第弐六回:理屈
理屈。つまり物事の道理、すじみちの事である。拙者はこれを大事にして生きている、つもりである。やはり理屈を通してこそ円満な人間関係が出来上がるはずであり、また常識をもった大人として必要なモラルである。それは当然であろう。理屈も何もなくただ本人の感情の赴くままに生きていればそれは大人として失格である。
このモラルを大事に今まで生きてきた。そして拙者の友人達は皆、口を揃えて言う。「サムライは理屈っぽい!」と。この場合の発言は褒め言葉ではない。で、拙者が「いや、理屈は大事だよ。物事の因果関係にしろ、ある事情がどんな原因に起因しているかをしっかり認識してこそ・・・」と反論すると「いやいや、理屈じゃないって」と諭される。では、理屈でなくて何によって状況を把握し判断し発言するのか、と思うのだが、まぁ、言われている相手が友人達であるのでほとんど不快感は感じないし、そこでムキになって反論するほど拙者も野暮ではないので「そうかぁ」などと納得したフリをするのだが。が、これはフリであって実際は納得していない。確かに理屈ではない事象も世の中には存在する。感情(特に恋愛感情)の問題とか嗜好の問題とかね。わかるよ、それは理屈ではない。でもさぁ、人の判断基準・行動規範は理屈によるべきだと思うけどなぁ。
しかし、拙者に対して「理屈っぽい」と言う人間が多いという事はやはり拙者は他者に比べて理屈好きといった性格があるのだろう。で、この理屈っぽいと形容される人が世の中に拙者1人という事は当然有り得なくて、実は拙者からみても理屈をきちっと通す人、だとの印象を持つ人はいる。ようは拙者と似た感じの理屈屋ね。でも、拙者はこういった人達に対して「理屈っぽい人」というよりも「論理的思考の出来る人」と感じる。意見を言う時に主題がはっきりしていて、何に起因するのかなどの理由も的確に発言する。例えば何故かとの理由を聞かれた時に「なんとなく」ではなく「之という理由」を持っているという事。で、こういった俗に理屈っぽいと形容される人達を見ていて思ったのは、自分も含めて兄弟で兄、しかも妹がいる兄といった人が圧倒的に多い。
何故か?理由は簡単。妹といった連中は理屈ではなく感情で生きてくる事が許された人種だからだ。まず、年下の兄弟がいれば兄弟喧嘩の際には上の子は「お兄ちゃん(お姉ちゃん)でしょ!」とたしなめられるのがほとんど。そこに理由はない。そこにあるのは年下の兄弟より先に出生したという事実だけである。が、その事実が上の兄姉の行動を制約する。この出生の時期の違いだけで損をするのは下が弟でも妹でも同じだが、上が兄で下が妹の場合は兄弟喧嘩の際暴力の行使が非常に強力に禁止される。下が弟であっても兄弟喧嘩で暴力を奮えば親は怒るだろうが、その際はけっこう喧嘩両成敗といった感じの裁きが下される事が多い。が、兄が下の妹に暴力を奮う事は厳禁であり、その戒めを破れば兄だけがこっぴどく叱られる。つまり兄という立場は口論の段階では出生の時期を理由に行動を戒められ、かといってゴツンとやればその時点で負け、両親に叱られるだけ。非常に虐げられた立場なのだ。そこで兄達が自衛の方法として身に付けていくのが理論武装である。妹は理論などない。親の使う伝家の宝刀「お兄ちゃんでしょ!」を理屈なしに憶えていてそれを使う。そこで兄達は理屈でもって両親に直訴し納得させる。つまり理屈というのは兄達の生きていく為に欠かせない手段であったのだ。
幼い頃の兄弟喧嘩とバカにしてはいけない。幼い頃だからこそなのだ。幼い頃は世界が狭く家族という共同体の中で行動する時間が大半である。そして家族という共同体の中で利益が相反する相手が兄弟なのだ。例をあげれば冷蔵庫にあるプリンやゼリー。これを両親と取り合うといった経験をした事のある人はまずいないだろう。だが、兄弟では取り合うのが普通である。家族という共同体の中で限られた財産(この場合はプリン・ゼリー)を常に取り合う関係が兄弟なのだ。取り合いとは実際に取り合う行為だけを言っているのではなく、こちらの取り分を多くしようと思えばどうしてもあちらの取り分が少なくなるという利益相反関係という事。
幼い時のプリン・ゼリーの価値は高い。それを兄だからという事実のみを理由として取られてはたまらない。 そこで兄達は考え出すのだ。なぜ兄だと我慢しなければならないのか?そして、それはどうやら兄という身分に課せられたモラルであるらしいと考える。つまりお兄ちゃんなんだから妹には優しくするべき、という事だ。なるほど、一応そういったモラル・道徳が社会通念上存在する事はわかった。しかし、その道徳はいつ・いかなる場合でも遵守すべき規範というわけでもないだろう。だから場合によってはその道徳が遵守されなくても良い場合があるはずである。では、どういった場合か?それは「公平」といった「兄は妹に優しくする」といった道徳よりも社会通念上より高い位置にあるはずだとされる規範に則った場合であろう。つまり冷蔵庫のプリン・ゼリーは公平に別けられるべきだ。この場合兄は妹に優しくして取り分を少なくしなくてはならない、といった事にはならないだろう。では「公平」とはどういった状態を指すのか。兄と妹では身体の大きさが違う。当然大きな物を動かすにはより大きなエネルギーが必要なわけで各々のその消費エネルギー量に見合った分だけ各自が摂取できるのが本当の公平・平等のはずだ。例えて言えば自分よりかなり身体の大きなお父さんとお母さんが自分と同じ量だけしか御飯を食べてはいけない、となったらやはりそれは真の平等ではないだろう。それと同じように必要とするエネルギーの比率に合わせて食べる事が本当の公平のはずだから、妹よりも身体の大きな自分の取り分は妹よりも多くてしかるべき・・・・ ってな事を兄達は考えながら幼い時を生きてきた種族なのだ。
そりゃ、理屈っぽくもなるだろう!
ちなみに妹は「お兄ちゃんでしょ!」の一言で生きてきた種族だからはっきりいって論理的思考力に欠ける人が多い。幼い頃にその鍛錬をしていないからだ。拙者の事を理屈っぽいと言う友人達はやはり女性の方が多くそしてその多くが妹と言われる種族だったのもうなずける。「夏と冬どっちが好き?」と聞いて「私は春が好き!」と答えるような女性は必ず「妹」だ。この手の女性にはまず理屈は通用しない。何か言っても「だってそうなんだもん」理由も理屈もあったもんじゃない。で、またこちらの理屈を受けつけない。何か言えば「理屈っぽい」の一言でおしまい。 と、いった人達が多いと思うなぁ。
兄達よ、負けてはいけない・・・
(2002/03/17 Written by SAMURAI)