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スターリングラードの聖母(絵画 ベルリン市内教会に所蔵)
スターリングラード。
歴史に詳しい人なら名前だけは聞いたことがあるだろう。 最近では同名の映画でご存じの方も多いのではないだろうか?
ボルガ河に面したロシアの都市。第二次大戦最大の激戦地となったこの都市は、歴史の転換点となった場所でもあった。
おどろおどろしいその不吉な響きには数十万ものドイツ・ロシア兵士の犠牲とロシア市民の呪詛に満ちている。
ご存じでない方に、歴史上、この都市で何があったのかを簡単に説明しよう。
第二次世界大戦で既にフランスやオランダといった西ヨーロッパを征服したナチスドイツはその矛先を共産主義国家ロシアに向けて1941年6月22日に侵攻を開始した。しかしその年の暮れと共に訪れた冬将軍を前に敗北。翌年、体勢を立て直したドイツ軍は今度は石油供給路の要衝である都市スターリングラードへと進撃した。スターリングラード市街は両軍の血で血を洗う死闘の場所と化した。
再び冬の訪れ。雪とともにロシア軍は街の両側から反撃に転じた。疲れきったドイツ軍は逆に包囲されてしまったがヒトラーは退却を許さず、やがて、飢えと寒さに全滅していった。
涙も、血も、苦しみも、すべて白い雪が覆い隠していった瓦礫の街スターリングラードのなかで…。
僕はスターリングラードと聞くと2つのことを考える。
1つは独裁者ヒトラーの野望の虜となりスターリングラード攻略を命じられたドイツ第6軍の司令官、フリードリッヒ・フォン・パウルス将軍である。
彼は 作戦や計画を立てるのに有能な第6軍の参謀だったが、もとの司令官ライヘナウ将軍が事故で亡くなった為、急遽司令官に抜擢された。
ただ、慎重な人だったらしく、ロンメル将軍のようにいちかばちかの賭けに出たり、自ら先頭に立つような行動力や決断力のない人だった。
そのため、勝てそうな場面をふいにして戦いを長引かせてしまった上に、兵力をつぎ込むだけで勝機を掴む決断が出来なかった。
その後、ロシア軍に包囲されてしまった時もヒトラーの現地死守という無謀な命令に逆らって危地を突破する勇気がなかった為に、結局麾下の将兵30万の生命を無為に犠牲にしてしまった。
行動に慎重なところはイギリスのモントゴメリーに似ているけれど、膨大な軍事力を背景に慎重な作戦が出来る余裕のあった連合軍ではなく、歪んだイデオロギーの野望と乏しい資源、精強だけれど余裕のない軍事力のドイツでは、戦機を見抜く眼と決断力を持った軍人でなければ勝利を得るのは難しかった。
勇敢なロンメルや知謀の名将マンシュタインに比べ、パウルスは無能な将軍として後世の歴史家に酷評された。
だけど、彼に限らず「あの時こうしていれば…」と悔やむ人は現代もいる。自分の不注意で交通 事故を起こした人、取り返しの付かない過ちに人生を闇に染めてしまった人。
30万もの生命を死地に留めた彼は、兵士達の呪詛をどんな風に感じたのだろうか?
もうひとつは「スターリングラードの聖母」という1枚のスケッチ画である。
1人の無名のドイツ兵士が描いた小さな絵。
見る者に悲しみと慈愛を訴える絵画。
(新聞社のネットコラムに絵も紹介されていたので興味のある方は検索サイトなどで探して見て欲しい。絵画には著作権があるのでここには掲載出来ないのだ。ちなみに右下の下手な絵は僕のイメージイラストである
)
1942年12月。スターリングラード市街地での激戦につぐ激戦で疲れきったドイツ軍は、雪と共に反撃に転じたロシア軍に包囲され、寒さを防ぐも術もなく、弾薬も食糧も尽き、追いつめられていた。
クリスマスイブの頃には凍死者、餓死者が増えていった。
鉄も凍る零下50度の寒さの中、食べるものもなく、せめてものクリスマスを祝うために彼はこの絵を描いたのだという。
どんな気持ちで描いたのだろうか。
侵略軍の兵士が敗北を前に都合良く殊勝な気持ちになって描いたとか見る人も多いだろうけど、
そんな偏った眼でこの絵を蔑む資格は誰にもあるまい。
この絵に込められた、何か切ない祈りのようなもの。
アンネ・フランクが隠れ家の窓から遠い青い空を見て書いた日記のように、戦争の悲惨さ、苦しみ、大きな歴史の中に押し潰されていった人々の絶望や希望、祈りが、僕には伝わって来るような気持ちがするのである。
どうか、こんな悲惨な出来事を繰り返さないでほしい。
この悲しみを、痛みを忘れないで欲しい。…と。
この絵を描いた兵士は翌年2月に包囲された第6軍の降伏とともに収容所に送られた。
スターリングラードの戦いに赴いたドイツ第6軍の将兵30万のうち、故郷に生きて帰ったものは僅か5千名。
彼もまた、生きて還ることはなく…
ただ彼の戦友が遺された小さなスケッチブックを持ち帰り、聖母の絵に込められた想いを人々に伝えたのだった。
有名な画家の作品に比べほとんど知られることのない、悲しい祈りの絵。一体どれくらいの人がこの絵を見、その想いを感じたのだろうか?
彼の描いた聖母は今もベルリンの小さな教会に飾られ、遠い歴史の痛みの為に祈り続けている。
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