Atomosphere palace
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VERTEXER(TVゲーム 1993年 TAITO)

銀色のタマゴ型をした美しい筐体。コインを入れスタートボタンに手をかざすと赤外線センサーが反応してクレジットがカウントされ、美しい宇宙空間の果 てに続くサーキットコースが現れる…。

何を隠そう、僕がゲームメーカーの社員として初めて触れたゲームがこの「ヴァーテクサー」である。
この名前は造語で、「ヴァーテックス」は英語で「頂点を極める」という意味だそうだ。すなわち、宇宙を疾駆し頂点を目指すレーサーのことが「ヴァーテクサー」なのである。
研修期間を終えて中央研究所にやって来た僕は当時隆盛を極めていた体感ゲームの開発部門に配属され、このゲームの企画者T氏に師事することになった。
このゲームは非常にシンプルな造りで加速装置やギアなどは一切ない。操作はアクセルとブレーキ、ハンドル、この3つだけである。 しかし、コースのライン取りやスピード加減を正確に掴んでいけば、1、2度ミスしても確実にトップグループに追いつくことが出来る仕様になっている。ライバル達もそれぞれ性格を持ち、スピードはないがハンドリングが巧妙なドライバー。記録よりカッコ良い走り方をするドライバー、他のドライバーを目の仇にして接触や衝突で妨害する奴などがいて、それぞれのしのぎあいの中で抜きつ抜かれつの熱いデッドヒートを繰り広げることになる。
余計なゲーム要素があるとゲームは面白くなくなる、というのが彼の持論で、人目を引く要素を持ち、シンプルでルールが分かりやすく、それでいて飽きが来ず、初めてゲームをやる人でも楽しめること、それが我々が作らなければいけないゲームだ、と僕は常々言われたものだった。

このゲームに限らず、僕の部署が世に送り出したゲーム機は非常に出荷台数が少なく、世間に知られることもあまりなかったが、「ヴァーテクサー」は豪華な外観の筐体に贅沢な仕様で作られ、渋谷に出来た豪華な造りのゲームセンターに設置された。 僕は漆黒の宇宙空間や惑星上の廃工場、トンネル、海中などを走り抜けるステージやせつなく胸をかきたてるロマンチックな音楽(曲はレイフォースやレイストームで有名なTAMAYOさんの作だった)が創り出す独特の雰囲気が好きで何度もコインを入れて遊んだものだった。
まだ、オタクな企画書案を書くことの多かった当時の僕は、このゲームの企画者T氏に容赦なく鍛えられたが、おかげで面 白いゲームとはどんなものか、少しだけは理解出来たと思う。(本当にちょっぴり、だから自慢や自惚れと受け取らないで欲しい) この人は批評が辛辣で社内に敵が多かったが、同時に仕事や自分にもたいへん厳しく、僕は仕事でこの人につけたのは本当に良かったと思っている。
また、仕事を離れるとプライベートでは怪獣好きの愉快な人でたいへん可愛がってもらった。

やがて、世の体感ゲームのブームはバブルと同じようにあっけなく消えてゆく。ストリートファイター人気も「バーチャファイター」や「リッジレーサー」「デイトナ」といった3DのCGゲームに取ってかわられていった。
流行に廃れた末に僕の部署も最後には廃止され、僕は会社を辞することになった。

だけど、僕が夢に向かって一番輝いていた頃の思い出の中に、ドット絵で描かれた神秘的なギャラクシーサーキットは今も生き続けている。
そして、「ゼビウス」や「グラディウス」で感じていたあの、透き通るような不思議な感覚をゲームで感じたのは「ヴァーテクザー」が最後となったのだった…。

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