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高射砲塔(宮崎駿「雑想ノート」)
今や日本映画で知らぬ人がいない映画監督となった宮崎駿氏。
彼の作った「千と千尋の神かくし」は映画史の記録を塗り替える大ヒットとなった。昔はアニメおたく、というと軽蔑の意味でしかなかったが、黒澤明なき日本映画が低迷を続け、政治家や経済人が不況に対して無力なことを示し、多くの官僚が無責任で無能なことを露呈するなかで、いわばアニメおたくの親玉みたいな人が興行として大成功を博しているのは痛快な気持ちがする。
こんな気持ちがするのは僕だけだろうか?
ところで彼が僕同様のミリタリーマニアであることはあまり知られていない。
そんな彼が、戦史の事実や妄想を基にした創作した話集がある。それが数年前に出版された「雑想ノート」という絵本である。かの有名な映画「紅の豚」もこの作品集の一編である。
それが5年ほど前にラジオドラマで放送されたことがあった。
人間と兵器が織り成し、歴史のはざまに消えた狂気の情熱を描く不思議なファンタジードラマ。
ミリタリーマニアの僕は毎週楽しみに聴いていたものだった。
特に、沢山の砲塔を載せた陸上戦艦のような戦車「悪役一号」が登場した「多砲塔の出番!」は個人的jに最高に面白かった。
舞台は、とある豚の国。「悪役一号」を指揮して反乱を起こした司令官ヨークシャー大佐は、帝都を目指して進撃の途中、街で女の子をさらうのだが、そのさらったヒロインに一生懸命迫るシーンでは「立派な悪役はさらったヒロインを一度は口説かねばならない!…結果はどうあれ」という本来なら無用なナレーションまで付いていて爆笑したものだった。バナナの皮があったら必ずそれを踏んで滑らなければいけないような「お約束」、というか笑いのツボを宮崎氏はちゃんと知っていらっしゃる。
そしてこの人の描く悪役は、必ずどこか一本抜けているからどこか憎めないのだ。「愛すべき悪のヒーロー」を描かせて、この人の右に出る人はいない。
さて、今回ご紹介するのはその中の一編で「高射砲塔」という作品である。
ドイツのアンティークショップで働く少女マルガレーテは、ある時手にした古い画集に描かれていた街に魅かれ、旅に出る。
マルガレーテはそこで、街はずれにそびえ立つバベルの塔のような残骸を見る。彼女の画集にも描かれていたそれは、まるで空に突き出した悪魔の腕のような不気味な容姿で彼女を魅了し、この街へと誘ったのだ。
… それは第二次大戦中、連合軍の爆撃からドイツの都市を防衛した「高射砲塔」だったのだ。
そして…その街には、初めて訪れたマルガレーテをずっと待っていた人がいたのである…
歴史の中に消えていった人々の物語。努力、喜び、苦しみ、小さな恋、そして悲しみ…
既にCD化もされているので、もし興味を持たれた方がいたら聴いてみて欲しい。
大竹しのぶさんの口演が素晴らしく、戦争の虚しさ、過去に消えてゆく人々の切ない想いが伝わってくるようである。
何日かぶりに僕は塔の外に出た。
そこには、もうあの美しい街はなかった…
空を覆い尽くしていた敵機の姿はもうどこにもなく、ただ青い空が広がっていた。
だけど、公園ではしゃぐ子供達の歓声も犬の吠える声もなく、鳥のさえずりも聞こえなかった。
日向ぼっこする老人、買い物を楽しむ母親、家路を急ぐ人の姿もなく、あたたかな夕餉の匂いもなかった。
僕の心を熱くしたあの演説はもう聞こえてこない。
崩れ落ちた街に、僕の好きだった人達の姿は、もうどこにもなく…
そして、マルガレーテ…君の姿も…
ちなみに物語は創作だが、高射砲塔は宮崎駿の頭の中にある妄想の産物でなく実在したものである。
第二次大戦末期、日本は飛来するアメリカの高々度爆撃機B-29を撃ち落す高射砲も戦闘機もなく、工場や施設をろくに疎開させる力すらなかった。そして、罪のない大勢の人々が爆撃の犠牲となった。
ところが、そんな無力な日本から地球をグルリと回った裏側で、ドイツは現代の日本ゼネコンが泣いて喜びそうな土建屋万歳的要塞を主要都市に幾つも築いて空襲を迎え撃っていたのである。
分厚いコンクリートで鎧った高射砲塔は高さにして15階建のビルに相当したそうである。度重なる空襲にびくともせず、塔に備え付けられたたくさんの対空砲、機関砲は空襲の度に爆撃機を叩き落し続け、高射砲塔は戦争の終わる日まで吼え続けたのだそうだ。
右の写真はウィーンに残る高射砲塔
(ベランダのような丸い張り出しは高射砲の台座である)
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