テンダーラビリンス
また同じ所に出ちゃった。
はふっ。
いつになったらこの迷路から出られるんだろう。
閉園までに出られるかしら。
もう陽も暮れちゃって、通路沿いの街灯がついてる。もう冬が近いんだな。だんだん陽が短くなっていくね。
S駅の近くに迷路ができたから行こうって言ったのは麻上君だった。その時乗り気になったのは六人。
でも、結局迷路に来たのは五人だったから二人づつってのはできなくなり、誰かが一人で入らなければならなかった。
だから、うらみっこなしのくじで決めて、外れたのがあたし。
男二人、女三人だったから、あとの四人はちょうどカップルになってしまった。
「仁見ちゃん。じゃ、俺達と一緒に三人で行こうよ」
裕子と組むことになった麻上君が言ってくれて、裕子もうなづいてくれた。
でも、あたしは断ってしまった。
だって、やだったんだもん。
あたしは一人で大丈夫だから。
そう言って、自分のカードを入場時刻を打刻するメモリースタンプに押し込んでさっと入った。
みんなからあたしの姿がみえなくなったのを確かめてから少し走った。
他の人と合流なんてしたくなかった。あたし、今、ひどい顔をしてるだろうから。
一人で迷路に入るのが嫌なわけじゃない。そのことでみんなに気を使わせたくない。
ただ、麻上君が他の女の子と仲良くしてるところを見たくなかっただけ。
え?
すっと周りが暗くなった。
照明が消えた?
ちょっと待って! まだ閉園じゃないでしょ?
あたしはあせって顔を上げ、頭上を仰いだ。それまで、ずーっと地面しか見てなかった。
チカッ。まぶしい光が目を掠めていった。
他の照明は落ちたみたいだけど、何個かの照明はサーチライトみたいに動いて交差しながら次々にあらゆる所を照らしだしている。
あれ? 壁がぼーっと光っている。壁に描かれた惑星や星雲が光を放っているんだ。
壁はもともと深い藍色だから壁自体の色は闇の中に深く沈み込んでいる。その中にぼんやりと浮かび上がるエアスプレーで描かれた星々。
陽の光の中でもしゃれたイラストだと思っていたけど、こうして見ると本当にきれい。夜光塗料ででも描いているのかな。
見惚れながら歩き続ける。
本当の宇宙みたいだね。
時々、通り過ぎるライトの光が壁の輪郭をなどっているけれど、あとは近くまで行かないと壁の切れ目すら分からない。
宇宙の迷路。一生出られなくなりそうな迷路だな。たかだか、一辺百メートルもない正方形の空間なのに、何で出られないんだろう。
目の前を一つの星雲がさえぎった。
袋小路。はあぁ。さっきの曲がり角まで引っ返さなきゃ。
あたしは反転して来た道を戻り始めた。
行き止まって、引き返して、別の道を行く。
でも、また、一度来てだめだった道に出る。さっきから同じ事の繰り返し、堂々巡り。
あたしの心の中みたい。
あたしの気持ちも出口を見つけられなくて、同じ所を行ったり来たりさまよっている。
麻上君を見ているのがつらいのなら、迷路なんて来なければいいのに。
会いたくて来たくせに、今度は避けてる。
……なんてバカなことをしてるんだろう。
最近、麻上君の優しさがつらい。
うん、自分でも変だと思ってる。
だって、あたしだけに優しいんじゃないもの。みんなに優しいし、親切だし、それが麻上君のいいところ。
そして、それが彼の普通。
だったら、あたし、麻上君に優しくされたって、よろこべない。
それなら、いっそ、優しくない方がいい。
あら?
気がつけば、あたし、ほとんど無意識に歩いていたみたい。
さっきの曲がり角に出るはずだったのに、通り過ぎたのか、どこかで道を間違ったのか。全然見たことのない通路に出た。
真新しいところに出ただけ進歩かしら。
さて、これからどう行こう。
ふぅ。
先の見えない道のりに、ため息をついた。
麻上君がみんなに優しいのと、麻上君に対する自分の気持ち。
先に気付いたのはどっちだろう?
遠くで誰かが叫んでいる。
あたしは声のする方に目もくれずに、とぼとぼと歩き始めた。
「仁見! 動くなってば!」
名前を呼ばれて初めてあたしに言っているんだということが分かった。
あたしはきょろきょろと見回した。
これだけ声が遠くてここが見える場所……橋の上!
この迷路は橋がいくつかあって、立体交差になっている。
その一つに麻上くんがいた。
「動くなよ」
麻上くんはあたしを指差し、念を押してから橋を駆け下りて行った。
………ってことは何? ここまで来てくれるの? あたしが遅いから?
でも、ここまで来れるの?
目の前を白いものが掠める。
消えていた照明がまた点き始めたみたい。
右手の方から明るくなっていき、麻上くんがさっきまでいた橋の街灯も階段の下から上に向かって灯りが点っていく。
あっちこっちに向けて、麻上くんが走ったのと同じ方向。
灯りが直接見えないところでも、そこにぽっと白いうすもやが現れるので点いたことが分かる。
夕霧を灯りが白く染めてるんだ。一つ二つと花が咲いていくように増えて周りを白く染め上げていく。
その様をぼんやりと顔を上げて見ていた。
左に光を感じて振り返ると、一番近い街灯が瞬いて点き、その光の中に麻上くんが立っていた。
「お前、まだこんなところにいるのか? 俺は待ちくたびれたぞ」
むっとした顔でそう言ってるけど、本気で怒ってる訳じゃないよね。
優しい麻上君なら。
「あ、はは」
「笑い事じゃないだろ」
だって、どういう顔をすればいいかわからないんだもん。
好きな人に優しくされてどうしてよろこべないのかしら。
「裕子はどうしたの?」
どうして胸が痛むのかしら。
「下山と信子と一緒に出たよ。自販機の近くのベンチで待ってる」
「麻上くんだけ引き返して来てくれたの?」
「ま…、そーいう…ことだな」
麻上くんは言い淀んだ。
照れるふうでもなく、気まずくごまかしてるみたいだった。
本当は来る気がなかったってこと?
「俺の後について来いよ。出口まで連れてってやる。ったく、最初っから俺達と一緒に来ればよかったんだよ」
と、背を向けてぼそぼそと言う。
「ごめん」
相当待たせたんだろうか? 出口でみんなして待っててくれたんだ。
あんまり遅いから、仕方なく来てくれたんだね。誰が言い出したかは分からないけれど、麻上くんなら[俺が行く]って言ってくれるだろうな。
誰にでも優しいもん。麻上くんは。
そうよね。
一人残ったのがあたしじゃなくても他の誰でも引き返して来てくれたわね。
あたしは、心の中の自分の迷路を歩き始める。
麻上くんはあたしに優しくしてくれる。あたしのことを、少しはよく思ってくれているの?
わからない。
麻上くんは他の人にも優しい。他の人が好きなのかしら。
そんなのいや。
麻上くんの優しさがうれしい。
でも、せつない。
ねぇ、あたしのことをどう思ってるの?
あたし一人では抜けられない迷路。
胸に熱いものが込み上げてくる。
麻上くんはそんなあたしの態度に気づいて後ろを見た。
「そんなに落ち込まなくていいよ。ま、人には向き不向きが………仁見? 下向いてどうしたんだ?」
顔上げたら涙見られちゃう。
麻上君のコンバースがゆがんで見える。
「具合悪い?」
具合なんて悪くない。
つらくなるだけだから心配しないで、首を振りたいのに涙を止めるのに必死になってて、うまく動かせない。
「仁見大丈夫か?」
やめて、ほっといて。
涙が止まんないじゃないっ。
声も出せない。出せても震えてしまう。
でも、ほっといてはくれないわね。誰にでも優しい麻上くんがこんな変な態度を取ってるあたしをほっとける訳がない。
うううん、麻上くんじゃなくてもほっとけないわね。
でも、あたしは……!
「……といて…」
あたしは、やっとの思いで声を絞りだす。
「何? どうしたの?」
麻上くんが顔を近づけてくる気配がする。
もうこうなったら言うしかないじゃない。
「ほっといてよ……」
低い声しか出て来ない。
「……って仁見。お前」
麻上くんの声がうろたえている。
「あんたなんか優しくされてもうれしくないんだから!」
差し出されようとしていた麻上くんの手が硬直した。
あたしは自分の口から出てきた言葉が、一瞬、信じられなかった。
でも、もう、どうでもいい。
あたしは切なさで裂けそうになる心を、それならばと自分で引き裂いてしまった。
地面に言葉を叩きつけるようにして叫んだ。
「誰にでも優しい麻上くんに優しくされてもうれしくない!
誰にでも優しいってことは誰にでも優しくないのと同じなんだからね!
あたしのことなんて置いて行ってよ」
………………言ってしまった。
でも、本当なの。
今のあたしにはこうしか言えない。
こうでもしなければ、あたしの気持ちは閉じこめられたまま、どこにも行けない。
怒ったかな。せっかく迎えに来てくれたのに、嬉しくないって言ったから。
もっとうまい言い方もあったはずなのに、これじゃ嫌われるだけじゃない。
ごめんね。せっかく来てくれたのにありがとうって言えなくって。
ごめんね。こんなふうにしか言えなくて。
これであたしが麻上君の優しさに期待できなくなるよね。
そしたら、麻上君の優しさがつらいという悩みは減るのかな。
……もう何もかも終わりだね。
「あたし、一人で出られるから」
声は以外にもしっかりしてたけど、顔は上げられなかった。
そのまま、麻上君の横をすりぬけて行こうとした。
けど、腕を掴まれてしまった。
やだ、はなしてっ。
麻上くんを睨もうとしたら、予想に反して麻上くんは怒っていなかった。
ほうけてるって言うか…怒るより呆れたのかな。
あたしが、目をそらそうとする前に麻上くんが口を開いた。
「あのさ………って事は、つまり、自分だけが俺に優しくされたかったって事?」
その台詞に自分の顔がかっと赤くなるのが分かった。
あたしは、即座に麻上君の腕を振り払った。
何でそんなことが聞けるの?
どうして言いあてられなきゃなんないの?
恥ずかしいというより、くやしいという憤りの方がはるかに強かった。
「違うわよ!」
あたしは、麻上君の来た方向に歩き出した。
「そっちに行っても出口に着かない」
麻上くんが追いかけてくる気配がする。
どおしてよ。
麻上君は出口から来たんだから、遡って行けば出口に着くはずじゃない。
「反対だ。俺、入り口から来たんだぞ」
入り口?
あたしは振り返って麻上君を見た。
「ここの出口は一度出ちゃうと、もう、中には入れないんだよ。だから、入り口から来た」
また、入場料払って? そこまでしてくれたの?
「でも、あたしがどこにいるか分からなかったでしょ? 会えなかったかもしれないのに、わざわざもう一度入ってくれたの?」
麻上君は、照れ臭そうな顔をした。
「時々、ゴールからおまえが見えるんだよ。入り口あたりでうろうろしてるからさ、追いつけると思ったんだよ」
見えてたの。あたしにはゴールすらわからなかったのに。
あたしの不思議そうな顔に、麻上君は呆れた声を出した。
「どこ目指して歩いてたんだよ。ゴールはあの橋の上だぜ」
麻上くんがあごで差した方向を見ると。
ほんとだ。
橋の手摺りにGOALってたれ幕が下がっていた。
「ごめんなさい」
ううっ。
思わず下を向いてしまう。
あたし、ただ、めちゃくちゃ歩いていただけだもんね。ここ、まだ、入り口の近くなんだ。
「ったく、しかたがねーなー」
麻上くんが近づいて来たかと思うと、あっという間に手を取られ、引っ張られた。
麻上君が、そのまま振り向かず、さっさと歩き続けるので、あたしはそれに追いつくために小走りにならなければならなかった。
「そうか」
麻上君の声に、どきっとする。
「他の女の子に優しくしても、それは[優しさ]にならないんだ」
あたしが手を離そうとする前に麻上くんが言った。
「これからは気をつけよう」
え? それってどういう……。
「今度から迷路に入る時は俺が一緒に入ってやるよ。お前が迷わないように」
麻上君は、少しも迷わず迷路を進んで行く。
あたしは、今まで、ずっと迷路に閉じこめられていた。
どこに行けばいいのか分からず、何を目指していいのかも分からずさまよっていた。
でも、もう迷わなくていい。
迷ったら麻上君が救けてくれるよね。
麻上君を信じてついて行けば、出口に連れて行ってくれる。
そうでしょ?
麻上君の背中は答えない。
でも、こうやって彼の手に身を預けていれば、いつか、きっと。
その角を曲がれば、ほら。
あたしは、長かった迷路をようやく抜けた。
END