第壱弐回:民俗学

「民俗学」とは柳田国男氏(1875〜1962)が切り開いた学問分野である。歴史とは大抵時の権力者の歴史を書物に残してあるもので、これも歴史である事は間違いないが身分制度の置かれていた時代では庶民の歴史は書物として残り難く、そういった庶民の歴史は各地の伝承として伝えられた。それを集める事によって成り立った学問分野が民俗学であり「権力者の歴史ではなく庶民の歴史」という学問である。民間伝承などを元に地域の歴史と共に文化・独自性をも研究対象とする。そして、その土地の風土・位置・地勢・気候とその移り変わりなどが土地や人を作る。そして歴史・政治・経済・文化・芸術・文学などあらゆる歴史、先人達が長い間に培い育てた歴史によってそこに住む人々の歴史や行動ができてくる。だから民俗学とはその土地の人々の気質を研究対象とする学問でもある。という事で今回は東京・大阪を中心にした東西比較文化論。

ちなみに拙者は父親が埼玉出身で学生時代に上京。拙者は上京二代目の東京人です。

日本橋 「東海道五十三次」 安藤広重

まずは「東京人」ですが、東京は江戸の時代は武士の町であり、明治以降は旧士族達による官僚主導によってできた都市である。当時のテクノクラートと呼ばれる人達が作り出した街であり、文化の中に品位や容儀や節度を重視する思考、対面を大事とする思考が染み入っている。だから対人関係も最初はある程度を距離を置いたものとなるし礼儀も大事とするからよほど親しくならないと言葉遣いも丁寧なままだ(決してつめたいわけではないんだけどね)。

また江戸は支配者階級である武士と共に被支配者階級である他の町人も住んでいた。この人達の文化も江戸にはある。御上に対する反骨精神である。もちろん商人達(大阪は商人の町)にも反骨精神はあったが生活の場にほとんど武士がいないのでたまに会う武士にはその時だけ「はいはい」と頭を下げて面従腹背であればそれでよい。だが江戸はいつも生活の場に武士がいるのだ(江戸の人口の約半分が武士)。だから大阪で育つ反骨精神とはやはり程度が違ってくる。それが痩せ我慢の文化であり「意気(粋)」といった美学にもなる。「初鰹」などもそう。初鰹はべらぼうに高く、まだ脂がのっておらず味もそんなに良くない(戻り鰹の方が断然旨い)。ところが江戸っ子達は大金をはたいて購入し「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」「かぁ〜、粋だねぇ、おい」と言って食す。商人から見れば「何でやねん?」だろうが、江戸っ子にとって経済的な損得は問題ではなくそれが「粋」という美学なのである。この辺りは美学を大事とする武士の影響が町人にも伝播しているのである。

また江戸の町人達は大抵が日雇いの職人達で総じて貧乏であった。よく「江戸っ子は宵越しの銭は持たねぇ」と言われるが持たないのではなく持てなかったのだ(火事が多かったのも銭を持たなかった原因でもあるが)。また武士も貧乏な武士が多かった。江戸は太平の世が続いたので物価はどんどんあがっていくのだが、武士の給料は代々その家(身分)に応じた俸禄で変わる事はなかった。つまり江戸には貧乏な人間が圧倒的に多く、個々の人々の精神的な拠り所は武士はもちろん町人も「金」ではなく「生き様」に拘るといった美意識が生まれてくる(「ボロは来てても心は錦」ってやつだね)。つまり江戸、東京の文化は美意識の文化でありカッコつけの文化である。品位を大事にし理知的にスマートに格好良く見栄をはる。これが「東京人」の気質(ま、この格好のつけ方が難しい。正面きって格好つければ「野暮」そのもの。あくまでスマートに控えめに格好良く、これが難しい。ちなみに「粋」の特別な概念を正確に理解しようとするにはそれこそ専門書が何冊も出ているほどかなり難しいのでここではおおまかな感覚で述べるに留める)。が、こうした気質が関西人にはお高くとまっている「ええかっこしい」に見えるらしい。しかし、これは武士・官僚達の対面を重視する気質もさる事ながら、町人・(江戸中期以降の)武士のような「金」を拠り所とできない貧乏人達の意地が生み出した気質(武士の場合は「武士は食わねど高楊枝」といった事)でもあるんだし、格好はつけるけれども他人を見下すような気質は決してない。それは江戸っ子がいちばん嫌う「野暮」そのものでもある。それにこの格好つけは意識しての行動ではなく、気質として身に付いているもので無意識での行動でもあるのです。だからそんなに「ええかっこしい」を嫌わないで下さいな。

月 淀川 葛飾北斎

さて、次は「大阪人」。大阪は江戸時代には幕府の天領(直轄地)の経済特区であり商人の町として繁盛してきた。江戸時代の大阪の人口は40万人を超えるのに武士はたったの500人を超える程度。これはもう武士はいないも同然で町全体が商人だらけに等しい。実際にかなりの行政は町人(商人)から選ばれた惣年寄によって行なわれていた、いわば商人だけの自治区である。その商人の文化が大阪文化である。親しみを込めて気軽に話し掛ける。これは客引きの文化でもあろう。また客に対しての気遣いやサービス精神。これが大阪の笑いの文化の土台ともなっている。自分の失敗談や弱点をネタにしてでも笑いをとり、相手をたて、心を緩めて自尊心を満足させる。自分はどう見られても相手との関係がうまくいけばよい。利を手に入れればそれでよいのである。これこそまさに商人のやり方である。また、こういった笑いは商人という事もあって御互いが利益を奪い合う関係にある地域ではギスギスしがちな社会の潤滑油ともなる。

また町全体が商人だらけとなると町全体が競争相手だらけだ。封建制度の世の中では代々の家の分に応じて生活していれば大きな失敗も起こらないし、逆に新たな事を始めれば問題が起きる可能性さえある。ところが商人の町の大阪だけは違う。常に目新しい事業を起こしていかないと商人だらけの町ではあっという間に没落してしまう。だから大阪は江戸の昔から新たなアイディアを生み出す創造性に富んだ活気のある街になる(もちろん江戸の町に活気が無かったわけではない。100万人を超える江戸の活気も凄いものであったが商人文化の活気とは質が違うというわけです)。スーパーマーケットや回転寿司、インスタントラーメンにカップヌードルなど全国に見られる商売方法・商品は大阪が発祥である事が多い。これは商人の町大阪ならではの気質による創造性が生み出したものである。

商人達は身分制度では士農工商の最下層に置かれ精神的拠り所は「金」になるのは当然。大阪は商人達の生み出した「金」の文化であり「銭持っててなんぼ、儲けてなんぼ」の世界である(町中が商人だらけなので実際に儲ければ成り上がって行く事ができる。他の町では身分制度が定着しているので無理)。これが東京から見るとあまり印象宜しくない事もある。たいして親しくもないのにフランクな話し掛け方や、でかい声は品が無く無礼に見えたりもするが、これらの気質の差は文化の差である。

つまり東京の文化は対面を重視する格好つけの文化であり、大阪は実利を重視する商売の文化というわけです。

こうした歴史を持つ2つの都市だが、これを他の文化で比較してみる。まずは食文化。関東の濃い味、関西の薄味などと良く言われるがこれはなんの事はない。東京の食文化は田舎の食文化だからである。「食」といったものが文化とまでに昇華されるにはある程度の時間とその土地の発展性がどうしても必要だ。関西は京都を中心に長い間日本の都であったのに比べ江戸は徳川の時代からの都である。江戸が都になってから400年、京都に都が置かれてからはその3倍以上の時間がある。こりゃ、どうしたって西の料理の味の方が洗練されてくるのは当然。東京の味は大雑把な濃い口だが、京都などの繊細で微妙な薄味は田舎である江戸では理解され難かったのである。そうすると東京はどうしても濃い口が定番になってくる。拙者などは京都でざるそばを食した事があるのだがはっきり言って味が無かった。坂東武者の舌には京の都の味は合わなかった。やはり蕎麦は関東だなぁ(大阪のうどんは旨いと思ったのだけれどね)。大阪、関西の食べ物はそれなりにあるが東京の食べ物(和食)というと何だろう?「もんじゃ」くらいだろうなぁ(「おでん」も元々は「関東炊き」といって関東が起源だったのだが)元々は「文字焼き」、これが訛って「もんじゃ焼き」、けっこう旨いんだけどこれを嫌う関西人も多いんだよね(好きな人もたまにはいるが)。という事で東京の味は和食だとあまりない。ところが東京は明治以来西洋文化の発信地でもあった。つまり現在日本中にあるコーヒーを始めとする洋食の殆どは東京発信である。東京に流入してきた西洋の味を東京で日本人の舌に合う味に加工してそれを全国に配信し続けてきた。だから東京の味は洋食の味でもある(東京には今でも様々な洋食の老舗が多々ある)。でもまぁ、これを東京オリジナルと見るか所詮西洋の傀儡と見るかは人それぞれでしょう。

次にファッション。東京の人間が大阪に行って大阪人のファッションを見て思うのは大概「派手だなぁ・・・」でしょう。ただひたすら目立てば良いてな感じ。東京人のファッションというとシックで落ち付いた感じであまり奇を衒うような事はしない。この違いも歴史が大きく関係している。江戸時代、幕府は「倹約を旨とする」といった御触れを度々出した。つまり過度なファッションは許されない。武士が人口の半分を占める江戸では大目付の監視も厳しい。江戸では華美なファッションは度々取り締まられた。そうすると庶民のファッションは落ち付いたものとなり、見えないところでの御洒落が流行るようにもなる。着ている着物の派手さよりも着こなし、着方で勝負という事となる。江戸での粋なファッションとは着ている服ではなく着こなし・着方、物腰、仕草などである。一方大阪は武士が殆どいなく行政も町人達で行なっていたような自治区である。大目付の監視も厳しくなく、また誰からも目立つ派手なファッションは商人として儲かっているんだ、といった宣伝にもなる。見た目が美的に優れているかという事よりも自身が広告塔となって目立つファッションをした方が良い。こういった歴史情勢の違いが東西のファッションの違いを生んだのである。

次に言葉。現在テレビなどでアナウンサーが話している言葉(共通語)が東京の言葉のように思われがちだが厳密にはそうではない。この共通語は明治新政府の文教官僚達によって創られた言葉である。明治維新後全国から新都に集まってきた人達は様々な地方の言葉で話していた。しかし、それでは日常の意思疎通が混乱する。文教官僚達は明治五年の学制公布を機会に日本語の統一を推進した。また共通語の確定は封建制を打破して統一国家となった日本に求められるアイデンティティーの確立と国家の自主独立性の為にも必要であった。そして共通語の基礎とされたのが東京の言葉だったのである。元々の東京の言葉となると「山の手言葉」と「下町言葉」がある。下町言葉はそれなりに有名だろう。「べらんめい!」とか「ひ」を「し」と発音する(「飛行機」は「しこうき」)ってなやつだね。では、山の手言葉とはどのようなものかと言うと多分に女性の言葉遣いに違いがあって「〜で御座います」などから「あなたにはどう見えて?」「どう? 宜しくて?」などといった感じ。ガンダムではセイラさんがよく遣っていた言葉遣いである。この山の手言葉は気品があって宜しいのだが言葉の言いまわし、敬語の遣い方がけっこう難しい(関西での敬語は「〜しはる」の簡易敬語がほとんど)。また「〜でありんす」などの遊郭(吉原)の廓(くるわ)言葉も江戸の町娘の間で流行った事もあるのだがもちろん山の手の御嬢様達は決して遣わない。さて、関西では関西弁がそれぞれあるのだが京都・奈良・大阪などではやはりそれぞれけっこう違う。まぁ、関西の方々(特に大阪人)は自分達の言葉遣いに誇りを持っておられて(当然だよね。何処の人もそうでしょう)東京人である拙者が関西の言葉遣い関して込み入った解説をすると御叱りを受けてしまう可能性もあるので(笑)あまり触れないでおくがちょいと艶っぽい話を1つ。大阪弁の「好きやねん」、これは正しい大阪弁とは違ってほんまは「好っきゃねん」なのだそうだ。「これは恥じらいの言葉やから「好きやねん」なんてはっきり言うもんやない。「好っきゃねん」と恥かしそうに呟くもんや」なのだそうだ。何処からか「大阪で〜生まれたぁ〜女や〜さかい〜♪」てな曲が聞こえてきそうな感じですな。しかし・・・芦屋の方々、俗に「アシヤレーヌ」とか言われちゃってる人達は関西弁を遣わないんだよね。あれは何故?

この東西の雄、何かとぶつかる(笑)東京人から見るとどうも・・・納得いかないのだが皆一様に「対東京」を意識しておられる(これは特に大阪に限った事ではない。よく地方対東京みたいな図式で物事が語られる時があるのだが、東京の人口は約1200万人であり東京は常に9対1で喧嘩(?)をせねばならないのだ。あぁ、かわいそうな東京人)。と、まぁこの対抗心(東京人には他の都市に対してあまり対抗心といったものはないのだが)が、ぶつかり合うのが何といってもプロ野球「巨人対阪神」である。それもそのはず巨人が昭和9年に「大日本東京野球倶楽部」として設立された当初日本国内には対戦できる職業野球チームがなかった。そこで設立されたのが「大阪野球倶楽部」である。つまり最初から対巨人の為に設立されたチームであり、それがそのまま対東京のシンボルとなった。古くは巨人には沢村・吉原のバッテリー、阪神に景浦・藤村などの強打者。そして長嶋×村山、王×江夏などの名勝負を生んだ(ちなみに景浦は東京六大学野球の出身で大学は長嶋の先輩なんだけどね)。この対決の構図では江戸っ子の気質である反骨精神が阪神にみなぎっているような気がする。「球界の盟主何するものぞ」といった感じだね(まぁ、この球界の盟主といった言い方も独善的だけどね、巨人ファンは喜んで遣います)。心地良い東西対決がここにある。

 V S 

「星君!」

 

「花形ぁぁ!」

さて、ここでは大阪を関西文化の代表として論じてきたが、実は大阪は関西でもちょいと特殊である(商人だけの町など歴史上この大阪くらいしかなかった。ちなみに関西の方々でも京都・奈良・神戸の大概の方々は「大阪とは一緒にせんといてよ〜」みたいな事を言わはる)。関西の文化と言えばやはり京都が本流であろう。京都の文化は文字通り京の都の文化であり御公家さん、貴族達の文化である。これまたあまり評判宜しくないかもね。「ぶぶ漬けでも食べて御行きやす」と言われ「そうですか? では頂きます」などと答えたら「ほんま呆れた御人どすなぁ」と思われてしまう(口には出さない)。権謀術数渦巻く貴族文化、やんごとなき方々の気質である。関西の文化は上の文化は京都の文化、下の文化は大阪の文化(決して大阪を貶しているわけではないですよ)、明治以降の西洋の流入は神戸の文化であり、東京は上の文化、下の文化、明治以降の西洋の流入の文化が1つに融合された(雑多で混沌とした)文化でもあるという事です。

三条大橋 「東海道五十三次」 安藤広重

最後に、ここで述べている事はあくまでもその土地に住む人々のおおまかな気質の歴史的背景を述べているだけであって、東京人は全員ええかっこしい、大阪人は全員がめついとかステレオタイプの話ではないのであしからず。まぁ、御国柄というのは何処にでも有る事だし、「ふ〜ん、なるほどね」と軽く思って下さいな。

 

 

東京タワー

 

通天閣

(2002/3/20 Written by SAMURAI)