人は不思議なものです。
不吉なものを忌み嫌う一方、不吉な逸話がまつわる美しいものに、時として、より以上の妖艶さを感じ、 牽かれていきます。
 しかし、妖しい美しさに彩られた逸話は絵画や骨董品のような美術品ばかりではありません。
 今回、ご紹介するのは第二次大戦中、その美しいスタイルと不吉な伝説から「呪われた戦艦」と呼ばれた ドイツ戦艦、シャルンホルストの物語です。
ミリタリーコラム  「鈍色の夢」

第二話   「呪われた戦艦 シャルンホルスト」

 戦艦、と聞くとたいがいの人が思い浮かべるのが宇宙戦艦ヤマト。アニメファンなら機動戦艦ナデシコ、映画ファンなら戦艦ポチョムキンといったところでしょうか?
 しかし 、第二次大戦を控えた各国の戦艦は威厳に満ちた姿をしていました。アメリカのアリゾナ、イギリスのマイティフッド、フランスのストラスブール、日本の長門。列強の戦艦はどれも、その国の力を象徴するような荘厳な姿を海に浮かべていました。
 ところが、そんな中、ドイツはただの1隻も戦艦を持っていませんでした。
第一次大戦でドイツ帝国が敗北したとき、ドイツは残っていた軍艦をすべて戦勝国に引き渡すよう命じられたのですが、屈辱を持って生きるより、名誉ある滅亡を選んだ敗残のドイツ艦隊は、イギリス海軍の根拠地スカーパフローの目の前で自沈してしまったのです。
 ドイツの海の鎮め、高海艦隊はこうして皇帝の時代と共に姿を消しました。

 時は移り、やがてナチスの時代になりましたが、莫大な費用と時間のかかる戦艦の建造は、そう簡単にはいきません。どれくらい簡単にいかないかというと、戦艦大和の場合、完成まで3年、建造費は現在の東海道新幹線の工事費とほぼ同額だったと言うと大体おわかりでしょう。
 海軍の建設は冗談ではなく国家事業なのです。
 いまだに軍艦らしい軍艦のないドイツ海軍は徒手空拳でした。 一方、海の向こうでは宿敵イギリスが新旧合わせて15隻もの戦艦が睨みをきかせています。
  そこで、新生ドイツ海軍が考えたのは重い装甲をわざと薄くしてスピードの早い戦艦を造り、強い敵からは逃げ、弱い敵(つまり戦艦以外の艦)を選んで攻撃する、という戦い方でした。

 そんな考え方のもと、1936年軍港ウィルヘルムハーフェンで建造されていたナチス海軍最初の戦艦がついに誕生します。 彼女にはヒトラーの命名により、ナポレオンと戦った勇敢なプロシア軍人「シャルンホルスト」の名が与えられました。




 進水式の日、港には何段もの桟敷が組まれ、その上に色とりどりの幔幕と鍵十字の旗、軍艦旗がはためいていました。白い船体には花のように何重ものベールが垂らされて飾られていました。列席した多くの人々を前にして、花嫁のような装いの白い巨艦にヒットラーやゲッペルスを始め、市長や海軍代表から祝辞が花向けられました。そして、最後にシャンパンと聖水で洗礼を与える役を与えられた少女が震える声で呼びかける様子が当時のニュースフィルムに残っています。

「戦艦シャルンホルスト、汝はドイツの心を持って祖国と人とを担うべし。神よ、鉄の肉体とドイツの栄誉をいま海に託します」

 戦艦シャルンホルストは白い船体に美しいスタイルをしていました。写真を見ても艦橋や砲塔などの構造物が、まるでバイエルンの狂王ルードウィッヒが建てたノイシュバンシュタイン城のような優美さ、厳かなシンメトリーに満ちています。この艦を見たことのある人はみな、「戦争の為に作られたのが悔やまれるくらい美しい艦だった」と語ります。
 しかし、この戦艦には建造中の異常な事故死の数、度重なるボイラーの爆発の犠牲者、艦長になるはずだった人が心臓発作で突然死するなど、戦いに赴く前から異常な死のエピソードがつきまとっていました。
 何より奇妙な出来事は、シャルンホルストの洗礼親となった少女の変死、という事件でした。
 ヨーロッパでは軍艦に限らず船が誕生した際、抽選で無作為に選ばれた女性が洗礼親となって祝福の言葉を述べ、航海の安全を祈る、という儀式があります。ところが進水式でシャルンホルストの洗礼親になった少女が数日後、不思議な文字を書き残して手首を切り、自殺してしまったのです。ドイツ海軍の名誉にかかわる事件なだけに、泣く子もだまる秘密警察ゲシュタポが捜査し、遺書らしいその文字も調べたのですが、それがルーン文字に近い言葉で「私は魅せられました」「護りなさい」と書かれていたらしいことが分かった以外、何故14歳の平凡な少女が、そんな難解な古代語を知り、何のために書いて死んだのかとうとう分からずじまいでした。




 一方、竣工なった新造戦艦シャルンホルストは静かに軍港キールを出撃、霧と共に北洋の海に姿を眩ませてしまいます。イギリス海軍は、この戦艦の行方を掴もうと偵察機を派遣したのですが、放った偵察機の半分が霧のなかに行方不明になってしまいます。
 まるで「護りなさい」という言葉を残した少女の願いを、その死を代償に死神がかなえたかのように…
 被害の大きさに驚いたイギリス軍は追跡を諦めました。しかし、彼等は後日、それを後悔することになります。

 それは1940年春、ドイツが中立国ノルウェーを侵略したときのことでした。イギリスは小国ノルウェーを救援すべく、えり抜きの戦艦や空母からなる精鋭艦隊を派遣したのですが、そこにシャルンホルスト率いるドイツ艦隊が立ちふさがったのです。彼等を追い払いはしたものの、救援が遅れた為にノルウェーはドイツに降伏してしまいました。
 こうなってはUボートのウロウロしている北洋の海にいつまでもいられません。ノルウェーに駐留していたイギリス陸軍部隊は霧に紛れてやって来た空母グロリアスの輸送艦隊に逃れ脱出しようとしました。
 海の色さえどこか不吉なノルウェーの沖。怯えながら霧のなか停泊する艦隊に向かってボートで漕ぎ出す兵士達。 今、この場所を襲われたらひとたまりもない、誰もが思っていたそのとき…

 そのとき、 突然、戦艦シャルンホルストが音もなく霧の中から現れたのです。
 まるで、霧の向こうにある黄昏の国から死神が迎えに来たかのように…

 私は思います。 イギリスの兵士や水兵達は、きっと凍り付いたような眼差しで、その美しくも不吉な姿を見つめたのではないでしょうか?
 そして、それが彼等にとって、この世で目にした最後のものとなったのでした。



 シャルンホルストはその後、復讐を叫ぶイギリス軍の必死の捜索をかわして大西洋に進出します。イギリス軍の追っ手や偵察に何故か不思議につかまりません。
 そして、島国イギリスから世界中の戦地へと向かう船団の前に現れては10万トンもの艦船を海底に葬り去ってしまいます。同じ頃、不沈戦艦と謳われ、イギリス艦隊に真正面 から戦いを挑み沈んだ戦艦ビスマルクとは対照的な戦い方でした。 いまや、イギリスにとって、シャルンホルストは死の天使に護られた幽霊戦艦として恐怖と憎悪の対象になりました。

 しかし、執拗にシャルンホルストを付け狙うイギリス軍にチャンスが訪れます。
  機関に故障を起こしたシャルンホルストが姉妹艦グナイゼナウと共にブレスト港に帰ってきたのです。ブレストはドイツに占領されたフランスの港で「シェルブールの雨傘」でお馴染みのシュルブールの西、つまりコタンタン半島より更に西に位 置します。
 そう、イギリス大陸の目と鼻の先です!
 イギリス空軍は、ここを先途とばかりに昼夜を問わない激しい空襲を開始します。
 高々度からの爆撃ではなかなか致命傷を与えられないので、イギリス海軍の攻撃隊が低空から決死の殴り込みをかけたこともありました。シャルンホルストは彼等の魚雷攻撃で一度は沈みかけましたが、それでもあやういところを助かったのでした。
  そして 、イギリス軍の決死隊は、死の精霊シャルンホルストにまみえる為にその生命を代償に差し出したのです。  シャルンホルストは沈まず、彼等の決死の攻撃は報いられることなく、やがて激しい対空砲火が彼等を捉え…
  …そして誰ひとり、生きて帰ってきませんでした…。

 イギリスに加えてロシアとも戦争を始めたドイツは、この頃、次第に戦争に負け始めてきていました。空襲を防ぐドイツ空軍も次第に弱くなる一方だったので、ブレストに駐留するドイツ艦隊は身の置き所がなくなってきました。
 しかし、祖国に帰ろうにも狭いイギリス海峡を通るのは敵の標的になるようなものでどう見ても不可能です。かといってイギリス大陸を北回りで回ろうにも、そこにはイギリス海軍の根拠地スカーパフローがあり、強力なイギリス主力艦隊が手ぐすねひいて待ち構えています。 彼等は進退窮まったかに見えました。
 ところが…

 度重なる空襲をかいくぐってシャルンホルスト率いるドイツ艦隊はブレストを出港、何と、あの狭いイギリス海峡、つまりドーバーを白昼堂々と突破してしまったのです!

 予想もしなかった出来事に意表を突かれたイギリス軍は大慌てでその場にいた魚雷艇や駆逐艦、爆撃機をかき集めた追いすがったのですが、苦もなく蹴散らされ、ドイツ艦隊は本国に逃げ帰ってしまったのです。


 イギリス海峡を敵が通り抜けるという出来事はスペイン無敵艦隊以来の出来事で、イギリスにとってこれに優る屈辱はありませんでした。


(イギリス海峡を突破するシャルンホルストの姉妹艦「グナイゼナウ」)





「ドーバー海峡の崖に立っていた私の眼に、その時だしぬけに霧の中から1隻、また1隻と白い大きな軍艦が音もなく現われ、通 り過ぎていきました。最初に現れた船はまるで中世のお城のように綺麗で、私の眼にはまるで幻のように見えました。後になって、私はあれがドイツの戦艦隊であることを知ったのです」



 しかし、全ては戦争という狂気の時代のなかのことでした。
 そして、どんなに美しい造形美に満ちた戦艦であっても、それはヒューマニズムを踏みにじった残虐な国家の海の尖兵であることを忘れることは出来なかったのです。

 鉄条網の向こうに立ちすくむ人々の絶望に打ちひしがれた顔。ユダヤ人というだけで生きる資格さえ奪われ、心を踏みにじられた人々。鍵十字の烙印を押された兵士に連れ去られる母親、必死に後を追い、蹴り倒される小さな子供。自由を夢見、天井の隠れ家で日記を綴っていた少女。生きながら夫は焼かれ、妻はガス室に送られた老夫婦。医学実験にモルモットとして供された青年。

 何の罪もない人々の幸せを引き裂く、こんな歪んだ、そして悲しい時代がいつまでも続くはずがなかったのです。

 偶然も、僥倖も、努力も、ささやかな希望や夢も野望も、恐怖も悲しみも、そしてやさしさも愛も…そんな人々の営みは、歴史という大きな運命の流れの前では取るに足らない無力なものにしか過ぎなかったことを、現代に生きる私達は知ることが出来ます。

 そして、そのたびに目に見えない何かに向かって問いかけます。


 何故、人は憎みあい、傷つけあうのか …と
 母港、ヴィルヘルムハーフェンに帰港した戦艦シャルンホルストでしたが、彼女を残し、ドイツ海軍はすでに敗北したも同然の様相になっていました。不沈戦艦と謳われたビスマルクはイギリス全海軍を相手に戦い沈没、同型艦のティルピッツは北洋のフィヨルドに停泊していたところを爆撃されて半身不随、シャルンホルストの姉妹艦グナイゼナウはドーバー海峡突破作戦の数日後、激昂したイギリス空軍の報復爆撃で浮かぶスクラップのような廃艦となっていたのです。
 この頃、北アフリカで敗れ、ヨーロッパ上空で敗れ、ロシアで敗れたドイツ軍は、空でも海でも陸でも、もはや崩壊を一寸刻みに伸ばすが為だけの絶望的な戦いを繰り広げていました。
 戦艦シャルンホルスト、彼女の死期もまた迫っていました。

 そんなある日のこと、孤艦となって北洋の港に憩うシャルンホルストに不思議な情景が広がりました。晴れることの滅多にない北洋の重苦しい雲の一角が晴れ、差し込んだ光条が彼女を照らしたのです。

 1943年、12月24日のことでした。

 静謐ななかにたたずむこの孤艦は、まるで神の啓示を受けたかのように白い光に包まれ、その様子は、ある有名な従軍画家によって描かれました。
 神が生まれた日、自然の光から洗礼を与えられたナチス海軍最後の戦艦。それは運命の予兆だったのでしょうか?
 やがて、雲が再び空を覆い、光が消えたとき、もしかすると死を代償に守護天使となったあの少女もまた神によって許され、この不吉な戦艦のもとから去っていったのかも知れません。



 翌日、イギリス船団の接近が罠であることを知らないまま出撃したこの名艦は圧倒的なイギリス艦隊の集中砲火を浴びて流氷の荒海に消えたのです。




巡洋戦艦
「シャルンホルスト」

(Battle cruser
"Sharnhorst")
性能諸元 

     全長    :230m 
     全幅    : 30m 
     最高速力 : 31kt
     排水量  :31,850t
     乗員数  :1669名 
     武装    :28cm3連装砲3基 15cm単装砲6基 10.5cm連装砲7基 他

《SILENT LIBLARYへ戻る》