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電波オデッセイ(漫画 作者:永野のりこ)
ハッキリ言おう。僕は変人である。
偏屈で弱気で妙なところで頑固だけど、長いものには巻かれることが多い。機転が利かず、気配りも下手なので、人に悪く思われることも多く。人の間にいると浮いてしまってばかり。
だけど、そんな自分を理解してくれる人がおらず、その誰かを捜して孤独な旅を続けている。
「星の王子様」をご存じの方は主人公を思い浮かべて欲しい。ゾウを飲み込んだウワバミの絵が分かる人がいなくて、心の奥にしまい込んでいるパイロット。
僕には、辛いときに何も言わずにドライブに連れだしてくれた親友も、そんな変わったところが好きだと言ってくれた彼女も今はもういない。 2人とも、ある日、突然背中を向けて去っていったのだ。僕にもきっと背中を向けられる何かがあっただろうけれど。だけど、親しかった人も、愛していた人も、何故僕を捨ててしまったのだろう。
僕は、そんなにみすぼらしい、つまらないオモチャみたいな、使い捨ての人間なんだろうか…
それから、僕は老人のように老いさらばえた心を自ら労りながら、何とか社会と折り合いをつけて細々と生きている。
僕のように自分の心を理解してくれる人や、誰かに理解される術を持たない人はおそらく世の中にいっぱいいるに違いない。
「オデッセイ」はそんな人達の孤独を溶かしてくれる作品である。おそらく「普通 」の人が見たら「ナンダコリャ」で内容はちっとも分からないだろう。親が失踪し、お金の蓄えもないまま、自分以外の社会すべてに疎外感を感じている少女。そして(私の家はここだけど、帰りたい。どこかへ)(帰りたい、帰りたい、帰りたい…)と思っているところに現れる白衣の不思議な少年。
オデッセイ、と名乗る彼の正体は最後までハッキリしない。それは読む人によって様々だろう。本当に、そんな誰かがいるのかも知れないし、主人公が生み出した妄想かも知れない。
だけど、昨日を見失い、今日に絶望し、明日が見えなくなっている、そんな孤独な誰かにとって「自分を理解し見守ってくれている誰かがいる」ということはどんなに嬉しいことだろうか。
別に助けてくれる訳ではない、だけど自分と向かい合い、話し合ってくれる誰か。
そして、そんな「オデッセイ」が語った言葉。
この世界に生を受けた君(僕たち)はすごく幸運な旅行者だということ。生きている間(旅行の間)に「生きていて良かった」という素晴らしい何か(この作品では「オミヤゲ」と表現している)に出会える期待を持って生きてゆけること。
この世界は苦しいこと、悲しいことばかりが目につき、そんなものばかりに呑み込まれてしまいそうになるけれど、喜びという「オミヤゲ」に巡り会うことも出来るのだ。生き、そして走り続けていれば…いつか
そう考えただけで灰色だった世界が輝いて来るように思えるのである。
少女は翌日、生まれ変わったような笑顔でこの世界のオミヤゲ探しに出かけるのである。
物語の最後、主人公の少女はに、失踪していた母親の死を知る。だけど自分がこの世に生を受けた意味を考え、こう思うのである。
いつか遠い先の日に、お母さんに出会える時がきたらオミヤゲをいっぱい抱えていくんだ、と。
少女は考える。人はただ生まれる訳ではない。誰かが「在れ」と願ったから、生を受けたのだと。
そして自分が生きていて良かったと思えることが、この世界で「また、素晴らしい何かに出会いたい」と願う気持ちになる。
喜びに出会い、願うこと。
ただそれだけが、この世界に生きる立派なパスポートになるのだと…
当たり前のことなのだけど、見失ってしまいがちな大切なことを、この漫画は僕に教えてくれたように思う。
僕が漫画を読んで涙を流したのは数年ぶりのことだった。
僕は、この本を手にして間もなく母親を癌で失った。母親だけではなく、いろいろな大切なものを失った。
けれど、また出会えるかも知れない…生きていて良かったと思える何かに。
僕は、この作品を知ったことでそう思えることが出来た。
葬儀の日、僕は冷たくなったお袋の棺にこの本を入れた。
そして、心の中で、お袋にあの主人公と同じ言葉を贈ったのだった。
生きていてよかった。そんなオミヤゲをいっぱい持っていくからね、お母さん…
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