I WISH





 私がその本を見つけたのは冬コミの西館1階だった。

 表紙の可愛さに魅かれて手に取ってみた。
 木の枝にくくられた素朴なブランコに白いキャミソールを着た女の子のイラスト。
 作者名はSEI。
 中をぱらぱらめくると、きちんとしたストーリーが描かれていて、安心する。
 いくら絵が可愛くてもイラストばかりじゃ楽しくないもの。
「あの…」
 イベントが初めてだった私は、緊張していて小声でしか言えなかった。
 作者の女の人は他の人と話をしていて気づいてくれなくて、その代わりに友達らしい
 男の人が気づいてくれた。
「これ…」
「300円です」
 あいかわらず小声で、おずおずと本を差し出した私にその人は明るく答えてくれた。
 サイフからあわてて500円玉を取り出して渡す。
「どうも」
 大きな手がチャリンと私の手に100円玉を落とす。
 あたしは、ぺこりと頭を下げてそそくさと、一緒に来ていた祥子ちゃんの所にかけもどった。
「へー、自分の彼氏を手伝わせてるんだ」
 祥子ちゃんは、あたしがさっきまでいたスペースに目をやって言う。
「彼氏?」
 意外なことを言われてあたしは問い返す。
「そうでなきゃ男の人が売り子するのって変じゃない?」
 でも、感じのいい人だったよ。
 そう思ったけど、言わなかった。
 だって、他人の彼氏のことなんだもんね。

 その夜、SEIさんの本を読んでみた。
 絵柄も可愛かったけど、ストーリーもほのぼのしていて可愛かった。
 素敵な話だったから同居人でもある祥子ちゃんにそう言った、のに。
「しのってば、どうして創作小女系ばっかり買ってくる訳?」
 冷たい言葉を返してくれただけだった。
 あたしは祥子ちゃんの言葉に少ししゅんとなる。
「あたしたちに必要なのは、少女小説系でしょ?何のために冬コミに下見に行ったと思ってるの?」
 そう、あたしたちの本来の目的は、少女小説がイベントでどんなものが売られているか、どんなふうに売られているのかを知ることだったの。何のためにかと言うと、それは、祥子ちゃんの言う通り。
「あたしたちのイベント初サークル参加の参考にするためなんだからね」
 あたしと祥子ちゃんは高校の文芸部の友人で二人とも小説を書いている。故郷は田舎でイベントとか全然なくて、大学に入って上京したら自分たちで本を作ってイベントで売ろうって、ずっと、言ってたの。
 イベントに出る前にためしに買いに行って見たのが、今日の冬コミ。
(参加するのはオリジナルオンリーのコミティアというイベントなんだけど、今年のはもう終わってていけなかった)
「でも、小説誌は祥子ちゃんが買ったじゃない? 可愛い絵も挿し絵の研究になるかも知れないと思って」
 祥子ちゃんが機嫌を直してくれるよう言い訳をしてみる。ほらって、本を見せると、表紙の絵は気に入ってくれた。
「ふうん。そうだね。あたしの趣味じゃないけど、うまく描けてると思うよ」
 ちょっと気の抜けた声だったけど、ほめてくれたのは嬉しかった。
「でしょう。他の本も買ってくればよかった」
 うまく言えないけれど、女の子の気持ちが丁寧に描かれていて、共感できる部分が多かった。
 あたし、すっかりファンになっちゃった。
「絵柄がしのの話にはあってるかもね」
と、ぱらぱらめくっていた祥子ちゃんの手があるページで止まった。
「あのさ、しの」
 低いトーンで祥子ちゃんがつぶやく。
「ん?」
 祥子ちゃんはあたしが貸した本の自己紹介のページをあたしに広げて見せた。
 うん。そこにあるイラストも可愛くて好きなんだ。ダッフルコートを着て雪だるまを作ってる女のこの絵で…
「ここ、『彼女いない歴1年』て書いてあるよ」
 ふうん、じゃ、あの女の人は彼女じゃないんだ。………? あれ? あの女の人が作者でしょう?でも、彼女いない歴1年ってことは、作者は男の人ってことで……あれれ? もしかして、あの本を売ってくれた男の人が作者? ……男の人……? この可愛い絵の作者が?
「え〜〜〜〜!」

「びっくり……」
 数秒の沈黙のあと、あたしは、茫然とつぶやいた。
「びっくりじゃないよ!げっ。信じられない」
 吐き捨てるように言う祥子ちゃん。
 あたしも信じられないけど。
「でも、男の人でこんな可愛い絵が描けるってすごいよね」
 あたしが、そう言うと祥子ちゃんが嫌な顔をした。
「すごいってゆーかさー、気持ち悪くない?」
 あたしは、今度は祥子ちゃんのきつい言葉にびっくりした。
「どうして? 才能があるってすごいことじゃない?」
 男の人なのに、こんなに女の子の気持ちをうまく描けちゃうのってすごいと思う。
 あたしは、その祥子ちゃんの反応が不思議だった。
 何でかな? って祥子ちゃんを見つめてると、祥子ちゃんはあたしから視線を外して、肩で息をした。
「そーだよな、しののまわりにはやは人はいないんだよな。変な奴もいないんだよな、いい人ばっかりだよな」
 いきなり関係ないことを言う祥子ちゃんにあたしはあっけに取られたけど、一応、答える。
「うん。そうだけど…、でも、祥子ちゃんが一番いい人だよ」
 そう言うと祥子ちゃんの肩が余計にがっくりと下に落ちた。
「祥子ちゃん?」
「よかったね。しの。いい本が見つかって、うん、この本はいい本だよ」
 今度は祥子ちゃんはきっぱり顔を上げて、言い切ってくれた。
「そうでしょ?あたし、ファンレター書こうかと思ってるんだ」
 祥子ちゃんが認めてくれたのが嬉しくてあたしは、勢い込んで言う。
「うん。好きにしなさい」
 歯切れのいい祥子ちゃんの返事が返ってくる。
 何を書こうかなと、本をめくる。全部いいんだけどね。
 あたし、作家さんにファンレター書くの初めてだから、どきどきしちゃうな。
 あれ。
「祥子ちゃん、この人、コミティアに参加してるみたい」
「良かったじゃん。今度直接会えるじゃんか!」
 あまりに返事が早すぎて、なげやりにも聞こえるんだけど? 祥子ちゃん?
 怪訝な思いは、そのあとに祥子ちゃんの台詞に消される。
「差し入れでもしちゃえばーー」
「あ、してみようかな?」
 祥子ちゃんたら自分で提案したくせに、あたしの台詞に驚いている。あたしはいいアイデアだと思うよ。
「あたし、差し入れってやったことないじゃない。イベントに行くんだから、やってみたいな」
 そうだよね、自分たちの本を売るだけじゃなくていろいろやってみたいな。今までは他人事だったけど、今度からは、自分でもやれちゃうことなんだなぁ。そういうのって、うれしいね。
「ねぇ、チョコなんてどうかな。ちょうどバレンタイン前だし、男の人だし。喜んでくれないかな?」
「チョコぉ?」
「だめかな」
 嫌そうな声に不安になってたずねてしまう。
 祥子ちゃんは、しばらく眉間にしわを寄せて考えてから答えてくれた。
「うーーん。喜ぶと思う。だって、『彼女いない歴1年』だもんな」
「そうだよね、誰にも気兼ねなくあげられるよね」

 その夜さっそく手紙を書くことにした。

 表紙が可愛いと思ったこと。
 女の子の気持ちがとてもよく描けていて、とても好感がもてること。
 二つ目の話のタイトルページがとても気に入ったこと。
 差し入れをしようと思っていること。
 そして。
 悩んだ末に付け加えた1行。

 便箋を封筒に入れて切手を貼って、あとは、出すだけになってから、ためらいを思える。
 ファンレターなんて、知らない人にあげる手紙って、気恥ずかしい。それでも、自分の気持ちを伝えたくて、あたしは、思い切ってポストに入れた。

「しの、SEIさんのところに行くんじゃなかったの?」
「う、うん」
 あたしは、曖昧な返事をした。
 今日はもう、コミティア当日。午後になってから友達が手伝いに来てくれたので、あたしと祥子ちゃんは、スペースを出て、他の人の本を見回っていたところ。
 そろそろ自分たちのスペースに帰ろうという段になって、祥子ちゃんがSEIさんのことを言い出した。
「今日は行けなくなったの」
 その理由は自分でも情けないと思うので、口籠もる。
「今日はって今日を逃すと次のイベント5月だよ。いいの」
 ありがとう、祥子ちゃん。心配してくれて。でもね、
「差し入れ、家に置いて来ちゃったの」
「差し入れ? あんた、ホントにチョコ買ったの?」
 うん。と、うなづく。
 あー、祥子ちゃんそんなに脱力しないで。あたしだって、あんな大事なものを忘れてくるなんて、ホントに失敗したと思ってるんだから。
「今日の朝、準備でばたばたしちゃったじゃない? カバンから1回出してそれから忘れちゃったみたいなの」
「いや、そうじゃなくてね」
と、祥子ちゃんは一度言いかけて、ためいきをつくと、
「それで、行かないって?」
と、言い直した。
 再び、うなづく。
 買う時もね、味を選ぶか、可愛さを選ぶかとか、大きいものをあげちゃ邪魔になっていけないかもしれないとか、いろいろ考えた。
 それで、ようやく買ったものを、肝心な時に忘れてしまうなんて、あたしったら……。
「別にいいんじゃない? なくても」
 祥子ちゃんはそう言ってくれるけれど、やっぱり、行きにくい。
「でも、ファンレターに持って行くって書いちゃったから」
 あたし、嘘つきになっちゃうんだよね。それぐらいだったら、毎回コミティアに参加してるみたいだから今度でもいいかなって、思ったの。だってね、初めての人だもん、自分をよく見せたいって、思ってしまったの。
 変なのってつぶやきながら、祥子ちゃんはスペースにいる友人に手を振った。
 雅子ちゃんと恵ちゃんは高校の時の友達で、今は別の大学に行っている。
「ただいま、留守番ありがとー」
「さっきね、人が訪ねてきたよ」
 あたしたちのあいさつに雅子ちゃんは、そう返した。
「雅子とあたしは全然知らない人だった」
 恵ちゃんが知らないんだったら、高校の時の知り合いではないみたい。
「へぇー、誰だろ」
 祥子ちゃんが考え込む。
「祥子じゃなくて、斎木さんいますかって、しののことを訪ねに来たみたいだったよ」
 え? あたし?
 雅子ちゃんの言葉に心臓が跳ね上がる。
「でねぇ、」
 雅子ちゃんは、そこで一旦区切って、恵ちゃんと視線を合わせて含み笑いをした。
「男の人だったんだよねーー」
「ねーー」
 男の人……?
「えーーーーーー!」
 あたしは、場所もかまわず、大声を上げてしまって慌てて口を押さえる。
「心当たりあるの?」
 祥子ちゃんがあたしを覗き込む。
 だって、男の人で、あたしが、ここにいるのを知ってる人は一人しかいない。
「…SEIさんだと思う」
「あんた、今日SEIさんのところに行かなかったじゃない。それなのに、どうして」
 祥子ちゃんが驚くのは無理はないと思う。だって、あたし、言ってなかったものね。
「ファンレターにうちのサークル名と『暇があったらうちのスペースに本を見に来てください』って書いておいたの」
「はぁ? あんたそんなことまで書いたの?」
 祥子ちゃんが思いっきりあきれているのが分かる。
 だから、急いで言い訳する。
「あ、あのね、ちょっとでも知り合いの人っていうか、あこがれの作家さんが訪ねて来てくれるとうれしいかなって、でも……SEIさんファン多いみたいだし本当に来てくれるとは思わなかったんだもん」
 ファンレターって一方通行のものだと思っていたから、書いたことに直接反応が来ると思ってなかったんだもん。
 でも。
 うれしいな。来てくれたんだぁ。
 あたし、スペース名は書かなかったから、わざわざ、ティアズマガジンで探してくれたんだよね。
 そう思うと顔がほてってくる。
「よかったじゃん。しの」
「うん。嬉しい。祥子ちゃん。どうしよう」
 うれしくって、どうしたらいいのか、わからない。
 と、あたしが、戸惑っている間に祥子ちゃんが、SEIさんのことを他の二人に話す。
「へー、いいじゃない。せっかく来てくれたんだから、今度はしのちゃんが行く番だよ」
「そーだよー」
「来てくれたお礼を言わないと悪いよーー」
 二人はしっかりあたしを焚き付け始めた。
「そこまでしてくれたんだから、差し入れなくても会いに行くしかないんじゃない?」
 祥子ちゃんがにんまり笑う。
 ちらりとまわりをうかがうとみんな笑ってるんだよね。
 やっぱり、行かないと悪い、わよね?
 悪いなんて思いながらも、本当は、行ける口実が出来て、ちょっと、うれしい。

 鼓動が倍速モードになっている。SEIさんのスペースに向かって歩いてはいるんだけど、顔が上げられない。誰かについて来て欲しかったんだけど、「がんばって行って来なよ」の笑顔で阻まれてしまった。
 段々近づいてくる。わーん。通り過ぎてしまいたい。
 でも、ここで、そんなまぬけなことをする訳には行かないわよね。
 どうしよう。目が合ったら、微笑まなきゃいけないわよね。と、とりあえず、視線を上げよう。うん。せーの。
 意を決して視線を上げたのに、SEIさんのスペースには誰もいなかった。
 どこかに出掛けちゃったのかな?
 あ、でも、隣のスペースの前の後ろ姿。あれが、SEIさんのような気がする。
 背を向けてくれているので目を合わさなくていいことに、ちょっとほっとする。
 あたしよりも遙かに幅も高さもある背中に話し掛ける。
「あの…」
 振り返ったSEIさんが営業用スマイルを浮かべる。
「先程、スペースに訪ねて来て下さいましたか?」
 え? という顔をされる。あたりまえだ。彼はあたしの顔は知らないんだもの。
「私、斎木と言います」
 SEIさんの目が見開かれて、それから、笑顔になる。
「ああ、手紙、ありがとう」
「あのっ、こちらこそわざわざ来ていただいてありがとうございました!」
 ぺこりと頭を下げる。
「いや、いいんだよ。暇だったから行っただけだから」
 この間は座ってたから分からなかったけれど、SEIさんて背が高いんだ。あたしの目の高さが胸のあたりまで。それ以上は恥ずかしくて、見上げたりできない。
「来てくれるのを待とうかと思ったんだけど、ついね」
 ああ、痛いところをつかれてしまった。
「あ、来ようと思ってたんですけど、あたし、差し入れを忘れてしまって……」
 謝るときは目を合わせなきゃと思ったけれど、上目遣いなだけになってしまう。
「ごめんなさい」
 えーーん。おまぬけってあきれられてもしょうがないよね。ごめんなさい。
 心の中でもう一度あやまってしまう。
「そんなこと気にしなくていいのに」
 SEIさんはあきれるどころか、気遣うような言葉をくれた。
「来てくれただけでもうれしいよ」
 そして、にっこり笑ってくれた。
 ……わぁ、うれしい……!
 同人作家さんにファンレターを出すのが初めてで、イベントに出るのが初めてで、あこがれの作家さんにたずねてもらって、来てくれてうれしいって言われて、初めてづくしで、鼓動が加速度を増し、頭に血が昇りすぎてしまって。
 ……もう、何を話してるんだか分からなくなって、気がつくと
「このあと、どこかでもう少し、話をしませんか?」
と、いう言葉が唐突に降ってきた。
 え? え?
 あたしは、もう、自分では何も考えられない状態だったので、思わず、こう答えてしまった。
「祥子ちゃんに聞いて来ます」

「それでサ、俺の作品はよくないって、自分で言っちゃう訳よ、そーすると、他の人がそんなことはないよって止めに入ったりしてね」
 ここは、目白の駅前のマクドナルド。イベント終了後、あたしたちとSEIさんのサークルはお茶をしているんです。
 でも、さっきの台詞はSEIさんではありません。あたしの目の前に座っているSEIさんのお友達の太田さんです。SEIさんは、通路を隔てた隣のテーブルで祥子ちゃん達と話をしています。
 ……どうしてこうなっちゃったんだろう?

 あたしが、まぬけにも「祥子ちゃんに聞いてみます」と言うと、SEIさんは、一瞬あっけに取られたように見えたけど、すぐ、笑みを戻して、「よし、じゃあ、一緒に聞きに行こう」と先に立って歩き始めた。
 あたし、驚いて、止めようとしたんだけど、ストライドの違いがありすぎて、追いついた頃には、もう、あたしのスペースのすぐ側で、あたしが、何を言うよりも早く自己紹介と一緒にお茶でもという話を始めてしまっていた。その後のうちのスペースの反応は、「大賛成」だったので、ここにいるのだけれど、あたし自身は迷ったんだよ。
 SEIさんはもちろん大好きな作家さんだからお話しはしたかった。
 でも、初めてのイベントのあとだから、祥子ちゃん達とも、いろいろ話したかった。
 また、イベントで会うはずなんだから、その時に、お話しをすればいいんだけれど、でも、せっかく会えたのに、このまま別れてしまうのはさみしい気がした。
 すごく心が揺れたの。みんなに「本当にいいの?」って何度も聞いて、みんなに「いいよ」って言われて、ようやく決心した。
 のに。

「自己批評は、物を書く上で、必要不可欠だと思うね」
「はぁ」
 いきおいに押されて相づちを打ちながらも、視線は右斜め前のSEIさんにいってしまう。
 ここにいるメンバーは、あたしと祥子ちゃんと雅子ちゃんと恵ちゃん。SEIさんとそのサークルの人の太田さんという男の人。そして、山崎さんという女の人。あたしが、冬コミでSEIさんと間違えた人です。
 山崎さんはSEIさんの彼女かなと思ったりもするけど、本当のところは分からない。SEIさんの彼女じゃないよね。『彼女いない歴1年』だもんね。
 マクドナルドについた時に並んだ注文の順番のせいで、先にSEIさん達が2階席に上がっていき、しばらくたってから、あたし達が上に上がった。
 と、階段すぐ横の角の禁煙席に山崎さんが座っていて、SEIさんと太田さんは少し離れた喫煙席でタバコを吸っていた。
 どっちに行けばいいのか迷っているとあたし達に気づいた山崎さんが、
「あの二人タバコを吸い終わったらここに来ますから」 と、教えてくれた。
 山崎さんが一人だったから、あたしは、山崎さんの前に座った。でも、1テーブル4席だからみんなは一緒のテーブルに座れなくて、祥子ちゃん達3人は隣のテーブルに座った。
 そこに、太田さんが帰って来て、あたしの目の前に座った。山崎さんが同じテーブルだからこっちに座って当然と思っていたのだけれど、SEIさんは、驚いたことに隣のテーブルに残った一つの席に座ってしまった。
 隣のテーブルにSEIさんが男一人になるわけだから、「変わりましょうか?」って一度言ったの。でも、「いや、いいよ、そっちの方が背もたれがあって楽でしょ」って。
 確かにこっちは壁ぎわだったから楽だけど。
 でも、そのせいで、かわした台詞はさっきの会話だけ。
 どうしてこうなっちゃったのかなぁ。

「…ないと向上しないと思うんだ。そう思うでしょ?」
「え、あ、はい」
 回想中にいきなり質問されて、あわてて返事をする。
 えーと、太田さんのおっしゃってることはすごくいいことだと思うんだけれど、ちょっと、難しくてついていけないところがあるの。
 それに、SEIさんのことが気になるの。
 だって、あんなに悩んで決心して、やっぱりファンだからって、ここに来たのに。
 こんな通路を隔ててたら話が出来ない。できれば、あたしから話しかけたいんだけど、でも、その機会もないの。
 もう、1時間ぐらいはこの調子で太田さんとだけ話してる…。
 って、思ってたら、SEIさんが突然横を向いた。
「太田、お前、女の子相手にヘビーな会話してるんじゃないよ」
 その言葉は、とても意外だった。
 そっちでばっかり話してると思ってたのに、あたし達の話も聞いていたの?
「えーー、そっかなー。わかんない?」
 太田さんがあたしを覗き込むようにたずねる。
「あの、おっしゃりたいことはよく分かります」
「ほら」
 あたしが肯定の返事をすると、太田さんは得意そうにSEIさんに顎を向けた。
 SEIさんの目が「ホント」って問いかける。
 あたしは、太田さんに悪いので、一応、こっくりとうなずく。
 分かるのは分かります。分かるだけなら。
「太田さんて彼女にもそーゆー話するんですか?」
 初めて祥子ちゃんが話しかけてくれた。祥子ちゃんもこっちに話しかけるきっかけを探していてくれたと思う。
「するよ」
 太田さんは、あっさりと速答した。
「こーの程度の話についていけないようじゃ話しててもつまんないだろ?」
「でも、創作しない彼女だったら、そーゆー話してる方がつまんないんじゃないですか?」
 あ、祥子ちゃんもあたしのこと気遣ってそう言ってくれてるのかな。
 うれしいって思ったけれど、太田さんの返した口調の強さにちょっと青くなる。
「そんなのお互い様だね!」
 わあん、あたしが太田さんの話についていけないからいけないのよね。
「じゃあ、その話がつまらないかどうか確かめてから話しかけた方がいいですよ。そういう話がつまらない子って多いと思いますよ」
 切り返す祥子ちゃんの口調は堅い。
 祥子ちゃんは誰も止められないことを、高校時代の友人はみんな知っているから、恵ちゃん達も口を挟めないでいるみたい。
 どうしよう。
「あたしだったら大丈夫ですよっ」
 そうは言ってみたものの、何が大丈夫なのか自分でもよく分からなかった。これ以上難しい話をされたら、ついていけなくて、おバカがばれるかも。
 ああ、本当にどうしよう。
 その時、救いの神があらわれた。
「あたし、そろそろ帰るね。太田くん」
 山崎さんが荷物を持って立ち上がった。
 太田さんはふと声を和らげて横を向いた。
「そうだったね、もう、6時か? どこ行くんだったっけ?」
「コンサート」
「じゃ、気をつけてね」
「うん。ばいばい」
 そのあと、山崎さんはあたし達に会釈をして、帰って行った。
 みんなの視線がそれを見送って、そして、その後、沈黙。
 ちょっと考えてから言葉を口にする。
「あたし達も帰りますね」
「もう帰るの?」
 SEIさんが残念そうにしてくれたけど、帰った方がいいと思う。これ以上、祥子ちゃんと太田さんを一緒にしとかない方がいいと思ったから。
「ええ。今日は疲れましたし、帰ります」
 疲れたって言うのは、本当のこと。初めてのイベントで、本当にすごく疲れてしまった。
 あたしがそう言っている間に、みんな上着を着たり、荷物を持ったりしている。
「ああ、そうだね」
 SEIさんは、そう言って、太田さんを促し、自分たちも荷物を持った。
 こんなに短い時間だけで、帰るって言い出すのは、失礼な気がするから、ちゃんと、今日は誘ってもらってありがとうございますぐらいは言わなきゃ。
 とか、思いつつ、話し掛けるきっかけが掴めない。
 みんなに揃って1階まで降り、あたしは、みんなで駅に向かうものだと思っていたので、まっすぐ出口に向かっていた。なのに、SEIさんと太田さんは、もう少し残ると言ってカウンターの注文の列に加わった。
「俺達、もう少しここにいるから」
 太田さんのその言葉を聞いた時には、二人とあたしの間には大分間が空いてしまっていた。
「さようなら」
 それだけ言って、立ち去ろうとする祥子ちゃんにつられて会釈だけしかする暇がなかった。そのまま、店を出てしまった。
 けれど、出て歩き始めたとたん、すごい後悔が押し寄せてきた。
 ちゃんと言わなきゃだめだと思った。
「ごめん。あたし、ちゃんとあいさつしてくる」
 あたしは、身を翻して、店内に戻った。
 よかった、まだ、下にいた。
「あの」
 SEIさんが振り返って、あれって顔をする。
「今日は誘っていただいてありがとうございました。帰りますけど、あ<の、また」
 そこまで言って言葉につまる。
 また……? またどうしたいの?
「イベントで……会いましょうね」
 これが、一番確率高いよね。
「うん、またね」
 SEIさんの笑顔に安心して、ぺこりと頭を下げて、店から出て駅に駆け出した。

「ごめんねー、しの。でもサー、あーゆータイプ嫌いなんだー」
 部屋に帰った祥子ちゃんの開口一番。
「いいよ、あのままいても話せなかったし」
 荷物を降ろして、上着を脱いでハンガーに掛ける。
「そーだよねー。なんで、別のテーブルになったのかな。しののすぐ横も空いてたのにな」
 祥子ちゃんはカバンの中の本を出しながら言う。
「え、すぐ、隣に座られちゃったら恥ずかしいよ。SEIさんもそうだったんじゃないかな」
 あたし、横に座られたらもっと話ができなかったかもしれない。
「いくじのない奴」
「祥子ちゃんそれはちょっと違うんじゃないかな」
「だぁって、自分からしのを誘っておいて、あのざまだもんね。あっと、ごめん。しの。更にぶち壊したのはあたしだっけ」
 祥子ちゃんが慌ててあやまる。
「ん。それはいい」
 話せなかったのはあたしも悪い。話したくて行ったのに話し掛けなかった。考えて見れば全然だめって訳じゃなかった。あたしにもいくじがなかったんだよね。
「みんなをわざわざ連れていって、話して来ないなんてみんなにも悪いことしちゃったね」
「しのは悪くない。そうだ、しの。差し入れを郵送しなよ」
 え?
「だって、チョコでしょ? バレンタインにはまだ間に合う」
 ええ?
「で、次のイベントじゃチョコの差し入れって訳には行かないしょ?」
「それはそうだけど……」
 バレンタインチョコ? 余計恥ずかしいよ!

「これ、お願いします」
 一応家でも計って切手を貼って来たんだけど、念のため、もう一度郵便局で計ってもらう。こんなに膨れているのに、120円で済むなんて信じられないんだもの。
「心配しなくても大丈夫。120円ですよ」
 郵便局のお兄さんの力強い声で保障してくれた。
「ありがとうございます」
 そのまま封筒をお兄さんに預ける。
 結局、差し入れを郵送することにしたの。バレンタインは月曜日で間に土日に挟まっているから、うまく届くか不安だな。
 きっかけは祥子ちゃんに言われたからだけど、やっぱりチョコレートを渡したかった。だって、せっかく、買ったんだもん。
 でも、一般的な意味のチョコレートじゃありませんからね。たの……差し入れ……だからね。

 そして、14日、バレンタインがやって来た。

「しの。今日の夕食はあんたの好きなもの作ってあげるわよ」
 学校帰り道、急に祥子ちゃんが言い始めた。ちなみに、学校には歩いていける距離にあたし達のアパートはある。
「うん。ありがとう。でも、どうして」
「だって、しの、今日調子悪いみたいじゃない?」
「え、そう」
「そう、あんまりしゃべらないし、お昼だってあんまり食べなかったじゃない」
 それは、体調が悪いんじゃなくて……心配をかけてるんだったら正直に言った方がいいよね。
「あのね」
 思いきって話しだす。
「チョコが届いてるだろうなって思うと、ちょっと心配で」
「何が心配なの?」
「どう思ったかなって」
 悪く思わないって分かってるけど、やっぱり、心配。直接チョコを渡した時みたいなどきどきが続いてる感じ。
「しのってば、気にしすぎだよ」
「うん。そう思うんだけどね」
 どうしようもないよね。
 部屋に入ろうと思ったら横に祥子ちゃんがいなかった。
 振り返ったら集合郵便受けの所にいた。あたしは、先に部屋に入る。
 自分の部屋に入ると、ぐったりと机につっぷしてしまう。
 ふぅ、疲れてるなぁ。会ってないときにこれじゃあ今度本人と会った時は、もっと、緊張してまた話せないんじゃないのかな?
 おかしいな。何が悪かったのかな。素敵な話を描く人だから、好きだってことを伝えたかったのに、そのために書いた手紙が、どうして、話せない方向に行ってしまったんだろう。差し入れだってそうだよね。送ったせいで、余計気が重くなってる。
 あたし、何をやってるんだろう。
 ポソッ。
 何かがあたしの後頭部の上にのった。乗っけたのはもちろん祥子ちゃんに決まってるけど、乗っかったものはなんだろう。手探りで頭から取り、顔を上げて、見る。A4サイズぐらいの茶封筒。
「何? これ、祥子ちゃん」
 祥子ちゃんはあたしの隣に座り頬杖をついて、にんまりと笑った。
「裏見てみなよ」
 素直にめくる。
「あ……」
 SEIさんからだ! え? どうして?
「開けてみな」
 うんっとうなづいて、引き出しからハサミを出す。
 封を開けようとする手が震える。
 中には、小さな便箋が数枚と。
「ああ、あたしが、好きだって手紙に書いたタイトルページだ」
 わあ、こんな大事な原稿を送ってくれたの?
 震える手でもどかしく手紙を開く。
『こんにちは。このタイトルページがとても気に入ってくれたようなので、もらってやってください。誉め言葉とこの間付き合ってもらったお礼です』
 そんな言葉で手紙は始まっていた。
 祥子ちゃんはあいかわらず横でにまにま笑っている。
『しかし、この間は、女の子をお茶に誘うという慣れないことを一所懸命やった割には、ほとんど話せなくって、俺は何をやってるんだーーとあのあとしばらくマクドナルドで頭を抱えてしまいました』
 ……SEIさんもあたしと同じことを考えてくれてたんだ。そう思うと心の中が暖かくなる。うれしくって震えなくなった手で便箋をめくる。
『できれば、今度はきちんとお話しをしたいので、できれば連絡下さい。電話番号は、TEL◆□△■▲……』
 ……どうしよう。
「なんて書いてあるの。しの」
 何から言えばいいのか分からない。
「うれしい……」
 その言葉だけで祥子ちゃんは納得してうんうんとうなづいてくれた。
「会いたいって?」
「電話番号教えてくれた」
「すごいじゃん! いくじのない奴だと思ってたけど、結構やるじゃん」
『ずうずうしいと思われるかもしれませんが、これぐらいじゃないと広い即売会、気の合う友達を作れないと思うので』
 うううん、SEIさんは全然ずうずうしくないと思う。だって、本当にずうずうしかったら、あたしと話せなくて後悔しないでしょう?
 祥子ちゃんにもそう言うと、
「照れ隠しだよ。それ!」
と、けらけら笑った。
 悪いけど、あたしもそう思う。
 でも、そんなSEIさんだから、もう一度会いたいと思う。
「電話しなよ。早く」
 祥子ちゃんがコードレス電話をあたしに押しつける。
 もう、祥子ちゃん用意良すぎだよ。
 そう思いながらもあたしはうなづいて。
 通話ボタンを押す。
 ゆっくりプッシュボタンを押す。
 そして……。


END