高畑勲・宮崎駿とジブリの歴史

1959-1965 ‘59年高畑勲が東映動画(現・東映アニメーション)に入社し、 ‘63年に宮崎駿が同社に入社する。高畑が『太陽の王子ホルスの大<冒険』の制作準備に取り掛かると、宮崎も同作に自主的に参加した。
1968 『太陽の王子ホルスの大冒険』(演出:高畑、場面設計・原画:宮崎)公開。父の死後、仲間を求めて旅に出たホルスは、ある廃村でヒルダと出会う。だが彼女は悪魔グルンワルドの妹だった……。この作品は緻密な心理描写などに取り組み、アニメーションの可能性を広げた。
1972 71年に東映動画を退社した高畑・宮崎はAプロダクションで『ルパン三世』を演出。‘72年には『パンダコパンダ』(演出:高畑、原案・画面設定など:宮崎)、‘73年に『パンダコパンダ雨ふりサーカスの巻』(演出:高畑、画面構成など:宮崎)を手がける。
1974 『アルプスの少女ハイジ』(演出:高畑、場面設定・画面構成:宮崎)放映。日常を丁寧に描き、身近な生活に潜む魅力を浮き彫りにした。『ハイジ』の成功は、後の名作アニメの路線を切り開くことになった。
1976 『母をたずねて三千里』(演出:高畑、場面設定・レイアウト:宮崎)放映。高畑、宮崎、作画監督の小田部羊一という『ハイジ』のメインスタッフが再び取り組んだ名作アニメ。母を探しに旅だったマルコの苦闘を、正面から掻いた
1978 『未来少年コナン』(演出:宮崎)放映。原作を宮崎が徹底的に再構築し、アニメーションならではの魅力に溢れたSF冒険活劇に仕上げた。これ以降、宮崎は演出家として歩むことになる。作画監督は東映動画時代の先輩、大塚康生。第9話、第10話の演出に高畑が参加している。
1979 『赤毛のアン』(演出:高畑、場面設定・画面構成:宮崎)放映。宮崎は『アン』を第15話で降板し、初劇場監督作『ルパン三世カリオストロの城』に着手。同作は同年公開される。宮崎は‘80年に『ルパン三世(新)』の第145話、第155話も担当した。
1981 『じゃりん子チエ』(監督:高畑)公開。はるき悦巳のマンガを劇場アニメーション化。テレビアニメにもなり‘81年から‘83年まで放映された。またこの年『アニメージュ』8月号で宮崎駿特集が組まれ、宮崎と徳間書店との交流のきっかけとなった。
1982 『アニメージュ』において宮崎がマンガ『風の谷のナウシカ』連載スタート。‘94年まで数度の中断を挟みながら断続する。『セロ弾きのゴーシュ』(脚本・監督:高畑)公開。宮沢賢治の童話をアニメーション化。
1984
(二馬力・徳間書店・博報堂)
『風の谷のナウシカ』(原作・脚本・監督:宮崎)公開。宮崎自身の原作マンガを自ら映画化。当時未完結の原作を大幅に改めて映画用にまとめ直した。高畑がプロデューサーを務め、宮崎をバックアップした。
1986
(二馬力・徳間書店)
『天空の城ラピュタ』(原作・脚本・監督:宮崎)公開。漫画映画の複雑を目指して制作された正統派の冒険活劇。本作も高畑がプロデューサーを務めている。‘85年、『ラピュタ』制作の時に、スタジオジブリが発足した。
1988
(二馬力・徳間書店、
1988野坂昭如・新潮社)
『となりのトトロ』(原作・脚本・監督:宮崎)、『火垂るの墓』(脚本・監督:高畑)公開。また‘87年にはドキュメンタリー『文化記録映画 柳川掘割物語』(脚本・監督:高畑、制作:宮崎)も公開されている。
1989
(角野栄子・二馬力
徳間書店)
『魔女の宅急便』(プロデューサー・脚本・監督:宮崎)公開。児童文学のアニメーション化。当初は若手監督を立てる予定だったが結果的に宮崎が監督を手がけることになった。高畑が音楽演出として協力している。
1991
(岡本螢・刀根夕子
TNHG/1991)
『おもひでぽろぽろ』(脚本・監督:高畑)公開。小学生を主人公にした岡本螢・刀根夕子の原作をベースに、27歳に成長した主人公のエピソードを加えて再構成した。宮崎は制作プロデューサーとして作品にかかわった。
1992
(二馬力・TNNG/1992)
『紅の豚』(原作・脚本・監督:宮崎)公開。『宮崎駿の雑想ノート』(大日本絵画)の中の1エピソードをアニメーション化。当初は機内上映作品として企画されていたが劇場作品に。この年、スタジオジブリ新スタジオが小金井市に完成する。
1994
(畑事務所・TNNG/1994)
『総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ』(原作・脚本・監督:高畑)公開。多摩丘陵のタヌキの変遷を描くオリジナル作品。宮崎は企画としてクレジット。‘93年にはジブリの若手スタッフによる『海がきこえる』(監督:望月智充)がテレビ放映された。
1995
(1995柊あおい/集英社
二馬力・TNHG)
『耳をすませば』(プロデュース・脚本・絵コンテ:宮崎)公開。監督はベテランアニメーターの近藤喜文。宮崎は同時上映短編『On Your Mark』を監督する。また‘96年には徳間グループとディズニーの間で、ジブリ作品などの世界配給を中心とした提携が決まる。
1997
(1997二馬力・TNDG)
『もののけ姫』(原作・脚本・監督:宮崎)公開。中世日本を舞台に人間と自然を相克を描いた同作品は大ヒットとなり社会現象となった。‘98年に宮崎は個人事務所・二馬力のオフィス兼アトリエ(通称「豚屋」)を、ジブリ近くに建てる。
1999
(1999いしいひさいち
畑事務所・TGNHB)
『ホーホケキョ となりの山田くん』(脚本・監督:高畑)公開。いしいひさいちの新聞マンガを長編アニメーション化。水彩画タッチの画風で描かれている。三鷹市から正式にジブリ美術館の招致要請がある。
2000 井の頭恩賜公園で『三鷹の森ジブリ美術館』の起工式が行われ、翌年秋のオープンに向けて建設が具体的にスタートする。徳間書店の創業者で、スタジオジブリの活動をバックアップしてきた。徳間康快前社長が死去。
2001
(2001二馬力・TGNDDTM)
『千と千尋の神隠し』(原作・脚本・監督:宮崎)公開。興行収入が300億円を超え、日本で公開された映画の中で最大ヒットとなる。三鷹の森ジブリ美術館がオープンする。
2002
(2002猫乃手堂、
2002TS・TGNDHMT)
『猫の恩返し』(監督:森田宏幸)、『ギブリーズepisode2』(監督:百瀬義行)が2本立てで公開される。宮崎は美術館用短編として『くじらとり』『コロの大さんぽ』に続き『めいとこねこバス』を手がける。
2003 長い休みから元気に戻ってきた、スタッフの皆さんが2004年公開予定の『ハウルの動く城』を作成する