッキー=チェンが日本人役で出てたよね。
「戦争映画」など000000000000000000000000000 戦争映画が好きなんです。痛快アクションなんてのと同じノリで。もちろん戦争映画には観ていて胸の痛くなるほど戦争の悲惨さを十二分に伝える作品もあって、そんなのは当然痛快には観ていられなくて、ボロボロ泣きます。そういった作品もよく観るけど。でも戦争映画ってそればかりではなくて痛快戦争アクション映画ってのもあるでしょ。そういうのが好きなんです。「眼下の敵」「頭上の敵機」「バルジ大作戦」etc。ミリタリーマニア(オタクとは呼ばないで・・・)だったりもするんで唸る重機関銃、空埋め尽くす戦闘機の大編隊、地上埋め尽くす大戦車軍団、海上埋め尽くす大艦隊なんてのには大歓喜です。スターウォーズなんかと同じノリで「おぉ!」と思ったりもするわけです。ま、それが製作者側の意図であり、真っ当な楽しみ方であるのだろうけどさ。このように戦争映画を楽しんだりすると、あいつは戦争を肯定する危険思想の持ち主だ、ってな事を言う、危険思想の持ち主がいたりするわけです。戦争とは忌み嫌うものであってそれを賛美するかのような戦争映画ファンは許せないみたいな思想の持ち主。もちろん実際の戦争はとてつもなく悲惨な場面が多々あるのだろうけど、こういった映画はそういった趣旨で製作されていないのでそういったシーンはあまりない。単純に観ていて楽しい冒険活劇そのもの。そういった作り物の痛快さを楽しむのが何故悪い。ほんと創造の世界を楽しむ事の出来ない心の貧しき人達だよ。
その痛快戦争映画なのだけれど日本映画ではほとんどないんだよなぁ。やはり敗戦国という事で悲惨な体験をされた方々も多く、そういった映画を製作する事が許されない雰囲気なのだろうけどさ(某政党、某教師団体の圧力もある、っていうかこれがいちばんの原因だろ)。作り物の世界なのだから別にいいじゃんって思うのだけれどね。創って欲しいぞ。大日本帝國軍が所狭しと活躍する映画を。
「トラ トラ トラ」は良い作品だった。日米で監督をたてただけあって日本人・日本軍の描き方もヘンではなく朝日の中、日本の空母「赤城」から次々と零式艦上戦闘機・九九式艦上爆撃機・九七式艦上攻撃機が発艦していくシーンは実に印象的であり、空襲のシーンもなかなかの迫力。まぁ、あまり急降下しない九九式艦上爆撃機や増槽タンクを捨てないで攻撃に参加する零式艦上戦闘機などの細かな問題もあったがほとんど気にならない。「パールハーバー」しか観てない人はこの作品をぜひ観るべし。
ちなみにこの映画の日本側の当初の監督はあの黒澤明だったのだが、制作費を湯水の如く使い、遅々として撮影が進まない状況にアメリカ側のプロデューサーが驚き黒澤は降板され、舛田利雄・深作欣二の両監督により作製されました。
「ゴジラ」など0000000000000000000000000000 「ゴジラ」けっこう好きです。拙者が小学校三年生の時に「ゴジラ」久々にスクリーンに帰ってきました。もっともこの時は同時期に「グレムリン」「スパルタンX」が上映されており、どれにしようか迷った挙句に「グレムリン」を当時の同級生だった三浦君の御母さんに連れて行ってもらいましたが・・・。ゴジラは四年生になった時ビデオで観て「格好良いじゃん!ゴジラって!!」とファンになってしまいました。
さて、そのゴジラですが昭和29年に上映されて以来怪獣王の座についたわけですが、ゴジラの映画史の流れには二種類あって、簡単に言うと「良いもんゴジラ」「悪いもんゴジラ」。「良いもんゴジラ」というと古くはアンギラス、キングギドラ、モスラから地球(東京?)を守って闘ってきました。昭和37年にはあのキングコングとも闘っています(もっともこの時はどちらが「良いもん」か判別しがたいですが)。で、「悪いもんゴジラ」は東京に上陸し破壊の限りを尽くします。この「悪いもんゴジラ」が最初で正当な(?)ゴジラで昭和29年、昭和59年のゴジラがそうです。この昭和59年のゴジラが拙者が小学校三年生の時のゴジラで作品自体も昭和29年ゴジラが復活し再び東京にやってくるってな設定です。拙者が好きなのはこの悪役の方のゴジラです。このゴジラには反核のメッセージがあります(イヤ、拙者自体は必ずしも反核ではないのですが・・・)。昭和29年のゴジラはビキニ湾の水爆実験で生まれた核の落とし子である怪獣。昭和59年のゴジラもゴジラ退治に核を使用する・しないがテーマになってます。このゴジラを取り巻く核のメッセージがゴジラの存在の悲哀さと相重なっていいんですよ。ま、単純に怪獣としても格好良いんだけどさ。
さて、この怪獣王ゴジラはアメリカでも人気があり昭和29・59年のゴジラは正式にアメリカでも上映されています。が、やはりアメリカ上映の際にはゴジラがビキニ湾の水爆実験によって生まれたとの設定はカット。59年ゴジラに至っては日本上映版は核発射装置が配備されたソ連の軍艦がゴジラによる攻撃によって故障し、船長が瀕死の状態ながらも核発射を止めようとするが間に合わず核が発射されるという設定でしたが、アメリカ公開版になると瀕死の状態の船長が「ゴジラを倒さなければ・・・」と言って自ら核の発射ボタンを押す設定になっています。おいおい、これってあまりにも変え過ぎだろ。
そんでもって話題になった98年公開のアメリカ製作「GODZILLA」。つっこみ所は山ほどある。まずこの「GODZILLA」が産まれた設定がフランスのムルロア環礁での核実験!GODZILLA退治に燃えるフランス人役のジャン=レノに「GODZILLAが産まれたのはフランスの責任だ」まで言わせよる。この厚顔ぶりには恐れ入るがそんな事はこの際どうでもよい。あの映画を観た人が思った事は「こんなのゴジラじゃな〜い!!」だろう。あまりにもアレンジされ過ぎたデザインは「でっかいトカゲ」でしかなかった。放射火炎も吐かないし。リアリティーを持たせる為らしいが、どう見てもゴジラじゃなかっただろ、アレは。だいたいリアリティーを持たせる為海イグアナの突然変異といった設定らしいが海イグアナは魚は食わねえんだよ、海草を食うんだよ!(なのに魚で誘き出すシーンが有る)。ゴジラはなぁ、恐竜じみた「でっかいトカゲ」じゃない。「怪獣」なの。「怪獣」ってのは物理法則や生態系を無視しても存在し得るの。だから「怪獣」には魅力たっぷりなの。
中途半端なリアリティーを持たせ「怪獣」映画として製作される事なかったアメリカ版「GODZILLA」。映画の中の「でっかいトカゲ」がちょいと哀れに思えた。