12階の恋人





 「へぇー、こっちからの見晴らしいいじゃん」
 あなたは、何気ない賞賛の声をあげる。
「そりゃあ、そうよ。12階だもん」
 あたしは何気ない風を装って答える。
「しっかし、お前、何度引越しすれば気が済むんだよ」
 あなたは、窓から離れソファに腰を下ろしながら言う。
「結構いい気晴らしになるわよ」
 あたしは、あなたの為に料理を作りながら答える。
 そう、一種の気晴らしなのかも。引越しのための手続きや準備、実際の荷物運び、そんなことをやっているうちは何を考えなくでもいい。
 唯一つの思いを除いて、かな?
「単なる気晴らしにこんな金のかかることやるか? 俺には分からないな。
 それにいつも時期が突然だ。いつやるかまったくわからん」
 嘘ついてるの? それとも本当に分からない?
 なんて、心ではあなたを疑いながら、二人のための引越しパーティーの準備をする手は止めない。
「最初、いた部屋は一階だったよな」
「うん」
 顔を上げずに口先だけで答える。
 包丁を操る手を誤りそうだわ。
 あなたと知り合った頃は一階だった。
「1階の時は女の一人暮らしはちょっと心配だったもんな」
「そうね」
 あたしの部屋に初めて来た時も、あなた同じ事を言ったのよ。
 そして、こうも言ったわ。
『一階じゃ飛び降り自殺もできねぇな』
 そう言ってあたしに笑ってみせた。
 つられて『ばかね』って笑ったあたしを、あなたは抱き寄せた。
「ねぇ。飲み物だけでも先に出す? 料理、もうちょっとかかるんだけど」
 ちょっと手の込んだ物を作りすぎたかな。
「いいよ。できてからでいい。待ってるよ」
 さりげないよく出来た恋人の台詞。
 いつだって、あなたは「私の前」ではそうなのね。
「でも、喉乾いてるでしょう?」
 あたしも出来た恋人らしくディープシーウォーターの入ったグラスをあなたの目の前に置く。
「サンキュ。で? 今度はいつ引越しするんだ?」
 あなたはいたずらっぽい台詞であたしを覗き込む。
 あたしは、冗談っぽく肩をすくめて答える。
「さ・あ・ね」
 恋人らしいじゃれあいの視線を絡ませて、私は台所に戻った。
 そうね。
 最初に引越しをしたのは、あの年上の人の時かしら?
 あなたのバイト先の主婦の人。
 あの時は2階に引っ越しただけだった。
 だって、遊びだってことだけは見え見えだったものね。
 知らないと思ってた? あたし、みんな知ってるの。知ってて知らない振りしてた。
 次のはやりの茶パツ顔グロのマヌカンの時は4階。
 あの時はちょっと趣味を疑っちゃったわ。
 あの無邪気そうな女の子の時は、ショックで一気に4階程高くしてしまったわ。
 あの子、どことなくあたしに似てた。
 私が、引越し祝いをしようと言うと、あなたは必ず来てくれて二人で祝ってくれた。
 だから、あたしは、まだここにいる。
 もし、あなたが来てくれなくなったら・・・もう、ここは1階じゃない。
「できてるのから、先に食べちゃおうか。他のは、もうちょっと煮込んだ方が美味しいと思うんだ」
「そう言いながら、自分がお腹空いて来たんだろう」
 あなたの笑顔はいつも屈託がなくて誰でも信用してしまうわ。
 それが、嘘だと分かっていても。
あたしは、ぺろっと舌を出して、キッチンからベランダに向かう。
「もう暗くなっちゃったから、窓閉めようか」
 煌くネオンが美しい夜景。すぐ下を見下ろせば、街頭に照らされた歩道が見える。
 あそこまで落ちていく気分はどうなのかしら?
 地面にぶつかった時は? 痛みを感じるもの? あんまり高い所から飛び降りると途中で気絶しちゃうって話を聞いた事があるわ。
 そうなのかしら?
 見つめるほどにくっきりしてくる歩道の石畳。
 覗き込んでいると歩道に吸い込まれそうな気分に陥る。
 手摺を握ってこらえる。
 まだ、早い。
 あの人はここに、私の側にいる。
「おい、何を見てるんだ?」
 ベランダから戻って来ないあたしを不審に思ったあなたが、部屋の中から声をかける。
「ん? 夜景が綺麗だな、と思って」
「そんなのこれからずっと見れるだろ。ここに住むんだから」
 いつまで、この夜景を見ていられるかしら? ねぇ? あなた。
 あたしは、あなたに微笑みかける?
「さあて、お祝いしましょうか?」
 そう言い、夜景に背を向け、部屋に戻る。
 今は、まだ、優しい恋人の微笑みが迎えてくれる部屋に。


END