第五回:ゲゲゲの雑学

※この文章には残虐な表現、及びお食事中には不適切な文章が含まれております。なもんで、妊娠中の方、心臓の弱い方などは閲覧を御遠慮くださいますようよろしくお願いいたします。イヤ、マジで。(忍者ハゲ丸)

こちらのページでは体験談ではなく雑学という事でそれなりに知識を載せようと思う。夏休みという事で怪談その他を含めたあまり気色の宜しくない話をオムニバス形式にいきましょう。

まずは妖怪。ゲゲゲの〜で御馴染みのあれである。妖怪というのは大概、人間か動物かもしくは身近な器物をモデルにして創られております。江戸時代の代表的妖怪図絵「百鬼夜行」「桃山人夜話」などを見ても全く空想で描かれていて何にも似ていないという化け物はいない。動物や器物、自然現象に人間の性質をプラスする事で妖怪が生まれたといえる。これを「人癖」という。例えば地獄の赤鬼・青鬼。あれは人間の死体の変化から連想されたのだろうといわれている。人間は心臓が停止すると全身の血管が収縮し、その結果皮膚が青白くなる。それからしばらくすると腐敗熱で体が熱を持ったように赤くなる。西洋の吸血鬼もまたしかり。死体が屍蝋化などによりいつまでも腐らなかったり死後に棺が密閉されることにより腐敗の進行が緩慢であったりした場合、その墓をあばいた人々がそれを吸血鬼の証拠としてしまったことは多い。また昔は死の認定があいまいであったので一時的な仮死状態、ひどい時には気絶している人間を死んだものとして埋葬してしまいその後墓から蘇生した姿を見て吸血鬼だと思われた。

ということで次は死体。死体についてのネタは大量にあるが全てを載せてもまとまりもなくなるので、ウソかマコトか聞いた噂を1つ。ご存知と思うが医科大学では外科になる学生はもちろん、内科になる学生だろうと眼科になる学生だろうと全員が死体の解剖で頭の先から脚の先までバラバラにさせられる。1つの死体に数名がかりで数週間かけて全部きれいに解剖する。平均すると1人の学生が卒業までに解剖しなくてはならない死体の数は8体くらいだとか。で、その解剖用の死体にも人気、不人気があって老人とかは嫌われる。やはりと言うべきか一番人気は若い女性という事だが、これは別に猟奇的意味あいではなく若い方が内臓その他の傷みも少なく参考になるのと、女性の方が体の構造が複雑で勉強になるからなのだそうだ。ほんとかぁ?と邪推をしていまいがちだが、死体の解剖をするわけでそんなスケベ心が生まれる余地などないのだそうだ。拙者が中学生の頃、宮崎君事件(幼女連続誘拐殺人事件)があり、彼の好んで見ていたビデオシリーズが話題になった事がある。「ギニ―ピッグ」「ジャンク」「デスファイル」などなど、皆さんご存知か? 友人達と借りて見た事があるのだがその中に死体解剖の映像があり、手術用のナタや小さめのチェーンソーなどでザクザクと体を切り裂いていくのだが3分と見ていられなかった。確かにあんな状況でスケベ心など微塵も生まれる余地はない(通常の精神構造であれば)。が、医者の中にはこの学生時代の解剖による陶酔感が忘れられず、手術に挑んだりする医者がいるとか、いないとか。

ということで次は医療(外科の歴史)。外科手術は意外に古くから行われていたらしい。石器時代の遺跡を発掘すると穴の開いた頭蓋骨が発見される事がよくあるのだが、それはどうやらてんかんの手術だったらしい。もっとも純粋に外科手術として行われていたかはよくわからず、宗教的意味あいも多分に含まれていたのではないか、との事。この穴の開いた頭蓋骨に関してはここからストローを差し込んで脳を吸ったのだろうという説もある。研究によるとその頃の外科医(たいていは魔術師「シャーマン」と兼業)は5〜6分あれば石で作ったのこぎりで手足を切り取ったらしい。もちろん麻酔などは存在しない時代である。ハンムラビ法典によると古代バビロニアでは手術に失敗した医者は罰として指を切り取られたそうだ。このような法文が存在するという事は当時すでに手術が行われていた事を示している。ローマ時代には医者は「強い指」を持っていることが条件とされた。強い指とは何ぞや?当時の扁桃腺手術というのは喉の奥に指を突っ込み患部をむしり取るという乱暴なものだったからである。医者にかかった方がいいのかわるいのか・・・。

中世になると医者は手術をしなくなり診断を下すだけになる。実際に執刀するのは床屋の仕事だった。ルネサンスは進歩と野蛮が同居している時代であり、様々な新技術が開発される一方で、手術の最中に邪魔だというだけの理由で男性陰部(キン○マ)を切り取ったりなんて事がよく行われていた。現代医学の父とされるアンブロース=パレもこの時代の人間で、彼の時代まで外科手術の時の消毒液は傷口に煮えたぎった油を注ぐ事であったが、彼が軍医だったころ戦場で油が不足し、やむなく軟膏をぬっただけで誤魔化していたところ、軟膏だけの方が患部の治りが早かった。ここから彼は消毒用の軟膏を発明したのだが、ちなみにその軟膏は子犬を鍋でドロドロになるまで煮て作ったものだったという。この時代の有名な解剖学者はアンドレイ=ヴェサリウス。彼は何度も解剖を繰り返したのだが、その解剖に使った死体というのは墓から盗んできたもの。この頃の医学教科書には死体盗みのマニュアルが書かれていた。さてこのヴェサリウス、ある時、解剖中の遺体が突然息を吹き返し、怒り出した。

「なんでオレの体を切り刻むぅ〜」
「わぁぁぁ!!!」

彼はそのショックで心臓麻痺を起こして死んだと伝えられている。死の認定があいまいであった時代だったから、有り得ない話ではない。さらに時代は下がって19世紀。有名な外科医はロバート=リストン。彼はケガ人の足を2分半で切断するという早業で有名であった。が、あまりに早すぎて別のところを切ってしまう事も多く、ある手術の時には彼の患者の足と一緒に助手の指も切断してしまい、慌ててそのわきで手術を見学していた同業者の陰部(キ○タマ)にメスを突き立てた。さながら地獄絵図である。患者と助手は傷口が化膿して死に、同業者はショック死したという。

ということで次は死体を食ってしまう方、カニバリズム。食人嗜好「カニバリズム」というのは古代社会では世界中に見られたのだが時代がくだってくるにつれて段々となくなっていったが、この嗜好が最近まで存在した国が中華人民共和国。魯迅の「狂人日記」を見てもわかるように、つい100年ほど前までそのような嗜好があったのだ。元朝の時代に陶宗儀(とうそうぎ)という人によって書かれた「輟耕録」(てつこうろく)には次のようなことが書かれている。

「人間を料理するには生きたまま甕(かめ)の中に座らせておいて外から火で焼くか、鉄架の上で生きたままこんがりと焼く」

「手足を縛って沸騰したお湯を浴びせかけて竹箒(ほうき)で苦い皮を剥ぎ取る」

などなど、どうやら皮は苦いらしい。この人によるとおいしい順番は小児・婦人・男子といった順番。ちなみに中国の書物では食人の描写は別段珍しい事でもなく様々な書物にその描写が登場する。あの「三国志」や「水滸伝」にも登場する(「水滸伝」なんかだと、ムカついたからぶっ殺し内蔵を抉り出し食っちまった、とかね)。特に女性、食糧難な状況になるとよく食われてます。

次はフランスでのお話。十四世紀の末から十五世紀の初めにかけて、シテ島マルムゼ通りにあったピエール・ミクロンの菓子屋と惣菜屋(シャルキュトリー)はおいしいと評判が高くパテ・オ・ジャンボン(ハム入りパテ)を買いに来る客が大勢いた。ミクロンの店のすぐ近くにはカバールなる男の床屋と鬘屋があった。1415年のある日の事、床屋の店先に犬がいて、動こうとせずとにかく一日中吠え立てる。たまらず近所の者達は警察に訴えた。さて調べてみると、ミクロンの店の地下室とつながっている床屋の地下室で、肉屋が肉を吊るす鉤に死体が九体吊るされていた。その中の一人は犬の飼い主のドイツの学生だった。髭を剃ってもらおうと店に入ったきり、出てこなかったのである。役人がかの有名なシャルキュトリーに入っていくと、ミクロンは床屋の地下室の死体から切り取ってきた人肉の骨やら滓やらをせっせと釜に放り込んでいた。肉は丁寧に斧で切って、例のパテ・オ・ジャンボンの材料にしていたとミクロンは白状した。以上がパリのグルメの垂涎の的であった特別料理の秘密である。

床屋は外科医としても働いていたからこのような事件も起こせるわけだ。それにしても人肉はおいしいらしい。

さて、気が付いたら怪談を載せていない。という事で最後に怪談。怪談といっても三遊亭円朝の「怪談牡丹灯籠」ではなくて小泉八雲(ラフカディオ=ハーン、八雲というのは彼のハーンを八雲、音読みにもじったのだ)の方の「怪談」。文学性の高い(幽美な?)作品集なだけに恐さについては幾分取り澄ましたところもあって身の毛もよだつほどの作品は少ないのだけれど、その中であえて不気味なものを捜せば「破られた約束」ではないのか。

武士の妻が臨終の床で「自分が死んだあと後妻をもらわないで欲しい」と訴える。武士は約束する。女は自分の墓を庭の隅に掘って欲しい事、それから棺に鈴を一つ入れて欲しい事を願って息を引き取る。しかし武士は死者との約束を守らずに後妻を迎えてしまう。十七歳のうら若い花嫁であった。結婚して七日目、武士が宿直(とのい)のために家をあけると、深夜花嫁の枕もとに亡霊が現れ「ここからすぐに出て行け。あの人に理由を話してはいけない。さもないと八つ裂きにするぞ」と告げる。若い花嫁は恐怖におびえ、結局一部始終を夫に話す。夫は「悪い夢を見たのであろう」と言って取りあわないが、それでも次の宿直のときには屈強な護衛係を二人置いて出て行く。しかし真夜中が来ると護衛係は金縛りにあい、女の亡霊は若い花嫁の首をちぎって立ち去る。翌朝、家に帰った武士は、首のない花嫁の死体を見て血の跡を追う。血の滴りは庭の隅まで続き墓の所には・・・

〜久しく土に埋まった姿の女が、片手に首、片手に鈴を持って立っていた〜

この作品が心に強く残っているのは作品の恐さばかりの所為ではなく最後のエピローグの所為でもある。小泉八雲と妻節子との対話である

「これはひどい話だ」と私は、この話をしてくれた妻にむかって言った。
「この死人の復讐は、もしやるなら、男にむかってやるべきだ」
「男は皆そう考えます」彼女は答えた。
「しかし、それは女の感じ方ではありません」
・・・彼女の言うとおりであった。

このエピローグ、女性の恐さがひしひしと伝わってくるような気がして・・・コワイよね。

という事で、今回は「夏休み特別企画」ということで気色のよろしくない話ばかり載せてみました。

(Written by SAMURAI 99/08/02)