時織り 夢織り
悠久の時を輝き続ける星々の大海の中。
天河に引き裂かれた恋人達。
ベガとアルタイル。
年に一度だけ寄り添い輝き合うことが許される。
永遠の恋人達。
アヤは顔を上気させ、息を弾ませて通路を走っていた。胸にしっかりとあるものを抱えて。
華奢な足は急ぎすぎて、つっかえ気味になりながら、それでも、一所懸命かけてゆく。
その勢いで娯楽室のドアの開閉スウィッチを音を立てて押し、全部開ききるのももどかしく中に飛び込んだ。
「セイ! 見て! できたの」
大きな声に娯楽室にいた大半が入り口の方を向いた。
アヤはその中からすばやくセイの顔を見つけだして駆け寄った。
セイが口を開くより早く、アヤは抱えていたものをセイの首に巻き付けた。
いきなりのふわっとした感覚にセイは戸惑った。
「マフラーを編んだの。素敵でしょ?」
入って来た勢いの割りには自分が作ったマフラーに自信がないアヤは、後ろ手にうかがうような表情でセイを見つめた。
「素敵だよ。綺麗な色だね」
そう言ってセイが笑顔を見せると、アヤの顔もパァっと明るくなる。
アヤはセイの笑顔が好きだった。見ているとフワッと暖かい気分になってくるから。
それよりも何よりもセイに喜んでもらえたのが嬉しかった。
「その青ね。深海の青なの。セイの黒髪に絶対似合うと思ったの」
「これ、僕に?」
アヤは、うんっとうなづいた。
うなづいた拍子に肩で薄茶色のくせっ毛が揺れる。
「ありがとう。どこかの星に降りたら使わせてもらうよ」
「おい。セイ、次の手」
セイの向かいに座っていた操縦士のジオがチェス盤を指先で叩いた。目の前の状況を把握してない彼は一心不乱に自分の手を考えていたらしい。
「あ、悪い」
セイは笑顔のままビショップを動かした。
「え? まだそんな手があったのか? わーーしまった」
ジオは自分が圧倒的に不利になったチェス盤を前に短髪の頭を抱えた。
三人の周りにあとの二人も興味を持って集まり始めた。
「ほーーーっ。うまく編んだな。えらいぞ」
艦長のテルがアヤの頭をなでた。
最年長の彼は最年少のアヤに対して父親のような態度を取る。実際は30にもなっていないのだが、艦長という責任のある役職が彼を老けさせていた。
「そうでしょう?」
セイの台詞に自信を得ていたアヤは今度は胸を張って答えた。
「俺にも作ってくれるかい?」
そう言って顔を寄せてくる通信士のヨウには、アヤはイーダって顔をした。
「あたし、セイにしか編まないもん」
ふくれて見せるアヤの肩をヨウが軽く叩く。
「俺には彼女いないんだから冷たくするのだけはやめてくれよな。アヤ」
「知ーらない」
アヤはふざけてつんと横を向いた。
「女の人ならレイがいるじゃない」
その時、ドアが開き、医療部担当のレイが娯楽室に入って来た。アヤと同じ頃に部屋から出てきたのだが、歩いて来たので、娯楽室に着くのが遅くなったのだ。
「冗談じゃないわ。あたしは誰の彼女にもならないわよ。それより、アヤ、もっと編目をそろえないと他の物が編めないわよ」
「はあい」
冷たい、怒っているというよりも事務的な口調がいつものレイのしゃべり方であった。
そして、豊かな金髪をひっつめにした髪型と白衣が彼女から受ける印象の冷たさに拍車をかけていた。
「おやおや、手厳しいね」
ヨウは肩をすくめて自分の元いた席に戻った。そんな仕草と首をかしげると肩にかかる金髪が彼を少し浮薄に見せる。
アヤ、セイ、ジオ、テル、ヨウ、レイの六人が宇宙船ディアナの乗組員。
そして、多分、最後の地球人。
XXXX年、太陽が急激に収縮しはじめたと同時に未知の放射線を発し始めた。それらは急激に遺伝子異常を引き起こし、防衛手段が解明される前に、地球は死滅した。ほぼ、同時期に太陽系内のすべての調査基地やコロニーも死滅した。唯一、太陽から一番遠く離れた海王星衛星探査に出ていた宇宙船ディアナだけがまぬがれた。しかし、それは、太陽からの距離に反比例して、ゆるやかに遺伝子異常が引き起こされているに過ぎなかった。そして、遺伝子異常は老化の度合いに応じて程度がひどいということも分かった。調査基地所長長月昭はわずかな可能性をかけ、若者だけを乗せて宇宙船ディアナを飛ばすことにした。多人数を乗せて旅立つことは食料などすべてにおいて不可能であるため、所長以下四十名は海王星調査基地に残った。(多分、死滅)
しかし、遺伝子異常は起こり続け、太陽系を遠く離れてようやく異常が停止した時、正常な遺伝子を保ったのは二人だけだった。
ピーッ ピーッ。
電子音が部屋中に鳴り響いた。
アヤの笑顔がくっと歪み、重そうにまぶたを開ける。
『アヤ、検診よ。早く起きて医療室にいらっしゃい』
「はぁい」
アヤは眠い目をこすりながら、ベッドから床に降りたち、クロゼットを開けた。
その中からシンプルなデザインの部屋着を取り、着替える。このごろはほとんどが、2,3着の着回しだった。
レースやフレアーのワンピースはおでかけ用のつもりだったから、とても宇宙船の中で着る気には、もう、ならなかった。
そっとスカートの裾を手に取ると柔らかな感触。
「いつ着れるのかな」
名残惜しそうに見つめてから、パタンとクロゼットを閉める。
医療室につき検査室に入ったアヤは少し不機嫌だった。
(がまんしなくちゃ。お母さんになるための検査だもんね。あたしは、あんなワンピースの似合う女の子じゃなく、母親にならなくてはいけないんだから)
アヤは自分に言い聞かせて診察台に寝転んだ。
『はい、力を抜いて』
ガラスの向こうの操作室からレイの声が聞こえる。
ウィ〜ン。
機械が近付いて来る。
アヤはきつく目を閉じた。
スキャンするだけだから、感じるはずないのに、検査の不快感がアヤにいつも鈍い痛みを感じさせる。
検査の意味は、健康の維持と母体に適しているかどうかの検査だとアヤは聞かされている。
そうでなければ、こんな不愉快な検査、とっくにやめているだろう。
アヤは体の芯から沸き上がる嫌悪感に耐えながら願った。
これでOKでなければ、また明日、それでOKが出なければそのまた明日と検診が伸びていく。
機械が遠ざかり『はい、終わったわ。下りていいわよ』と言うレイの声が聞こえる。
アヤはほっと息をついて、のろのろと上半身を起こした。
(いつこの検診は終わるんだろう。いつ赤ちゃんが産める体になるんだろう)
最近のアヤはことさらに検査が続くことに嫌気がさしていた。
検査室を出ると、レイが待っていた。
「さあ、朝食を食べに行きましょう」
「うん」
ちょっと苦笑気味にアヤは答えた。
義務だと思っていても、嫌な物はいやに違いなかった。
いくら検診の不快さをレイに訴えてみても、やめてくれるはずはなかったし、言っても仕方がないことだった。
検診を受けるのはアヤ一人、大人の体になっていないのもアヤ一人なのだから。
朝食の後、艦長のテルがみんなに娯楽室に向かうように言った。
「定例会議を行うからな」
みんなが集まってゆっくり話ができるほどのスペースがある部屋は一つだけなので、そこを普段は居間のように使い、娯楽室と呼んでいるが、本来は会議目的の部屋であった。
みんなががたがたと食器を片付けて娯楽室に向かう中、テルはアヤに声をかけた。
「嫌だったら来なくていいよ。会議なんてつまらないだろう」
アヤはトレイを持って少しの間躊躇した。
テルの申し出が、最年少であるアヤへの思いやりであるのはわかっていた。
会議には出たいけど、自分が出ても邪魔なだけということも分かっていた。
無理に会議に出たけれど寝てしまったこともあった。
「うん。じゃ、自分の部屋に行ってるね」
アヤが明るくそう言うと、テルはほとんど父親の笑顔でくしゃとアヤの頭をなで、娯楽室へと向かった。
食器を片付けるのが最後になったアヤは自分の食器を洗浄器に放りこみ、ランプが点灯しているのを確かめ、スタートスウィッチを押した。
そして、ため息をついた。
アヤは自分の部屋に戻り、床のラグにうつぶせに寝転んだ。
(あたしはいつまでたっても一人前になれない。みんなの役に立たない。母親修業の先生のレイの教えてくれる編み物や裁縫もうまくできない。みんな優しくしてくれるけど…)
頬を純毛のラグにこすりつける。
(船のこともちっとも知らないし、冷凍睡眠前の海王星でのこともおじいさまのこと以外あまり覚えてない。あたしが覚えているのは冷凍睡眠から目覚めた後の…)
ピルルル、ピルルル。
ドアの外からの呼び出し音が鳴った。
「はい」
『セイだけど、開けてくれる?』
アヤは、ぱっと飛び起きて、衣服を整えてから、手元のリモコンでドアを開けた。
「なあに? セイ、会議はどうしたの?」
さっきまでの憂鬱そうな表情を無理矢理笑顔に作り替えてからアヤは言った。
「退屈だろうから、これを貸そうと思って」
と、本を差し出し、床に座っているアヤに手渡した。
アヤの笑顔が本物になる。
「ありがとう! ”星の神話“?」
「そう、地球にあった星にまつわる話を集めた本だよ。呼んでごらん。使ってない部屋に置きっぱなしなのを見つけたんだ」
にこ。微笑んだ拍子に黒髪が一筋頬に触れる。
いつものセイの笑顔。いつものようにアヤの心が内側から暖かくなる。
「来たければ来てもいいんだよ。会議」
アヤは首を振った。
「いいの。もっと、分かるようになったら行くから」
セイは何もかも分かったような笑顔でうなづいた。
「来たくなったら遠慮せず言うんだよ」
「うん。言う」
「じゃあね」
そう言ってセイはドアに向かった。
「あ、ね、セイ」
呼び止めるアヤの声にセイは優しい瞳で振り返った。
「ん、何だい」
「あたし、この本、展望室で星を見ながら読んでもいい?」
セイはちょっと目を見開いてから微笑んだ。
「いいよ」
そう言ってからセイはドアの向こうに消えた。
アヤはセイの貸してくれた本をそっと抱きしめた。
(セイがいてくれるなら、何でもいい)
「すまない」
そう言いながら、セイは娯楽室に入って行った。
「セイ、困るわ。あなたがいないと会議が進まないのよ」
レイが必要もないのにいらだたしげに書類を揃える。
セイはすぐ表情を曇らせ、謝ろうと口を開いたが、それよりも先にジオが声を出した。
「いいじゃないか。アヤのためだろう」
ジオの台詞に他の乗組員も一様に「納得」という顔をした。
だが、レイだけが目付きを険しくして、言いつのった。
「みんな、アヤに甘すぎるわ。だから、いつまで立っても冷凍睡眠後の記憶の混乱から抜け出せないでいるのよ。いくら所長の孫だからといって」
「そういうわけじゃないさ」
ヨウがむきになって反論する。
「彼女が一番幼いんだ。優しくしてやってもいいだろう。なあ、テル」
ヨウはテルに、責任者に同意を求めた。
しかし、テルは首を横に振った。
「いや、俺は意識してやっているつもりはないが、所長の孫だからという気持ちがあるかもしれない」
「テル!」
ガタンと音を立ててヨウが立ち上がった。ちらっとレイに悔しげな視線を止めてから、テルと向かった。
テルはヨウと向かい合おうとせず、額に手をやってテーブルに視線を落とした。
「俺は……はっきりと覚えているんだよ。自分達の存在の可能性を否定してまで僕達を生かしてくれた長月所長の最後の言葉を。アヤを頼むと言った時の必死な表を。たった一人の身内を未熟な僕らに預けなければいけなかった所長の気持ちを、僕は解り過ぎるほど解ってしまったんだ。彼女は本来なら温室で育つはずの花だったんだ。」
「だからって…」
言いつのるレイをテルが目で制した。
「意識してやっている訳ではないと言っただろう。可能性があると言っただけだ。俺は特別扱いをしてるつもりはないんだ」
すっかり空気が重くなった部屋の雰囲気に耐えられなくなったジオが重圧を振り払うように明るい声を出した。
「それにー。彼女は今や別の意味で大事になった訳だし、優しくするぐらいいいじゃないか? な、セイ」
と、セイに笑顔を振った。
快く同意してくれると思ったジオの目測は外れ、セイはすぐには答えず、しばらくしてから笑い返しただけだった。
何も口を出さないセイの代わりにテルが口を開いた。
「そうだな、セイは別の意味で所長の遺志に答えなければいけないな」
「ああ、そうだな」
テルの熱心さに比べて、セイの返事は歯切れが悪かった。
立ち尽くしていたヨウはそれを見て、周りに解らないほどの軽い舌打ちをして、憮然とした表情で座った。
「アヤが弱くなるわ……」
誰にともなくレイがつぶやいた。
「さあ、会議を続けよう。ジオ。セイが帰って来てからの会話はカットだ」
テルは記録係のジオにそう言い、艦長らしく会議の進行を促した。
探査船ディアナは、長期航海用ではなかったため様々な故障箇所が現れて来ていた。本来の用途である海王星から衛星への往復には十分過ぎる程の強度を与えられているのだが、それでも、航海の度に補強された上で、次の探査に出掛けるはずだった。それが、補強無しでかなりの光年を航行しているのだから故障は当然だろう。船内の装備で修理は可能だが、人員と技術と資源に限界がある。会議では、重要な機関優先、軽度の故障個所優先で、合理的な修理計画が立てられていった。
展望室は室と言っても密閉された部屋ではなく、少し広くなった通路にかなり大きな窓があるだけでドアはない。
アヤは部屋から持ち出した大きなクッションにもたれて本に視線を落としていた。
「アヤ」
突然呼ばれたアヤはびくっとして本から顔を上げた。
「セイ…」
セイはアヤの横に腰を下ろし、アヤの手元を覗き込んだ。
「どこまで読んだ?」
アヤは返事をしなかった。セイが目を上げると、アヤは星空をじっと見上げていた。
「ペガとアルタイルってどれなの?」
脈絡のない問いに少し戸惑いながらもセイは素直に答えた。
「いや、僕には分からない」
「セイにも分からないことがあるの?」
アヤは黒目がちな瞳を見開き、セイの方を向いて言った。
「あるよ。当たり前だろう」
セイはおかしそうに笑って星空を見上げた。
「星図の丸暗記はできないよ。それに、あの本はね、地球から見た星図からかかれたものなんだよ。この船からじゃ位置が微妙に違って見えるんだ」
「そうなの…」
アヤは残念そうに言って、また、星空を見つめた。
もちろん計算できるソフトをあれば簡単なことであるのだが、ディアナには搭載していなかった。それほど、ディアナの出立は慌ただしい急な物だったのだ。
「……っく」
おかしな音がしたので、セイは何気なくアヤを見やった。
「アヤ! どうしたの」
セイが驚いてそう言った。
いつのまにかアヤがしゃくり上げていた。
アヤは首を振って笑おうとしたが、どうやっても顔が歪んでうまくいかず、結局セイの胸に泣き伏してしまった。
「アヤ?」
セイはすっかり狼狽して、とりあえずアヤの背中に手を回して肩を抱いた。
「か…かわいそう…」
しゃくりあげながら、とぎれとぎれにしゃべるアヤ。
「誰が?」
子供をあやすように優しく語りかけるセイ。
「……織姫と牽牛………」
(ああ、だから、ペガとアルタイル)
セイは一つ納得がいった。しかし、これだけでは、泣いた理由が分からない。
「織姫と牽牛がどうかしたの?」
「だって」
しばらく黙って大きく息を吐き、自分が納まるのを待って、喋り始める。
「だって、一年間ずっと逢えないのよ? 恋人同士なのに逢えないのよ?」
でも、それは、ただのお話で、実際のペガとアルタイルは恒星で何億光年も離れているんだよ。
セイはそう言おうと思って、やめた。そのかわりに「そうだね」と言ってアヤの小さな体を優しく抱いた。
「セイ…」
「ん…」
「あたしたちはずっと一緒にいられるのにね」
アヤの瞳からまた涙がこぼれ始めた。
「あの二人だってあたしたちと同じ恋人同士なのに…かわいそう」
アヤの手がセイの背中に回され、微かに力が込められた。
「そうだね」
セイが短く答えた。
その表情の複雑さを胸に抱かれたアヤは見ることができなかった。
二人は宇宙船ディアナで公認の恋人同士であり、ディアナで、いや、地球人で正常な遺伝子を保っているだけだったのはアヤとセイだけだった。
長月所長は、地球人存続の夢を託し、6人を新しい生存可能な星へと旅立たせた。しかし、人間の寿命で行き着ける距離にそんな星はなく、6人は冷凍睡眠に入る。が、それも人体に影響があるため、長期間続ける訳にはいかない。あとは、彼等の代に見つけられない場合、彼らの子孫に託すしかなかった。そのためには、正常な遺伝子で交配されなければならない。つまり、アヤとセイの遺伝子で。艦長テルは、それを義務だと思った。セイはそれに従った。
これらは、まだ、アヤが冷凍睡眠に入っている時に決められた。
アヤはそんな計画があることを誰にも知らされていなかった。
セイはアヤから身体を離した。
「セイ……?」
アヤは不審げに聞いたが、答えはすぐ出た。
『セイ。いるんでしょ。第三機関部分に故障が見つかったわ。すぐ来て』
セイは壁の通信機に近寄り「すぐ行く」と答えた。
アヤは一度たずねてみたかったことを聞いた。
「どうして、お医者さまのレイがよく機関室にいるの?」
レイは医学生だったので医療部を担当しているが、いつも仕事があるわけではないので、他に適役がいないということでアヤの先生をやっている。それ以外はフリーのはずなのだが、他の人間が担当の部署にいることが多い。
それが、セイのいる部署とよく重なっていた。
「彼女は、この船のことを一通り知っておきたいんだそうだ。この船は人手不足だしね。修理を手伝ってもらっているんだ」
そう言った後、こう次々と修理箇所が出て来てるんじゃ、会議で立てた修理計画の意味がないな、と一人ごちた。
「ごめん。僕は行くよ」
すまなさそうなセイの言葉にアヤはうなづくしかなかった。機関部が壊れると船が進まなくなるから、その修理は最優先されなければならないことぐらいはアヤにも分かっていた。
頭の中では。
出て行こうとしたセイがふと振り返った。
「そうだ。アヤ。ここよりもっと星がよく見えるところがあるんだ」
「どこなの?」
「今度連れて行ってあげるからね」
「ほんと?」
喜ぶアヤにセイはいつもの笑顔で答え、展望台を出て行った。
去っていくセイの後ろ姿を見送るアヤの瞳には少しさみしげな光が宿っていた。
姿が見えなくなると、アヤはまた星空を見上げた。
(ペガとアルタイルはどれだろう)
深い……深い……眠りの中。アヤは泣いていた。
(おじいさま! おじいさま!)
たった一人の身内であった祖父はアヤに背を向け、闇に溶けた。
アヤを守っているものがすべて消えてしまった。
心細くって、恐くって死にたいぐらいだった。
周りは闇、泣いても、叫んでも、何の返事も返って来なかった。
死ぬにもどうすればいいのか分からず、気が狂いそうになった、その時。
乳白色の感情がアヤを取り巻き、優しく包んだ。アヤの体の中まで染み通り暖かくしてくれた。アヤは子宮の中の胎児のように身体を丸めて乳白色の感情に身を委ね、へその緒のかわりに身体全体から優しい気持ちを吸収しながら、浅い眠りの中にいた。
一筋の明るい光がアヤを貫いた。
瞳をうっすらと開けたアヤに乳白色が薄れていくのが見えた。けれども、アヤを包む思いは変わらない。乳白色が薄れるにつれて、他の色彩がはっきりとしていく。
アヤが瞳に完全な色彩を取り戻した時、彼女が最初に感じた色は黒だった。
闇ではない。暑い夏の日の木陰のようにはっきりとした、それでいて明るさを含んだ黒。黒い瞳を持った青年。
誰かがこう囁いた。
『彼が君の恋人だよ』
恋人……?
黒い瞳の青年が答える。
そうだよ。
声の優しさに安堵を覚え、アヤは納得してしまった。
あたしはこの人を想っていたのだと。
「アヤ、編目が飛んだわ」
レイの冷たい声に編み棒が抜けそうになる。
「どっどこ? レイ」
あせったアヤにはどこが飛んでいるのやら全然分からなかった。向かいのソファからレイがすっと立ち上がり、とんとマフラーを弾いて「ここよ」と、言った。
「ああ、5段もほどかないといけない」
アヤはマフラーを編むのは二つ目なのに前よりうまくなっていない。
ほうとアヤはため息をついた。
(でも、がんばらなきゃ。あたしがしなきゃいけないことはこれしかないんだから)
最年少のアヤは船のことは一切まかされていない。それは、アヤが正式な乗組員でなかったことからいっても当然だった。アヤが探査船ディアナに乗っていたのは祖父である長月所長が遠足ぐらいのつもりで連れてきただけなので、宇宙船のことは何も知らない。知らないから任させられないのだが、それに、テルの過保護が輪をかけていた。
それでも、あたしも何かしたいというアヤにテルは花嫁修業という仕事を割り当てたのだ。
「そんなことでいいの? 他の人のお手伝いをしなくていいの?」
と、不満げに言うアヤに、テルは、
「将来、君が子供を産んだ時役立つように今から練習しておくんだ。未来に子供を残すというのはとても重要なことなんだよ」
と、噛んで含めるように言った。
アヤも他に出来ることがないのは解っているので、それで納得した。いつかはセイの子供が欲しいと思っていたので。
そのために不快な検査も受けている。
ただし、花嫁修業といっても船内の資源は限られているので以前の乗組員が趣味で持ち込んで生活には不要な手芸一般だった。
(それなのに……)
レイが花嫁修業の先生をやっているのだが、レイに何か教わるたびにアヤは思うのだった。
(どうしてレイの方が何でもうまいんだろう。レイは船の仕事も出来るのに編み物もうまい)
ずるいと思う反面、憧れでもあった。
それと同時に、
(もし、そうだったら…)
「どうしたんだい。今日は娯楽室でお勉強かい」
休憩に入ったジオが声を掛けてきた。
手芸はどこでもやれるので、とくにやる場所は決めていなくていろんな所でやっている。
「ジオ、艦橋の様子はどうなの?」
レイが顔も上げずに尋ねた。
「どうにかってところだね。いざとなったら切り離すしかないな」
アヤにはなんのことかわからなかった。聞いて見てもアヤは気にしなくてもいいのよと言われる話。
アヤは静かに毛糸を解き始めた。
ジオはアヤの手元と、レイの手先を見比べて、「先生の方がうまいのは当たり前か」と、ぼそりと言った。
アヤの手がぴたりと止まった。
それに気付いたジオがあわてて言い訳を始めた。
「いや、アヤは初めてだから…ね、少し下手でも…あ」
ジオのフォローになっていないフォローにアヤは弱々しく微笑んだ。ジオに悪気あっただけでなく、あけっぴろげな性格で少し不器用なだけだと言うことが解っているから。
「いいの。本当のことだもの」
アヤの台詞にレイが顔を上げて見た。それは決して優しい瞳ではなかった。
「レイは何でも出来るしそれに……綺麗よね」
アヤはおせじではなく本気で言い、笑いかけたが、レイは冷たい表情を崩さなかった。それどころか、目付きが険しくなったようにアヤには思えた。
それには、気付かないジオが調子に乗って喋りだした。
「そうだよな。地球にいたらもてたよな。学生時代はもてたんだろう、レイ」
無邪気な笑顔を振り撒きながら、ジオはレイの横に座った。
だが、レイは何の反応も見せず、黙々と編み続けた。
さすがにジオも笑顔のやり場を失い、気まずいと思い始めた時、ようやくレイが口を開いた。
「ねぇ、ジオ。知ってる」
その声は、レイには珍しく媚を含んだような響きがあった。
ジオは、レイが話しかけてくれたのが嬉しくって勢い込んで返事をした。
「え、何を?」
「花がどうして綺麗か」
レイが手を止めて、ジオを見つめた。
真正面から見つめられたことと、いきなりの話題の飛躍に、ジオはすぐ答えられなかった。
毛糸をほどきおわったアヤがおずおずと答えた。
「見てて楽しいから」
(綺麗じゃない女の人を見るより、綺麗な女の人を見るほうが楽しいように?)
自分が思ってしまったことに、微かな胸の痛みを覚えたが、それよりもレイのアヤを見る目にかすかな侮蔑が込められたことの方が気になった。
「違うわ」
そう答えたレイの声はいつもの事務的なものに戻っていた。
「受精のためよ」
「え? 受精にはおしべとめしべがあればいいんだろぉ」
「あるだけじゃどうしようもないでしょ」
レイはジュニアスクールの先生のようにやんわりと言った。
「受粉しなきゃ受精できない。受粉は花自身にはできないわ。風とかほとんどが昆虫による受粉よ。その昆虫を寄せ付けるために、花弁が、いわゆる花が必要なのよ。あと、蜜とか香とかがね」
技術屋のジオは素直に感心していたが、アヤはぎこちなく笑うことしかできなかった。
気が付くと、レイがアヤを見つめていた。
「あ、レイって何でも知っているのね」
アヤが言いおわる前にレイが口を開いた。
「だから、受精の必要のないものには花も必要ないということになるわね」
抑揚のない声でそう言ってのけ、アヤが何か言おうとする前に、レイが立ち上がった。
「ジオ、艦橋を見ておきたいわ」
「あ、ああ」
ジオもつられて立ち上がった。
「アヤ、悪いけど一人でやっていてね」
「はい」
レイはさっさと娯楽室を出て行き、その後をジオが追った。
ジオは小走りに走って、レイに追いつき、心配そうに言った。
「なあ、何機嫌悪くしてんだよ、レイ。今、人間ってのは受精のために生きてるわけじゃないんだぜ。原始時代じゃあるまいし。レイは本当に綺麗だよ。それでいいんじゃないかぁ」
ジオは不器用なりに精一杯レイをなだめているつもりだった。
しかし、レイには通用しなかったようである。レイは立ち上がり、冷ややかな視線をジオに投げた。
「私達は、子孫を残すためにこの宇宙船に乗っているのよ。かなり原始的な理由よね」
そう言うと、また、さっさと歩き始めた。レイのきつい口調はジオにそれ以上口を挟む余地を与えなかった。
背中一杯で拒絶を表すレイの後を黙ってついて行くしかなかった。
『受精のために花が必要』
『受精の必要のないものには花も必要ない』
娯楽室に一人残されたアヤの頭の中をレイの台詞の断片がかけめぐっていた。
それらから言外の言葉が聞こえて来るようだった。
アヤはかぶりをふり、編み物と向かいあった。
(うまく編めればセイが喜んでくれる)
アヤは自分にそう言い聞かせた。
そうすることによって心を落ち着けようとした。
「レイ」
一通り艦橋を見回り、しばらくして医務室に戻ったレイの所にヨウがやって来た。
「どうしたの? 怪我でもしたの?」
レイは医療担当らしい質問をしたが、ヨウはそれには答えなかった。
「最近アヤに対する当たりがきついんじゃないか」
責めるような口調にレイは横目でヨウを見た。
「会議の時もそう思ったが、さっきジオにも聞いた」
ヨウはデスクの横の診察台に腰掛け、レイを見下ろした。
レイもくるりと椅子を回し、ヨウと向かいあった。
「あなたがたがアヤに甘いだけだわ。あの子は何の役にも立たないのよ。私はそれに合わせた扱いをしているだけだわ」
いつにもまして、冷ややかな、固い声。
ヨウは口調よりも内容に眉をひそめた。
「彼女だって一生懸命編み物したりしてるじゃないか。それが彼女の精一杯なんだ」
「セイのために? 偽りの恋人のために?」
「レイ!」
ヨウの厳しい口調にも動じず上目使いにヨウを見上げ、からかっているような笑みを浮かべて言った。
「だって、そうでしょう? 子供を作るのがセイとアヤじゃなきゃいけないと決まってから、作られた恋人同士だわ。アヤにはそのことを話さず、その代わり、冷凍睡眠から目覚める時にセイが恋人だと暗示をかけたんじゃない。それをあの子は素直に信じてるだけよ」
「君はそれが不満なのかい?」
「それを私に聞くの? それだったらあなただって同じ穴のムジナなんじゃない?」
レイは自嘲気味に笑った。
「みんな、館長の提案に従っただけだわ。誰も逆らうことなんてできないのよ」
「レイ、いいかげんに分かっているんじゃないか? あのふ」
「ヨウ! やめてよ。わざわざそんなこと言うためにここまで来たの?」
レイは厳しい口調でヨウの言葉をさえぎった。
その声には哀願の響きがあり、ヨウはそれ以上言うのはやめた。
「………セイがどこにいるか聞こうと思って」
「修理計画表を見ればわかることでしょ?」
「予定箇所はもう済ませてあって、それからどこに行ったか分からないんだ」
レイに聞いても分からないと知ったヨウは診察台から腰を上げ、入り口に向かった。
その後ろ姿に向かってレイが問い掛けた。
「どうして私の所に来たの?」
「ちょうどこの前を通っただけだ。……この頃二人は一緒にいるみたいだし…」
ヨウは振り返りもせず、そう言い、そのまま外に出て行った。
レイはドアをしばらく睨んでいたが、ついっと机に向き直り、カルテのチェックを始めた。
数十分しただろうか。レイの仕事は呼び出し音によってさえぎられた。
「はい、医療室」
そう答えた声は事務的だったが、次の瞬間青ざめて叫んだ。
「セイが大怪我をした?!」
「セイ! 大丈夫?」
アヤはそう言って、医務室に走り込んだ。連絡を受けてあわててきたせいで、手にはしっかりと編みかけのマフラーが握られていた。
セイはさっきヨウが座っていた医療台に寝かされていた。胸部に巻かれた包帯には痛々しく血が滲んでいた。
自分が怪我をしたかのような痛みを感じてアヤは診察台の前に立ち止まった。
「んっとにばかだ! 剥がれた内壁に当たるなんて」
ソファに座っているテルが怒ったようにそう言った。
アヤは、その時になってセイ以外の人間が部屋にいることに気付いた。
レイがめずらしく感情を見せて、治療していた。
「いくら、医療施設が整っているとはいえ、怪我をしてもいいってことにはならないのよ! この船の設備じゃ治せないものだってあるんですからね」
「治らないの?」
アヤが悲痛な声を上げた。
レイが面倒くさそうに振り向いた。
「大丈夫よ。これくらいなら」
アヤは、ほっとすると同時に瞳に涙を浮かべた。
「ごめんね」
それまで黙っていたセイがアヤの方を向いてそう言った。
アヤは首を振った。
「たいしたことじゃなくてよかった」
「セイが怪我をしたって聞いた時、胸が張り裂けるかと思った」
セイに笑顔がなければ派手に泣き出してしまったことだろう。
「セイ。第四艦橋の修理は見合わせになっていたはずだろう?」
テルが腹を立てているのも心配の裏返しだった。
「予定箇所を済ませて時間があったんだ」
「それにしてもだ。危険な所なんだから、他の人と一緒に行くとか。第一あそこは損傷のひどさに比べ、航行に関してはそう重要な所じゃないだろう。強いて言えば、あそこは今銀河中央に面していて、星が多く見えるということだけじゃないか」
(え?)
「悪かったよ」
セイは素直に謝った。
テルはセイが平気そうなのを確かめて、故障場所に戻っていった。
(あたしに星を見せるために……怪我をしたの?)
セイを見つめても、苦笑を返すだけで何も言わない。
「アヤ、悪いわね、そこの消毒液を取ってくれる?」
アヤは周りを見渡して、何本かのプラスチック容器を見付けたが、どれなのか一見して分からなかったので、一番先に目に付いた、消毒液とラベルに書いてある容器をレイに渡した。
「アヤ、オスバンじゃなくハイアミンをくれる? オスバンじゃきつすぎるわ」
レイはにべもなくそう言い容器を突っかえした。
アヤは慌てて、容器を取り替えた。
レイは受け取った容器を開け、蒸留水に何滴か落とし、その中に治療に使った器具を入れた。
「何か、手伝うことない?」
「ないわ」
レイの言い方はいかにも迷惑だから出て行ってくれと言いたげだった。
「じゃ、あたし、邪魔しないように部屋に帰るね」
今できることはこれしかないだろうとアヤは思った。哀しいけれど。
その思いが顔に出ていたのだと思う。セイがいたわるように声をかけた。
「アヤ。僕は大丈夫だからね。心配しなくていいよ」
セイの笑顔はやっぱり優しくて、アヤは泣きたくなった。
それでも、今度はちゃんと笑い返して、医務室を出た。
アヤが出て行ったのを見計らってレイが声を出した。
「セイ、修理なら私も手伝うわ」
セイが意外そうな顔をした。
「二人で気をつけていれば怪我をしないで済むでしょう?」
レイは他人には見せない柔らかな笑顔を見せた。
セイも軽く微笑んで「お願いするよ」と言った。
アヤの心の底のわだかまりはセイの笑顔でも消えてくれなかった。
(あたしは船のことだけでなく、セイ一人のためにも何もして上げられないんだ。何にも。怪我の手当ても。マフラーもうまく編めない。レイなら何でもうまくやってみせるのに)
通路を歩きながら、アヤは思考を巡らせ、今の自分にできることはないか考えてみたが、何も思い浮かべられなかった。
そのかわり、子供という単語が浮かび上がった。
(子供を産むことが出来れば………セイは喜んでくれるだろうか)
次世代に夢を託すために必要な事だから、もちろん、喜んでくれるだろう。
でも、そんなことは問題じゃない。アヤが不安に思うのは、こんな役立たずの自分の子供を喜んでくれるかどうかと言うことだった。
胸に冷たいものが落ちて来て、それをかぶりを振って追い払う。
(うううん。セイは喜んでくれるわ。あたしはセイの恋人なんだもの。みんなが認めてくれてるもの。
優しいセイ。大好きなセイ。セイの子供が早く産めるようになりたい。あたしにできることがそれしかないのなら。
セイはあたしに星を見せるために怪我までして……あ!)
アヤは急いで通路を戻り始めた。
(第四艦橋の修理はもういいって言わなきゃいけない。そうしないと、また、無理をして修理をしてくれるに決まってる。セイは優しいもの)
医療室には誰もいなかった。セイの部屋に連絡してもいない。
(あの傷で修理に行っちゃったのかな)
まさかと思いながら、アヤの足は第四艦橋に向かっていた。
かけていくアヤは、周りのものをほとんど見ていず、ただ第四艦橋につくことだけしか考えていなかった。
機関部にめったに来ないアヤが歩いているのを不審に思ったテルのことも目に入らなかった。
第四機関部は他の機関部と違って機械ばかりでなくサンルームめいた所があった。たぶん、そこから星を見せるつもりだったのだろう。とはいえ、展望室と同じでドアがある訳ではなかった。
近付くにつれて話し声が聞こえてきた。それがセイとレイの声だと分かったアヤは少し身を固くし、歩調をゆるめた。そして、意識せぬままに、そっと歩き、中をこっそり覗き込むようにしてしまった。
「セイ、アヤのことが好き?」
レイのやるせなさを含んだ声が聞こえる。
アヤは身体の動きを止めた。
「どうしたんだ? レイ」
壁をいじっていたセイが振り向く。
「それとも、卵の提供者として優しくしているだけ?」
セイは何を言っているかわからないという顔をしてレイを見返す。
レイはいつもと違い弱々しく見えた。
「何とか言ってよ! セイ。私、もう、嫌だわ。あなたがアヤと恋人同士を演じているのを見るのは。責任者であるテルは、あなたとアヤの子供が生まれることを望み、みんなはディアナの乗組員として賛成せざるを得なかったわ。あなただって反対することは絶対にできなかったはずだわ。アヤの気持ちを気遣って二人は恋人ということにしたけど、そんなことしなくても子供はできるでしょう?」
レイは一旦言葉を切って返事を待ったが、が、セイは視線を落として何も言わないのを見て、言葉を続けた。
「セイはこの偽りの状態がいいと思ってるの?」
煮え切らないセイの態度にレイの言葉が必要以上に荒げられる。
しかし、セイはすぐには返事をせず、修理道具をことんとボックスの上に置いた。
ためらいがちに顔を上げようとするが、レイの顔が見られないままに言葉を紡ぐ。
「…いいと…思ってる訳じゃない」
セイはゆっくりと顔を上げ、そして、大きく目を見開いた。
「アヤ……」
アヤは何か言おうとして口を開けたが、何も言えなかった。そして、その場から駆け出した。
「アヤ!」
アヤを追い掛けようと走り掛けたセイをレイが腕を掴んで引き止めた。
「追わないで!」
セイは唇を噛みしめ、レイを見つめていたが、レイの腕を振り切って走りだした。
「アヤ?」
第四機関部から走り出して来たアヤを見つけたのはテルではなくちょうど修理の手を止めていたヨウだった。
「どうしたんだろ」
「んーーー」
テルは修理をしながらうわの空で返事をした。
ヨウが気になって通路を眺めていると、セイが暗い表情で走り抜けて行った。
それを見て、アヤに何かがあったんだと直感し、いてもたってもいられなくなった。
「テル、ここを頼む」
そう言いおいてヨウは通路に出て、二人のあとを追った。
「ヨウ、どこに行くんだ」
(聞きたくなかった)
アヤは夢中で走り、自分のいる所すら分かっていなかった。ただ、どこかあの二人から遠く離れた所に行きたかった。宇宙船という閉鎖空間にいる限り、それが不可能なのは頭で分かっていたけれど、そうせずにはいられなかった。
セイの声で我に返った時、アヤは何か細い金網の通路の上にいた。
「アヤ! 下りて来い」
セイは下の通常通路にいてアヤを見上げていた。
必死なセイの表情に胸を締めつけられ、足を止めた。
「アヤ! さっきの話は」
「もういいの!」
アヤは叫んでいた。
「あたし、知ってるの。あたしの正常な卵が必要だってこと。だから、あたしの側にいて恋人のふりしてくれたってこと」
「どうしてそんなことを……」
「議事録を読んだの」
初めて知った事実にセイは動揺して言葉を言い終わることができなかった。
「会議で寝てしまった時、これじゃいけないと思って今までのことを知ろうと思って読んだの。このことを読んでからは怖くて先は読めなかったけど」
アヤは船のことを知りたかったが、誰にも相手をしてもらえなかったアヤは蓄積されたデータから知ろうとしたのだった。
「あ、でも、アヤは引き出すキーワードを知らないはずじゃ…」
「おじいさまのキーワードは『AYA』だったの」
アヤ本人に議事録を開くキーワードを作らなかったからみんな読めないと思っていた。
艦内でオールマイティーに使える前艦長のキーワードを知っていて使うなんてことを船内の誰が考えたのだろうか?
(でも、議事録には暗示をかけたことまでは載ってないはず。じゃあ、そこまでは知らないんだ)
セイはほっとすると同時に恐れを感じた。
「ごめんなさい。知っていたのにずっと黙ってて。でも、セイがあたしを好きだって信じていたかったから。
いつかは言おうと思ってたのよ。でも、あたしは何もできなくて、そんなあたしからセイが離れていくのが恐かったの。
…………もう、無理してあたしの側にいなくていいの。あたしだってディアナの乗組員だもの。セイがあたしのこと好きじゃなくても………ちゃんと子供を産むわ」
アヤの精一杯の笑顔にセイの胸は激しく痛んだ。
そこへヨウとテルが追いついた。
「アヤがどうかしたのか?」
ヨウはそう聞いてから、セイの視線が上を向いていることに気づいた。見上げて、非常用のキャットウォークの上にアヤがいることに気づいた。
三人の姿を認めたアヤは、ふたたび駆け出した。
「セイ、どうしたって言うんだ」
ヨウはセイに喰ってかかった。
「俺にはよく分からんが、アヤを悲しませるのは許さんぞ」
テルは怪訝な顔をしながらも、艦長らしくそう言い切った。
「最初から間違っていたんだ」
困惑しか浮かんでいなかったセイの瞳に意志の光が揺らめいた。
「アヤが知っていただなんて。アヤを追いつめていただなんて知らなかった」
「何のことだ、セイ!」
ヨウがセイの肩を掴み、自分の方を向かせる。
「詳しく説明しろ」
テルがそう冷静に言ったのはここで自分が感情的になっては場の収拾がつかないと思ったからだ。
「アヤ自身に選ばせるべきだったんだ」
セイはテルの方を向いて言った。
セイにしてはめずらしく、いや、ディアナに乗ってから初めて他人を咎めるような目つきをした。
「子孫を残すことは長月所長の遺志だった。僕達は宇宙船に乗り、それからのことを話し合った。僕達は君の決定に賛成した。でも、アヤは?」
いつもと違うセイの迫力にテルは言葉に詰まった。
セイは容赦なく言葉を続ける。
「話し合いには参加させなかった。そのかわり、君が、冷凍睡眠から目覚めたばかりのアヤに暗示をかけたんだ。まるで生まれたばかりのひよこに対する刷り込みのようじゃないか」
「しかし、そうでもしないと、まだ、子供のアヤには納得してもらえるとは思わなかったんだ」
ためらいながらもテルはセイに反論する。
「アヤの意志に任せていれば、僕達の計画に引きずり込まなければ、辛い思いをさせなくて済んだんだ。吹き込まれた嘘の僕への想いに苦しむことはなかったんだ。編み物だって、苦手なはずなのに一生懸命やって」
「だから…」
セイの叩きつけるような言葉の内容に驚いて、テルがつぶやく。
「だから、そのことに罪悪感を感じて、アヤに優しくしていたのか?」
セイは言葉に詰まった。苦しげに顔を歪ませ、さっきまでの態度とは裏腹な怯えるような目をした。
不意に、残りの二人から視線を外し、通路を走りだしアヤのあとを追った。
そのあとを追おうとしたヨウをテルが止める。
「ヨウ、念のために他の二人も呼んで来た方がいいだろう。この先の第五艦橋で合流しよう」
「分かった」
テルの言葉にヨウはうなづき、セイのあとを追い、テルは手近な通信機を探して、招集をかけた。
アヤは自分では、どこなのかわからない機関部らしい所にいた。そこが最初に目についたドアだったので、何も考えず中に入りロックした。
そのまま、ドアに背を向けてもたれ、ずずっと崩れ落ち、目を閉じた。手にはしっかりとマフラーを握っていた。走っている最中でもマフラーを手放すことなど考えても見なかった。
息は上がっていたが、しばらく座り込んでいるうちに治まっていた。
普通の息遣いに戻ったアヤはそっと目を開け、マフラーに視線を落とした。
意味もなく編み棒を握り、毛糸を人差し指を引っ掛け、編目を一つ作る。
もう一つ。もう一つ。
編み棒の先がよく見えない。それでも無理に動かし続ける。
毛糸にぽとりと水滴が落ち、静かに染み込んでいく。視界が少し晴れる。
「あは、編目が歪んでる」
口調は、表情は、ほんの少し笑っていたけれど、涙は次から次へと溢れ落ち、押さえようと思っても止まらなかった。
(いつまでも知らない振りをしていたかった。セイはあたしのことを好きなのだと思っていたかった)
アヤは編みかけのマフラーをぎゅっと握り締め、頬を寄せた。
(もう、だめ。セイはこのままではよくないと言った。今までの嘘の関係は終わりになるんだ。そして、セイは自分の意志で他の人を選ぶかもしれない)
初期の議事録を読んで、事の次第を知ってから、いつかはこうなるのではないかとアヤは怯えていた。
そのことを、母親になることで、セイの役に立つことで解消しようとしていた。
(でも、もう、だめだ)
今は自分の気持ちに対する何のごまかしもきかず、痛切にそう思った。
(織姫と牽牛の話を読んだ時、泣いてしまったのは、二人がかわいそうだったからじゃない。本当は二人が羨ましかったから。一年に一度しか会えない相手を信じて待っていられる二人が羨ましかったの。遠く離れても愛し合っていられる二人が羨ましかった。あたしもセイを信じていたかった。セイがいてくれるなら何でもよかった。だから、信じていたかったのに……)
もたれていたドアに振動が走り、アヤはびっくりしてドアから身体を離した。
すかさず、近くにあった通信機から声が聞こえた。
『アヤ、いる?』
(セイ!)
アヤはとっさに奥に逃げ込んだが、そこは狭く、一番奥の壁に身を寄せたアヤにも通信機の音は聞こえた。
「アヤ! 返事をして!」
セイは通信機に向かって叫んだ。
「本当にここにいるのか?」
テルの問いにジオが神妙にうなづいた。
ドアの外にはアヤ以外の全員が集まっていた。皆が一様に暗い顔をしていた。
「ここはまずいんだ」
セイが悲痛な声を出す。
「ここは断線したりしていて修理しきれなかったところがたくさんあるんだ。それにアヤが触ったら命が危ない」
セイの顔はあせりと危機感に真っ青になり、再び通信機に叫んだ。
「アヤ、僕達が悪かった! 君を巻き込んだ僕達が悪かった。だから、出てきてくれ! そこは危…」
『あやまってなんかほしくない』
通信機から聞こえたアヤの声は一瞬みんなに安堵の表情をもたらした。だが、油断は禁物だった。
(あやまってほしいんじゃない。セイ達悪くないもの。ただ、悲しいだけ)
「もう、いいの」
アヤがもたれている奥の壁は妙に暖かく、アヤはそっと背を離した。
(セイにあたしのこと好きでいてほしかっただけ)
アヤは自分の悲しみに手一杯で、声を出せなかった。
ずっと沈黙を守る通信機にドアの外の不安は募るばかりだった。
「ドアを壊すことはできないのか?」
そういうヨウの顔はわずかな可能性を探そうと必死になっていた。
セイは静かに首を振る。
「だめだ。その衝撃で中の故障個所に連鎖反応が起きるかもしれない」
「くっ」
ヨウは悔しまぎれに床を蹴りつけた。
その時、何もしゃべらず、ドアから一番離れた位置にいたレイが、すっと歩き出し、ドアに近寄った。そして、通信機から離れないセイの肩を叩いて言った。
「私にも言わせてみてくれる? アヤにここから出るように説得して見るわ」
顔を上げ、レイを見たセイは、レイの瞳の中に強い意志を見て取り、脇へどいた。
レイは、ほんの少し、通信機を見つめ、ゆっくりとスウイッチを押した。
「アヤ、聞こえる?」
落ち着いたレイの声にアヤは顔を上げ、ドアを見た。
「ごめんなさい。あたしのせいでレイにも嫌な思いを…」
『アヤ、よく聞くのよ』
声だけを聞いているといつもの理性的なレイだった。
『あなたはあなた達の関係が嘘だってことで悲しんでいるんでしょ。でもね、あなたのそういう気持ちも嘘かもしれないのよ』
レイの台詞にアヤの頭がの中が混乱した。
『レイ!』
通信機から聞こえるレイ以外の声が誰なのかも分からなかった。
『ここまで来たらすべて本当の事を知るべきなのよ。あなたが冷凍睡眠から覚める時に、セイがあなたの恋人だって暗示をかけたのよ。計画をうまく進めるためにね。嘘が悲しいと言うなら、嘘かもしれないもののために、セイを悲しませないで』
(確か……目覚めた時に誰かの声を聞いた。あれが…そう………なの? あたし達お互いに好きだということを素直に受けとめていた。セイの気持ちは議事録で知っていたけど、自分の気持ちは疑って見なかった。だって、あたしはセイが好きだもの。あたしのこの気持ちは………)
アヤの頭は混乱の度合いを増し、めまいすら覚えた。
唯一考えることができたのはセイを悲しませないでということだった。
思考がままならぬまま、アヤの身体は無意識のうちに動き、ドアロックを解除した。
カチャ。
「開いた!」
ロックの解除された音を耳ざとく聞きつけ、セイはドアに飛びつき開けた。
そんなセイをレイは何とも言えない表情で見つめていた。
「アヤ!」
アヤはドアの開き方の激しさに条件反射で奥に後ずさって、奥に戻っていった。
五体満足なアヤを見て、セイは心底ほっとした。
のも、つかのま。
アヤの頭上で火花が散った。
アヤはセイしか見ていなかった。自分を見て、安心し、笑顔を見せたセイしか。
その顔が一瞬のうちに険しいものに変わり、何かを叫んで、アヤの方に手を伸ばし。
それから、先のことは、アヤの目に映っていたかもしれないが正確に知覚していなかったかもしれない。
閃光と衝撃が入り乱れ、気がついた時には、目の前に衣類の端をくすぶらせたセイが横たわっていた。
アヤは訳が分からず立ち尽くしていた。
その代わり、レイがセイに掛けより、ヨウとジオがはみ出たコードの処理にあたった。テルは担架を取りに行った。
レイが酸素吸入を与えているセイの顔は所々煤けていた。
アヤはもどかしいぐらい言うことをきかない身体を動かして、セイに近寄った。
「セ…イ?」
身体を屈めて、セイに触れようとした時、ようやくセイが目を開けた。
「よかった」
アヤにはよく分からなかったけれど、セイの台詞を聞いて、セイが自分を救けてくれたのだと認識した。
アヤは、セイの傷ついた手を取り、そっと包み、その手を涙で濡らす。
(どうしてセイはこんなふうに優しいの? 暗示なんかなくても、あたしきっとセイを好きになってた。絶対なってた)
「ごめん。アヤ」
アヤは黙って首を振った。
セイは悲しげに目を伏せる。
「君に暗示をかけると言った時、僕が止めればよかった。そうすれば、君はこんな辛い思いをしなくて済んだ。もっと自由に人を好きになれた」
アヤは前よりも激しく首を振った。
「でも、冷凍睡眠カプセルの中で眠っている君を見守っているうちに、アヤが僕のことを好きになってくれることを望んでしまったんだよ」
(じゃあ。あの時、淋しかったあたしを優しく包んでくれていた想いはセイだったんだ。暗示のせいなんかじゃない)
「僕のわがままだったよ。ごめん」
「そんなことない!」
アヤは涙をこぼしながらセイに語りかける。
「あたしが眠っている時、見守ってくれていたのが、セイだと分かって嬉しい。ああ、眠りの中でもちゃんとセイの想いを感じてた。だから、自分の意志でセイが好きになっていたの」
担架が届き、三人の男によって乗せられる。
アヤは何かを引き止めるようにセイの手を握り締めた。
「セイ! 好きよ。ずっとずっと好きだったわ」
「僕もアヤが好きだよ」
そう言って、セイがふわりと微笑む。いつもアヤの心を暖かくしたセイの笑顔。
笑顔が薄れていき、セイの腕が重くなった。
「セイ?」
セイの笑顔は二度と現われなかった。
「セイーーーーーーーーーー!」
『全て順調よ』
ガラスの向こうの操作室からレイの声が聞こえる。
「ほんと?」
診察台の上でぱっと飛び起きたアヤにレイの叱咤の声が飛ぶ。
『急に動かないで』
「はぁい」
アヤは素直に言うことを聞き、診察台を下りるときはゆっくりと下りた。
アヤが診察室から出ると、レイが咎める目つきで近寄って来た。
「アヤ、身体を大事にしなくちゃだめよ。あなたの身体は子供を産むには早いんですからね」
「そうだぞぉ」
ドアが開いてテルが入ってくる。ヨウやジオも一緒だ。
「どうしたの? 仕事は?」
関係者以外立ち入り禁止よとでも言いたげなレイの台詞にテルは照れ臭そうにした。
「いや、アヤの身体のことが心配で…」
他の二人も同様らしくうなづく。
今、アヤの身体の中では、アヤの卵とセイの精子を体外受精させた子供が育ちつつあるのだ。それは、純粋なアヤの意志だった。
「いやねぇ、みんな」
医務室のソファにゆっくりと深く腰掛けながらアヤは笑う。
「大丈夫。あたしは無事にこの子を産むわ」
その笑顔にセイの笑顔が重なったように見えて、レイは二三度せわしく瞬きをする。それほどに、アヤの笑顔は暖かなものだった。
ここ数ヶ月でアヤは本当に強くなったとレイは思う。
あの日から3日間、アヤは一人部屋に籠もり出て来ようとしなかった。
そして、3日目、部屋から出てきたアヤはこう言ったのだった。
『あたし、セイの子供を産みたい』
もちろん、最初は、アヤがやけになっているとみんなが反対した。
しかし、アヤの気持ちは確固として変わらなかった。
「感傷じゃないの。これまでのことはこれまでのこととして、あたしは、前を向いて生きて行きたいの。そのために赤ちゃんを産みたいの」
そう言って皆を説得した。
アヤの熱心さにみんなが折れた。
『あたしが後悔しても、セイは喜ばないと思うの』
心の中でははかりしれない葛藤があるだろうに、アヤは微笑んでそう言った。
そうして、他の誰をも責めず、前向きに歩いている。
何があっても後ろを振り返らず、それを笑って許すことでアヤは強くなっていった。
みんながアヤに習い、ソファに腰掛ける。
少女から母親になったアヤは柔らかく、しかし、力強く話し続ける。
「あたしは、セイの分も、二人分生きて行かなくちゃいけないもの。少しのことでまいったりしない。そして、ね」
下を向いて自分のお腹に話しかける。
「この子はあたしとセイの三人分を生きて行くの。あたし、きっとこの子を丈夫に育ててみせる」
テルモ、ヨウも、ジオも、レイも、黙って見守るだけで何も言わなかった。
アヤはまだ細い自分の身体をそっと抱きしめる。
そうすると、自分の中に息づくもう一つの命を強く感じる。
心の言葉で優しく慈しみを込めて話しかける。
あなたが生まれて来たら、あなたのお父さんがどんな人だったかたくさん話して上げる。セイがどんなに素晴らしい人だったかを。
いつか……いつの日か、地球からベガとアルタイルを見ましょう。
遠く、悠久の時を互いに信じあい、愛し合う恋人達を。